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2024-04-27

6月16日【マルセを生きる】出版を祝う、故マルセ太郎の泥の河DVD上映とマルセ梨花さんのトークイベントに寄せる一文。


 2001年1月22日、お亡くなりになったマルセ太郎という知る人ぞ知るがいる。この方の娘、梨花さんが昨年11月、22年の歳月をかけて、【マルセを生きる】という本を上梓した。

その本を読み、一人でも多くのかたにマルセ太郎という比類のない芸人の存在を知ってもらう、DVDの上映と梨花さんのトークでの出版を祝う企画をやることに決めた。日にちは6月16日場所は私が働いていた中世夢が原の神楽民俗伝承館である。下記の一文は私が私がそのフライヤーに寄せたものである。

2023年11月、故マルセ太郎さんの娘、梨花さんから【マルセを生きる】という 芸人マルセ太郎に魅入られた人たち という副題のついた本が送られてきた。知る人ぞ知る芸人マルセ太郎が亡くなったのは、2001年1月22日、あれから22年の年月が流れている。私はかけだし企画者として40代半ばたまたまマルセさんを二度企画している。いずれもスクリーンのない映画館。まるごと映画をマルセさん独自の視点で切り取り語る、これまで誰もやったことのない独創一人芸である。最初は働いていた中世夢が原の神楽民俗伝承館で、小栗康平監督の泥の河を、二度目は私の住む街西大寺の五福座での黒澤明監督の生きるである。マルセを生きるに収められているほとんどの方が書かれた文章はマルセさんが没した年に書かれたものである。ご縁があったことで私も拙文を寄せた記憶があるのだが当時刊行には至らなかった。しかし、梨花さんの父マルセ太郎に対する畏敬の念と、このままマルセ太郎の誰もなしたことのない未到の荒野を敢然と一人行く芸の世界を、このまま埋もれさせてはならない、との一念は時が経つにつれ深まり、梨花さんの中で熟成発酵し(梨花さん、息子竜介氏のコラムが素晴らしい)【マルセを生きる】という見事な結晶となって忽然とマルセさんが甦ったのである。見事という他はない。私はこの本を手にして一言理屈抜きに感動した。そして72才の私に今やれることは何か、考えた。結果、私はマルセを生きる出版を祝う、マルセ太郎のDVD上映と梨花さんのトークをやることに決めたのである。その第一回の場所として私が選んだのは、マルセさんが泥の河を語った場所、中世夢が原の神楽民俗伝承館である。故マルセ太郎を知っている人はもちろん、知らない若い人にも是非足を運んでほしい。歌の文句ではないが、私の希望(ねがい)はただそれだけである。



2024-04-26

【逃げても、逃げてもシェイクスピア】翻訳家・松岡和子の仕事というご本が松岡和子先生から送られてきました。

 昨日で4月の労働は終えた。金曜日朝の五十鈴川だよりである。青天の霹靂という言葉がある。月曜日午後4時過ぎ、労働バイトを終え家に戻ると、妻が松岡和子先生から本らしきものが届いているよと知らされた。すぐに封を開けるとやはり本であった。初版4月17日に出版されたばかりのホヤホヤの新刊。表紙に愛猫を抱いた満面笑みの先生の写真が。だが著者は違う。タイトルは【逃げても、逃げてもシェイクスピア】サブタイトル、翻訳家・松岡和子の全仕事とある。草生亜紀子というかたが書いた本である。

シェイクスピアのお導きに感謝

いま五十鈴川だよりをうちながら、2年前下北沢の本多劇場のロビーで、39年ぶりにまさに偶然お目にかかったときのことが昨日のことのようによみがえる。読みかえしてはいないが、そのときのことは、五十鈴川だよりに打っているはずである。今更ながらあの日の出来事がなかったらと、想う私がいる。というのは長くなるので務めて簡略に記すが、きっとあの日の出来事が、もう一度初心に帰って、年齢を忘れ、松岡和子先生の翻訳での音読リーディングをやるという気持ちを奮い起たせたのだと思える。

今年3月23日から奇特な主に岡山在住の面々と、先生の翻訳でリーディング音読を始め、5回ほど終えた翌日に、先生からのご本が届いたあまりのタイミングのよさに、いまだ驚きを禁じ得ない。

【逃げても逃げてもシェイクスピア】という奇妙なタイトルの本は全5章からなっている。プロローグ、父と母・学生時代・仕事、家族・劇評、翻訳・シェイクスピアとの格闘、エピローグである。本の帯にこうある。

引き揚げ後の暮らし・シェイクスピアからの逃走・この人と結婚するかも・初めての翻訳・戯曲翻訳の世界へ・シェイクスピアに向かう運命の糸・自分が新訳する意味は何か?・書かれていないことを決める苦悩・挫けそうになった作品・完訳の先に続く挑戦。

その夜から読み始め翌日には読み終えた。読んだあとで、明らかに何か言葉には表し得ようもないタイミングでの、私の思い付きリーディング音読へのエールとでもいうしかないほどの励ましの本を、いただいたのだとの至福感が、読後いまだ私を包んでいる。その事が私に五十鈴川だよりを打たせる。

そのようなあんばいの私、この本から私が受けた感動をにわかに綴ることはいまは控える。ただ、あまりの松岡先生の両親の素晴らしさには脱帽、何度も涙腺が緩んだ。30才で亡くなられた弟さんへの思いの深さ。姑との確執。夫の看とり。などなど。生老病死、どなたでも避けられない生きて行く上での諸問題が松岡和子先生の人生にも繰り返し訪れる。

が、先生は敢然と向かい合う。困難がたち現れる度に先生は覚悟が座る。何と素晴らしいことかと打ち負かされる。この方の翻訳日本語でリーディングをやりたいと思った私の直感は、正鵠を得ていたのだと自負する。本多劇場でいただいた名刺のご住所に我が家の八朔をお送りし、その中に音読リーディングのフライヤーも同封したのだが、ご本と、いただいたお葉書に、さりげなく岡山での音読会はいかがですか?とあった。誠実なお人柄が、さりげないお心遣いが文字から伝わってきた。身が引き締まるおもいがした。

