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2012-06-28

9月7日(金)土取利行・邦楽番外地ポスター完成

1978年、26歳の時ロンドンで土取さんに出会いました、あれからいく歳月

土取さんの邦楽番外地のポスターが完成しました。チラシも今日届く予定です。とてもすっきりしていて良い仕上がりです。今日はお休みなので、今日からポスター配布に動きます。まずは協賛して下さった方々にお届けして、可能な限り車と足で歩きながら配布したく思います。



300枚、かなりの枚数ですが、なんとかひと月でと考えています。もしこのブログを読んで預かってくださる方がいましたらご連絡くださると大変嬉しいです。チケットの行商とポスターの配布のためなら、どこにでも出かけてゆきますので、くれぐれもどうかよろしくお願い致します。



97日にやることを決めてから、おおよそ3カ月かけて完成したポスター。特に今回は、還暦にして再出発の第一回の日高事務所・企画です。身が引き締まり、特別な感慨におそわれています。何としても300人集めるとの思いで、300枚刷りました。



これから多くの方の協力を仰ぎながら、この20年間培ってきた、私の企画者としてのすべてを、この企画に情熱を悔いなく注ぐ覚悟です。出来るうちに、私の身体が動くうちに、とのおもいで事務所を立ち上げたのですから。



土取さんの膨大な仕事の一部を、企画できるということは、私にとっては大変な冒険でもありますが、土取さん自身が未踏の分野を開拓、深化(進化)してゆく芸術家なので、私もなんとしても、ともに冒険してみたいのです。明治大正時代の演歌師の唄を、土取さんが、まさに時代を超えて、乗り移ったかのように歌います。いまの、現代という時代が、浮かび上がってきます。何という先人たちの骨のある心意気、打たれます。



20数曲、ユーチューブでアップされていますので、土取さんのホームページからアクセスして、聴いてみてください。事前に聞いておいてくださると、当日のライブがより楽しめると思います。時代の流れがつかめます。



亡くなられた、桃山春衣さんの形見の三味線を土取さんが弾き、歌います。まさかこのような企画を自分がしようなどとは昨年の今頃は考えもしませんでしたが、いずれの企画も土取さん、桃山さんという希有な芸術家との邂逅がなかったあり得ないことなのですから、企画をしているというより、何かの流れに身をゆだねているという気がしています。この企画は、今は亡き桃山春衣さんに捧げます。

2012-06-26

蟻のように自己満足的に書き綴る朝

母が育てた今年初めてのトマト

ブログを書いてはいるのだが、本当に私はIT音痴である。先日ブログを立ち上げてくれた、娘の男友達ドイツ人の、レイ君がけっこうアクセスが来ていることの、確かめ方をおしえてくれた。



コメントはなくても、開いてくださっている方の数のおおよそがわかるということは、とても興味深いし、やはり嬉しく、虚空に向かって書いてはいても、励みになる。外国からもアクセスがある。



ヒトと共生できない(それもありだと思う)、することに、生き苦しさを感じている方たちが、随分増えているように感じるが、私は他者という存在がないと、自分も存在しないと考えているから、ときおり空虚感におそわれることも無きにしも非ずだが、いまのところ、自己満足的に書きつづっている。



2年8カ月近く書きつづっているわけだけれども、積み重ねればかなりの量になっているはずだ。他者の眼に触れるわけだから、いささか襟を正して毎回、思いつくよしなしごとを書き続けてきて、本当によかったと今思える。石の上にも3年という諺は、やはり真理をついていると思う。



否でも、自省力、内省力、反省力、ということが起こってくるように思える。何度も書いているかもしれないが、これはブログの効用というしかないものである。



自分のあるがままの限界感のようなことも感じるが、その感じるということが、自分では大切なのではないかと思うのだ。何事もやってみる中からでしか、見えてこないものがあるのだと思う。まだかろうじて蟻のように前進している自分を感じられるから、ブログが書けるのだと思う。



2年8か月前の自分とは、確実に異なる自分が生まれてきているのは、自分自身が一番自覚している。やはり先の自分自身が、わからないということ(世界もまた)が素晴らしく面白いのではないかと思えるのだ。



先がわかっていたら、いきいき出来ないと、考える側を私は呼吸している。




2012-06-25

落ち着いて考えられる自由・身体が動ける自由

考えるために読む本

私が塾を始めた百花プラザは、図書館があるのでこの4月からかなりの頻度で図書館通いが始まった。運動公園も併設されているので、犬のメルの散歩とは別に、ささやかな外での運動も併せてするように、心がけている。



数年前から始めた懸垂も、広場のぶら下がり棒をおもに利用している。週に3日はこの百花プラザを利用している。おそらくここは、私が晩年の生活のベースになるのではないかという気が最近するようになった。



