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2023-05-28

45年ぶりくらい、佐藤信氏による構成・演出・美術【波止場のひとり舞台)を京都まで観にゆき、想う。

 昨日小さな【波止場の一人舞台という】という小さな新聞記事を見つけ、何か引かれるものを感じて、予定を変え京都駅から歩いて15分くらいのところにある京都シアターE9という小さな劇場に出掛けた。(素晴らしい小劇場、私の原点ジャンジャンを思い出した)

チェーホフはずっと読みたい

午後4時から西藤将人による一人芝居【森の直前の夜】と午後7時から現代舞踊家竹屋啓子による【ラストダンスー千尋の海のときー】の2作品の連続上演。

なぜ急に京都まで足を運んだのか。私がまだ東京にいたときから知っていて、一度舞台を見たことがあり、劇団黒テントの創始メンバーである劇作家、演出家の佐藤信が構成・演出を手掛けていたからである。

出掛けて本当によかったと思う、2つの作品をたまたま体感することができて幸運だった。客席数60暗いの小さな劇場で出色の舞台体験時間を過ごした。長くなるし、言葉にするのが野暮に思えるので、詳細は割愛するが、佐藤信氏の健在ぶりがつたわってきた。

台詞術が巧妙な若い俳優の一人芝居と、そうそうたる経歴の年輪を重ねたダンサーによる一人のダンス。それぞれ全く異なる独立した表現スタイル。私は2作品セットで観たのだが、これが実に素晴らしかった。

テーマは異なるが、現代社会が否応なく抱え込んでいる闇のようなとらえどころのない問題が静かに浮かび上がってくる。方や言葉で、方や主に肉体(時おり言葉にならない言葉を発する)で表現される。息づかいが生々しく伝わる。要所要所に斬新な小劇場ならではの試みが感じられ、特に映像と音楽とダンスのコラボには、この年齢でもいたく想像力を刺激され、来てよかったとひとりごちた。生、一期一会、その場にいる贅沢、ライブ。(動ける間は迷ったら出掛ける)

見終えて寸暇、佐藤信さん(と呼ばせていただく)にご挨拶したら名刺をくださった。ずっと年上、演劇人の大先輩である。縁を感じた。京都駅まで歩き新幹線に乗り10時半近く西大寺についた。夜空の雲間に🌓が浮かんでいた。

2023-05-27

日が日に日に長くなる、沈むまでの間、時間を大切に生きる、五十鈴川だより。

 5月21日東京から戻り、22日から昨日まで、お休みしていた分、午後も2時かんほど働いたため、今日明日のお休みがいつにもましてありがたい。私は体を使う肉体労働が性に合っているので、働くこと自体は全く苦にはならない。

だが他にもやりたいことが色々あるので、その事に集中できるお休みがなんとも言えず嬉しいのである。18才から生きるがために、主に単純労働で生命を維持してきた事が大きく作用しているのだと思うが、ギリギリのところで生活者としていき、その事を自分なりに大切にしながら、なおかつ目的、目標、小さな夢を追い続ける、諦めながらも諦めない、といったいささかの矛盾を抱えて生きているので、繰り返すが嬉しいのである。

先程、早朝休日雨の日以外はかならずやっている運動公園でのルーティンを終え、五十鈴川だよりを打っている。我が家の玄関に咲き誇っていたつるバラは、私が東京にいた一週間で盛りを終えてしまったがまだ十分に楽しめる。つるバラ以外にも数種類のバラが咲いているし、妻の丹精しているいろんな花が咲き乱れる我が家は、やはり居心地がいい。

娘たちの住むマンションライフ、短期の滞在なら何てことないが、長期ともなるとやはり歳よりの私には無理である。幸い稲城も三鷹も近くに、里山や井の頭公園があるので、いくぶんかは耐えられるが。

話を変える。9日も留守にしていると新聞がたまる。週末ある程度まとめてきちんと新聞に芽を通すようにしているので、活字を読んだり書いたりするのが遅い私は、すべてに時間がかかる。しゃべるようにはゆかないのである。(大胆さと小心さが表裏である)

だがままよ、とどこか達観しながらいまを面白がる、(五十鈴川だよりは流れるようにしか流れない)面白がれるように心かけ生活している。日が落ちたらもう頭を使うことはほとんどしない。ひたすら心身を休める。日が登り沈むまでが私の一日なのである。

もうその事は、変えようもないし、変わらない。さて、私がM新聞を購読している一番の楽しみは、書評を読むことである。18才で世の中に出て、心から井の中の蛙を思い知らされた私のトラウマは、たぶん元気な間は消えることはない、と断言できる。そのトラウマ的なものを抱えながら面白がり愉しみ、この歳まで今も生きている(のだ)。

知的な旅の読書を止めてはいけない

言い換えれば、それをバネにして生きているといっても過言ではない。18才まで田舎ののんびりとした環境の中で望洋と生きてきて、(それは今となっては宝の時間であったのだ、そのかけがえのない記憶財産)世間という社会にあらゆる面で耕され、ようやっと体に遅咲きの知的向上心を蓄えてゆく喜びのようなものに目覚めつつなんとか、この年齢まで生きてきた(これた)私としては、この喜びを簡単に手放す訳にはゆかないのである。

