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2017-07-29

土取利行さんの歌を聴きに急きょ上京します。

一週間前、畏敬する音楽家土取利行さんから案内状が届き、先月も上京したばかりで少し悩んだのだが、急きょ上京することにした。
両国のシアターXで30日午後2時から開かれる

妻からも 許可がでたし、ありがたいことに今の私には出かけてゆける余裕、何よりも時間がある。五十鈴川だよりを長年読んでくださっておられる方は、私と土取さんの関係性はよくご存じだと思うので、割愛する。

26歳でのロンドンでの出会い。青春時代から今に至るこの40年間、もっとも私が影響を直接受けた数少ない音楽家である。当時若かった私は、一撃で氏のパーカッションに打ちのめされた。

依頼一筋の道を犀のように、時代に流されずに歩むその姿を、つかず離れず眺めていて思うのだが、凡夫の私にはできない、すごい生き方を実践されている方である。

私にできることは限られている、見届けにゆくくらいの交情、動ける余裕のある限りは続けたい。もし土取さんのことを知らない方がいたらぜひインターネットで検索してほしいと念う。

そして、現在彼がどのような誰もやったことがない、誰もやらない世界を追求し、我々に伝えようとしているのかを、五十鈴川だよりを開く数少ない方々に知ってもらいたいと切に願う。

明治大正時代の女性の歌、まったく私の知らない世界を伝えてくださるその真摯な姿に打たれる。氏は出会った時以来、いまも私にとっては、未知の世界の案内人である。

このような音楽家に出遭えた、私の人生の幸運を噛みしめる人生の秋、ありがたいありがたいと私は念仏のように唱える。

2017-07-26

真夏の昼の夢。

10日ぶり、真夏の日中にいすずがわだよりをかくことになろうとは自分でもおもわなかったが、とにかく何から書こうか、ちょっとあまりのうだるような暑さのせいで、いわゆる筆が進まないとはこういうことかと、いっぱしの気分である。

窓からは、夏の雲と幾分ブルーの青空がが望める。温度は確認する気にもならない。犬のメルも猫の花も、所在なげに私と同じように部屋の中でぐったりしている。

さあ、頭に冷えたタオルででも載せて、よしなしごとを綴ろう。 個人的な私自身の生活は、さほど変わりようがないくらい、落ち着いた(人生で初めてといってもいいくらいの)静かな日々を送れる今を有難く感じている。

ところで、ほぼ2年近く通ったS氏の竹韻庵から身を引くことにした。理由は昨年から妻の体調がいまひとつで(それでも妻は仕事を続けている)、特にこの数カ月は、どうしたものかと案じること度々であったので、五十鈴川だよりを書いたりする気分から遠かったのである。
なんども唸った名講義、ほんとうに学ぶことは愉悦である

ところが、詳細は長くなるので省くが、整体の良い先生を紹介され、半信半疑でいったところ、完全には遠いものの、ずいぶんと改善に向かっていて、漸くにして私はとてもうれしく、五十鈴川だよりを書く気になったという次第なのである。

これ以上は、面はゆくて書かないが、妻あっての私なのであるから、可能な限り妻や母のそばで今後は過ごすことにしたのである。(娘も自立を今しばらくあきらめ、特に夕食の家事をしてくれている)

今もフルタイムで働く彼女の家事やそのほかの負担を減らすべく、竹韻庵に割いていた時間を、家族のための時間に費やすことにしたのである。母を先頭に家族が妻に寄り添っているのである。

おかげで、妻の体調も改善の兆しが見え、私自身はといえば、竹韻庵に費やしていた時間が一気に自分自身や家族のために使えることで、心身に限りないゆとりができて、18歳で世の中に出て、65歳にして初めてといっても いいくらいの充実した夏を過ごしている。

自分自身の体の変化や、それに伴う心境の変化などといったものは、余人にはうかがい知れない。

やはり本人が一番覚る様に思う。弓を始めたことで、全身の現在のおのれの鏡に映る姿を、いやでも応でも眺めつつの、素引きの稽古をこの5カ月していて思うことは、静かに自問自答することの有難さである。

仏教用語では林住期を生きている私の年齢、下り坂を可能な範囲でスリリングに、こころの張りを持続するためにも、弓を張れる現在の肉体と向かい合える時間が持てる今の暮らしを大事にしなければと考える。