身体を動かし、ブログを書き、本を読み、何か一つ外国語を学び、筆文字を書き、散歩をし、妻のガーデニングを手伝い、たまには料理をし、雑巾がけをし、好きな映画をDVDで見て、仲のいい友達と話をし、月に一度、ボランティアで子供たちにナイフの使い方を教える、などなど、晩年の暮らしの基礎を、考えている。



下の娘が、自立するまでは今しばらく働かなければいけないが、親の責任が終わればやがてはなるべく社会のお荷物にならないような晩年ライフを、今からしっかり見据えておかなければいけない、そんなことを特にこの4月から意識して生きている。



するとどうなったか、ほとんど家にいる限り、お金を使わなくても生きられるようになってきたのである。昨年、マイコプラズマ肺炎で退院してから、180度私の暮らしは変わった(友達との付き合いも、こんな私でよかったらという感じで、無理しなくなった)良く睡眠をとり(とにかく早寝早起き)身体をいたわるようになったと思う。オーバーに言えば、自分の身体、その日の体調と話をするようになってきたのである。



決して無理をしなくなったのだ。眠くなったら寝て、眼が覚めたら起きる。昨夜は9時前には床に着き、今朝は3時過ぎに眼が覚めたので、床の中で今日やることを、おもむろに考え、3時半には床を片付け、いろんな準備をして、コーヒーを入れ、ブログしているというわけだ。



一日を、可能な限り何事も意識して生きる、という訓練をすることによって、ことのほか毎日が楽しく感じられるようになってきたのである。これはお金を消費して、得られる(それはそれで楽しい)喜びとは、一味異なる喜びなのである。



哲学とは、考える学問だと思うけれども、良く生きるとは、つまるところ考えることを楽しむ(苦しむ)ということをやめないということだと、思う今の私だ。






2012-06-24

遊悠塾初めてめての参加者現る

私が懸垂するぶら下がり棒

今のところこのブログと、何十人の方にしか、私塾に関しては知らせていないし、具体的な問い合わせがなかったのだが、とある方にお葉書を頂き、お返事の中に遊悠塾のチラシを同封したところ、その方から、参加したいとのメールを金曜日に頂き、昨日開塾二回目にして、初めての参加者と二人で、8畳の部屋で声を出しました。



テキストはシェイクスピアの間違いの喜劇、全ては一から始める(来年の3月までに15人の参加者があればとの思いです)、とりあえずしばらくは、私一人でやりながら、とのおもいでいましたが、やはり届くヒトに届けば反応はある、ということがハッキリわかりました。



その方は、いま現在少し膝が痛いとのことで、身体を動かすことはせず、少しの自己紹介の後、いきなり私と二人でテキストの台詞を、15分読んでは5分位休(人数が増えればまた変わります)みというという感じで、3セットやり、二人だけの塾の時間を過しました。



遊悠塾は参加される方の個性に合わせて、レッスンを(年齢、性別、体調、すべて異なりますから)します。読んだこともないセリフを、いきなり初見で素読で読むわけです、しかもかなり長いセリフもあります。それも他者とやりますから、かなりの緊張感のなかで意識の集中力を持続させながら、声を出さないといけないのですから、否でも全身を使います。汗が出てきて喉が渇きます。



それでもなんとか初めてのレッスンを終えました。お互い初めて出会い、共に台詞を声に出しました。その方(女性の方です)は翻訳文体であれ、おそらく生まれて初めてシェイクスピアの台詞、言葉を声に出してみて、黙読と声に出すことの違いをわずかの時間ではありましたが、実感されたと思います。



終えて、西大寺のバスセンターまで、二人でお話をしながら歩きました。人間は私も含め、いろんな紆余曲折の人生を生きています。たまたま、私の塾にわざわざ足を運んでくださった方、青春の疼きを、いまだ抱えて(私もそうです)おられるように思いました。



いま現在の生活をもう一度見つめながら、これからの人生を共有する塾で在りたい、と声を出しながら、希望(ねが)わずにはいられません。人が増えてゆけばきっと楽しくなる塾になるという、確信が私の中に昨日生まれました。








2012-06-23

桃山春衣さんにささげる

2006年に出版された桃山さんのほん

6月に入り、藤原新也さんのWMのトークが、一部どなたでも読むことができるようになったので、この五十鈴川だよりを、読む方は読んでもらいたいという気がします。



それから、これは以前も書きましたが、土取利行さんの、ブログ音楽略記、是非読んでほしいと思います。とくに、6月17日にアップ(およそひと月ぶりに)されている、自分が何故演歌を歌うのかについての、思いを綴った少し長めの文章は、何としても、読んでほしいのです。



