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2022-05-31

5月最後の思い付き朝の五十鈴川だより。

光を浴びる新玉ねぎ

 古希を迎えてもいまだに元気に働く意欲があり、フルタイムではなくても、動ける肉体労働者であることの嬉しさは、やはりこの年齢になってみないとわからないのではないかという気がする。昨年個人的に人生で初めての手術入院以後の私は、やはりどこか命をながらえることができた、一度あの世の手前までゆきそうになって、引き返してきた、引き返すことができたことで、その後お酒も飲まなくなったし、一言で言えば、まるでこれまでとは全く違う生き方に自然にシフトしてしてきている、とまあそのようなことを想う。

この年齢になって想うことは、自分はやはりあの両親のもとに生まれたから、このような人生をいま送っているのだ、という思いである。それは何度も打っているし、長きにわたってもし五十鈴川だよりを読んでおられるかたがいたら、理解していただけると想う。それは一言で言えば、慎ましく足るを知る生活を心がけ、他者に迷惑をかけず、しかし誇りをもって生きるということに尽きるるような気がする。

晩年生活五十鈴川だよりで打ちながら、つましく穏やかな暮らしが持続できているいまに、ただ感謝、ありがたというほか言葉がない、心身が健康であるからこその賜物である。静かに老夫婦時間を生きたあの両親のように、私もこれからの時間を送ることができれば、もう他にこともなしといった趣、風情である。だがその思いは、後ろ向きではなく前向きだからこそ、こうやって五十鈴川だよりを打ちたくなるのである。

父には囲碁を楽しむ仲間と時間があった。私には音読や企画をするという楽しみがある。俗に生き甲斐などと言うが、自分で自分を活性化、老いの深呼吸での深まりを、自在企画を確認するのである。

ところで私のバイト先には、ささやかに菜園場がある。このところ企画時間に忙殺され菜園場時間が極端に少なくなっていたのだが、先日わずかではあるが玉ねぎを収穫することができた。ただ植えただけなのに、それなりに十分に食べることができる実りをもたらしてくれた。土と向かい合い、ただ体を動かしささやかに収穫しいただく。スーパーで買うのとは決定的に異なる喜びである。我が両親も今はない生家で菜園生活晩年時間を過ごしながら、静かに暮らしていた。だんだんと私もそのようになってきた、のだ。

チャリティ演奏会を終え、再び私は土と向かい合う時間を取り戻している。トマトを植え、茄子3種類、トマト、オクラ、シシトウ等が根付いている。頭でっかちの企画者ではなく、というより、地に足がついた庶民企画者(これは仕事ではない)でありたく、体全部での企画を私は夢見る。そのためには体を動かし、体に聞くしか私には他に方法がないのである。

2022-05-30

姫路文学館でおこなわれている山風太郎展に昨日いってきました。そして想う。

昨日在来線で姫路の、姫路文学館で6月5日までやっている山田風太郎展にいってきた。久しぶりの電車での遠出9時前の赤穂線で相生経由で姫路に着き、駅からあの美しい姫路城のそばにある文学館にはバスで、着いたのは11時前だった。
初めて行ったのだがモダンなこじんまりとした文学館で、静かな住宅地のなかにあり、訪れている人もそんなにおらず静かにゆっくりと2時間近くたったまま展示物に見入りつつ、生い立ちから始まる一生を眼で追った。ちょっと疲れたが、いってよかった。実は全く私は山田風太郎の作品を読んだことがない、というかどちらかというとあまり小説が好きではなく、どちらかと言えばノンフィクションや評伝、自伝の類いをおもに読むことが好きであり、それも極端に好みが偏向していることを自覚している。 何故読んだこともないのに行く気になったのかは、図書館で克明に書かれた大分な著書、戦中派不戦日記を目にしていたからである。この展示会のことはたまたま新聞で知り、タイミングがよく姫路であれば日帰りで行けるので、いったのである。 結果は、いってよかったと心から思っている。また一人すごいとうなららせられてしまう小説家の存在を知った。一人の屹立する作家が出現するのには、生まれ落ちた時代と環境と出会いが、大きく左右するのだと言うことが、私のような無学な凡人にも府に落ちた展示会だった。 戦後ののんべんだらりとした世界しか知らない私には、なんとも形容できないほどに多岐にわたる膨大な作品を世に送り続けた一人の小説家のあまりにものすごさに、正直圧倒されてしまった。 そして改めて自分の無知蒙昧さを、深く知るはめにまたもやなったというわけである。それにしても一人の作家の想像力の破天荒さは比類がない。読んでもいないのに驚かされる。たぶんもう私には作品の多くを読む時間はないだろうが、戦中は不戦日記だけは折々読み続けたいとおもう。唯一無二、異端児、作品を産み出すことだけに人生を費やし、たった一人で想像力を駆使して人の世の摩訶不思議を作品かし続けて、生ききった山田風太郎の展覧会に行けて、ただよかった。その事を五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

2022-05-29

半藤一利氏の遺作、戦争についてを読み、五月晴れの朝に想う。

 本をじっくりと読む時間が減ってきているのは、本を読む体力が落ちているからか、さもなければ読むに値する本に自分がであっていないのではないかという気がして、久しぶりに、自分の部屋にある本ではなく、気分転換もかねて西大寺の図書館にいった。そこで半藤一利氏の遺作となられた、戦争について、という小さな本が目に入った。

戦争という言葉に、チャリティ演奏会を企画して、どこかで私はこれまでの自分とは異なる、新たな企画者として敏感になっている。何をやればいいのかということに関して、より自覚的に問題意識をもって取り組みたいというきもちが沸いてきているのだ。そのような折りに目に留まった本である。

