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2022-09-28

佐藤優氏の本を読んで、灯火親しむ秋をすごす、そして想う五十鈴川だより。

 新聞を取りにいったら、もちろん安部元総理の国葬が一面トップである。見出しだけ見てまだ新聞を開いてもいない。もう五十鈴川だよりでは、政治やその他のあらゆる世の中の出来事からは、遠いところから眺めているくらいの感覚を自認している。

だからといって、無関心なのかというとそういうことではなく、関心はあるのだが、迂闊に軽軽言葉にはできないほどに、初老凡ぷには悩ましくも五十鈴川だよりでは、あまり触れたくはないのである。あえて触れるなら、こんなにも国葬に賛成の国民がいる反面、不賛成の国民もいる。まさに我が国の世論の分断化がこんなにもはっきりと目に見える形で表れたことに、先行きの時代の行く末に、懸念を覚えてしまう私である。

素晴らしい本です

ただひとつ、私が強く感じるのは、表面は分断されているかのような印象が強いのであるが、多くの国民が、時代の先行きや、今の生活に、私を含めこれでいいとは決して思っていないことが、図らずも見える形で露になったということである。不安感という共通分母では繋がっているように思えるのである。

だから、政治や経済他、限りなく私が苦手なことには、個人的には関心があっても、五十鈴川だよりでは、よほどのことがない限り、触れることは今後減ることはあっても増えることは無いように思う。だが、不条理や理不尽、人間としてあまりにも痛ましく感じることなどに関しては、解答や正解が果てしなく遠くても、生きてささやかに思考できる間は、考えたいと思っている。

何故生きるのか、どのように生活してゆけばいいのかを考えるために、おそらくは還暦以降こうやって、五十鈴川だよりを打ち続けているのだから。お金という幻想、魔物にがんじがらめになら無いように、老いゆくからだで、ささやかに肉体労働で得た、私にとっては大切なお金で、書物を求め学ばねば、グローバル化という危うい美名のもとに、ただ消費することに人生を捧げ、結局は自分自身も消費されてしまうのではないかと、本能的危惧を私は抱いてしまうのである。

一回生の人生を、ギリギリ創造的に生きたいのである。あくまでも一人の生活人として。辛うじて還暦以後、五十鈴川だよりを打つことに、今もしがみついて、ささやか極まる思考錯誤(試行錯誤)を今日もまた打っているわけだが、もし五十鈴川だよりを打ち続けなかったら、きっと自分でいうのもなんだが、10年ぶりの企画も叶わなかっただろうし、家族も応援してくれなかったように思える。

だから今更ながらに思う。大事なのは答えを急ぐことではなく、自分が正しいと正当化することでもなく、考えの異なる他者の存在を否定することでもなく、その存在に磨かれながら、自分の沸き上がる気持ちに、できる限り真っ当に、正直にいきることなのだと。その上でが感動する作家、佐藤優氏をはじめとする多くの信頼する方々から、謙虚に学び続けたいという気持ちが深まるのだ。

どこにいても学べるということの醍醐味を、古希にしてまだ私の体は感じている。カタツムリみたいに学んでいる(つもりである)。なんと多くの学び直したいと思わせられる人間が歴史上に存在することか佐藤先生に教えていただいている。【老いてみて・学ぶひととき・有り難き】

2022-09-25

久々、岡山のイオンモールに出掛けました。そして想う。

 秋の代表的な花はなんといってもコスモスだろう。だから今日は時間が許すなら、秋の山野をドライブしてみたいという気分になっている。言えることは、秋は旅心が無性にわいてくることである。

昨日10月初旬、沖縄の大切な友人が個展を行うので、コロナでもう何年も会うことができないでいるその友人夫妻に会うべく飛行機のチケットを買いに、滅多なことでは足を運ばないイオンモールに行き、3泊4日のパックチケットを買った。(出発日によってかなり値段が異なるが、若いときと違って、この年になると時間は買えないと認識しているので、ほどほどの値段のチケットを買った。友人に会える喜びはどんな観光にも勝るのである)

そろそろ終わりの我が家のひまわり

インターネットでも予約できるが、元気に動ける間は、滅多なことではイオンモール等には出掛けることもないので、気分転換もかねて出掛けたのである。旅行代理店も商業施設のなかに組み込まれているので、致し方ないのである。

一ヶ所だけが賑わっているかのようなその商業施設のだだっ広さのなかで、時代についてゆく気もなく、ついてゆけない初老盆ぷは、用事を済ませたら車でさっさと帰ってきた。知人のいる西大寺のメインの通りは、シャッター街となり、個人商店は今は昔である。

昭和男の私は、面影の懐かしきQRコードのない人間商店に思いを馳せてしまうのである。たぶんあの私の源風景が懐かしく、失われてゆく風景を求めて、アフリカやアジアを私は壮年時代飽くことなく旅したのではないかと思う。だが今は昔である。

難しいことはわからないが、新自由主義的な強欲資本主義がインターネットテクノロジーの発達と共に、統合を繰り返し、ぶくぶくと太り一ヶ所ですべてのものが手にはいるような大型化商業え施設が、日本国のそこかしこに出現するようになってしまった。商いの面白さ、人間とのやり取り、会話の妙などは、雨散霧消、淡い交流等といったものは、文学のなかにしかなくなってしまったかのように感じてしまう。

