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2016-12-30

写真が入った今年最後の五十鈴川だより。

 本当に久方ぶりに、急に写真をアップしたのにはわけがあります。

下の写真に写っている台湾ボーイのティムくんは、今年の夏に我が家にホームステイした青年なのですが 、年末年始を家族で岡山に過ごしに再びやってきて、すぐに我が家に遊びに来てくれたのです。

おせち料理の準備を手伝ってくれているのですが、私がブログの写真のアップで困っているといったらすぐに写真を載せてくれたのです。

とりあえず、急きょのブログなので、写真中心でご容赦を。いま出かけていますが、昨日から、怜君と娘も里帰りし 一気ににぎやかな我が家の年の瀬です。

ティム君は19歳、隣に映っているのがお母さんで、夏のホームステイでのスナップショット。お正月のしめ縄は竹韻庵のS氏が編んでくれたものです。




玄関のお飾りは妻の力作、なかなか見事です。



夜は娘たちもそろって、にぎやかに年の瀬の団欒タイムを昨夜に続いて過ごします。

たぶんこれがおそらく、今年最後のブログになるかと思います。今年一年、本当にお世話になりました。深く感謝いたします。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様にとって良き歳になりますように祈ります。

2016-12-27

雨の中、竹韻庵での忘年会を堪能しました。

オーナーS氏の心のこもった品々の用意の元で、竹韻庵での忘年会ができました。

そぼ降る雨の中、岡山駅に10時に到着、S氏が車で迎えてくださりS氏宅へ。そこから歩いて15分の山歩きで竹韻庵にたどり着く。

S氏宅の裏山に竹韻庵、小さき山荘はたたずんである。都市住宅からわずかな山歩きで森の中の山荘があるなどとは、現代社会においてはまさに奇蹟的といわねばならない。

東京に長いこと住んだことがある 私には、そのことがいかに恵まれた環境であるかが身にしみてわかる。多くの都会人は、何時間もかけて別荘や山荘に出かけてゆくのだが、歩いて15分で世界が変わる環境、森の中に移動できるなんてことは、まさに稀なことである。

ましてや、どんなに豪華な山荘ほかをお持ちでも、出かけてゆくには健康な体がないと、それはやがては宝の持ち腐れ的なことにも、老いてゆくにしたがってなりやすい。

その点、S氏の山荘は電気もガスもなにもなし、その日を過ごせる食材や水を持ち込み半日を過ごす分には、華美ではなくまさに、私の生来の心情にジャストフィット、わびさびの世界へといざなわれるのである。

山荘なんてものは、茶室くらいの空間があればまさに事足りるのである。そのことが竹韻庵にいるとよく実感できる。小さな庵からの広葉落葉樹ほかの、物言わぬ自然界の植物群を眺め、愛でるいっときが、晩年時間のまさに醍醐味なのである。

まだまだ若輩の身で、このようなことを書くとおこがましいが、ようようにして【足るを知る】とはの感覚が、いまだ俗人の域に右往左往しながらも、いくばくか染み入ってきつつある。

昨年夏、S氏の依頼で竹韻庵にかかわるようになって一年半 が過ぎたが、この森ですごす時間は今後ますます老いてゆくにしたがって、物思いにふけるには最高のポトス(オーバーに言えば哲学的思考をする場所)となるに違いない。

小さな山荘だが、薪ストーブがあるので濡れて冷えた体もすぐ暖まり、ゆっくりとS氏の山用品ですぐお湯を沸かし、牛しゃぶしゃぶでの昼食忘年会開始、野菜他デザートまで全部S氏が、万端用意してくださり、私はただただ馳走にあやかった。

S氏はお酒を飲まれないのだが、私用にちゃんとビール、日本酒、焼酎まで。私は缶ビールと、日本酒を一合いただいたのだが、すっかりいい気分に酔いしれることとなり、次から次に古の記憶が蘇る幸福な忘年会となった。

