ページ

2019-04-30

平成最後の日の五十鈴川だより。

雨の朝、平成最後の日の五十鈴川だよりである。平成元年ベルリンの壁が壊れた年に長女が生まれ、その娘が平成最後の年に男の子を授かった年として、我が家の個人的な歴史として私の脳裡に刻まれることになるだろう。

一口に30年間、37歳で父親になった私が67歳になったのである。妻と共に歳月を重ねた。様々なことが去来するが、世の中のあまりの表層的な変化推移速さに、(今も戸惑いながら)も関わらず、事我が家に関しては全員元気に大過なく過ごすことができていることに関しては、ただただ母、妻、娘たち、義理の息子たちに感謝するだけである。(そしてご先祖に)

GWくらい普段手にする機会のない本を読みたい
五十鈴川だよりを書き始めた当初、もちろん元号が変わるとは思いもしなかったし、思い立って7年以上、ただただ内なる何かが、私に今も五十鈴川だよりを綴らせているのだが、思うのは書き続けてきてよかったとのさやかな感懐である。

この間の日々の変化、内なるわが揺れる思いがささやかに、お恥ずかしくも折々吐露されている。(はずである)今を生きている、日々のつれづれに些少の敏感さを、自覚し続けたいもの、という悪あがきのようなもの(煩悩だろう)がぬけ切れない間は、つづりたい。(と考える)

さて、GWも4日目、今日の午後一足先に次女が帰ってきて、夜には妻も帰ってくる。あっという間にひとりでの生活が終わるが、こんなことをおめおめとつづるのは厚顔も過ぎるとは思うものの、妻あってのわたしなのだと痛感するのである。

だから今後も、それを思い知るためにも、折々妻には自由にあちらこちらに出掛けてもらいたいとさえ思う私である。わずか4日ではあったが、好き勝手に過ごさせてもらった。
 、
昨日は 弓の稽古に出かける前、各部屋の雑巾がけをしたりしたのだが、私の場合GW前半は家で静かにすごし、GWの後半は数日ではあれ故郷に帰り、ご先祖にまいり、かの地一帯で静かに過ごしたいと思っている。

いずれにせよ、明日からは令和の時代がやってくる。どのように令和の時代を生きてゆきのか、各人各様が問われる中、各人各様の一人として自分もまた、書ける範囲で老いを見つめながら、折々の五十鈴川だよりを綴れればと願っている。



2019-04-29

シェイクスピアの輪読音読会で、I先生に声を通じてあらためて出会うことができました、その喜びをささやかに記す。

第二回目のシェイクスピア音読輪読会を、昨日無事に終えることができた。前回に引き続き参加された方が4人、はじめての方が3人、見学者が一人。結果前回と同じ私も含め8人で輪読した。

ちょっと昨日の今日で、頭の中が整理されていないのだが、昨日の輪読会に初めて参加されたI先生(と今後呼ぶことにしました)のことは、以前一度だけ五十鈴川だよりに書いたことがある。その先生から私が昨日受けた、充実した刺激について、ちょっと書きたい。

先生は今年84歳になられる。先生は昨年の6月ごろリア王の稽古の真っ最中に、私の塾の朝日新聞んの記事をもって、いきなり来られ、ローレンスオリビエ主演監督のDVDを見てくれと手渡された。

そのDVDはいま私の手元にある。何度見ても素晴らしい作品である。その後一度お会いしてお話をしてご縁を深めていたのだが、その先生がよもやまさか、輪読会に参加されるとは、つゆほども思わなかったのである。

つまびらかに先生の音読の素晴らしさを、(上手とかへたの次元を超えた声の魅力)私の拙文では表せないが、シェイクスピアに対する思い、情熱の深さ、そして生きて歩んでこられた人生が詰まった、経験の襞に裏打ちされた声の素晴らしさが、私の肺腑にずんと響いたのである。

先生は旧満州生まれ、敗戦の時9歳、引き上げてきて東京生活、大学は九州大学、英語が堪能で、朝日新聞に就職、要職を務められる傍ら、とある大学で英語を教えられ、シェイクスピアを原文ですらすら読めるほどの知識人、つまりはインテリなのである、ただのインテリではない 。

その方が、私の思いついた日本語翻訳のシェイクスピア輪読会に参加してくださったのである。そして私がやっていることに関して、お褒めの言葉をいただいたのである。
いつか上映会をやりたい、素晴らしい。

