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2018-08-27

リア王の発表会で音を担当し、ケントを朗誦されたNさんのピアノの発表会に家族でゆくことができました、そして想う>

帰省旅から戻った翌日、午前中あわただしく忘れないうちに、五十鈴川だよりを書き、声出しを済ませ、孫の望晃くんと娘を駅に迎えにゆき、その足でとあるピアノの発表会に、妻も含め4人で出かけた。

急きょ、遊声塾のリア王発表会にケントの役で参加され、音を担当してくださったNさんから知らされ、Nさんが習っておられるピアノの発表会だというので、行ってみる気になった。

詳細は割愛するが、ピアノの発表会なるものに、私は生まれて初めて、なんの先入観もなく参加した。

老若男女18名による3部構成の発表会、1部はいろんな作曲家の演奏、2部はドビッシー生誕100年を記念する演奏、(Nさんも演奏されたが、選曲も含め、彼女の世界が垣間見られ素晴らしかった)

休憩後が3部で、ヘンデルとグレーテル、物語の進行に従って18名が入れ替わり連弾する。
高校生の時宮崎で氏の演出によるドストエフスキーの白痴を見た

物語はNさんが、一人で登場人物の すべてを物語った。Nさんも途中一度だけ連弾に参加した。

Nさんはピアノもさることながら、朗読を 10年以上やられているということで、その実力がいかんなく発揮されていた。

リア王の発表会に音をつけていただく、という出会いから始まったのだが、朗読をやられている実績があったので、ぶしつけにもケントという大役を、朗誦してもらったのだが、果敢によどみなく、自然に声を出されるので、そのわけがヘンデルとグレーテルの朗読を聴いていて腑に落ちた。

ともあれ、Nさんのお声掛けで、この年にして初めて 小さくてもきらりと光る、ピアノ発表会にゆけた喜びを、我が五十鈴川だよりにささやかに記しておきたい。

それから、妻、孫、娘 私の4人で聴けたことが、私にはうれしかった。娘が赤ちゃん連れでもいいのなら、是非行きたいといったのである。幸い望晃くんは全く騒がなかった。

孫の望晃くんはわずか5カ月で、名曲の数々を生で聴くチャンスに遭遇した。赤ちゃんも、おじじも生きているというとは、未知なるものとの遭遇の連続である。良きものに触れるアンテナをさび付かせてはならない。

ややもすると、老いるにしたがって、紋切型ライフに陥りがちだが、せっかく男の孫に恵まれたのであるから、男同士、孫と共に、今しばらく未知との遭遇を楽しめるおじじでありたいと 念じる私である。




2018-08-25

66歳の夏、五十鈴川に帰省旅

ふるさと門川を夜明け前に発ち、昨夜9時前に無事帰ってきました。

リア王発表会の翌日に発ち、5泊6日の旅、本当はもっとオフ時間を過ごす予定でしたが、今日から孫と娘が帰ってくるので、おじじの役割を果たすべく、役に立ちたく、戻ったというのが本音です。

ふるさとでも台風の余波が、天候を左右し、姉にお前は台風のような男だといわれましたが、これまでのようには遠出はしませんでしたが、いまだ知らない故郷の近くの海や川、渓谷を堪能し、66歳の夏の疲れをいやすことができました。

初日、19日はちょっと行ってみたいところ、島根県の津和野の上流を流れる高津川に立ち寄り、(思わぬ出会いがありました、また書きます)車中泊、翌20日午前中大分と宮崎の県境にある以前から一度は行ってみたいと思っていた、渓谷を一人で訪ねました。

これが、思っていたよりもすごい渓谷で、(大崩山の反対側にある)一番奥にある観音の滝まで、歩いて一時間以上、めったにゆけないと思い、地下足袋に履き替え、腹ごしらえ水分補給をしっかりし出かけました。

渓谷の一番奥まったところに落差77メートルの、観音の滝がありました。険しい渓谷の両側を、歩きにくいアップダウンを歩かないと拝めない、偶然立ち寄って滝の前に発った時、疲れが吹き飛びました。
台風の余波の海辺を兄と散策する

帰りは足取りも軽く、兄の家には夕方4時につきました。義理の姉が美味しい夕食を用意していてくれ、疲れが吹き飛び、話もそこそこ、夕食後爆睡しました。

翌日21日は、兄と二人で台風の余波で荒れる日向灘を眺めながら、おそらく何十年も訪れていない、高校生の時うろついた、思い出の宮崎市内をドライブしたりしてすごし、夕方兄と五十鈴川に沐浴に出掛けたりしてすごしました。