明日は第6回目のリーディング、まだ始まったばかりなのだが、【逃げても、逃げてもシェイクスピア】は私にとって座右の本となるのは間違いない。これからの私の宝になり大いなる味方になる。ささやかな存在の私ではあるが、シェイクスピアのお導きで松岡和子先生と巡り会えた運命に感謝し、体が、声が出せる間は貴重な仲間(生徒さんと)と松岡先生の翻訳で、未到彼方高く聳えるシェイクスピア作品群を音読リーディングする覚悟である。




2024-04-21

2024年、4月19日、20日二日連続土取利行さん企画・プロデュースイベントに立ち会えた至福の五十鈴川だより。

 19日午後7時からサンポートホール高松で行われた、【異響同塵 古代サヌカイト&チェロ 異次元コンサート 土取利行&エリック・マリア・クテュリエ セッション、ゲスト松田美緒】を体感、聴いた。

何故か手元にある昔のチケット


19日午前中で仕事を切り上げ、余裕をもって高松につき会場で静かに開演を待った。一部はエリック・マリアのソロと松田美緒さんの歌とのコラボ。続いて二部に入り、生まれて初めて土取利行さんが演奏する古代石器サヌカイトの生音で聴いた。

前半はソロ、後半はエリック・マリアとのセッション。音の密度が研ぎ澄まされている。サヌカイトの音の神秘に心底おののいた。

サヌカイトとチェロの響きの交歓、歌(詩と)チェロの交歓。カーテンコール。3人による夢幻的交歓。サヌカイト、チェロの響きの神秘、声の響きの神秘、彼方からさんざめいてくる波動に耳を澄ます。

なにか大いなるものに包まれ抱かれる安堵の原初的回帰感覚、聴き終えて言い知れぬ静かなある種の幸福感が私の体を満たした。いまはただこの稀有なセッションに立ち会えたことの老いの喜びを、わずかに五十鈴川だよりに打てるだけで幸せである。

土取利行さんに出会ったのは私が26才のときである。かけがえのない若さを抱え、当時私はロンドンに演劇を学ぶためというめいぶんを掲げ、劇場の街、ウエストエンドエリアを夜毎徘徊していた。シェイクスピアの舞台を見るために自費遊学、生まれて初めての自由自在生活、遅蒔きの青春を満喫していた。

ある日、タイムアウトという情報紙に【ピーター・ブルック演出、ユビュ王】という文字が目に入った。場所はテムズ川のウォータールー橋のそばの劇場ヤングヴィック座。芝居が始まりビックリした。何と日本人である土取利行さんが、あのピーター・ブルックの劇の音楽を担当していたからである。

私は二十歳のときにピーター・ブルックが演出したシェイクスピアの夏の夜の夢を東京日生劇場で観たことがあり、そのあまりの斬新さに度肝を抜かれた経験が、結果的に私を土取利行さんと出会わせたのである。今から46年も前の忘れもしない出来事である。(人生の折々、シェイクスピアはいまだ私を未知の世界に誘う、音読しかりである)

もしあのとき、タイムアウトという催し雑誌にピーター・ブルック演出、【ユビュ王】という文字が目に入らなかったら土取利行さんに出会うことはなかった。打っていると思い出が去来する。

あの偉大なピーター・ブルックも先年お亡くなりになった。46年の歳月が流れるなか、土取利行さんとの交遊は奇跡的にという表現しか思い付かないほどに続いている。氏のいまだ続く多分野に及ぶ膨大なお仕事の、折々を垣間見ているにすぎない私だが、その未踏の芸術家としての歩みの一部を、間近で体験できたとの幸運は筆舌には尽くせないものがある。

話を戻す。長くなるので、簡略して事実のみ忘れないうちに打っておく。ライブセッションが終わりロビーで、エリック・マリアと10数年ぶりに再会した。(実は私はエリックを岡山のオリエント美術館でソロライブを企画したことがあるのである。改めてエリックはすごい演奏家に成長していた)ビックリ、エリックはすぐに私を見つけ笑顔で近づいて来てくれた。メールアドレスを交換し、旧交を温めた。

最終電車で西大寺に戻り、昨日は再び午後一時から多度津の海岸寺というお寺で、エリック・マリアが空海ご生誕1250年を祝、奉納する演奏を体感するために出掛けた。土取利行さんが幼少期を過ごした多度津の海も散策する時間が持てた。土取利行さん、エリック・マリア3人での記念の写真も裏方の0さんが撮ってくれた。空海ご生誕1250年の節目の空前絶後のイベントに立ち会え、なんだか老いて生き返ったかのような至福感に包まれる。

瀬戸大橋を二日に渡って往復したのだが、このようなこともあのようなことも、まさに春の世の夢とでもいうしかないようなイベントに遭遇したこと、が夢ではないことをきちんと五十鈴川だよりに打っておかねばと念う。



2024-04-13

立花隆著【知の旅は終わらない】、途中10章まで読み終え想う。

 四月にはいって一気に我がバイト先のフィールドの芝、多種類の雑草がぐんぐん延び始め、にわかに緑の園の様相を呈してきて、シーズンイン、にわかに私は今年も雑草管理他の肉体労働がはじまった。

あらゆることが新しく始まる春、十分に老人である私でさえ、どこかいまだワクワクする熾火のような感覚があるのが、どこかやはり嬉しい。このような感覚がいまだあるのは、やはり体が健康であるからこそだと天を仰いで深呼吸、見えない何者かに向かって感謝する、そしてその事を五十鈴川だよりに打ちたくなるのである。

月曜日から金曜日まで、朝8時から日中午後3時まで、青い空の下ただただ肉体労働に従事した。朝が早い私は、起きて働くまでの頭がすっきりしている朝、平均すれば一時間以上努めて本を読む時間に当てている。集中力が必要な本はすべて朝に読む。音読もほとんど午前中にやるように心がけている。

夜は知的刺激的な集中力のいる本はほとんど読まない。夜は疲れたからだをひたすら休める。そのような生活を古稀を過ぎてから、一段と徹底しているかのような暮らし向きである。日中の真面目な生活と、夜のいい加減な生活のバランスの上に、今の私の生活が成り立っている。

ただただやりたいこと、いま心からやりたいことに、素直でありたいとのおもいが最優先するのである。だから自分でもいい感じで一日一日が流れていっている。その感覚を大事にしたいのだ。臆面もなくそのようなことが打てる厚顔無恥もきっと健康に生活が送れていることの証左なのだと、いい方向に考えている。