あのおびただしい、商業施設の蛍光灯の明かりの洪水、(電気の節約などといった言葉が言葉がむなしい、なんとまあ人類は二極化が進んでいることか、享受できる側とできない側と)裸電球で闇の濃い幼少期を過ごした私には、なんとも居心地が悪い。これは生理的なもので、人工物が限りなく少ないく、自然しかなかった環境で10才くらいまでを過ごしたがためだと、はっきり言える。これはもうどうしようもないのである。私の感性のほとんどは10才までに出来上がっているのだということを、老いてますます知る、この頃だからである。

だから、そのことを深く自覚している私は、どこか覚めて、どこか諦めているのである。極端な事を言えば、別世界の人たちを眺めているかのような面持ちなのである。人は生まれてくる環境や時代を選べない。私はすでに社会的な役割をほとんど終えている人間なのではあるが、私の娘や孫たちはこの魑魅魍魎資本主義社会を生きて行かねばならない。

このあまりにものと、時に感ずる急激な社会の変化のなかで、人間同士の感性のずれといったものが、今後多面的分野に生じてくるのは、きっと現代社会を否応なく生きている人たちが抱える、避けては通れない問題なのかもしれない。そのようなことをぼんやり考える。どうしたらいいのか、いけないのか、この事に関しては私は諦めていない、考えるのだ。

それにしてもコロナ渦中、こんなに岡山にも人がいたかと思うくらいの休日のイオンモールを行き交う人々を眺めながら、居心地の悪さは何ともしがたく、早々にシャッター街のある、静かな町に帰ってきた私である。

2022-09-24

お休みの日、これからの時候のいい秋の季節は、暫し集中して佐藤優氏の著作を、丁寧に読む時間を大事にしたい。



 えもいわれぬ初秋の朝、徐々に外がしらみ始めるこの時間帯が無性に好きなことは、もう度々五十鈴川だよりに打っているが、きっとこれから先も何度も打つに違いないので、平にご容赦願いたい。暑くもなく寒くなく、ちょうどいい塩梅のこの季節の気持ち良さは、あの暑い夏を潜り抜けたからこその喜びであるのには、違いない。

さて今日は、3連休の中日の土曜日である。先週に続いて3連休が2回もやって来るのが、私としては嬉しい。昨日は今は書斎としてはほとんど使っていない、部屋の整理や片付けにほぼ半日を費やし、自分としてはかなり片付けたつもりなのだが、ぱっと見にはたいして片付いたようには見えない部屋で過ごした。

講義を受けたいと切に思う

たいして片付いてはいない、過ぎし日の写真や古い手紙などを整理してみいっていると、瞬く間に時間が過ぎてしまうからである。私のように空想癖があり、物思いに耽りがちな輩はきっと整理整頓には向かないのだと、諦める他はないのかもしれない。思いでの本や、手紙などはどうしても捨てられないので、古希を境にというわけではないのだが、新しく買うのは、よほどのコとがない限り勤めて買わないようにしようとは思っているのだが、やはりどうしても増えてしまうのは、もう仕方ないと諦めている。

どうしても捨てられないものに、取り囲まれながら、思い出に包まれながら、静かに生活しタイのだ。だから、遺す遺産はなにもない私だが、娘に私が成仏したら、思いでの品の数々の遺品をきれいに処分して困らない程度のお金だけは残しておきたい。が生きている間は、思い出の捨てられない品々と共に、暮らしたいのである。

塵も積もれば山という言葉があるが、真実である。今でさえ、書評を読んだりして老いの手慰みではないが、ノートに貼り付けたりしているのだから、大した量ではなくても、いつのまにやら数十冊もたまっていてお慰みである。でもいいではないかと、自分を慰めるのである。この年齢にしてようやく自分にとっての気持ちのいい自足自在時間が過ごせる部屋が2つもあるのだから、と。

どなたかに迷惑をかけるわけでもないし、その事は長女には伝えて了承を得ているし、私としては毎年、年を重ねながら、少しずつお別れできる品々を減らしつつ、2つの部屋が本や物で圧迫感がないくらいにはとどめるつもりである。(いうはやすしではあれ自戒するのだ)

さて、いきなりすっかり涼しくなり、まさに読書の秋来たりという感じで、お休みの日は、平日読めない分、集中して本を読んでいる。読みたい本が次々と現れる。学ぶ本、息抜きの本、様々だが、日々なにがしかの知的刺激を老いゆく体に注入するには、言葉の息づかいが聞こえてくるかのような、書物に出会えるのは至福である。

この十数年、該博な知的巨人、インテリジェンスの知性に満ち、私の遠く及ばない無知の分野のあれやこれやを教えてくださる、佐藤優氏の御本を(難しくても読む)できるだけこの秋は集中して読んでいる。読む前と読んだあとでは、なにかが変わる。へーット刺激をいただくのである。謙虚に知る。懐疑的に知る。難解な哲学書から、漫画やテレビドラマまで読み込み、時代のいまの、刻々と推移する時代情況を分析する、知的眼力には敬服する。

このような人間がいまの日本に存在することに、どこかで無知蒙昧の私は安堵する。

2022-09-21

妻が7拍8日の上京旅から戻ってくる朝に想う。

 台風が去り、一気に涼しくなり今朝などはいちまい多く羽織って膝掛けなどして、五十鈴川だよりを打っている。膝には妻がいなくて寂しいのだろう。花が珍しく乗っかっている。だから膝が暖かくて気持ちがいい。言葉を持たない、わがままな花と、すぐに尻尾をふるメルを妻は本当に家族のように大事にしている、その事の重みを、私も徐々に感じ始めている。

