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2016-03-31

声を出すことにつかれたら、ほんのちょっと独学時間です。

もうほかに書くことはないのかというくらい、きわめて個人的なことばかり書いている五十鈴川だよりだが、コメントはないもののアクセスしてくれる人がいるということは、このような日々の雑文であれ、読んでくださる方がいるということなので励みになる。

どのような大所高尚な文章を書いても、人間は日々の雑多なこまごまとした雑事からは私のような生活者は逃れようもないし、そのじたばた庶民の一初老男のあがきのようなものが、これから歳を重ねるにつれて出てくるのではないかという気がしてならない。

ともあれあれやこれやを抱えながら、小さき命の流れはあっちいったりこっちいったりを繰り返しながら、可能な限りナチュラルに流れてゆくしか方法がない。

ところで話は変わるが、M新聞の今朝の平和を語るという記事の中で、作家の高村薫さんが語っておられることがほとんど正論であるとの認識を持ちながら私も読んだ。

安全保障法案が通過し、いったいこの国の行く末がどのようになってゆくのかについての議論や高まりは、残念ながら私の生活圏ではあまりにも少ないが、私はいち個人として最低の思考はし続けないと、危ない危ないと自分に言い聞かせているつもりである。
まずは謙虚に現代史、知ることが肝要だと自分に言い聞かせています

いきなりだが、平和というもののために軍隊を持ち、国家として暴走してしまうのを止めるためには、憲法というものをきちんと国民が考えて創り上げてゆく力を持たないと、為政者にいいように解釈され、気が付いた時には国民に死者が(まず自衛隊員)でる。

どのような国づくりをするのかは、やはり国民が国是としての、民主主義の憲法をきちんと練り上げる力を持たないといけないと、と私は思う。

70年間の平和な時代の大部分を享受できた世代としては、つぎの世代がということもさることながら、理想に過ぎないと笑われるにせよ、世界が穏やかでないと安穏とはしていられないという気持ちである。

つつましく、その日を何とかいくばくかのユーモアをもって呼吸できる在り難き立憲民主主義だけは、宝として手放したくはないとの思いである。

お亡くなりになった尊敬する作家の城山三郎さんが言っておられたと記憶するが、戦争に負けてたった一つよかったことは、平和憲法を手に入れたことだけだと。

あまたの戦死者の上に築かれた、この戦死者の出なかった70年間の平和というものだけは、次の世代にも手渡さなければ、申し訳ないという思いである。

今年も全国民が穏やかに桜を愛でることができるということが何よりもうれしく、平凡のへの感謝を込めて、発表会を終えたら束の間お墓参りにゆきたい私である。

2016-03-28

気分転換にはメルの散歩と身近では図書館が私のお気に入りの場所だ。

平均すれば週に一回くらいは必ず私は図書館に行っている。自己分析の趣味はないが劣等感のなせる何かが、私をいわば知の世界へといざなっているのではないかと思っている。

小さいころからあまりに学校の成績が良くなかったがために、自分は学ぶことに適した存在ではないというというような、トラウマを抱えていたのだが、世の中に出て演劇を学び始めたころから、いくらか薄らトンカチの私でも、遅まきながら脳にいくばくかの光が入ってきたのか、本を読んだりして学ぶことの悦楽がわかってきた。(そう世界は言葉でできていることが、が最近はそれだけではもちろんないということも)

竹韻庵に初めて植えたそら豆の花
分かってはきたのだが、生きて食うために あらかたの時間を費やさざるを得なく、(ただ単に努力しなかったともいえる)じっくりと本に向かい合う

ということがかなわぬというか、そういうジレンマを抱えながらもかろうじて読み続けながら定年退職を迎え、この数年は世の中に出て初めてといっていいくらい本が読めることの有難さを感じている。

いまや本のない暮らしなどというものは考えられない。図書館で数十分本の背表紙を眺めていると読んでみたいと思えるような本に必ず出合う。そういう本に巡り合えた日は何とはなしにうれしい。

何度も書いているが私は本を読むのが極めて遅く、世の中には蔵書家をはじめ本にうずもれて暮らしているような好事家的知識人には程遠い。

私はそういうレベルとは比較にならないくらいのただの庶民活字好きに過ぎない。

ところで林真理子さんという作家がいるが、私はこの方の作品を読んだことがなかった。たまたまM新聞に連載されている小説を読んで驚かされいるのだが面白い。

ようやくこの年にして、面白いものは面白くつまらないものはつまらないというようなことが、自分の中ではっきりしてきたかのような、逆に言えば自分の中に枠をはめず、これまであまり読まなかったような分野の作品なども読みたくなってきている自分がいる。(ミステリーなんかも読みたい)

自分と同年代の作家の作品が読みたくなっている。見城徹さんと、林真理子さんの【過剰な二人】(私には異なる世界だが)リレーエッセイなどは、昔だったら読まなかったかもしれないが、林さんの青年期の苦楽が、私の苦楽と重なるところがあって、束の間一気に読んだ。

同世代の気力的仕事には刺激を受ける。 何かをなしている人たちの仕事は、だてや酔狂ではなくある種異常性を伴うほどに過剰な努力の賜物と知る。

好きなことを仕事にしている矜持がすがすがしく、世界が異なっていても気持ちがいい。私にとって好きな、声を出してシェイクスピアの作品を読むこと。はたまた企画時間、はたまた畑時間、こころから自分が好きなこと(には苦楽がともなう)をしながら、身過ぎ世過ぎができたら幸せというしかない。




2016-03-27

春はいやがうえにも私を感傷チックにいざなう。

朝起きて一杯のコーヒーが美味しいと思えるのは在り難きことである。今日もやりたいことがあり、いわば社会の中で自分が必要とされることがあればなおさらだ。

長寿社会が喧伝されているご時世だが、果たして長寿とは。他人とは比較しようもないので(する気もさらさらない)ただただ、私は自分の年齢を(初めて経験する)生きている。

時折私の知っている同世代や、それ以上の間接的に影響を受けた年齢の方々の死が報じられると、生きて在ることの当たり前のことが、まったく当たり前ではないことが痛切に感じられる。