楽しいひと時は瞬く間にすぎ、3時にはお開き。かなりの雨の中来た道を降りた。氏は私を西大寺まで車で送ってくださった。いやあ、いい忘年会でした。

雨の中、私のために心のこもった、手作り忘年会を開いてくれた氏の心遣いにこの場を借りて、五十鈴川だよりに、深く感謝を記しておきたい。

2016-12-26

静かにシェイクスピアの作品を再読する、年の瀬におもう。。

クリスマスもすぎた朝、今年も余すところ一週間をきった。私の好きな静かな朝である。今日は雨なのであるが、午前中竹韻庵でS氏と二人だけの雨天決行忘年会をする。

いとおかし、小さな庵での二人きりでの忘年会もなかなかに風情のあるものである。竹韻庵での忘年会は2回目である。

おそらくは今年最後の忘年会になる。人はなぜに忘年会なる風習を考案したものかまるで知らないが、正直儀礼的な忘年会の参加は、歳と共に苦手になりつつあるが、気心の知れた仲間や友人との忘年会は嫌いではない。

さて、忘年会が終わると、一気にお正月がやってくる。妻はお掃除他やることが多くて大変そうだが、私は申し訳ないが、すべてほどほどにすませ、もっぱらシェイクスピアを再読することに時間を割いている。

年が明けたら 、シェイクスピア全作品再読時間を持続すべく、時間の許す限り今月から始めたのである。近年、共作も含めると、40本の戯曲を書いたといわれる膨大なシェイクスピア作品をじっくりと読んでいる。

半分以上の作品は34年ぶりに読むことになるのだが、この歳で、かろうじて声がまだ出るなかで、あらためてシェイクスピアを翻訳日本語で読めることの幸せを、年の瀬、しみじみ感じながら読み進めている。

アテネのタイモン、シンベリン、ぺりクリーズ、、、。リアリズムには程遠い、時間空間あっちこっち飛び回り、変幻自在なシェイクスピア作劇術の真骨頂と言葉、言葉、言葉世界を今更ながらに堪能している。

夢が原退職後、さび付いた体にむち打ち、シェイクスピア遊声塾を、勇気をもって立ち上げて来年でまる4年になる。まさにあの膨大な豊饒絢爛豪華言葉世界を、この年齢で(なくても)朗誦するのは、やってみればわかるが、半端なエネルギーではない。。

我ながら無謀なことをやっているとは思う、がしかし4年目に入ったあたりから体が何とはなしに、昔の若かりし頃の感覚を、いくばくか感じ始めたのである。記憶の体は不思議というほかない。

目も耳も反射神経も、若い頃のようにはゆかないものの、この年齢での朗誦の仕方の可能性もあるのだという発見があるのだ。だからこそ続けていられるのだと思う。

それがなかったら、とうにやめていただろう。誰にも知られず一人声を出して遊ぶわが姿を、他者が見たら何と思われるだろう。大勢の登場人物を入れ代わり立ち代わり時間を区切って集中して読んでいると時間はあっという間に過ぎている。

楽しい時間は、あっという間に 過ぎるとシェイクスピアも言っている。シェイクスピアのおかげで演劇的人生時間に放り込まれたかのように感じている私としては、とことんシェイクスピアと付き合おうと思うし、可能な限り、老体に酸素を送り込むような感じで、有酸素朗誦にまあ、挑戦しているわけだ。

シェイクスピアの晩年の作品などは、若い時に読んでもほとんど実感しえなかった登場人物のセリフも 、この年齢で読むと、ときおり染み入ってくることがあるし、つまりは発見が尽きないのである。

ささやかに何かに感動したり、発見できる体と心があるということが、生きていることの他者に迷惑をかけない生き方の醍醐味かもしれない。一文のお金もかからず声の出せるから体さえ あればいいのだから、貧者であれ豊かに生きる方策は無限にあるのだ。

2016-12-24

クリスマスイブの昼間、母妻私の3人で竹韻庵で畑時間を楽しむ。

妻は昨日から3連休、今日はクリスマスイブだが次女が昨日から上京し、今夜は私と妻と母との3人でのクリスマスイブである。

クリスマスイブだからといっても、特別なことはとくにしないし、ささやかにちょっと3人での食事を我が家で静かにするくらいである。

長女の旦那さんはドイツ人なのでクリスマスはやはり特別なので、東京の娘夫婦はきっと特別な夜を過ごすことだろう。

さて、年の瀬もせまり昨日から 妻はなにやら棚をしつらえたり、DYYを楽しみながら、彼女ならではの領域家庭仕事をいそいそとやっている。

じつは我が家はこの一週間次女がダウン、続いて妻がダウン、最後に私がダウン幸い重症にはならず、一日半臥せっていたのだが昨日から熱も引き、このようにブログを書くところまで回復してきた。