ますますもって、9月7日の企画に本腰を入れたくなる、蒙が開かれる一文が綴られています。土取さんのパートナーであられた、桃山春衣さんの生涯をかけた消えゆく日本の唄への心のともしびを、受け継いでゆく志が、熱く記されています。



今回の、日高事務所の再出発企画は・桃山春衣さんに捧げる・と銘が入っています。土取さんのブログでは、桃山さんの取り組んでこられた・音の足跡・も綴っておられます。いずれの文章もやがては本になるかと思いますが、これも合わせて読んでもらいたいと思います。まさに地下水のようにかすかに流れている、日本人の音の源流を求め、壮絶な生涯を終えられたことが記されています。



時代の表層には流されず、ひたすら自分の感性に忠実に、天職のお仕事をなさった桃山春衣さん。出会った当初、私は桃山さんのすごさがまったく理解できない、朴念仁でした。ようやく今、少し理解できます



こんなにも人知れず、深い思いを秘めて唄を作って(現代の浄瑠璃も含め、お仕事は多岐にわたる)おられたことを知るにつけ、芸術家の魂に感嘆します。



それをまた、きちんと継承してゆく、土取利行さん。このお二人に出会ってしまったのも、ありがたき運命の巡り合わせと、年齢と共に得心するに至りました。



日高事務所再出発企画として、これ以上は望めない企画です。なんとしても西大寺観音院の、大広間を満員にして、この企画を桃山春衣さんに捧げたく思います。


2012-06-21

金銭に可能な限り寄りかからない生活を探す

いま読んでいる本

特にブログを書きはじめたころからだから、テレビのニュースというものをほとんど見なくなったように思う、新聞も若いころのようには読まなくなった。本当に大切なことは、残念ながらほとんど伝えていない、そのようにおもえるからだ。



自分の人生の時間というものを考えると、受動的な行為ではなく、身体を動かすことをまず基本にして、本を読むとか、文字を書くとか、観るのではなく聞くとか、テレビが現れる以前の時代にやっていた、つまりは、少年時代に情熱を注いでいたことが、今はとてもやりたい私だ。大切なことは自分で考えて探すしかないのだ、とつくづく思う



考えて、探す、自分で動き、考えた中でしか、企画の情熱は生まれてこない、つまりはそれが、今私が生きているということなのだと思う。



おそらく、遊悠塾をやりたいのも、おそらくそういうところに、起因しているのではないかと考えている。根の無い情報に振り回されるのではなく、自分であらん限りのアンテナを張り、自分自身の身体で、直接何かビビッドな情報を得たい。



土取さんを企画する事により、明治大正時代の演歌について書かれた、添田知道さんの、演歌師の生活、という本を今読んでいるのだが、知らないということは情けないくらいにつまらないことである、との思いにとらわれる。いかに自分自身が無知であるかということを、思い知らされるのである。



私が、この20年山登りのように、未知なる世界を企画したくなるのは、おそらく新鮮な気づきが、発見の喜びが、おそらくは止まないからだろう。読めば読むほどに読まねばなら本はふえるけれども、謙虚に知ることの大切さを、感じる自分の感覚を無くしたくはない。



本を読んだり、書いたり、身体を動かしたり、お友達とお話をしたり、つまりは健康であれば、お金に頼らなくても、充実した人生は送れるはずなのである。いま、私はささやかな試みを、4月から始めている。始めざるを得ないという現実があるのだが、それは、いかにお金を使わないで生きることが可能かという試みだ。根本からライフスタイルを、見つめ直そうと考えているのだ。おかねが使えないことを、楽しむ方法。実践して、ときおり、ブログでお伝えします、ね。



CMで流される、健康食品などを否応なしに眺めさせられるために、私はテレビを見ているわけではない。


2012-06-19

NHKで藤原新也さん原作の永遠の泉を見ました

父の日、娘たちに頂いた靴

激しい雨音が聞こえる朝です。台風が近づいているせいだからだが、梅雨時の台風は大雨をもたらすから、各地での災害が少ないことを、祈るばかりである。あらゆる天変地異に対しては、私は無力感を覚える。備えはしても、大いなる何かに巻き込まれたら、いたしかたないとの思いに、この年になると、そういう心境だ。だから、今日一日を、きちんと生きたい。



さて、永遠の泉、藤原新也さんの原作のドラマ。テレビでドラマを見たのは何年振りかでした。妻と二人で見ましたが、静かに私のほほを、涙が流れてゆきました。テレビドラマでしかなしえない世界が、美しいカメラワークで創られていました。俳優たちの演技が素晴らしい。生と死を見据える、二組の夫婦の人間の物語。夫婦とはなにか。そこに若いカップルが絡み、親子の在り方も提示される。