桑江良健氏の沖縄の花

遺作のご本であり、昭和史の歴史探偵として有名な半藤氏のご本を、これまできちんと読んで来なかった自分をどこかで恥じるかのようなきもちがにわかにわいてきてページを捲り読み始めたら、止まらなくなり一気に読み終えた。詳細は割愛するが、自分の無知蒙昧を改めて知らされると同時に、頭では知っていても、体でその痛みの万分の一も理解し得ていない我が身の不甲斐なさに、忸怩たる思いにとらわれたのである。

だからこうやって五十鈴川だよりを打っているのだ。昨日の五十鈴川だよりもそうだが、齢90才のなられて病に付しながらも書かずにはいられない、死ねない執念が、この小さな本にはぎっしりとつまっている。またもや手元において起きたい本に出会ってしまった、のだ。

人は出会いたい人や、求めていた本などには出会うべくしてで会うというが、やはりで会うべきタイミングというものが、機が熟していないと出会えないのではないかという気がしてならない。機が熟していないと出会ってもなにも感じないで通りすぎてしまうのではないかという気がするのである。

そういう意味で、この間の10年ぶりの企画は、改めてこれからの私の企画者としての時間、何を企画すればいいのかという問題意識として、【戦争と平和について】私自身が考え続けることで、何を企画したらいいのか、出来るのかということが、よりくっきりと私のなかで明確になって来たように思えている。

思えばずっと無意識であれ、歴史に埋もれて発言することもなく、言葉を残すこともなく、無念の思いのなかにいまも成仏することなく、さ迷っている数多の死者たちの老若男女の魂の鎮魂を企画してきたのかも知れない、のだとも思える。否応なく運命的に自分の意思とは関係なく被害にあわれたり、【広島や長崎に落とされた人類初の原子爆弾はその最たるもの】ある日突然、戦場に駆り出されたり、あまりの貧しさに傭兵にならざるをえなかったりと、無数の理不尽な不条理にたいして。

長くなるので、今朝はこれ以上打たないが、半藤先生はお亡くなる直前奥さまに、中国の思想家墨子を読みなさいと言われ、2500年も前に戦争はいけないとすでに語っている、偉いだろうとおっしゃったそうである。打たれた。まさに分かりやすく染み入ってきた。

奥様のあとがき、編集しご本にされたお孫さんのあとがきも素晴らしい。ごく普通の庶民感覚で、いかに平凡な罪無き人々がかくも陰惨無慈悲極まる死の世界に放り込まれる人間世界の根源的愚を、繰り返さない人類の叡知を求めてやまない、でくの坊企画者で在りたい。

2022-05-28

五十鈴川だよりを打つことなくして企画は生まれない、五月晴れの朝に想う。

 五日も打っていないとずいぶん打っていない気がするが、私のなかでは五十鈴川だよりを打っている日も、打っていない日も同じ一日を生きているのには何ら代わりはない。ただ私ごとき拙ブログ(たまに最近読み返すのだが変換ミスが多い、ごめんなさい各自で補ってくださいね)を読んでくださっておられる方々には、申し訳ないとはどこかでかすかに思っている。

だが、誤解されてもいいのだが、五十鈴川だよりは、まずは自分の記録雑記的、わがままあるがまま、その日その日の体調気分、風まかせブログなので、その点は平にご容赦願うしかない。ただ打たない日はそれなりに充実して生活しているのだというふうに、理解していただくと嬉しい。

毎日のように打つ日も、打たない日も、それが私の五十鈴川だよりなのであるから。昨年手術したときには一月以上打てなかったし、(打てるわけがない)それが自然の流れなのであるから、仕方がないのだ。打ちたくなったらうち、打てないときは打たない、けせらせらーなのである。

だが毎度同じ念仏を唱えるかのような五十鈴川だよりではあれ、老いをみつめ命の輝きのようなものが、もしも我がうちなるからだに何も感じなくなったら、そのときは静かに打つのをやめるだろうが、あにはからんや我が体は未だどこかおき火が燃えているといった塩梅で静かに生活しながらこれからの暑い季節をなんとか乗りきり、いま学べることに一日の限られた時間を大事に生きているのだ。(ご安心あれ)

さて話を変える。今年の5月15日は沖縄が本土に復帰して50年ということで、新聞でしか読んでいないのだが、一人の日本人としてやはりどこか忸怩たるおもいにとらわれてしまった。この忸怩たる思いにとらわれるのはなぜかということについて、ちょっとだけ打つと、平均的な良識をお持ちの方ならお分かりの通り、あの狭い国土のなかに、日本を防御するという名目の米軍基地の7割が存在するというあまりの理不尽さに尽きる。

克明に新聞を読む学ぶ姿勢が企画を生む

沖縄は日本であるのに、その事の理不尽な琉球の歴史や現在の沖縄のおかれているいまも続く苦難の現代史に自分があまりに無関心であり、深く知ろうとしなかったことについて、この年になって、深く恥じ入る自分がいるのである。そしてそのことはこと沖縄だけに限らず世界各地で起きているあまりの理不尽さにも、結果的に通低しているのである。

在野の中期高齢者の(もう年齢は忘れる)一人の企画者として、先日ウクライナの一人の音楽家を企画して改めて思ったこと、教えられたことは、自分にやれることを信じて企画することの(謙虚に)大事さである。声なき数多の民衆の無念の思いに耳を済ませ、その声を伝えられる沖縄の言葉で言えば、唄(歌・詩)者や舞い踊る芸能者に出会いたい、のだ。