さてその妻が、今日午後帰ってくる。なんとか妻が不在中、花とメルの面倒を見ることができたので、それ だけである程度のお役には立てたとはおもう。食事もなんとか全部調理したし、掃除洗濯も。老いては妻からのいい意味での、自律脱却が肝要と努力した。その事をなんといっても楽しく面白くやらなくては、つまらないとおもう。

そのために自分の時間が少なくなろうとも全く構わない。そこをなんとかやりくりする、そのことがまさに醍醐味、老いの未知の分野にささやかにわけ入る、くらいの遊び心が必要ではないかと、シフトチェンジするのである。何事もゆっくりゆっくりとであれ、前向きに進むのである。

話はいきなり変わるが変わるが、手術をして退院してから、肉体労働はリハビリもかねてすぐに再開したが、右腕の下を切ったがために、それまで折に触れてわずかな回数ではあったものの、還暦以降懸垂を運動公園で継続していたのだが、その懸垂をやめていた。

だが、夏のまだ暑い8月半ばから、思いきって鉄棒にぶら下がることから始め、徐々に続けていたのだが、なんとか2回続けて懸垂が再びできるようになってきた、のだ。古希の再出発というとオーバーだが、できなくてもいい、勇気をもってやる。これまでもそうやって来たではないかと、自分に言い聞かせた。(母校冨島高校が私の体にカツをいれたことは間違いない)

このまま老いて、懸垂をやめたら悔いが残ると思ったのである。最初の一回ができたときの喜びは、手術後の古希のいまだからこそなのだ。大空のもとで、大地を踏みしめ体を移動し働き、秋の夕暮れ運動公園で手を天に向かって向かって伸ばし、大地の引力に逆らって我が体を引き上げる。

妻を待ちわびる今朝の花


たったそれだけの、シンプルと言えばあまりにシンプルな単純な所作。そのことがまるで幼児が初めて逆上がりができたかのように嬉しいのだから、単細胞お爺さんと笑われてもいいのだ。【黄昏て・古希の懸垂・今一度】ってな感じで一日の終わりを迎えるのである。

これからの70代は限られた範囲での自由自在をできる限り満喫する。これまで交遊関係始め、執着していたことなどの一切合切をリセットしたいのである。限りなく自分に素直に、生きなおしたいのである。そういう意味でいったん執着心を卒業し、家族に迷惑をかけない範囲でわがままに、ただ存在したいのである。

臆面もなく打とう、もう古希だから。妻が帰ってくるのが嬉しい。妻とのこれからの人生時間をいかに生きられるのか、私は考え続ける。

2022-09-19

台風の風音に耳を済ませ、生活し、今日の五十鈴川だよりを打つ。

 外はかなりの風が吹いていて、近所の樹木があおられているのが視界に入ってくるし、風の音も響いているが、まだ雨は落ちていない。この機を逃さず敬老の日というわけでもないのだが、母にささやかにお弁当やおやつを届けにいった。

起きてコーヒーをのみながら、昨日の書評を読んでいたら東京家族から電話が入り、わずかだがテレビ電話時間を楽しんだ。オンラインで間接的ではあれ、映像での会話、コミニュケーションができるのはありがたい。私の世代感覚では、現代はどこかしら魔法のような、バーチャルとリアルの境界が実に曖昧な時代ではないかという気がしてならない、がそれを生きるのだ味方にして。

だがそうはいっても、私は相も変わらず、アナログがた、デジタル感覚には疎い私であり、老いてますますその感は深まるが、いい意味で諦めている。だが己の体を必死に動かしながら、ゆっくりではあるものの、アナログの良さのようなものを大事にすべく、確実に一日一日やれることをカタツムリみたいに過ごしている。

歩みは遅いのだが、確実に手足を動かし、事をなしていると、家事はもとより、生活という私にとってもっとも大事なことがそれなりにはかどっていて、ほっと安堵するのである。矛盾するが、どこかを諦め、どこかは諦めないのである。暫し台風の風音も忘れての休日一人時間は、限りなく自己満足的にすぎて行くのである。

新聞の書評はもちろん電子版でも読めるのだが、相も変わらず一期一会的に読んで、もういい加減にやめてもいいのだが、今だハサミで切って、何割かの今の私に響く書評をノートに貼り付けている。

ささやかなお金不要の楽しみ、自己満足の極致である。積み重ねということがある。もうこの年齢になると、次から次へと忘れてゆくのではあるが、時おりこれはと思う本は買うようにしているし、なにしろ無知なる自分を思い知らされるのでやめられないのである。まさに知的人格に満ちた方の書評を読むという営為は、己の無知を知るための飽くことのない、好奇心の賜物なのである。

いい意味での無知というトラウマ的コンプレックスを、私の場合は武器に変えることで、辛うじて生き延びられてきたというきがどこかしているからこそである。一冊のほんとの出会いや、人との出会いがあったればこそ、絶望的にならず生きてこれたのである。昨日も打ったこととどこかでシンクロするかもしれないが、死を身近に感じる感覚が深まれば、より知的好奇心がどこか刺激されてゆくかのような、いわく言いがたい塩梅なのである。