弓に関しては、家族全員が私を応援してくれている。20代のころ、よもや私に家族ができるなどということは思いもしなかったが、家族ができたおかげで何とかこの年まで生き延びることができた。

今後は、まずは妻との時間を最優先したいと考える、私の夏である。

2017-07-16

梅雨が明けそうな気配の朝に思う。

もうそろそろ梅雨が明けそうな気配の朝である。この数年この時期の集中豪雨のすさまじさは、映像で見るたびに言葉がない。

特に九州人の私は、福岡の朝倉地区や大分の日田地区は、車で何度か通過したことがあるので余計に言葉を失う。

だからこの夏はお墓参りに帰省する途中に、まだ災害ボランティアを自治体で募っているのであれば、なにがしかのボランティアをしたいと考えている。

私は60歳の誕生日を東北の遠野で迎え、大槌町でわずか2日ではあったが瓦礫の撤去作業に従事したことがある。

その時にともに作業をしたKさんとは、いまも親交がある。秋田の方で、これまでのわが狭き人生ではであったことがない純朴を絵にかいたような方である。

私はこれまでの人生で、あらゆることに妥協しながらも、ここ一番ではかなり悩み可能な限り妥協しない選択をしながら、なんとかここまで歩んでこれた幸運をかんじている。

よしんば思い通りにはゆかない、ならないにせよ、悔いなく、こころとからだになるべく正直に生きてきたように思える。繰り返すがあくまでも妥協しながら、妥協しない絶対矛盾を、どこかに感じながらである。いやなことを避ける体質なのである。

65歳の今も、どこか絶対矛盾を抱えながらも、自分の体と心が喜ぶことをしながら、自然に老いてゆきたいという思いは、有限なる命のなかますます強くなってきつつある。
網戸越しに撮った今朝の我が家の花

だから、可能な限り心のビタミンを 共有し合えるような人との関係性を、大事にしたいとの思いが、強まってゆく今年の夏なのである。

話は変わる。自転車を修理したことは先のブログで書いたが、先日梅雨の晴れ間岡山の徳山道場まで往復走ってみた。

行きは何とかすいすいと快調だったのだが、帰りお尻が痛くなりちょっとこまったが、なんとか走れた。やはりいきなりは無茶である。

以後運動公園、図書館の往復や近所の買い物、母の家等は雨でない限り自転車を使っている。お尻がかなり耐えられるくらいまでは、月に何度か往復30キロくらいの距離を走りたくなっている。

あらためて思う。何度も書いている。声が出る。弓が弾ける。草を抜く。五体が健康に動くという当たり前の何たる爽快感とありがたさ。

身体が動かなきゃ、瓦礫の撤去もできやしない。あらゆる意欲が萎えてしまう。もうこの年で苦しみながら身体を鍛えるなんて無理である。だが私は今しばらく無理をするつもりである。

それは楽しめる仲間との無理である。苦しむのではない、悩みつつ下り坂の老いを前進するのである。

ゆっくりとしか動けなくなる体を、注意深く動かす喜びを今しばらく私は探求したい。夏、五十鈴川が私を呼んでいる。

2017-07-09

七夕・地・ビール・男3人異世代異業種即興のさやけき宴に思う、感謝しつつ。

一昨日七夕の夜ちょっとうれしいことがあった。自分の息子とも言っていいくらい歳が離れている弓道教室の先輩O氏から、地ビールを飲みにゆきませんかと声をかけていただいたのである。

O氏の住んでいる家の近所に住んでおられ、最近言葉を交わすようになられたという岡山大学院環境生命学科教授であられるM氏も来られ、私とは初対面、30代、50代、60代、世代がまったく異なる男3人での、七夕地ビールのささやかな宴。

私は好奇心は 強い(はなはだもって軽薄なだけかもしれない)ほうかもしれないが、性格は田舎者的コンプレックスが抜けきれない臆病者だと自認している。

が、18歳で世の中に飛び出してからというもの、数々の修羅場で大恥をかいてきたので、漸くにしてこの年齢で少しは面の皮が、鉄面皮には程遠いにしても、いくばくかは面の皮が厚くなってきたかの感がある。

だから、久々出遭えた気持ちのいい青年のお誘いであり、O氏が私にも紹介したいと選んだ方、M氏がどのような方であるのか、はなはだ興味が湧いて実現したという次第なのである。

