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2022-05-15

あたかも梅雨であるかのような5月15日の朝に想う。

 わたしが生まれた小さな海沿いの町、門川町を流れているのが、2級河川の五十鈴川。この川で泳ぎを見よう見まねで自然習得、古希を迎えて今さらのように想うのは、私は人から習うことがあまり得意ではなく、独学独力で自分で考え自分なりのリズムで学んでゆくのが好きな子供であったのではないかと、今さらのように想うことがある。

今年も妻が丹精したつるばらが見事です

さて、往復車を運転し、(1200キロ)ふるさとで命の洗濯をして戻った翌日から、肉体労働バイトに復帰し、ずいぶん打っていなかった気がする五十鈴川だよりである。単細胞であれやこれやができない性格なので、チャリティ演奏会を企画し終えるまでは、その事が頭から離れることがなかったが、ようやくにして自分にとっての大きな荷物を下ろせたかのような安堵感と共に、普段の生活がもどってきつつある。

だが、10年ぶりの企画をおえることができた私は、企画をする前とは明らかに異なる自分をどこかに感じている。それが何に由来するのかはわからないが、大きな山に登る前と、登り終えたあとでは、どこかからだの感覚が以前とは異なる、とでもいうしかない。

そしていま、五十鈴川だよりをうちながら想うことは、これからしばらくは、ただただ静かに日々の生活を大切にしながら、ウクライナをはじめとする世界の困窮地で苦しみ生きるあまたの人々に思いを馳せる力を、蓄えたいとおもっている。

だからこれからは、日々の自分の生活を基底にしながら、自分の頭では理解が遠く及ばないようなことにも、思いを馳せる力や勇気を、五十鈴川だよりを打つことで、確認しながら日々を送りたいと改めて想う。

話を変える。チャリティ演奏会ライブの記念DVDが、Y氏のお陰で見事に完成し、故郷から戻ると、郵便受けに直接届けられていた。DVD一枚残し、我は消えゆく、とでもカッコつけたいほどに素晴らしい出来上がり。(この場を借りてY氏に深く感謝します)そのDVDを昨日半日かけて、当日演奏会に来られず、カンパしてくださった遠方在住の友人知人20名の方たちに、一筆入れて投函した。

企画しなかったら、これらの方々に短いとは言えお便りを書くことはなかったかもしれない。一人一人のお顔を思い浮かべせつ文を走り書きしたのだが、筆や万年筆で文字を書くのは、時間はかかるが楽しい。またひとつ老いゆく時間の楽しみを見つけられた、との嬉しき思いである。これまでの人生で出会うことができたかけがえのない方々に便りをかける喜び。

世代の近いかたがたが多いが、なかには随分世代が異なる若いかたもいる。私の人財産とでも言うしかない方々である。今回の古希の突然の企画は、一生お付き合いしたい方々がこんなにもいたのだということを、改めて私に思い知らせた。人間という存在の意外性、謎のような奥深さを。

地に足をつけて、ギリギリのところで踏ん張って、良心を見失っていない、極めて平凡全うな感覚を持った友人知人と、出会えたことの幸福を忘れず噛み締めながら、私はこれからの人生を生きてゆきたい。

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