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2018-11-30

4泊5日の上京での、出来事を記録的に。

約8か月ぶりに上京し、娘のところに4泊世話になり帰ってきてもう二日が過ぎようとしている。

爺バカになるし、孫の望晃くんの成長をこの目で しっかりと見届けてきた。レイさんと娘がしっかりと、二人で協力して、彼らなりの子育てを実践している様子に、安心と安堵と、いささかの感動を持った。

とくに男親の、レイさんのかいがいしさぶりには、(日本男子とはどこか異なる、うまく言えないが)感心した。(レイさんが口に運ぶ離乳食をガンガン望晃くんは食べていた)

ともかく、無心で親の愛情を受けながら、すくすく育っている望晃くんの天心爛漫な表情には何度も打たれた。

さて着いた翌日、娘たちの住む稲城からは、対極の千葉は津田沼に住む、兄の娘にも先月二人目の男の子が授かり、義理の姉が お世話のために駆け付けていたので、着いた翌日会いに行き、しばしの語らいの時間が持てた(母子ともに順調)。

その帰り、私が18歳で上京し最も世話になった、劇団民芸に所属する佐々木梅治先輩 と神楽坂で落ち合い、出遭っておおよそ半世紀、旧交を温めた。

この年齢になると、そうはなかなかにゆっくりと話をする機会も稀なので、私には珍しく事前にセッティングをしていたのである。

気が付くと5時間くらいあれやこれやと話し込み、 お互い健康で談論風発できる今を寿いだ。半世紀の時間が流れても、先輩はちっとも変わらない。

そのような関係性が交友として、今も持続しているのは奇跡的である。 そのことがこの年齢になるとよくわかる。

あらゆる関係性には旬というものがあり、季節のようにその旬は移ろってゆく。ましてこの半世紀の急激な全世界的な時代の推移の中での関係性の持続なのであるから、お互い感慨もひとしお、苦労が(私の苦労などは大したことはない)報われ地道に仕事が増えている先輩の姿に接することができるのはうれしく、稀なことなのである。
往復の新幹線で11講まで読み進む、すごい編集力

ともあれ、最初に行った演劇学校の仲間では、亡くなった方もいるしほとんど交遊関係がない中で、佐々木梅治先輩とだけは交友が続き、氏は初心貫徹、元気で活躍している。

そのことがうれしい。そしてやはり刺激を受ける。田舎から出てきて理屈ばか、りのいたらない私を、よくお世話していただいた。耳の痛いことを言われ、時に激論もした若き日の思い出がよみがえる。今となってはすべてが良き思い出である。

そのような先輩と巡り合えたわが人生の運命に感謝する。そのことをきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。

今回の上京では、ほかの方との予定は入れず、3日目は二人の娘と井の頭公園のタイ料理のお店で(レイさんと望晃くんもともに)ランチ。

夜は次女とお寿司をいただき、ゆっくりと近況を語らい。4日目は昼間神田の岩波ホールで【ガンジスに還る】という 映画を(よかった)観、夜は娘の手料理をいただきながら、レイさんとゆっくりと語らいのひと時を過ごした。

火曜日は、少しだけ神田の大好きな古本街でいっとき過ごし、お昼の新幹線で夕方には家に帰り妻と夕飯ができた。






2018-11-23

昨夜カルチャー教室で新しい生徒さんと二人きりでレッスンしました。

弓道の初心者教室を終了し、一区切りを兼ねて、3連休を利用して娘のところに4泊お世話になり、急きょ上京することにした。

出発前のちょっとあわただしき朝の五十鈴川だよりである。でも何か書きたい業深き初老男である。

昨夜はお一人ではあるが、カルチャー教室での新しい生徒さんとの二人きりのレッスン初日であった。

夕刻、山陽カルチャーの駐車場に着くと、屋上から見事な満月が浮かんでいた。先月も眺めることができたし、今月も眺めることができて私はささやかな幸福感に満たされながらレッスンする教室におもむいた。

個人的な事なので、生徒さんのことに関しては一切触れないが、今回の生徒さんもなかなかに個性的、忙しい生活の中で何とかシェイクスピア作品を読みたいととの情熱がある方で、その情熱が私にやはり微妙に伝播し、シェイクスピア遊声塾とはまるで異なる声出しレッスンをすることにした。

この方は、11月に行われた一日体験レッスン に来られ(これまで一日体験に来た人はいなかった)そのまま参加された初めての方である。

いろんな講座のあるカルチャー教室ではあるが、やはり翻訳日本語による シェイクスピアの言葉を声に出して読もうという方はそうはいない中、参加されているので私としては単純に嬉しいのである。