そのためには、学び動き考えるしかないのだ。私のような無学な企画者にできることがあるとすれば、自分の沸き上がる情熱の発露を信じて企画することぐらいしかできないのだ。五十鈴川だよりを打つことは考えること、これができないと企画は生まれない。

2022-05-22

井原市西江原在住の、漆器作り職人N氏を訪ねました。そして想う。

 昨日午後、井原市西江原町在住の、漆器作り一筋の知人N氏を、妻とI子さんと訪ねた。

I子さんとはウクライナのチャリティ演奏会を企画することで奇縁を得たNHK記者である。私の娘のような年齢の方で、彼女が私を夕方の時間帯の番組で取材し、オンエアーしてくださったときにお渡ししていた亡き父の文集を、郵送ではなくわざわざ我が家まで持参、届けてくださったので、そのまま西江原へ同行することになったのである。

私と妻のの宝となったN氏のお椀

世代を越えて、彼女は好奇心が旺盛なだけではなく、綿密に取材し、きちんと編集し伝えてくれる力が、若いのに備わっている。よりお近づきになれたら嬉しく思い、ほんとうに久方ぶりにN氏を訪ねる半日ドライブ旅に誘ったのである。二つ返事でOKしてくれたので、昼食を済ませ我々3人で、西江原に向かった。西江原山中最後ちょっと迷ったが、なんとか3時前に無事にN氏の工房のある住居についた。

さて、漆器作家であるN氏との出逢いの徒然を記せば、長きになるの割愛するが、今回のウクライナ支援のチャリティ演奏会を企画したことに、素早い反応、応援をしてくださったことにたいしてのお礼をかねて、拝顔にうかがったのである。分けても、私がカテリーナさんに岡山での演奏会の思い出に何かプレゼントしたく、N氏の作品を所望したところ、なんと,代金を受け取らず、カテリーナさんに気持ちよくプレゼントしてくださったのには、恐縮、なんとしても直接お礼をつたえたかったのだ。

結果、いま五十鈴川だよりをうちながら想うことは、出掛けてほんとうによかったという平凡な感懐である。はじめてお会いしたのは、中世夢が原でガンガン企画していた頃だから20数年前だと思うが、会ったことはあれど、長い時間話し込んだことはほとんどない方なのである。年齢も知らない。そのような方なのだが、奥さま共々私の企画には折々足を運んでくだる、ありがたきお人、私に言わせると遠いところからしっかりと、私の企画を見届け、即支援応援してくださる目利きの人なのである。

じっと動かず、漆器作り一筋の、一途極まる枯淡の花とでも言うしかない存在感を、醸し出す私の交遊関係では稀な人、こういう揺るがぬ人が、私の企画を応援してくれるのは、企画者冥利とでも言うしかないほどに、嬉しく在りがたいのである。

今回の半日久方再会旅に、妻とI子さんが同行してくれたことが、これまたありがたかった。特に若いI子さんを誘えたことが。歳月は流れ万物は移ろう、だがN氏のお顔は、風雪を樹木、漆と共に生き抜いてきた充実の清々しさに満ちていた。思いがけないお土産をいただいた。大切な家族と共に地に足のついた生活のなかから、氏が作られた漆塗りのお椀である。

身に余る一品、嬉しいという他に言葉がない。チャリティ演奏会を企画したご褒美と厚顔を省みず、私は有り難くちょうだいした。そして想う、このお椀のような無名声の企画を打たねばと、名も無き老いの花を刻まねばとのあらたな念いが湧いてきた。

2022-05-21

大相撲、今場所の佐田の海の相撲とインタビューには感動しました、そして想う。

 私は相撲が大好きである。オーバーではなく相撲には人生で大事なことがすべてあるのではないかという気がする。人間の、まさに根源的な強さや弱さや、あらゆる諸相が、おりおりの瞬時の攻防のなかにかいまみえる気がするからである。なんとも形容しようがないほどに厳しい勝負の世界のなかで力士たちはまさにしのぎを削る。

辛抱と愛こそが佐田の海の相撲だと思える。

すさまじいという他はない世界である。土表情ではまさに鬼の表情ではあるが土俵を降りるとまるで仏様ででもあるかのような柔和な表情に変わる。いつも不思議に思うのは番付が上がるに従って面構えがよくなってゆくことである。まさに地位が人を作るのだと、多々感じる。

よく心技体というが、そのすべてが整わないと強い相手には勝てないのである。相手に勝つ前に、自分を律して現在の自分にまず何が足りないのかを、素直に省みる力と補う努力を日々研鑽しながら生活しない限り、今の地位はすぐに他の力士に奪われてしまう、なんとも厳しい社会なのである。

これは他のスポーツや、人間社会生活のなかでも言えることなのかもしれないが、相撲には赤裸々に力士たちのおかれた厳しいというしかない心理状態が浮かび上がるきがするのだ。テレビというものが我が家にやって来て以来、おおよそ60年相撲を見続けている。

歳を重ねるにしたがって、一段と相撲の妙味を味わい深く感じられるようになってきた自分がいる。ありとあらゆる工夫をしながら小兵力士が、上位の強い相手に向かってゆく姿に時おり言い様のない感動を覚える。特に怪我をして番付が下がり、怪我を克服して再び活躍する姿など見ると、訳もわからず偉いと応援したくなるのだ。

土俵には本当に人生がつまっている。照ノ富士他私の好きな力士が最近多いので、どうしても食い入るように見てしまう。そしてその力士たちから無言のエールを勝手にいただく私なのである。今場所は残すところあと二日だが、3杯力士が4人並んでいて目が離せない。特に佐田の海35才である。昨日自身幕内で8年ぶり、2度目の10勝を35才にしてあげたという苦労人力士である。