花に水をやるように、自分にも知的な水をやらないと、枯れてしまうような恐れを感じるのである。この恐れの感じがある間は、まだなにがしかの花のようなものが己の内に見つけられるかもしれないという淡い幻想のようなものにしがみつくのである。

というわけで、五十鈴川だよりをうち終えたら、書評2週間分を読みそのあと福岡伸一先生の【ゆく川の流れは動的平衡】を読み、午後は畑の草取り、夕方は大好きな相撲を見る予定である、あ、それと30分の音読。日が落ちるまでの時間を大事に生きる、のだ。

2023-05-24

我が生涯の友K氏の挑戦に想う、今朝の五十鈴川だより。

 K氏、この友のことは折々打っている。出会ったのは26才の時のロンドンのアールスコートのユースホステル。以来のお付き合いだから、もうまる45年になる。こうも長く関係性が継続持続している年齢が近い友は氏一人である。

何度も疎遠になりかけたのだが、私のような人間と長きにわたって交遊を絶たずにいてくれることに関して、私としては感謝の言葉しかない。その事をまずはきちんと、彼に五十鈴川だよりに記しておきたい。

K氏が参加しているワークショップ

ひとくちに45年、どんな人間であれ青春期から古希を過ぎるまでには、風雪の数々、試練が訪れ、それを乗り越え、その中で絶えず関係性を確認しつつ、お互いの家族を大切にしながら君子の交わりが、今もこうやって五十鈴川だよりを打たせるほどに、持続していること、その事実に私は素直に驚いている。

なぜなのか、なにゆえなのかを分析する趣味は私にはない。ただ言えることは、この友に関してもだが、私は自分の中にある、人には見せたくないというか、いわゆる恥ずかしい部分を結構臆面もなくさらしてきた。もうこれで関係性が途切れてしまうかも、というような言葉も何度か浴びせてきた。(申し訳ない)。

だが時間がたつと、まるで傷が消え、より深い関係性が以前とは異なる感じで年輪を刻むかのように揺るぎない感じに深まってきているのである。なぜか。分析ではなく私なりに思うことは二つである。ひとつは先ず家族を大切にしていること、もうひとつはささやかに夢を諦めない、夢を育む努力を彼なりに続けている、その二つが私との共通項として挙げられるのではないかと思える。

私が自由自在に、この年齢でも企画ができるのは、一も二もなく夢の共有ができる友人に恵まれているからなのだが、彼はその筆頭なのである。昨年と今年連続して企画が叶ったのは、彼の純粋な応援が勇気を与えていることはまず間違いない。家族を含めた無私の理解者、応援なくして私の場合企画は絶対的にまず不可能である。(2回ともK氏は諸般の事情で見にはこれなかったにも関わらず多大な支援をしてくれた)

そのような我が友の、この10年の間の人間としての変化は実に私を驚かせる。授業料を払って映画俳優の勉強を始めたり、映画のオーディションを受けたりと。(実際映画にも出ている)昨年は釜山国際映画祭に自費でいったりして、学んでいていよいよ私を驚かせている。

特にウクライナでの戦争が始まって以来、一気に社会的な事柄にもアンテナを広げ、LINEでしょっちゅう自分が見つけた新聞記事や素敵な本を私に知らせてくるのだ。絶えずささやかな好奇心を失わない感性を持続、磨いているのである。それがゆっくりと彼の中で発酵して育ってある日突然、芽を出すのである。(と思える)普段の一日の丁寧な積み重ねしかない。

我が友は今年の12月が来れば69歳を迎える。私より二つ年下である。そのような彼がまたもや私を驚かせる出来事が先日起きた。長くなるのではしょるが、東京新聞主催のシェイクスピアのロミオとジュリエットの(毎週土曜日3ヶ月)音読ワークショップに5月13日から参加しているのである(講師は俳優座の森一氏)。全8回のコースで参加費は3万9000円である。

その心意気たるや、見上げたものであるという他はない。我が友は向学心が一気に目覚めた感じで意気軒昂、そのような友人がいるという事は、いよいよこれからの私の人生を明るくさせる。人生この歳になって思うのは、夢を共有できる友の有り難さである。なんといっても一番嬉しいのは彼がシェイクスピアに関心を持ち、持っただけではなく実践音読に挑んでいることである。

シェイクスピアが大好きな私にとって、彼との共通の話題ができることになろうとは、予想だにできないことだったので、この先の展開が実に楽しみなのである。シェイクスピアで共通の刺激を持ち、啓発し会える関係性が交遊45年めから、またもや始まるなんて夢のようである。

贅沢とは、ワクワクすること(できる体があるということ)である。18才で世の中に出てからこの年齢まで、かろうじて今現在もささやかにワクワク感があるいまを生きている。その事を五十鈴川だよりに臆面もなく打てる事がありがたく嬉しい。