いつものように、最初の声出しは【間違いの喜劇】を読むことから始めた。変な癖がまったくなく、素読ができる方だったのでよかった。

初心忘るべからず、というが言うは易しである。毎回ニュートラルに声を出す至難さを思い知らされる。

カルチャー教室での、二人だけのレッスンは遊声塾でのレッスンを相対化してくれる。終わりなきレッスン、有限なる時間の中で、たまさか声を出しあえる新鮮な相手の出現ははなはだ貴重な時間である。

今回も女性の生徒さんだが、この方とは可能な限りあまり声に出す機会のない作品を読みたいと考えている。

レッスンを終え外に出ると寒さが一段と増していたが、こころは心なしか暖かかった。初冬の夜空に、満月が光って私を照らしていた。

2018-11-20

夜長仕事、薪ストーブのそばで干し柿づくり。

一昨日の土曜日から我が家に薪ストーブの火がともった。まだわずかな時間しか焚いていないが、いよいよ冬の到来。

あの夏の集中豪雨、またあの夏の暑さを、悲しいほどに人間は忘れてしまう。が忘れられないことのみが、各人の千差万別の記憶となって残ってゆくしかないのが、人間という生き物の、はかなさなのかもしれない。

これから日が早くおち、冬の夜長時間が増え、出かけることがすっかり少なくなった私は、薪ストーブのそばで過ごすことが多くなり、いよいよもって内省的な初老男時間を過ごすことになりそうである。

ところで話は変わるが、弓道の初心者教室を終了したことで、決まった時間、毎週土曜日に道場に出かけることがなくなり、一人での稽古をすることになった。

一人で責任を持って稽古ができるようになったのであるが、今はまだ初心者教室を終了したばかりで、どのように日々の稽古をしていったらいいのかちょっと不安ではある。

だがまあ、そんなに深刻に考えずこれまで教わったことを、日々の暮らしの中でなるべく忘れないように、わずかであれ弓に触れる稽古時間を大切にしたいと考えている。
夜明け前に撮りました。

 またもや話は変わる。昨夜一人で柿をむき、干し柿を作って干した。この数週間、時間を見つけて気分転換も兼ね、干し柿作りをしてきた。

今年は母の手は全然煩わせていない。妻が少々手伝ってくれたが、ほとんどを自力で吊るした。(母のことも最近全然触れていないが、おかげさまで母は、今も自転車に乗れるくらいに元気である)

干し柿作り、五十鈴川だよりで触れるのは 今年初めてだが、今年も何とか我が家の初冬を告げる風物詩として吊るすことができたことは、ささやかに嬉しい。






2018-11-18

徳山道場、弓道初心者教室を終了することができました。

昨夜、弓道の初心者教室の実技試験と終了式が行われ、私も何とか初心者教室をしゅうりょうした。

65歳の誕生日から弓の稽古を始めたことははっきり記憶している。まったくのゼロからの稽古で、何とか終了できた事実に、どこかでほっとしている。

ほんの初心者の一区切り、おそらく永遠に鍛錬が続くのであろう。弓道の所作や奥深さには正直、驚いている。

始めてはみたものの、途方に暮れること度々で、いつの日に初心者教室を終えることができるのか、まるで自信がなかった。

この年齢でいただいた終了証書、ささやかにどこか嬉しいのだが、今後の終わりなき修行を想うとき、いささかの覚悟の必要を感じる。

だが、確実にこれだけははっきり言えるのは、ほんのわずかな時間であれ、弓の稽古を1年9カ月近く続けられたことの有難さ、その中で何かが見えてきた確かさである。

26メートル先の的に向かって一人で稽古ができるようになる。生来ぶきっちょでおっちょこちょい自意識過剰の私が、この年齢で弓道の教室で学んだ(入り口を)ことは限りなく大きい。

只今言えるのは、今後も情熱と体が続く間は、わずかな時間であれ弓をひき続けたいと思う自分がいる。

体に静かに負荷をかけ、意識を集中 し的に向かう。義理の息子レイさんとの機縁で始めた思わぬ弓の世界は、私に未知の内的世界の奥深さの一端を知らしめる。

2018-11-17

秋の夕暮れ、落ち葉を眺めながら想う。

日没が日に日に早くなる秋の夕暮れ、私は夕日を眺めるのがこれまた好きである。昼と夜の変わり目、朝もそうだが、この刻一刻の微妙な変化が醸し出す時間帯が人間の心理に与えるものは実に大きい。

