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2015-02-26

シェイクスピア遊声塾に新しき塾生が参加します。

久しぶりの雨の朝です。ずいぶんブログを書いていない気がしますが、ごめんなさい、何かと忙しき日々を送っていまして、失礼しました。

わがままブログなので精神にどこか余裕がないと私の場合ちょっと書けないタイプですので、悪しからず。

さて、昨夜はシェイクスピア遊声塾に見学に来られた方が、2名ほど参加したいと、レッスンを終えたその場での申し出があり、私としてはうれしい夜の出来事となりました。

やはり見学していただくと、直接私の思いが伝わるのではということで、身近に感じている方を誘うことにしたのですが、それがよかったのだという気が今しています。

4月4日の第2回目の発表会は、私も参加しての3人でやる覚悟を今も決めていますが、人数が増えたことで、遊声塾にも何やら一足早い春が訪れたような気がしています。

私以外に8人くらいいれば、遊声塾はとてもとても充実楽しくなると、私は確信しています。肝胆相照らす声をだす仲間が いるということは、最高に贅沢なことであると、主催者の私は思っているのです。

だから、塾を始めたのですから。私自身30数年シェイクスピアのセリフを封印していたのですが、夢が原退職後丸2年、塾を立ち上げてから声を出し続ける中でようやっと若き日のころの、感のようなものが、内から湧き上がってくるようなきがしていて、最近とても楽しいのです。

先週所用で帰省した怜君と妻と猫の花
だから、なんとか目標人数まで塾生を増やしたく私は燃えています。若き日から今に至るも、有難いことにシェイクスピアは私を虜にします。いまだ、ときおり年齢を忘れます。

見学者の前で、塾生と私の3人で、十二夜の1幕2幕を、何とか熱く恥をかきながら読み進めたのですがやはり見られていると人間はあらゆる面が活性化するのだということがよくわかりました。

ともあれ、立ち上げて丸2年のシェイクスピア遊声塾、いよいよジャンプ、今年はいいことが始まりそうな予感がします。

継続してゆく中から、なにやらが緩やかに立ち上がってくるのだということが 腑に落ちるのです。何事も機が熟すまでは辛坊です、何事も

話は変わり、親友が還暦記念の初舞台を踏むことになり、何としても見届けたく明日から上京することになりました。戻りは日曜日の夜です。

最近広いところに越した娘のところに2日ほど世話になります。春の訪れとともに私の暮らしもにぎやかになりそうです。

あわただしき、朝ブログでした。

2015-02-19

日差しを浴びながらのそこはかなき朝ブログ。

2月から再び、毎日が日曜日になったとはいうものの、おかげさまで私は充実した日々を送っている。あっという間にもう19日の朝である。

和室で母とネギの皮をむく作業をすることが多い。なぜなら日中日が差すと、この部屋はことのほかに暖かく、高齢の母と私の作業場にはもってこいなのである。

客間でもあるのだが、そのようなことは言っていられないのだ。部屋がもちろんネギ臭くなる、のだが 普段ほとんど使ってないだからこういうときにこその使用価値があると私は意に介さない。

母も妻もそのようなことには頓着しないのでまったくもって有難い。さてそのネギくさい部屋を今朝はきれいにぞうきん掛けをし、部屋をあけ風を入れ、さっぱり気持ちよくなった部屋に二階からパソコンを運び、朝の日差しを浴びながら書いている。

もうあと30分もしたら、出かけないといけないのですが、何やら書きたい私です。外を眺め空を眺めながら 平和とはありがたい、と感じ入る私です。庭に名も知らぬ小鳥がやってきますし昨日は畑で、天空にさえずる雲雀を今年始めてみました。

確実に春は寒くとも近づいています。何より日差しの色が違ってきているのを日々外で過ごす私は敏感に感じます。昨日も陽が昇ってくる中ネギを刈ったのですが、朝日を浴びることの幸福感はなんとも言えません。

私の姓名には日が入っているので、これはいかんともしがたく、私はお日様に感謝します。

さて、シェイクスピア遊声塾ンことを少し、先日塾に一人の男性の見学者がやってきました。私が誘った方なのですが。その方の前で、私と塾生の3人で3時間かけて,十二夜全五幕を途中二回の休憩をはさみ読み終えました。