老い行くなかでの好奇心の一日一日の継続持続こそが、私のいちばんの大事、いまの関心事なのである。これがなくなったら、おそらく五十鈴川だよりを打つことは叶わなくなるだろう。どんなことでもいい、日々なにがしかの、記事や言葉、人、花、あらゆる今を彩るこの世の気もち良さ、気持ち悪さに、関心のアンテナを立て、さび止め感覚で言葉に磨かれる年寄りを目指したいのである。

この方は私にとっては先生である

だから今日の体を動かして、一滴一滴汗をかき、やせ我慢のガマノ油。なにがしかの魑魅魍魎wonderful(不思議さに満ちた)ワールドを、煩悩に身を任せいきるのである。綺麗事ではすまない己という器を引きずりながら。

2022-09-18

超大型台風が近づいて来ている。一人ものおもう朝の五十鈴川だより。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

 3連休ではあるが、超大型の台風が近づいていている。したがって静かに生活している。このままの勢力をキープしながら西日本に近づいてきたら、きっと大変な災害をもたらすのではと心中穏やかではない、まれな超大型台風である。

九州全域、我がふるさと宮崎も今日からか直撃を受けそうなので心配なのである。停電他に備えて、最低の家の回りの片付けなどを午前中には済ませるつもりである。お陰さまでという他はないが、この年齢まで大きな災害を体験することもなく、生きてこれたことには感謝しかない。だが、この異常気象都とでも言うしかない、この4ー5年の集中豪雨での各地の災害の悲惨極まる映像は、とてもではないが他人事ではない。

思考する時間を大事にいきる

やれるだけのことはやって、台風が過ぎ去るのをまつほかはない。外出は避けて、食料品も数日間分は買っておこうとおもう。小さい頃台風のすごさを体験しているので、宮崎人としては、この度の台風の規模は、ちょっと想像できない。岡山は九州エリアと違って災害が少ないと言われているが、真備町での悲惨さは記憶に新しいし、こればかりは予想もつかない。だから、やれる範囲の備えをして通りすぎるのを静かに待ちたい。

話を変える。妻が娘たちのところに出掛けている。水曜日から4日間ほど独身生活をしている。妻がいなくても、家事他なんとかこなしている。近所に住む高齢の母のことも含め、なにかとやることが多く、そのことがいい自律緊張感をいやでももたらす。すべては前向きに事を為すのだ。一日の終わり、床につき、今日もなんとか一日がつつがなく過ごせたことに、どこかで安堵する自分がいる。

台風が過ぎ去る頃には、妻が帰ってくる。わずか8日間の妻の不在は、妻の存在感のいちいちの普段は感じないすごさを改めて知る。だから偶さかの妻の不在は、私にはいい薬なのである。【おたがいに・自律してこそ・老後かな】ってな塩梅で私はゆきたいのである。

ふたたび話を変える。還暦を迎えたときには、古希の自分などまるで想像できなかったし、60代をいかに生きるかといったことに、かなり執着し、五十鈴川だよりをうちながら日々を送ってきた。そして、10年という歳月の重みを改めて感じている。この間の家族の変容は、言葉に余る。昨日妻から送られてきた、男の子二人の孫の動画に、時の流れの重さを、ひしひしと感じ、そして打たれたのである。よちよちあるく孫の姿、ブランコで幸せに揺れる孫の姿に。平凡な生活を送れることの言葉にならないありがたさ。

何度も打っているし、たぶんこれからも何度も打つであろうが、これからの先の70代をいかに生きてゆけばいいのかを、五十鈴川だよりをうちながら、どこかでなにかを手放し、諦めながら静かに生活をしたいという、明らかに老いて行きつつある自分を、還暦のときよりもずっと感じながら生活している。だがそれを言葉にするのは難しい。

あえて言葉にするなら、どう転ぶにせよ70代をひとつの元気なうちの集大成のような時間の過ごし方が、できないものかと考えているのである。このようなことを打つとどこか悲観的に思われるかたがいるかもしれないが、私はそうは考えない。死をできる限り身近に感じながら、70代をいかにいきられるのか、いきられないのかを、可能な範囲で、五十鈴川だよりをうちながらささやかにいきたいのである。無理をするのではなく、どこか楽しみながら面白く挑戦したいのである。

確実に死はやって来る。ある日突然に。60代の時より、死を身近に感じながらの生を送るための羅針盤として、一日でも長く家族の行く末、孫たちの成長を見守りながら生活できれば、自ずと己の老い行く時間が、まあ、カッコつければ意味をもつかも、と思うのである。


2022-09-14

妻が今日から一週間上京する、そして想う。

 この数日起きると西の空に残月が浮かんでいる。大昔から人々は月を歌に詠んでいるから、詩歌が大好きなこの国に生まれた、幸せをかみしめながら、私もなにか詠んでみたいきぶんになる。が起きて間もない体ではなにも浮かんでこないのだがありのまま【西の空・起きて新聞とりゆかば・秋空に月・静かに浮かぶ】

さて、今朝は今日から妻が娘たちのところに一週間出掛けるので、駅に送ってゆくためにいつもよりゆっくりと仕事に出掛けるので、五十鈴川だよりを打つ余裕がある。妻にとって大切な家族、メルと花が居るのでなかなか同時にお休みをとって、上京することが叶わないのであるが、それはそれ、よき方に考えることにして、高齢者一人時間をできる限り楽しんで過ごそうと考えている。