死を身近にとまではいわないが、以前にもまして何気ないことに、心身が反応するようになってきたのを感じる。初老男はいまだ思春期ではなく老春期の真っただ中といった塩梅。

願わくば・桜のもとにて春死なん・その如月の望月のころ(うろ覚えです、おとといの夜は満月が美しかった)という歌などが、初老になればなるほどしみてくるようになり、ふらり初老男は見果てぬ徘徊旅をしたくなるというわけだ。

だが、その願いは発表会が終わらないとかなわないが、空想の旅は可能だ。桜の花はいやがうえにも、いろんなこれまでの人生の記憶を呼び覚ます。




竹韻庵のソメイヨシノ
だから時折、少々オーバーだが狂おしく感傷チックにおちいることが多々ある私である。

以前小学6年生の時一年間だけ父の仕事で赴任した宮崎の日の影の美々地小学校で、私ら家族は(両親と私の4人)桜ヶ丘という地名のところの炭住といわれる長屋に住んだ。

地名の通り長屋周辺は桜が咲き乱れていた。わずか一年でその地を離れたが、 その数年後、美々地に在った槇峰銅山は閉鎖された。

その一年間の体験は今に至るも私の人生にいろんな影響をあたえていることを今も感じる。数年前その美々地小学校も閉鎖された。

美々地から転向し、私が中学校 を3年間過ごした都城市に近い(車で40分くらい)山の中の四家中学校も現在は廃校になっている。(昨年同級生で結婚したIさんご夫婦に40年ぶりに再会した)

18歳春、井の中の蛙が上京し、最初に通った貝谷芸術学院の入口にも見事な桜の樹がった。あれやこれや書いていると、次から次に少年期から青年期にかけての個人的な体験の記憶が呼び覚まされてくるが、そのようなことを五十鈴川だよりに書いても、いささかせつない。

いいしれぬささやかな空洞感、欠落感めいたものが自分の中には、ほんのわずかだが心の中に深くしまい込まれているのを感じる。

思春期から高度成長経済に突入、バラバラの人生を歩んだわが姉や兄たちに時折無性に会いたくなる。ばらばらになる前の幼少期体験を共有している黄金の思い出が、いわば私たちを結びつけているからである。

ところで【間違いの喜劇は】一族が再会する話である。一人で全幕を読むという無謀な試みは、 きっと何かの欠落感が私をして何かにいざなわせているのではないかという気がしている。


2016-03-26

遊声塾発表会まで一週間前の朝に思う。

来週の土曜日は発表会である。時折間違いの喜劇の中の、登場人物の声が自分の体の中で響いたりして、ほかのことをしていても何かと落ち着かないような、状態になりつつある。

心身をニュートラルにして、なるべく新鮮に間違いの喜劇を声に出して読むということは、言うは易くだが、なかなかに難しいのである。

他者の前に自分をさらして何かを表現するということは、生半可な情熱ではかなわぬ夢ということになる。今更ながら一人で全幕を遊読するということの、肉体的な、特に喉の問題がやや心配な私である。

だが単細胞の私は、一切の弁解はしたくはない。当日どのようになるのかは、神のみぞ知るというしかない。走ってみなければ、当日のコンディショニング次第なのであるから。

ただ今ならギリギリ走れそうだから、何かにけりをつけられそうだからうと走ってみたいという、いわばわがままである。息も絶え絶えであれ、つっかえても完読したい。
今朝の我が家の庭で見つけた小さき花

いずれ書ける日が来たら、なぜ私が演劇を断念したのかを書くかもしれないが、その一つは体が弱かったということがあると思う。特に喉が弱かったということがある。

舞台の声というものは(歌、あらゆる声を出す舞台芸術に言えると思う)そういう職業の方は強い喉を生来持っていないと、何十年も一線で活躍することは無理なのである。

それが岡山に移住してから、主に肉体労働を24年間、今に至るも続けているおかげで、体の中の芯が気が付くと強くなっていて、深い呼吸がかなりできるようになっていたのである。

遊声塾を立ち上げる際思ったことなのだが、まず何はともあれ自分が最低限の声であれ、遊ぶように表現できなければ、塾生はきっと一人も集まらないだろうと。

呼吸はさておき、今に至るも私の喉はそんなには強くはないのは、自分が一番よく感じている。だからできるだけ、喉を冷やさないように心かけてはいるのだ。

大きな声を出さずとも(時には出しながら)声帯に大きな負担をかけないで、遊読し続ける方法を自分の現在の体と相談しながら探し、声を出し続けているのだ。

はなはだスリリングである。声が出なくなったら、きっと私はじたばた別な世界に向かうだろう。だが在り難いことに今は20代のころよりいろんな意味でゆったりと、シェイクスピアの言葉世界を遊読できる体が備わっているのを感じている。

20代では全幕を読むなんてことは思いもつかなかったが、この年になってやろうと思うのは、きっと何かが私の中ではひとつの糸がつながっているからなのだろうと思う。

いわば、談志師匠ではないが業の肯定である。人間の機知を縦横無尽に語り遊ぶ劇詩人、シェイクスピアの言葉世界の豊饒さをほんのわずかでも、声帯が動くうちに表現したい初老の男は業を生きている。




2016-03-24

24日夕方の山陽放送イブニングニュースでシェイクスピア遊声塾が取り上げられます。

遊声塾の稽古を終えての珍しい深夜のブログ、もうすぐ24日になります。24日木曜日、ゆうがたの山陽放送、イブニングニュースで遊声塾のレッスン風景がオンエアーされます。お時間の都合のつく方はぜひご覧になっていただきたくお知らせいたします。それではおやすみなさい。

2016-03-23

2日の遊声塾発表会必ず予約をなさってください、すでに40名近い予約があります。

いよいよ遊声塾の発表会まで、今日を含めてあと10日と迫った。一昨日の夜も二人の塾生と自主稽古をしたのだが、みなさん仕事を抱えながら頑張っている。

今夜もおそらく全員での稽古が可能だと思うので、できるだけ本番に臨む状態での稽古ができるようにと考えている。

 私も含め7人で、主な登場人物だけでも16人はいる【間違いの喜劇】を遊読するのは無理なので、ひとりで、3役か2役を読まねばならないので、聴かれる人は困惑するかもしれないのだが、ちょっとこればかりは勘弁していただくしかない。