今年は塾生を何とか増やしたいと私は思案しています。そのためには見学してもらうしかないと考えています。やはりその効果があったものと見え翌日来週も女のかたを誘って見学させてほしいとのうれしい電話をいただきました。

シェイクスピアは最低八人くらいいないとやはり充実しません。シェイクスピアのあふれるばかりのセリフを声に出すことは、大変なことですがみんなで大きな山によじ登る感覚を、共有できる面白き個性に巡り合うべく、私は努力を重ねるつもりでいます。

昼と夜が密接に結び合う世界が、私の今を愉しくさせます。自分の世界は、自分の体と心で探究するしかありません。

関心のある方は、事前予約で見学にいらしてください。相談に応じます。

2015-02-17

【おはようナームという】という素敵なパン屋さんにネギを届けに行く前の朝ブログ。

2月も後半に入りいよいよもってネギの開拓行商をする時間が亡くなってきた中、、このところ時間を見つけて友人知人めぐりを、ネギをもって続けている。

先日も書いたがネギの功名で、長いこと会っていない方と、ネギのおかげで私は幸福な再会の日々、ひとときが持てている。

昨日も前もって電話をして、3か所を回り行商をさせていただいた。本当にありがたいことに今のところ訪ねた 全員の方々が買ってくださった。意外といっては失礼だがS新聞の記者の方までが買ってくださった。

あらためて、(これは私の性格だが)、私は基本的にヒトと会うことが好きなのだということを再認識した。40代、50代企画することに没頭したのも、人が人と(意外なアーティストと)出会う場を設定することが 、なんとも楽しかったからに他ならない気がする。

そこをある種通過したのち、私はまた何やらある種異なる地平に向かいつつあるような、最近ようやくうすらぼんやりと見えてきたような、そんな気がしている。

今はまだはっきりとは言葉にしにくいのだが(その渦中を必死に過ごしているから)、万が一うまくは事が進まなくても、確信をもって後悔しない覚悟が、自分の中に生まれてきたのである。

どうやら覚悟を決めると物事は好転してゆく、そのような気がしてならない。二十歳のころ私はうじうじと情けないくらい自信のない自分を持て余していたが、英国留学を決めてからは迷わなかった

帰国して文学座を受けた時、シェイクスピアシアターに入った時、富良野塾を受けた時、岡山移住を決めた時、農を始めた時、節目節目に私にとっての大きな決断をしてきたが、後悔はしたくないという一念が、私にそういう道を選択させた。

娘たちに私が贈る言葉はほとんどないのだが、静かに自分を信じて歩んでほしいということくらいだが、なまくらな私がこのような気持ちになったのは50歳も過ぎてからだから、 今はただただ一回こっきりのかけがえのない青春を謳歌してほしい。

背伸びができるときに、精いっぱい背伸びすることの大切さを今思う、自己暗示で自分を大きくみせ ささやかな才能を、万物、人に磨かれながらしのいできた。無理ができるときにしておかないと、やがてできなくなるのである。

だから若いって素晴らしいのである。若い時に自信をつけておかないと、歳をへてからでも遅くはないが難しい。試行錯誤しながら反省し積み上げてゆく。その中にこそ喜び、味わい、妙味のような、いま生きている愉悦が醸し出されてくるのではないかと、思える(あくまで私の場合です)。

今日はこれから、倉敷にある【おはようナーム】という私の企画を一貫して、支援協賛してくださった天然酵母のおいしいパン屋さんにネギを届けに行きます。(何とネギを売ってくださってるのです)Tさん、この場を借りて心から感謝します。

どうか、私のブログをお読みになった方はナームのおいしいパンとともに、ネギもよかったら買ってくださるとうれしいです。

企画は中断中だが、、またなにやらが生まれてきたら枯れ木のにぎわいを、と考える朝。



2015-02-14

63歳、最初の日の朝に思う。

こまごまと書くことは控えますが、昨夜は私にとって一番大切な家族からのこれ以上望むべくもない生誕の夕食会をしていただきました。

そのうえ、全員から(東京に住む娘夫婦からも)いま私が生活する中で最も必要な品々(足に関する)のプレゼントをいただき、私はただただ幸福感につつまれました。

私が寒風に負けず ネギ一輪行商できるのもすべては、応援してくれる家族有らばこそなのですから。最高齢の母からの手編みの分厚い家ではくソックスは、しばし宝としてまつることにしました。