一昨日夜、今年最後のカルチャーのレッスンがあったのだが、悩んだ末雨の中出かけ、何とかレッスンを終えることができたが、年の瀬に体が思うに任せぬような事態が起こるとやはり困る。

当たり前だが、すぐに忘れてしまいがちになるというものの健康の有難さが沁みる師走の私の暮らしでる。

さて、今日はこれから妻と母と3人で今年最後の竹韻庵山仕事に出かける予定なので落ち着いてブログを書く余裕がないので尻切れトンボのブログになるがご容赦願いたい。

妻と母と3人で竹韻庵に出かけることは、そうは多くないし年の瀬のクリスマスイブに出かけるのは初めてのことだ、母と妻との3人年の瀬畑時間を楽しみたい、との思いである。

本日は短い朝ブログにて失礼。皆様良きクリスマスイブを。


2016-12-19

旅愁という言葉が沁みた、男3人山科(響きが素晴らしい)旅。

気ままな、京都山科一泊二日、旧友再開、在来線往復電車旅をして昨夜帰ってまいりました。

K氏が誘ってくれた山科の会社の保養所は築百年は立っているという純和風建築、昔は某会社の方の別荘であったところでした。

要所は今風に改築され、まさに現代のせわしなさから、師走のいっときの閑ありを過ごすにはまたとない空間でした。K氏には何年も前から山科で一杯やろうよと誘われていました。

氏が折あるごとに誘ってくれた意味がよくわかりました。その山荘は専属にお料理ほかのお世話をしてくださる女性がおり、早めに宿についた我々3人に茶室でお茶をふるまってくださいました。

距離感抜群のおもてなしで山科の夜は始まりました。内風呂と外風呂があり、男3人でゆたりと浸れる露天外風呂で、しばし昔人気分の入浴を楽しみ、楽しみの夕食宴会開始。

和風料理コース、メインは近江牛のすき焼きでした。男3人楽しく盛り上がりすべておいしくいただきました。

何と二階には囲炉裏がきった部屋が在り、女性が我々の要望に応じて炭火を起こしてくださり、2次会はそのお部屋に移動、眠るまでの 無礼講大放談を、私がしてしまいました。もっぱら聞き役に回ってくださった、ご両名のK氏には感謝の言葉しかありません。

よく休んで、翌朝 飲んだ割にはすっきりと目覚め、すぐそばに毘沙門天を祀る神社とお寺があり朝食前、山科散歩がかないました。

朝はあまり食べない私ですが、和風の京風の朝ご飯をすべて平らげたくらい、美味しい朝ご飯でした。

朝食後、両K氏によかったら山科から京都まで、山越えをしてからお別れしたいと提案しました。K氏は10キロ以上の荷物を抱えていたのですが、二人とも気持ちよく同意してくれました。

宿を出たのが9時半ころ、おおよそい時間半かかって南禅寺ではなかったものの、京都側に下り ることができました。

この思い付き歩き小さな山旅は、再会気まま宴会と共に、いずれもっと時間が経てば良き思い出として蘇るに違いありません。

まめなK氏が撮ってくれた写真がラインで送られてきたのですが、深い山科の森を往く中年男3人の背に、祝福の朝日が差しています。

朝の山越え散歩は、めったにこのような3人時間は過ごせないので 、愉しかった。楽しい時間は玉響のように過ぎ、京都市内でお茶を飲み横須賀からのK氏とはそこでお別れ、発起人のK氏とは京都駅で別れました。

旅愁という言葉があります。旅は気分この世は情け、をいまだいきる私のような日本人は、この言葉が染み入る年齢になったことを、いよいよもって実感したこのたびの山科旅でした。

思いがうまくまとまらないので詳細は省きますが、熱いうちに時間をピンでとめるように、記録としてきちんと五十鈴川だよりに書いておきたいのです。

それにしても今回山科に誘ってくれたK氏には本当にこまごまとした細かいお気遣いに、この場を借りて深く感謝し、遠方から駆け付けてくれた横須賀の悪友にも深い感謝を。

人は人生でいかほどに、こころからくつろげる 友を持つことができるのでしょうか。このような愉快な友を持てたわが人生の今回の山科路(時)幸福感は、言葉では言い表せぬにせよ、言葉にすがっての思いを書いておくによしなし、といったところです。