ところで、いま文春新書、立花隆著【知の旅は終わらない】を読んでいる。新書だが407ページある。生い立ちから青春時代、あまりのもの紆余曲折的な知的好奇心のなせるお仕事を自伝的に赤裸々に語っている。全12章、いま10章まで読み終えたのだが、無茶苦茶面白い。立花隆氏のお仕事の大部は私のような無知蒙昧のやからにはとんと理解の及ばない分野が多いのだが、理解の及ぶ分野もある。

そのあまりの多岐にわたる分野への知的好奇心の旺盛さには圧倒的に感動させられる。自分の情動にあくまでも素直なのである。青春時代の発想力の大胆さは痛快そのもの、やはり才能のもって生まれた何かのお導きなくしては、あのような意外性にとんだ行動力、実戦力は生まれてこないというしかない。


いま古稀を充分に過ぎ、立花隆氏の自伝的な語りの文章を読みながら改めて想うことは、人生は一回限りという冷厳な真実である。

シェイクスピア含め、どのような偉大なるお仕事やをされ、人類の未来に晃望や発展に寄与された偉人から凡人凡夫にいたるまで死は等しく訪れる。だが、シェイクスピアの芝居、他、人類の遺産とも言えるほどの優れた書物は不死である。燦然と輝いて手に取るもののそばにある。

昨年釜山を旅したとき、レ・ミゼラブルの舞台を見たことで、原作をたまたま読むことができたのだが、心から読んでよかったし、もっと言えば生きているうちに読めた幸福感に包まれたのである。

たぶんあのときから今年に入り現在まで、読書に対する向かい方が、以前にもまして、真面目になってきているように思える。死者たちが遺した優れた書物の数々。

あらゆることにたいして、気付きが遅く、本を読む速度も遅い、充分に高齢な私だが、辛うじて動き働き音読し、60代よりも知的好奇心は増しているような気がしている。そういう自分にすがって、あくまでも一生活者の限られた読書時間を大事に生きたいと、今更ながら想う。

2024-04-10

【ウクライナ危機後の世界】を読みベリングキャットの存在を知り、もの想う五十鈴川だより。

【 ウクライナ危機後の世界】宝島社新書、薄い本である。2022年7月に出版されている。大野和基さんという国際ジャーナリストが選んだ世界の識者7人にインタビューしたものをまとめた本である。


昨年後半から、私は新聞の購読を辞めた。取り立てて深い理由があるわけではない、がもう十分だとなぜか思ったのである。一日の私の時間、新聞に割いていた時間を他のことに当てるようにしただけである。

情報が極端に入ってこなくなったということは否めないが、余分な情報は一切入ってこないので、今のところ普段の私の生活にはいっさいの支障がない。ますますもって時代に取り残されているかのようなでくの坊老人生活を生きている、といっても過言ではない。

だがそういう木偶の坊的生活が、どこかここちいいのだから自分としては、浮世離れ(世捨て人にはほど遠いが)生活をどこかで楽しんでいる。

話を戻す。そのような生活を送る私がいちばん頻繁に通うのが図書館である。平均すれば一週間に一度は必ずといっていいほどゆく。そして数十分ほど本を眺める。自ずと必ず読んでみたいと思わせられる本とで会うのである。

今の私の生活の知的刺激を受けるもっとも大切な場所である。一日に読む本の時間は限られている。これから私が手にする本はますますもって、オーバーではなく一期一会的になる。大袈裟ではなくそのような厳然たる事実に想いを馳せるとき、ギリギリの今をいきられているある種のよき本との廻り合いに、よかったと安堵するのである。

さて、昨日読み終えたウクライナ危機後の世界、大野和基氏がインタビューした7人の識者で名前だけ知っていたのは、ユヴァル・ノア・ハラリ、ジャック・アタリの二人。ポール・クルーグマン、ジョセフ・ナイ、ティモシー・スナイダー、ラリー・ダイアモンド、エリオット・ヒギンズ、に関してはまったくなにも知らなかった。

そのような私がなぜこのような本を手にしてしまうのか、自分でもよくはわからない。ただ本のタイトルも去ることながら、老人の私ではあるが、いまだにどこか世界の行く末に漠然たる不安感のようなものがあまねく覆い尽くしているかのような、時代状況にどこかアンテナをたてておかないとまずいのではないかという感覚が、ぬぐえないからだろう。

私が知らなかった5人の識者のなかで、もっともビックリさせられたのはエリオット・ヒギンズというオープンソース調査集団【ベリングキャット】の創設者である。小さいが大きい真実の行方に迫る良心集団。エリオット・ヒギンズという一人の人間が10年前に立ち上げた調査報道情報の良心、べリングキャット。名前だけは知っていたがより深く知りえただけでも、五十鈴川だよりに打ちたくなるほどに刺激を受けた。

フェイク情報が極端に蔓延し、にわかには世界の真実がかくも分かりにくく、複雑怪奇魑魅魍魎情報戦が跳梁跋扈する生成AIインターネット世界、最後はやはりヒトの心を失っていない良心の存在に勇気付けられる。老人であることを自覚しつつ、しかし世界にたいしての知的関心のアンテナが錆び付かないように生きる最低の努力を怠るようになったら、それこそ不味いと、どこかでもの想う春である。

2024-04-07

3回目、リーディング音読の朝に想う五十鈴川だより。

今日は午後3回目のリーディングレッスンである。場所は福祉交流プラザうの。参加者集いやすい岡山市中心部にN氏が変更してくださった。このところリーディング音読のことしか打っていないかのような五十鈴川だよりである。私にとってのシェイクスピアのリーディング音読が、この4年間やれていなかったことが、突然未知の方とやれていることに対する言葉になし得ないほどのよろこびが、私の老いゆく体を満たしているからだと思える。

素晴らしい本に巡りあえた

N氏のフライヤーではリーディングは全5回で、発表会までこぎつける予定であったのだが、あまりにもレッスン回数が足りないと言うことで、6月の発表会まで基本的に週1回のレッスンを私の希望ですることにしていただいた。

レジュメというほどのものではないが、レッスン回数が増えるごとに、参加者の個性に合わせてどのシーンをリーディングするのか大まかには考えている。もっと回数を積み重ねたら、自分で音読したいシーンを決めてもらいたいとも考えている。

