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2014-04-04

岡山軽井沢往復の旅、来週末姪の結婚式に出かけます。

時は金なり、が実感として分かる年齢にようやくなりつつある現在、晴耕雨読の職場に巡り合ったのは、私には実に合っているのを、感謝しつつ日録的ブログを、書いている。
畑の頭上の雲変化のかたちはなんとも言えない

昨日は素晴らしい春の陽気、今日は春の嵐のようなお天気で、こうも人間はお天気に左右される生き物かと知らされる。平日、妻は仕事なので家の中が実に静かで、こういう日はやはり本を読んだりして、静かに無為に過ごすのも、一興である。

身体を使う畑仕事なので、こういう日にこそゆっくり体を休めることが肝要なのだ、そのことを雨は教えてくれる。植えたネギにとっても、恵みの雨である。

晴れの日と雨の日の、兼ね合いで作物は育つ。人間も又しかりなのだと、ようやくにして達観する、何事にも気づきの遅い私である。動かず、じいーっとしていることの、面白さなんかも、歳をとることの、妙味なのなのだということを感じ始めた。坐して瞑想の雨のひととき。

ブログを書くことで、写真を撮ることも好きになってきて、対象をじっと観察するゆとりのような感覚がましてくるし、若いころとはまるで異なる面白さが晩年にはある。スローライフ、いいものである。

ところで、来週末12日、姪の結婚式が軽井沢であるので、姉と兄たち、私の4人が軽井沢にゆき、久しぶりに再会する。以前もブログに書いたが、タイに住む弟も含め、何はともあれ姉兄弟5人が元気であり、そのうち4人が姪の結婚式に参加し、門出を祝えるということは、目出度いことである。

折々の人生の門出を祝福できるということは、何よりも幸せなことである、と思い知る。身うちであれ、他者であれ、人の幸せが心から喜べる人生の今を、生きられていることが嬉しいのである。いろんな意味で余裕がなければ、思いはあってもなかなかに難しいのが、又人生の常だからである。

自分を作物に例えれば、あらゆる要素がそろわないと作物は育たない、人間もまた然りである。そういう意味で、ようやっと他者を思いやれる、人生の季節が我が身に訪れてきているかのような按配である。

ところで、東京まで40数年ぶり、在来線を乗り継いで、本を片手に行ってみようかと急に思いついている。時間に余裕のある暮らしができる、今元気なうちにこそ、やってみたいのである。この十数年宮崎までは、何度も在来線や、特急を乗り継いで帰っているが、東京の方はまったく使っていないので、小さき冒険をやってみたいのだ。

私は、何度も書いているが、汽車の旅が好きなのである。一週間、若き日シベリア鉄道に乗ったことは、我が青春の誇りである。人は年とともに、きまりきったかのような生活をやがては余儀なくされることは、甘受するほかはない、とは思うものの、ささやかな冒険心は、可能な限りいくつになっても持ち続けたいものである。

昔は、お江戸までの旅に、人々はどれほどの時間を費やしたのだろうか。岡山を朝早く発ち、夜の8時にはつくのだから、早いものである。10日から14日まで、久しぶりの完全オフ、東京経由軽井沢往復の旅、普段とは違う時間が流れるだろう、その間はしばし、ブログを書くこともかなわないが、それもまたよしと思う。

ノートと、本とカメラを片手に、しばし日本の春を、車窓から眺めながらの、のんびり旅、健康なればこそである。


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