(こういう支え、幸せを突然奪い取られた東北の被災地の方々や、あらゆる世界の理不尽な紛争、戦争に巻き込まれてゆかざるを得ない、現実のすごい数の人たちのことに対する想像力はなくしたくはないものです、明日は我が身という感覚)

自分のなかの至らない点や、弱点を気づいた時から薄皮を最新の注意をしながらむいてゆくように 正面から向かい合う勇気のような感覚が有難いことに、かろうじて今も私のなかには流れています。

若い頃の私は家族をあまり顧みず企画の仕事に没頭していたりしていたのですが、緩やかに緩やかに、家族あっての企画なのだということを自覚するようになってきました。(家族の応援がなかったら企画は今後しません)

そういうささやかな気づきの連鎖は限りなく続いてゆくような、深まってゆくような気がしていまして新しい自分に出会えたかのような気さえする最近の私です。

今年の初夢は行商だとブログに書いた記憶があります。始めるまでは勇気がいったのですが、とびとびに間もなくひと月、これは決定的に一つのいわゆる行のような修行体験となりました。

ネギのおかげで友人や知人と思わぬ幸福な再会をすることができました。(それは本当に素晴らしい再会でした)怪我の功名ではなく、ネギの功名。そして一番素晴らしいことは、まったく見知らぬ未知の素敵なかたとネギのおかげで出会うことができたことです 。

自分が育てたネギ一輪を商うことに対するためらいは、どこからまれるのか。私は自分に問いかけます。ええいままよ、18歳には帰れないものの、原点回帰、堂々と前進あるのみ、扉を開いてみると、思わぬ世界が見えてきたように、いま感じています。

昨夜も九時前に(私は少し酔っていました)、とある行商した焼きとり屋さんから、おいしいからまたもってきてくれという、行商の疲れが吹っ飛ぶようなありがたきご注文をいただきました。積み重ねしかないのです。畑を耕し、自分も耕す。

苦しみと、喜びはこうやって、交互に立ち現れる。考えてみるとわがお恥ずかしき人生は、未だ 恥ずかしきことが続くのではありますが、市井の片隅で、ひっそりとかくも素敵な人の顔に出会えた喜びは、言葉がありません。

ネギやこれから私が育てる野菜が、新たな人との出会いを生み出してくれる 、その感動が単にイベントを企画するのではなく、私が求める人と人との出会い感動の喜びの縁を深めてくれる、確信を持ちます。

これから畑に行きます。大地の神に感謝し土との対話こそが、今の私にとって最も大切な時間です。

2015-02-13

63歳を迎えました、まだまだこれから右往左往です。

63歳を迎えました。還暦からあっという間ではあります。この3年間は自分でいうのもなんですが世相や、世間の空気感からは遠いところで、静かに家族とともにつましい充実感と幸福感につつまれながら生活できていること、感謝の言葉しかありません。

いきなりですが、私は高峰秀子さんの文章をこよなく好んで繰り返し読んでいます。なんか読後、すっきりさわやかな気分になれるのです。

本当にあこがれの、遠くから仰ぎ見る、爪の垢を煎じて 飲みたいくらいに、私の中では、かっこいい性差を超えた存在になっています。枕元に【瓶の中】という、復刻された本を置いて寝る前に眺めているくらいです。

あらゆる苦悩を背負い、運命を前向きに生きてゆく潔さ、覚悟が素晴らしい。だから道が開ける。聡明という言葉が一番ぴったり似合う人。

この方も独学の大家。才能なんてほとんどの人は、私は同じだと思っています。努力を楽しめるかどうか。だがやはり高峰さんは特別の才能をお持ちの方なのだと、私は思っています。

あこがれるほどに、素敵な晩年を過ごされたお手本になる方。私にとっては勝手に一方的に諸事万端を少しでも学びたいと思ってます。(無理だよなあ、とは思いつつ)

晩年の下り坂を、私自身が右往左往しながら、よたよたと歩む姿を可能な限り赤裸々につづってゆくしかない五十鈴川だよりですが、あきらかに書き始めたころの私とは変化しています。

このいい意味での変化のような感覚が持続できる間は、きっと五十鈴川だよりは右往左往とながれてゆけるのではと、思っています。(変化しなくなったらやめます)