度重なる怪我や、恵まれない体重差のなかで、へこたれることなく努力精進した結果が、今場所見事花開いている姿を、目の当たりにしている。長い不遇時代も必死で相撲をとっている姿を私は見続けてきたので、今場所の佐田の海はまるで別人ではないかと思えるほどである。先日勝ち越しのインタビューを聞いて心から感動した。

年齢の事を言われるが、相撲人生で今が一番体調がいいと。その上で長いこと相撲をとっているのだからその体験の積み重ね、今が一番強いと思っていると、答えたのである。私はその言葉に打たれた。今が一番と堂々と受け答えられる人生、他者に感動を伝えられる人間とは、才能のあるなしではなく、自分自身に与えられた唯一無二の体を磨いて、自分を信じて努力したからこそ今場所の素晴らしい活躍があるのだと、わかった。

相撲に迷いがなく、勝手も負けても清々しい。まさに邪心なく全身全霊で相撲をとっている。なかなかにはできない、だからこそ人の胸を打つのである。そして何よりも一番感動するのは相撲が好きだから、愛しているからこそ続けられて、花開いたということである。古希を迎えて相撲からおそわることはとても多い。体をはって生きている人間が私は好きである。その姿を見ることができて私は幸せである。

2022-05-20

親友のK氏、M子さんからコメントとお電話をいただきました。そして想う春の夕暮れ。

 なにかを打ちたくなる、自然に沸き上がる感覚が今だなくならない、消えない、というのが、私の場合の今をいきるありがたさである。外見はとうに枯れつつあるのではあるが、内面は今だ時に激しくもえさかるおき火が、風に吹かれて燃え光るかのような塩梅である。

先日知り合って45年になる親友K氏からDVDが届いて、視聴したありがたきコメントメールが送られてきた。また昨日はM子さん、これまた知り合って35年近くになる女性から、心のこもったお電話をいただいた。

他にもお葉書や、身に余るお電話をいただいているのだが、さきのお二人はやはり私にとっては特別な存在である。共に神奈川県在住、遠方の方である。このようなせちがらい時代になぜ交遊関係が持続し、縁が切れないのか謎である。最近私は達観している。続く人とは続き縁なき人とは切れるのである、と。全く利害がないし、K氏とM子さんに共通するのは、他者、弱者に対する限りない優しさである。

これまで何度も私が窮地に陥ったり、企画で迷ったりしたとき、迷わず背中をおしてくれた、得難い人達である。今回も3月9日、横浜でカテリーナさんとの約束が成った日に、たまたま二人とお会いすることができたのだが、二人は即その場で、支援してくれた。記さないが庶民には勇気のいる額である。わたしはDVDを見てもらいたい方がたくさんいるのだが、このふたりはその筆頭格なのである。

私は還暦を過ぎ、あらゆるしがらみを清算し、青春時代のやり残しに再びチャレンジ、シェイクスピアを音読することに耽溺、かなりの情熱時間を費やしていた。67才、その最中に起きたコロナパンデミック、69才コロナ渦中での個人的な手術体験入院、その後塾は閉じ、そうこうするうち、まさかのウクライナでロシア軍による侵略戦争が勃発した。戦争は今も続いている。

2月24日戦争が始まり、冷や水を頭からぶっかけられたかのような、ウクライナでのおぞましいという他には表し得ない、人間の悪魔的な蛮行が報じられなければ、10年ぶりに企画することはなかったであろう。何かしなければという思いが渦巻いていたときに、K氏からカテリーナさんの新聞記事が送られてきた、のだ、すぐに私は反応した。時にわたしは我を忘れて行動したり、何かせねばとのおもいに駆られる。感(じたら)動(く)するという根源的な感情にこの年齢で未だ突き動かされたのである。

この歳までなんとか生きてこられたのは、思春期から、感動すると、いてもたってもいられない感情が私を突き動かすのだ。なぜこうまで反応したのかは、いまだようとしてわからない、だがいいのだ、分析する趣味は私にはない。が事実として記録のDVDが残った、我が人生の宝である。


企画の発端を導いてくれた盟友K氏、そしてM子さんは当日会場には来られなかった。だから一番さきに届け能楽堂ホールでのライブを感じてもらいたかった。その方たちからのコメントと電話、ただただありがたく嬉しかった。

長くなった。今回の企画はきっと今後の私の人生を照らす羅針盤になる。今私は限りなく、でくの坊に憧れる。でくの坊在野の普通の企画者で在りたい。今回の企画を支えてくださった皆さんと共に、暗い時代に窓を開け新鮮な空気を体内に入れ、瞬間別世界にいるかのような、いきる元気がわいてくるような企画を産み出せるように努力したい。

PS 今日の写真は家の奥の方に咲いているつるばら。今我が家はもう終わったのもあるが、8種類くらいの薔薇が咲き乱れている。いずれも妻が丹精した薔薇。昨日五月生まれの次女のお誕生日プレゼントの前日を祝してクール便で香りを届けた。ほしいかたがいたら差し上げます。ご連絡ください。

2022-05-16

ウクライナにも春がやって来ているはず、美しい風景を私はみたいと想う朝。

 肉体労働に出掛ける前の朝である。夜明けが早くなっている私の好きな季節だがまだ夜は明けていない。もう何百回と打っているし、たぶんこれからも打つだろうが、昨日と今日は異なるのである。今日の夜明けは今日だけである。その事の限りない奇跡的事実を、私を含め多くの人間は忘れている。だが嬉しいことか悲しいことかはわからないが、一面人は忘れるからこそ、生きて行けるのではないかとも言える存在なのでは、とも最近は考える。