2016-12-17

夜明けとともに、友に会いに山科に向かいます。

前回は何を書いたか五十鈴川。以前は書いた文章を読み返したりすることはほとんどなかったが、最近はかなり読み返す頻度が増えてきつつある。

今日はこれから京都は山科で、男3人での忘年会に参加するために出かける前の朝ブログである。忙中閑の年の瀬、せわしない世間の流れとは、真逆の五十鈴川である。

一昨日夜は、倉敷で美々地小学校の同窓生3人に、Y子さんの御主人も参加し 4人によるささやかだが実に楽しい夜を過ごした。(そのことは時間を見つけてゆっくりと書きたい)

さて、山科に降り立つのは 初めてである。どんなところかまったく調べてもいない、行き当たりばったりが私の旅の醍醐味である。

男3人での初めての山科忘年会、私にとっては精神的にちょっとリッチな 忘年会である。二人の予定が一人増えた。一人は37年のお付き合いK氏、発起人のK氏とは30年近い親交が続いている。私にとってはかけがえのない、長いお付き合いのお二人である。

今宵はどのようなひと時が過ごせるのか、いい歳ではあれうきうき気分の私である。人は今現在自分がどのような時代の中に、放り込まれているのかを冷静に感じることは、なかなかに至難のことである。

このような時代のさなかに、美々地小学校の同窓会の同窓会もそうだが、共通の時間を生きることで静かに塾生醗酵期を重ね、お互い今現在をいい感じで過ごせる環境に居られるなかでの再会時間は晩年時間の最高の喜びである。

いいお酒のように、妻とであれ親子であれ、あらゆる人間関係の豊かな実りは時間がかかるものであると私は考える。

ところで時代は、 このような関係性の熟成をはなはだ難しくしているこの数十年の流れの中、切れず離れず関係性が持続し、今日のように参集できるというのは、在り難きことといわねばならない。

読みたい本を何冊かバックに忍ばせ在来線でゆっくり山科に向かうつもりである 。赤穂線の赤穂までの車窓の風景を眺めるのが私は好きである。

人工的なものだ少ない、昔をしのばせるひなびた乗降客の少ない駅の地名を眺めながら、他愛もないことにうつらうつら思いをはせながらの、気まま旅まさに至福の列車旅。

さあ、友に会いに山科にへ。荷物を確認し夜明けとともに出発します。




2016-12-15

竹韻庵の笹の根で素晴らしいクリスマスリースができました、そしておもう。

3日連続して、五十鈴川だよりを書くなんてずいぶん久しぶりのことだ。写真のないブログを書くようになって、写真がないのがつまらないと思われる向きもあるかもしれないが、また忽然と写真が入る日までご容赦を。

ところで昨夜は、遊声塾の今年最後のレッスンだった。師走のさなか、私も含め4人の参加で締めくくりのいいレッスンができ、個人的に様々な感慨が去来した。
 
まったく写真のない、シェイクスピアの膨大な文字数だけの作品の言葉を、声に出して読むのは相当に骨の折れることである。(が私はその面白さを見つけてしまった、文字を耕して息を吹き込む面白さ)

ましてやわたくしごときの、拙文ブログでは、写真がなかったら、誰も読んでくださらない可能性はにわかに増すだろうというきがする、がまあ仕方がないというのが正直な私の気持ちである。(写真がなくても読んでいただけるような五十鈴川だよりを書きたいものだ)

 ところで、まったく話は変わるのですが、先日私はクリスマスの玄関に飾るリースを生まれて初めて作った。材料は竹韻庵で開墾した笹の根である。

1メートル以上はある、土の付いた笹野根を10本選び家にもち帰り、近所の用水路にさらし可能な範囲で土を落とし、恐る恐る折れないようにまるめ、何とかいい感じにおさまった。

最初は不審な面持ちだった妻も仕上がりを見て、顔面に笑みがこぼれ、すぐにきれいに赤や金色の鈴や、松ぼっくりほかの飾りで思いもかけず見事な リースが玄関をかざった。冷えた夜、ライトに照らし出されると、さりげなくてハンドメイドの存在感がある。これで雪があれば、、、。