私はこれまでの人生、けなされることは多く体験してきたが、面と向かって知識人というか、私の苦手なインテリ(学者的地位に安住しているようないわゆる書斎派)からほめられたことは一度もなかったので、驚くと同時に、やはりそこは人間、ほめられてうれしく、この7年目に入る、シェイクスピア遊声塾での取り組みが報われた思いに満ちたのである。

このような先生に出遭えたことで、正直私は輪読会を始めて本当に良かったとあらためて思ったのである。シェイクスピア遊声塾のみの活動であったら、先生の音読の素晴らしさを体感することはなかったであろう。

高齢を押して、果敢に声を出す姿に(補聴器を忘れられていたにもかかわらず)若輩の私は勇気を得、そして撃たれたのである。

輪読会を終え、西川でNさん、Tさん、Kさんとお酒を飲んだ。高齢の先生も遅れて参加、敗戦時9歳の時に体験された、阿鼻叫喚の惨劇、修羅場のわずかのお話の声は実体験した者でないと出ない音であった。

頑固な私である、が先生の意見、ご忠告には素直に従いたと思う。また一人母以外にあのように老いてゆきたいという身近なお手本が見つかった。シェイクスピアのおかげである。

2019-04-28

第二回目のシェイクスピア輪読・音読会の朝に想う。

GW2日目、今日も含め平成もあと数日、そして一昨日も書いたが、今日はシェイクスピア作品の2回目の輪読会である。個人的にささやかに実にうれしい。61歳でシェイクスピア遊声塾を立ち上げ、そこからまた新たな枝がのびるような感じで、輪読しながらの音読会を思いついた。

今日は塾生の参加はないが、私を含めて前回と同じ8名での輪読会になりそうである。ほとんど宣伝もしていないのに、何とはなしにころ合いの人数が集まっていることに関して、ただただありがたい。

もし輪読することを始めなかったら、塾生以外の方とシェイクスピア作品を音読することはなかったかもしれない。それになかなか普段読む機会のない、ほかのほとんど知られていない作品を音読することが、シェイクスピア遊声塾だけでは不可能であっただろう。

なぜこういうことを始めたのか、後付けの理由は何とでも付けられるが、ことさらの理由はない。遊声塾を始めた時だって、何かを企画したいと思った時だって、私の場合ことさらの深い理由などというものはなかった。
妻が孫の望晃くんのために作った名札

あえて言えば、山があるから登る、シェイクスピア作品を音読することは面白いから 、と言うにとどめたい。

一作品、一作品、縁のあった方たちとシェイクスピア作品の魔力的な魅力を少しでも体感したいと、今は思うだけである。

半世紀前の高校2年生の時に、フランコゼフィレッリ監督のロミオとジュリエットを見たことが、私とシェイクスピアの邂逅だが、(途中30年読まなかった)いま再び、音読をはじめて7年目、いよいよこれからの晩節時間、先のことは考えず声の出る間、よしんば大きくて、深い呼吸ができなくなっても、音読がやれる間は老いの幸徳時間を過ごしたく、ささやかに大地に声を放つように、生を確認するかのように、音読したい。

まずは健康に第二回目の朝を 迎えられたことに感謝、【十二夜】を音読するのは何年ぶりか、ともあれ初めて読むような気持で、今日集えた方たちと音読したい。

2019-04-27

GW初日の朝におもう。

GW初日、初老男のひとりの朝である。先ほど猫の花と、犬のメルに餌をあげ(妻はわが子のように接しているので、私も習うように努めている)

これを書いている今も、わが膝に花がやってきて喉をゴロゴロと鳴らしている。妻はいないが、妻の分身である花とメルがいるので、つまり私はひとりではない。

捨てられていた子猫、白血病のキャリアがあるが、乗り越えて元気である
さて、私は4日間の一人GWをどのように過ごそうかと起きて緩やかに考えたのだが、つまりは基本的に普段通り、というところに落ち着いた。

後半は宮崎に帰省するので、妻と次女が帰ってくるまで、一人生活を楽しもうと考えている。先ほど朝ぶろに入り、だしをとってワカメと豆腐の味噌汁を作った、五十鈴川だよりを書き終えたら、ゆっくりと朝食をするつもりである。