私のシェイクスピアリーディング音読への想いを、レッスンしながら徐々に伝え、双方向のやり取りの中から、理想を言えば参加者がひとつのチームとしての発表会がなせればよし、と私は現時点で考えている。

人間の心と体は絶えず揺れながら思考する。ことに私はそうである。だから五十鈴川だよりを打つことで最低限の思考の整理をしながら、日々を過ごしている。 

一応、今回のN氏による音読企画は6月の発表会が終われば終了となるが、今後の参加者の取り組みや情熱次第ではあるけれど、私の情熱が許す限り継続してレッスンしたいし、今回の参加者のように可能性に満ちた参加者と出会えるように、N氏に随時参加者を募るフライヤーも頼んでいる。

先日発熱して改めて思ったのだが、いつレッスンがやれなくなるという不足の事態が起こっても悔いのないレッスンを毎回積み上げておかなければと思う。私のレッスン時間は有限なのである。 希望は持たねばならないが、必ず最後のレッスンはくるのである。 

とは言うものの、今日の私は体調もよく五十鈴川だよりを打つ元気もある。今日のレッスンに備えての準備もしている。謙遜している訳ではもうとうない。何度も書いているが無名の私の日本語によるシェイクスピア作品のリーディング音読に、縁あって参加者がおられるという事実が私を限りなく謙虚にさせるのである。

第一回のリーディング、見学されていた方が途中からリーディングに参加し、最後までは参加されなかったのだが、2回目いちばん先にレッスン場に来られ、すでに間違いの喜劇の本を開いておられた。私は体調が思わしくなかったのだが、その女性の取り組み、態度に心がシャキッとなり、見学者の方が二人おられたのだが、ほとんどの時間をその方との個人レッスンで終えたのである。(S氏が4時過ぎに来られるまで)

臆面もなく打とう。老人の無名の私のレッスンに参加費を払ってやって来てくださる方が、おられるということにたいして、一人でも真摯に取り組む参加者がいれば、現在の私の持てる音読技量のすべてを傾注する覚悟が改めて沸き起こったのである。先のことは考えない。

一対一でのレッスン。息を吸っては吐き、息を吸って吐き、台詞に息を、命を吹き込む、今生きている声、年齢を超越し、エイドリアーナになりきる。フィクション、虚構を、現実すべてをいっとき忘れ声を出し会う。出しあえる無私の時間の欠け換えのなさ。(がすべてである)

まさに私が魅入られるシェイクスピアリーディング音読の醍醐味である。その音読のかけがえのなさこそが、きっと私が求めている何か、SOMETHINGなのだと思える。ともあれ、そのような参加者に出会えた事実を、五十鈴川だよりに打たずにはいられない、今朝の私である。                                                             

2024-04-06

体調が戻り、気づけば満開の桜の春に想う、今朝の五十鈴川だより。

 先週から微熱が続き、なんとか2回目のリーディングレッスンを終え、よく月曜から水曜日まで安静にして、熱が下がったので木曜日から肉体労働バイトに復帰、4月にはいって最初の五十鈴川だよりを打つ気になるほどに体調が回復した。

妻丹精の春の訪れ

改めて体の気の充実なくして何事もならずという、当たり前のことの重大さを痛感しながらも、生来の楽天さは変わらず、ダメなときは何をやってもダメと、すぐに諦めるのも私の性格のよいところと、自分を慰める。

パラリンピックの言葉と知りましたが、失ったものを数えるな、今あるものでベストを尽くせ。古稀を過ぎてからはこの言葉が、実にしっくりと来るようになりました。60代の頃とまったく異なって、あれもこれも手放し、現在はどうしても手放せないことにのみ、情熱の残り火を傾注するように、以前にもまして日々の暮らし方をシンプル至極にしている。

手の届く、真からやりたいこと以外はかたくなにやりたくないというか、もっと言えば、これからは一年一年やりたいことにのみエネルギーを集中する。(もちろんオフ時間を大切にしながら)それ以外のことはやらないし、肉体的にやれないという厳粛な事実を生きるのだという覚悟がすわって来たのである。

70歳を過ぎたら義理を欠けという言葉があるが、しかりとうなずくのである。命は有限、以前だったら2日も寝たら回復していたものが、倍はかかるのが老いという冷厳な事実と受け止める。だからといって後ろ向きに生きるのではもうとうない。

3月23日に始まったリーディング音読、早くも明日で3回目のレッスンが行われる。気がつけば桜のはなが満開である。知らぬ間に季節はうつろいあっという間に私の春は過ぎ行く。だからこそ、一期一会レッスンを大事にしたい。いい意味でどこか諦めかけたシェイクスピアのリーディング音読、Nさんのお陰で実現している。その事がにわかには信じられないくらいなのであるが事実である。コロナ以前と以後では自分のなかでの変化がやはりいちばん大きい。

臥せっている間に桜が満開。人生時間が短くなるにつけ、森羅万象が輝く春の訪れの素晴らしさに見入られる。この季節のなか、4年ぶりにシェイクスピアの日本語の音読レッスンがやれる。無名の私のレッスンに連続して参加してくださるかたがいる、ということのありがたさがしみる春である。


2024-03-30

明日、第二回目のシェイクスピアリーディング音読会の前の日の五十鈴川だより。

 昨日はじめて薪ストーブを焚かなかった。一昨日長女と孫二人が帰京し普段通りの生活に昨日から戻った。昨日は午前中いつも通り肉体労働に従事し、今日明日はお休みである。この一週間目まぐるしく時間が過ぎたので、落ち着いてニュース報道に触れていない。

倉敷昆虫館でのノアは

私が個人的なことに時間を割いている間にも、ロシアのテロ、大谷さんの問題等、相も変わらぬ(失礼)報道が飛び交っている様相だが、もうほとんど五十鈴川だよりでは触れる気にはならない。だが無関心というわけではもちろんない。あくまで五十鈴川だよりでは打つきが起きないというだけのことである。

いまはただ、おのれの今を見つめる、老いゆく今を活性化させるようなワクワクすることや、今もっとも打ちたいことを、打てるときに打っておきたいというだけである。と、ここまで打ったところでNさんから電話がかかってきた。

Nさんからシェイクスピアのリーディング音読に関して、非常に前向きな提案を朝いちばんのお電話でいただいた。音読チームでライン繋がりにまずなるという。それはすでに実現し、早速女性で参加されているTさんと私がご挨拶を交わしあいました。老いの体にワクワク感がわいてくる。

