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2015-03-31

再びケータイが見つかった日に遊声塾の塾生が7名となりました。

3月31日の朝です。いよいよ発表会まで今日も含めあと5日です。塾生全員仕事をしながら、限られた時間声を出して各人稽古に励んでいます。
10年くらい続けている趣味の気になった書評ノート(不要になったノート)

私自身もわずかな時間、私自身の稽古を自分なりにやっています。お稽古は普段の暮らしの中で、時間を自ら見つけて続けるということが、やはり一番肝要なことであると、3日坊主であった私自身が、思うことです。

観念的には、ウイリアム・シェイクスピア作品に出会えたことが、ひょっとしたら私の人生で最も大きな 出来事であったとさえ、いま私は思っています。

ところで、ケータイが思わぬところで発見されました。お隣の家の敷地に我が家のねこ、花を探しに行った妻が見つけました。我が家の花は、よく脱走するのですが、せんじつの脱走の際に、私がお隣に探しに行った際に、かがんで胸のポケットから落ちたみたいでした。

いずれにせよ、再び私はケータイ生活を今しばらく続けることと相成りました。電話番号もすべてが元通り、新しいケータイは不必要となりました。(絶対矛盾を、おそらくこの世とおさらばするまで、続けるのでしょう)

お葉書(素晴らしい写真の)を書いてくださった、岡さんはじめ、ご迷惑をかけた方がいらしたらごめんなさい。この場を借りて お詫びいたします。

ところで、ケータイが発見された日に、西大寺の百科プラザで、抜き稽古をしていた日に見学に来ていただいた、Iさんがその場で 入塾されたので遊声塾は一気に7人に増えました。

3月だけで4人も増えたのですから、私自身がこの2年の歩みを体感しているので、にわかには信じられない気もしないではないのですが、私はこの事実を謙虚に自信をもって受け止めて、この出会いを、真の意味で豊かにしてゆくべく、努力を重ねたく思っています。

塾生が増えるということは、私の一人一人に対しての責任感が増すということです。にわか半端なレッスンはできません。真摯に向かい合ってレッスンできる人数は限られてます。

きちんとフルに月謝を払ってまで参加してくださる塾生には、それに見合うレッスンを、水曜日以外にもやろうと、私は考えています。

百科プラザは
抜き稽古の、少数個人レッスンをするには、とてもいいのでここをフルに使い、天神山文化プラザとの併用を遊声塾は行います。

出会えた塾生との関係性をゆっくりと深めながら、今を生きる真の意味での豊かさを、シェイクスピアを介在しながら、私自身学んでゆけたらと思わずにはいられないのです。




2015-03-29

4月4日の発表会まであと僅かです、ひたすら口を動かします。

いよいよ4月4日の遊声塾の発表会まであと1週間を切りました。全員6名揃っての稽古はわずかに2回しかしていません。

今日も個人的に抜き稽古をしますが、おそらく全員そろっての稽古はあと2回しかできないかもしれません。でも私はそれでいいのです。人様の前で全身でシェイクスピアを声に出して読む。

本を片手の公開稽古のような発表会になるかと思います。定員は35名、いま20名の予約があります。

ありがたいことです。多い少ないではなく、貴重な時間をさいてきてくださるのだから、努力します。私も含め恥をさらします。ほんの少しでもシェイクスピア作品の素晴らしさが伝わればと思います。

入塾したての、その初々しい今現在を生きる塾生の声も含め 、寛容なお心をもって受け止めてくださるように、主催者としてはお願いいたします。

私が驚くのは数回しか声を出していないにもかかわらず、 うまい下手ではなく今現在の自分の声を必死で考えだそうとする、入りたてその姿に出会えた時に、私の中に静かな感動が広がります。

塾を始めてよかったと思える瞬間、そうそう私が求めている声は、肉声なのです。血が騒ぐような今を生きる声なのです。

この世にたった一人の自分にしか出せない声 、書かれている文字を上手になぞるのではなく、意外な、思わぬ、予定調和ではない声の表現との出会い。

週に一度のお稽古の日以外に、どれだけ自主稽古できるかできないか。この年齢でも静かに今現在の限られた時間、声に出していると意外な自分の声(音)が生まれてきます。

稽古中の思わぬ自分自身の意外性の発見こそ が、私が遊声塾を立ち上げた動機なのだとあらためて実感するのです。

この実感感覚が救いです。稽古には集中力、持続力、意志力がかなり必要です。根気よく続けることを楽しめる人でないと、シェイクスピアの長いセリフの前に沈没してしまいます。

一息でかなりの長いセリフを言えるようになるのはなかなかに至難ですが、6人で読んでいると人間はやはりエネルギーが倍加され、刺激の交換が起こりいい雰囲気が生まれてきます。

シェイクスピア作品という大きな山に登るのは仲間が必要です。あと数名塾生が増えれば、十二夜という芝居は限りなく楽しく読めるようになる、ということが6名で読んでみてはっきりとわかりました。