今も竹韻庵 では、つるはしを振るうたびに笹の根が採れる。これまでは乾燥しては、燃やしていたのだが、ほれぼれするような見事な根が取れるたびに、何か飾りにでもしたらとの思いが、年の瀬のクリスマスリースに結びついたというわけだ。

娘も姉にラインでさっそく写真を送って、長女からすぐにお褒めの言葉をもらったし、母からも、いいいい、と喜ばれた。

何せ64歳で初めて作ったのだが 、最近生きて元気なうちに、思いついたことは可能なことなら、無理のない範囲で実行してみようとの思いが深まっている。

このブログだって 思いつくから書けるのであって、私の場合思いつくことが生きているということの証左、料理だって掃除だって生きていることの喜びの中で、ヒトは何かを手を動かし作る。(現代人がぼけるのは手や足腰をあまりに動かさなくなったからではないか)それはどんなにささやかなものであれ、生きてればこその日々の喜びである。

竹韻庵に行くようになって、琵琶茶も作ったし、今5種類の冬野菜を植えていて、その成長を眺めていると、地面からわ。が体にエネルギーが乗り移ってくるような気がする 。何かが語り掛けてくるのだ。

五感が生き生きと働き、ときおり六感が舞い降りるのである。人工空間で消費生活にばかり身を置いていると、なにやら大事なことがさらさらと抜け落ちて、丁寧に生きることの妙味を、感じることなしに過ぎてゆくとしたら、感動しない体になってしまう気がして、もったいなくも寂しい。

 自分自身というかけがえのないささやかな器の不思議な体の可能性は、年齢と共に反射神経や運動能力は鈍くなるものの、思考神経は緩やかに下りながら、深まってゆくように思える。そうありたい。
 

2016-12-14

美々地小学校の同窓生、T氏からお誘いの電話、そして思う。

一見何事もないかのように、穏やかな日々が過ぎてゆくかのような私の日々も、当たり前のことだが同じ日々は、まったくないのであるということを、私も含めて大方の人間は、なかなかその厳粛足る事実を、意識的に認識することはなかなかに困難なことである。

夜明け前、よく寝て起きたばかり、私自身の脳はまったくのニュートラル、まだ暗き師走の朝のいっときを、いつもより早いのでブログを書くことにした。

美々地小学校の同窓会に参加したことを、11月16日の五十鈴川だよりに私が書いた。その時に再会して、今は水島で働くT氏から、昨夜電話をいただいた。

 あの日の同窓会メンバーの数人が倉敷にやってくるので、また会おうよ、という暖かいお誘いのTEL.。その前に、倉敷にゆくというY子さんから、(関東から来られる)可能なら会いたいというメールが入っていた。

日にちは明日、木曜日、場所は倉敷駅前 、本来なら明日はカルチャーのレッスンなので無理だったのだが、生徒さんの都合で日にちを変更していたのが幸いし、同窓会からひと月もたたないのに、超ミニの同窓会に再び参加することになった。

まったくいい意味での予期しないことが 、人生には多々起こる。来年65歳の誕生日を迎える私、現在64歳、今年の52年ぶりの同窓会参加は、33年ぶりの舞台参加と共に、出色の出来事。今後を生きる私にとって何やら愉快なひと時が過ごせそうな予感、倉敷まで出かけることにした。

それにしても、52年ぶりに参加した同窓会からまだひと月しかたたないこの師走に、美々地小学校の何名かが倉敷に集まるという絆の強さ、深さに脱帽する。まるで家族である。

根のない、やわな上っ面の言葉が飛び交い、不毛な人間関係に私も含め飽き飽きしている時代の中で、小中学校時代に育んだ濃密なつながりを、いまだ堅密に保つ美々地小学校の同窓会のメンバーと師走のひと時を、私もともに過ごしたいのだ。

ともあれ、わたくしごときにも、師走は何かとお誘いがあり、静かに過ごしたいという私の願いは消えてゆきそうな気配。それもこれも、篠田桃紅先生(達人、素晴らしい)の言葉だが、【人生は一本の線】と考えれば、自分という考える葦を生きるほかはない。

17日には京都の山科で、数十年の交友(交遊)の友と落ち合うことになっている。お互いいい年齢、落ち着いた一期一会の、二人時間を過ごすには山科は、私の琴線の旅情を刺激する。

