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2013-10-31

10月最後の日、オロと祝の島の上映会にお出かけくださいますように、と願う朝


10月最後の朝です。何か飛ぶような感じで時が流れてゆきますが、亀のような歩みで、仕事をしながら、11月の上映会に向けて進んでいます。後わずかですが最後まで微力を尽くします。

 

さて10月から同じ時期、共に仕事を始めた同僚のNさんにチラシを見せたら、なんと2枚も買ってくださいました。失礼を承知の上で、思いもかけない方が買ってくださると、直接手売りの妙とでも言いますか、なんとも言えない嬉しさがあります。

 

2週連続2本で見てくださる方は2千円で結構ですので、是非ご覧になっていただけると嬉しいです。案内を送った方々から、すでに3名2本見てくださる振り込みが届いています。普段あまり私の企画に来られない方々からの反応があるのが嬉しいです。

 

この企画はオリエント美術館の地下で上映されますが、岡山映画祭のO氏が全面的に協力して下さり、音響も含めしっかり映画館のような上映会になります。実に心強く、お楽しみにして下さい。

 

今の時代、家でDVDをいくらでも見ることができる環境ですが、当日出逢えた方々と一緒に映画を見て、ゲストとのトークタイムを含め出かけてよかったとおもえるような上映会になればいいと、非力な企画者は夢想します。残りの日数、どこかのだれかが1日1枚でも買ってくださいますようオーバーですが、祈ります。

 

 


2013-10-29

新しい仕事を始めてもうすぐひと月の朝に思う

冬用のお弁当

101日から切りよく新しい仕事を始めてから、なんとか5週目に入りもうすぐ一月になるになる。今日もこれから働くため落ち着いて書く余裕はないのだが、働くことで喜んでいただける会社に近所で巡り合えたことを、本当に有難く思っている。

 

世の中に出ていろんな仕事をさせてもらい、オーバーではなく命を永らえてきたが、夢が原に続いて、かなりやりがいが個人的にある仕事に巡り合えたことは、今のところ素直に嬉しい。

 

とにかくもうしばらくしてから、ゆっくり落ち着いて又書きたいのだが、仕事とは何か。何のために人は働くのか、お金のため、生活のため、書き出せばきりがないくらい、人は千差万別の様々な思いに駆られながら、日々働いているのだろう。

 

かくいう私も、いろんな思いを抱えながら、18歳から働いて今に至っているのだが、生きがいを伴いながら、些少なりともやれる仕事に巡り合うなんてことは、そうはめったにあるものではない。

 

まだ一カ月にも満たないのだが、今のところはなはだ充実した日々を送ることができる職場である。経営者が新しい事業を立ち上げ、まだ投資している段階で、利益は全然出ていないがために、専務自ら時間を見つけて身体や機械を動かし、パートも含め、少数のスタッフでギリギリ挑戦している。

 

その一員に遅れないようについてゆくために、微妙に身体を良く使うので、とにかくケアーしながら学び、充分睡眠をとるように心かけている。そんな中で、11月の2本の素晴らしいフィルムの上映会に向かっているのだが、この上映会と今ややっている仕事は、私の中で本質的にかなり結びついているので、集客的なことはあまり気にしてはいない。

 

日々やれることをやり、やれる範囲での上映会になればそれで充分という思いなのである。だからと言って、手を抜いているわけでは全然なく、私の中ではこれまでと同じように企画はしているのだが、私自身の何かが大きく変わりそうな予感がしているのである。

 

書くのが恥ずかしいので、いまはまだ控えたいのだが、初めてといっていいくらいゆったりと企画し、ゆったりと働いている。

 

日々の波動が伝わるのか。妻や娘がお父さん、また働き始めたらいきいきしているね、と言われている。とくに妻は、何か嬉しそうにしている。妻は21年間作りつづけていたお弁当をまた、作ってくれている。


2013-10-28

Y氏からオロのチケットの申し込みがあった朝に思う

牛窓の休耕地の青い空

時が充実して流れてゆく秋を送っている。こうやって何げなく健康に、61歳の秋を迎えられているということへの朝日が昇ってくる前の、感謝の朝である。

 