あくまで、シェイクスピア遊声塾の発表会なのであるから、ご家族はじめ来られる方には、伏してご寛恕いただくしかない。

五十鈴川だよりを読んで、もし行ってみたいと思われる方は、ぜひ前もって予約を入れていただきたい。というのは塾生のIさんが友人知人20人予約を入れられていて、すでに私を含めほかの塾生も入れてすでに40人近くの方の予約があるからである。

どんなに詰めても55人くらいしか入らないので、当日突然来られても入りきらない可能性があるので、くれぐれも電話予約をなさってから来てほしいのである。

翌日3日の私個人のほうは,,現時点でまだ10名なので大丈夫ですが、2日の方は明日山陽新聞に告知が出ますし,近々山陽放送で夕方のニュースでも、取り上げられるのでおそらく今週いっぱいで満席になるかと思います。

もし、私が案内を送った方で関心のある方はぜひ予約をなさってください、とこの場を借りてお願いしておきます。

塾生のIさんは朗読をやられている方なのだが、友人知人が多くもっとお声掛けしたい方がいるのを、ちょっと待ってもらっているのです。
玄関の我が家の小さき花

僭越ですが、2日の方が定員オーバーになったとしたら、もし可能でしたら翌日の私の方にいらしてください。

こちらは私一人ですべての登場人物を遊読します。かなり無謀ではありますが、こちらのほうは、現時点でまだ大丈夫ですのでよろしくお願いします。

あくまで、塾生の発表会(私も出ます)の傍ら時間を見つけて、私個人も自主稽古をしています。昨日全幕を一人で通し稽古をしましたが、2時間弱で読み終えました。

途中何か所もつっかえましたが、何とか完読し終えました。あらためて集中力と持続力【心技体】の困難さを体感しましたが、余計なことを考えず素直に文体に、自分の体を預けるかのように読んでゆくということの大切さを、学びつつあります。

声を素直に出すことの喜びを、文体が導いてくれるかのような感覚が、ようやくにして少し感じられつつあります。きっとやはり間違いの喜劇という作品の翻訳日本語文体が、それだけ声を出しやすく、親しみやすく翻訳されているからなのでしょう。

64歳の今だからやれることがあり,現在の自分のありのままの遊読ができれば、きっと何かが発見できるのではないかという予感がしています。

企画者(やめたわけではない) から声を出す表現者へ。たった一人でもできる思わぬひと時の発見、息をし生きていることを声を出しながら他者の前にさらし、現在を確認する営為の果て。

ささやかに夢を見る器として、まるで夢のようなシェイクスピアのドタバタ間違いの喜劇を遊読できたら、それこそ夢だ。



2016-03-21

富良野塾越冬隊仲間、Mさん我が家に来てくれて本当にありがとう。

朋遠方より来る。30年ぶり苦楽を共にした仲間M氏が土曜日午後7時にやってきて、岡山市内のお寿司屋さんで旧交をあたためた。

30年ぶりといえば、ずいぶん長い時間である。だが我々はすぐ昔時間へと回帰した。やはり理屈抜き、苦楽を共にした仲間というものは、かけがえがない。

スマホやパソコンがなかったら、あるいはこのような再会時間というものは、ありえなかったかもしれないと思うと、素直にハイテクにわたしは感謝した。

あらためて大事な関係性を育むということの、困難さと在り難さ、いわば絶対矛盾を抱えながらも、小難しいことはさておき、我々二人はなんともはや思わぬ再会のひと時を、わずか一夜ではあったが堪能した。

 彼は私より7歳若いのだが、それなりの年齢になっていた。今は木工作家として自立している彼だが、いまだ私が悩みながら歩んでいるように、彼もまたこの厳しき時代を、真摯に生きているのが感じられて、お互いの富良野塾魂を確認し合った。
6月20日朝別れの前に記念撮影

とにかく、わざわざ訪ねてきてくれたのだ。富良野塾創設メンバーとしては、卒塾して以来新しい生活、子供を育てることに邁進し富良野の同期生たちとの再会はとんとご無沙汰だったので、内心面はゆい気持ちが心の片隅に在ったのだが、そんなことは全くの杞憂、私との再会を心から喜んでくれた。

私も本当にうれしかった。子育てを終えた今後は、再びの新しい関係性が築いてゆける、有難いことだ。

数は多くはないが、北は北海道から南は沖縄まで各地に訪ねるべく朋がいるということは、晩年の人生をなんと彩鮮やかにすることか。

青春時代のわが良き友を、妻は私の34歳までの人生体験をまるで知らないにもかかわらず、きちんともてなしてくれた。

M氏は岡山の地で、人生再出発しての現在の私の暮らし、卒塾後の暮らしぶりをM氏はきちんと見届け、わがことのように喜んでくれた。

いつの日にか、家族全員でM氏のいる北海道を旅する楽しみが私の中に宿った。わざわざ来てくれたお返しに、今度は私がゆきますからねと、M氏に五十鈴川だよりできちんと伝えておきたい。

Mさん、来てくれて心よりありがとうございました。

2016-03-19

30年ぶり苦楽を共にした富良野塾の仲間に再会する朝に思う。

今日は思わぬ来客がある。富良野塾創設時、スタッフとして参加したM氏がやってくるのである。卒塾式でもあってはいるが、ほとんど言葉を交わしていない。

氏は木工作家であり富良野を拠点に仕事をしているが、冬場は時折暖かいところで仕事をしているらしく、(相生で仕事をされていて)岡山の私をわざわざ訪ねてきてくれるのである。

本格的には30年ぶりの再会である。青春の終わりの苦楽を共にした仲間が会いに来てくれる。有難きかなというほかはない。

いろんな意味での苦楽を富良野塾で経験したことの大きさは、いまだゆっくりと振り返り検証できないほどである。

もっと言えば振り返らなくて検証しなくても、大変な思いをした人が多くを語らないほどに、そっと青春の終わりの良き体験をしたとの思いを抱えて、自分の宝の思い出として そっとしまいこんでおきたいほどなのである。