場所は旭川のそば、名前も【吉備土手下麦酒醸造所】 、O氏と法界院の駅で待ち合わせ、歩いてそのお店に。

ほどなくM氏が姿を現しご挨拶、なぜだかよくはわからないが、すっとM氏とも会話が転がり、繰り返すが世代の異なる男の3人での初対面(O氏とは2回目だが)地ビールぶっつけ即興会話ライブは、お開きの9時まで間髪を置かず流れ、久々愉快なひと時を堪能した。

M氏もロンドンに留学されていたことがあり、ロンドンの地名や、意外や意外共有できる話題などがあり、大学教授のイメージをまったく感じさせない、ミュージシャンのような第一印象、私と異なり知性を備えた隠者といった趣で、お調子者の酔った勢いの私の放談を広い心で聞いてくださった。

私とM氏との出会いを、セットしてくれたO氏にこの場を借りて、記録としも感謝の言葉を きちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。

時の流れは同じであっても、愉しい時間はすぐに過ぎるとはシェイクスピアの言葉。この年齢になると漸くにして痛くわかってくる。

いわゆる当たり前のようなことが、実はまったく当たり前ではないということが。このようなことを書くことは実はかなり気恥ずかしく面はゆいことなのだが、もういいのだ。思いつくことをなんでも書いておこう、悔いなくな生きるべく。

65歳を区切りに、もっと面の皮を厚くし、大恥かきっぱなしの鉄面皮のような祖父さんになってもいいのでは、との思いもいまだ天邪鬼の私はするのである。(臆病だから無理だろうとは思いつつ)

ところでいつものように話は忽然と変わる。あこがれの瘋癲老人、入口の現在の私を、痛く反省させ、また勇気づけ、私に強烈なパンチを浴びせた本に最近出遭った。

最近書縁という言葉を知った。
鈴木孝夫著【人にはどれだけの物が必要か】1994年に上梓された、私が42歳の時に書かれた御本である。氏の真摯であまりにも潔い、独善的(だがユーモアがある)実践力(驚嘆する)に裏打ちされた人類の行く末に深く警鐘を鳴らす一文に、私は打たれた。

御本が書かれてから23年、先生の御心配は、正鵠を得ているとますます実感する。七夕宴会と七夕の日に読み終えた先生の御本は、何かのお告げのような気さえしてきてしまう。

これからの人生時間、鈴木孝夫先生の生き方を爪の垢でもを指南とし、ささやかに地球の片隅で生存できる有難さに想いを馳せ、感謝しつつ、身の丈に合う生きる方法をいかにと、殊勝に考える今朝の五十鈴川である。

この夏は、お墓参りがてらちょっと長めの休暇をとりたい。




2017-07-05

雨の朝、弓の効用に想いを馳せる。

7月に入ったと思ったら、いきなり暑い日が続き、台風の上陸、そしてまさに梅雨本番を思わせる雨の朝である。

晴れていたら、ほんのちょっとでも竹韻庵の草を刈らないと、と思うのだが(とにかく今の季節の草の伸びようははんぱではないから)雨の日はゆったりと、ささやかな一文を紡げるのが、これはこれで実にうれしいいっときなのである。

日々是好日というが、まさに日めくりでお天気と共に私の体は変調しながらも、その感覚にそって体調を整えながら、移ろいゆく体と心を自律しながら、過ごしている。

何度も書いているが、気が重い時には、あえて雑巾がけをし、隅々までふき取って気分をのせていったり、早朝の朝湯を楽しんだりしている。(今朝も湯を浴びました)

草刈り、声出し、弓といった3本の矢以外にも、こうやって五十鈴川だよりを書いたり、読書の時間、夕方の図書館公園時間、メルの散歩、フルタイムで働いている妻の代わりの買い物や、生活全般のあれやこれやで、私の現在は流れてゆく。
私より二つ若いこの方の御本を素晴らしく感じる、一日で読み終えた

現在の日々の暮らしを、家人共々いかにして気持ちよく過ごせるかが、何よりも肝要な 今の私の暮らしむき、私だけが気持ちが良い暮らしなどといったことはありえない。

ところで、昨日も早朝、竹韻庵で2時間ほど過ごし、着かえてさっぱりしてから弓の自主稽古をしていたら、私が帰るころ女性の方が稽古に来られ、熱心ですねと声をかけられた。

私の恥をさらしての自主稽古が他者の眼にどのように映っているのかは、皆目見当がつかないし、関心もないが、弓を始めてもうすぐ5ヶ月、わずかな時間を見つけて、足しげく門をくぐる日々を送っている。