私がメールをほとんどしないせいか、私にはメールがあまり来ない。がときおりはくるので、チェックはする。先ほど開いたら、Y氏からオロのチケットの申し込みが入っていた。それも5枚も。

 

Y氏とは昨年、土取利行さんの演歌を企画(西大寺観音院での)してからの出会いだから、まだそんなに長いお付き合いではない。私の経験しえないような誠実な人生を歩んでこられた気配が言葉の端々に感じられる方で、何よりも物事をきちんと深く勉強されている。

 

演歌や、オロを企画しない限り、こういう方とはなかなかお目にかかる機会は得られない。マイナーな企画をきちんと受け止めてくださる、得難い見(賢)者に、出会いたいという心もちが私の中にはある。

 

それは、私自身がこれまでの自分とは決別(そんなに大げさなものではありません)したいという、ささやかな思いの表れなのかも、安全な企画ではなく、もう少し冒険、挑戦してゆく中での人との出会いを無意識にも求めているのかもしれません。

 

企画をするということは、(生きてゆくということは)新たな自分自身との出会いでもあり、他者との出会いでもある、ということが言える気がします。人は人によって磨かれてゆく。ひょっとすると、これが人間にとって最も幸せで、贅沢なことなのかもしれません。

 

10月から始めた仕事もそうですが、私にとっては初めて経験する事ばかりなのですが、そのことがいい意味で私をかなり活性化している、という自覚がある。もうこれから、ある種の挑戦的な仕事は、限られた人生時間の中では、肉体的年齢的にも稀なことだと思っている。

 

できなくなってからでは遅いし、悔いが残る。オーバーですがそんな心持で働き始め4週間が過ぎました。少々しんどくても、やる気のあるスタッフと働けるということがこんなにも気持ちがいいという、極めて当たり前のことを感じている。

 

企画も、声を出すことも、私にとってはすべて同じ、生きて動いて、出逢って働く。身も心も活性化して過ごす(せる)ということが私にとっての幸福である。


2013-10-27

四御神のA氏とともに黄金の秋の実りに出会いました。ありがとうAさん。


今年も含めると22年間、私の企画を応援して下さる方がいてくださることに関して、これまで私のやってきた企画を、きちんと自分の頭と体で見届けてくださる方々と、我が人生で出会えたことにたとえようもない喜びを感じる。

 

還暦を境にということもないのだが、晩年は新しい出会いよりも、これまでの出会いをより深めてゆくための、顔の見える関係性に重きを置いた、企画をやりたくなってきた。もっと書けば、この方々と共に老いてゆきたいというような。

 

【オロ】と【祝の島】の2本の作品には、私がこれから老いてゆく中で、見失ってはならない人間の真の意味においての、少数ではあるが、豊かさを生きておられる人間がこのような時代、辺境の地にきちんと存在していることの崇高さを知った。私は打たれた。

 

18歳から世の中に出て61歳になり、ようやくこのようななんてことの無い普通の生活の豊かさを感知できる自分がいる。極めて穏やかな境地というと、いささか恥ずかしくはあれど、たどりつけたことに関して素直に嬉しい私である。ただ在り感謝するということの重み。

 

さて昨日、私の企画を10年以上応援して下さっている四御神(しのごぜ)で不動産業をされているA氏を、チケットの行商のために訪ねた。氏はいつものように懐深くいいですよ、両作品各5枚、10枚を即買ってくださった。

 

がその前に、氏を事務所で待っていたら、現れた氏が、いきなり今朝お墓参りに行ったら、アケビが鈴なりになっているのを見つけたので、採りにゆきませんかと私に言うではないか。即行こうと私は応え、軽のワゴンに乗り、彼の家に柄の長い剪定ばさみを取りにゆき、二人で氏の示す現場に赴いた。

 

そこで私は、生まれて初めてアケビのこれほどまでの見事な鈴なり群生を見た。しばしチケットの行商は忘れ、二人して(氏と私は同じ年)夢中でアケビ取に興じた。

 