なによりも、主催者である私が楽しそうに読む。口を動かし、体動かし、声をだしながら、日々老いてゆく自分を受け入れながらも、ある種踏んばる気力をキープする。

日々の生きる確認に、シェイクスピアのテキストは私には最高というしかない 。

2015-03-28

見ず知らずの方から、シェイクスピア遊声塾の稽古を見学したいという連絡がありました

ケータイがないにもかかわらず、天神山文化プラザに電話をしてまで、私の遊声塾に関心を持たれた方とおとといの夕方お会いしました。

私が誘った方ではなく、まったく見ず知らずの方で、インターネットで私の塾生募集のチラシを見て関心を持たれた初めての方でした。すぐ連絡をとりました。

待ち望んでいた若い女性(シェイクスピアには若い方もたくさん登場しますから) でしたので、私も幸い時間があったので、その方に会うことにしたのです。

やく1時間ほどお話をしたのですが、とてもいい感じの方で4月1日のレッスンに見学に来てくださることになりました。

3月から急に3人も塾生が増え、春が来たと喜んでいる私ですが、入塾するしないはともかくチラシを妻が作ってくれたおかげでこうやって反応があるということは、やはりシェイクスピアの力なのだということであると 私は思っています。

ヤンコットの名著、【シェイクスピアは我らの同時代人】という本があります。今も手元にあります。やはり、何かを探しているかたは、いるのです。

何らかの形で、いろんな方法で、私自身も若いころから自分自身が素直になれる居場所を探してきたように思うのですが、可能なら鉄は熱いうちに打てということだと思います。

ともあれ、やはり遊声塾を立ち上げてもうすぐ丸二年、私自身が30数年ぶりに声を出していますが、ようやくかすかに昔の自分の感覚が蘇ってきて、自信を取り戻すにしたがって塾生も増えてきているのではないかという気がします。

人と人がシェイクスピアを介在して本質的に 出会うことの贅沢というしかない時間を、塾の中で裸になって声をだし共通感覚を育む、体感する。

私自身が現代という世界の中で、なかなかに素になれない自分のもどかしさを抱え、そういう自分をいまだ何とかしたいとおもう、遊び心が消えないのです。

シェイクスピアの上品な高貴な世界から下品な世界まで、絢爛豪華というしかない魔術的な言葉世界、ひ弱な私の体に余るのは重々承知していながらも、 その言葉を発してみたいという誘惑がいまだやまないのです。

やまないというよりも、晩年になって声が細くなるにしたがって、時間ができた今こそ悔いなく出し切っておきたいという思いの方が大きいのです。若いころのようにはいかないながらも、出せる、出る今現在の声を出し切るという感覚。

 自分自身を別の世界へと導いてくれる幻惑的言葉世界、つくずく人間は言葉を操りながら、その関係性の中を泳いで生きてゆかなければならない器であるとの認識は深まってゆきます。

だからこそ人は日々声を(言語を)発しながら 生きてゆく。その言葉に敏感な肉体でありたいとの思いが私にはありまして、その先生が私にとってはたまたま、翻訳された日本語のシェイクスピアであったということだと思います。




2015-03-26

携帯電話がゆくへしれずになりました。

パソコンライフやケータイ電話からはできるだけ遠いところで、つまり最低限の使用頻度で生活できたらいいという、ライフスタイルを私は望んでいます。

年齢的にやれることの時間は限られていますから。そのこれからの時間を可能ならなるべく有効に使うためには、私の場合、あまりケータイやパソコンには頼らずとも何とはなしに、楽しい晩年ライフが遅れそうに感じているからなのです。

いいタイミングで、携帯が消えてくれたのではないかと、一日右往左往しながら、私は考えました。還暦後交友関係も含め新たにすべてを可能ならリセットしたいと思っていた私です。

すべての電話番号が一瞬に消えましたから、ある種なんといいますか、 しばし時間途方に暮れたのですが時間が経過するにしたがって、解放感のような感覚が体の中に湧いてきたのです。

本当に大切な方々の、電話番号やメールはこれからゆっくり(既に手書きの住所リストがありますから)再生することができますし、私が電話がなくても妻も娘も持ってますから、私がなくても、特段差し迫って本当には困らないからです。

火急の要件は家の電話がありますし、急ぐことのない用件ならもういい年なのですから、私はこれからは万年筆で、娘にも便りを書きたいと思っているのです。

生前母が私に書いてくれた葉書を、私は今も時折読むことがあるのですが 、今となっては宝なのです。

塾生とのレッスンのやり取りやほかで、4月四日まではちょっと困ることもありますが、そこをしのげば、しばらくノーケータイライフをと思案橋。

人生にやっと訪れた気ままライフを、ケータイなき頃の自分自身に可能な限り、還りたいのです。

だからといってケータイを持たないわけではないのです。旅に出たら家族とのやり取りに困りますから。しばらく持たないだけで、新しいケータイ(発表会が終わったらゆっくりと)を見つけます。(体から離れないようにするつもりです)