昨日の昼、夜とこれで3食、母の作ったさやえんどうや、ホウレン草をいためたり、それにしんたまねぎのサラダ、おうどんにそれらの野菜を入れたりしての、簡単料理。

それに昨日は、スーパーで買ってきた いわしを煮ての、初老男の簡単レシピ、心かけているのは、野菜中心、そして腹八分、空腹感がきてから、食べるといった按配。

したがって、妻がいないと私の食事時間は、まったく決まっていない。おなかがすいたらさっと作ってゆっくり食べるだけである。

働かない休日は 、朝食は実に簡単、ご飯は食べない。お味噌汁と納豆、リンゴやバナナの類とヨーグルトくらいである。

年齢的に動きの少ない日は、さほどおなかがすかないし、おなかがすいているくらいのほうが、物を書いたり読んだりするのにはいい。
妻の献身的なケアの賜物で生き延びている、わがままな花

今の季節、外での食事が気持ちがいいので、今日もお天気なら昼食は外で しようと思っている、朝食も新聞など読みながらとり、(でも今朝は風があり外はちょっと肌寒そうで無理かな)その後メルの散歩もかねてしばし音読散歩などしようかと思う。

大まかに一日の過ごし方を、朝の散歩で考えるのである。たまに連れ合いがいないと、思わぬ時間の過ごし方ができるし、これもまたお互いに有益であると考える。

これからの夫婦時間の過ごし方は、自律、独歩でありたい、と考える。掃除や不要なものの整理なども、このGWに少しでもやりたい。そして、ゆっくりと夜は昔の古い落ち着いたDVDなども見たいと思う。

午後は、母との二人時間を過ごす予定である。とりたてて何の変哲もない、普段通りのGWである。ちょっと気障ですが、日々是GWのように過ごせれば、ありがたき幸せというほかはない。


2019-04-26

第二回目の音読輪読会【十二夜】月明後日に迫る朝に想う。

妻が今日から孫のノア君に会いにゆくので、今夜から私は4日間一人である。本当は私も上京したかったのだが、28日が第二回目のシェイクスピア音読・輪読会なので、あれもこれもは、できない道理である。

ひょんなことから思いついた音読輪読会、シェイクスピア遊声塾とは、またまったく異なるスタンスで臨めるので、ささやかに嬉しい。先のことは考えず、夏と冬は休んで、可能なら、毎月一作品を(長くて完読がかなわない作品もあると思うが )当日出会えた方々と、一期一会時間を過ごしたいと考えている。

さて、第二回目の輪読会は、【十二夜】 私にとっては思い出深い作品、当時文学座の演出家であった出口典雄氏の演出で観たのが作品との出会い。

まだ大丈夫ご参加ください
二十歳過ぎのころ、当時来日していた、RSC(ロイヤルシェイクスピアカンパニー)ジョン・バートン演出の十二夜もたまたま見ることができたし、いずれにせよ私にとっては思い入れが強い作品である。

半世紀前の観劇体験を、いまだによく、部分的に場面場面や役者の演技が脳裏に焼き付いているのを、はっきり記憶している。幸福感の記憶、ありがたいというほかない。

いずれにしても第二回目が目前、第3回目は6月2日ロミオとジュリエット、と数日前に決めた、まだチラシもできていないのに。

第一回目の参加者は私も含めて、8名であったが、第二回目の明後日28日もほとんど宣伝もしていないが、前回くらい(連続して参加される方が3名いる)にはなりそうである。

15名くらいが限界なので、回を重ねてゆく中で、毎回の持続的参加者が増えてゆけばとの、淡い望みがあるが、多くを望まず、思わぬかたとの出会いがあるやもしれぬし、すでに私にとっての大事な方たち、Nさんや、Tさんが連続して参加されるし、すでに半分以上音読輪読会を始めた願いはかなっているのである。

何よりも、私自身がこのようなアクションを起こすことで、より深く日本語によるシェイクスピア作品を学びたいのである。

一期一会の玉響、輪になって音読しながら、螺旋状にシェイクスピア作品の山に、よじ登りたいのである。



2019-04-25

時折ぽっかり空いた時間、【池田晶子不滅の哲学 若松英輔著】を4章まで読み、おもう。

スリランカかのテロ他、あらゆる事故、事件等に関する報道や、日々刻々流される多様なメディアに関して、五十鈴川だよりで触れるのは、なんとも歳と共に気持ちが動かなくなってきた。

が、個人的には可能な範囲で、世界の動きや、世の中の推移、時代の空気感には、耳を澄ませたいという気持ちは、いまだ持ち合わせている。

だから 、近い将来短くてもいいから、動けるうちに、久しぶりに海外の風に当たりたいと思い始めている。あまりにも初老生活ばかりに耽溺してしまうと、ちょっとあまりにもまずいのでは、との懐疑の念が、絶対矛盾的にわが内なる何かが求めるのである。

