ページ

2020-08-26

おおよそ半年間、初老夫婦自主的自粛生活の中で想う。

めっきり五十鈴川だよりを書く回数が減ってきた。書かなくても、平気になってきた、もう十分に身の程知らずにも書いてきたものだという気もする。

 自分でいうのもなんだが、人生時間が少なくなるにつれ、より真面目に学ぶ、知る時間が増えてきている、そのことが書くよりも面白い。それが五十鈴川だよりを書く回数が減ってきている一番の要因だと思う。

還暦を過ぎ、老いを見つめつつの日々の身辺雑記録を綴る体で書き始めた五十鈴川だよりであるが、パンデミック狂騒といっていいほどのコロナウイルスの猛威の前に、ありきたりの私のうちなる言葉は、無残にも打ち砕かれてしまった。(のだ)

 こういう人生で初めて経験するウイルスの猛威の前には、コトバを発するのが億劫になり、増して老いつつあるわが体を、直撃するこの夏の暑さの 前に、初老凡夫はなすすべがないというのが、正直なところ。

でもまあ、幾分朝の時間は猛暑が和らいできたし、何かを綴る元気が湧いてきたので、しばらくは文字だけの写真なしの五十鈴川だよりになるが、元々18歳から世間に出て、満座に恥をさらしながら生きてきたので、この期に及んでという気もするし、やがて自然に書けなくなるのであるから、回数のことは考えず、書こうと思ったときには書く、わがまま五十鈴川だよりである。

さて、今も続く予断を許さないコロナ渦中のなか、もう5カ月以上、降ってわいたような静かな初老夫婦時間を過ごしている。幸い、お互いフルタイムではない仕事があり、社会的な活動もしながら、ほとんど遠方には出かけない自主的自粛生活を送っている。

子供たちが自立してから、こんなにも二人きりでの時間は初めてである。ヒトという生き物は状況に合わせて変化する。状況にうまく適応できないと、いろんな問題が生じてくる。さて我が家の場合はどうか。一言でいえばうまく回っている。詳細は省く。

子供が自立し、以後の夫婦時間の過ごし方で生じる、様々な老いつつ生きる諸問題、この半年間近くのコロナ渦中生活の中で、今も考えさせられている。ただ一言言えるのは、初老夫婦が穏やかに過ごすのに一番の大切なことは、やはりお互いがまずは健康体であることである。

そして相手を思いやるということに尽きる。家族に何事かが起こった場合は、五十鈴川だよりは、直ちに休筆する。人生本当に一瞬先はわからない、そのことをコロナウイルスは私に教え知らしめる。頭にではなく身体に。当たり前に享受できていることなんて、あっという間に消えてゆくという厳然たる事実を。だから今日をいかに生きるのか、そのことを初老凡夫はかろうじて今も考える。永遠にハムレットの言葉は星のように輝く。

このコロナ狂騒の中、シェイクスピア作品を読むと、頭にではなく体の肺腑に言葉が以前にもましてしみてくる。シェイクスピアのコトバは、非常事態生活の中で一段と輝く。

 

2020-08-15

終戦記念日、8月15日の朝に想う。

8月15日、敗戦、終戦から75年である。私は現在68歳、敗戦から7年、米軍の占領政策が終わり、再び日本国として、平和憲法のもと国づくりを進めてゆくほぼアメリカがレールを敷いた年に、宮崎の田舎に生を受けた。
 
あれから68年の歳月が流れた今年の夏は、コロナの猛威の前に、なすすべなくひれ伏すかのように、原爆の記念式典をはじめ、多岐にわたるあらゆる記念式典、これまでまるで当たり前のように行われてきた儀式、行事が自粛、また取りやめの重苦しい、なんとも表現不可能な終戦記念日となった。
 
コロナの夏で、私も帰省を控え、初めて経験する静かな初老夫婦の夏を 過ごしている。あの真夏、広島長崎、人類の上に、はじめて投下された原子爆弾の空前絶後というしかない、コトバがむなしい大惨事を日本は経験した。
 
原爆のみならず、先の大戦でお亡くなりになった戦渦の犠牲者は300万人以上といわれる。あの無残というしかない惨禍、焼け跡から 人々は立ち上がり再び復興し、焼失した
国土の面影は、繁栄と共に消え去り、あの戦争を直に経験した世代は高齢化し、私を含めた戦争を知らない世代が、戦後生まれが83パーセントに達したといわれる。
 
食べ物がある。衣類に事欠かない。夜露をしのぐ住まいがある。極めて当たり前のように想える生活、豊かな社会とは先人たちの努力の営為の賜物、筆舌に尽くしがたいご苦労の上に気づかれたのだと知るには、私も随分と時間がかかった。

とくに、気恥ずかしいくらいに私などは戦後の繁栄のおこぼれのおかげで生き延びることができ、争いのない平和というものの有難さを、享受してきた世代なのだと身に染みて思い始めたのは、還暦も近くなってからである。

そして想う。私自身高齢化してゆく中で、先の戦争体験者の言葉をささやかにほんのわずかでも、記憶の風化を止め、自分自身の言葉で語り伝える術のような努力を、元気な間はしなければならないと反省、自省するコロナ渦中の夏に思うのである。

とくにこの数年戦争体験高齢者が、おぞましいほどに、戦争がごく普通の人を狂わせて行く実態の諸相を語っているが、極限状況に置かれると人心はかくも無残に鬼畜かするのである。
 
他人ごとではない。飢餓に置かれれば人間は変質する。賢人は言う。衣食足りて礼節を知る。衣食がなければ人間は野獣かするのである。そのあまりにもの悲惨を避けるための指針が、平和憲法であると知る。
 
私の一文でこれ以上書くことは、むなしくなるので控えるが、世界は現在も筆舌に尽くしがたい無数の人々の困難さの営為の上に、我々の平和的な暮らしが送れていることへの感謝を胎に刻まなければならないと、まずは自分に言い聞かせる。
 
ともあれ、知る学ぶ。初老凡夫なりに一人の人間として、未来の人々のためにも、身近な家族、大切なヒトのためにも、暑さの中考え、自問自答の自粛生活の夏を送りたい。