これから先の自分のことは、まったくわからない。だからこそ新鮮に生きられる。そのように私は感じるからこそ、5年以上も同じようなことの繰り返しの日々のつれづれを、あきることもなく つづれる。

悩みがあってもそれこそが生きている証、それに向かってゆけることこそが醍醐味ではないのかと考えます。

それもこれも、身体あってこその意識。生誕の日は両親に感謝する日です。遺影に手を合わせ普段通りの一日をこれから過ごします。大いなる何かに身をゆだね、あるがままに流れます。

2015-02-10

朝からこんなブログでごめんなさい。

日々の暮らしに大部の時間をとられ、ゆっくりと落ち着いて考える余裕もないなんてことは、やはりまずいと、時折反省する。

反省する力がないと、ほんとうにだめだなあ、とかろうじて踏みとどまる。玄米の朝粥をかみしめながら、藤原新也さんのWMを読む。

何が真実か、正義の戦いなんて存在するのか、宗教とは何か、民族とは何か、元々人間は同じ種から派生した末裔たちではないか、とか。

報復、憎しみの連鎖は、いつまでもやまず、永遠に続くのではないかとか、間もなく63歳にもなる私だが、オーバーではなく世の中に出てからずっと心のどこかで考え続けてきた果てなき終わりなき問いは、私の中でいよいよもって泥沼化、混沌化の極みと化してきつつある。

国内でも、ただ単に人を殺してみたかった、というような事件が若い女性の中にも表れてきている。どこかでつながっているかのような気がしてならない。

これをどういうふうに、受け止めたらいいのか。恐ろしい、理解できないというような 、私には関係ない、といったくくりでは済まない何かが、時代の病巣としてあるのではと、私は感じる。

安直なコメントは書けもしないが、このふわふわした奇妙な時代の空気感のようなものは、私なりに受け止めながら生きてゆかなと、やはりどこかまずいとの感性は、持続したい。

さてどうすると私は自分に問う 。今のところただただ静かに土の上で生活するくらのことしかもいつかない。

それとシェイクスピアを声に出して読みながら、ささやかに自分の中での楽しいことを見つけてゆく営みの中で、気持ちの安らぐ居場所を持続する。

戦後急激な都市化の中で、物と金に心が翻弄化されてきた私の人生のひずみへの反省が、私を岡山に移住決断させ、いままた農の世界へと向かわせている。

世界の都市化した世界に住む大部分の人々は、途方もなき孤独化の中で居場所がなくなりつつあるのでは、といった認識が私にはある。それをお金をで消費して満たす循環構造から私はおさらばしたい。

土を耕し、朝日に感謝し、水をおいしく感じることくらいから、ゆったりと生きてゆく覚悟を決める。無人の爆撃機の途方もない値段は、人間を狂わせるには十分である。宝くじに群がる人々の群れ。

一輪数百円の ネギは、水と光と土の産物。お金では作れないのだ。戦艦や潜水艦や、空母や、一機数十億円ともいわれる爆撃機をはじめとする、天文学的な武器弾薬のお金の世界、いったいどこの誰がつくっているのか、原発も。

でも食えないのだ。命は生み出しえないのだ、おそらく愛も。書いているとむなしくなるのでやめる。何度も書いているが、自分の中に希望の種を育ててゆくしか、自分にはほかに方法がない。

わずかな食べ物があれば、命は続いてゆく。命の継続のためにこそお金は有効に使わないと、明らかにこのまま行けば正当化の争いの果て、人類は消滅するだろう。善も悪もない。平和とはまず人を殺さないことだ。

2015-02-09

老女である、可愛い母の畑姿に学び思う。

寒い日がまだまだ続くが、立春を過ぎるとやはり気分的に春が近づいてきているのを、わが体のセンサーは微妙に感じている。

とはいえ今朝もかなり冷えているし、昨日も風が強く体感温度は最悪だったが、その中を午前中と午後(お昼は家で済ませ、3時過ぎまで)畑で過ごした。

午後は母と妻も一緒、おとといも午前中ともに行ったから、妻と母は二日連続しばしの時間を 畑で過ごしたことになる。

昨日は、私がはがしたマルチを集めて縛る作業を、風が吹く寒い中手伝ってくれた。82歳の母がマルチを引っ張るので、何度もしなくていいからと、忠告しても母はじっとしていると寒いのか、私の言うことを聞いてはくれなかった。