10代、20代、30代があってこその、私の今がある。まさに青春時代、か細き道を乏しい才能でよく走ったものだ。無謀極まる冒険を(あくまでわたしレベルのことです)やれたものと、何かに素直に感謝するほかはない。
水滴が残る我が家のボケの花

もっと時間が経ったら、ブログでは書けない、(書きたくはない)ことも、娘たちには書き残しておきたいことがいくつかあるのだ。

娘たちが成人を過ぎたころから、折を見てわがお恥ずかしき人生を語ってはいるのだが、きちんと文章で伝えておきたいことは、亡き父のようにわずかではあれ伝えたく今は思っている。

うれしき再会ができるということは、お互い何はともあれ、元気に現在の生活を送れているということなのであるから有難いことだと思う。

年齢を重ねたからこそ、広く深く相手を思いいたれるような感覚が 、ようやく自分の中に育ってきたように思える。

当時は生きるのに精いっぱいで、何も見えない霧の中をひたすら歩んでいたように思えるのだが、苦楽を共にした仲間というものはかけがえのないものだ。

その仲間に会いたいという気持ちは、M氏と同じように理解できる年齢に漸く私もなったのだ。
 
ともあれ忙中閑あり、今夜は無意味に語り合い、遠来の友といくばくかのお酒を酌み交わし、旧交を温めたく思う雨上がりの朝である。

2016-03-18

疲労がたまる中、充実感の日々を送る

水曜と、木曜日は従来のレッスン。月曜日と明後日の日曜日は自主稽古というわけで何かと、いそがしい日々が流れてゆくわが春である。

繰り返し書いているが、健康に動ける身体あっての日々、全力を出し切ったレッスンの翌日は、さすがにそんなに早くは目覚めない。
大切なポスター、シェイクスピアのテンペスト(あらし)

興奮しきった体は、床についてもいつものようには眠りに落ちないらしいが、私の場合は場たん休である。よく眠れ、よく食べられるから体が健康なのではないかと、我ながら思う。

ところで一昨日水曜日のレッッスン。塾始まって以来、発表会に参加するメンバー6人が定刻に集まり熱きレッスンが展開した。私も含めて7人でのレッスンはやはり理屈抜きに楽しい。

7時に山陽放送の取材チームが来て、カメラが9時近くまでずっと回る中、私も塾生も普段よりもずっと集中した稽古ができた。カメラと記者の二人がとても感じのいい方たちだった。

私は驚いた。2時間もの間、我々のレッスンしている様子をきちんと収録してくださったのだ。9時頃からの丁寧な取材だったので、気持ちよくこたえることができた。

この様子は来週連休後夕方のイブニングニュースで、編集されたのちオンエアーされるとのことなで楽しみである。

取材後、遊声塾の印象を聞いたのだが、それなりにシェイクスピア遊声塾の目指している渦中の姿をきちんと受け止めてくださったことが、私にはことのほかうれしく自信になった。

お彼岸は、宮崎にお墓参りに帰れそうもないくらい、何かと充実した忙しさの春だが、発表会が済むまでは、言葉・言葉・言葉の世界に努めて集中しながら、頭を切り替え、ほかのこともやるしかない。

どこか疲れがたまっているのだが、その疲労感は心地よい疲労感である。あと2週間時間の許す限りの稽古をして、可能な限り万全の体調で本番を迎えようと思う。私の場合、2日、3日と続くので余計にその気持ちになる。

終えたら、時間を見つけてお墓参りに帰りたい私だ。年に数回里帰りの旅をしないとわが体は摩耗してしまう。私にとっての旅は、死者の世界に思いをはせる、自分を空っぽにする必要不可欠時間なのである。





2016-03-16

とりとめなき朝ブログ、竹韻庵に桜が咲きました。

娘が結婚し、もう一人の娘が一昨日大学を卒業した。夫婦二人で出席し門出を寿ぎ、式の間様々な思いが去来した。式の始まりはかなりの雨、終わるころにはやんでいた。

父親としていくばくのことができたのかまったく覚束ないが、ともあれ娘たちは育ち親離れし、すだっていく春は、あらゆる森羅万象が劇的な変化を告げる季節である。

人間の内面も、外界の変化を照らすようににわかに揺れやすく移ろってゆくように不安定になりがちな季節である。感傷的な私は、そっと一人わずかなお酒でもいただきたくなる。

季節は移ろい、私も移ろいかすかに見えない変化が生じる。良き方にも悪しき方にも人は変化しうる。

さて、自分はどうであろうか。娘たちとの出遇いが、自分をきわめて普通の人生の醍醐味を送らせてくれたことに対しての感謝は言葉がない。

さていよいよ子離れし、未知の夫婦人生をこれから歩むことになる、退職後徐々に夫婦共通しての時間をもつように心かけているが、私はあくまでこれまでと同じように自然体でと考えている。

妻はフルタイムで働いているし、私もまだ次から次にやりたいことがある今を、自分らしく自然に流れてゆくなかで、できるだけ熟成するような夫婦時間を持ちたい。

ところで、昨日 竹韻庵に一週間ぶりに行ったのだが、いきなり桜の花が咲いているのが視界に道沿いに入ってきた。

妻の宝のメル(すっかり私のメル友である)
わずかに一週間でかくも自然は、ある日突然開花するのである。色がなかったところが春の色彩で満ちる。それを愛でる自分の心に何かが忍び寄る、全身が緩む春である。

