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2018-01-30

マイコプラズマ肺炎以来、インフルエンザに罹りました。

2週連続の上京後、私はダウンした。振り返ると当たり前だと思えるほどに、年明け早々忙しく動いていた。(上京して本当に良かったです、悔いなし)

渦中にいるときはわからなくても、身体は正直である。月曜日(22日)夜から発熱。翌日妻の勧めで、めったに医者に行かない私が、渋々お医者さんの診断を受けると、インフルエンザB型と判明。即五日間の安静を言い渡された。

栄養を取り、ひたすら猫のようにじっとしていた。まる4日以上続いた熱もようやく下がり、おとといの日曜日あたりから外へも(散歩)もできるくらいに回復してきて、ようやっと五十鈴川だよりを書けるくらいには回復してきた。

やはり何はさておき、健康の有難さが沁みる。厳冬期、二階の部屋で朝の太陽の光を窓越しに浴びながら、一文をつづれることの、他愛もない有難さ。2週間ぶりくらいの五十鈴川だより。

ところで 、2年前の健康診断以外、私はこの5年以上、歯医者さん以外の病院にいっていない。本当に久しぶりにインフルエンザに罹ったのである。予防のワクチンすら打ったことがないのだから、我ながら呆れるが、自分の体のことは自分の体が反応し予兆があるとの、考えに基づいている。(倒れたら休むのだ)

私は病院が苦手だが、否定しているのではまったくない。これまでの人生でも何度も病院のお世話になっている。ただもうこの年齢になると、身体のあちらこちらに不便が生じてくるのは当然であるとの認識があって、あえてそのことには立ち向かわず、無理なく受け入れて老いてゆこうとの、我が判断がある。
昨日沖縄の友人夫妻にお手紙を書きました。アナログを愛する私です。

でも、絶対矛盾を生きる私、元気になるとまたもや、あれやこれやとやりたいこと、したいことが、湧いてくる。これはこれで得難くもあり難いことである。

もうすぐ私は66歳を迎えるが、これからは毎年初めて経験する年齢ゾーンを、これまでも書いてきたかと思うが、可能な限り新鮮に過ごすためには、どうしたらいいのかを発熱した体を持て余しながら、猫のようにじっと黙考した。

結果出した結論、本当にやりたいことのみを優先して、無理せず正直に生きてゆくということ、に尽きる。身体が喜ぶことを。そして天寿を受け入れる。

身体あっての物種、厳冬期の仕事は負担が大きい。よって辞することにした。だが暖かくなったら、なんでもいいのだが体を動かすことは、きっと私はやめないだろう。

生きている間は、動きたいし流れ続けるいすずがわでありたい。

2018-01-17

急きょ2週連続で上京することになりました。

年明け早々のこのところ何かと忙しく過ごしている、というのは先週に続いて週末一泊二日の上京を決めたからである。

このようなことは、この数十年の中では珍しい。先週は土取さんのイベント、今週は知り合って47年になる、先輩の佐々木梅治氏(たぶん72歳、劇団民芸所属)がかな手本忠臣蔵に出演するので 、見ておこうと思ったのだ。

佐々木梅治 先輩とは、私が18歳から貝谷芸術学院演劇科に3年間積していた時に、ずいぶんとお世話になった方である。二十歳までの3年間の苦悩の果てに、英国演劇自費留学を思いつくのだが、それまでの3年間密にお付き合いし、大きな影響を受けた。

その後着かず離れず、細い糸で結ばれいまも交友が持続している、数少ない私のお恥ずかしき青春時代を知る方である。年齢的にも遅咲きの花を咲かせて、持続的に氏らしい仕事をされているのを、きちんと見ておきたいのだ。

土取利行さんもそうだが、青春時代に大きな影響を受けた方が、ジャンルは異なっても、私との交友関係が継続し、案内が届くと、同時代の空気を呼吸しながら生きてきて、今なお深い問題意識を持続展開されていると、何はさておいてもかけつけたくなるのである。

ところで、両国はシアターXで行われた、【唖蝉坊演歌 とブラジル移民の歌】歌・演奏・トーク土取利行 松田美緒公演。出かけて本当に良かった。内容の濃さに、びっくり、最近の私は、静かに感動するようになった。

五十鈴川だよりで、内容を詳述している時間がないが、唖蝉坊のラッパ節が、ブラジル移民の歌として地の底を這うように 、当時の移民の方々に支持され歌われていたことを、松田美緒さんが、現地を訪ねて発見する。情熱は奇蹟を生む。松田さんはすぐ土取さんに電話を入れる。