私は畑で嬉々として過ごす母の姿を眼底に焼付けた。5歳から畑仕事をしてきた母には土が体の中にしみこんでいるかのように感じることがある。

私を含めた、戦後民主主義世代には、肉体労働全般、いわゆる汗まみれ土まみれになってやる労働に対して、積極的ではないネガティブな感覚があるように感じるのだが、そんな私の中の弱点を吹き飛ばしたのは、やはり富良野塾に参加し卒塾したからだと、いまハッキリいえる。

自分にできる仕事ならば、どんな仕事であれ厭わずやり遂げる自信が富良野塾で私が学んだ、最大の宝である。

オーバーではなく、卒塾後もいろんな仕事をしながら、今日を迎えているのだがあれ以上の大変さはその後経験したことがない。

そういう意味で、青春も終わりかけようとするころ、富良野で過ごした数年間は、今は大切な宝の時間として心の中にそっと封印しておきたいと思えるほどに、良き体験としての記憶だけが残っている。

ともあれ、今日もこれから午前中しばしの時間を畑で過ごす予定だ。朝起きて体調もよく、やることが終日あるということは、男子にとってかけがえがないことである。

晴耕雨読とは、つくずくよくいったものである。それに私の場合は声出しはじめいろいろとやることがあるので、退屈などには程遠く一日があっという間に過ぎてゆく。

娘が結婚したことも大きい。もうひと踏ん張り 、ふた踏ん張りを楽しみたいという感覚がにわかにつよくなってきている。母が元気で踏ん張れるのは孫の存在が極めて大きいのだ。

その存在のために、自分も存在する。絆は親子であれ、他者とであれ、そんなに簡単には築くことはかなわぬものである。作物を育てることだっておそらく本質的にまったく同じだと私は考える。

人生をリセットなどと簡単に言葉では言える。農は全くの素人である、最低65歳までは踏んばりたい。そのためには時間を大切に生きるしかない。充実感の乏しい人生とは可能な限りおさらばしたい。

たった一つ決めていること、無農薬で安全な野菜を作ること、見た目が悪くて商いが難しくてもそれだけは死守したい。販路はコツコツと積み上げてゆく。これしか今のところ考えていない。

言うは易くだが、細き狭き道であれ開拓者精神を先人たちはやってこられたし、今もあこがれの先輩たちの後ろ姿が、大いに私を勇気づける。

畑で動きながら、初心者としては、ただただ謙虚に思索したい。

2015-02-07

二週間の営業で4件のお店からネギの再注文が来ました。

会社には行かなくても畑にはゆきながら、隙間の時間ネギの行商を可能な限り続けている。午前中にネギの薄皮を母とむき、午後数時間程度行商するといった塩梅。たまに午前中にすることもあるが、きわめてまれである。

もうあと一周間もしたら、今収穫している畑のネギが収穫できなくなり、行商ができなくなるが何とかもう一つ畑のネギを行商できないかと、私は思案中である。

まったく見知らぬ方のお店に営業を始めて、まだわずか2週間くらいしかたっていないにもかかわらず、4件のお店からの継続注文が入ってきているからである。

このことは、私に大きな希望を与えている。私だって人間だから、飛び込むまでは大いに勇気がいったのだが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、といった表現が一番私にはぴったりくる。

じっくり考えたら、あとは実践と行動あるのみである。結果が出なかったら終わり。私自身が食べておいしいと感じるのだから、自信をもって売ることができる。あとは値段の交渉がうまくゆけば成立する。きわめてはっきりシンプルである。

実践し経験を積みながら(やったことがないことをやっているのだから)農産物の直接商いというものを、肌で学んでゆきたいと思う。ただただひたすら謙虚にやってゆく。それしかない、だって素人なのだからである。

わずかな武器はこれまでの人生で学んだ経験と、今のところおいしいネギしかないのだから。ほんとにわずかな時間しか行商していないのに、この思わぬ成果は何を物語っているのか。

ただ一つはっきりしているのは、自信のないものは売れなということである。そのことをこの年にして学んだ。

春からは畑の隙間にジャガイモや、ニンジンなんかも植え、作物ができたら可能な限り直接商いがやれたら、楽しいだろうと夢見る。大きな商いではなく(そんなことはできなし考えてもいない)手と私の体が動ける範囲での商いで、生きてければいうことなしである。