自分とは何かという、根本問題は置いといて、自分を異国に運びどこか遠くから(至難のことながら)、自分はどこから来て、どこに向かってゆくのかという永遠の命題を、懐疑的に思考する時間を持たないと、まずいのではないかとの思いが、身体の隅でうごめくのである。

ところで、以前に比したら驚くくらいに、家での一人の 時間が増え、それが苦にならなくい。疲れたら近所を散歩して、また一人の時間を過ごす。

まったくこのような生活が我が身に起こるとは、、、。最近寄る年波か、いい意味でライフスタイルがシンプルになり、より真面目に物事に向かい合うようになってきた気がする。(このようなことを書くのは気恥ずかしいが)

読む本も、ずいぶんと真面目なものを手にするようになってきた。昔だったら難解で、ずぼらな私の性格では到底読むことがかなわなかったような本を読むことが増えてきた。
この本を読めばシェイクスピアのコトバにより深く寄り添える

池田晶子さんの本もそうだ。わが本棚に 何冊か彼女の本があるのだが、その彼女のことに関しての評論、【池田晶子 不滅の哲学 若松英輔・著】という本を今読んでいる。

ささやかに本を読み続けてきて、今ようやくにして このような本がしみてくるように読める。全11章の4章を読み終えたところだが、池田さんと石牟礼道子さんに共通するものに、若松英輔氏が触れている個所があって、驚いた。

すぐれた本は、未知の奥深い目に見えない世界を、コトバで可視化する。見るということについての、すぐれた考察が、先人たちのコトバによる深い洞察、思索がひも解いて語られ、文字で書かれる 。

ぐいぐい引き込まれる。言葉に出会い、コトバの奥深さに蒙が開かれる。読書する行為とは、いかなることなのか、が提示される。

GWの後半、数日ふるさとに帰省する。がらにそぐわないことは承知しながら、本を友に、初老思索、叡智の 時間を過ごしたい。



2019-04-24

雨の朝、五十鈴川だよりは静かに流れる。

雨、つまり一日フリーである。夜は遊声塾のレッスン、それに向けて一日を大事に過ごそう。平均すれば、午前中のアルバイトが週に四五かい、午後はフリー。去年の夏の終わりからこのようなペースでの今の暮らしが、穏やかに流れている。

とにかく、蒼穹(曇りの時も)の空の下、身体をトレーニングのように、かなり意識して動かしているせいもあるが、アルバイトをしていなかったときよりもはるかに調子がいい。そして、実によく眠れる。

年齢が経るにしたがって、肉体労働というものが やがてはできなくなるのかもしれないが、今のところ有難いことに、苦も無くこなせる体が未だある我が身が有難い。

中世夢が原で働いていた(22年間の多岐にわたる肉体労働のおかげである)時から今に至るも、早寝早起きのわたしであるが、還暦を過ぎてからは、いよいよもって早起きになってきた。休日の午前中は初老男子の私には至福の時間であるが、これを味わえるのも、短いとはいえ働いているからである。

目から鱗が落ちる対談、読書の醍醐味。
18歳から世の中に出て、夢を追いかけながら、軸足は地面を踏みしめ、働きながら何とか生き延びてきた私、やはり半世紀使ってきたわが体は、働くということが好きなのである 。(と今更ながら改めて自覚する)

そして想うのだ。生きているということは、本を読もうが、文章を書こうが、何よしようとも、心と体が連動して、つまりは動くことなのである。その動く躰を研ぎ澄ます、そのための方図として、血のめぐり代謝の循環を良くするために、読み書き、観察、思考、思索するのである。
 
よく働き、よく学び。そして時折旅に我が身を解放し、遊ぶ。これが目下の私の初老生活である。

日々新たな未知の老いの領域を、情熱の湧くことを継続持続 しながら、移り変わっていく自分を、五十鈴川だよりを書きながら反芻し、見つめてゆけたらと願うのである。



2019-04-21

母と妻とジャガイモを植え、そして思う。

 昨日も書いたが、4月1日から時間を見つけて筆写に勤しんでいたロミオとジュリエットの全幕筆写、予定より10かも早く昨日の夕方終えた。

とくに4幕5幕は 、自分が音読するところはすでに筆写を終えていたし、ロミオやジュリエット、またロレンス神父、乳母などの長いセリフの筆写も終えていたので、この速さで終えることができた。