PS K氏とできるだけ早い機会に、企画か、音読会か、45年の交遊を祝してなにかやりたい。




2023-05-21

岡山に帰る朝、三鷹の周さんと娘の暮らすマンションで打つ五十鈴川だより。

 昨日お昼前に三鷹の下連雀に住む次女のマンションに、お昼前に稲城から移動した。まず稲城から京王線で調布に出て、そこからはバスで吉祥寺行き、下連雀で降りるともうあるいてすぐのところにマンションがある。

久しぶりの再会、娘は出掛けていたが、周さんと葉くんが迎えてくれた。葉くんはちょうどお昼を食べていた。なんの抵抗もなくあっさりと私を迎えてくれた。周さんがお昼にお蕎麦を用意してくれているあいだ、暫しお相手したのだが、葉君は数ヶ月前にあったときより一段と大きくなり、言葉もかなり発するようになり、私の話すこともほとんど理解していて、そのすさまじいまでのみずみずしい、柔らかい吸収力に改めて命の不思議に驚かされた。

仲良く遊ぶ二人の孫

お昼のあと、葉くんはお昼寝、周さんが寝かしつけるので私は一階のリーディングルームに移動,今回の上京で持参し、少しずつ読み進めている下村湖人著【論語物語】を読む。3時過ぎまでよい時間が過ごせた。一行一行集中して読める。リーディングルームのあるマンション、わたしには最高の時間が過ごせるプライベート空間である。

論語は、一度は少しでもいいからいつの日にかは読みたいと思いつつ、今日まで来たのだが、論語の入門書としてもさることながら、普通の読み物として、いまを生きるわたしにはうってつけの書物である。全28章の短い物語の27章まで読み進んだのだが、これはこれからも繰り返し手元に置いて、自分を見つめ直すのに不可欠の書物であることを認識した。残り一章(泰山に立ちて)は帰りの新幹線でじっくり読もうと思う。

さて、部屋に戻るとお昼寝から葉くんが起きていた。周さんが珈琲を淹れてくれしばしの時間を過ごしていると、今夜は次女夫婦のところにお泊まりするノア君とレイさんが、稲城から自転車でやって来た。レイさんは稲城から下連雀までは自転車かジョギングでやって来る、のだ。とそこに、次女も帰ってきてしばしお茶タイム。

4時過ぎレイさんはノア君を置いて、稲城へと帰ってゆき、周さんとノア君はゲームタイム。私と次女と葉くんは、夕飯のお買い物。スーパーまでおおよそ15分くらいの距離、葉くんの散歩もかねているので、葉くんはあちらこちら好奇心丸出しで寄り道する。特に階段がお気に入りであちらこちらの家の階段を見つけては上ろうとするので母親の心配はつきない。

だがこればかりは加減を見極め、見守るより他はない。ありがたいことにわたしには余裕があるので出番が多く、みまもり役として役に立つことが嬉しい。スーパーについても葉くんの好奇心は全開、なんとか買い物を済ませたくさんの品物をリュックに積め、私と娘が背負い、葉くんのベビーカーにも乗せ、葉くんは往復を立派に寄り道、歩き通した。時間はかかったが、この7月で2才になる葉くんのほほえましくも手のかかる成長ぶりをつかの間堪能できてお爺としては嬉しかったことを、五十鈴川だよりに打っておきたい。

部屋に戻ると、ノア君はゲームに熱中していた、周さんはゲームに強いのでノア君としてはレイさんの許可あったので限られた時間、ノア君は周さんからゲームに関して色々学べて楽しくて仕方がない様子であった。

ノア君はゲームに熱中、娘と私とレイさんは葉くんの相手をしながら餃子作り、100個の餃子を私と周さんと娘でなんとか包み終え、と同時に焼き餃子がメインの夕飯を5人でなんとか楽しく終えることが出来た。夕飯を終えて、周さんが葉君ノア君とお風呂に入り続いて私。葉君を娘は寝かしつけ最後にお風呂にはいった。

私は与えられた部屋で、葉君の次に気がついたら眠りに落ちていた。周さんや娘とゆっくりとお話しする時間が持てなかったが、しめくくりの一品に大好きな餃子を作ることができ、今回の二組の娘たち家族を訪ねた小さな上京旅、明日から普段の西大寺の生活の励みになることは、まず間違いない。3人の孫は私に勇気をくれる。

2023-05-20

稲城最後の朝、リビングルームで打つ五十鈴川だより。

 土曜日、稲城最後の朝リビングルームで打っている。日曜日の午後についてまる6日が過ぎた。昨日最後のランチを私が用意したのは、サワラの焼いたのと、ニンジンキュウリ入りのポテトサラダ、サラダお味噌汁は娘。お昼ノア君は保育園なので、この3人での昼食。

まる5日間、お昼のメインを用意したことで、すでに書いたが古希をすぎて、遅蒔きに失したかもしれないが調理への関心が出てきた。遅すぎるとは思わない。あとはいかにこれから持続できるかにかかっている。古希をすぎたらもう一切これまでのことにはこだわらず、だれになんと言われようが、自分に与えられている時間を、わがままに過ごしてゆきたい。