妻が活けてくれた我が家の薔薇

どのような悲惨なニュースを画面を通じて目にしても、見たくないと気の弱い私などは画面を閉じてしまう。だが絶対矛盾だと承知の上で打たせてもらうが、人間として忘れていいことと、忘れてはいけないことがあるのだということを、この年齢になって改めて痛感する私である。いささか遅きに失した感はあるが、これからは忘れてはいけないことを、謙虚に学ばないといけないと思っている。

人間としての節度、倫理というものがあるとしたら。人間としてやってはいけない行為があるとしたらそれをしっかりと考えておかねば、まずいとは思うものの、ウクライナから伝えられるニュースは、時おり常軌を逸したかのような陰惨な映像報道が流れる。実際の戦争とは筆舌に尽くしがたい蛮行の修羅場の連続なのであろうから、言葉をうしなう。真実は藪のなかである。

異邦の安全極まる国にいて、修羅場を生きざるを得ない人たちの事に思いを馳せることの、困難さを思いしる私だが、花咲き乱れる春は、我が家の庭先と同じようにウクライナのかの地にも訪れていると、想像したい。人間の蛮行の報道にどうしても終始してしまうが、きっとお花の咲き乱れる風景もウクライナの大地にはやって来ているはずである。

そのような人間の及ばない大自然の風景も時おりは伝えてくれる報道者に出会いたいものだ。一方的に断じる、ののしりあい的な報道にはいささかうんざりである。どちらの大義を聞いても、所詮戦争は人の殺しあいである。無垢の罪のない人たちが、ウクライナもロシアも苦しむ。特に子供たちや、お年寄り、からだの弱い人たちが。その事を五十鈴川だよりを打つものとして決して忘れたくない。人間は自然の一部でしかない。憎悪は破滅へと、人類の破滅へと向かうしかないのは、今の一歩間違えば核戦争の時代、子供でもわかるだろう。

だがその事を理解できない世界を牛耳る闇の支配者たちがが、きっとどこかにいるのではないかと、五十鈴川だよりを打つ、初老男は考えてしまうのである。人間がどんなに意義や大義や自説の正しさを説こうが、春が巡ってくるのを止めることはできないのである。

2022-05-15

あたかも梅雨であるかのような5月15日の朝に想う。

 わたしが生まれた小さな海沿いの町、門川町を流れているのが、2級河川の五十鈴川。この川で泳ぎを見よう見まねで自然習得、古希を迎えて今さらのように想うのは、私は人から習うことがあまり得意ではなく、独学独力で自分で考え自分なりのリズムで学んでゆくのが好きな子供であったのではないかと、今さらのように想うことがある。

今年も妻が丹精したつるばらが見事です

さて、往復車を運転し、(1200キロ)ふるさとで命の洗濯をして戻った翌日から、肉体労働バイトに復帰し、ずいぶん打っていなかった気がする五十鈴川だよりである。単細胞であれやこれやができない性格なので、チャリティ演奏会を企画し終えるまでは、その事が頭から離れることがなかったが、ようやくにして自分にとっての大きな荷物を下ろせたかのような安堵感と共に、普段の生活がもどってきつつある。

だが、10年ぶりの企画をおえることができた私は、企画をする前とは明らかに異なる自分をどこかに感じている。それが何に由来するのかはわからないが、大きな山に登る前と、登り終えたあとでは、どこかからだの感覚が以前とは異なる、とでもいうしかない。

そしていま、五十鈴川だよりをうちながら想うことは、これからしばらくは、ただただ静かに日々の生活を大切にしながら、ウクライナをはじめとする世界の困窮地で苦しみ生きるあまたの人々に思いを馳せる力を、蓄えたいとおもっている。

だからこれからは、日々の自分の生活を基底にしながら、自分の頭では理解が遠く及ばないようなことにも、思いを馳せる力や勇気を、五十鈴川だよりを打つことで、確認しながら日々を送りたいと改めて想う。

話を変える。チャリティ演奏会ライブの記念DVDが、Y氏のお陰で見事に完成し、故郷から戻ると、郵便受けに直接届けられていた。DVD一枚残し、我は消えゆく、とでもカッコつけたいほどに素晴らしい出来上がり。(この場を借りてY氏に深く感謝します)そのDVDを昨日半日かけて、当日演奏会に来られず、カンパしてくださった遠方在住の友人知人20名の方たちに、一筆入れて投函した。

企画しなかったら、これらの方々に短いとは言えお便りを書くことはなかったかもしれない。一人一人のお顔を思い浮かべせつ文を走り書きしたのだが、筆や万年筆で文字を書くのは、時間はかかるが楽しい。またひとつ老いゆく時間の楽しみを見つけられた、との嬉しき思いである。これまでの人生で出会うことができたかけがえのない方々に便りをかける喜び。

世代の近いかたがたが多いが、なかには随分世代が異なる若いかたもいる。私の人財産とでも言うしかない方々である。今回の古希の突然の企画は、一生お付き合いしたい方々がこんなにもいたのだということを、改めて私に思い知らせた。人間という存在の意外性、謎のような奥深さを。

地に足をつけて、ギリギリのところで踏ん張って、良心を見失っていない、極めて平凡全うな感覚を持った友人知人と、出会えたことの幸福を忘れず噛み締めながら、私はこれからの人生を生きてゆきたい。