したがって電話番号が変わりますから御容赦ください。

2015-03-23

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

昨日日曜日、午後1時から夕方5時まで、天神山で遊声塾のレッスンをした。

私も含めて5人でのレッスン 、発表会が迫っていることもあり、わずかなお休みをとりながら、1幕から読み始め、なんとか4幕で読み進むことができた。

我ながらいささかの無謀な試みをやっているという認識をもって発表会に挑んでいる。言葉を変えていえば、無謀だからこそやる意味があるとさえ思うから、あえて私はやりたいのだとおもう。

安全なところにいての、お遊び的趣味同好会(それはそれで結構) のような、発表会を私はしたくはない。遊声塾を立ち上げた意味もない。

身体が冒険できる間は、ささやかな冒険心を持続しながら、偶然出会った仲間とともにあえて挑戦する心意気のある塾生とともに、シェイクスピアのセリフに、オーバーに言えば生きた声を吹き込みたいのである。

そういう波動に共鳴して (共振)下さるような方が方々がいるということは(月謝まで払って)私にはある種の驚きだが、私も随分と若いころから、限りあるお小遣いの中から月謝を払って学んできた。

いま、つくづく思うのだが、狂言の稽古の月謝であれ、文学座やシェイクスピアシアターの養成所時代の月謝であれ、(他にもいろいろ)自分の体に投資してきてよかったと思う。

人様からお金をいただいて、何かをなすということは、まだ2年にも満たない初めての経験だが、生徒さんがいてくださるという事実が、私の中にいうに言われぬ責任感を育む。

生半可なレッスンはできない。 これまで学んできた、身に付いたエキスのようなもの、私の中に眠っている言葉、それがレッスン中に吹き出てくるのを私は時折感じている。そこが支えだ

この感覚は遊声塾を立ち上げなかったら、おそらく永久に私の中に眠り続けて人生を終えてしまったかもしれないと思うと、塾を立ち上げてもうすぐまる2年 、つくづく今よかったと思える。

塾生の個性と私の個性がぶつかって何かが生まれてくる。それは意識を研ぎ澄まし、集中し、全身で声を出さないとなかなかに立ち現れては来ないのである。

普段の便利な暮らしの中で、自分の体と出あわなくなり、何十年も全身で声を出さなくなった私も含めた 貧相な肉体の現代人が、いきなりシェイクスピアのセリフを声に出すということの無謀さ、でもそこをあえて息を吐ききって声を絞り出すことの意味。

(それぞれの年齢で、今現在の自分の声と 向かい合う意味、声には自分史が映し出されている)

そのことを知るためにも、今しばらく声を出しながら自分の肉体と向かい合う勇気を 私は持ちたいのである。それはこの年になるとわかるのだが老いてゆくにしたがって必然的に声は出なくなってくるからである。

いつまで声が出る(出す意識の発露)のかは私にもわからない。ごく普通に歩ける、声が出るなんてことが極めて大切で重要なことであり、当たり前のことが実はまったく当たり前ではない、という深遠なる気づきにもつながる。

人はある種の負荷をかけないと、自分という器の魅力も なかなかに見つけにくい。私がかろうじて今を生きられるのは、これまで出会ってきた記憶に残る先生たちに、いろんな面を引き出してもらえたからだと思う。

人は万物に出会って、自分で殻を破らないと新しき自分はきっと見えてこない器なのだと思える。チャップリンが言うように勇気をもって 、あとはやるもやらぬも己次第だと思える。





2015-03-22

パソコンに向かうのは、最低時間にして自分の体と向かい合う。

60歳代に入ったと思ったら、もう63歳なのだからこの調子では、50歳代よりも時はもっとはやく流れそうな様子です。

50歳代とは全く異なるといってもいいくらい還暦後は我ながら落ち着いた日々を過ごしている自分を感じています。これはひょっとしたら企画をしなくなった、ということも起因しているかともおもいます。

うまくは言えないのですが、今の生活が今の自分にあっている という気がしています。時代の流行とか表層的なメディアのニュースとかに、ほとんど左右されなくなった自分がいます。

時代の動きに関心が無くなったということではなく、以前より落ち着いて考えるようになってきた自分を感じています。

こうも次々に痛ましい事件や事故がまるであおるかのように、ときにどぎつく報道されると、私のような単細胞は、かるく時代の渦の中に飲み込まれてゆきがちな、ある種の危険性を感じざるをえません。

だから、この数年ほとんど日本のニュース番組はきちんとは見ていません。自分の不得手な分野は、信頼できそうな方の本を読んだりして、努めて自分の頭や感覚で知るように心かけています。

自由民主主義、といいますが、果たして現実はいかがでしょうか。たった63年しか生きていない私が言うのもなんですが、これから数十年後の(世界はいかがな姿でありましょうや) 世界は皆目想像だにできません。