私は希望や夢がないと、どうにも生きている実感が持てないタイプのようである。お金があらゆるもめごとの(戦争をはじめとする)種ならば、可能な限り子育てを終えた世代は、耕作放棄地を借りて作物を育て、金銭的には貧しくとも精神的には豊かな晩年の過ごし方もありうるのではないかと私は考える。

案ずるより産むがやすし、わずか2週間で私の場合その可能性の芽が私の中で実感できつつある。そのことの意味は私の中で極めて大きい。

晩年は、遊び心をもって生きられたらこんなに楽しいことはない。一人では無理だが3人いれば何とかなる。A専務をはじめ私には素敵な仲間がいる。だから苦労を楽しめる。楽しめればそれは苦労でも何でもない。

今日も、昨年秋植えた玉ねぎの様子を見に、母と妻と午前中出掛ける予定だ。母はもとより妻も土いじりが大好きなので、漸くにしての夫婦晩年時間を畑でこれからは過ごすことができる。

画面を見ているより、今の私は地面を大地を空を眺めながらの体動かしがことのほかに楽しい。一日動かした体を静かに床に横たえる、大いなる眠りが私を救う。

最後に今のところ営業で見つけたお店は、ラーメンやさん 、お好み焼き屋さん、おうどん屋さん、焼き鳥屋さんの4件である。あと12件見つければ私は十分に余裕をもって生きられる。

未知との遭遇を私はひたすら楽しみたい。そのために安全な作物を育てる。これしかない。

2015-02-06

父の命日、笊碁人生をひも解く。

昨日5日は亡き父の命日打だった。畑にいてもネギの皮をむいていても、思わぬネギの注文をいただき運転していても、終日父のことをよく思い出した。

たびたび私は父に向かって、おかげさまで何とか家族全員元気です、と語りかけた。私の中の父の姿で一番思い出すのは、やはり碁を打っていた姿である。

私は父のように娘たちに何かしらの残像を残すことができるだろかと、たまに最近考える 。まあ、私ごときのことなので、大したこともできないしありのままの自分を、今後はいよいよ、もってさらしながらの人生をよたよたであれ、歩むほかはない。

私は碁がわからない。まったく打てない。そのことを今頃になって少し残念に思う自分がいる。なぜなのかを書くと朝のブログではとてもl無理なので割愛する。

打てないくせに我が家には、碁石と立派な碁盤がある。亡き父が一番使っていた碁盤を何故か私が譲り受けたのである。いわば私にとっての家宝のような碁盤で、栢木の素敵な香りが未だに匂い立つ、一品である。

怜君が囲碁に関心を持っているので、いずれは怜君に使ってもらえればとも思うが、怜君が囲碁を打っていたら、父もきっとあの世でびっくりするだろう。

亡き父が残した、笊碁(ざるご)人生という、地方紙に31回連載した小冊子が手元にある。あとがきの最後に平成8年9月とある、父が79歳の時に書いた文章である。

父はその文章を書いた数年後に亡くなったので、糖尿病に侵されながらも気力を振り絞って書いたのだということがわかる。家宝の小冊子。

淡々とした平易な文章だが、私も年を重ねるにしたがって父の残してくれた文章が心にしみるようになってきた。時折ひも解いては、今を生きる私自身の支えとして重宝している。

ますますもって、父のように生きてゆけばいいのだという指標が私の中の深まってゆくのを感じる。時代とはそぐわなくても、折り合いをつけながら自然体で生きる。

晩年わずかな囲碁仲間と母との時間を、何よりも大切に生きた父の後ろ姿は私の脳裏にくっきりと焼き付いている。私が若気の至りで世の中に出てからのち、何とか道を踏み外さずに生きることができたのは、やはり父の教えがあったからというほかはない。

しみじみと思うことは、親は選べず、私は良き両親に恵まれたのだという ことに感謝の日々である。これからの人生時間(父の年齢まで生きるとして)父の笊碁人生は、私のこれからのお手本として随時ひも解くことになると思う。



2015-02-03

畑に行く前の、ささやかな朝ブログ。

仕事の時間というくびきからは、しばし解放されたものの、私がやりたいことはこれまでと全く変わらない。いつもと同じように起きて始動しながら、おぼろげにコーヒーを飲みながら、ブログを書きながら、一日にやることの大まかな確認をする。