人間が生きて、死を迎えるまでの、(安易な言葉には置き換えられないほどに、あえて書けば、崇高というしかない)長い歳月、日々のドラマを繰り返しながら、人間らしく生きるということ(の困難さを)をこのドラマは、語りかけてくる。



絶望からの再生は、ヒトとの出会いによって、救いの光が見えてくる。ドラマのタイトルの湧きでる泉は、象徴的だ。人間の営みとは関係なく、命の水は湧き出る。われわれは水の惑星に生を受け、最後は死に水を、口に含み生を閉じるが、死は終わりではないことを、このドラマは示す。



良い作品を見た時には、身体の中に浄化作用が起きる。寺尾聡さんの顔のアップが度々でてくるのだが、皺がいい、美しくさえ感じられるのである。何か歳を重ねてゆくことは当たり前のことであるのに、若いということのみが、編愛されるかのような時代の風潮だが、私はおかしく感じる。青春があれば、老春もあるのだ。外見に惑わされてはいけない。



登場人物たちが、再び生活を(仕事に帰る)始めるラスト、動きはじめる、いきいきと。



私も美味しい水を頂き、今日を生きる朝です。




2012-06-17

遊悠塾一人で始める

いきいき遊悠塾を始めた百花プラザの横からの眺め

60歳、6月16日の昨日は、私にとっては記念すべき一日となりました。遊悠塾の塾生はまだ一人もいないのに、塾を始めたからです。塾生がいないのに始めるなんて、なんか変な感じもしますが、とりあえず私自身が身体を動かし、声を出すことから始めようと決めたので、一人でもできる8畳の和室を借りているのですが、参加者が3人になったら、もっと広い部屋を借りることにしています。



この、8畳の空間で、昨日一人で2時間を過しました。約一時間身体を動かし、その後声を出し、シェイクスピアのロミオとジュリエットの台詞を30年ぶりに口に出してみました。若いころに打ち込んだことは、やはり時がたっても身体の奥深くに活きています。人間の不思議なところですね。飽くことなく台詞を口に出していた頃の自分が、甦ってきました。



はたから見ていたら、自分の姿がどのように見えたことでしょう。でも、そんなことは全然気にならないのです、自分ひとりしかいないのですから。このブログで何回も書いた記憶がありますが、生きてゆくことは恥をかくことでしか見つけられないというのが私の考えなのです。無知蒙昧の私がなんとか生きてきたのは、満座の中での稽古の中で、繰り返し恥を書いてきたからではないかと、最近思えるのです。



遊悠塾は、家族のように、恥をさらけ出しあえる仲間を育む塾でもあります。シェイクスピアの登場人物の台詞を生きるためには、恥ずかしさを克服しなければならないのです。変換ミスの多いこのブログだって、恥ずかしいことこの上ないのですから。



間違うことによって、間違わないようにするということが、稽古をする、声に出すということなのだと思います。だから長いセリフがすらすら言えるようになるとうれしいのです、変化する自分の不思議。



それから体、ストレッチをやるのですが、60歳の自分の限界がおのずと見えてきます。この現在の自分自身の身体と向かい合い、無理をせず、呼吸をゆっくりしながら、対話しながら、伸ばします。のばしては休み、伸ばしては休みの繰り返しです。一ミリずつ進むような感覚です。



このようなことをやっていると、時間はあっという間に経つのです。しばらくは一人でも続けます。そのうちに参加者が現れることを祈りながら。

2012-06-16

いきいき遊悠塾・始めます

全作品のなかの8本の舞台に立ちました

いよいよ、6月16日の朝がきました。まだ塾生はいないものの、いきいき遊悠塾が始まります。馬鹿みたいですが、ひとりでスタート、でもうきうきする自分がいます。



塾生がいないのに始めるというのもおかしな気がしますが、なんとかこれからいろんな方法で、私と共に晩年の時間の一部を共有する、有志に出会いたいとの思いなのですから、そんなにあわてることはないのです。要は私自身の中に、塾を始める自立した根拠がしっかりしていればいいのです。



私の人生観の全てにおいて、多大な影響を与えた(いまも)、ウイリアムシェイクスピアをテキストにしたのは、いくばくかの理由があります。高校3年生の時に見た、フランコゼフィレリのロミオとジュリエット、私は17歳でした、完全にいかれました。主人公たちと同じ年齢だったし、青春のいらだちという意味では、完全に画面の中の青春の苦悩に、共感を覚え、遠い世界のシェイクスピアではなく、今ここに生きているシェイクスピアに出会ってしまったのです。