Nさんは多岐にわたっていろんなことをされておられている、実にユニークな方なのであるということを徐々に私も認識し始めているのだが、そのかたが私の日本語のシェイクスピアリーディング音読にかくもご尽力していただける幸運には言葉がない。私がやれないことをNさんは全面補足し、その上新しいアイデアを順次打ち出して、面白い展開に導いてくださるのだから。シンプルでパーマネントな随時参加者を募るようなフライヤーも作ることになった。

春、大地から一斉に新しい芽が吹き出してくるかのようなこの季節に、第一回の間違いの喜劇のリーディング音読が無事すみ、明日あっという間に第二回目のリーディング音読ができるとは、これほどスムースに事が展開するとは思いもしなかった。体はくたびれているがここちよい疲れである。今日充分に休んで明日のレッスンに備えたい。

手術後のこの3年間、いつか再びリーディング音読することを諦めなかったことが、かえすがえすもよかったと今は春風が体を吹き抜けてゆくかのようである。私は過信はしていない。老いの身体を充分に勘案しながら今現在やれるレッスン、いい意味で世阿弥がいっているような(よくは理解していないかも知れないが)枯れた花のようなレッスンを私は夢見る。参加者の情熱に老いゆく私が水を注ぐようなレッスンがやりたいと、やれる手応えのようなものを、私は初回のレッスンから感じたのである。参加者の情熱が私に乗り移るのである。

春は出会いと別れの季節である。諦めなかったお陰で世代を越えて、というかいちばん若い参加者の男性は20代である。私の友人以外は皆さんずっと世代が若い、私の娘たちと同じくらいのかたもいる。初見で物怖じせず堂々と音読する。飛び込まない限り泳ぎは上手にはならない。泳ぎたければ水にはいる。シェイクスピアの長い台詞を息をたっぷりすって音読するのは修行がいる。だが、自力で泳げたら楽しいのだ。

数々の珠玉の作品の登場人物の言葉を、唯一の自分の体で格闘し音読する、できる喜びを参加者には是非見つけてほしい。そのためのリーディング音読のコーチに私は情熱を注ぐ覚悟である。

2024-03-27

【間違いの喜劇】第2回目のリーディング音読、岡山市庭瀬の吉備公民館に決まる、そして想う。

 春の嵐を思わせる天候がこの4日間続いていたが、今日はどうやら晴れそうである。一昨日夕方から長女と二人の孫が帰省しており、我が穏やかな老夫婦生活は一足先にまるで桜が一気に咲いたかのような賑やかさに家中が包まれている。

我が家のはっさく松岡和子先生にも送った

5月2日生まれの未彩(みあ)はまもなく一歳、望晃(のあ)は今月13日6歳になったばかりである。家には犬のメルと猫の花がいて、ミアは最初怖がっていたが、昨日はすっかり馴れてメルの耳をつかんんだりしてふれあっていた。ノアは昨日雨のなか朝いちばん、私と倉敷の昆虫館に行ったり、夕方図書館や、私のバイト先に行って農工車に乗って遊んだりと、お爺の私は忙しい。今日もまた長女たちと老夫婦は何かと忙しくなりそうだが、その前につかの間の五十鈴川だよりタイムである。

ところで、第一回の間違いの喜劇のリーディング音読が無事にすんだことは、前回の五十鈴川だよりに打ったが、思った以上に参加者の反応がよく、それも初めてシェイクスピア作品を音読した、30年の面識交遊がある71才になるS氏、私のいちばん長い交遊のK氏(この二人は翌日我が家で有料の個人レッスンをした)をはじめ、ほぼ全員が次のレッスンを望んでいるらしい。

講師をつとめた私は思わぬ手応えがとても嬉しく、私は全5回のレッスンでは発表会にこぎ着けるのは難しいので、せめてその倍くらいのレッスンと、日時の都合で参加できない方のために、任意での個人レッスンを平日午後我が家でやりたい旨を主催者のN氏に伝えたところ、N氏が素早く動いてくださり、第二回目のリーディング音読レッスンは岡山市庭瀬の吉備公民館で3月31日日曜日、午後1時から5時までやることいなった。

N氏がレッスン会場をすぐに決めてくださった行動力に感謝したい。おそらくこのペースで4月、5月と進めば6月末か、夏休み7月頭までには発表会にたどり着けるところまで行けるように、私としては熱く冷静にレッスンをやり続けたい。3回目のレッスンは4月7日、4回目は4月14日いずれも午後が、場所は未定だがすでに決定した。

思わぬというか、意外な展開の広がりに私の心はにわかに沸き起こる暴風雨のような様相と言ったら、言い過ぎかもしれないが、何か新しいことをやるのであれば、これまでやっていたことをあくまでも踏まえながら、新しい人たちと(年齢は関係ない)出会う冒険、場を設定しなければ、何事も産みだし得ないと考える。

ぬるま湯に浸かっていることすら自覚ができないような、ふやけたレッスンだけはやりたくないのだ。シェイクスピアに申し訳ない。かといって厳しさ一辺倒のレッスンも私はやりたくはない。一言で言えば参加者の情熱が私に乗り移り、相乗効果をいやが上にもスパイラル状に舞い上がってゆくかのような、つたなくとも意外な生きている表現が生まれてゆくようなレッスンを私はやりたいのである。

最初のレッスンで高齢の見学者の方が二人おられただけで、意外なほど参加者のみのレッスンとは異なる効果が生まれたのを私は感じた。今後も制限をもうけながら随時、見学したい人がいれば受け入れようと思う。

いずれにせよ、うまくは言えないがわたしのレッスンは、その場に居合わせたヒトの情熱が渾然一体となって一期一会のレッスンが毎回行われ、参加者が間違いの喜劇の登場人物の台詞と格闘し、リーディングすることで、自ずとそのかたの唯一の個性が輝くようなレッスンを私はやりたいのである。

遊声塾をコロナで閉じて4年後、今またこのような形で新しいリーディング音読仲間、それもわたしの同年代の友人プラス、まったく見知らぬずっとずっと若い方々と共に、間違いの喜劇をまっさらな心持ちでリーディング再開できるとは、夏の夜の夢ではなく春の夜の夢ではあるまいか。だが、夢ではなく事実である。日本語によるシェイクスピア作品のリーディング音読の愉しさを新しい仲間と見つけたい。