久しくこんなに文字を(ボールペンだが)書いたことがなかったので、右肩の背中が少々凝ったのでお風呂に入ったのち、我流体操で背中をもみもみした。おかげですっきり目覚め、おかげさまで今日も何やら快調で、五十鈴川だよりが書ける嬉しき日曜日の朝である。

妻は休日は朝が遅いので、私は安心して五十鈴川だよりで心身のバランスを整えることができる。日々是好日的な、書けることが思い浮かぶ、書ける範囲での安心わがまま 雑記日録、五十鈴川だより。

あるがまま、流れるままに流れよ、という わが部屋、方丈の静かな空間で、つれづれの湧き出流、文の流れに身を任せるいっときが、初老男のささやかなる楽しみである。

五十鈴川だよりを書くことを思いついてから、8年目に入っている。時代の変容、また家族の変容、時と共に万物が変容する。私自身、身も心も随分なる変容、移り変わりを自覚しながら、日々を生きている。(生きるしかない)
私はこの方の生き方が大好きである(この方も私のお手本)

ところで、昨日妻と母と私の3人で、私がアルバイトをしているさきの、小さな空き地にジャガイモを植えた。(今日は枝豆を植える予定)時期としては遅いのだが、自由に使っていいとの承諾が得られたので、勉強のつもりで。

家から近いし時間を見つけて耕し、すでに肥料もまいて土づくりを済ませていたのである。

もちろん、先生はわが母である。5月母は86歳になる。いまだ短時間だが、鍬を持ち畝をきることができるくらい元気である。元気でひとり暮らしを持続しているだけでも、見上げた存在である。原始から女性は強靭である。(それに対して男の存在の弱さ、私のことです)

母の指導の下、私は体を動かす。母は言う、母の家の菜園場は、いずれあなたたちがやりなさいと。私は母の言葉に素直に従い、老いの行く末、母を指南としたいと考えている。

母は家族の役に立つことに生きがいを見出している。このような存在が手の届くところにいるおかげで、有形無形私は感じ言って、影響を歳を経るに受けている。

身近な異性である母からの影響は大きい。母のように日々を生きられれば、何と穏やかになれることか。このところ毎週末、昼食は3人で我が家のご神木の八朔の木の下、外でいただいている。

労働の後の、最初のビールを一口飲みほしたのちのははの笑顔は、まるで菩薩である。いよいよ母なる菩薩との時間を、妻と共に大事に過ごしたいと 念じる私である。

2019-04-20

真夜中の月を眺めて、五十鈴川だより。

一週間ぶりの五十鈴川だより。このような時間帯に起きていることは珍しい。だが目が覚め、月のあまりの明るさに外に出てしばし思わず眺めてしまった。
養老先生の本は難しくても面白い、繰り返し読む。

夕方雲が多く月の出を 眺めることができなかったので、満月は月に一度しか拝めないので、平成最後の月の見納めをした後の五十鈴川だより、それも真夜中の。

このところ、五十鈴川だよりを書く時間を、ロミオとジュリエットの筆写時間に充てていたので、このようなことになったが、今の私の一日の時間の過ごし方では、これも止むなきことである。 (とにかく無理をしなくなった、疲れたら寝る)

何度もかいているが、一日の時間は決まっている。この年齢になると余計にしみてくるのだが、あれもこれもはやれない、できない私である。去年のリア王から長いセリフを書き写すことを始めたことはすでに書いたし、今年もロミオとジュリエットのいろんな登場人物の長いセリフをすでに小さなノートに筆写(その部分は割愛した)していたので、思ったより早く筆写が進み、すでに5幕に入ったので、この調子ではこの数日で全幕筆写が済みそうである。

これまでの自分の人生時間を振り返るとき、生き急ぐかのように動いて何かを為そうというような、いわば貧乏性の 性癖傾向が多分に(いまだにあるが)ある我が身を自覚しているが、寄る年波の中で静かに自分と向かい合う時間を、ことのほか大事にするようになってきた。

そのことに関しては、いろんな要因が複雑に絡み合って、思い付いたのであるから、ロミオとジュリエットの全幕筆写は、静謐な時間の過ごし方として、私に落ち着きの一時を与えてくれるし、何よりも作品の言葉をより丁寧に熟読できる。(ことをあらためて実感している)

