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2018-08-25

66歳の夏、五十鈴川に帰省旅

ふるさと門川を夜明け前に発ち、昨夜9時前に無事帰ってきました。

リア王発表会の翌日に発ち、5泊6日の旅、本当はもっとオフ時間を過ごす予定でしたが、今日から孫と娘が帰ってくるので、おじじの役割を果たすべく、役に立ちたく、戻ったというのが本音です。

ふるさとでも台風の余波が、天候を左右し、姉にお前は台風のような男だといわれましたが、これまでのようには遠出はしませんでしたが、いまだ知らない故郷の近くの海や川、渓谷を堪能し、66歳の夏の疲れをいやすことができました。

初日、19日はちょっと行ってみたいところ、島根県の津和野の上流を流れる高津川に立ち寄り、(思わぬ出会いがありました、また書きます)車中泊、翌20日午前中大分と宮崎の県境にある以前から一度は行ってみたいと思っていた、渓谷を一人で訪ねました。

これが、思っていたよりもすごい渓谷で、(大崩山の反対側にある)一番奥にある観音の滝まで、歩いて一時間以上、めったにゆけないと思い、地下足袋に履き替え、腹ごしらえ水分補給をしっかりし出かけました。

渓谷の一番奥まったところに落差77メートルの、観音の滝がありました。険しい渓谷の両側を、歩きにくいアップダウンを歩かないと拝めない、偶然立ち寄って滝の前に発った時、疲れが吹き飛びました。
台風の余波の海辺を兄と散策する

帰りは足取りも軽く、兄の家には夕方4時につきました。義理の姉が美味しい夕食を用意していてくれ、疲れが吹き飛び、話もそこそこ、夕食後爆睡しました。

翌日21日は、兄と二人で台風の余波で荒れる日向灘を眺めながら、おそらく何十年も訪れていない、高校生の時うろついた、思い出の宮崎市内をドライブしたりしてすごし、夕方兄と五十鈴川に沐浴に出掛けたりしてすごしました。

よく22日、朝一番一人でお墓参りにゆき、その足で次兄を訪ねしばし雑談し、朝食後またもや兄と二人で、延岡市内を流れる五ヶ瀬川に水遊びに出掛けたのですが、上流で雨が激しかったみたいで、濁流が渦巻いていて断念、またもや昨日に続いていったことのない、延岡の海を眺めにゆき、しばし砂遊び、並はあれていて近づかなかった。

その後、市内の温泉に入ってのんびりし、兄貴も私も好きな地元のおばちゃんたちがやっている、ちゃんぽんのおいしい店でお昼。ちゃんぽん は早売り切れで、仕方なく二人ともラーメンと餃子にした。餃子も実においしかった。

義理の姉には皿焼きそば(メニューは4種類しかない)をテイクアウト。その日午後はのんびりと過ごし、夕方ほんの少し弓の素引きをした。夜は姉の家で夕食をご馳走になり義兄もともに歓談、途中から兄も参加、義兄が高い焼酎のいいのを出してくれ、すっかり酔って、兄の家に戻って、爆睡しました。
今回の旅に持参したいつ冊(素晴らしい)

23日最終日、朝食後(毎食義理の姉がきちんと洋風の朝食を作ってくれた)出かけようとすると車かからず、次兄に来てもらいケーブルをつなぎ事なきを得る。

その後Gスタンドで、車の点検掃除を済ませ買い物などをしたのち、午前中2通ほど葉書を書いて投函。昼食はT姉がそうめんを作ってくれた。これがまた、最高においしかった。(この場を借りて再感謝)






そのあと、ゆるりお昼寝、目が覚めて最後に一人再び五十鈴川へ 、増水していたので水に浸かるのはあきらめようと思ったのだが、五十鈴川に流れ込む小さな支流があったので、二回に分けて10分くらい浸かった。

夜、今回の旅の最後の晩餐、兄がお寿司やオードブル盛り合わせをテイクアウト、姉夫婦、次兄夫婦、わざわざ集まってくれしばし歓談した。

このような時代の趨勢のさなか、兄姉弟(義理の兄姉も含め)が私の呼びかけに応じてくれ、集まってくれるということがはなはだ、私にはうれしいのだ。

わが兄弟も、一年一年老いてゆく、やがてはこのような、うたかたの、ささやかな宴も かなわぬことになるだろう。

だからこそ、やれるときにやっておこうと思うのである。今回もささやかに夏の帰省と、兄弟の宴がかなったことを、ささやかに五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。









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