なぜなら、今の世界を数十年前にはまったく想像できなかったからです。ことほど左様に未来を予測することは、かくも難しく、まして事故や天災は言わずもがなのことです。

 置かれている状況を、各人がきちんと考え生きてしのいでゆく しかないのは、どのような時代であれ自明の理ではないかと、小生は思うのです。
母とむいたもうほとんど終わりのネギ

一見平和な我々の暮らしも、状況次第ではあっという間に大きな渦に足元から崩されてされてしまいかねない怖さを、わたくしごときでさえ感じてしまいます。

このようなつかみどころのない不安定な時代の空気感は、私の中ではやはり9・11から、そしてとどめは3・11だと思えます。

だからどのように一日を過ごしてゆけばいいのか、心の穏やかさの持続はいかようにすれば得られるのかを、私はかすかに自分に問いかけています。

私が体を動かし、声を出すことに執着するのは、自分という器がかけかえのない、とって替えられるものではないという ささやかな自覚があるからだと思います。

自覚や痛みさえあれば、努力を楽しめるかと思いますが、自覚がなければやはり難しいというしかない。

自分のことはさておき、この数十年の日本人の顔は、年々貧相になってきているように思えてなりません。自信がない、何故か、私の中では結論は出ているのですが、ブログで書く野暮は避けたく思います。

訳知り的なことを書く気も置きません。パソコンに向かうのは最低時間にして、自分の体と向かい合う時間をこれからの人生大切にしてゆきたいと思う私です。

夜が明けました。




2015-03-21

第2回、シェイクスピア遊声塾発表会まであと2週間です。

春分の日の朝です。いつもより一時間も早く目覚めましたので思い切って起きて、陽が長くなったとはいえまだ外は暗く、夜明け前のブログです。

何度も何度も書きましたが、この夜明け前のひと時が私はなんとも好きです。私の体もまだしゃっきりと起きてはおらず、何やらまだ体が胡乱な状態で、意識がはっきりとはまだ機能していないしばしの時間が、私はことのほか好きです。

本当に体が純粋な状態という のでしょうか、そのような時間帯にほとんどのブログを書いています。この年になると(私の場合です)夜の体と、昼の体と、朝の体ではまるで、同じ人物なのに感覚がまるで違うのです。

だから、夜明けの時間、午前中、午後、夜と私はやることをできるだけ変えて過ごしているのです。
 カメレオンのような私です。

さて、いよいよシェイクスピア遊声塾の発表会が2週間後に迫ってきました。3月から急に塾生が3人増えましたので、予定を変え私も含め6名で十二夜全幕を読むことに決めました。

全員そろっての稽古はあと3回くらいしかできません。でも私はやることに決めました。勇気をもって公開稽古といった感じでの発表会になるかと思っています。

だからというわけではないのですが、35名も入ればほぼいっぱいといった教室で行います。私や塾生の近しい方々に稽古の姿をさらす発表会ということです。

とくに入ったばかりの3人の塾生にとっては、大変なことだと私は思うのですが、 やるというその心意気が、なんとも初々しく、その感覚をさらけ出してほしいと願っています。

現代は気が付くと、無数の自己規制バリアが体の中に埋め込まれている、そのような感覚を私自身が持っています。(いい意味で解放してほしいのです)

そのようなバリアが少なかった時代の、シェイクスピアが創り上げた豊かな言語世界の【翻訳日本語のリズムの素晴らしさ】おおらかな楽しさがほんの少しでも伝わるような発表会になればと私は思っています。

朝、心が静けき時間に十二夜を読むと、何やら人物が立ち上がってくるように思えます。繰り返し反復練習を新鮮にやる、ことでしか登場人物のセリフは生きた感じにはならないのです。

眠っている言葉をに声に出す人間が、息を吹き込み、言葉を立ち上がらせる。死んでいた言葉が生き返るかのように動き出す。なんとも魅力的な登場人物の言葉をほんのわずかでも、遊声塾の面々と立ち上がらせたく思います。

初めてこないだの水曜日の夜に6名で声を出して読んだのですが、やはり人数が増えての稽古は実に楽しく面白かったのです。

お芝居、フィクションとしての面白さは、私の場合シェイクスピアが最高峰に感じられます。くだらない世界から、深遠なる高貴な世界までが縦横無尽に紡ぎだされる劇言語の想像力、まさに言葉、言葉、言葉。

明日日曜日も入った方をメインに、抜き稽古をします。無心に稽古をする中から思わぬ自分の声が聞こえてくる、その声に出会うべく声を出し続ける。

人間とは声を出す器、私もささやかながら塾生とともに初老の体に自分の声を響かせたく遊び心で、本番まで努力を続けたく思います。

すでに17名の申し込みがあります。何とか35名来ていただけるように呼びかけたく思います。事前の申し込みをしていただけるとありがたいです。それから、来てくださる方は座布団のようなクッションのご用意をお願いします。