2022-05-11

古希から歩き行脚、草取り行脚に励みながら五十鈴川だよりを打ちます。

 ちょっと真面目なことを考える時間が増えてきたのは、明らかに人生の残り時間が見えないにもせよ、物理的に減ってきているからに他ならない。じっと座って座禅を組んで考える方もおられるようだが、私はどちらかと言えば動きながら、何かしながら考える方である。

戦争体験がない世代として生まれたわたしである。未曾有の豊かな時代しか知らずに、なんとか古希まではいきることができたが、これから先もこれまでのような平和的な生活ができるなどとは、思えない。漠然たる不安は以前にもまして、このコロナ渦中に勃発したウクライナの長引く戦争で深まっている。

35キロ歩いてたどり着いた宇納間地蔵尊

だが、不安が増してきたからといって私の生活が変わることはほとんどない。還暦後にやってきたような暮らしを、これからはもっと大切にして生きてゆくだけである。もう十分に生きてきたのだから、これからはできるだけ、未来の人たちに迷惑をかけないような、シンプルなライフを、以前にもまして足るを知る生活を心かけるだけである。

こうも不安感を煽り、切り取られた編集映像の繰り返しを見せつけられると、人間は思考能力が麻痺してゆく気がして、私は極力映像よりも、信頼できるかたからの情報を、それもそんなには多くは入れないように努めている。

気が滅入る生活ではなく、気が上向く生活をこそ、それも普段昔の人たちがやっていたような、お金に頼らない生活をこそ、私はいよいよこれから心かけたいのである。そのためにやれることできることを、しっかりと考えた末に、なんとか見つけたのが、歩くことなのである。それと草取りである。

古希の今も月に120時間働いているが、このところ必ず少しずつ草取りに精を出している。草刈機の及ばない、どうしても手でやらないときれいにならないエリアの手強い、上に延びる草ではなく、地を這うように横に根をはる草に。今芝生の上に点在するクローバーを、農薬を使わず手で毎日時間を決めて抜いているのだが、ようやく最近少し楽しくなってきたのである。

毎日決まった時間、座禅を組むように、クローバーの根と格闘するのである。天ノ下で蟻のようにてを動かす。手先を常時使うので指先は土で汚れるが、洗うと血行の良くなった指がピンク色にかがやく。この歳になってこのような喜びを見つけるとは思いもしなかったが、歩くことと草取りは、なにか根源的な意味合いを私のなかにもたらしてくれそうな気配である。

世界の大変さを、ささやかにどこか心の片隅に留め置きながら、歩き行脚、草取り行脚しながら、精神の安定を図りたい。そして、あくまで人間のおぞましき蛮行にはノーの声をあげ続ける五十鈴川だよりでありたい。




2022-05-10

ふるさとのルーツ宇納間を訪ね。五十鈴川を遡り行脚、そして想う朝。

 4日夕刻、ふるさと門川の兄の家に着き、8日夕刻西大寺に無事に戻ってきました。3日夜に車でたって途中仮眠をとりながら、行きも帰りも島根を通り、山陽道を避けて交通量の少ない、そして景色のいい道を走った。

70代トリオで故郷の山を

車でのふるさと旅を妻が特に心配するので、古希を記念しこれが運転で帰る最後の旅になるかもしれないと思いながら。結果的には無事にふるさと旅を終えて、このように五十鈴川だよりを打てることが嬉しい。

さて、片道600キロを往復運転すると優に一日はつぶれるので、ふるさと滞在はまる3日間だったが、実に有意義な4泊5日の旅となった。さて、今回の旅で一番打っておきたい出来事がある。念願が叶い、兄の家からルーツである宇納間までおおよそ35キロ、五十鈴川の源流を遡行し、歩いた、歩くことができたことである。

5月7日、朝5時半に兄の家を出て、途中4回ほど朝食休憩等をとりながら、ひたすらのんびりと歩き、午後2時半宇納間地蔵尊にたどり着いた。9時間で成した個人的な我が快挙、あまり野暮なことは打ちたくはないのだが、チャリティ演奏会を無事に終えることができたことも含め、願いを込め歩を進めた。

山笑うという新緑のふるさとの山々を愛でながら、五十鈴川のせせらぎに耳を澄ましながら、過疎地の家々の庭先に咲き乱れる、アヤメやツツジ他のはなばなに癒されながら、ただただ歩いた。お正月明けからウォーキングを積んで来たからだろう、ほぼ予定通りの時間で完歩することができた。

この古希を記念(祈念)してのちょっと長い行脚は、おそらくこれから歩ける間は歩くという極めて単純ではあるが、老い路を照らす墓標のような無意味極まる営為になる事を確信した。その第一回目として五十鈴川だよりを遡って、ご先祖のルーツである宇納間まで歩くことができたことは、なんとしても五十鈴川だよりに打っておかなければ。感謝しかない。

心地よい達成感に包まれながら、人気のない宇納間地蔵尊で待っていると、兄が迎えに来てくれ、よく歩いたと労ってくれた。兄夫婦には歩くことを伝えていたが、姉夫婦には黙っていた。夜、宇納間まで歩いたことを伝えると、驚きあきれながら岡山へのお土産にと、ちらし寿司を作ってくれ、まるで亡き母の代わりのように細々とあれやこれやの生活に必要な食品を持たせてくれた。

五十鈴川だよりを打っているこの間も、ウクライナでのおぞましき蛮行は続いている。ウクライナだけではない、世界各地の民衆の尽きることのない苦しみ、痛み、悲しみ、慟哭の声はかすかにかすかに、私の老いた体に届く。耳を澄ませ、何かを思考しながら、このままでいいのかいけないのか、行脚したい。