今後ますます私は、縁、運命時間を大切に生きたいという思いにとらわれている。お誘いがあるなんて、何と在り難いことだろう。人陽炎のように、ままならない運命時間を、心からともにできる友が在るということの、幸福を師走の朝噛みしめている。

書き終える今、今日をどのように過ごすかの予定が決まった。洗濯は終わっている、朝日が昇ってくるまで、シェイクスピア、ジョン王を35年ぶりに読むことにする。

2016-12-13

年の瀬が近づきつつある師走の朝ブログ。

本当にブログを書く頻度が減ってきた。以前は、はやったり、(書かなくちゃtぴうような)焦りにも似たような感覚が付きまとっていたような気がするが、ほとんどそれが無くなるつつある。

わずかな人ではあれ、つたなき気まぐれな一文を、きちんと読んでくれる人がいてくださるということが、ささやかなわが励みともなっている。在り難いことである。

最近というか、私の中での晩年時間の今を生きる、ささやかな情熱の根拠は、ただ単にシンプルな生活人 でありたいという一点に集約されてきつつある。

一寸先のことがいよいよもって五里霧中、正邪、善悪の境界が、まったくもって見えにくい時代性の中、私が頼りにできるのは、手の届く範囲でただただ自分の体が心から喜ぶようなことを、やって過ごしたいという、はなはだもってシンプルなものである。

オーバーな表現をすれば、夢が原退職後、私が始めた、声を出して 遊ぶことや、土に親しんで過ごす時間というのは、手ごたえというか、自分の体が喜んでいるということが、単純に自覚できるのである。

もってうまれた性格と時代性に起因するものであるので、いまさらどうにもならない、いわば宿命との認識が私にはある。

話は変わるが、最近買い物や料理、掃除などの家事一般を以前にもまして楽しめる自分がいる。冬のストーブの薪づくりもその中に含むが、そんなこんなを一日の限られた時間の中で、意識的に楽しんでやっていると、あっという間に一日が過ぎてゆくのである。

それに再び、一度しか読んだことのなかった、膨大なシェイクスピアの作品を35年ぶりに、全部声に出して読むということも始めたので、ますますもって一日が貴重に過ぎてゆくのである。

ということで、平均週に一回から2回くらいのペースで五十鈴川だよりを書ければいうことなし、という最近の暮らしなのだ。

フェイスブックやライン、友達申請ほかで、多くの方に不義理を重ねている現実に対してこの場を借りて平にご容赦願いたい。

感動というものは、めったにないから私は感動する。友達とのたまさかの交遊も、たまにだから交友を温め合うことがうれしいのである。お手紙に・勝ものなし・心かな。

静かで穏やかな暮らしというものに、歳と共にひかれてゆく年の瀬の私である。

2016-12-05

老いの効用が深まる師走時間。

師走もはや5日、おかげさま。で穏やかな師走時間が送れている。一日を可能な限りリズム軽に過ごせるように、寝る前に大まかに明日やることを考えるようにして床に就くことを、最近きわめて意識的に行っている。

以前から大まかにはやっていたのだが、より意識的に 心かけているのである。そのせいか日々の暮らし方の行動範囲が、限りなく小さくなり決まりきった範囲を移動しているかのような、最近の日々なのだが、それで事足りている穏やかさというものに、限りなく充足している。

つまり、老いの功用ののようなものであると、かってに私はせまい範囲の日々を楽しんでいる。動けることを意識しない時間の果てに、若い時のようにはゆかない体の奥深い気づきを、いわば意識的に楽しもうというのが最近の変化である。

オーバーに表現すれば、一日一日を悔いなく送りたいという、ささやかな老いの欲といったようなものであるかもしれない。

といってもあまり深くは考えない。まずは緩やかに動きながら考える 。というより、動いていると思考が動いてくるのである。このブログの一文だってそうである。一行が次の次の一行を生むのであって、取り立てて書こうとは思わなくても、書いていると文章がかってに決まってくるのである。

まったくの自然体、自分で次何を書くのか判然としなくても、生まれてくるのである。それが私にとって今を生きている事実ということになる。

朝からこ難しいことを書いているが、話題を変える。このところ妻の母と過ごす時間が、本当に増えたと思う。老いてゆく母の人生に寄り添える ようにありたいというか、どのようにしたらあのように、老いを生きられるのかを、少しでもそばで体感したいからなのである。