一郎選手がおっしゃっていたが、一番の近道は遠回りすることだと。何をせくことがあろう、この年齢なのである、その中で日々を努めて自分の好きなこと、情熱が湧いてくることに時間をさけるということに、自然でありたいと思うのである。

時間がかかっても、丁寧に物事に向かい合うということの大事をこの歳になり(もっと早く気付くべきであったと思うくらい)一段と思う。

筆写が済んだら、いよいよ6月の発表会まで、時間の許す中で、登場人物のセリフを集中して、反復声出し稽古をするのみである。

このところ最高の時節、朝夕のどちらか往復歩く時間も入れ、運動公園で週に四五かい最低 一時間の声出しを四月から始めている。

暖かくなったので、運動公園についたら裸足になり、つま先で地面を踏みしめながら声を出すのが私流である。裸足は本当に気持ちがいい。裸足の青春ならぬ、老春である。


2019-04-13

GW、帰郷したらお会いしたい旨、日高ご夫妻のE子さんに電話しました。そして思う。

もう2週間も過ぎればGWである。わが家族もそれぞれのGWを過ごす。それでいいと思う、それが現代である。私はであるが、やはり私の場合はわが故郷へのお墓参りを兼ねた、帰郷旅である。

2月に帰郷した際に訪ねた、ご先祖のルーツの地で思わず出会えた同姓の日高ご夫妻のことは、何度も五十鈴川だよりにその後書いているので、五十鈴川だよりを読んでおられる方はご存じかと思う。

私の生まれた家(いまはアパートが建つ)から、私が泳ぎを覚えた五十鈴川まで歩いていない2キロくらい、あの暑い小学生低学年、多分2年生か3年生のころ、往復兄たちと歩いて泳ぎに行き、兄たちは深いところで、私は足の届く浅いところで、繰り返し犬かきの訓練、やがて平泳ぎ、クロールと誰にも教わらず、見よう見まねで独学した。(この時の体験が独立独歩的な精神的な何かを植え付けたのかもしれない)

その五十鈴川上流、25キロくらいのところにわがご先祖の地があり、日高ご夫妻はまさに五十鈴川のすぐそばに家がある。

2月の帰省の最後の日、どうしてもご先祖の地をさすらいたく、いまだ血が騒いだ私は、姉夫婦と訪ねたのだが、老齢に入った我が身なれど、あの夜の出来事ならぬ、【あの昼の出来事】は、けっして忘れることはない。オ-バーではなく先輩ご夫妻の、つつましやかな、足るを知る者は富む、暮らしぶりは、深く私の胸を撃ったのである。

父が少年期を過ごした、宇納間の同郷の地にかくも豊かに、きちんと生活しておられる方に出遭えたこと。父があの世から、老いゆく私を導かせたのではないかと、想えるのである。
ふるさとが生んだ若山牧水帰省旅でゆっくりと読みたい。

これからのいよいよの晩節時間をどのように生きてゆくのかを考えてゆくときに、大きなエポックになるやもしれぬといった あの日の出来事、そういうことで、ラインでいきなり日高E子さんに(私より先輩)帰郷したら再びお会いしたい旨の電話を昨日いれたのである。

一度しかお会いしたことがないにもかかわらず、会話が途切れず、E子さんの懐かしい宇納間弁がわが耳に響き渡った。故郷は遠きにありて思うものというが、初老男のノスタルジーと笑われようが、少年は荒野を目指し、初老私は故郷を目指すのである。

それもこれも、故郷で快く私を受け入れてくれる、姉や兄たちが元気に存在してくれるからである。兄たち夫婦や姉夫婦のおかげで、娘たちも成長期の折々何度も五十鈴川で泳いだ思い出もできた。(これからは望晃くんを連れて帰りたい)

言葉では言い尽くせない、老いの身の情熱は、いまだ原点帰りの帰郷旅に私をいざなう。だがそれは単なる回帰旅ではなく、普段の西大寺での日々の暮らしを、よりよく 生きるためのエネルギーとなって、初老男の今を導くのである。

心からくつろげる場所と人が現世に在るということ、たまにだからいいのである。日常と非日常の往還の加減按配、帰省旅は私にとってはたまさかの夢のような小さなお祭り、なのである。

