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2018-08-27

リア王の発表会で音を担当し、ケントを朗誦されたNさんのピアノの発表会に家族でゆくことができました、そして想う>

帰省旅から戻った翌日、午前中あわただしく忘れないうちに、五十鈴川だよりを書き、声出しを済ませ、孫の望晃くんと娘を駅に迎えにゆき、その足でとあるピアノの発表会に、妻も含め4人で出かけた。

急きょ、遊声塾のリア王発表会にケントの役で参加され、音を担当してくださったNさんから知らされ、Nさんが習っておられるピアノの発表会だというので、行ってみる気になった。

詳細は割愛するが、ピアノの発表会なるものに、私は生まれて初めて、なんの先入観もなく参加した。

老若男女18名による3部構成の発表会、1部はいろんな作曲家の演奏、2部はドビッシー生誕100年を記念する演奏、(Nさんも演奏されたが、選曲も含め、彼女の世界が垣間見られ素晴らしかった)

休憩後が3部で、ヘンデルとグレーテル、物語の進行に従って18名が入れ替わり連弾する。
高校生の時宮崎で氏の演出によるドストエフスキーの白痴を見た

物語はNさんが、一人で登場人物の すべてを物語った。Nさんも途中一度だけ連弾に参加した。

Nさんはピアノもさることながら、朗読を 10年以上やられているということで、その実力がいかんなく発揮されていた。

リア王の発表会に音をつけていただく、という出会いから始まったのだが、朗読をやられている実績があったので、ぶしつけにもケントという大役を、朗誦してもらったのだが、果敢によどみなく、自然に声を出されるので、そのわけがヘンデルとグレーテルの朗読を聴いていて腑に落ちた。

ともあれ、Nさんのお声掛けで、この年にして初めて 小さくてもきらりと光る、ピアノ発表会にゆけた喜びを、我が五十鈴川だよりにささやかに記しておきたい。

それから、妻、孫、娘 私の4人で聴けたことが、私にはうれしかった。娘が赤ちゃん連れでもいいのなら、是非行きたいといったのである。幸い望晃くんは全く騒がなかった。

孫の望晃くんはわずか5カ月で、名曲の数々を生で聴くチャンスに遭遇した。赤ちゃんも、おじじも生きているというとは、未知なるものとの遭遇の連続である。良きものに触れるアンテナをさび付かせてはならない。

ややもすると、老いるにしたがって、紋切型ライフに陥りがちだが、せっかく男の孫に恵まれたのであるから、男同士、孫と共に、今しばらく未知との遭遇を楽しめるおじじでありたいと 念じる私である。




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