せんにちこうのはな

私を含め、大方の男性は定年退職後、なかなかに自立ができず、妻の手を煩わせることが多く、熟年離婚などという言葉をよく耳にする。かくあってはならじと、私は私なりになるべく妻の手を借りずに生きられるように、少しずつ自己変革を意識的に続けている。

だからなのかもしれない、なんとか付かず離れずの夫婦間均衡がたもたれているのは。夫婦なんてものは、生まれも育ちも全く異なる人間が、たまさか出会い、生活を営み、子育てし、その役割を終え、昔だったら老いて死ぬ、というのが当たり前であったのだが、思わぬ長寿社会の到来で、老後(私には今のところその言葉は無縁である)時間を共に長きに渡って仲良く生活するというのが、難しい時代だとの認識が私にはある。

元々他人なのであるから、その事をじっくりと考えてみる必要があるのではないかと私は考えている。そして私なりの結論、古希も過ぎたら過去の自分はできるだけ捨て去り、難しいことは重々承知しながらも、新しく関係性を構築し直すくらいの覚悟をもって、これからの自分時間を生きることこそが、肝要だという結論に至ったのである。

止まれ、これからの一週間、すべてを一人で自立して家事のあれやこれやができるように、努力してみるつもりである。妻が安心して上京できるように、老いのシングルライフを見つめ直す時間として、今日からの一週間を大切に過ごすつもりである。

買い物、炊事、洗濯、掃除、一切合切のつまりは生活を、いかに老いたりとはいえ、きちんとこなせるのか、こなせないのか、私はできる限り楽しんで事をなすつもりである。臆面もなく打とう。退職後、妻のすごさを度々再認識しているので、この際も含め、生活に関する一切合切は妻から謙虚に学ぶことにしたのである。あくまでその上で、自分のやりたいことを追求したいと、考えている。

2022-09-11

新見の法曽にある縄文美術館を訪ね、村上原野氏の作品群を初めて見ました。そして想う。

 昨日午後、思い立って夢が腹退職後初めて、新見は法曽という地名の、旧小学校校舎が縄文土器の展示スペースになっている、猪風来美術館を訪ねた。

初めて訪ねたのは、まだ夢が腹で働いていた頃だから、10年ぶりくらいだろうと想う。何故急に出かけたのか自分でもよくはわ刈らないのだが、風の便りでご子息があまりの若さで急逝されたことを知らされたからであると思う。

縄文世界の素晴らしさに打たれました

私は全く縄文土器については、無知であるがそのあまりの、造形の摩訶不思議な紋様の迫力というか生命力には度肝を抜かれる。急逝された、ご子息の作品をこの度初めてじっくりと見させていただいたが、私がつたない一文で伝えることは到底不可能である。

岡山の新見の山奥にひっそりと、縄文スピリットに啓示を受け、父母、そして今年2月32才の若さで亡くなられたご子息の作品が展示されている。その壮大というしかない、命の輝き、命の移り変わり、命への限りない畏敬の祈りが、渾然一体となって迫ってくる。

母は布に命の循環を祈り、織る。(その一途さに打たれる)父(この父の作品群も唯一無二)と息子(父と母の遺伝子を余すところなく原野さんは受け継ぎ、新たな世界を築いている)は土に縄文スピリットを変幻自在に炎が揺らめくように刻み込む。圧巻である。父親の天衣無縫の豪胆な作品群、ご子息の繊細で優美さにあふれた作品群。言葉を失う。村上原野という芸術家の存在を、私は初めて目にした。

父母ご子息3人の心血を注がれた作品群の足跡が、時代に置き去りにされたかのような、古い校舎のなかに、燦然と輝いている。思い立つ自分がいて、形容を越えた作品群に出会えた喜びを、わずかではあれ五十鈴川だよりに打たずにはいられない。一度だけ原野さんにお会いしたことがあるのだが、その面影がおそらく私を呼んだのに違いない。

人との出会いは、せい妙極まる。早世されたのだ、が作品は生きている。古希を迎え思うことは、人の命が数値化されるこの時代、縄文時代の人々のスピリットに全存在をかけて、打ち込んだ村上原野氏の残された作品群に足を運び、作品と対峙してほしい、と切に思う。

夕闇迫る法曽を後にし、帰路を走っていると日もとっぷりくれた東の空に、雲間から中秋の名月が暫し望めた。村上家族の作品群に出会えた喜び、命あっての喜び、村上原野さんがきっと私を呼んでくれたのに違いない。

2022-09-10

秋の到来を告げる天ノ下で、菜園場の雑草とり土いじり時間を大切にすごし、もの想うこの頃。

 休日ゆっくりと起きた。メルの散歩に行き朝食をとり、おもむろに五十鈴川だよりに向かっている。空はどんよりと曇っているから今夜の中秋の名月、愛でるのは叶わないかもしれない。だが想像力でもって、月を眺めるのは可能だから、それで良しとしよう。

この数日、満月に近づく月を何度も眺めることができたのでそれでいい。万が一眺めることができたら、もうなにおかいわんや、ただありがたいだけである。年齢と共に画面を眺める時間は減り、特に日中は天をあおぎ雲を眺めることが多くなってきた。ちょっぴり幻想的に昔人生活に憧れる私だ。