わずかな時間、小学生に還ったかのように二人でアケビ取に夢中の時間を過ごした。かろうじて手の届く範囲のアケビしか採れないのだが、それでもポリ袋に二抱え位の収穫があった。アケビの王様というしかない見事な赤薄紫のなんとも言えない色と形。日本の秋の美の贈り物。

 

手の届かない所には、まだ沢山ぶら下がっていて、うらやましげなわれわれを悠然と見下ろしていた。その実が落ちてきっとまた来年も豊かな贈り物をわれわれに約束してくれるだろう。人間は小さく自然は偉大だ。

 

二人して小さい秋を見つけて、ほのぼの幸せな気分で現場を後にした。Aさん来年も二人でゆきましょうね。

 

 

2013-10-26

姉からのはがき、兄からに手紙に思う、秋の朝


仕事から帰ってきたら、郵便受けに姉からの葉書がきていた。先日も兄から珍しく手紙が届いていたし、晩年姉や兄とゆったりとITではなくやりとりできる時間が訪れようとは思いもしなかった。

 

字体にはやはり個性が出るのだということが実によくわかる。元気で暮らしているとか、季節の移ろいとか、御達者でという、極めて普通の何げない文章が綴られているのだが、年々そんな何げない当たり前のことの、やりとりの重みを小生も感じるようになってきた。

 
先日、東京の長女に私も手紙を書いた。これからもITに逆らうわけではないのだが、可能な限り、娘にはとくに手紙や葉書をかきたいと思う私だ。もちろん娘だけではなく、友人や大切な人には、出来るだけ文字をかくという時間を大切にしたいと思う。

 
今は亡き母から頂いた葉書、そんなに多くはないが、今となっては宝のように感じる自分である。とくに亡くなる前の一年前位にもらった、最後の葉書は胸を打つ。きれいな字で書かれていて、病に侵されながらも病院の窓から眺める日没の素晴らしさが記されている。

 
小さいころ鬼のように思えた父と、いつもおっとりゆったりの慈母のような母の姿がまぶたに焼き付いている。苦労をしても悲観的にならず、5人の子供を育ててくれた母のことを思う。孝行したいときには親はいないと言うが、そんな言葉が沁みる季節である。

 
私も親になってみて少しは感じることなのだが、親は子供を選べないし、子供も親を選べないという真実。親子とはまことに不思議な縁で結ばれている。両親亡きあと、ようやく私も少し余裕ができてお墓参りを歳と共に欠かさずするようになった。

 
手紙の話に戻る。ITと手紙の共存バランスを私はこれから努めて意識的にやりたいと思う。今日、明日はお休みなので、上映会のPRに動き回る予定だが、姉と兄には返信を書こうと思う。

 
幾山川超え去りゆきて今がある、久しぶりの朝の青空を窓越しに眺め、秋の冷気を気持ちよく感じながら、ブログを打つ私である。変換ミスや、誤字の多い恥かき我がブログなれど、限られた人生の時間の個人的な今を、健康に綴れる平凡極まる幸せを噛みしめる。

 
今日は、義理の父のお墓参りにも往く予定、秋は亡き人々に静かに想いを寄せる季節だ。

 
あと数日で、ブログを書き始めてまる4年になる。

 

 

 

 


2013-10-22

繁栄の呪縛を超えて、という書評を読んで思う

我が故郷の素晴らしいリンゴ園

大雑把に61年間のこれまでの時間をふりかえると、生まれてから故郷で過ごした18歳までと、18歳から40歳までを過した東京での生活、そして40歳から岡山に移住してと、おおよそほぼ同じくらいの時間を経て、今現在を生きている。

 

悠久の太古からの歴史的時間に思いをはせる時、何とはなしに今ここにある自分の命の不思議に、いい歳なのにいまだ中学生のような感覚にたまにおそわれる。外見は初老の男なのに、内面はいまだに青い内なる幼児性のような感覚が、熾き火のように疼く。

 