よく22日、朝一番一人でお墓参りにゆき、その足で次兄を訪ねしばし雑談し、朝食後またもや兄と二人で、延岡市内を流れる五ヶ瀬川に水遊びに出掛けたのですが、上流で雨が激しかったみたいで、濁流が渦巻いていて断念、またもや昨日に続いていったことのない、延岡の海を眺めにゆき、しばし砂遊び、並はあれていて近づかなかった。

その後、市内の温泉に入ってのんびりし、兄貴も私も好きな地元のおばちゃんたちがやっている、ちゃんぽんのおいしい店でお昼。ちゃんぽん は早売り切れで、仕方なく二人ともラーメンと餃子にした。餃子も実においしかった。

義理の姉には皿焼きそば(メニューは4種類しかない)をテイクアウト。その日午後はのんびりと過ごし、夕方ほんの少し弓の素引きをした。夜は姉の家で夕食をご馳走になり義兄もともに歓談、途中から兄も参加、義兄が高い焼酎のいいのを出してくれ、すっかり酔って、兄の家に戻って、爆睡しました。
今回の旅に持参したいつ冊(素晴らしい)

23日最終日、朝食後(毎食義理の姉がきちんと洋風の朝食を作ってくれた)出かけようとすると車かからず、次兄に来てもらいケーブルをつなぎ事なきを得る。

その後Gスタンドで、車の点検掃除を済ませ買い物などをしたのち、午前中2通ほど葉書を書いて投函。昼食はT姉がそうめんを作ってくれた。これがまた、最高においしかった。(この場を借りて再感謝)






そのあと、ゆるりお昼寝、目が覚めて最後に一人再び五十鈴川へ 、増水していたので水に浸かるのはあきらめようと思ったのだが、五十鈴川に流れ込む小さな支流があったので、二回に分けて10分くらい浸かった。

夜、今回の旅の最後の晩餐、兄がお寿司やオードブル盛り合わせをテイクアウト、姉夫婦、次兄夫婦、わざわざ集まってくれしばし歓談した。

このような時代の趨勢のさなか、兄姉弟(義理の兄姉も含め)が私の呼びかけに応じてくれ、集まってくれるということがはなはだ、私にはうれしいのだ。

わが兄弟も、一年一年老いてゆく、やがてはこのような、うたかたの、ささやかな宴も かなわぬことになるだろう。

だからこそ、やれるときにやっておこうと思うのである。今回もささやかに夏の帰省と、兄弟の宴がかなったことを、ささやかに五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。









2018-08-19

66歳の夏、リア王発表会を無事終える。

8月18日昨日、シェイクスピア遊声塾、第5回発表会【リア王】を何とか無事に終えることができました。

かなり本音の、がしかし本当に愉しい打ち上げを終え、本当にひさかたぶりに外でお酒をいただき終電で帰宅、遅く寝たのですが、すっきりと目覚めたので、何か少し書いて故郷にお墓参りに帰ろうかと思っています。

全身が疲れているのですが、何故か今朝の空気のように、さわやかなわが体です。ともあれ、極めて個人的な思いの強いリア王を、遊声塾の発表会でやれることができて、オーバーではなく、感無量です。

塾生他、裏方を含め、有形無形 、来られたお客様、この場を借りて感謝します。ありがとうございました。

正直、身体がいまだボーっとしてまして、論旨のまとまらない今朝の五十鈴川だよりですが、無事に発表会を終えることができたことだけでも書いておこうと。

今日から一週間もしくはそれ以上、心身をオフにし、わが故郷へ帰省旅をします。

というわけで、しばらく五十鈴川だよりはオフになります。ご寛恕くださいますように申し上げます。

2018-08-17

シェイクスピア遊声塾リア王発表会の前日の朝に思う。

リア王発表会の前日の朝である。この夏初めての涼しい朝のおかげで熟睡し、あたまがこの夏初めてといっていいくらいすっきりとした感じで、五十鈴川だよりを書ける喜びをかみしめている。