2022-05-06

五十鈴川だより11年目、はじめてふるさとで五十鈴川だよりを打つ。

 3日の夜から門川、ふるさとに帰っている。生まれた町の五十鈴川だよりが流れている。五十鈴川だよりを書いてまる十年たち、11年目にはいっているが、ふるさとで打つ初めての五十鈴川だよりである。

我が心の五十鈴川

ふるさとの山に向かいて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかなで。昨日は姉兄と共に、ふるさとの私の好きな五十鈴川上流の原風景の残るエリアを、70歳代トリオで一日ドライブに費やし、もうなかなかにはできない思い出の日帰りトリップができた。

今日は朝から雨で静かに兄の家や、姉の家ですごし、一人午後からあめにけむる門川の海を散策、いま日向のマクドナルドで五十鈴川だよりを打っていると言うわけである。家以外で打つはじめての五十鈴川だより。何やら勝手が違うが、気のいい地元の若者が、てきぱきとWi-Fiを接続してくれたから、打てているのである。

取り立ててなにも打つことはないのだが、ただただふるさとのありがたさを感じているその事が打てればいいのである。チャリティ演奏会に忙殺していて疲れていた、古希の体をふるさとの海山川、そして老いたら姉や兄たちが、愚弟の帰りを暖かく迎えてくれている、そのことのありがたさが。

【なにゆえに・ふるさと恋し五十鈴川・訳もわからず訪ねゆく我】といったところか。理屈はいらないのである。ヒトは生まれたところの空気を一生忘れないのである。その点は全く鮭と変わらない、私である。

ところで、このような幸福感の灯る帰省旅は今後はますますできなくなるであろうが、今回はできたことの幸福をしっかりと打っておきたいのだ。やがてできなくなったときに、あのときの思い出がきっと夢幻のように思えたとしても、もう私はきっと後悔はしないだろう。

そのようなことを思いつつ打つ、今日のふるさと五十鈴川だよりである。今朝朝一番五十鈴川を眺めにいったのだが、わたしが小学生で泳ぎを覚えた五十鈴川はほとんど姿を変えずに流れていた。思わず私は静かに手を会わせなにかに祈った。

あまりの世界の大変さと、あまりの穏やかな静けさ、その対象性のあまりの理不尽的不条理に思いを馳せ、祈るより他になにも思いが浮かばなかった。やがては宇宙の法則が人類の行く末を決定する他はないのかもしれない。私にできることは祈ることくらいである。


2022-05-03

次女家族が日帰りで帰ってくる朝にお想う。

 今日は昨年7月に生まれた孫を伴って、次女家族が帰ってくる。ウクライナでの戦争勃発から、暫し頭がチャリティ演奏会で一杯だったのだが、それも無事終えることができ、残務処理もほぼ目処がたち、なにかスッキリとしたタイミングで、日帰りとはいえ嬉しい私である。

次女の旦那さんの実家は御隣の県の宝塚なので、わざわざ生後9ヶ月を過ぎた葉君の成長した姿をお披露目に来てくれるのである。二人の孫に恵まれ、二人の義理の息子に恵まれ、古希を過ぎたので、もうこれからは臆面もなく何でも書きたいのだが、そのようなことを打つのは、今だどこか野暮で恥ずかしいと言う感覚が私にはある。

世の中に出て不安定な人生を34才まで生きてきた私なので、よもやまさか二人の娘に恵まれ、親子4人での家族時間を体験し、今またこのような不確実した時代の最中、二人の孫に恵まれて、穏やかに日々の生活が遅れていることに、言い様のない平凡なありがたさを想うのである。

命の健康在っての、家族のありがたさである。そのことの深まりの実感は、やはりこれからも繰り返し打つだろうが、手術から生還し、再び身も心も健康を取り戻せたからだろう。決して忘れてはいけない、生きてゆく上での肝心な事を古希目前の手術で学べた幸運は、きっとこれからの未来時間を照らしてくれると確信する。

二人の孫の存在がなかったら、ウクライナの今も続く異常事態に、こんなにも熱く反応することはなかったかもしれない。平凡な一初老男の私だが、孫の存在は未来の人類の持続維持の平和の有り様をいやでも考えさせずにはおかない。お陰さまで古希を迎えることができた私は、孫たちの未来社会が明るく穏やかで平和であってほしいとの、平凡極まる願いしかないのである。

妻が育てたうららと言うバラ

そのために、何ができるのかを考え続けながら、企画をしたり、音読したりしたいのである。若いときに相当無理していろんな異なる国々を訪ね、私は私なりに学んで来たのだが、暮らしている人たちの笑顔が美しい国に私はすみたいと想うし、お年寄りや子供を大切にする国であったほしいのである。

果たしてそのような国に日本が向かっているのか、はなはだ心許ない。暗い、とんでもない私の常識とは相容れない、想像を絶する事件が頻発する世相ではあるが、せめて手のとどく範囲、近しい方々との穏やか時間をこそ私は大事に生きて行きたい。物質的な豊かさではなく、愛情の豊かさが満ち足りる暮らしをこそ大切にしたい。まずは家族の行く末を幾ばくかでも見守れるようなお祖父さんになりたいし、余力があれば企画を発心したいと想う私である。

2022-05-02

たまった新聞の書評欄をまとめて読む、そして想う。

 県外や遠方から今回の私の企画を応援してくださり、聴きには来られなかった友人知人に今回の挨拶文を同封し、一筆いれたお礼状を30通投函することができた。世の中すっかりデジタル、メタバース化しつつあるなかで、全くのオールド化を、浮世離れ、生きた化石化とまでは言わないが、そのような感覚をしだいに生きている私である。どこかで、私はそれを受け入れている。下手に迎合せず、可能な限り自分の居場所のいいところですごす、過ごせる時間を大切にしている。