ところで話はいつものように忽然と変わるが、今年は台風がやたら多い。おそらく私が思うのだから、多くの方は地球という生命体惑星が、この数百年の人間の活動の果て、気候変動という一点でかなりのダメージを受けている、差し迫っての現実問題に気づかれているのではないかと思う。

 

ではどうしたらいいのかということに関して、私も含めて途方に暮れているというのが、大方の方の、認識なのではないかという気がする、私もその一人である。昨日たまたま一昨日の書評を読んでいたら、新泉社から出ている本で、タイトルは繁栄の呪縛を超えて(貧困なき発展の経済学)

 

著者は、国連の気候変動に関する政府間パネルの会議(IPCC)に参加されている二人の外国の方。詳しく書いている時間はないのだが、地球環境は予想以上に壊れかけている衝撃的な報告書が公表されたとある。

 

猛暑、豪雨、竜巻、海水温の上昇によるマグロ漁やサンマ漁の異変、書評氏の中村達也氏も、何やら地球がおかしいという個人的な感覚からこの本を取り上げている。さていつもながら、乏しい頭と体で私ごときも考える。仕方がないという言葉は、私は苦手である。

 

著者の一人(P・フィトゥクシとE・ローランの共著)は、われわれが地球を理解するペースよりもわれわれが地球を変化させるペースの方が早い、と述べている。

 

またもや身体が重いテーマを書いてしまった、我が拙き朝ブログ。それでも穏やかに陽が昇って夜が明けてきた。妻も起きてきて一日が始まる。

 

悲観的になることはたやすいが、内なる自分の身体や心が灯すあかりを絶やさぬように、日々を送るバネを、お金に頼らず生きるための知恵を育てたいと願う、初老の私である。

 

 

 

 

 

 

 

2013-10-21

【オロと祝の島】上映会までひと月をきった朝に思う

亡き父愛用の硯

がんばろう日本とか、絆とかいう言葉が311以降、やたら飛び交う世相ですが、藤原新也さんもWMで、震災前は無縁社会で、いよいよ世の中は絶縁社会になってきつつあるのではということを書かれています。

 

何故企画をするのかということを、凡愚の私としてもときおりやはり考える。言葉では伝えられない、見たり聴いたりして何かを感じてもらいたいから企画をしたりしているわけなのだが、自分なりに、当日来てくださる方々の直接顔が見える範囲での企画をこの数年、特に311位後やりたくなってきている。

 

自主企画には、自分の時間を割き、経済行為も付きまとうので、仕事をしながらの私としては道なき道を往くと言った按配で、なかなかに難しいのだが、それでもこの数年なんとかやれているのは、家族の理解あってのことである。それと私は他に旅以外、お金を使うことが、ほとんどない。

 

この21年、たまさかの旅(これもほとんど企画をするための旅)以外、自分の時間とお小遣いのほとんどは企画をするために使ってきた。それが私の生きがいでもあった。

 

自分が今生きている生活、人生の中で、たまたま見ることができ、聴くことができた何か人間の根源的な豊かさを感じる作品や、心が満たされ感動したアーティストを、企画することで自分自身が救われてきた。

 

そんな企画人生なのだが、数ではなく、ささやかな人数の上映会や、音楽会なんかを企画したくなってきている。限りなく経済行為には見合わない行為だが、それが私にとっての旅の変形のようなものと考えて、この10年くらい企画している。だから年数回しか企画できない。

 

せいぜいこれからも年にわずかしか企画できないかもしれないが、子育てが終わり、元気に働ける間は、人と人との繋がりや関係性の中で、生の確認ができるような企画を心のどこかに余裕のあるうちは、続けたいという希望を持っている。

 

ところで、今回の上映会の企画に関東方面から、避難移住しておられる方から、チケットの問い合わせが数人来ている。岡山にも福島をはじめとする東北の被災地から移住されている方からの問い合わせは初めてだった。祝の島だから反応されたのかもしれない。冷静に考えれば、考えるほどに一歩間違えば取り返しがつかない時代に我々は、放り出され生きている。

 