以来、ロンドンまでシェイクスパアを見に行ったり、青春の終わりをシェイクスピアシアターで芝居の上演に明けくれたりと、私とシェイクスピアは深い関係に人生が彩られているのです。30年近く、現実生活を生きるのに忙しく、久しく封印してきたシェイクスピアを、再び人生の晩年ひもとくことになろうとは、予期せぬことでしたが、運命は再び私をシェイクスピアに巡り合わせたのです。



遊悠塾を立ち上げるにあたって、声を出し、身体を動かす、という基本はすぐに思いついたのですが、基本的なテキストにシェイクスピアを用いるということに関しては、少し悩みました。しかし、私がこれまで演劇に関わってきた中で、最も声に出してきた作品は、まぎれもなく、翻訳文体であるとはいえシェイクスピアだったのですから、高い山ではあるのですが、一番よく知っている(読んでいる)シェイクスピアを基本に始めることにしたのです。



私自身が、シェイクスピアを声に出して読むのが、30年ぶりなのですから随分錆びついていますし、かなりの冒険であることは重々承知しています。しかし英語で芝居はプレイです。全ては遊ぶということなのですから、一度きりの人生の晩年を、シェイクスピアの台詞を声に出すことで、楽しんでほしいのです。



私ももちろん、今日は一人で、大きな声ではなく、ハッキリ声を出す訓練を一時間はやろうと思っています。

2012-06-15

藤原新也さんから予期せぬ葉書が届く

大切なお葉書となりました

急なことですが、知る人は知っているでしょう、私が青年時代から今に至るも本が出たら、

必ずと言ってもいいくらい買って読んでいる、写真家であり作家であり、画家であり、最近は書家でもあり一口では表現できない、表現者、芸術家である、藤原新也さんからお葉書が届きました。



明日の夜(16日)NHK土曜ドラマスペシャル、永遠の泉が放送されるので見てほしいとの、内容でした。原作者である氏の本がドラマ化されているのです。主演は寺尾聡、時間は夜9時からです。五十鈴川だよりを読んでくださっている方には、是非見てもらいたく思います。



人間というものは、一冊の本とか、映画、舞台、音楽、絵、などなどから、生きる時代の出会う年齢の中で、特に若くて多感な時代は、影響を受ける生きものであると思います。



藤原新也さんの本を初めて手にしたのは、英国から戻ってからで、シェイクスピアシアターで、明けても暮れてもシェイクスピアの台詞を口に出しながら、アルバイトと劇団活動に青春の終わりを生きながら、悩みは尽きない暮らしをしていた頃のことだったと記憶します。手にした本は、インド放浪。自分の暮らしを根本から見つめ直すきっかけになりました。乾いた心に、文章がしみいるように入ってきました。



私は良い本(あらゆる芸術作品)ほど、多様な解釈ができるのではないかと思います。今も読み継がれている、いわゆるロングセラーなどの本は、多分にそういう要素がつきないのだと思います。何回も読める、飽きず新鮮な発見がある。そのような表現者と同じ時代を生きて呼吸しているというのは、実に心強く嬉しいものです。



土取利行さんもそうですが、あえて安易な世界にゆかず、独自の感性で、世界と対峙しながら、表現活動を続けるという、芸術家というしかない道を歩んでおられる方がいらっしゃるということ。またなぜかそういう方と巡り合ってしまうという、私の人生の成り行き。



私の家には、土取さんに頂いた、インドのシャルミラロイさんの(女性の音楽家)描いた素晴らしい絵があります。それから藤原さんの書と写真の作品(死ぬな生きろ、展での88作品の中の、最後に残っていた作品、3万数千人の年間自殺者をいたみ弔う、野仏の)があります。



私が素晴らしいと感じる芸術家たち(に限りませんが)、ヒトたちは、つましく静かに時代を見据えながら、絶望的困難さの中を、あきらめず生きておられます。




2012-06-14

悠々塾が新聞で記事になりました

中国新聞の今日の記事です

いよいよ遊悠塾が16日からスタートしますが、ブログでしか塾のことは知らせていませんので、

表立った反応はないのですが、今日(14日)中国新聞で私が個人的塾を始めることが記事になります。



遊悠塾を何故始めるのか、にあたっての初めての記事なので、どのような反応があるのか、どこか楽しみにしている私です。全く反応がなかったらどうしようかとも考えますが、その時はまたあらためて考えることにしたいと思います。



定年で退職した後、どこかに再就職をするのではなく、自分で自分なりの生き方を模索した後、個人的に、晩年の入り口に塾を立ち上げたりすることを記事として取り上げてくださったのです。私としては人生の再出発にあたり、記事になっただけでもすごくうれしいのです。



