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2022-05-20

親友のK氏、M子さんからコメントとお電話をいただきました。そして想う春の夕暮れ。

 なにかを打ちたくなる、自然に沸き上がる感覚が今だなくならない、消えない、というのが、私の場合の今をいきるありがたさである。外見はとうに枯れつつあるのではあるが、内面は今だ時に激しくもえさかるおき火が、風に吹かれて燃え光るかのような塩梅である。

先日知り合って45年になる親友K氏からDVDが届いて、視聴したありがたきコメントメールが送られてきた。また昨日はM子さん、これまた知り合って35年近くになる女性から、心のこもったお電話をいただいた。

他にもお葉書や、身に余るお電話をいただいているのだが、さきのお二人はやはり私にとっては特別な存在である。共に神奈川県在住、遠方の方である。このようなせちがらい時代になぜ交遊関係が持続し、縁が切れないのか謎である。最近私は達観している。続く人とは続き縁なき人とは切れるのである、と。全く利害がないし、K氏とM子さんに共通するのは、他者、弱者に対する限りない優しさである。

これまで何度も私が窮地に陥ったり、企画で迷ったりしたとき、迷わず背中をおしてくれた、得難い人達である。今回も3月9日、横浜でカテリーナさんとの約束が成った日に、たまたま二人とお会いすることができたのだが、二人は即その場で、支援してくれた。記さないが庶民には勇気のいる額である。わたしはDVDを見てもらいたい方がたくさんいるのだが、このふたりはその筆頭格なのである。

私は還暦を過ぎ、あらゆるしがらみを清算し、青春時代のやり残しに再びチャレンジ、シェイクスピアを音読することに耽溺、かなりの情熱時間を費やしていた。67才、その最中に起きたコロナパンデミック、69才コロナ渦中での個人的な手術体験入院、その後塾は閉じ、そうこうするうち、まさかのウクライナでロシア軍による侵略戦争が勃発した。戦争は今も続いている。

2月24日戦争が始まり、冷や水を頭からぶっかけられたかのような、ウクライナでのおぞましいという他には表し得ない、人間の悪魔的な蛮行が報じられなければ、10年ぶりに企画することはなかったであろう。何かしなければという思いが渦巻いていたときに、K氏からカテリーナさんの新聞記事が送られてきた、のだ、すぐに私は反応した。時にわたしは我を忘れて行動したり、何かせねばとのおもいに駆られる。感(じたら)動(く)するという根源的な感情にこの年齢で未だ突き動かされたのである。

この歳までなんとか生きてこられたのは、思春期から、感動すると、いてもたってもいられない感情が私を突き動かすのだ。なぜこうまで反応したのかは、いまだようとしてわからない、だがいいのだ、分析する趣味は私にはない。が事実として記録のDVDが残った、我が人生の宝である。


企画の発端を導いてくれた盟友K氏、そしてM子さんは当日会場には来られなかった。だから一番さきに届け能楽堂ホールでのライブを感じてもらいたかった。その方たちからのコメントと電話、ただただありがたく嬉しかった。

長くなった。今回の企画はきっと今後の私の人生を照らす羅針盤になる。今私は限りなく、でくの坊に憧れる。でくの坊在野の普通の企画者で在りたい。今回の企画を支えてくださった皆さんと共に、暗い時代に窓を開け新鮮な空気を体内に入れ、瞬間別世界にいるかのような、いきる元気がわいてくるような企画を産み出せるように努力したい。

PS 今日の写真は家の奥の方に咲いているつるばら。今我が家はもう終わったのもあるが、8種類くらいの薔薇が咲き乱れている。いずれも妻が丹精した薔薇。昨日五月生まれの次女のお誕生日プレゼントの前日を祝してクール便で香りを届けた。ほしいかたがいたら差し上げます。ご連絡ください。

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