2019-04-10

ロミオとジュリエット二幕まで書き写した朝に想う。

雨である、したがって午前中が自由に使える。何事も加減、今日は夜レッスンがあるのでよく休んで万全の体調で望める。

さて、五十鈴川だよりを書くのも控えて(というとオーバーだが)、ロミオとジュリエットの筆写に時間を見つけては勤しんでいたら、先ほど二幕までが終わってしまった。

2ヶ月くらいをめどに考えていたのだが、このペースではGWに入るまで迄には済みそうな按配である。読み書きというが、現代人である私は本当に文字を書かなくなって久しい。

写経をする方も多い、私はシェイクスピア作品を書き写すということが、新たな愉しみの一つになるやもしれぬというくらいに、今のとこいい感じでやれている。

今の時代の空気感の中で、このようなことに情熱を注いでいる自分が何やら可笑しくもあるが、ロミオとジュリエットの発表会を終えるまでは、意識の集中度を高めてゆくための、たまたま思いついた一つの方法にすがりたい。

要はどのようにロミオとジュリエットという、自分にとっては大きな山に塾生と共によじ登ってゆくのか。私の場合はせっかちをいさめるためには、ゆっくりと書き写しながら声に出し、書き終えたあとは、繰り返し登場人物の声を出し、自分の体になじませてゆく(ほかにこれといった方法がない)。

修養というといまどき、言葉がアナクロ的な響きを持つが 、私にとっては久しく忘れていた、新しい感覚が蘇ってくるかのような感じで、書いていると実に気持ちが穏やかになってくるのである。

それに、読んでいるのとはまた違った感覚が、研ぎ澄まされてきて、言葉が体の中で何度もリフレインし、まるで初めて読んでいるかのような新鮮な感覚に襲われたりして、ゆっくりと書きながら遅々と読み進むことの大事を、思い知らされるのである。

ゆっくりゆく者は、遠くまでゆくとの言にすがって、何はともあれ全幕書き写したい。 論より証拠、何かをしていたらほかのことはできない。自分にとっての大事な時間を、まるで引きこもるかのように初老の私時間は、穏やかに過ぎてゆく。(まるでお金は不要である)

よもやまさか、このような時間がわが人生に訪れるとは 、今しばらく未知との遭遇をと念じる、私である。

2019-04-07

ロミオとジュリエットを書き写すことにしました。

四月に入り、私の頭は一気に6月22日(土曜)のシェイクスピア遊声塾の、ロミオとジュリエットの発表会に向けて動き始めた。

私も含め7名で、私の人生を変えたといってもいい作品、ロミオとジュリエットを音読する。私は大公、ジュリエットの父、ロミオの敵役の思春期のティボルト、ピーター、小姓、などを音読朗誦する。(ちょっと大変であるが、楽しもうと思っている)

塾生も色んな役を音読する。だが、私の思い入れの深い作品である、ロミオとジュリエット だけは二人の塾生(男女)に一役だけ音読してもらう。主役・思春期の二人を音読するには大変なエネルギーを要するからである。

純粋極まる、死に向かって疾走する若き二人のエネルギーは半端ではない。出逢ってわずか4日間で生命を燃焼しつくす二人。何回音読しても、ロミオとジュリエットの初々しいというしかない台詞、言葉の響きは、いまだ私の心を魅了する。

また魅了されなかったら、シェイクスピア遊声塾は持続できない。シェイクスピアが創造した、魅力極まる多くの作品の人物像を、この6年間音読に挑み続けて倦まないのは、音読することで、役の人物から、私自身がエネルギーをもらっているからだと思える。

いずれにせよ、何度もかいているが、私自身の日々の暮らしの中にしかない現世を、シェイクスピア作品を音読することで、オーバーに言えばすがって、繰り返し新鮮に現世を生きなおしているかのようなのである。
亡き父の硯を使って墨をすり書く、古い筆も捨てられない。

そこで、昨年のリア王から部分的には始めたのだが、今年からもう一歩深く読み込むために、作品を丸ごと全部、書き写すことにしたのである。数か月かけて歩くように、修養という意味も込めて、四月一日から始めている。

今日で一週間になる。だんだん面白くなってきつつある。月に一度は必ず筆でも(筆ペンではない)書く時間を 設けている。

世はAI時代である(クローン人間も生まれそう)、なにもかにもが速きことが善であるかのような時代の趨勢の中、私は老いてゆく中でこそ、ゆっくりとゆく、ゆっくりとしかできないことの中に、老いの幸徳のようなものが、見つかるやもしれぬとの淡き望みを持つのである。