さあそれでは、十二夜を読みますので、今朝のブログはこれにてお開き。

2015-03-18

一気に春が充満している庭を眺めながらの朝ブログ。

昨日はいささか面食らうくらいに暖かく、一気に春が来たかのようなお天気だったが、確実になにゃら春といった塩梅は、うきうきと近づいているように感じています。ボケの花もつぼみが開いてきました。

ささやかな妻が手入れし我が庭にも、春の息吹が充満しています。その息吹を全身でいただける束の間の有難さかな。

落ち着いて春をゆっくりと堪能したいのですが、何かと忙しくしている間に、季節は思いもかけず足早に 過ぎ去ってゆく、瞬間に春を堪能する、それでいいのだという趣です。

なんていったって、3日坊主の私がブログを書き始めてから、気が付くと毎日ではないにもせよ、6年目にはいっている。知らぬうちに歳月が流れている。私のささやかな自意識などお構いなしに万物は流転する。

そのことに、いささか呆然、時間は容赦なく流れてゆく。この年になるとつくずく時の流れの速さに、ただただ驚く我が身である。でもそれでいいのである。テレサテンの歌のように時の流れに身を任せる感覚。

毎度同じようなことの繰り返し的なわがブログなれど、読んでくださる方がいるという事実が私をして、間接交流といった塩梅で、気を働かせているのかもしれない。励まされます。

静かに寝起きの朝、コーヒーを飲みながらゆっくりと他愛もないよしなしごとをつづれるひと時は、さあて今日はどのように一日を過ごそうかと、ゆっくり思案するには最高の時間というしかない(私の場合)。
 
書き上げるとなにやらがスムースに流れ出す。いまやささやかに儀式のようにさえなっている。つくづく書くという行為は、自己を冷静に対象化するために私には欠かせなくなってきている。

書くことで意識が整理され、今日一日の過ごし方がやんわりと決まってくる。 齢を重ねるとすべてがゆっくりとした動作になってくるのは必然だが、そのゆっくり感を自在に楽しむように、自分で自分の気分をのせてゆくといった、わがブログである。

継続していると、次々としなければならないこと、やらねばならないことが整理されてくる。今を生きている実感のようなものが湧いてくる、面白い。 ありがたい。

限られた一日、今日も書いているうちに、今日の過ごし方が決まってきたので、ブログは終わりにします。

2015-03-15

M新聞の連載、ミンダナオの記憶をじっくりと読む朝、そして思う。

どういうわけか母が昨夜は我が家にとまった。土曜日終日我が家にいて、妻のささやかな大工仕事をてつだったり、私のネギの皮むきを手伝ったりして楽しく過ごした。平和そのものの家族の休日。

このところやたらと母がブログに登場する頻度が高いが、人が楽しそうにしている姿こそが尊い、母の姿に人間の尊厳を時折感じる。

私はつくづく反省というか、ものの見方が変わったというか、庶民の知恵の豊かさというか、かくも狭き世界の中で、これだけ充実した世界を実現し、静かに豊かに暮らしてゆけるお手本がそばにいるということの有難さを、漸くにして深く気づき始めた自分がいる。

芸術や文化的なことには、まったくと言っていいほど触れることもなく、ほとんどの人生を子供と夫との人生に費やしてきた母の人生。

(戦後生まれの私は、自分が日本の歴史始まって以来の豊かな時代に育った最初の浮かれた世代という認識が深まってきた、それは主に映像と音楽によって、その良し悪しは置いといて)

私の両親の人生もそうである。大方の日本人の大多数、母の年代の方々は、多分に似たような人生を否応なく歩まざるを得なかったに違いない。

今年は戦後70年の節目の年であるから、何かとメディアもいろいろと特集を組んでいて、私もできる限り新聞を読むようには心がけている。

M新聞の連載ミンダナオの記憶は、まだ4回目だが実に読み応えがある。またもや反省するのだが、新聞をきちんと読む力を身につければ、新聞にはあらゆる有益な情報が、いまだ十分に詰まっているそのことに驚かされる。

先の戦争でかくも大変な生き地獄を経験した方の談話なんかは、経験した方でないととてもではないが、わからないリアルな表現に唖然としてしまう。

そのような文章をたまたま読むと、いまわの際のむごたらしい戦争は何としてもやってはならないということを、私には如実に 感じる。(殺人はどんな大義があれ、人を幸福にはしない)

朝から脈絡のないブログになってしまったが、ミンダナオの記憶の連載は戦争の悲惨さ、むごたらしさ、おぞましさを伝えて秀逸だ。

ああいう体験は、全世界の人間がしてはならないと思う、だが未だ戦場に駆り出されるのは愛国者と弱者たちである。

愛国者と愛国者が向かい合う構図。お互い相手が悪いとの認識を疑わず、変えない。つくづく不毛な戦闘は続き精神も体もやんでしまうという悪循環。人が死ねば桶屋が儲かるの図、もう世界のかなりの人たちは、その空しき構図に気づいています。