今回の2本のフィルムの上映会は、私ごときが企画するには荷の重いフィルムなのだが、2本とも縁があって企画しているし、何よりも人との繋がりや、人間にとっての無くしてはならない崇高な尊厳に満ちたフィルムなので、微力を尽くし一人でもきていただくためこうやってブログを書かずにはいられない。

 

 

 

 

2013-10-19

電子画面を利用しながらも、限りなく私はリアルワールドを愛する


一月前に書いたブログをたまたま読んでみたのだが、たかだか個人の今を生きる情況でさえ、表層的にかなりな変化が起こるのだから、世界や世の中が刻一刻と変化するのは、致し方の無い摂理というしかない。

 

私が青春時代からかなりな影響を受けた、藤原新也さんのWMのトークを私は個人的に愛読している。いつも深い問題提議や、私なんかには及びもつかないような知的胆力やユーモアのある読者からの投稿が多く寄せられていて、ひとつの情報に偏らない、いい意味でのおおらかなコミュニティWMとして画期的に機能していて、凡愚の私としては3・11以降のメディアとしてはなはだ重宝している。

 

それは一言でいえば、藤原新也さんの個性に負うところがほとんどだと思う。会員数を2000名に限定しているWMだが、船長である藤原さんが、反省力も含めてキャットウォーク会員には自然体で普通の姿をさらしている。

 

今週は藤原さんと会員の方々との門司でのOFF会(北海道や山梨でも行われた)の(参加は出来なかったが)様子や、多岐にわたる読み応えのある投稿が多数寄せられていて、深く考えさせられる。私は藤原さんの一ファンに過ぎないが、怜悧に時代の流れの中での人と人とのコミュニケーション問題についてWMを通じて発信し、より本質的な人と人とが繋がるということに関しての、現代における哲学的な実験が行われている、というふうに私は受けとめている。

 

311以後、急きょ発刊され今に至っているのだが、個人的にささやかに私も企画をする側のひとりの人間として、いやでも応でもいろんなことを考えさせられるのだ。

 

電子メディアでブログを書いていながら(そのほかのソーシャルメディアはやる気が起きない、ツイッターやフェイスブック、ラインなどの)はなはだ矛盾するのだが、本当の人と人との繋がりはやはり面と向かっての、いったい一の人と人との間にしか成立しえないという側に私は立つものである。

 

論旨に脈絡がないが、藤原さんのWMの電子画面の文字を読みながら、そして私自身こうやって
電子画面に文字を書き連ねながら、限りなく矛盾するが、電子画面からは遠くの世界の側に往きたいという衝動に駆られるのである。

 

土に触りたくなり、風の音や、潮騒の音、川の流れる音がききたくなり、この間も書いたが人間が創れない世界の側に限り飽く身を置きたくなるのだ。

 

 

2013-10-17

金木犀が散った朝に思う、取り留めなき朝ブログ

散ってしまったきんもくせい

台風の余波の風で我が家の金木犀の花はほとんどちってしまった、と同時にいきなり肌寒い夜に昨夜はなった。起きてまだ30分ほどだが静かに夜が明けてきた。先程まで星が見えていたので、今日もよい天気になりそうである。

 

岡山はほとんど台風による被害はなかったようだが、関東の伊豆大島をはじめ、被災地ほか、いろんなところに被害が出た模様である。本当にあのような被害に自分があったらどのような心境になるのかと思うと、ただ平凡に生きられるだけで充分なる幸せだ。

 

個人的なことで恐縮だが、先日東京生活を春から始めた長女が仕事のついでに週末帰ってきた。母も一緒に久しぶり全員がそろいお昼を共にした。長女が支払ってくれた。はなはだこんなことをかく自分が少し恥ずかしいのだが、こんな日が自分に訪れようとは思いもしなかった。

 

家庭、家族を持てるとも思えないような不確かな人生を、選択した私にとっては、言葉ではいい知れぬ感情がいまだに在るのである。朝からこんなことをかくことになるとは、つい先ほどまで思いもしなかった。

 

尻切れトンボになるかもしれない朝ブログである。妻と出会わなかったら、娘が生まれなかったら、とIFを書き連ねたら、まさに人生は出会いでどのようにも運命が書きかえられることだろう。