会社からの指令はないから、自分で自分に指令を発しなくてはならなくなっただけである。それと来月から無収入になるといった事実。この厳しき現実と、私はきちんと向かい合いたい。

こんなことを朝から書くと何やら深刻な書き出しだが、これまでの人生で経験した逼迫した状況に比したらくらべものにならないくらい、私は落ち着いている。

なぜなのかは先日も書いたので重複は避けたい。この年になると最低限生きてゆくことできれば後は、今日一日をいかに過ごせるかが、一番の私の重要なことだからである。

体が元気に動きさえすれば、あとは何とかなるといった確信のようなもの、能天気さが私の性格の中にはいかんともしがたくある。18歳から 培ってきた何とはなしの、自分を信じるよりほかには方法がない,といった塩梅。

体、つまりは命があるのだから、命を大切にしてスリリングにスイングするしかない。意識がかろうじて未だ研ぎ澄まされる。どっちに向かって歩いていけばいいのかと。これまでにも何度もそのような経験を潜り抜けた先に未来があった。

私の中には、未来につながる今があるだけである。(過去には執着しない)だからブログが書けるし、書ける間は書きたい。今がすべてである 、今日一日の過ごし方を静かな朝に考えるひと時がことのほか私には大切だ。

話を変える。修業のつもりで始めた時折の時間を見つけての飛び込みのネギの行商を毎日ではないが、ほぼ2週間終えた。あと10日ほどでこの行商は時間的にできなくなる。(ありがたいことに定期的に数件のお店から注文が来るので、そのお店の配達はネギがある限り続ける)

春から植える作物、畑の準備に取り掛からないといけないからだ。だが農閑期にほんのわずかな時間を見つけての、思いつき現代行商は、私の中にまたもやいろんな刺激を与えてくれた。

厳しき現実の中に、なんともはや 素敵に市井に生きる人間の姿に出会えたからである。こればかりは、ネギを行商しなかったら出会うことができなかっただろう。ネギが出会わせてくれたともいえる。

こんな時に私は、ほんわかとした幸福感に浸れる。この人にはまた会いたいなと思う。もし自分がこれから企画することがあれば招待したいとさえ思う。

自分の体の中の澱をを破壊し、 風を吹き込むためには、書物をはじめあらゆる新しい出会いが不可欠だが、人間との直接の出会いは、私にはライブそのものと言える。

オーバーだが、ちょっぴり自分を破壊しないとやはり新しい自分には出会えない、まさに自分とはシェイクスピアが言うように、自分で自分を思い通りにはできない(十二夜、ヴァイオラのセリフ)器なのだ。

2015-02-02

映像の時代に、ささやかに思う。

映像の世紀に入って100年以上、私が思春期の頃からは写真の時代だといわれ、私自身もささやかなブログを書きながら、現代人は文字を落ち着いて読むという時間(書くという時間)が持てなくなりつつあるという気がします。

私自身が写真を入れない(入れられないのもあるのですが)文字だけのブログを書き始めてずいぶんになります。

現代人は時間や規則にがんじがらめになっています。私もその渦中を何とかこの年齢まで生きてきましたが、漸くにしてそのくびきからは解放されそうな気配です。

畑にいるひと時や、声を出しているひと時は、まったくの自由な感覚を私は再び取り戻しています。その時間があれば生きられる。

だからなのだと思います。のびやかに、質素な充実感に満たされながらの日々を送りながらこのようなブログが書けるのだと。

父は何度も何度も、若い時の苦労は買ってでもせよ、と口にしていましたが、自分が親になってみて思うのは、そのことの程度の差ではないかと思うのです。

理不尽な苦労とか、 飢える苦しみのような経験は人間から人間らしさを限りなく遠ざけてしまうのではないかと、私は考えます。人はたやすく狂気(凶器)になれる生き物であるという冷厳な事実は、(すべての人がそうではないとは思います)いかんともしがたく世相を覆っています。

私がこの年になって農に惹かれるのは、命の元である食べ物を土と光と水があれば育てられるという、安心感に他ならないと思うのです。命を紡いでゆく連鎖感覚。生と死の循環感覚。