最近愛犬メルを伴って竹韻庵にゆくことが多いのだが昨日も行ったし、今日もわずかな時間だがゆくことにしている。

メルという相棒がいると ひとりでの作業も何とはなしに気持ちがいいのである。休憩時間は私のそばを離れないので、なんとも愛おしく感じるのだ。

山の中の落ち葉をかき集めることを、このところ少しずつやっているのだが、けっして私のそばを離れない。自由自在に山野を動き回る。

動物本来の時間に還れるのがうれしいのだろう。良き相棒である。

私も竹韻庵一人山野タイムを楽しんでいる。家に戻ってからは、またまったく別の時間を過ごす。

かくして一日は、ことのほか早く過ぎゆくというわけである。

ところで今日はテレビの取材があるので、塾生はいささか興奮気味、私自身はあくまでも自然体で、とはいうものの編集されオンエアされるテレビは怖い。

何を聞かれてもきちんと答えられるように、おちおちブログを書いている余裕もなき 私なのだが、ほんの少しでも竹韻庵に行ってコンディションを整えてから、今夜の天神山でのレッスンに向かおうと思う、今朝の五十鈴川だよりである。

2016-03-15

昨夜は素敵な自主稽古がI女史のおかげでできました、感謝。

いよいよ遊声塾の発表会が迫ってきまして、水曜日のレッスンだけでは時間があまりに足りないということで、昨夜は塾生の一人I女史の個人的なお店(ブティック)で閉店後の7時過ぎから、来れる塾生と私の5人でのいわば自主稽をしました。

正味2時間近くでしたが、みんなそれぞれ各自熱が入ってきて練習しているのがわかり、つたなき塾長としては実にうれしい稽古ができました。

始めて一年にも満たない塾生がほとんどの遊声塾の面々にもかかわらず、また特別シェイクスピアが好きで遊声塾に参加してきている方はほとんどいないにもかかわらず、私の無謀な要求にも 、情熱を傾け必死で自分自身が格闘しながら声を絞る塾生の姿は、私を感動させます。

なぜ私が遊声塾を立ち上げたのかの答えが、3年を迎えるいま、ようようにして 姿を現してきたかのような思いにとらわれ、稽古を終えて駅まで歩くなか、私の体に喜びが満ちました。

シェイクスピアの作品は登場人物が多く、私も含めた7人の塾生はひとりで何役もの声を出さないといけないのですが、これにはかなりの集中力の切り替えが必要になり、ちょっとの油断もできないのです。
我が家の沈丁花とクリスマスローズ

私も含めた現代人が、いかに一心に何事かに集中してやることに対しての持続力が落ちていることを、思い知らされます。

鍛えぬかれた言葉の結晶である、シェイクスピアの台詞は生半可の声ではとてもではなく、弾き飛ばされてしまいます。いやでも体全体から声を出すことを要求されるのです。

シェイクスピアの膨大な言葉は、いわば声を出す器としての体をいやがおうにも 鍛えさせてくれるのです。声を出すには呼吸がしっかりとできないと、まず無理なのです。

30年ブランクのわが体は悲鳴を上げるのですが、この30年肉体労働の成果が出ているのかもしれません、少しずつ体に薄く薄く染み入ってくるのが感じられます。

だからなのだと思います、苦しくとも稽古が愉しいのは 。絶対矛盾を嬉々と生きるということです。きっと、昨夜は塾生もそのことを少し感じられたのではないかと思えるような瞬間がありました。

だが、悲しいかな油断するとつかんだ感覚も 、砂のように落ちてしまいます。体の奥深くにいかに杭を打ち込めるかなのです。そのためには稽古をするしかありません。

自分の声が、役の声と重なり響き合うようになるための稽古。その声が出た時の喜びを是非稽古を通じて見つけてほしく思うのです。私も探しています。

自分の中の未知の、いまだ知らない声に出遇うための、自分自身のレッスン、が遊声塾なのです。




2016-03-13

【シェイクスピアと私】という題で、お話をする日の朝に思う。

今日は塾生のY氏に依頼され【シェイクスピアと私】いう題で、とあるところでお話をすることになっている。

私は学者ではないので高尚なお話はできないが、一人の勝手なシェイクスピアファンとしてのトークならできるのではないかと思うので引き受けました。

昨日からどんなことを話そうかとぼんやりと考えていましたが、床について闇の中であれやこれや考えているうちに眠ってしまいましたが、夜中目覚めたのでまたもや、闇の中で考えているうちに何とか少し頭の中で少し整理できました。

要は、普段から自分が生きている今現在の現実の中で思うことが、シェイクスピア作品にはきちんと言葉で示されているので 、そのことと、私がいかに勝手にシェイクスピアに惚れたかということなどを話せればと。
4月2日に向けて稽古する塾生と私

なんせシェイクスピア作品は37本の膨大な数です。そのうちのほとんどははシェイクスピアシアター時代によみました。

一度であれ20代で全作品を読めたことはつくづく幸運であったと思う。

シェイクスピア遊声塾を立ち上げたことで、30年ぶりに再び現在、私は日本語の翻訳でこれまであまり読んだことがなかった、シェイクスピア作品を読める在り難き醍醐味を、体で味わっている。

これまであまり読んだことがない作品に、素晴らしい作品があることを再び発見しているのだ。

おそらく塾を立ち上げなかったら、再び読むことはなかったかもしれないと思うと、やはり何かが再び私をシェイクスピアの世界にいざなってくれたことに感謝するしかない。

私は最近確信している、これからの人生、家族と、健康に動くからだと 少々の食べ物と、共にシェイクスピアを声に出せる仲間がいれば、相当に愉しい充実人生になると。

生きてゆくことは、ある日突然この世に気づかないうちに存在し、ある日忽然と気づかないうちに(まだ生きているのでわかりませんが)存在しなくなってゆくということであると。

W・シェイクスピアは、その間、まさに奇蹟のようにたゆたう、かくもはかなくも 愛すべき(時に悪魔にもなりうる)不条理な存在が人間という器であるという認識を持った偉大なる劇詩人である。

まあ、そのようなことを私はシェイクスピア作品から感じながら、その比類なき言葉世界にすがりつつ悦楽的言葉遊び世界の住人となって、この3年お金もいらず声の出るわが体と向かいあっている。

いつかはが声が出せなくなる日がやってきます。呼吸を楽しむかのように声が出せる今をこそ、無心に遊びたいのだ。

還暦を過ぎ、あらゆる責任からようやくにして解放されつつある今、これからの人生時間こそが黄金期ではないかと、私はこの3年間声を出し続けてみて感じ始めている。

2016-03-12

遊声塾と個人的な発表会が近づいてくる春の朝に思う。

入場無料とはいえ人様に案内を出し、個人的わがまま、あるがままの発表会をする。

【間違いの喜劇】全幕を一人で読むというのは、はなはだもって無謀な行為である、ということを昨日も夕方、ひとりで3幕まで約一時間近く休みなしで声を出し続けてみておもった。