赤いのはクワガタのゼリー

私のつたなくもささやかな手料理を、娘とレイさんが喜んでくれることがなかったら、このような気持ちは芽生えなかったかもしれない。親子といえども他者である。娘たちや孫たちのお陰で我が人生の晩年は、ありがたいという他に言葉が見つからないほどの充実感を覚える。

人生訓などはわたしには似合わないのだが、歳を重ねるなかでしか感知し得ないような感覚のふかまりを個人的に覚える。ネガティブでもポジティブでもなくあるがままのいまを面白がる。この5日間は、毎日五十鈴川だよりを打たせずにはおかないほどのものだ。

夕飯は金曜日の仕事を終えたレイさんが、粉を発酵させて美味しいピザを作ってくれた。もちろんすべて手作り、お世辞でもなんでもなく、これが年よりの私にも旨いのなんの、一行なんとしても打っておきたい。ピザに合わせてノア君が大好きなポタージュも、娘が未彩のケアの合間に手作りした。そのことも書いておかねば。

私が五十鈴川だよりを打っている合間、レイさん、娘、ノア君3人での会話がリビングルームに響きわたっている。おくるみの中で、未彩がその声を聴いている。平和である。

ともあれ何だかんだと、普通に生活するなかでの、楽しい思い出の締めくく五十鈴川だよりをわずかでも打ちたいお爺なのである。今日はこれから三鷹の次女のところに移動する。今回の最後の一日はどのような一日になるのか。老いゆく未知が待っている。

2023-05-19

孫送り・稲城里山・一巡り、そして想う稲城6日目の五十鈴川だより。

 金曜日朝イチノア君を保育園に送ってゆき、その足でめぐみの里山を一巡りしていつもゆくスーパーの方にでた。散歩にはいささか長い一時間半くらいあるいた。この稲城の里山は小高い丘陵地で農園もそこかしこにあり、養蜂をやっているかたもいて、今の季節バラや柑橘類の花他が咲き乱れ、紋白蝶がたくさん舞っていた。

散歩しているのは私一人しかいなかったが、丘陵地には森もあって、樹齢を重ねた大木もあちらこちらにあって私のような高齢者の散歩にはもってこいの里山である。娘たちの住むマンションの裏にはといえるほどの距離で、気が向けばすぐに行けるので、ありがたい里山である。

近年里山の価値が認識されて久しい、3人の孫に想うことは情操豊かな感受性を幼少期に身につけてほしいということだ。そういう意味ではレイさんがよくこの里山を孫のノア君と散策しているので、贔屓目ではなく今のところ、ノア君は好奇心いっぱいに育っている。

レイさんが用意してくれたクワガタの家


マンションの近く、保育園に向かう空き地に野草の花が咲き乱れていているのだが、ノア君は必ずその野草の空き地を歩く。そして花を摘む。帰りに摘んだのは家にもちかえる。するとレイさんがちゃんと活けている。数ヶ月ぶりに保育園の往復を共にするだけでずいぶんと変化している。

昨日の朝もマンションの中でクワガタを見つけ、嬉々としてレイさんに報告。早速レイさんはクワガタの家をつくってあげた。素晴らしい父である。そして想う、この孫たちの成長を一日でも長く元気に見守る(見守れる)おじいさんになりたいと。

散歩の途中で一人の81才の元気な老人に出会った。私より10才も年上でかくしゃくとしておられるので、思わず声をかけたのだが、先のことはわからないにもせよ、あのような見事な歳のかさねかたをみると、これからの10年の過ごし方がいかに大切かを知らされる。

あのような好奇心溢れる方に散歩で出会うと、古希を過ぎたばかりの私などはまだまだこれからだと、思い知らされてしまう。別れ際お年寄りは私にいった、一期一会です、体がすべてお元気でと。大当たりの稲城の里山散歩となった。

ところで稲城の滞在もあっという間にすぎて今日が最後、明日は次女のところにゆく。丸6日ノア君と過ごしたのは初めてなので、いくばくかうしろ髪をひかれる。(もう私には毛がないのだが)他の方はいざ知らず、私は情にもろい方である。情が移りやすいのは明らかに父親の遺伝子を受け継いでいる。

この情の感覚は一言では言えないほどに、自分のなかではやっかいな因子なのを自覚している。だがどこか仕方なくこれが自分らしいのだともう諦めている。時代に明らかにそぐわない情動のようなものを抱えながら、自分なりの老方、居場所を探したい。

稲城5日目の五十鈴川だよりをゲストルームのテラスで打つ

 ゲストルームでは電波が弱く、そとの眺めのいいテラスで打っている。平日でテラスには誰もいない。ちょっとしたリゾート気分で五十鈴川だよりを打てることが実に気分がいい。

このようなことは、娘の住む稲城のマンションのゲストルームに滞在することがなかったら味あうことはなかっただろうから、この際このマンションライフをつかの間であれ、しっかりと楽しむことにしている。今朝もノア君を保育園まで送っていった。

公園で無心に遊ぶ望晃君

このマンションにはリーディングルームもあるので、静かに本を読むこともできるし、もう何度も打っているが、ゲストルーム付きでの娘夫婦のお手伝いは大歓迎である。

さて昨日お昼前、2回目の買い物に出掛けた。スーパーは歩いて10分くらいの距離にある。野菜お肉牛乳他15品目くらいの買い物をした。岡山での普段の暮らしとは全く異なるつかの間稲城ライフが私は楽しい。