リア王発表会が、まさかの集中豪雨で延期になって、どこにも出かけない 暑い夏がひたすら続いていたが、それも今日を含め明日が過ぎればまたもやの一区切り、ほっとする。

本来であれば7月7日に済んでいたものが、延期になったことでまたもやギアを入れ直し、おおよそ40日、再び新たな気持ちで、この酷暑の夏、一日に一度は必ずリアの言葉をおさらいし、66歳のわが体に言葉をしみこませてきた。

どこへも出かけず、(リアが終わるまではどこへも出かける気がしない)経験したことのない暑さの中、静かに自分と向かい合う日々を過ごしてきた。ちょっといかめしいが、修行という言葉が、なんども頭を去来した。

でもそのおかげなのだろう。集中してやれることがあったからこそ、この酷暑を(まだ続くだろうが)乗り切れたのだと思っている。

何事も万事は塞翁が馬である。こんなに本が読めた夏も初めてではないかという気がしている。漸くにして、あまりに遅すぎるかもしれないが、読書の醍醐味がわが体に沁み行ってきたといっても過言ではない。

21年前に買った星野道夫さんのグリズリーの写真集

ピンチはチャンス、わざわい転じて福となす、で、この年まで生き延びてきた私である。

老いたリアの狂気を含んだ言葉を、ある一点のテンションで暴発するかのように、やりばのない怒りや苦悩を表現するのは、はなはだもってわが体、能力では難しいが、声を出すことでなにがしかの発見がある、だから続けられる。

 自分の人生の持ち時間、未来時間がいかほどあるのかは、皆目わからないが、この66歳の夏は、リアの台詞と格闘した酷暑の夏として記憶に刻まれるに違いない。

基本的に、私ははなはだ怠惰な性格なのであるが、シェイクスピア作品をふたたび声に出して読むことを続けて丸5年、思わぬ晩年時間を過ごせている幸福を時折実感する。

天の下、大地をしっかりと踏みしめて、胎から声を出し生を実感する。詩的言語の塊、人間の発するおぞましき言葉から、崇高な言葉まで、言葉の宇宙をW・シェイクスピアは余すところなく、リア王という劇に閉じ込めている。

66歳で、リアの台詞と格闘できた夏も間もなく終わる 。少し休みたい。






2018-08-16

8月16日の朝に思う。(星野さんの御本を読み、極北の暮らしを想像する)

昨日あたりから、帰省Uターンラッシュがピークらしい、だが、事自分のことに関しては全く世の中の流れとは無縁で、特にこの夏を図書館で過ごしている。

この夏ほど、図書館で過ごしたのは初めてではないかと思えるほどに図書館で午後の時間を過ごした。(リアが延期になったので、どこにも行く気がしないのである)

一番の決め手は、やはり涼しいことと、静かなことである。ゆったりとした空間で落ち着いて本が読めるなんてことは、今年の夏は特にありがたき贅沢を感じる。

外出したら、じっとしているだけでも、汗が噴き出るのに、移動しながら人混みの渦に巻き込まれたりするのは、もうこの歳になるとはなはだご免である。

考えてみると、50代くらいまでは、本当によく動いていたが、60代に入ってからというもの、億劫になってきた。体と共に心も変わる。早い話、これが老化現象なのだと受けとめている。
今年の夏は星野道夫さんに再会できた、本当にうれしい。

腰が重くなり、以前だったら気軽に(居酒屋さんなんかにまるで出掛けなくなった)出かけたりしたことに、とんと興趣が持てなくなり、身の回りの手が届く範囲での、まあ、新しい興趣とでもいったことに、関心が移りつつある。

これからの人生時間、できるだけこれまでやってきたことには別れを告げ、静かに我が身を振り返りつつ、これからを前向きに生きたいのである。内省ライフの始まりである。

昨日も書いたが、可能な限りできるだけ自分のことは、自分で始末する。やってみようという、身辺こまごまライフにうつつを抜かす喜びを見つける暮らしにシフトしたいのだ。

その中で意識的にしているのが料理、ほとんど似たような料理にあれやこれやの工夫を凝らすだけの、簡単料理ではあるが、これが慣れるにしたがって手際もよくなり、結構段取り頭も使うので なかなかよろしい。(今日のお昼は、ゴーヤ中心の野菜ラーメンの予定)

最後の後片付けまで、きちんと済ませると気分もとてもいい。18日のリアが終わるまでは、とにもかくにも、毎日の生活雑事を楽しみ、絶対矛盾をいつも我が身に抱えながら、朝夕、リアの言葉を反芻し、こうやって五十鈴川だよりを書きながら、穏やかに生きられる今を噛みしめている。