絶対矛盾だが、とにもかくにも当日はアクシデントでもない限りやってくる。限界を必死で遊ぶのみである。

登場人物のすべてのセリフを、マラソンのようにタスキをわたしながらゆっくりと、エネルギー配分しながら 声を出し続けようとの思いの
我が家の庭に咲いていた春を告げる花
み、短距離走ではない。やらない限り今のわが体に発見はない。

このような、無謀な思いつきも生きているからこそなのだから、何人の方が来てくださるかは皆目わからないが、すでに7名近くの方が来てくださる反応があったので、もう私としては十分である。

ささやかに、今こんなことをやっています、との単なる近況報告くらいの気持ちで100通近く案内を出したが、一割くらいの方が来ていただければ私としては、十分なのである。

それよりも、もしどこかで限られたメディアの告知で私のことを知らない方が、ふいに一人でも来てくださることが、もしあったとしたら望外の嬉しさが私を襲うに違いない。

27歳で文学座の養成所の試験を受けた時(試験に落ちたら私は演劇を学ぶことを断念しようと考えていた)2次試験の音楽、歌の試験で私が歌った歌は、原語での見果てぬ夢であった。

今考えると若かったのでやれたのだと思う。しかしこの年齢になっても思うのだが、いまだにあのころのような、かすかな見果てぬ何かが自分の中に残っていることを、私は有難く自然に受け止めている。

今なら、かろうじてマラソンのようにゆっくりとではあれ、完走できるかもしれないという淡き思いがやまないのである。これをやれたら、なにかがおわる。

いつまでやれるか皆目わからない私塾を立ち上げて、まったく思いもしない船出をし丸3年、世の中に出てからの、あらゆる意味での自分自身に対する一区切りの自分にしかわからない発表会なのである。

もうあと20日、よく眠って食べ、万全の体調で当日を迎えたいと思う。


2016-03-11

東北地震津波原子力災害から5年目の朝に思う。

昨夜おそく寝たにもかかわらず目が覚めたので起きました。まだ身体が胡乱な状態ですが全然何が書けるのかわかりません。

ただ、昨夜最後まではみませんでしたが、大槌町の風のガーデンをNHKでやっているのをたまたまみまして、去年夏私が訪ねた風のガーデンでのわずかな時間の出来事が、瞬時に蘇ってきました。

仮設のホテルから、暑いさなか風のガーデンを訪ね、そこから歩いて滝を探し、ようやく見つけてひとり滝つぼで身を清めた日のことが。

そのあと、風のガーデンで共に瓦礫の撤去に従事した、今は山形の天童市に勤務するK氏と待ち合わせたあの日の出来事が。

おそらく、私が穏やかに動ける間は数年に一回であれ、きっとK氏とは再会を続けながら大槌町を訪ねるのではないかという気がします。

60歳の誕生日の翌日、もう4年前です。K氏やたまたま遠野のボランティアセンターでであった人たちと大槌まで瓦礫の撤去作業に行ったあの二日間の光景は瞼に焼き付いています。

人はあえてつらいことは思い出さず、努めて忘れたふりをしながらでも、今日を生き抜くために 必死なのかもしれません。(わたしのことです)

かくいうわたくしごときの人生であれ、些少の消えない心の痛みを人はおそらく、無意識であれ一生抱えて生きてゆくのではないかと(生きてゆかざるをえない)いう気がします。

この世、全世界には計り知れないほどの(私なんかには経験したこともない、想像力の及ばない)苦しみ、痛みや困難を抱えながら生きておられる方が、かくも存在するということ。

いつ何時、なにが起こるか、この世ではまったくわからないということが、あの日東北一帯では起こってしまったのだ。

懲りず原発も再稼働するこの国の権力者たち、およびその権力を支持する方たちは、自分にはあらゆる災厄は及ばないと高をくくっているとしたら、あまりにも浅はかな想像力の持ち主たちであるとしか私には思えない。

砂上の楼閣のような、お金万能幻想社会は、便利快適ハイテク原発電力IT一見華やか幻想社会と共に、やがては絶滅消滅してゆく運命なのか、いや違う方法を人類の英知は見つけるのか。

私の浅知恵、考えはここでは控える。小難しいことは置くとして、今をともあれ生きられる個体としては、日々のささやかライフの中に希望の根を育ててゆくしか、これといった妙薬は浮かばない。

日歩立つ暮らしの足元が揺らいでは、なんとも覚束ない。光と水と土と種、動く身体があれば作物は育つ。
4年前の私

食べ物さえあれば、お金がなくとも命は長らえることが可能だ。命を生む大地を放射能で汚染していいのか、ご先祖が耕してきたふるさとに帰れないのは放射能に大地が汚染されているからだ。

今も原子力発電所は世界各地でつくられている。老朽化した原子力発電所はいったいいくつあるのか。気が遠くなる。

この国の権力者たちや経済人は、いままた再稼働を進める。ご先祖が途方もなき艱難辛苦の果てに築き開墾した故郷を追われ、苦難者を置き去りにしての不条理には言葉がない。

経済万能主義の行き詰まりが、全世界を覆っているかのような時代の到来、なすすべは本当にないのか。理屈より安心な作物、お金より家族の笑顔。私にとって心から大切なものは何か。

おそらく全世界の人たちが、安心安全な食べ物を家族には食べさせたいと思うはずくらいの常識は持ち合わせていると思いたいのが、どうもことはそう簡単はゆかないくらい、私なんかの単細胞頭では立ちゆかないほどに世界は複雑怪奇な経済構造に、なっているようだ。