このように、どこかで私の始めることのたいして、関心を持ってくださる新聞記者がいるということは、とても励みになります。我が家はM新聞なので、今日これから中国新聞を買いにゆこうと考えています。



この広い市民生活者の中に私の思いに賛同し、身体を動かしシェイクスピアの台詞を、声に出してみたい方が10人以上集まってくれることを願いながら、あらゆる方法での告知を考えてゆきたいと思っています。



若いころ、演劇学校に行ったり、文学座の養成所で学んだり、声が出ないので狂言を習ったり、随分苦しい生活の中から、月謝を捻出し、私自身学んできました。そのすべてが私自身の身体の中に、脈々と生きていることを実感しています。生きたお金を使って学ぶということ、自分自身の中の、眼に見えない何かにわずかな可能性の学費を払うということは、今となって思うのですが、贅沢なことであったと思えます。



若いうちの苦労は、買ってでもせよ、というのが父親の口癖でしたが正解でした。そんな中で身に付けたことは、決して忘れないのです。小さな記事に反応するビビッドな精神の持ち主に巡り合いたいのです。



青春は去っているのですが、老春(私が創った言葉ですが、気に入っています)を新たに生きるための私塾です。

2012-06-12

気分転換に靴を洗う

洗った靴

私の家は同じ敷地に建て直して、丸12年以上が経ちました。完成した時小学生だった娘二人が大学生で、長女は来年就職です。まさか、こんなに広い家に(私にとってです)住めるようになるなんて、18歳で世の中に出て考えもしませんでした。だからなのです、私はこの家で過ごすお休みの日がお気に入りです。旅は別ですが、歳と共に家で過ごしたいという自分なのです。



猫の風太、犬のメルも入れると、今我が家は6人が住んでいます。6人が毎日住む家。家というものは、家族にとっては最後の砦のようなものです。特に私にとってはそうなのです。お休みの日、一人の時は音楽をかけ、気ままに自分の仕事をします。思い通りにできる空間ですから、ひとりの事務所としては申し分ありません。



若いころ、初めてロンドンで一年近く過しましたが、かの地の人たち、いわゆる労働者階級が、念願のマイホームを手に入れ(イギリスでは何世代にもわたって家をメンテナンスしながら大切に使います)そのお家にかける愛情を間近に見た私は、その時受けた感動を覚えています。今ようやくにして、私は本格的なセカンドライフに入りつつあり、来年からは全くフリーになりますから、お家のメンテナンスに時間をかけたく思っています。



何より一番記憶に残っているのは、柱にペンキを塗っている姿です。私も一度塗れる範囲を、弁柄で塗ったのですが、またもう一度秋になったら塗ろうと考えています。物を大切にするという考え、習慣、哲学がイギリス人にはしみこんでいました。根本を忘れないという頑固で豊かな伝統が、ひるがえって自分はということを、いまだに私は思うのです。



この間、白い運動靴がすごく汚れていたので、本当に久しぶりに洗ったのですが、そんなには見た眼きれいにはなりませんでしたが、乾いてみると、洗う前より歴然ときれいになっているのがわかりました。買って使って洗う、洗うということをもっともっとしたいと思う最近の私です。ようやくにして自分の自由になる時間が、ふたたびやってきたのですら。



それから、最近雑巾がけをなるべく心がけています。我が家は床が天然木のところが多いのですが、掃除機をなるべく使わず、雑巾で拭くようにしいところ、裸足で歩いた時の感触が全く違うことに気付いたのです。目を床に近づけてみると何と埃が溜まっていることかと驚いたのです。雑巾がけは足腰の訓練にもなりますので、身体の動く限り、休日は雑巾がけをすることにしました。



遊悠塾でも、掃除にはこだわりたいと考えます。遊悠塾は自分を洗うための塾なのですから。




2012-06-09

来週の16日から悠々塾はスターートします

遊悠塾のテキスト(写真が横ですみません)

雨上がりの休日の朝、夜が明けて間もない外に目をやると、ナンテンの葉に水滴が、しっとりとした何とも静かな、そして穏やかな気持ちで、ブログを始める私です。



昨日は昨日、今日は今日、この果てしのない悠久の流れの中の、たまさかの生を、ブログを書ける間は、意識したいと、私自身は考えています。いつかは終えるにせよ、もうそんなことは考えず、今日だけに集中するという感じのこの頃です。



続ける中での、蓄積の大切さ、その中でしか見えてこないことが、確実にあるということを、実感しています。例えばキィを打つ指の動きなんか、始めたころに比べたら、比較できないほどに早くなりました。年齢を重ねても、脳は発見を喜び、その喜びはまた新たな喜びを見つける引き金になる、そのような気がしています。