2018-08-15

もう暑いなんてことを書くのも嫌になるくらい 暑い日が続くこの夏であるが、耐えるいしかない。

まさに、先日も書いたがリアの【忍耐の鏡となって見せよう】という言葉がひときわ沁みる夏である。

でも何故か今年の夏は、厳しき夏がひときわ沁みながらも、個人的にはその夏をプラスにすべく、知恵を絞りながら生きている。

元気に声を出すためには、まず体力があっての気力である。とにかく18日まで体調管理を先ず自分自身でしなければならない。私はいきなりだが決めたのである。自分の食べるものは、自分で調理することにしたのである。

幸い妻が不在の今、自分のことは可能な限り自分ですることに決めたのである。いろいろなことが重なってこのような思いに至っているのだが、それはおいおい書ける範囲で 書ければいいし、ことさらに書く必要もない。

ともあれ、今日もスパイシーなカレーを昼間に作ってあるので、五十鈴川だよりを書きあげたら、食するつもりである。

あの暑い邦、インドが生み出した偉大な料理カレーは、暑い夏を乗り切るためには、私にとっての必須アイテム料理の一つである。

ところで、今日は敗戦記念日、(何故か終戦記念日ともいう)そして世の中はお盆休み、妻は不在で4日目の夜である。

一人、先の大戦でお亡くなりになったあまたの死者と、先祖に想いを馳せ お線香をたてた。自分が歳を重ね、死者の側に近づくにつれて、より真面目にというか、真摯に手を合わせるのは、年の功であるというしかない。

すべてのことをわずか数日ではあるが、一人でやってみて何か新鮮な感覚を味わっている。肌着やその他の洗濯物も、お風呂に入った際に手もみで洗って済ませている。

機械や便利なものに頼らなくても、まずは自分でやれることは ほとんど自分で済ませられるということが、実に新鮮である。

リア王の発表会まであと3日、お盆の中日忙中閑あり、今宵だけはリアの台詞を しばし忘れて過ごすことにしました。




2018-08-12

星野道夫さんの文章、写真集が沁みってくる夏。

今夜からしばらく一人の生活、妻がお盆休みに入り、長女のところに上京したからである。

犬のメルと、猫の花がいるので一人きりという感じはあまりしない。自分でも信じられないくらい、静かな暮らしを心かけている最近の私であるので、これをよりいい機会ととらえ、妻に頼らず一人でも生きられるようにするべく、修行したい。

子育てを終え、林住期から遊行期に移行する人生のこの季節、すべては移り変わりゆくのであるから、夫婦といえども人生の終点を見据え、お互いを理解すべく想像し、相手の負担を減らす生き方を心がけたい、との思いは深まる。
私は運動公園のヒマラヤスギの木陰で声を出す

 話題は変る。この数日、星野道夫さんに関する本を読んでいるが、氏が私と同じ年であることを不覚にも知らなかった。

1996年、8月8日に 不慮の死で亡くなられて早、22年の時が流れている。たまたまに過ぎないが、数十年ぶりに氏の著作や私が持っている氏の写真集を、再び手にしたのが命日であった。

ことさらに符号のようなことは思いもしないが、とはいうものの、あの天才的な生き方、お仕事をされて、あっという間に44歳で他界された氏のなされた、遺された御本の文章が染み入ってくる夏である。本当にすごい人のお仕事は時代を超える。

田舎者、というといささか自虐的な響きが無きにしも非ずだが、私は本当に田舎者である自分をどこかに愛おしんで余りある田舎者である。田舎に生まれて本当に良かったと思う。心から還るべき場所が、帰りたい空間がある。有難い。

今宵は、独り身の気ままさ、あらぬよしなしごとを綴りたくなるのをぐっとこらえながら書いているが、 五十鈴川に還れないほどに老いてしまったら、早い話五十鈴川だよりのタイトルは変えないとまずかなあ、などと考える自分がいるが、その時はその時、今を生きることこそが肝心である。











2018-08-11

リア王の発表会まであと一週間、そして想う。

今夜は弓道教室の日であるのだが、自主的にお休みをした。その代わりといっては何だが、午前中たまたま私一人だったが自主稽古をしてきた。

このところほとんど弓道のことを書いていないが、私なりにささやかに素引きの自主稽古だけは、ひっそりと続けている。

シェイクスピア作品を声に出して読むことが、陽の営為だとすれば、無言で自分と向かい合う弓の稽古時間は陰の営為とでも呼びたいほどに、今の私の生活の中での、両輪とでも呼びたいほどに情熱が傾けられる大切な時間である。