特に肉体労働をしている平日は、仕事中何度となく天を仰いで雲の流れに目が向く自分がいる。特に昨日の朝は、秋の到来を告げる鱗雲が見事で、思わずスマホで撮って家族に送ったら、娘や義理の息子から、嬉しい反応があった。

鱗雲・頭の上に・迫る秋

自分の体は密接に天と繋がっているので、肉体労働者は天候に限りなく敏感である。だから朝夕涼しくなり、天が秋の到来を告げると、にわかに私の体は元気を取り戻し、嬉しいのである。あの暑い夏をよく乗りきったという、自己満足肯定感に包まれると同時に、苦あれば楽ありを実感するのである。

それと同時に、頭の中も思考が涼しく回転し始め、昨日は仕事を終えた午後、ふたたび職場の菜園場に出掛け、耕し、秋野菜を植えるための場ならし、雑草を抜き苗を植えられるところまで、土いじり時間を過ごした。今朝の五十鈴川だよりをうち終えたら、ブロッコリー、キャベツなどを植える予定である。もう少ししたら玉ねぎも植える予定だ。

60代から少しずつ土に触れて過ごす時間を大切にしてきたが、古希を境ということもないのだが、70代はいよいよ土に触れる時間を大事に過ごしたいというおもいの深まりを体で感じている。土は手強く生半可なことでは、期待にそう作物を育ててはくれない。がしかし、水やり他、最低のことを素人なりに取り組んでいると、チャンと恵みを与えてくれる。その事の喜びは、老いてみて初めて知るといった類いの喜びである。

体を使っての全身作業は、老い行く体をいやでも活性化せずにはおかない。仕事と菜園活動でフルに使った体は、疲労度に満ちるが、心地いい疲れである。自分の好きなことをやって疲れるのだから、ある種のスポーツのようなもの、なのである。

もう何度も打っているし、きっとこれからも打つだろうが、このコロナ下の3年、肉体労働と菜園場時間が、今もどれ程有り難いか、私自身がいちばん承知している。日々目や耳に飛び込んでくる情報は、心身を萎えさせがちなことが多い時代のすうせいだが、個人的に足元で想うことは、日々の季節のうつろいに敏感な体をできる限りキープしながら、土や光や風との一人対話時間を大切にし、限りなくマイナーな人生、豊かな隠居時間を送りたい、私である。

2022-09-04

佐々木梅治先輩と、親友K氏と久しぶりに再会できました、そして想う。

 打てるときに打っておきたい五十鈴川だよりである。先の上京旅で私は二人の得難い友人との久しぶりの再会時間を持つことができた。その事の至福の心情(おもい)をわずかであれ打っておきたい。

一人は18歳で最初に入った貝谷芸術学院で(3年間お世話になった)出会った佐々木梅治先輩である。出会って52年もの間、関係性が途切れずに続いている。上京してもっとも経済的に苦しい時期、そして青春真っ盛りの悩み多き季節、私的に濃密なお付き合いを、今となってはさせていただいたのだと、はっきりと言える方である。年齢は私より7才年上だから、77才である。

その後、佐々木さんは劇団民芸に入り、今は亡き宇野重吉さんや滝沢修さんの薫董を受け、劇団の活動はもとより、他の劇団の芝居にも数多く出演し、メディアへの露出はほとんどせず、地味な舞台活動一筋の方であったのだが、氏を一躍その世界でしらしめたのは、チャングムという韓流ドラマのトックおじさんの声の吹き替えによってである。その後、声優としての出演は引きも切らず続いている。

今朝の我が家の玄関先の花

だが、なんと言っても氏の活動で瞠目されるのは、井上ひさしさんの芝居、父と暮せば(父と娘の二人芝居)を一人で語る音読を、この十数年続けていることだろう。

(岡山でも企画したことが数回ある)昨年久しぶりにコロナ下、私はこの父と暮らせばを、たまたま長女の住む稲城のお寺で、娘と共にみるという幸運に恵まれ、梅治先輩と共に3人で記念撮影ができたのだが、私の胸のなかには、青春時代のほろ苦いおもいでの数々が去来し、万感が押し寄せてきて夢のような夜であった。

止まれ、話はつきない。田舎者がいきなり上京し、数限りない迷惑をかけ、もっともお世話になったのが梅治先輩なのである。だから余程のことがない限り、上京したら連絡を取ることにしている。8月27日朝、梅治先輩から電話をもらってその夜、神楽坂の樽八という奥さまが営む居酒屋で旧交を暖めることができた。

もうこの年齢になると、お互い一期一会を慈しむかのように、語り合うのが普通なのかもしれないが、梅治先輩は相も変わらず意気軒昂精神が若い、よくしゃべる。だからなのだろう私も忙しい先輩からお呼びがかかると、またあの声に会えるのだという嬉しさから、夕食後であれ、三鷹から神楽坂まで駆けつけたのである。

お互い元気で、今を語り合えるからこそ、話に花が咲く。梅治先輩都の会話はショボい話はまったくでない。今やっていること、取り組んでいることに終始する。もっぱら私は聞き役である。そして思う、上京後の3年間、梅治先輩から受けた影響の大きさを今にして知る。

さて、次は親友k氏と。30日火曜日午後4時、神奈川は三浦に住む親友K氏と目黒の近くの武蔵小山という場所で待ち合わせ、数時間旧交を暖めた。氏とは10年ぶりの企画で、3月に横浜で会って以来の再会。あうんの呼吸という言葉があるが、気のおけない楽な関係性が、これまた途切れない友人であることは、五十鈴川だよりでも触れている。