2024-03-24

3月23日、吉備路文学館での、第一回間違いの喜劇リーディング音読を無事終えた翌朝に想う。

 昨日3月23日は3年前初めての大きな手術をして退院した日で、奇しくも丸4年以上公的な場でのシェイクスピア作品のリーディング音読と同じ日であった。手術をした頃はコロナの真っ只中であったし、よもやまさか昨日のような場での、リーディング音読が実現するとは、当たり前だが実現するなどとは、想像だにできなかった。私のような性格の輩には感慨もひとしおであった。オーバーではなく私は復活できたのである。

かくありたいと想う、憧れる

N氏による企画に私がリーディング音読の講師として招かれるという形で実現したのだが、企画を持ちかけたのは私である。私の思いを汲んでフライヤーの作成から、多岐に及ぶあらゆる煩雑な裏方を努めてくださったからこそ実現したのである。ことあるごとに折々五十鈴川だよりには打っているので重複は避けたいのだが、氏との奇縁とも言うべき再会がなければ、と思うとき、ヒトはきちんと誰にたいしても接しておかなければならないという哲理を改めて噛み締める。この場を借りてN氏に感謝を伝える。

かなり体は疲れている、が、素直に第一会のリーディング音読が無事にすんだことを五十鈴川だよりにきちんと打っておく。午後一時から開始、参加者は女性が2名、男性が4名、見学者男性1名女性1名、N氏はマネージメント。講師の私含め計10名、吉備路文学館の2回のお部屋が理想的な感じで埋まり、それぞれほとんどが初対面、または私の友人3人(一人は82才の見学者)ともリーディング音読という形での新たな再会の時ということになり、午後4時25分ギリギリまでわずかな休憩をはさんで、充実したレッスンがやれたことを打っておく。

2時にはほぼ全員が、3時過ぎに最後の参加者がこられた。当日N氏の尽力で演劇をやられている女性が見学にこられたのだが、途中からリーディングに参加されたことも講師の私としては意外な展開、Yさんの急な参加が他の面々にも刺激をもたらした。3時過ぎこれまた演劇をやられているというEさんが加わり全員でのレッスンが実現、講師の私としてはうまい下手とかではなく、なんとも形容しがたい和みの初回リーディング音読を終えることができた。

5幕の最後の方で時間がなくなり、最後まではリーディングできなかったが、私としては、年齢もまちまちバランスのよいリーディングができたと自負している。何よりも参加者が必死で(私もまた)音読する姿に、改めて初心忘るるべからずという言葉を噛み締めた。

シェイクスピア作品【間違いの喜劇】の日本語によるリーディングすることの難しさ、楽しさを改めて痛感することになった。が、参加者に希望、手応えを私は持った。昨日のリーディングでシェイクスピア作品の豊穣さを改めて思い知った。発見、気付きがある間は音読レッスンがやれる。老若男女が登場するこの短い作品はシェイクスピアを初めてリーディングする参加者たちにとって、最適なテキストであることがよくわかった。

私が間違いの喜劇のイジーオンを演じたのが29才、あれから43年の歳月が流れたが、このような形で再び一期一会の形でリーディング音読ができるとは。有為転変、61才から再びシェイクスピア作品の数々をリーディングしてきたからこそのお導きというしかない。参加者の方々にはシェイクスピア作品のリーディング音読が苦しくとも楽しいのだということを、私が見つけたように見つけてほしい。

今日は午後神奈川から参加している、出会って46年になるK氏との個人レッスンが控えている。この事実にはオーバーではなく、戦慄的とも言える幸福感が私を包む。このような奇特というしかない友情が我が人生に持て、しかも現役バリバリで子供にかえったかのように遊べるなんて、夢のような出来事が実現したのである。

ヒトはなぜ生きるのか、シェイクスピアの珠玉の作品の数々には答えがない。その事が素晴らしいのだと私はこの年齢で思い知る。いかに生きたらいいのか、日々選択しながらヒトはいきる。道無き道をヒトは必死でいきる、しかない。その厳然たる真実を、この世で出会えた偶さかの命、間違いの喜劇の音読を通して本質的に出会いたい。


2024-03-20

春分の日、マルセ太郎さんの娘、梨花さんを中世夢が原に案内する朝に想う。

 今日は寒の戻り、春分の日の朝であるが雨模様で風も強く温度も上がらない、山沿いでは雪も降るとの予報が出ている。予報が気になるのは、今日は故マルセ太郎のお嬢さん梨花さんと午前10時に新倉敷駅で待ち合わせ、中世夢が原にゆくからである。

雨は致し方なしとしても、雪だけは降らないでほしいというのが今の私の願いである。40代半ば中世夢が原の神楽民俗伝承館で、マルセ太郎さんの一人語りスクリーンのない映画館、泥の河を企画したことがある。

マルセ太郎さんは2001年1月22日に逝去され、あれから23年の歳月が流れたが、昨年11月【マルセを生きる】という本が上梓された。長くなるので簡潔に記す。梨花さんの父であるマルセ太郎という不世出の芸人の成し遂げた事実としての仕事と人生がつまった本である。縁あった方々が22年前に寄せた50名のかたの文章も入っている。(私の拙

妻が丹精込めた春の花
文も)

私が打たれ感動したのは、梨花さんの中に今も脈々と生きる亡き父の存在の大きさと、マルセ太郎という芸人がかっていたことを、今を生きる人たちに知ってほしいという念いの深さである。上梓されるまで22年の年月がかかったとはいえ、立派に梨花さんの情熱の炎が燃え続けた結果この本が私の手元にあるのである。

この本には私の知らないマルセさんがわんさかつまっている。私の一文ではこの本の魅力は到底五十鈴川だよりでは伝えられない。この本が上梓されたことで再び私はマルセさんと出会ったようにさえ感じている。この本の魅力を伝えるために私にできることは、ささやかに企画をすることだけである。企画することでより深くマルセさんの世界を追体験できるようにおもえるのだ。

理屈ではない。40才で企画者として再出発してから、今に至るも打たれ、感動する事を唯一の根拠として企画してきた自負がある。72才、夢見る頃は遥かにすぎたが、感動するバネがかろうじて残っているので、マルセを生きるという本のタイトルに倣って、ささやかであれ梨花さんをメインにして、何かを企画したいのである。