デジタルITにはとんと不向きな体質であるが、幸い手間暇かかることは、ゆっくりと好きになりつつある。以前のわたしとはまるで違ってきつつある。人間は変化する。そして自分の体が素直に喜ぶことにこそ、残り火の情熱を傾けたいと願うのである。

人生の下り坂、注意深く落ち着いてロミオとジュリエットを書き写せる今こそが、私には有難き贅沢な時間なのである。


2019-04-06

平成の最後、五木寛之氏の新刊【作家のお仕事】を読み思う。

四月になって初めての五十鈴川だよりである。新年号が公になり、一郎選手が引退し、プロ野球が始まり、日本列島が桜列島と化し、メディアはとにもかくにも目新しい話題の映像垂れ流し、オンパレードである、が小生はそのような時代の片隅で、静かに春の到来をありがたく噛みしめ、浮世をそっと楽しんでいるといった風情である。

今日はお日柄もいいし、お昼を妻と母と3人で近所で 花見がてらする予定である。春の桜は、日本人の私の心をやはりどこか狂わせるに十分である。長い冬が去り、万物に穏やかな陽光が降り注ぎ、一気に森羅万象が噴き出すように精気を発するこの季節のダイナミックさは、たとえようもない。

ただただ、愛でその恩恵に感謝し甘受するだけである。さて、平成が去り令和の時代がやってくるが、元号が変わったくらいでは、今この現代に生きる様々な、困難、山積したあらゆる社会的な諸問題が、解決するなどは、つゆほども思えないが、束の間、春は万民に平和なお花見の一時を、あの世の昔から与えてくれる。

そのような日本列島に生まれしわが体の喜び、身体の底深くに 息づいている感覚に辛き浮世を忘れしばし酔うことにする。

私は故郷の北方の今は亡き、槇峰銅山があった美々地小学校に、父親の転勤で6年生の春移住、一年間だけいたことがあるのだが、その時住んだ地区が桜ヶ丘というところで、名前の通り桜一色だった。(いつの日にかこの時のおもいでは、きちんと書き残したい)

はじめて訪れた山間の春の炭鉱町は鮮烈な一年間の四季の記憶と共に、まだ時折私の心を鮮烈に揺さぶる。思春期の入口の少年期のおもいでは、桜ヶ丘と共に今も折によみがえる。今となっては、甘美な初老男のノスタルジー を彩る。記憶は美化される、でないと切なくやりきれない。やがて閉山と共に、交友たちはその後全国に散っていった。まるで桜の花のように。

話題を変える。平成の最後に差し掛かり、先日五木寛之氏の【作家のお仕事】 という最新刊の本を一気に読み終えた。

低い目線で物事を眺め考える
これまでにも何回か書いているが、氏は私より20歳年上、1932年のお生まれである。私は思春期から、氏のエッセイをよく読んできた。とくに高校を卒業してから、演劇の 勉強をしながらの、貧しい下宿生活の中で読んだ【風に吹かれて】や、【ゴキブリの歌】は繰り返しよく読んだ。

私が26歳で、英国自費留学から帰るとき、シベリア鉄道で帰ってきたのは氏の影響による。

ところで、作家のお仕事
と銘打たれたこの本は、氏にしかなしえぬ多岐にわたる取り組みが、半世紀にわたる氏の作家人生のエッセンスが、ぎっしりとコンパクトに詰まっている。

直木賞を受賞された後、歩んでこられた、姿勢、取組み、信条、矜持、思想がぶれることなく今現在も続いていることが、つづられている。

氏は、今もタブロイド版の夕刊現代に【流されゆく日々】という連載を40年にわたって連載している。驚異的というほかない。

高校3年生の時、直木賞受賞作家の五木寛之氏の講演会を日向市で聴いた記憶が鮮烈である。カッコよかった。あれからおおよそ半世紀。氏は今もカッコイイ。

九州男児の大先輩、少年期の過酷というしかない引揚体験、引き上げ後の極貧生活、大学に入学はしたものの引き続いての極貧生活、社会の底辺をはいずり回りながら、絶望を生き抜いてゆくしたたかさ。そして、五木寛之という作家が誕生する。時代が作家を生み、作家は移ろいゆく時代を見据える。

40代にはいり休筆、大学に入り仏教を勉強される。壮絶というしかない中で、人間を今も見つめ続けるその好奇心の考える葦の強靭さ、敬服のほかはない。あくまで深刻さの中にあっても、どこかかろやかである。

大先輩にどこかあやかり学びながら、令和の時代を底辺から眺めてゆきたく思う私である。