宮崎の県北の海山川で幼少年期を過ごした私のほとんどの感性は、この地で形づくられている、ということがこの年齢になるとしみじみ実感する。(ああ、五十鈴川が私を呼ぶ)

五木寛之さんであったか、松岡正剛さんであったか失念したが、老いてゆく晩節時間は、ノスタルジーに耽ることができるのがいい、そのようなことをお書きになっていたが、うなずけるのである。

きっと老いるにしたがって、ヒトはもっともっと幼少期の世界に回帰してゆくのかもしれない。とくに私の場合はそのような予感がしてならない。

だが、これは今に始まったことではなく、中世夢が原で主にアフリカやアジアやの音楽を企画していたころからそうであるのだということの自覚がある。
目からうろこのように自在な思考にため息が出る御本

要するに、もの心つくころからの高度成長、アスファルト化、都市化、ハイテク化してきたこの半世紀の流れに、わが肉体は殆ど置き去りにされ、ついてゆくことにほとほと疲れたというのが、正直なところである。

春には田植え、秋には黄金の実り、稲穂を刈る原風景がことのほか懐かしく、老いてなお私の幼心を刺激してやまない。

きれいな水、きれいな酸素空気、安全な食べ物、健康、家族、親族ほか、眼には見えない生きてゆく上で欠くことのできない大切なもののけ、を見誤ってはならないと、この年齢になり、あらためて沈む夕日を眺めながら想う。

松岡正剛氏の本で初めて知った歌、作者は失念、【見渡せば・花も桜もなかりけり・浦の苫屋の秋の夕暮れ】性格ではないかもしれない。初老男の胸を打つ。

何百年も前に詠まれた歌が、時空を超えて今の私の心に忍び込み、故郷の秋に想いをはせるノスタルジー。

この数十年の間に我が家の周りの水田はほとんど消えつつある。思うという字は、田の心と書く。歌を忘れたカナリアはどこへと向かうのであろうか。

2018-11-16

夕刻、運動公園の紅葉を眺めながら想う。

夕方や早朝、週に何回かは、必ず図書館と運動公園でわずかな時間ではあれ過ごすように心かけている。これが内省的な時間を過ごすのには、ふさわしい。家から歩いて10分のところにこのように心身が安らぐ場所と空間があるということは、幸堪である。

家庭の諸事情で、遠くまで出かけての紅葉狩がかなわないが、この一週間での運動公園内の、樹木の紅葉の色の移ろいは見事である。家の近所で私は十分に、移ろう燃える秋を楽しんでいる。

早朝、出たばかりの陽光を浴びた時の 紅葉群は、またとない美しさである。日本という風土に生を受けた幸運をしみじみと感得する。若い時にはここまで感じなかったことが、いまは感じられる、老いゆく盛りというものがあるのではないかとの思いである。

だがこれもまた、身体が健康であるからゆえに愛で、耽ることが可能なのだと思い至る。どこにも出かけられず、想像力だけで、晩秋を生きておられる方も多いことだろう。深く現在の在り様を感謝する私である。

いきなりリア王のセリフが蘇る。すべてをなくし80歳になって、荒野でぽつねんと一人つぶやく、わしは今まで気づかなかったと。リアだけではない、グロスターも目をなくして気づく、眼が在ったときはよくつまずいたと。

特に今年初孫に恵まれたこと、遊声塾の発表会でリアのセルフを繰り返し読めたことに深く感謝せずにはいられない私である。
井上ひさし氏はシェイクスピアの言葉に触発された作品を書いている

くどくど書くのは控える。春に芽吹き秋には散る。だが根は一瞬たりとも休まず、次の春に備えて地中深く根を張り続ける。

さて、根のない生き物、私はどうすれば。パスカルは人間はか弱き生き物、だが考える葦であると語っている。 シェイクスピアも人間という存在の悲しさ、美しさをその多くの作品の中で、余すところなく言葉になしえている。(と感じる)

老いるにしたがって、シェイクスピアの言葉が声に出せば出すほど、深く染み入ってくるかのように感じる私がいる。人間の一生の有為転変、不可解さ、不条理、あっけなさ、残酷さ、美しさ、余すところなく、言葉にしている。すごいというほかはない。

登場人物の内面を耕し掘り進んでゆくのは、老いの身にははなはだ難しいことではあると承知しつつも、いまだ少しでも声を出しながらよじ登ってみたいと思わせる魅力が(魔力)ある。