(もういい加減むなしさに気づいた人たちは、特に体験した人たちは、ガンガン発言しましょう、と私は言わずにはいられない、何というばかばかしさ、人を愛する豊かさをその勇気を見つけましょう、と虚空に祈る)

もし、自分の身内や近しい方が戦場に送り出されるような時代がやってきたら私はどうするだろかと自分に問う、 その感覚を平和ないま考える力を養わないと、いつか来た道をまたもや繰り返す愚をまたしてしまうのだろう。

人間は不安にかられると何をしでかすかわからない生き物である。状況次第で人間は気が狂ってしまう生き物である。そのことをはシェイクスピアはいろんな作品で書いている。



2015-03-14

さようならアベノミクス、こんにちは私の身体。

昨夜初めて今まで使用したことがない天神山の教室で3人の塾生と、定例ではない予定外のレッスンをしました。

かくも現代人は忙しさのフル回転を生きてゆかざるを得ないのだということを、いつも私は思い知らされています。だから毎週水曜日に 来られない塾生のために、しかし、きちんと月謝を払ってくださる方のために、そのほかの日に個人レッスンをすることにしました。

基本は水曜日の夜なのですが、塾生の都合に合わせほかの日にレッスンをすることに決めましたのです。(隙間の時間を見つけて、塾生と相対し現在の自分の声を出し切る)

昨夜は、6時半から8時まで二人の 塾生のレッスン。8時から9時半まで個人でのレッスンをしました。

これが思いのほかいいということを、昨夜認識しました。みんなそろってのレッスンは水曜日にして、あとは各人の都合に合わせる。

それに合わせて、なるべく事前に教室を抑える。うーん、やはり人間は考える葦であると、私自身考えるのです。

とにもかくにも、たった一つの体で18歳から何とか生きてきた(来られた)経験というか知恵のようなものが、追いつめられると私の場合は、いいほうに活性化する癖のようなものが、何とか今もかろうじてある、そこが救いです。

解雇されても、そこをいい方向に考えほかに道はないのかと思考する。そのことをあきらめず勇気をもってまずはやってみる。

やってだめでも、それはそれで構わない。それくらいの覚悟をこれまで何度も経験してきたことの、過去がやはり無駄ではなく、今の私を支えてくれる有難さを思うのです。

一日一日の積み重ねの上にしか、現在の自分の在り様は成り立たないということは、普遍の真理のように思えます。まったく才能もなく漫然と吹けば飛ぶような夢を描いて 都会に出た田舎者丸出しであった私が、何とか今を生きているのは、か細い内なる体が発する自然な声に耳を傾ける、何かがあったからだと思います。

最近、うまくは言えないのですが、貧しくも何やら非常に物事がうまく運び自分でもちょっと意外な展開に、ただ驚くのですが、私としては体が気持ちのいいことを努めてやりたいと思うくらいで、 なるがままにという心持なのです。

翻訳文体の日本語のシェイクスピアを、いよいよこれからの晩年ライフに再び声を出して熱く読む時間が私の人生に訪れるなんて思いもしませんでしたが、現にいま訪れている塾生共々との、シェイクスピア遊声塾時間は私にとってはかけがえのない時間になっています。

それもこれもやはり、シェイクスピアの作品が私にとってはとてつもなく面白いから、縁のあった塾生とともに山に登るように 、作品を読みたくなるのだと思います。

声に出して読むのは大変ですが、登ったものにしかわからない世界がやはりあるとしか私には言えないのですが、理屈はともかくいよいよこれから私にはシェイクスピアをとも読む仲間がどうしても必要です。そしてもっともっと、シェイクスピアを虚心に学びたく思っています。

かなりお年を召しても、声を出せる健康な体があれば、かくも楽しいことが可能なののだという、一つのモデルを自分でささやかであれ、実践したい私です。お金がないと何もできないという呪縛から、限りなく遠く離れたいと私は思うのです。

さようなら、アベノミクス、こんにちは私の体、です。

2015-03-13

シェイクスピア遊声塾発表会に新しい塾生も参加していただきます。

遊声塾は毎週水曜日の夜がお稽古の日ですが、今月はそれ以外の日にも稽古の日を設けました。今夜と日曜日の昼にあと2回ほどやることにしました。

だからおそらく4月4日の、発表会を終えるまでは、遊声塾に関してのブログが多くなると思いますが、御容赦ください。

さて、一昨日の夜久しぶりに塾生4名と一人の見学者、私の6名でのお稽古をしました。入りたての塾生にも時折声を発していただきました。

うまいとか、へたとか、そういうことでは 推し量れないいわば最初の初々しい声、というものがやはりあるのだということを、私は再認識しました。

そしてあらためて、一つのチームとしての適性な人数というものがあるということも。私も含めて5人で、十二夜の1,2幕を読んだのですが、実に実に楽しかったのです。

一人一人顔が違うように、声も違います。個性と個性が丁々発止登場人物のセルフを声に出して、無心で読む。まったく普段の暮らしの中では、出すことはない声を夢中で出す。

徐々に体がほぐれ、自意識がほぐれ、体が役の人物に寄り添ってゆきます。フィクションとして変身してゆきます。

Mさん、私が誘った方なのですが、わずか最初のレッスンで、意外といっては大変失礼ですが、彼の持つ生来の可笑しみ(と悲しみ)みたいなものが、役の性格と絡み合って、えも言われぬ表現がたち表れ私を驚かせました。

