ページ

2020-08-15

終戦記念日、8月15日の朝に想う。

8月15日、敗戦、終戦から75年である。私は現在68歳、敗戦から7年、米軍の占領政策が終わり、再び日本国として、平和憲法のもと国づくりを進めてゆくほぼアメリカがレールを敷いた年に、宮崎の田舎に生を受けた。
 
あれから68年の歳月が流れた今年の夏は、コロナの猛威の前に、なすすべなくひれ伏すかのように、原爆の記念式典をはじめ、多岐にわたるあらゆる記念式典、これまでまるで当たり前のように行われてきた儀式、行事が自粛、また取りやめの重苦しい、なんとも表現不可能な終戦記念日となった。
 
コロナの夏で、私も帰省を控え、初めて経験する静かな初老夫婦の夏を 過ごしている。あの真夏、広島長崎、人類の上に、はじめて投下された原子爆弾の空前絶後というしかない、コトバがむなしい大惨事を日本は経験した。
 
原爆のみならず、先の大戦でお亡くなりになった戦渦の犠牲者は300万人以上といわれる。あの無残というしかない惨禍、焼け跡から 人々は立ち上がり再び復興し、焼失した
国土の面影は、繁栄と共に消え去り、あの戦争を直に経験した世代は高齢化し、私を含めた戦争を知らない世代が、戦後生まれが83パーセントに達したといわれる。
 
食べ物がある。衣類に事欠かない。夜露をしのぐ住まいがある。極めて当たり前のように想える生活、豊かな社会とは先人たちの努力の営為の賜物、筆舌に尽くしがたいご苦労の上に気づかれたのだと知るには、私も随分と時間がかかった。

とくに、気恥ずかしいくらいに私などは戦後の繁栄のおこぼれのおかげで生き延びることができ、争いのない平和というものの有難さを、享受してきた世代なのだと身に染みて思い始めたのは、還暦も近くなってからである。

そして想う。私自身高齢化してゆく中で、先の戦争体験者の言葉をささやかにほんのわずかでも、記憶の風化を止め、自分自身の言葉で語り伝える術のような努力を、元気な間はしなければならないと反省、自省するコロナ渦中の夏に思うのである。

とくにこの数年戦争体験高齢者が、おぞましいほどに、戦争がごく普通の人を狂わせて行く実態の諸相を語っているが、極限状況に置かれると人心はかくも無残に鬼畜かするのである。
 
他人ごとではない。飢餓に置かれれば人間は変質する。賢人は言う。衣食足りて礼節を知る。衣食がなければ人間は野獣かするのである。そのあまりにもの悲惨を避けるための指針が、平和憲法であると知る。
 
私の一文でこれ以上書くことは、むなしくなるので控えるが、世界は現在も筆舌に尽くしがたい無数の人々の困難さの営為の上に、我々の平和的な暮らしが送れていることへの感謝を胎に刻まなければならないと、まずは自分に言い聞かせる。
 
ともあれ、知る学ぶ。初老凡夫なりに一人の人間として、未来の人々のためにも、身近な家族、大切なヒトのためにも、暑さの中考え、自問自答の自粛生活の夏を送りたい。
 
 



0 件のコメント:

コメントを投稿