リアは繰り返し言う、忍耐をくれと神に叫ぶ。紅葉を眺めながら、あらぬことが脳裏をかけめぐる、老いる時間は、思索のゆったり時間を与えてくれている。

昨日夕方見上げると中天に見事な半月、決まった神のいない私は、ささやかに天に祈って家路を急いだ。



2018-11-10

シェイクスピア遊声塾丸6年、そして想う、真夜中の五十鈴川だより。

シェイクスピア遊声塾を立ち上げることができたそのきっかけは、やはり還暦を、遠野で迎えて、わずか数日ではあるが生まれて初めてボランティア活動に従事し、あの一瞬にすべてが破壊された大槌町の海岸線の瓦礫の現場に立った時に襲った感情が起因している。

無常観、(感)もののあわれ、ということをあの時ほど現実感をもって感じたことはない。当時私はまだ中世夢が原で働いていて、五十鈴川だよりの前の、囲炉裏通信を書いていた。

私はいよいよこれからの晩年ライフを、いかように生きて過ごしてゆくのかを、その後一年ハムレットのように考えうづけ、思い切って61歳で退職した。人生の4幕目を悔いなく過ごそうと。

何が自分を一番奮い立たせ、何が自分にこれからの時間を生きるのに情熱が注げるか、自問自答したのである。まっさらなおもいで。


二階の部屋から眺めた夕日
結果的に、これまでの人生での折々に翻訳日本語によ(若き日、私はロンドンで翻訳日本語のシェイクスピアを読み、日本語の素晴らしさに目覚めた)る、シェイクスピア作品の言葉に随分励まされ、その作品の壮大な言葉の千変万化する登場人物の魅力、スケールに圧倒され、若き日にシェイクスピアシアターという小さな劇団で、明けても暮れても口を動かし、言葉言葉を発したことがこつぜんとよみがえってきたのである。

何かお告げ的な、インスピレーションとでもいうしかない感情が湧き上がってきて、今やらないと悔いが残る。発作的にシェイクスピア遊声塾を立ち上げたのである。

 草食民族の末裔、ひ弱な肉体の初老の男が、あの膨大な作品の、あの豊饒な言葉を声に出して読みかつ声に出して遊ぶなんてことは、無謀なことであるとの懸念はあったのだが、(いまもある)ほかに何も思い浮かばなかったし、あの若き日にやり残したことを、元気なうちにわずかでももう一度やれりたいとの、淡い夢にも似たような感情につつまれたのである。

あれから6年が瞬く間に流れた。高校生の時に初めてゼフィレッリ監督のロミオとジュリエットを見た時の衝撃が、私を田舎から未知の世界へと、想像力の羽に火をつけた。若かったというしかない。

あれから半世紀、今奇特な塾生と共に毎週声をだしている自分がいる、幸運というしかない。だがそれもいつかは終わりが来る。

終わりは始まりなどともいうが、それはシェイクスピアには通用しない。(シェイクスピア以外のことならできるとは思うが、指導はまた別)この年齢になるとシェイクスピア遊声塾は渾身からの肉体の声が出せなくなったら、ある日突然、終わる。

シェイクスピア作品は、本質的に若くても老いてもだが、声に馬力がないとどこか成立しない、声を出してもむなしいのである。未知の世界を切り開いてゆくような声、声に若さが絶対的に必要なのである。細胞が湧きたつかのような。

だから今年の夏は、絶対声に出しておきたかった作品、リア王を読ませてもらった。この数年、これが最後でも悔いのないようにとの思いで続けている。

なにせ30年以上シェイクスピアを声に出していなかったし、内心不安いっぱいのスタートであったのだが、3年目を過ぎるころから、若かりし頃の感覚がいくばくか蘇ってきて今もかろうじて声が出せているのは、ただただ幸運というしかない。

ただ、いつまで声が出せるのかはまったく私にもわからない。だから、毎週のレッスン時間が、こんなことを書くのは気恥ずかしいのだが愛おしいのである。




2018-11-04

人間力のある、世界と渡り合える、政治家の出現を願う朝。

報道にみられる最近のデータ改ざんや、隠蔽体質、表にでなかった裏での、多分野の不始末出来事に関して、いったいこの国の大人たちは、どこまでだらしなくなってきたのか一初老生活者としてはいささか暗澹たる思いである。

だから、もうほとんど五十鈴川だよりでは触れていないし、触れることすら気が進まないが、特に私たちが選んだ政治家の発言や、動向に関しては、有権者の一人として目の黒いうちは、無関心であってはならない。