自分でも驚いたかもしれません。ともあれ、あと4回くらいしか一つのチームとして揃った稽古ができないのですが、やれるだけの稽古をして、各自覚悟して4月4日を迎えようという心境です。

チラシにも書いたのですが、わずかなメンバーで十二夜全幕を読む覚悟でしたが、思いがけず急に遊声塾に参加したいというメンバーが三人ほど増えたのを機に、このメンバーにも量は少なくとも読んでもらうことに決めました。

三人で読む覚悟をしていたのですが、急きょ六人で読むことにしました。素読さえできれば、なんとか入場料無料の発表会を成立させることができると、私は 胎をくくることにしました。

入りたてのほやほやですがあと三週間(自主稽古)ありますから、劇の展開の流れだけきらさないように、そこを抑えたレッスンをするつもりでいます。

ともあれ、遊声塾の稽古風景の延長を35名くらいの方々に見ていただくための、ワークショップ的発表会です。

見る側と、やる側では、まったくもって違います。どうか寛容な心でお出かけくださいますように切にお願い申しあげます。

 今夜も稽古します。もし見学したい方(可能なら事前予約して)いらしたらどうぞ。 天神山文化プラザで18時半からやってます。

2015-03-11

空前絶後の3・11東北大震災の朝に思う。

3月11日から、あっという間に4年の歳月が流れたのだという事実の重みの前には、個人的にまったく言葉がない。

歴史上空前の出来事、原子力発電事故に関しても、風化の懸念はいかんともしがたい 。ささやかに、胸の内のなかでやれることを、というくらいの言葉しかない。(私の理解の及ばない出来事)

今年は何とか時間を見つけて、わずかだが瓦礫の撤去をした、遠野の大槌町を訪れてみたいという気持ちがある。実現したい。

元気で生きている間は、ささやか生まれた関係性を持続したい、今のところわたしにできることは そのくらいしかないが、それ以上に3・11が私に与えた衝撃はやはり大きい。

おそらく3・11の出来事がなかったら農の仕事を始めようとは思わなかったかもしれない。今目の前にいる大切な家族をはじめとする存在に対して、はなはだ意識的に思いやれるような生活を心かけたいという気持ちが、強くなったことは事実である。

一日一日を、以前にもまして大切に生きるようになってきたような気がしている。人間は忘れながらも、忘れられない記憶を抱えながら生きてゆくしかない。

途方もなき心の痛みを体験したことのない我が身には、 ただただ瞑目するしかない。

さて、最近というか、夢が原退職後妻の母と過ごす時間が増えた、時間が増えたということは、話をすることも多くなったということである。

母はとにかくよく体を動かす、私はその姿を身近に感じる幸せをつとに感じる。お裁縫、片付け、炊事選択、編み物、土いじり。それによって成したものを、惜しげもなく人に振舞う。その生活ぶりを間近で接するにつれ、いたく感動する。

自分のことはさておき、まずは人に喜んでもらうことを第一義に考えている点、はなはだもって誰にでもできることではない。

そんな妻の母と過ごすひと時は、最近の私のひそやかな楽しみである。現在82歳、5月で83歳になる、私より20歳年長である。

敗戦の時13歳だから、最も多感な時期である。苦労人という言葉が一番彼女には似合う気がする。5人兄弟の長女、学歴は中卒。下、4人の面倒を限りなく見ている。

お嫁に行ってからの苦労、とつとつと語る彼女の半生を聞いていると 、えらいものだと素直に思う。毎回のように今が一番幸せだと事あるごとに口にする。

苦労をしたからこそいまがあると。おひとりさまの、今の暮らしを心底楽しんでいる。(私もかくありたい、自在力)

再三ともに暮らそうといっても、まだまだ一人が気楽でいいと、耳を貸さない。昨日も我が家に来ていたのだが、夕方風が強く寒いので泊まっていったらといっても、だめ。

これくらいの風は何でもないといって、自転車で帰っていった。カッコイイのである。お茶目である。よく食べる。今一番の理想の晩年ライフを生きている、私の目指す先達、お手本である。

私は考える。人はどうすればこのような境地にいたれるのか、と。母は自分でも言っているが、本を買う余裕も、読む時間なかったから、世界のことをあまりにも知らないと。

人は万巻の書物 を読んだからといっても、人格が豊かにはならない。実践力、行動力、言動力、愛する力、ともかくいろんな要素が絶妙に絡み合わないと、どうも人は豊かには慣れないのだと、最近私は感じる。