私にも孫ができたり、手術を経験したりと、年齢を重ねながら若いときとはまるで異なる一日の過ごし方を持続しているが、たぶん現実を受け入れながら、氏もまた微妙によき年齢の重ね方をしているのが、どこかに感じられるから、交遊関係が続き深まってきているのではと、私は思うのである。

一期一会を毎回持続したいので、私もいったことがない武蔵小山で、落ち合うことにした。氏と会うときには遊び心が一番大事だからである。無思想、無節操、を自認している私である。限りなく子供に帰ったかのように遊ぶのが、氏と会う際の楽しみなのである。

午後4時3分、氏は武蔵小山商店街入口に姿を表した。時おりの小雨の中、商店街界隈を二人して回遊した。【夕暮れを・意味なく歩く・男づれ】ってな感じで。夕闇迫り、神戸鉄板焼の小さな路地裏のお店に入った。私は特別一期一会再会時間、瓶ビールをのみ、お好み焼き他の、鉄板焼に舌鼓をうった。武蔵小山でのひとときが静かに流れた【親友と・武蔵小山で・落ち合えば・秋の気配と・老いの深まり】

午後7時、再会を約束して武蔵小山で別れた。氏は夕食をご馳走してくれ、娘のお土産にお好み焼きまで持たせた。とうきょうの平日の夕刻、込み合う車内の山手線、井の頭線、京王線と乗り継ぎほっかほかのお好み焼きを手に抱え午後8時過ぎ、むすめのところに戻った。次回はいつどこになるやら、氏はいい感じで老いを迎えている、人知れず努力を続けているのである。だからだと思う、会えるのは。

2022-09-03

8月26日、加藤健一さんのスカラムーシュを観に行って、翻訳者の松岡和子先生に偶然お会いしました、そして想う。

 上京旅から戻って3日が過ぎたが、今回の旅でのこの年齢ならではの実りの多さを、改めて反芻している。上京の目的の一番は、やはり孫たちの成長をこの目でじかに感じたいということであった。その事に関しては、十分過ぎるほどに天然の美を、老いの身でしか感じ得ない喜びをいただいた。我が身の現在のささやかな幸せを綴ることに関しては、やぶさかではないのだが、能天気なせつぶんを打つことは控えたい。ただ一言だけ打ちたいのは、二人の娘家族が、新しい命と共に、懸命に生活している様子に、未来の希望のようなもの、私たちの世代とは異なるライフスタイルを、築きつつあることに打たれたことだけは、野暮を承知で打っておきたい。

松岡和子先生の翻訳

さて、今朝の五十鈴川だよりでは、45年ぶりくらいに、加藤健一さんの一人芝居を観に行った際の出来事を、ちょっと打っておきたい。8月10日の新聞でスカラムーシュ・ジョーンズという道化役者の100年に渡る激動の生涯を、一人芝居で語る記事を読んだ。20代の頃、つかこうへいさんの芝居に出ていた加藤健一さんを何回か私はみている。そして何よりも加藤健一という名前を、決定的に印象づけたのは【審判】という重いテーマの2時間近いモノローグ芝居を、その後何年にもわたって、繰り返し上演し続けてきたという稀な俳優であるからだ。

私はその審判の初演をみている。場所はどこだったか記憶にない。江守徹さんも審判に挑んでいる。この舞台は文学座のアトリエで観た。話は止めどなくなるのではしょるが、31才で富良野塾に参加し、卒塾後家庭を持ち演劇の世界から身を引き、40才で岡山に移住してからは、企画の仕事に没頭し舞台をみることはほとんどなかったのだが、何故か今回の加藤健一さんの舞台は、タイミングの巡り合わせのようなものを一方的に感じ、駆けつけたのである。加藤さんは、私より二つ年上だが、ほぼ同世代である。その事はやはり大きい。

思い付いて出掛けたスカラムーシュ・ジョーンズの一人芝居、娼婦の子供としてトリニダードトバゴに生まれ、父親が誰だかわからない、数奇極まる人生を薄氷を踏むかのように生き延び、50才で白い肌の幻に導かれるように、ロンドンにたどり着く。そこで道化師になる。それから50年の道化師人生の最後の日に、ロンドンにたどり着くまでを、一人語る芝居なのである。(道化師になってからの人生は省かれている)

スカラムーシュと加藤健一さんの人生がまるで交錯するかのように、思い込みの強い私には感じられ、徐々に加藤健一さんの語りの世界に引き込まれ、最後深く打たれ感動し、思いついて駆けつけた喜びに浸った。まったくと言っていいほどに加藤健一さんの声は変わっていなかった。ながくなるが、もう少し打つ。芝居がはね、ロビーに出ると思わぬ方と出会った。この芝居を翻訳された松岡和子さんが歩いている姿が目に飛び込んできたのである。18日から28日までの上演期間、たまたま26日金曜日松岡和子さんもこられていたからこそ、願いが叶った。

松岡和子さんは、先年、日本で初めて女性でシェイクスピア全作品を翻訳された方である。私は20代の終わりの4年間、シェイクスピアシアターに在籍していた、向こうは知らなくても、こちらは何度もそのお姿を、劇場で拝見していたので、すぐにわかった。失礼をかえりみず一方的に話しかけたのである。