妻が育てた見事な白いナデシコ

ついて行けないし、ついて行く気もまるでない。流れ流れ、こうやって五十鈴川だよりを打ちながら、日々の在る命をどこかでことほぎ感謝し、つまりは自己肯定的にいきられれば、もう限りなく満ち足りている。手のとどく範囲の大事な存在と限り在る時間を、それなりにいきられれば。静かに暮らし、好きなことに耽溺していたいというのが本音である。

だが、絶対矛盾という他はないのだが、いきなり罪なき人々の命を理不尽に奪う、戦争という蛮行に対しては、五十鈴川だよりを打てる意識がある間は、いかなる大義があろうとも絶対的にノーである。そのことは繰り返し打っておく。

さてこの休日、時間を見つけて、このところの忙しさで目を通していなかった新聞を、ざあーっと読んだ。似たような紙面作りなので、もうほとんど読むところは限られている。毎週土曜日の書評欄を読むためにM新聞を購読しているのだが、購読料にみあって、多岐にわたって無知蒙昧な私にいろんな事を教えてくれるので、好きな言葉ではないのだが、脳トレのような感じで読んでいる。

切り抜いた書評欄、おおよそ一月分を半日かけて、ゆっくりと読んだ。もう切り抜いて張り付けるなどということは時間がかかるし、面倒でもあるし歳を重ねるにしたがって減ってきてはいるのだが、尺取り虫の雑草とりのような感じで、今だに自己満足的に、読めないにもせよ、読んでみたい本を切り抜いて張り付ける自分がいる。

密かな老いの楽しみとして、続けられる間は続けようと言う気持ちに再び最近なっている。あれもこれもはできないのだ、続けられる楽しみは続けることに決めたのである。誰に理解されなくても、続けることの積み重ねで、ある日なにかが弾けることを経験的に我が体は知っている。要は面白がれる体の持続こそ大切なのである。

なぜこういう楽しみを見つけたのか、それはおそらく私のサラリーでは、限りなくおこづかいが少なかったので(その事が結果的には私には幸いした)お金要らずで楽しめ、なおかつ知的刺激を得られることが、今なおわたしが書評を読む一番の理由だろう。老いたらとにかくお金に頼らず、健康な体を持続する方法を見つけたいものである。

ウクライナでの戦争が一日でも早く停戦になるまでは、しばらくは充電しながら静かに生活し、ささやかになにがしかの次のアクションをと、念う。


2022-05-01

GW、バイト先の菜園場のそばの倉庫、隠れ家でお茶をのみ、浮世離れ時間をすごす。

 チャリティ演奏会を終えて一週間、ようやく普段の日常生活に戻りつつある。が、以前としてウクライナでの戦争は続いている。その事が全世界に与えている影響は、他分野にわたっている。そのようなことを心の片隅にとめおきながら、暫し私は私の個人的に大事な生活や暮らしを持続するしかない。

この世の不条理のやるせなさは、時に目をおおいたくなるが、ヒトは置かれたところで、必死に生きるしかないという無慈悲な摂理を生きている。私もしかりである。だが、五十鈴川だよりを打てる間は、きれいごとではなくあくまで個人的に一息つき休みながら思考し、次なる企画を打つための準備をしたい。

妻が活けた一輪のバラ

カテリーナさんは、変わらず過酷なスケジュールをこなしながら、ギリギリのところでウクライナの民族が産み出した音楽の素晴らしさを伝えている。カテリーナさんを企画したものとして、どこかで私もギリギリのところで生きて、いろんな窮状を生きざるを得ない方々のことを忘れず、なにか一人の人間として、ささやかに企画を続けたいという念いである。

さて、昨日なんとかトマトの苗を7本植えた。雑草をとり小さな耕運機で耕してから。今日雨の予報だったのでなんとか植えたかったのである。私のバイト先の倉庫には机と電気スタンドがあり、お茶が飲めるし本も読めるので、私にとってはささやかな隠れ家として重宝している。。

家の書斎とはまた異なる雰囲気、作業小屋なので草刈り機他、いろんな工具や道具が老いてある。もうこの小屋で過ごすのも、66才の夏の終わりからこのバイトを始めたので、まもなく丸4年になる。生まれてから小学校6年生くらいまで、ほとんどアウトドアで遊んでいたからだろうとおもうのだが、いまだにというか、風通しのいい野外での体動かし老いバイトが私は好きである。

この年齢で、心から自分に適したアルバイトができるなんて思いもしなかったが、体を動かしながら、血のめぐりを良くしながら仕事をし、嫌でも歩くしたったり座ったりの動き、爪先から足の先まで使うので、トレーニングがてら働ける、私にとっては理想的なバイト先なのである。しかも、働く時間は決まっているが、雨だと休み、自分の責任と判断で時間調節ができるので、全くありがたいという他はないバイト先なのである。

これもまた、草刈り他を中世夢が原で22年間やったお陰だからこそ叶った老いバイトなのである。限りなく私は天を眺め、変化する雲の流れを眺め、とりの群れに目をやり、時にキジに出会い、うつろいゆき咲き乱れる春の花ばなを愛でる。今現在の私にとって最高のバイト先なのである。なんのストレスもなく無心に働け、私よりも年上の気持ちのいい先輩方から、私の知らないいろんなことを教わりながら気持ちよく働ける。

古希にして得た、天ノ下の運動場なのである。人生の下り坂をトレーニングしながら、休日は菜園作業のあとお茶をのみ、新聞や本を読んで過ごす。GWを静かにすごせる、またとない隠れ家である。