そのために春の嵐のようなお天気の春分の日なのであるが、中世夢が原を案内し、かってマルセさんが語った神楽民俗伝承館を案内し、可能なら父娘2代同じ場所での、もの語りが実現できたらと夢見る。ともあれマルセを生きる出版を祝う、今を生きる小さな企画をやりたい。

2024-03-17

来週土曜日、3月23日午後一時から吉備路文学館で開かれるシェイクスピアの【間違いの喜劇】の音読会を前に想う。

 来週土曜日にいよいよ吉備路文学館での音読会が始まる。1月13日に主催者であるN氏による素晴らしいフライヤーができて、あっというまに月日が流れた。シェイクスピア遊声塾をコロナによって閉じて以来、参加者を募り公の場でシェイクスピアの音読をするのは4年ぶりである。

中世夢が原から移植した水仙が根付いた

このような機会が再び与えられるとは、当人である私にも思いも及ばなかったというのが、正直な気持ちである。他力の風が吹いたのである。ただ自分の中では生きる日々の糧であるかのように、個人的な音読をわずかな時間ではあれ継続、持続していたお陰で、いつでも音読レッスンがやれる。(状態にはある)

長くなるので割愛するが、N氏との再会の出会いがなければ吉備路文学館でのリーディング音読はなかったであろう。61才を期して青春時代の学び直し、再び日本語によるシェイクスピア作品の音読に挑戦し、丸6年以上シェイクスピア遊声塾での経験があればこそ、今回の企画も生まれたのだと思う。

今私は72才を迎えたばかりである。高齢者になり明らかに肉体的には下り坂を自覚しているが、ありがたいことに情熱のほうはほとんど変わらず、経験したことのないコロナ渦のこの4年間の過ごし方で鍛えられ、新たな経験値、気付きの深まりがある。だからこそ、新しい気持ちでのリーディング音読に挑みたい自分がいるのだと思える。

過度なPRもせずに、知られていないシェイクスピア作品のリーディング音読に、参加者がいるのかはなはだもって不安ではあったのだが、Nさんのご尽力のお陰で未知の参加者が4名、私の友人が2名、計6名の参加者がエントリーされている。思った以上の参加者に正直驚いている。新聞記事にも取り上げられていないのに、遊声塾を立ち上げたときよりも参加者が多い、意外な嬉しい驚きである。3人も集まれば上出来くらいの気持ちでいたのだから。

心・技・体という言葉がある。技と体に関しては普通を自覚している。心は一応10年以上、日本語によるシェイクスピアの作品リーディング音読を持続してきたので充実の今を生きている自覚がある。またその事に対する自信のような厚顔無恥さ加減がなければ、とてもではないがこのような大胆なことは、気の小さい私にはやれないし、情熱が湧いてこない。

湧いてくるからこそやりたいのであり、わいてこなくなったら、あっさりと諦め他のことに情熱の矛先をむけると思う。だからといって過信しているわけではもうとうない。参加者がゼロであれば、きっと他の事をやって(音読は個人的に続けることに終始していると思う)いる。

初回は都合で参加できない方がいるのだが、現時点で6名の参加者があり、私の友人の一人は神奈川から参加する。(この事がいちばん私を驚かせ感動させる)晩年、心からやりたいことに情熱をそそげる生き方が出来ている方は幸せである、と思う。この丸3年、大きな手術以後、お金にはほとんど頼らず、ほぼやりたいことだけに情熱を注いで生きていられる今の生活を楽しんでいる自覚が私にはある。

そのような自覚がないと、とてもではないが臆面もなくこのようなことは五十鈴川だよりに打てない。清貧という言葉は苦手である。清濁を私は受け止めて生きたい。AI人工知能という言葉を聞かない日がないくらいだが、厳粛にこれからの有限なる時間をシェイクスピア作品を音読しながら、老いとはなにか、家族とはなにか、贅沢とはなにか、幸福とはなにか、命とはなにか、戦争とはなにか、豊かな人生とはなにか、つまるところ自分の人生とはなにかを、考え続けたい。(答えは不要である)

慎ましく、足るを知る高貴な心持ちを大切にとの教えは、いやというほど亡き父親から叩き込まれたものである。その教えは柔な私を折につけ、いわば逆境で奮い立たせるのである。このコロナの4年間、そして今も呪文のように忍耐という言葉を私は折りに呟く。

記憶に間違いがなければ、好奇心とは高貴心であるとはシェイクスピアの言葉である。リア王は全てをなくし、王から転落、無一文になり気づく。そして叫ぶ、神よ、忍耐を与えたまへと。

今回のリーディング音読、テキストはすべて筑摩文庫で翻訳者は松岡和子先生による。女性で全訳という偉業を初めて成し遂げたかたの翻訳日本語を、私もまっさらな気持ちで出会えた面々と学び、音読したい。

2024-03-10

母の命日、あの運命の夫婦の子供として、5人(姉、長兄、次兄、私、弟)の子供一人として授かった有り難さを想う。

今日は母の命日である。ようやっと最近父の面影と母の面影が同じくらいの感じで、両親への感謝の気持ちが、年々増してきている。あらゆることに気付きが遅い私である。

二人の子供をなんとか育て、古希を迎えることができ、いま3人の孫に恵まれ、あの両親の子供としてこの世に生誕したことのありがたさをつくづく思いしる。父がなくなった2月5日と今日3月10日は、私にとって特別の日である。

深くなっとく絶妙対談、人柄がにじむ。

自分がいつまで健康に五十鈴川だよりを打てるのか、いつまで音読できるのか、いつまで企画できるのか、いつ寿命、お迎えが来るのかはもちろん神のみぞ知る。がはっきりしていることは確実に父や母が亡くなった年齢に自分が近づいているのを深く意識しながら、一年でも長くあらゆることに前向きに生きる覚悟である。。

69才での大手術以後、生まれ変わったかのように節制し、家族はもちろんいろんな方のお陰で元気に生活できている。今はただひたすら足元を見つめ生きることのみを自分に課し、限られたこれからの人生時間を、きちんと大切に生きなければならないと、両親の面影(遺影を前にして)に誓い祈る私である。

年年歳歳、いまとなっては宝石のようなかけがえのない思い出が、辛い苦しい思いでも、楽しい思いでも、嬉しい思いでもまるごと全部が私の中で発酵して自分に都合のいいように甦り、思い出せるのはかくもありがたく嬉しいことである。4月から孫の望晃(のあ)が小学生になる。私の入学式、母は当時30代半ば私はキリリとした美しき姿を思い出す。