がしかし、そこであきらめてはちっとも面白くありません。隙間を見つけて自営してゆく方法を先ずは身近なところから、私は始めようと思う。

体を動かしながら五十鈴川は静かに考え流れたく思う朝です。

2016-03-10

母の命日に思う朝。

今日10日は亡き母の命日であり、娘の大学の卒業謝恩会の日でもあります。明日は未曾有の東北大震災から5年が経ちます。
今朝の玄関の花

本当に月日の経つのは早いものです。今日は努めて静かな一日を送りたく、娘の送迎以外、夜のカルチャーまでの 時間を、家で静かに過ごそうと思っています。

雨の翌日の日差しというものは、本当に万物を輝かせます。

新聞や報道を見ると気が滅入ることがあまりにも多き、複雑怪奇面妖この上なき時代の様相を呈していて、わたくしごと気の頭ではとんと整理理解不可能ですが、私はただ単に今この世でいきていられる、日差しを愛でられることを、有難く思っています。

さて昨夜は、4月2日の発表会に参加する塾生6名が全員勢ぞろい、7時から9時40分まで、熱き口動かしレッスンが続きました。

風邪やインフルエンザでダウンしていた塾生もブランクを感じさせないくらい、私のいささか無謀なるダメ出しにも、必死にこたえようと奮闘努力しています。

私も含め7人でのレッスンは、やはり各々の眼に見えない電流のようなものが相互作用し、体の中を走り、代えがたき充実したひと時が稽古場【教室】に満ちます。

恥ずかしい姿をさらす仲間との稽古時間は、その場を共有したもののみが体感できうる貴重というしかない時間です。(何度も書いていますが生きるということははなはだ恥ずかしいことなのです)

私も家族にしかさらしたことがないような声を発して塾生と共に、時に夢の言葉遊び時間を共有しています。

シェイクスピアの絢爛豪華極まりなき言葉遊びに、いささか辟易しながらも、自分の中に眠る広大無辺の無意識を呼び覚ますべく、格闘しています。

ささやかな塾長ではありますが、縁で出会えた奇特な塾生に恵まれて日々を過ごせる私の今を、あの世で母が見ていたら何というでしょうか。

演劇などというとてつもない世界を夢見た放蕩息子の行く末を、両親はどのような思いで見守っていたのでしょうか。

歳を重ねるにつれ、つくづく自分はあの両親の DNAをいただいていると実感しながら日々を生きています。

今は亡き両親に何とかやっていますという感謝の思いを込めて、四月二日、三日に向けて恥ずかしくも努力したいと思う私です。






2016-03-08

友人の在り難さを噛みしめる朝。

硯をすり、約100通ほどの案内を先週の金曜日に発送しました。思いもかけないといっては失礼にしっしますが、某テレビ局から遊声塾を取材したいというまことに持って有難くタイムリーなお話をいただきました。

そのテレビ局に勤務するK氏とは岡山に来たばかりのころ知り合いになりました。椎名誠さんのイベントを企画したころから知っている方で、密に付き合っているのではなく、だからといって疎遠でもなく、いわばお互いの仕事を通じて君子の淡き交わりといった感じで今もある方なのです。

私が夢が原退職後、昨年の冬初めてお酒を共にしたことがあるくらいの、私とは違う控えめな方。アサヒビールのI氏もそうですが、私が長きに心にとめている方は、日常的に頻繁に付き合うような方は殆どいないといってもいいかもしれません。
20年前西アフリカギニアで買ったお面

一年に一度、もしくは数年に一度といった類の方がほとんどですし、その数も10数人くらいです。

ですがこの方々の 存在は実に私の中では大きいことを、今回もまた思い知らされました。

(時間を見つけて、またゆっくり思案したく思うのです、とは何か)

小さな私塾を取材してくださるなんてことは思いもしなかったことなので、意外性の極み。はたまた16日がちょっと楽しになってきました。

塾生にはテレビの取材があるので、できる限り塾生はお休みしないで参加してもらえたら、私としてはうれしく思います。

それから4月2日と3日の発表会の予約をしていただきたく思いますので、どうかご都合のつく方はいらしてください。今のところまだ10名くらいの予約です。

天神山プラザの練習室は40人も入ればいっぱいなのでどうかよろしくお願いします。まさかそんなことはないとは思いますが、テレビで流されたら思わぬ反響があるかもしれません。

というわけで、冬から春へ。私の生活も日々の雑事から、遊声塾、カルチャー、竹韻庵、個人的な学びごと、などなど にわかに充実この上なき日々を送れる今を噛みしメています。

今日もこれから竹韻庵で一仕事し、夕方までの時間やることが詰まっています。それもこれも体が動く、そのことにただただ凡人は非凡に感謝し、本日はこれにて。

2016-03-06

竹韻庵で育てたブロッコリーと春キャベツを収穫しました。

どんよりとした曇り空の朝、午後からは雨の予報です。天と体はつながっていますから、何やら少し気分が重たいのですが日々是好日の、朝ブログです。

昨日と同じくらい今朝も暖かく、先ほど砂川の最近よく散歩するコースを歩いたのですが、(言葉を発しながら)なんともはや気持ちよく、とある家にはしだれ梅。土手には菜の花などが咲き乱れ、そこかしこに春を見つけられ、わが体はそのいちいちに反応しました。日高も歩けば春が映る。

昨日はことしになって初めて、竹韻庵で冬の間に開墾した際に採りだした、あらゆる大きさの竹の根の大部分を焼却しました。乾燥した竹の根は実によく燃えました。最後にブロッコリーと春キャベツを収穫しました。

昨日は啓蟄,漸く春がやってきたことを実感するまさにその一日でした。64歳のわが体も何とはなしにそわそわしてくるのがはっきりと自覚できる節目の一日でした。生き生きと体が動きました。

竹韻庵から戻って、外で妻と母と3人で簡単なランチ、体を動かした後のごはん、最高にうまい。八朔の樹の木陰でのランチは、これから度々することになりますが、レストランのランチなどにはゆかずとも、晩年時間を過ごすには最高の我が家のランチスペースなのです。

妻が週末楽しみに管理しているガーデニングですが、いよいよこれから花々が咲き乱れるます。あやかれる私の眼もうれしく、五十鈴川だよりを書きながら愛でられるかと思うと、小さき福に満たされます。