あまりにも体が都市化して、潤いのある体を見失っているという(私自身が)気がしてならないのです。自分で自分を取り戻そうとしているのかもしれません。

食べものがある安心感が、ことのほかに私には重要です。母は寡婦となってからの数十年、ささやかな菜園場でいつも土いじりをしていますが、まさに地に足がついた暮らしをしています。

私は身近に晩年の過ごし方のお手本がいることのありがたさを思います。母が元気な間いろんな話をしておこうと最近つくずく思います。

実の父母とは、あまりにも話をする時間が少なかった ことを私は後悔しているからです。いま、ネギの皮をむいたりしながら母と過ごす時間を私は大切にしています。

話は変わり、世界を震撼とさせる、ニュースが飛び交います。感性の堕落なのかもしれないのですが 真実はいかんともしがたく、私の住む世界とは遠いところ、という現実的無力感が私を襲います。画像ひとつで、世界の人たちは(私も)その影響下から逃れられません。

特に、9・11以降、世界の見方はささやかに私の中でも大きな変化が起きました。 のほほんとは生きていられない時代がやってきたという認識です。イスラーム世界の限りなく複雑な歴史と文化。

別世界ではあれガソリン車を運転しながら中東の果ての国々の、世界を巻き込む大問題は、身近に私たちの暮らしと結びついています。無関心ではいられませんが、無知の自覚の前には軽はずみな言動をする気になれないのです。

何か事が勃発したら、日本も巻き込まれ、あっという間に瓦解してしまいかねないほどに恐ろしい世界がやってくることを暗示しています。

私たちはいざとなったらそういう世界に投げ込まれてしまいかねない、という冷厳な事実のなかの平和を享受している、といった認識が私には在ります。






2015-02-01

2月最初の朝に思う。

2月最初の朝、昨夜は番外の遊声塾のレッスンがあり私にしては遅く寝たのですが、いつも通りに目が覚めたのでお休みなのですが、始動しました。

ついでと言っては何ですが、明日から会社には出勤する必要が亡くなりましたので、毎日が日曜日ということになりますが、どういうわけかはわかりませんが、私の中には悲壮感はさらさらなく、こうやって普段通りにブログが書ける自分がおります。

くどくどとは書きません、これまで私のブログを読んでくださった方は、きっと理解をしてくださることと思います。(私の中ではこれまでと何ら変わらないのですから)

自分で書くのもおこがましいのですが、自分の内なる変化は自分が一番自覚しています。 遊声塾を始めてほぼ2年、農を初めて1年と4か月、質素な暮らしの中にこれまでにない充実した生活を漸くにして見つけられそうな日々をおくれている己を感じています。

60歳の生誕を、遠野から近い大槌町で過ごしたことは、まことに持って私にはよかった。行って現場で考えたことが、その後の私にはやはり大きいと、あれから間もなく3年がたちますが、思います。

私のような軟弱な輩は、一番大切な家族を失ったら、どのようになるのか皆目想像すらできません。きわめて当たり前のように生きられるわが身 のありがたさを、痛切に感じました。

可能な限り生き方を変え、これまでの自分とは決別するくらいの覚悟をもって、生きるすべを見つけたい、確立したいとその時考えたのです。

あれから3年経とうとしています。いまはまだ多くを語る気にはなれません、静かに淡々と家族とともに過ごせればほかにはもう何もいらないのです。

多分、私が日々を愉快に過ごせるのは、家族や 友人たちが応援してくれるからにほかなりません。だから自分でいうのも気が引けますが、立ち上がれるのではないかと思うのです。

特定の宗教は持たな私ですが、いつも何かにはすがって、祈りにも似た気持ちで最近は過ごしています。このことは、今後ゆっくり考えを深めながら思索してゆきたいと思います。ブログを書くのもそういった気持ちの一端の表れなのだと思っています。

さて話はかわり、4月4日午後が、遊声塾の発表会に決まりました。3種類のチラシを作り、2がつ中には発送しようと思っています。

すでに、2種類のチラシは妻が作ってくれましたので私は封筒のあて名書きなんかも時間を見つけて、墨をすって筆書きしています。一人一人の方の名前を書くなんてこと一つとっても、なかなかに楽しめます。

とりとめなく、書きたくなる自分とおさらば、これからちょっと夜明けとともに畑時間なので、本日はこれにて。