 

最初の娘の生誕はやはり、私にとっては大きく人生を変えたと思う。詳しくはかけないが、生まれたての生命力ほとばしる、いわゆる赤ちゃんの存在はまったくまぶしかった。これが自分の子供なのかと思うと、不思議な感覚におそわれたことを、いまだ昨日の出来事のように思いだす自分がいる。

 

その娘が成長し親元を離れ、来年は異国の男性と結婚するというのだ。歳月人をまたずと言うが、まさに非情に時は流れ、万物は流転し、自然は千変万化する。そのことを受け入れてゆく中で、老いてゆくことの大いなる自然と新たな生命の誕生を静かに受け入れてゆきたいという感覚が、私の中に育って切っている。

 

今日もこれから仕事にゆくのだが、まったくこれまでの人生ではあったことがないタイプの男性(専務取締役)との出会いが、(まだ2週間とはいえ)ささやかに私を活性化させている。久しぶりに刺激をもらえる、面白い男性に岡山で出会った。

 

人間は繰り返し不自然なことをするが、自然には無駄がまったくない。私は可能な限り、限りなく人間が創った世界ではない、自然な世界の方でこれからの時間をすごしたい。


2013-10-16

オロト祝の島のチケットを初めて行商しました

牛窓の青い空

ちょっと驚いたことが昨日会った。まだ働き始めて2週間なのに仕事が終わるころ事務所で、専務取締役のAさんと片腕のF氏と語らっていたら、どういうわけか11月の上映会の話になり、いきなりお二人が買いますよ、といって二枚ずつ買ってくださったのである。

 

このようなフィルムは見たことがないと言って。まさか買ってくださるとまでは思っていなかったので、当方は嬉しく意外で(ゴメンナサイ)小さく驚いたのである。

 

企画するエネルギーには、思わぬ観客に出会いたいという見果てぬ夢のような感覚があるのである。まったくこういう世界に触れたことがないような、いい意味でまっさらな人に一人でも見てほしいというような気持。

 

ギリギリのところで、いまだ新鮮な感覚をキープし続けているような感性の持ち主に出会いたいという願望は、この鵺のような閉塞感が覆う時代、私の中に止まない。

 

時間的に、チケットを売りにゆく時間が今回は働き始めたので少ないのだが、こうやって思いもかけないような出来事があると、単細胞の私はあらためて、いろんなアクションを起こす中からしか新しい観客には出会えないということを教えられる。

 

わずか4枚のチケットが売れたということでは量れない、いろんな可能性が秘められた4枚のチケットなのである。直接行商し初めて売れたチケットが、新しく始めた仕事場の方たちであったことは、私をして未知との遭遇を恐れていては何も生まれないということをあらためて知らしめた。

 

上映会当日まで、お手紙を書いたりして、休日は可能な限りチケットを一枚でも行商しながら配達したりしながら、未知なる観客に出会う可能性を求めるエネルギーがあらためて湧いてきた。

 

新しい仕事は、専務がスケールの大きい方で、未知の分野に投資しこのような時代果敢に挑まれている。ほとんど立ち上げの段階から一スタッフとしてかかわれることの喜びが静かに私のなかに広がり始めている。

 

今はただ、静かに淡々と年内働ければ、何か又私の中で静かに可能性が広がりそうな予感がしている。

 

 

2013-10-15

汗が出る体と、笑える体に感謝し、日没を体感する


秋の香り我が家のきんもくせい

今のところ週に4日ほどだが、働くようになってから生活のリズムがきちんとしてきた。18歳から働いてきたので(若いころ演劇の勉強をし、生きるがために、どのような仕事もいとわずやって来た経験は今この年になると、やはり大きい)

 

娘がこんなにも早く結婚しようとは思いもしなかったし、いろんないい意味で晩年の予定の変更を迫られることになったが、すべてを前向きに考えてゆく生来の楽天気質は持って生まれたものであるから、いたしかたない。

 

それにしても職場がこんなにも近いということが、こんなにも有難いというか嬉しい。家から車で10分で着いてしまう。やはり、夢が原は遠かったのだなあ、ということをつくづく実感する。