昨日のランチを記録しておこう。先日のカレーの残りでカレーうどん、それにスーパーで求めた揚げたてのコロッケと、小さな春巻きとサラダ(娘が手早く作った)。私のお手伝いに夫婦で感謝してくれるので嬉しい。

というわけで、食後今まで作ったことのない、保存が効くひじきの煮物ときんぴらごぼうを夕飯用に作った。レシピとにらめっこしながら奮闘した。なんとか出来た。娘がマンションのリーディングルームで借りてきてくれたお料理の本をみて作ったのだが、やればできるという新たな喜びをこの稲城ライフで見つけられ、にわかに嬉しい私である。

歳を重ねるなかで、調理する楽しみを日々の生活の中で深めてゆきたいという目的が明確に芽生えてきたのである。あとは実践あるのみ。だから今日も何かお昼に作りたいと思う。誰かのために作ることが自分のためにもなる、のだからたのしいのだ。妻も喜んでくれるだろう。

特別なことではなく、掃除や洗濯、身の回りを整え、生きてゆく上でもっとも肝心な食べるということに、どうしてもっと関心を持たなかったのか。この歳にして反省している。打ち終わったら頼まれてはいないのだが、買い物にゆきたい自分がいる。なんでもいいから何か調理がしたいのである。せっかく自由時間があるのだから。スーパーに行けば、きっと何かが作りたくなる。

2023-05-17

稲城4日目、五月晴れに想う五十鈴川だより。

 稲城4日目の朝である。5時過ぎに目覚め、ゲストルームで朝湯を浴び10階に移動、いつも通りレイさんが用意してくれた朝食をノア君と3人でいただき、(娘は少し遅れていつもとる)7時半すぎ保育園にノア君を送ってゆき戻って打っている。

稲城は今日も快晴で、5月とは思えないほどの温度が上がる予報が出ている。さあ、今日はどんな一日になるか、ごく普通の何気ない一日をきちんと丁寧に細部を大事に生きたいと、五十鈴川だよりを打つ私である。

そばにすやすや眠る未彩がいる。目の前ではすでにレイさんが仕事を始めている。私がいても仕事ができる集中力に驚く。私も全く気にならずに思い浮かぶ一文が打てるようになっている。日常雑記なのだから、気楽に打てる。

さて、今日のお昼は何を作ろうかと考えているのだが、大体は決めている。わずか3日目であるが、何を作ろうかと言う楽しみが強くなってきている。確かに年齢的にあらゆる動作が緩慢になってきつつあるのを自覚しているが、ありがたいことに今だ十分に役に立っている。

昨日のお昼はトマトガーリック風味のパスタを作って食べたことは、昨日の五十鈴川だよりにうったが、今日のお昼何を作ったのかは、明日の五十鈴川だよりに打つことにしよう。ところで今回の上京は観光旅行ではないので、着かえの衣類はわずかしかもってきていない。朝たまった洗濯物をまとめて、洗濯してもらえるようにレイさんに頼んでおいたのだが、保育園から戻ってみると、すでに衣類がすべてベランダに干されていた。

娘抱き・光が満ちる・五月晴れ

家事を分担して、すべて手際よくお互いがお互いを補完しあい、快適に過ごす工夫をして生活する。私たちの世代とは全く異なるジェンダーギャップのないライフスタイルを、娘たちが実践実現していることに、私は手前みそでは全くなく素晴らしいことだと驚いている。いつの世も若い人達が変えてゆく。

古い世代の常識や概念は新しい世代によって、変えられてゆくことの心地よさを私は感じている。孫が増える度にお爺の役割の変容、老いては子に従うなかでの老いゆく存在の有り様を考えることの深まりは、孫の存在なくしてありえない。

歳と共に社会的な問題とうに関心がなくなりはしないのだが、ごく身近な家族の生活の安寧、些事を先ずは生きることが私には一番大切である。文化は日々の生活力のなかから生まれてくるものであると私は念う。それ以外の芸術や文化にはほとんど関心がなくなってきつつある古希を過ぎた私である。


2023-05-16

稲城滞在3日目、長女のマンションのリビングルームで午後打つ五十鈴川だより。

 昨日の夜(ノア君を寝かしつけてから)午後9時過ぎから娘とレイさんが用意してくれたマンションのゲストルームに泊まっている。木曜日まで4泊する。部屋もお風呂も、私がよく利用する都心のホテルよりも広くて、何よりも窓が広くて、稲城の外の新緑が眺められて快適である。

レイさんと望晃君が育てているメダカ

この3日雨だったので、今朝の快晴には心がまさに洗われたかのような爽快感で目が覚めた。私の部屋は一階、娘たちの部屋は10階なので朝6時過ぎに移動する。すでにレイさんが朝食の準備を整えていた。6時15分にノア君を起こしてレイさんお手製のパンケーキ、バナナ、ベリーと穀類にヨーグルト他で、洋風朝食。食後ノア君は私と歯磨き、身支度を整え保育園へ。私が引率、レイさんは途中から、ジョギングたいむ、私が送り届けた。