添田唖蝉坊の歌を多くの方に知ってほしいです。

当時唖蝉坊の歌は、底辺社会でしか生きられない圧倒的多数の労働者に、国内外で歌詞が変えられ圧倒的に支持されていた、事実が知らされる。命の歌は生き続ける。

まさに隔世の感に、静かに座席にうずもれるかのような感じで、私は次々とうたわれてゆく、未知の歌とトークに、聞き入った。

当時の寄る辺なき庶民が、血と汗の労働に酷使、従事され、人間らしく、だが決して暗くはなくユーモアあふるる歌を、弱者に寄り添って作り続けた唖蝉坊という演歌のルーツの大天才を、掘り起こす土取利行さんと松田美緒さん。

今現在も、貧困家庭にあえぐ子供たちの報道がなされるが、このような状況に寄り添うような、歌い手の存在があるのかどうか(私はあまり知らない)。

ともあれ、強者になびきがちなのが世の習いながら、弱者の声なき声を、救い上げるような、強靭でしなやかな 音楽家土取利行さんと松田美緒さんのお仕事から、私は目が離せない。

2018-01-15

土曜日の朝書いた五十鈴川だよりを月曜日の朝アップします。

添田唖蝉坊・演歌とブラジル移民の歌を聴きに、急きょ両国まで上京することにした。一泊二日、ちょっと迷ったのだが、ともかく出発までわずかしか時間がないのだが、短い朝ブログではあれ記すことにした。

両国のシアターXで定期的に、ほとんど知られていない演歌のルーツである添田唖蝉坊の 歌を掘り起こして、瞠目に値するというしかない、稀有な多岐にわたる、真の意味においての芸術家、音楽家(とてもカテゴライズできない)としての稀有な仕事を継続している土取利行さんから新年早々の案内が届いた。

のみのジャンプ、何はともあれ土取さんのやられていることに関しては、私はよほどのことがない限り、駆けつけるようにしている。


長年にわたって、もう何度も土取さんとのことに関しては、五十鈴川だよりで書いているので、割愛させていただくが、誰もがやらない、またはやれない未知の、前人未踏の世界を探究し続け、こうやっておりおりそのお仕事の達成を披露されるその純粋さに私は敬服する。

ここまで書いて、もうほかには書くことはあまり浮かばないのだが、ギリギリのところで踏ん張っての年齢を超越するかのような若々しさに、氏のお仕事に、年明け早々ではあるし、 あやかりたいのである。

そのエネルギーで、私も今年を乗り切りたいのである。私自身、これほどまでに入れ込めるアーティストに、わが人生で出遭えたことに、かえすがえすも芸術の神に感謝するほかはない。

ときおり、日常から非日常にジャンプするしなやかな精神の自由時間を五十鈴川だよりを書くものとして、なくしたくはないと、流されやすい私は、自分を叱咤激励する。






2018-01-10

今年から、書斎で自由時間を過ごすことにしました。

1月10日、今夜からシェイクスピア遊声塾のレッスンが始まる。昨年は毎週リア王を読み続け、今年もまだ未定ではあるが、発表会までリア王を読み続けることになる。

発表会では私がリアを読むことになるので、80歳にしてなお過激なリアの内面の、過剰な心理的な襞に少しでも迫るべく、水曜日は私なりにスイッチを切り替えてリアに迫りたいと思っている。

それにしても、リア王という作品は、多面的な人間の不条理というしかない存在、空恐ろしき作品であるとの認識が深まる。言葉の劇詩人シェイクスピアの最高傑作といわれるゆえんが繰り返し声を出して読むと一段とわかる。

とても400年前に書かれた作品とは思えぬほどに、現代にも十分に光り輝く作品に思える。ともあれ声が出るうちに、リアの老いの身に突ぜん起こったあまりの劇的変化の苦悩を少しでも表現したく、テキストを繰り返し読むしか私には方法がない。

さて、話題を変えて私が本好きになったのは、20代の半ばを過ぎるころからで、それまでは本当に本を読む時間が少ない暮らしで(生活に追われて)どちらかといえばあまり本好きとは言えなかった(時代に流されていた)のだが、本格的に本を読み始めたのは、手放せなくなったのは、40歳からの西大寺から新倉敷の往復通勤時間、そして中世夢が原を退職してからだろうと思う。

今年最初に書店でたまたま買った本
最近は、本が本を呼ぶというような感じで、年明けからいい本に巡り合っている、健康に本が読めることの有難さが沁みる。五十鈴川だよりを書き始めてから、私が読んだ本を随分アップしたが、今年も折々アップしたいと思っている。

本は思考力の糧、古典、今日出版された本問わず、有限なる人生を、限りなく豊かにしてくれる唯一確実に確かな ものが本である。

ということで、長いことあまり立ち入らなかった書斎を、昨年暮れから居心地よくすべくいろんな過去のもろもろと決別、処分、どうしても捨てられないものだけを遺したら、かなりすっきりとして、今年から五十鈴川だよりもこの書斎で書いている。