特に憲法改正などの重要法案に関して、責任世代はひとり一人が、私のような凡夫でさえきちんと考えないと、先々に禍根を残すのではないかとの危惧がよぎる。少子高齢化の問題はまったなし。

移民問題(労働ビザや滞在ビザに関して)に関しても、私も含め海に囲まれた日本人にとっては、皮膚感覚では感じにくい大問題である。この数年(5年くらい)わが近所でも主にアジア系の外国人労働者の数は急速に増えている。彼らの助けがなくてはもうこの国の特に中小零細企業は立ち行かなくなっている。

散歩中に度々出会う東南アジア系の人たち、(主に女性が多い)会釈を交わしたりすることもたびたびであるし、向こうから挨拶されたりすることもある。

一体全体どのような時代の流れの中に我々が暮らしているのかが、田舎にいるとなかなかにぴんと来ないが、日本の経済や社会は、外国からの有能な人材なくしては、立ち行かないようになっているのは明らかである。(介護の分野などでは深刻である)

日本の未来、行く末にしっかりした見識、胆力、世界的な視野をもった、特に有能な政治家が今ほど求められる時代はないのだとの、思いである。

ノーベル賞や、また多種多様なほかの分野では、多くのすぐれた人材が今も多く輩出するわが国であるが、事政治家に関しては日本を代表する顔としての、世界と渡り合える人材があまりにも枯渇しているのでは、との懸念がぬぐえない。

来年は参議院選挙も控えている。早い話一人一人の国民が、わがことの問題として考え、しっかりした政治家としての人材 、器を良く見極め、まずは選挙に行きと票率をあげないことには話にならない。デジタルでの投票を是非検討してもらいたい(わざわざ投票所に行く時代ではない)

無関心の恐ろしさは、やがて 我が身にきっと降りかかってくる(と考える)。いささか話が大きいが、普段の暮らしを注意深く生きないと、知らなかったでは済まされない事態になるのは、先の大戦でいやというほど、私たちの親の世代は体験しているはずである。

ともあれ第4次産業革命、これまで経験したことのない時代の到来 の渦中を我々は生きている。何を基点にして、何を目指して未来への舵を切ってゆくのかを、凡夫なりに関心を持って見守りたい。


2018-11-03

秋日和、松岡正剛氏の本を読む。

松岡正剛さんという本の虫であり、多面的に博識で、若い時に【遊】という雑誌を立ち上げて、今に至るも枠に収まらない編集工学の大家がおられる。

夢が原リタイア後、この方の書かれている本を折々手にしている。この方も私がかってに先生のように思っている一人である。

二十一歳から数年間、今は亡き水道橋に在った旭屋書店でアルバイトをしながら、英国遊学のためにお金を貯めていた時期、【遊】という雑誌を手にしたことがある。

当時(いまもだが)の私は、書かれている方々の文章がまるでちんぷんかんであったことだけは、はっきりと覚えている。

だが、遊というタイトルの斬新さ、編集の斬新さはこれまたはっきりと記憶している。あれから半世紀近く時が流れ、ようやっと氏の書かれている書物をゆったりと読める自分がいる。

若気の至りと、ちょっと背伸びして 旭屋書店時代に買っておいた少々難解であった本が、今はとてもよく読める。
全5章松岡正剛先生の名講義、目から鱗が落ちる。

買っておいて、そして処分しないで本当に良かったと、最近つくづく思う。良書悪書、自分にとっての良き本とは、蒙を切り開くように世界の視方や、見立てに風穴を開けてくれるような方々の本である。

若い時に本を読む時期を逸し、後悔反省しきりの私であるが、気づいた時が一番若いの例えの通り、そのようなことは気にせず、気楽に気ままに良書に巡り合う醍醐味を可能な限り求めたい。

その松岡正剛氏は、白川静先生(心から尊敬する大先生)に関する著作もあられる。白川静先生も、松岡正剛氏も遊という漢字が共通して大好きであられたそうである。

シェイクスピア遊声塾を立ち上げるとき、塾に遊という感じを選んだのは、たまたまではあるにせよ、平安時代の今様、梁塵秘抄、庶民が歌った遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけんにあやかったことは確かである。

ようやくにして、遅きに失した感無きにしも非ずだが、本を読める醍醐味に心うきうきの最近の私である。近くに図書館があり足しげく通え、そのうえ隣接して体を動かせる広場 もある。

初老生活者の私にとっては、またとない環境である。知り学ぶということの有難さを噛みしめる秋日和である。