妻は今もフルタイムで働いているので、その代わりといっては何だが、あれやこれや私ができることは、やっているしやろうと心かけているのだが、御年84歳になる母は、まったく自立していてまったく手がかからず、絶えず私たちや孫の行く末に思いをいたしている。

私も限りなく母のようにありたいと最近とみに感ずるのである。とはいうものの一朝一夕に母のような境地に立てるはずもなく、なるようにしかならないのだが、人生に近道はないのだという気が日増しにするのだ。

寄り道の多い人生を今も生きている気がしているが、寄り道は楽しい。論旨のまとまらない朝ブログになったが、恐縮至極、そろそろ竹韻庵に向かう時間である。今朝はこれにてお開き。

2016-12-01

今日から師走の朝ブログ。

今日から師走、経済中心社会のにぎやかな電飾イルミネーションが、そこかしこに、かなりの電源の大元である原子力発電事故のことも、私も含め大方は忘れ去ってしまう、やんごとなき人間社会の現実。(妻もささやかな小さなイルミネーションを玄関先に、師走下旬になるとかざる)

人間は嫌なことは忘れ去り、都合のいいように日々を何とか送ってゆかざるを得ないように、人間の脳は仕組まれているのかもしれないと、能なしの私などはかんがえてしまう。

だが、私は闇が深い昭和の幼少期を送ったので、大げさな明かりよりも、漆黒の闇の中に浮かぶささやかな明かりの方が理屈ではなく、しっくりくる。

こういう感性は、生れ落ちた環境の中で育まれたものであるから、当人である私にはどうしようもないものである。静けさや漆黒の闇の中でこそ、五感は研ぎ澄まされてくるのではないかという気が私はするのだがどうであろうか。

電飾にまかれたり、ライトアップされた樹木たちは黙して語らないが、私にはときおり痛々しく感じられるのだが、、、。人が動き、金が動き、経済が発展するという大きな渦のこの世の流れからは、小生は完全に乗り遅れているし、ついてゆく気もないし、遠巻きに低みの見物を、決め込んでいる。

ところで、話は変わる。気になった書評などを、この十数年切り抜いていたのだが、そのノートが数十冊になりそろそろもうやめようかという気になってきている。

というのは、このいわば趣味の切り抜きは、子育て真っ最中の、私のもっとも金のかからない楽しみの一つとして、始めたものであったので、子育てが終わり、再び得たかなりの自由時間を、ほかのことに使いたいという思いが湧いてきているのである。

十数年やってきたことを、急には変えられないものの、徐々に減らしてゆくつもりである。切り抜きを始めたころは、土いじりとか声出しとか、まったくやっていなかったので、まあいわばライフスタイルの変化と共に、あれやこれはできないという当然の帰結である。

何事も内なる自然な流れの声に従うだけなのである。再び話は変わるが、電話などというものも私の子供時代にはお金持ちの家にしかなかった、ツールである。半世紀で浦島太郎というしかないくらいに、私たちの生活環境は激変してしまった。

いわば、私の体はその流れについてゆけないのである。必死でついていっていたのだが、漸くにしてついてゆかなくてもいい、限りなく幼少期の自由に近い、時間を再び生きられるような感覚を、いまどことなく生きているような気がしているのだ。

子供のころ、もちろんお金などはなかったが、そのことで私は好運に悲惨な思いもしたことはないし、パンツ一枚で泳ぎまわり、魚を取り、気が付いたら見よう見まねで誰と競争することもなく、泳ぎを覚えていた。

五十鈴川は、私の原点のかけがえのない川である。年に数回、この十数年私は五十鈴川のほとりに立つが、いまだ私の中に生きている幼少期のかけがえのない記憶が、今をよりよく生きるよすがとして、呼ぶのだ。

今回の帰省で73歳の姉が、変な俳句を詠み、短冊に書いてくれた。【帰るたび・落ち鮎漁の・弟よ】まさかこのような歌を、やがては姉が書いてくれるとは思いもしなかったので、うれしかった。

11月は何かと忙しかったので、12月は一年の締めくくり、可能な限り穏やかにすごしたいと思う朝ブログである。