苦手なことを、あえて克服(あくまでも無理せず自分らしく、やれる範囲で、あきらめず、細く長く)してゆくことの中にしか、喜びというものは、見出し得ないのではないかというのが、最近の私の認識です。



ちょっと気障ですが、自分というわけのわからない存在と、日々悩みつつも生きてゆくしかないというのが、現時点での私のささやかな思いです。水滴を眺めていたら、内省的な文章になってしまいました。



さて、来週からいよいよ遊悠塾が始まります。まだブログでしか伝えていないし、参加者はいなくても、スタートします。これからいろんな告知をして、来年の春までには、なんとか15名の心ある参加者に巡り合いたいと思っています。



とりあえず、2時間部屋を押さえていますので、私一人でも2時間を過しておりますから、もし行ってみたいと思われる方いらしたら、お越しください。



テキストの、シェイクスピアの・間違いの喜劇・を、30年ぶりに読み返しているのですが、いやあ、台詞が頭の中を駆け巡ります。私は本公演で父親のイージーオンを演じたのですが、その当時の記憶がまざまざとよみがえってきました。私にとっては最初の大役、冒頭のあの長い台詞を声の出なかった私が、よくもまあ語ったものだと。



帰り来ぬ青春ではなく、やっとやってきた老春を、ゆっくりでいいのだから、思いもかけないセリフを口に出して、笑いあえる遊悠塾を目指します。

2012-06-08

チケットの行商に思う

愛用の名刺入れ

昨日の休日、所用があり笠岡に行ったついでに、ふだんなかなか会えない方々に逢いました。私の近況を、といいますか再出発する旨をお伝えすることと、これから9月7日に向けて、ちりも積もればの気持で、チケットの行商をお休みの日のやってみようと決めたからです。



皆さん大変な家計の中、いずれも私と同じくつましく暮らしている方々ばかりなのですが、犬も歩けばのたとえ通り、詳しくは記しませんが、好反応でした。中に笠岡市役所で働くS氏、出会った当時は20代前半、今は私が岡山に来た歳と同じ、40歳になっていました。本当に久しぶりの再会、旧交の話は弾み、すぐに私の意を解してくれその場で、チケットを一枚買ってくださいました。



眼に見えない物も買うということをする人間という生き物の、少数ではあるけれども、存在することの素晴らしさ。また企画でもしない限り、なかなか直接会って言葉を交わしたりすることもない、普段のなんともはや忙しいわれわれの暮らしむき。チケットの行商は時代の変容の中で、各人必死で(私もその一人です)生きているその姿が、私の眼に映ります。また合わせ鏡のように、60歳の私の姿も映っているのだと思います。

        

行商してみると、まさに時代がよく見えますし、ヒトもまた実によく見えるという気がします。労を惜しんではならないということもまた教えられます。



年齢に関係なく現役で企画する間は、歩かなければいけないと思い知らされます。表通りからは見えてこないこの時代を、健気に生きている庶民の姿が見えてきます。こういう市井に生きておられる方々が、元気になるような映画や、一人芝居や、音楽や、トークショウなどなど、日高企画はなるべく安く、楽しんでもらえる企画をやらなければならないとも思いを新たにするのです。



朝5時過ぎ、ブログを書くことからスタートし、夕方5時までフルに日高企画の仕事をしました。生きている充実感は冷や汗まで含めて、汗をかくことの中にあるのかもしれません。夜は、昼の疲れた体を、ゆっくり休めるためにあるのです。



企画力というのは、何かを感じる力に、とどめをさすのかもしれません。そのためには何をすればいいのかを、謎のように探し続けるしかありません。


2012-06-07

岡山人名録・A氏(1)

新婚旅行で買ったアフリカザンジバルのドア、見ずらくてすみません

昨日一日、夢が原で終日肉体労働に(私はトレーニングのつもりでいます)励み、ぐったり疲れ家に帰ると、郵便振替の通知が久しぶりに届いていました。この15年くらい大きなイベント、ポスターやチラシを作って告知をしなければならない企画については、協賛を募っているのだが、早速、四御神で不動産業をしておられる、しんけん土地のAさんからの協賛振り込みの通知でした。



私の企画に対して応援して下さる方は、この間サンクリニックのY氏を書いたのが最初ですが、私が岡山にきて出会った、私の企画を支えてくださる、岡山人名録を、(協賛者だけではなく)これから思いつくままゆっくり書ける日に書いてゆきたく思います。