保育園から戻ってゲストルームで、朝湯を浴び暫しのんびりさせてもらった。今回の上京は娘の産後の生活のお世話、主にやることは望晃くんの送迎と昼食を作ること、それと買い物等である。

ちなみに昨日のお昼は、鮭の焼いたのとしょうが焼きを作り、付け合わせのサラダ他は娘が手早く作った。さすがは主婦という感じで手慣れたもので驚いた。私はクッキングが楽しくなり、お昼を準備した勢いで夕飯のカレーも私が作った。メインは私、他数品は娘、洗い物はレイさんが、これまた手際よくやるといった、完全分担制でスムースにことが進む、楽しい。

娘は育児休暇中、レイさんはリモートワークなのだが合間合間に生活雑事を片付ける。その頭の切り替えの早さ、そつのなさには驚くばかり。洗濯物の(雨だったので部屋干し)畳み方なども上手い、自然体、そのさわかさにはドイツ男児の素晴らしさを感じる。 (ひいきめの親バカを承知でもうなんでも打つ)私に対する気遣いも言うことなしである。だから居心地がいい、のだ。

マンションの窓から見える今朝の空

お昼は昨日に引き続いて私がパスタを作った。娘の指示通りブロッコリーやホウレン草をゆでレタスをちぎり、娘が刻んでタッパーに保存しているキュウリやニンジンの刻んだのを加え、最後トマトで彩り、サラダを完成(ドレッシングは市販のものだが美味しい)2品のシンプルなランチが出来上がり。食前、レイさんがチーズを擦ってパスタにふりかけいただいた。少し辛かったが美味しいと完食してくれた。(作りがいがある)

いま、この五十鈴川だよりは昼食後、ゲストルームで一休みしたのち、娘のところで打っている。先程未彩を数分間初めて抱っこしたのだがなんとも言えない粛然とした気持ちになった。(おじいさんにならない限りこの気持ちを味わえない)

ちょうど丸二日が過ぎた。いい感じで暫しの娘家族との生活が推移している。あと1時間もしたらノア君のお迎えの時間がやって来る。この続きはまた明日打とう。岡山ではけっして味わうことのできない体験、娘たち家族との時間を、わずかでも五十鈴川だよりに打たないではいられない、お祖父の春である。



2023-05-15

2023年5月15日、午前中長女の住む東京稲城のマンションで五十鈴川だよりを打つ。

 5月13日から上京している。13日はお昼に着き個人的な用事を済ませ、夕方神田のホテルにチェックインして、ロンドンで出会って以来45年になる大切な朋友と軽い夕食がてら、積もる語らいに貴重なひとときを、過ごした。

3時間近く語り合ったのだが、この友とのことはこれから今日を含め一週間娘のところにいるので、落ち着いてゆっくり五十鈴川だよりに書きたいと思っている。

未彩(みあ)さんにプレゼントした絵本

昨日は神田のホテルを9時前にチェックアウトして、荷物を(コインロッカーに空きがなく)持ったまま古本屋街に移動、本屋が開くまで趣のある古い喫茶店で珈琲タイムをして、3件の古本屋を回り、生まれたばかりの未彩へのプレゼントの本を買い求め、わが青春の思いでの神田界隈を散策した。神田という街が私は大好きである。

お昼は手頃な庶民が利用できるお店の多い鈴蘭通りの中華のお店で、回鍋肉定食(850円)をいただいて神保町から直通で(地下鉄と京王線が接続している)娘たちの住む稲城に午後一時過ぎに着いた。レイさんと望晃君が迎えに来てくれていた。

孫のノア君が嬉しそうに迎えてくれるのが、何よりも私にはうれしい。マンションに着いても未彩(みあ)はお休みしていた。(対面できたのは夕方、私にとっては初めての女の子の孫である。最初の印象は当たり未前だが小さくもか弱くかわいいと言うことである)

娘がお昼寝するとのことで、レイさんとノア君と私の3人は稲城の図書館まで散歩がてらゆき、よき時間を過ごした。ノア君は本に向かい合っているときは別人のように静かである。私ものんびりできた。

図書館から戻ってノア君とひとしきり本を読んだりしたのち、夕飯(ハンバーグと餃子、サラダ、野菜のアラカルト、美味しく完食)をいただき、ノア君と共にお風呂に入り、結局ノア君の部屋でと共に寝てしまい、今日という日を迎えてしまったのである。

昨夜8時過ぎに望晃くんに本を読みつつ共に寝たのだが、なんと10時間近く寝た。起きたのが6時過ぎ、夜中トイレにおきたのが一度だけ、我ながらよく眠れるじいさんだとあきれるのだが、健康だから眠れるのだと思っている。

起きたらレイさんがちゃんと朝食を準備してくれていてノアと3人で済ませ、少しゼルダの冒険を見て雨の中、保育園までおおよそ片道15分雨の中送っていった。そして今戻ってきてリビングで五十鈴川だよりを打っているのである。