生まれて初めて植えたブロッコリーと春キャベツ収穫しました
この3年土曜日曜は、可能な限り家族との時間を持ちたいと心がけています。

昨日も陽の長くなった夕方2時間ほど妻と母と3人で庭で過ごしました。私はチェーンソーで樹をある程度の長さに切り、斧で割りました。

チェーンソーで伐るとたくさんのおがくずが出ます。つくづく母を見ていて感心するのは、作業を終えた後の後片付けがきちんとできるということです。私がするといっても聞きません。

きちんと整理整頓された庭はなんとも気持ちがいい。一見簡単なことのようなことの積み重ねが、人間性を豊かに育むための基礎であることを母を見ていて如実に感じます。凡百の理屈より、一つの実践に優ものなし。

母は腰が痛いといいながら、止める私の言には従わず体を動かし続けます。役に立つ間は何かしたいと動きます。人は何のために学ぶのでしょう。学ぶ基底の根本とは。

私もいたく反省します。何か役に立つことのために、いよいよこれからは人生時間を有効に母を見習ってゆきたいものと、しきりに思い始めています。 小事を耕し、小さきを大事に生きる。

昨日はポットにネギの種をまいたりもしたのですが、さあ、芽が出てくるのを春の雨の水の神様に祈るばかりです。人間のやれることはほんのちょっとです。




2016-03-03

あとひと月でシェイクスピア遊声塾の発表会、そして思う朝。

シェイクスピア遊声塾の発表会、翌日は私の個人的な無謀発表会まであとひと月をきりました。

肝心な塾生が二人インフルエンザでダウンする中、昨夜私も含め5人での稽古が昨夜7時から9時半過ぎまで、熱いレッスンができました。

やればやるほど、シェイクスピアの言葉は生半可な稽古ではよじ登れないことを痛感しますが、塾生は仕事を終えた疲れた体にむち打ち、必死で思い通りにならない自分の体から声を探して奮闘努力しています。

このような稀な塾生に出会えた幸運を毎週私はかみしめています。あきらめずしがみつき努力する姿こそが尊いのです。つらくとも。

私は思うのです。思い通りにならない自分自身と対峙する覚悟を、育む塾なのだということをあらためて 知らされます。

塾長である私自身が、64歳の体を引きずりながら、いわば先頭を切りながら声を発しているのですが、いかんせんわが体はイメージするような具合にはとんと参らず、時に呆然自失してしまうのです。

そこを体全部で思案しながら五里霧中のなかを手探りしてゆくことこそ、稽古本来の姿ではないかと私は思うがゆえに、何かにすがるような想いで集中し声を出すのです。無心に。

その根源のエネルギーは、単純ですが好きだからこそできるのだというしかありません。こんなにも見事な名台詞、生きているうちに どこかの誰か、虚空にむかって自分自身を、全自由感を持って解き放ちたいと(フィクションとして)、きっとシェイクスピアも思ったに違いありません。

自由とはなんともどかしく、自分とは【人間とは】なんと悩み尽きることなき存在であることかと、愛おしくも冷静に、人間の丸ごと全体の姿をシェイクスピアは劇言語にしています。

ともあれ、一月後発表会はやってきます。限られた時間の中で塾生共々私も今を生きる声を探して努力をしたく思います。

同じことの繰り返ししか、書けないかのような日々雑録的五十鈴川だよりですが、うららかな春の日差しを体に感じ深呼吸し、気分一新を繰り返しながらゆけるところまで、との思いです。

2016-03-01

佐藤優先生の資本論の講義本を読む、そして思う。

今日から3月、何やらすっかり春めいてきました。そこそこまだ寒いのですが、日差しが長くなり梅も咲き乱れればいやでも春という感じです。今月もつつましく元気に参りたいと存じます。

先日竹韻庵のフキノトウをS氏が摘んで私に下さいました。さっそく妻がてんぷらにしてくれたので春一番に舌鼓を打つことができました。まさに大地の恵みの味です。64歳の春。

ところでマイナス金利だとか、あらゆる経済標語はじめ経済的な文言ほかにとんと疎く、よくもまあこの年まで生きてこられたものと我ながら感心しきりです。

何やらますます混迷の極みみたいな世相の中、私はできるだけお金には距離を置きつつ、自分なりの足るを知る生活を心がけるべく、知恵を絞る日々です。

何度も書いていますが、お手本の先生が身近にいますし、母を見ながら日々を過ごす分には華美な暮らしをせず、健康でありさえすれば大丈夫との経験値があります。小さきいま、春を見つけるのです。

私のような低所得水準を18歳から続けている身としては、貧乏神がついていて、そこはかとなく生きられるところにこそ、人生の醍醐味をがあるのだ、くらいに認識しております。

しかし、節約節約の果てに、ときに大胆になるくらいの夢は持ち続けないと、あまりにも寒々しい人生になるので、本のタイトルではありませんが、貧乏だけど贅沢、が私の目指すところかもしれません。
5月で83歳になる母の台所姿

私がかってに先生のように学ばせていただいている、佐藤優先生の資本論の講義をいま読んでいるのですが、理解できているかは別にしてとても面白く読める自分を発見してとても我ながら驚いています。

弱肉強食グローバル資本主義社会を生き抜くためには、資本の論理を読み解く力を身に着けなさいとの佐藤先生の教示は、私のようななまくらな生き方を選択してきた身にはことのほか新鮮です。

いささか遅きに失した感は否めませんが、生半可な脳トレ以上に面白く、並行して体を動かし 声をだしながら、今後も佐藤優先生はじめ、私が好きな信頼できる先生方から謙虚に学びながら脳トレをしてゆきたいと思う私です。

それにしても、知らないことを知るということは悦楽です。佐藤先生のようなユーモアのある先生がおられ本を通して学ぶことの大切さを諄々と説いてくださるのは、まさに在り難き幸せというしかありません。

一回くらい読んだくらいでは歯が経たない難解な本を手元に置き、繰り返し数ページ音読しながら読み進む。

こんな晩年時間が私にやってこようとは。まさにいまだ未知(無知)との遭遇が愉しい私です。