A氏との出会いはもうおそらく10年以上も前のことになります。ご縁は私が岡山市の地域づくりか何かの講演会に、講師として呼ばれたことに始まります。氏と私は同じ年で、同じ時代を地方から上京し、苦楽の同時代を呼吸していたという、共通の青春東京ライフがあるのです。私は飯田橋に合った佳作座という名画座でよく昔の映画を見ていたのですが(18歳、ここで見た・禁じられた遊び・は、哀切な音楽と共に、忘れられません、泣けて仕方がありませんでした、それくらい純粋でした。今は、良くも悪くもいろんなことを知りすぎてしまった、おじさんになってしまいました)氏もまた、佳作座で映画を見ていたそうです。もちろん当時はおたがい知るよすもないわけですが、あの頃の青春時代の空気感、匂いは、話さなくても通じ合えるのです。



さて、A氏とは40台の終わりのころ、私がイベントの協賛集めで奔走し疲れ果てていたころ、夜も更けて岡山駅で偶然再会しました。私は酔っていまして。ベンチにへたり込んでいたのですが、氏の姿を確認すると、どうしてもやりたいイベントがあるのだが、協賛してもらえないかと、酔いの勢いもそのままに、ぺらぺらと語りかけたのです。すると氏は、持ち合わせの中からいきなり紙幣を取り出し、私の胸のポケットにねじ込んだのです。酔眼朦朧の私ではありましたが、その際の・ある夜の出来事・はハッキリと記憶しています。



多くを語らなくても、そのとっさの行動に、氏の男義が現れています。氏は息子さんとMさんという事務の女性の3人で、不動産業を堅実に経営しておられます。この大変な時代の最中、マイナーな芸術や文化、私の企画を応援して下さる方がいるということが、どれほど私の支えになっているか・・・。いらい、一貫して応援して下さっています。多忙な氏が事務所にいないことも多いのですが、私はこの事務所に往くことが楽しみでもあります。というのは、ゆくと息子さんが美味しいコーヒーをいれて下さり、Mさんも笑顔で雑談できるという、サロン的な雰囲気があるからです。地域にふらっと立ち寄れる、場所があるということは絶対的に大切なことだと思います。この人が立ち寄ってゆくというのは、やはりA氏の人柄だと思います。しんけん土地、ささやかにすぎますが、五十鈴川だよりで推薦いたします。



私にできることは、スポンサーの応援にこたえるべく、良い企画をする、以外に思いつきませんが、これからは、共に遊べる時間が私にも訪れましたので、山歩きとか御一緒したいとおもいます。

2012-06-06

器の大きい方が次々とお亡くなりになります

妻がいけた我が家の玄関の植物

私くらいの年齢になると私が影響を受けた方だけではなく、本を読んだことがなくても知っている方が次々とお亡くなりになる。先日亡くなった新藤兼人さんの前に、吉田秀和さん、吉本隆明さん、が。そのほかにもブログには書いていないがつぎつぎと、冥界へ旅立たれている。



40台後半私の両親がなくなり、50代に入りオーバーに言えば、次々と身近な方や、あったこともないけれど身近に感じていた方、昔演劇で共に情熱を出し切った仲間も何人かは他界したりしている。ことほど左様に死は私にとって、遠い世界の出来事ではないことを感じているし、感じるべく生きないと、死者たちに申し訳ない、という思いは年々深まってきているような気がしている。



さて、今朝はほんの少し、吉田秀和さんのことに触れたい。実は私は吉田さんの本は読んだことはないのだが、氏が朝日新聞に書かれていた音楽時評は、東京に住んでいた頃欠かさず読んでいた。クラッシックを聴くような生活を(今は少し聴きます)ほとんどしてなかった若かった私は、ある日音楽時評なのに、ピーターブルックの伝説的な舞台(野田秀樹さんは高校生の頃この舞台を見て演劇の虜になったそうです)夏の夜の夢について書かれていたのを眼にした。



私も見たばかりで大興奮していたので、食い入るように読みました。そしてその記事を切り抜きました。私が新聞を切り抜いた、一番最初の記事だったかもしれないという気がします。(探して出てきたらこのブログにいつか載せたく思います)。



内容もかすかに覚えています。とにかく、べた褒めでした。音楽評論家なのになぜブルックの夏の夜の夢に触れているのか、と思いましたが、そこがやはり並の評論家ではなく、視野が広く、スケールも大きく、吉田秀和という知性の器を感じた最初でした。



劇中、舞台にメンデルスゾーンの結婚行進曲が流れるのですが、あんなにも聴きなれている音が、今まさに初めて聴いたかのように(生まれたかのように)感じてしまうブルックの舞台の魔術について、その素晴らしさについいて、吉田さんは書かれていました。



器の大きい方が、お亡くなりになるということは日本にとっての損失です。なぜなら二度と出てこない人の宝だからです。私ごときですが、とにかく偉大な素晴らしい仕事を成した先人達達から、謙虚に学ばなければという思いです。現実に流されず。