先生(と呼ばせていただく)は機転全開で対応してくださり名刺をくださった。岡山から観に来た胸を伝えると、奇縁、なんと先生のお父さんは岡山の児島のご出身とのことで、またもや驚いてしまった。そして、先生は岡山で会いましょうとまでといってくださった、のである。

一期一会という言葉がこんなにもしみたことは初めてである。偶然と必然のお導きのなせる恩恵に、芝居の余韻共々私は今もどこかしら浸りたい自分がいる。思い付けることのなんというありがたさ、アクターとはアクションをやめない人のことであると、今更ながらに想い知った。松岡和子訳のシェイクスピア全作品を私は音読したくなっている。


2022-09-01

実りの多い6泊7日の上京旅、スケッチ風に忘れない内に記録する五十鈴川だより。

9月一日の夕刻である。台風の影響で午前中から雷を時おり伴う激しい雨が降ってはやんだりを繰り返し、いままた外は雨である 。さて昨日午後7時、6拍7日の上京旅を終えて帰ってきた。

記録的に、どんな上京旅であったのかを、わずかではあれスケッチしたい。印象的出来事は後日、お休みの日にまた、エッセイ風に綴れればと、考えている。大体これまでは4拍5日が普通であったのだが、今後はこれくらいの滞在がいいのではないかと、考えている。

手元において繰り返し読みたい

さて、木曜日に午後9時近く次女のところに着いた。一歳と一月の葉くんはぐっすりとすでに休んでいた。(葉くんとは翌朝しっかりと再会した一段と成長かわいくなっていた)金曜日は下北沢の本多劇場で加藤健一さんの一人芝居、スカラムーシュ・ジョーンズor七つの白い仮面をみた。素晴らしかった。

土曜日はのんびり午前中私がカレーなど作り(その日次女は仕事だった)お昼は夫のS平さんが暖かいおそばを作ってくれた。昼食後、3人で井の頭公園から三鷹まで散歩。途中コンビニでアイスを食べた。三鷹で本屋にたちより本を一冊買い、三鷹からマンションまではバスで帰った。午後3時長女がやって来て、仕事から帰ってきた次女と共に皆で夕食。

夕食を終え、私は18歳で上京後、最初に入った演劇学校の先輩であり、以来関係が続いている佐々木梅治(名前を出してもいいだろう、知る人は知っている)先輩と、奥さまが営んでいるい神楽坂の居酒屋で落ち合い二時間以上久しぶりの再会時間を楽しみ、午後11時娘の住む三鷹のマンションに帰った。

ちなみに長女は、夕食後私よりあとに次女のところを出て、その日夜9時約一月ぶりにドレスデンから夏休みで帰省していた、夫と愛息望晃君が成田から新宿にバスで帰ってきたので迎えにいった。

よく日曜日は次女のところで過ごした。午後長女と望晃君がやって来た。ノア君は時差にもめげず元気で、久しぶりの再会。次女を残して次女の夫と葉くん、長女とノア君私の5人で雨上がりの井の頭公園を散歩し、夕刻娘とノア君は調布行きのバスに乗りレイさんの待つ稲城へと帰っていった。(レイさんは時差の関係で仕事に備えて来れなかった)

月曜日4泊お世話になった、次女のところを朝食後あとにして、午前9時半に稲城の長女のマンションへ。時差の調整で一日保育園を休むノア君と一日を私は楽しく過ごした。娘とレイさんは終日リモートワークなので、私が言わば孫の面倒を、お世話をしたというわけだ。二人きりの時間を家でも外の小さな公園でも過ごしたお陰で、よき思いで時間が私のなかに残った。

爺バカを承知であえて打とう、好奇心たっぷりいい感じで4才5ヶ月のノア君はすくすく育っているのがわかった。昼食、夕食娘が手際よく作ってくれ、皆でいただいた。夕食後、ノア君とジブリのアニメ、アリエッティをみた。

火曜日はノア君が保育園にいったので、私は終日フリー午前中横浜の小さな出版社にウクライナが生んだ偉大な詩人シェフチェンコの本を買いにいった。午後都心に戻り、夕刻4時目黒の近くの武蔵小山という場所で、45年の付き合いの親友K氏と待ち合わせ、数時間旧交を暖め、古希ならではの、一期一会時間をすごした。

娘のところに戻ったのが8時過ぎ、ノア君がまだ起きていて、私が寝かせつける役を仰せつかった。元気いっぱい興奮しているノア君はなかなか寝ない、先に私が寝そうだったが、やがて深い眠りに落ちていった。寝ついたノア君は天使である。

そして昨日、朝食をノア君と共に食べ(レイさんがノア君の好きなパンケーキを作った、なんともかいがいしいパパである)お別れ、ノア君を保育園にレイさんが送って行き、戻ってきてリモートワークが始まっても、暫し久しぶりの親子娘3人で語り合いのひとときが持てた。

いい時間だった。娘たちの住む稲城から、私は東京駅に向かった。荷物をコインロッカーに入れ、身軽になり、私の好きな神田、銀座を散策。神田で昼食を済ませ、東京駅のそばの書泉グランデで佐藤優さんの最新刊を求め、午後2時3分のひかりで帰路に、家には午後7時前についた。ぐったりと疲れたが、実りの多いよき上京旅となった。