今夜お休みしたのは、リア王の発表会が来週に迫っているので、リア王に集中したいとの思いが優先している、 ただそれだけのことである。

ぶきっちょな性格のわたしとしては、同時にあれもこれもはダメなのである。還暦前であったなら出掛けていたかもしれないが、早い話、いい意味で自分に正直に無理をしなくなったのである。


ところで、世の中はお盆である。私の中にもお盆休みが必要であるとの、内的な声はあるのだが、リア王の発表会を終えるまでは、私にはお盆における、ご先祖との対話は今しばらくお預けである。


可能なら帰省の旅で、行ってみたい高津川
今日は、朝と夕方2回リアの3幕までのセリフを運動公園で繰り返しなぞって、一人稽古した。有難いことに、汗の出る体をどこかに感謝しながら、かぼそい66歳の体にリアの言葉を響かせる。

蝉の音に呼応するかのように、自分が蝉化するかのように、夏の声を、狂うほかには道はないかのような、追いつめられたリアの台詞を声に出す。

あの心が通い合わぬ切なさ、こころがすれ違うやりきれなさ、老いの無残さは、きっとやがて我が身にも訪れるに違いない、それを迎える胆力を養うにはいかに生きればいいのか。

だからなのかもしれない、リアの言葉を繰り返し、畳み込むかのように反復練習して倦まないのは、今声が出せる幸福があるからだ。18日が終われば、ささやかに、旅をしながら故郷を目指そう。五十鈴川に身を横たえ、ゆっくりと休もう。


2018-08-10

不義理を生きる覚悟を育む、酷暑の夏の読書。

長崎に原爆が落とされた日に、沖縄の翁長知事がお亡くなりになり、また、俳優というよりも、役者だなあといつも感じ入っていた津川雅彦さんもおなくなりになった。

死というものは、そっと忍び込みあっという間に、その人の存在を不在にする。私が五十鈴川だよりを書きだしてから、この間、私が少年期から青年期にかけて瞼に浮かぶほどに、影響を受けた多くの方々が、年々その姿を見ることがかなわなくなってゆく。

昨年までは、なんともやるせない思いにとらわれたりもしていたが、今年から急に何やら恬淡として受け容れるというのか、摂理として受け止める感じ方の方が強くなっている。

死というものを特別なことではなく、当たり前の普通の自然なこととして、認識したい、するのだという思いがつよくなっている。

節目というが、いろんな意味で個人的に節目の年という気が、特に今年はする。これまでの自分とは、あきらかに変わりつつあるという自覚の深まりを感じる。

これまでかなり情熱を傾けたり、執着していたことに対しての達観的なうすまり、内的にかなりの変化がわが胸のうちに起こってきている。

静かに星野道夫氏に関する本、氏の文章をあらためて読む夏

喜怒哀楽の感情が弱くなってきているのである。これを老化と呼ぶのであれば、そうなのであると、(あるいは転向である)以前なら狼狽したかもわからないのだが 、正直に自然に老いたいとの思いの方が、強まっているのである。

老いにあらがわない、受け入れるという方にシフトしつつある。だが、とはいうものの、局部的に、還暦を過ぎてから始めた、シェイクスピア作品を声に出して読むとか、昨年から始めた弓をひくという営為に対しての情熱は、ますます深まっている。いままでとは異なる、旅もしてみたい。

早い話、遺された自分の人生時間の持ち時間がいかほどであるのかは、もとより知る由もないが、これからの未来時間を、ただただ思いのままに、よりあるがままに過ごしたいという思いが、強くはっきりとしてきたのである。

だから、きっとこれから人付き合いも含め、ありとあらゆるこれまでの人生時間の過ごしとは変ってゆく気がとてもする。不義理を生きる、義理を欠く覚悟である。




2018-08-06

8月6日にささやかに想う五十鈴川だより。

8月6日、8時15分広島に原子爆弾が落とされた日。唯一の被爆国日本、人類に初めて落とされた核爆弾。
花の蜜を吸うアゲハチョウ

朝の声出しを終えて、家に戻ると平和式典が放送されていた、朝食を取りながらしばし見入った。NHK広島放送局による全国放送で、構成に無駄がなく、若い方たちの現在の被爆を伝える取り組みが、織り込まれいてしばしみいった。