一生活 者の書斎であるが、ささやかにこれまでの人生で出会ってきた本が、思い出が詰まった、今後自由時間の大部を過ごすことになるであろう部屋を、居心地よくするためにも、この部屋での過ごし方を(家での時間を)大事にしたいと考えている。





2018-01-04

K氏のご冥福を心から祈り、あっけない死を悼む。

今日でお正月のお休みは終わり、娘とレイさんも帰京する。次女は今日から仕事、私も明日からは通常の生活スタイルに戻る。

さて、今年はどのような年になるのかを、昨日も書いたが、五十鈴川だよりを書きながら自問自答を繰り返しながら、一日一日を可能な限り大切に過ごしてゆきたいと願うばかりである。

ささやかに、今年の目標を立てたが、実現するかしないかは、いかようにも自分の心かけ次第である、少しでも精進したいと思っている。

さて昨年の暮れ、富良野塾時代、取材に来られたのが奇縁で、以来30年以上、兄貴のように心の片隅で、慕っていた札幌在住のKさんが、お亡くなりになっていたとのお知らせと、お手紙を奥様からいただいた。

私自身子供たちが手を離れ、これからいよいよ晩年時間を語り合いたい、数少ない年上の友人として大切に交友関係を持続したいと思っていた方だったので、いまも氏があっけなくゆかれたことが、心残り、残念無無念
である。青春時代ほかにやりたいことが見つけられず、演劇に入れ込んだ 私だが、振り返り演劇を学んで一番よかったことは、死について、必然的にいくばくか足りない頭で考える機会を持てたことである。

死について考えたり、生きてゆくことについて、いくばくか 自覚的に日々のかけがえのなさを、感じることがなければ、とてもではないが五十鈴川だよりを書き続けることは、私には不可能である。

K氏の不在について考える。多くを語らない、氏の優しいほほえみと声が私の中に今もはっきりと残っている。いまはこの世では不在だが、父も母も義父も、私の頭の中では繰り返し今も存在している。

私が消滅したら、おそらく私が出会った死者たちも、消滅するのかもしれないが、K氏は今も私の中では生き続けている。

お正月早々だが、生と死、五十鈴がだよりを書くものとして自覚的であり
初めてレイ君のおかげでスマホからアップできました
たい。無念の中に生を終えられた方々の 数多の死者たちの側から、世界を考える自覚をより深めてゆきたいと、K氏の死は私を静かにさせる。

巡り合った大切な身近な死者たちと共に、これからの限られた人生をもっと大切に歩みたいと年頭に当たり祈念する。

2018-01-03

2018年、初めての五十鈴川だより

今年初めての五十鈴川だよりを書けることを嬉しく思います。何はともあれ健康で元気に、家族そろってお正月を今年も迎えることができています。有難いことです。
レイさん包丁を砥ぐのが得意です

本年も折々、五十鈴川だよりを、蛇行しながら書き続けることができますように、先ほど妻と二人で、三日目にして初日の出を眺めながら、お祈りしてきました。

今年もどうかよろしくと、五十鈴川だよりを読んでくださる方々に、この場を借りてお伝えいたします。

元旦は静かに家で過ごし、(駅伝を少しと、夜、世界の動向を考えるNHKの番組を見た)昨日はお墓参りに行き、その後は散歩に出かけたくらいで、終日家で 本を読んで過ごしました。

妻と娘たちと怜さんが台所であれやこれや、作ってくれる我が家料理の数々を、私はただただ頬張れる、果報者のお正月を有難く過ごしています。
娘婿レイさんが生地から作ってくれたピザ、サイコーでした

今日は午後から妻と散歩がてらどこかに出かける予定ですが、近年これほど落ち着いたお正月を過ごしている自分は初めてです。
これもレイさん作、ストーブの薪箱

これからの人生時間、いよいよ焦点を絞った暮らし方をしてゆくためにはどのようにしていったらいいのかを、昨年は考え続けた一年であったような気がします。

考え、行動し、可能な範囲で考えたことを実践する勇気を持ち続ける、そのようなことが私のような軟弱な精神の持ち主には、はなはだ難しいことではありますが、自分なりに続けてゆきたい、想っているお正月です。

ともあれ、年齢を十分に自覚しながら、動き、かつ読み、書き、凡人の生活綴り方を、なるべく生き生き新鮮につづれるように在りたいものです。そのためにはどのように厳しき時代を乗り越えたらいいのかを、自問自答し、自省する勇気を持ち続けたく思います。

【今年初めての五十鈴川だよりの写真3枚は、親ばか丸出しの私の写真です】