シンプルに、静かに、とにかく体を動かしながら考える。大切な人たちと向かい合う時間を大切に生きてゆきたいものだと 、母を見ていて思う。愛のない暮らしは実に空虚(むな)しい。

2015-03-10

母の命日の朝のブログ。

冬を断ち切るかのような雨が降り続いた翌日の朝、3月10日は母の命日、風が強いものの青空が広がっています。東京大空襲があった日でもあります。お線香を立て静かにパソコンに向かっています。

毎年この季節は、身近な亡き人たちの命日がやってきますし、私を含めた家人たちの生誕もやってきます。生者と死者が意識的に交歓をかわす冬の季節を終えると漸くにして春が我が家にも到来する。

そんな気が個人的にいつもしています。風は冷たくても、そこかしこに春を感じつつ、初老のわが体にも春の息吹が伝わってきます。

万物に等しく春はやってくる。陽が長くなると、何やらわが体にも陽が灯るような気がするから不思議です。

さて、そうこうしながら時は流れ、4月4日のシェイクスピア遊声塾の発表会があと3週間とちょっとに近づいてきました。

先週から近しい方々に案内を送っています。手書きで一言 書いての封書作業なので、何かと毎度のことですが時間がかかります。でも私は以前よりははるかに少なくなった(80通くらい)その作業を楽しんでいます。

墨をすり筆で宛名を書く、そのことが楽しめています。万年筆も私大好きなのです。ドレスデンで手に入れた、記念の一品で文字を滑らせることの幸せをささやかに感じています。

穏やかな晩年時間がようやく訪れたのだと、文字を書きながら 嬉しさが体に満ちます。一日を自由自在に、過ごせるなんて考えてみると幸福なことなのであると気づかされます。子供の時以来です。

それもこれも、気づける健康な体があればこそなのだと、わが体に感謝します。 身体あっての声、体に充実感が響かなければ、シェイクスピアのセリフは死んだも同然のようになってしまいます。

残すところあと何回メンバー揃って声が出せるかといささか不安も覚えますが、無料なのでそんなに気にせず、普段の練習風の延長、このようなことを遊声塾はやっているのだということを知ってもらえたらと思います。

定員は35名です。すでに5名の方の申し込みがあります。どうかいらしてください、とお願いをして今朝はこれにて。

亡き母の、面影浮かぶ、春の雨。

2015-03-07

何か久方ぶりのありがたきコメントに感じ入る朝。

たった一言であれ、時間を費やして書いたわが拙き五十鈴川だよりに、コメントをいただくと、小生のような単細胞は、やはりかくもうれしいのだということがよくわかりました。

だから、コメントを書いてくださいね、とお願いしてるのではありませんから、誤解なきようになさってください。何事も自然に流れてゆくのがいいのです。

私の場合がそうなのですから。還暦を過ぎてから以前にも増して 、私は自分にできる限り正直にいきるようになってきたように感じています。

背伸びした文章を書きたいときには書くに越したことなし、気が乗らない時には、気が熟するまで待つとか、とにもかくにもにもあるがままに、体の深いところにある意識が発するままに従う。無理はしない。

さて、先週塾生が増えたことを喜ぶブログを書いたのですが、コメントを書いてくださった方も,月に2回なら 参加できるという申し出なので、それで結構だとお答えしました。

遊声塾はしなやかな塾を目指します。塾生と私が声を出し合いながら、今をいきる出会いの関係性を 深めてゆく塾なのです。

テキストはシェイクスピア。あのエネルギーに満ち満ちた膨大なおしゃべりな、登場人物たちの声を、こんなにも痩せ細った現代人の我々が、生きた声を発するには大変な集中力と持続力がいるのですが、そのことに挑戦する仲間を私は求めます。

現代は長い歴史の上に、かくも途方もない豊かなのか、豊かでないのか、判然としない一言でいえば、歴史上経験したことのない、混迷極まるどん詰まり状態が、広く世を覆っているような気が個人的にしています。

だから、足元をすくわれないように、自分が地球の上にまっすぐ立って、気持ちよく歩いているという、たった一つのかけがえのない財産ともいえる、体感覚の気持ちよさを取り戻すべく遊声塾を私は立ち上げたのです。

何よりも私自身がシェイクスピアを声に出して読むことで、貧血気味の体に新鮮なエナジーを取り込みたいのです。そのためには最低8人くらいの塾生がいれば、きっと楽しくより人生が充実するという確信のようなものが私の中に、生まれてきました。

新しき出会いの関係性の中から、新しき自分の人生が紡ぎだされてゆく。安定した時間と不安定な時間の調和、他者と声で触れ合うことで微妙な得も言われぬ感情が自分の中に生まれてくる。

その瞬間こそが生きている実感の豊かさにつながるような塾ができたら、まさに夢のようです。ともあれ、私に希望を与えてくれるコメントをいただき、この場を借りてお礼を一言お伝えします。