 

まだ働き始めて2週間だが、夢が原や若いころ富良野でやってきたことがかなり活かせるので、今のところ新鮮で充実している。自分でも年の割には身体が動いてくれるので、そのことが一番嬉しい。私としては天然フィットネスクラブで働いている、位の感覚である。

 

楽しんで仕事をしていると人にも伝わるのか、何とはなしに少人数の仕事場なのに笑いが起きる。なんとも人が愉しそうに笑わなくなったかのような、気味の悪い時代状況の最中、とにかく仕事中笑いあえる環境は、そうはあるものではない。はなはだ貴重な職場に巡り合ったものである。

 

下の娘が、家から近いしお父さんには合っているんじゃないと見つけてくれたのだが、感謝しなくてはならない。娘は娘なりに私のことを良く見ているのだということを、今回あらためて感じた。若いころは遠くをうろつき、晩年は近くをうろつく。

 

家族とか、仕事とか、友人とか、芸術や、文化とか、ありとあらゆることに関して、還暦を迎え、一応定年で仕事をおえ、この半年あらゆるリセットを、今も行っている最中である。こんなにも静かに物思いにふける時間を持てる今が、私には一番贅沢なひとときである。

 

娘が新しい家庭を持ち、時代の様相も日々刻々と時の移ろいと共に表層を変えてゆく。それが当り前なのだろう。死を含めあらがっても仕方がないことは無数にある。人間は考える葦であるということが沁みる。考える力を日々蓄えながら、働き学びたい。

 

昨日仕事を終え家に向かう途中の日没は、汗を流した身体に沁みた。

2013-10-14

新聞記事の中に時代遅れになった現代人という言葉を見つけみにつまされました

このようなノートがずいぶんたまったきました

何度も書いているが、私のささやかな楽しみは新聞記事の中に、切り抜きたくなるような記事をひとつでも見つけることである。気分転換や空いた時間の折々に、もう10年くらいになるのではないかと思う。

 

やはり何事も続けている中で、板についてくることがあるのだということを感じる最近だ。とくにこの10年は子育て中心であり、私のお小遣いは限られていたので、お金を使わずに楽しめなおかつ、刺激を受けるのだから助かった。今では趣味のような感じになりつつある。

 

新聞はやはり私にとっては、いまだ社会の窓である。中でも書評を切り抜くということが多いのは、こんなにも本が出版されるのに、人生の時間は限られており、ほとんど読めないがために、せめて心ある書評家の本を読むことで、溜飲を下げているのである。

 

さて、106日の書評で松原隆一郎さんが、鈴木宣弘著・食の戦争(文春新書)を取り上げている。TPPを入り口に、現代の最先端の、そしてこれからの食に関する、まさに戦争状態の内実のあれやこれやが、実に分かりやすく説得力を持って書かれていて勉強になった。

 

また、フランスのオルセー大学の、セルジュ・ラトゥーシュ教授が脱成長への道という特集に一文を寄稿していて一読おもわず切り抜いたのだが(関心のある方は、毎日新聞のパラダイムシフトを検索して下さい)心から膝を打つに値する一文だった。

 

その中で、古代ギリシャにおいて理想的な生活とされた・観照的な生活(静けさの中で物事の在り方について思索する哲学的な生活)を再発見する。速度への執着から解放され、時間と生活の奪還へと向かわなければなりません、とあった。

 

まさにその通りだと私は思うものである。物質的にいくら所有しても豊かさはえられないのだということに、気づく意識のパラダイムシフトが起こらないと、おそらく人類は滅びるだろう。私の朝ブログではとても伝えきれないが、最後にもう一つだけ。

 

1945年、818日のサタデー・レヴュー紙にアメリカのジャーナリスト、ノーマン・カズンズは、・時代遅れになった現代人・という記事を発表しました。カズンズによれば、人間は、原子力エネルギーの恩恵を享受しながら、その潜在的な危険性を統御できるだけの能力を備えてはいません、とある。

 

まさに、身につまされる。