起きている未彩と娘がいるそばで打っている。これをうち終わったら、食料品の買い物にいく。仕事のレイくんの代わりが主な私の役割なので、役をこなすために上京してきたのだからとにかくお爺の私としては役に立ちたいのである。そばで未彩さんが手を盛んに動かし、目を開けたり閉じたりしている。

暫しこれからは、稲城滞在記、お爺五十鈴川だよりになるかと想うが、何よりも自然体でささやかな家族の記録になればとの思いで綴りたい。


2023-05-07

見渡せば・すごいヒトばかり・この世かな。と知るGW最後の雨の朝。

 雨が降り続いている。といから雨水が溢れている。GWも今日で終わりである。夢が原に一日、妻と熊山町の英国庭園に半日と、菜園場の草取りに出掛けた他は、ほとんどの時間を家のなかですごし、静かな時間を過ごしている私のGWである。

家のなかでは、横になって本を読んで過ごしたり、この一月にたまっていた書評をまとめて読んで、いまの私の年齢で響いてきた書評を切り抜いて張り付けたり、部屋の掃除や整理をしたり、妻が留守のときは簡単な麺類お昼ご飯を作ったり、お昼寝をしたり、夕刻は公園にお散歩に出掛けたり、買い物をしたり、とまあ普段の休日とほとんど変わらない生活を楽しんでいる。


横になって読んで刺激を受け面白かったのは、98才まで生きられた宇野千代さんの発言録である。あっけらかん、あけすけ、天真爛漫、前向き、そのあまりの振り返らない一途な、一日一日の行動実戦力に、思わず脱帽快栽をあげた。

男の私から見るとまさに女傑と呼ぶにふさわしいご仁である。すーっと読め、すいすいと発言されているが、幾多の試練荒波逆境を艱難辛苦を経験し、それを生来の気前のよさで前だけをみて、その都度乗り越え続けてきたからこその発言だと、深くなっとくし、わずかであれ先生のように、かくありたしと想う私である。

できることなら、可能な限りノー天気に生きていければいうことはないのだが、何事もそうは簡単に行かぬのが世の常である。平凡な一日を可能ならば気持ちのいい一日にできるかできないのかは、やはり気の持ち方でかなり変わってくるような気がするのである。

そういう意味で、気持ちを少しでも上向きにしてゆくために、心を整えてゆくために古稀をすぎて一番行っていることは掃除である。自分が一番過ごすことの多い部屋の雑巾がけ、である。五十鈴川だよりを打つ前には必ず最近は掃除をする。濡らさないで乾拭きをやることもある。数日もやらないと部屋には目に見えない埃がたまっている。人間もきっとそうなのである。

日々新しい毎日を、可能なら新鮮に過ごしたいのだが、そうはとんやがおろさないのが、わが人生である。だからわが体に息を吹き込むかのように、おまじないのように掃除をして気持ちを上向きに保つためにささやかな儀式が不可欠なのである。

ささやかな儀式は他にもある。毎日ではないが真冬以外の裸足散歩である。平均すれば短時間なのだが週に3日はやっている。それともうひとつ、手術後やっていなかった懸垂を昨年の秋から始めたのである。術後一年半やっていなかったので(右腕の下を10センチくらい切ったので)最初は恐る恐る。怖かったが鉄棒にぶら下がった。当たり前だが一回もできなかった。

あれから半年以上、これも平均すれば週に3回くらい(毎日はしない)続けている。今5回できるようになった。もうこれ以上回数を伸ばそうとは思わない。鉄棒にぶら下がるだけでも、あるいは一回だけでも、鉄棒の下にゆき空を眺めるだけでも、気分は上向くのである。

もう十分に老いているのだから、無理は禁物なのだが、宇野千代先生のように生活の好奇心を保ち、面白可笑しく生きるためには工夫が必須である。お金に頼らない晩年ライフを目指す私としては、体に宿る命こそが全財産なのであるから、工夫を心がける。(のだ)

2023-05-05

フィールドオブドリーム、中世夢が原、武士の屋敷の縁側で10年ぶりボランティアをし、そして想う。

 一昨日、10年ぶりに中世夢が原にわずか一日だがボランティアに出掛けた。元気なうちにいま行かねば後悔するとおもったからである。

子供たちが多いのだが(もちろん大人にも)弓の持ち方や引き方を教えたり、竹トンボを作らせたり(ナイフの削り方を教えたり)独楽回しをしたりしながら、10年前GWにやっていたこととほぼ同じことをし、来園者の老若男女と交流した。

我が家のご神木ハッサクの花が満開

10年ぶりではあったが、おもった以上に体が動いて、楽しい時間が過ごせた。まるで本当に時間がタイムスリップでもしたかのように、武士の屋敷の縁側に自分の体が自然に馴染んでゆくのがよくわかった。

一期一会の多様な来園者との交流もスムースに過ごせ、何よりも子供たちとのつかの間の交流はなんとも言えず、世代を越えて人間同士、まるで体を血の電流が流れるかのように、みるみる子供の顔に生気がみなぎってゆくのが感じられ、思い付いてボランティアにゆき、本当に良かったと何度も一人ごちた。