あの無残極まりない、阿鼻叫喚生き地獄を生き残り、伝える方々が高齢化し、その風化してゆく危機感、、何とかしなければならないという思いが伝わってきた。

言葉では何とでもいえるし、書けるが、あの先の大戦であらゆる年代の全国民が 体験した皮膚感覚的記憶の風化が進むことに対して、一人の今を生きる日本人として、ささやかに考える自分がいる。(もっともっとお亡くなりになった方々の声なき声に耳を傾けないといけない)
無辜の民を巻き込む戦争の愚かしさ、新聞をきちんと読みたい

それはやはり、死を以前にもまして身近に感じるようになってきたことが、大きいのだと感じる。オーバーではなく、もはや半分、あちら側からこの世を眺めているのではないかというような感覚が、私にはあるのである。

ともあれ、何とも暑い夏の日の朝に、14万人ともいわれる方々が、一瞬にして黒焦げになり、73年経っても、その苦しみのうちにある人の数は消えない。

これを心から恐ろしいことだと感じなくなったら、大人としての私はあまりに悲しい。このところ、被爆者の声が新聞に掲載されていると、努めて読むように心かけている自分がいる、そのうちのいくばくかは切り抜いたりもしている。

なぜこのようなことを始めたのかは自分でもよくはわからないが、体験された方々の無念を想うと、やりきれないのである。

北朝鮮はじめ、核を保有する国は、増え続けている。何故か?戦争はなぜ起きるのか?この根源的な、21世紀人類に課せられた、最重要課題、自戒を込めて、責任ある世代は事の本質から、目を背けてはならない。でないと、どなたか詩人の方が書いていた、やがてそれは、我が身に降りかかってくると。

2018-08-02

8月18日まで覚悟の夏が続く。

母や遊声塾のYさんに頂いた夏野菜、特にトマトの丸かじりをしているせいか、草刈りで痛めた背筋痛もすっかり治って普段の暮らしが滞りなくこなせるほどに体調が戻ってきた。

何度も繰り返し書いているが、身体あってのわが暮らしなのであると、初老であるがゆえに、そのありがたさが、何やら蝉の声と共に染み入ってくる夏である。

これだから人生は面白いと言わざるをえない。66年も生きてきたわが体はあちらこちらにほころびが生じているが、ありがたいことに孫の望晃くんを30分くらいは抱っこしても大丈夫くらいの体力はかろうじてキープしている。

今日、我が家には誰もいない、妻は仕事、娘やレイ君たちは出かけている。我が家には私ひとり、だから五十鈴川だよりが書ける。

起承転結まるで無視、自由自在に気分のおもむくままに下手な一文がつづれる昼下がり、初老男の、ひそかな喜びというほかなしである。

さて、昨夜遊声塾のレッスンが行われた。ほとんど仕事をしながら、貴重な時間を費やしてオーバーではなく、足を引きずりながらやってきてギリギリのところで声を出している。昨夜は仕事で参加できない塾生もいた。

8月18日まであと2週間と、ちょっとである。私には塾生よりもずっと稽古する時間があるが、塾生の多くはは働いているので稽古をする時間が限られている。

その浮世の定めの時間の中で、必死に時間を見つけて 、塾生は声を出し続けている。このようないくらでも楽をすれば、逃げ道が見つけられるご時世の中で、あえて楽ではない塾に来られている。

私自身、楽ではない声出し時間を、今朝も早朝やっているそのこと自体が、実は私にもよくはわからない。
なんとシェイクスピアに魅入られている人の多いことか

よくはわからないけれども、終えるとさわやかな風がわが体を吹き抜けてゆく、そんな感じがあるとともに、昨日は出なかったような、思わぬ声が出るからこそ続けられているのではないか。(くめども尽きぬ発見)

稽古、反復することによって、身体がまだ意外な反射をする。(普段の生活では使わない息の長い言葉の表現が、シェイクスピア作品にはふんだんに出てくる、それに挑む。やがては叶わなくなるのであるから、いまにしがみつく)

頭で考えて生まれてくる音ではないのである。声が声を、音が音を呼ぶ、いったん声を出し始めたら、ただひたすら音に導かれて声を出すのである。

とにかく、8月18日までは、修行が続く、覚悟の夏である。