正直こんなにも、素引きの稽古をしようとは思わなかったが、心身を伴っての集中力の持続という意味では、草を刈ることにも、シェイクスピア遊声塾での声出しにも、本を読むことにしても、ちょっとした料理をするにも、雑巾がけにも、あらゆる生きてゆくうえでの生活多事に対して、前向きの感覚が深まってゆくように感じるのである。いまはこの新しい感覚を大事にしたいのだ。

それを私は、弓の効用と呼んでいて、意外にも一見単調に見える 素引きの稽古は、65歳のわが体にかなりの負荷がかかるのだが、それを跳ね返す心身力が絶対的に必要なのである。

老いと共に、筋力を含めあらゆる身体機能は、下ってゆくことは自明の理ではあるけれども、この歳でも、両足腰下半身で、地面にむかって踏んばりながら、上半身を天に向かうかのように、矢をひき放つ稽古が、わが体には新鮮なのである。

相手は自分しかいないので、いやでも応でも自分と(不自由な自分の体を意識する)向かい合わないといけない。まだ始めて5カ月にも満たないのだが、人生の下り坂に弓の世界に出遭えた幸運を おもはないわけにはゆかない。




2017-07-01

30年近く前に買った自転車を修理しました、そして思う。

生命。肉体(時間)というものは、かけがえなく有限で、大切なものであるということが、この年齢になると漸くにして、かすかに実感して覚るようになってくる。

だから、雨の日の朝くらい柄にもなく厳粛な面持ちで、心に浮かぶよしなしごとを、つづれる静かな時間を大切にしたい。

高校時代、カスケーズの悲しき雨音という歌をよく聴いた記憶が、梅雨の 朝にわかに思い出される。雷の音も入っていたように記憶する。
私の部屋から見える雨上がりの紫陽花

私の部屋からは紫陽花の花が見える。先ほどまでは雨に打たれていたが、五十鈴川だよりを書き始めたら雨はやみそうな気配である。

今日から7月、土曜日の朝、家人はまだ休んでいる。雨の日は、まず竹韻庵にゆくことはないので、私も雨音を聴きながら先ほどまで布団の中で休んでいた。

残り湯を沸かし、朝湯を浴びてさっぱりした心持で、五十鈴川だよりを書ける静かないっときは、時をまさにいっとき止めるかのような、自己慰安時間である。

おかげさまでというしかないくらいに、なにやら静か
数十年ぶりの自転車、とりあえず今日から乗ります
に充実した毎日が、65歳と共に始まった、(書くのがちと気恥ずかしいほどに)あきらかに違うステージを自分が迎えている、といった自覚がある。

もしこのまま、あと5年の歳月が流れたら私は古希を迎えることになる。還暦の時にもかなり自覚的に なったものだが、命に対する感覚がより自覚的になってきつつある今思うのは、これからの時間はますますもって貴重な人生時間帯に入ってゆくのだなあ、という深まり感だ。

だから、なかなかな困難さは伴うものの、あらゆることを整理しながら、妻と相談しながら、一日一日を大切に過ごしたいものだという、夢に近い願望を五十鈴川だよりに書かずにはいられない。

書いたからといって、どうともなるものでもないが、後年振り返ってあの時にはそんな感じだったのだなあと、座標を確認することができる。

五十鈴川だより。を書き始めた日のことは、なぜだか今もよく覚えている。月が美しかった。よたよたとではあるが、右往左往書き続けてきたからこそ、おそらくこんなにも自覚的に生きられる自分がいるのだと思える。

年齢時間と共に五十鈴川だよりを書く頻度は減るとは思うが、日々の動的平衡命の代謝を踏まえながら、命の揺らぎを綴りたいと念うのだ。

さて、話は変わる。30年近く前東京で買った自転車が、処分できずいまだ家に在ったのを、先日近所の感じのいい自転車屋さんに持っていったら、何とかまだ乗れるということで、一念発起修理してもらった。

昨日夕方修理できましたとの電話があったので、歩いて取りにゆき久方ぶりに自転車に乗って帰ってきた 。火野正平さんのテレビが人気だが(私もたまに見る)、初めて買った愛着のある自転車なので、これからしばらくの間、私の体が動く間は、自転車時間を生活の中に組み込みたいと思っている。

可能なら、元気なうちに五十鈴川を自転車で、我が家のご先祖の宇納間まで遡行したいと思う、気持ちが湧いてきた。