熱中して弓を引いて遊ぶ神戸からきた男の子5年生と、女の子6年生、(この二人は的に命中するまで熱中した、プレゼントに竹トンボもして、仕上げは私が。きっと一生忘れられない思い出が)他にも何人もの子供の姿が脳裡に残っている。大人でもフィリピン人女性と日本人のカップルが強くいまだ印象に残っている。笑顔や歓声にまさる悦びはない。

交流しているうちに、40才から離職するまでの22年間、この武士の屋敷の縁側でいったいどれだけのヒトと言葉を交わし、交流したのだろうかと、ふと考えたのだが、いまはっきりと言えること、想うことは、わが人生の黄金時代をこの武士の屋敷の縁側で過ごせたことの有り難さである。その事をきちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。その事を噛み締めた一昨日のいわば予期せぬ出来事、ボランティア思い付き体験となった。

多嘉良カナさんの企画を終え、いうに言えない自由自在感覚が一段と増してきている、おそらくそのいうに言われぬ感覚の発露が、私を武士の屋敷の縁側に赴かせたのに違いない。

ボランティアに行く前日、孫の未彩が生まれたのも大きい。10年ぶりの武士の屋敷の縁側ボランティアは私に新たなエネルギーをもたらしている。

住んでいる西大寺から中世夢が原まで、往復するのは距離的に時間がかかるるけれど、月に一度くらいなら無理なくボランティアできるような気がしてきた。現在の自分の体力の許す範囲で無理なく実践したい。

昨年、中世夢が原は開園して30年を迎え、今年31年目に入っている。この年齢になってみて改めて想うことは、私はこの場所で22年間、鍛えられ育てられたのだということである。多嘉良カナさんを企画できたのは、中世夢が原での22年間があったからこそである。

10年ぶりに武士の屋敷の縁側に座って思ったことは、ここは天然の【夢が原能楽堂】であったのだと気付いたことである。夢が原は、私に限りない夢のような企画を実現させてくれた、わが人生の飛びきりの【場所】なのだと、多嘉良カナさんを企画できて気付いたのである。


2023-05-04

5月2日火曜日、長女に女の子、未彩(みあ)授かる。5月3日の朝に想う。

 5月2日長女に二人目の子供が授かった。女の子である。義理の息子のレイさんから母と生まれたばかりの子供の写真が送られてきた。暫し、写真に見いった。兄となった望晃(のあ)君は5才、次女の葉君は7月が来れば2才となり、私にとっては3人目の孫となる。

このような我が家にとっての慶賀をわずかであれ、記録としてのわが思いをつたなくても記しておくことが、歳と共に大切なことではないかとの思いが深まっている。レイさんからの写真で特に印象的だったのは、生まれたばかりの未彩(みあ)を宝物のように抱いているレイさんの姿と、娘の表情である。

妻が挿し木から育てたうららと言う薔薇

自分が初めて父親になった(させてもらった)ときのことがにわかに甦ったのである。

さずかった子供をある年齢まで育て上げることの道は万人が等しく人間が背負ってゆく運命である。これは我が身を振り替えって想うことだが、子供という新しき命と対面したとき、ようやく私は人間としての本質的な入口にたたされた責任を、遅まきながら自覚したのをついこの間のことのように思い出す。

あれから34年の歳月が流れ、71才で3人の孫に恵まれたというのは、感慨もひとしおという言葉しかない。与えられた一日一日を積み重ねるしかないのである。再来週から産後の娘のお手伝いに8泊9日出掛ける。嬉しく楽しみである。再三爺バカのように打っているが、晩年のこれから、爺の役割というものに静かに思いを巡らすということが、改めて大事になってきた。

それを言葉にするのは野暮の極み、行動実践あるのみである。役に立つお爺であるためには、まずは私自身が健康で、孫と遊べる体を一年でも長くキープすること、それ以外にはない。それは孫に恵まれて初めて思いしったことである。

こればかりは授かったものにしかわからないし、他の人はともかく私にはそうなのである。物質的にはほとんどなにもしてやれないが、読み聞かせ始め、幼少期に大切なことの幾ばくかは役に立てるのではないかと自負できることがあること。健康体であればこそ、つつましくいま心からそう思えること、それは言い尽くせない宝、ありがたい新しい時間なのである。

これまでの生きてきた軌跡がお役に立つということ、孫という新しい存在の役に立てるということの循環性の持続、言わばこの事のためにこそ、私という年よりは存在しているのではないかとさえ思えるのである。

多嘉良カナさんの企画を終えて9日めに授かった3人の孫の存在は、陳腐に埋もれそうになっている【平和】という言葉の尊厳、かけがえのない重さを老いの身に突きつける。平和というありがたさをややもすると慣れきって忘れがちである。改めて孫の命の輝きから、平和の尊さを確認する企画をこそやりたい。企画者として、多嘉良カナさんを企画できたことでその念いは深まる。

(昨日、中世夢が原の武士の屋敷の縁側で午前9時過ぎから、午後3時までGWのボランティアに10年ぶりに出掛けたのだが、その事はまた明日書こうと思う)