人間の脳は都合の悪いことは忘れ、よいことのみを思い出すと本で読んだ記憶があるのだが、当たり前だと思う。嫌なことばかりを記憶していたらとてもではないが、病にでも倒れ、人生途方にくれるしかない。この歳まで何はともあれ元気にこの茨の路を歩んでこれたのは、恐らくあの両親のもとに生を受けられたからこその、賜物である。鬼の父親、菩薩の母親。すれすれの絶妙バランス。つくづくその事だけは、きちんと五十鈴川だよりに繰り返し打っておかねばと思う。

さて、話は変わる。昨日五十鈴川だよりに打ったように、出会って28年I氏ご夫婦のスペインサンチャゴ巡礼旅の写真展とおおよそ1時間のトーク報告会に参加してきた。素晴らしい夫婦愛が香りたつかのようなお二人の人柄がにじみ出るトーク報告会だった。悩む力をバネに積み上げられたからこそ成し得た世界。彼らが撮った切り取った写真に彼らのお人柄が自ずと現れていた。参加してよかった。学べた。(その事をわずかであるが五十鈴川だよりに打っておく)

ほっこりという言葉を最近よく耳にするが、まさにほっこり感が会場に漂っていたのを私は随所で感じた。ほどよい参加人数。手のとどくさりげないおもてなし。カモミールティが冷えたからだにしみた。見知らぬ人から声をかけられたり答えたり。

彼らの一歩一歩がスペインサンチャゴの天と大地(雨の日があるからあれほどの天空の蒼さが際立つ)の風景の中にご夫婦が溶け込んで見つけた写真が素晴らしかった。ギリギリから逃げないヒトにのみ女神は舞い降りるのである。ヒトは何かを失い、何かを見つける生き物であるとの側をこそ私は生きたい。人間は間違い続け、学び続けるのである。

(ほとんどコメントのない五十鈴川だよりにI氏からの彼らしいコメントをいただいた)

五十鈴川だよりは、一行を打てば自然と水がしみてわいてくるように、流れ出すので自分でもどのような一文になるのかは全くわからない。キザではなく自分が書いているのではなく他力の風のお陰でなんとか丸12年も折々五十鈴川だよりが続いているのだ。今は亡き両親が、あの3日坊主の私のいまの姿をみたらなんというであろうか。両親の教え鍛練無くして、いまの私は存在しない。遅蒔きにしてようやく実感している。

(最後にいまアマゾンプライムで見つけた、いつでも君を待っている、という台湾の連続テレビドラマにはまっている。私の幼少期の源風景をいたく刺激する。その事もまた五十鈴川だよりに打ちたい)

2024-03-09

友人のスペイン・サンチャゴ巡礼路800キロ、ご夫婦の写真展&トークイベントに出掛ける前の五十鈴川だより。

 今日はこれから高松市内のホールで行われる、私の友人ご夫婦が、スペイン聖地巡礼の旅800キロを歩かれた写真展とトークが行われるイベントに参加する日の朝である。

昆虫館、蝶ルームで手を合わせるノア

先週の土曜日は、大阪まで筑前琵琶を聴きに行き(故マルセ太郎さんのお嬢さんの梨花さんとと共に)大阪は心斎橋で初めて個人的にマルセさんのお嬢さん梨花さんとゆっくりとお話ができた。その事はまた時を改めて五十鈴川だよりに記すこともあるかもしれない。ただ3月3日おひな祭りの日に梨花さんと会い、お話ができたことは、一行でも五十鈴川だよりに打っておきたい。

さて話を戻し、今日高松まで出掛ける友人と出会ったのは1996年である。当時もちろん私は中世夢が原で働いていて、自主企画のアフリカンマエストロ、3人によるコンサート実現のためにスポンサーを探して駆けずり回っていた。困り果てていたときに、当時アサヒビール岡山支店で働いていたI氏が救いの手を差しのべてくださった方である。

氏の無償の行為のお陰でアフリカンマエストロを実現することができたのである。当時のお金で50万円。いまでも大金である。当時の私には土壇場9回裏満塁ホームランを打ったかのような、忘れられない記憶、出来事である。(以来今日まで、おおよそ28年間利害関係のない君子の交わりが切れず続いている。先日の上京でお会いしたM子さんとも35年、私には長きにわたって交遊が続いている大切なめったには会えないのだが、友人が存在している)

以来この歳になってもかえすがえす思うことは、ギリギリ限界まで諦めてはならないということと、きっぱりと諦めることのいい加減の匙具合である。運というものは微笑むときも、微笑まないときもあるという厳然たる事実、真実があるという認識がいまの私にはある。

人間世界の器を越えた条理が、いわば他力の風が吹かない限り、私ごときの企画であれ何であれ、実現は誠にもって難儀至極である。ではどうやって他力の風が自分の方に吹いてくるように願うのかは自分でも全くもっていまでもわからない。あえて打てば、なんとしてでも実現したい、企画したいという、恋人に会いにゆく、例えは悪いが一途なおもいのようなものがないと、私の場合は情熱が湧いてこないのである。

もうほとんど企画者としてはリタイアしてしている。たまたまこの数年企画することになっただけで、自分の中ではほとんど企画者としての自覚は私にはないというのが、正直なところである。ただ、最近利他的に、自分のためというよりは誰かのために、身近な大切な人のために小さな企画をやりたい。老人(らしい、なりの)の私が純粋にやりたいことに、悩む力がある間はやりたいのである。

それと平行して、あるいはシンクロしてこれまでの人生で出会えた、かけがえのない友人たちに会いにゆくいわば小さな巡礼の旅、のようなことの実現に私は時間を大切に生きたいのである。オーバーに言えばその事が私にはとても大切なイベント(祝祭)なのである。だから今日は久しぶりの友人行脚小さな旅ということになる。

出会えて28年の果てに、ますます素敵なご夫婦になられ、ご夫婦で800キロも歩かれ写真展をされる。小さなことの積み重ねの上に、ある日突然美しい花が咲く。このような友人と巡り会えたことの幸福感を五十鈴川だよりに打たずにはいられない。明日は母の命日である。



2024-03-02

春の陽光、3月最初の五十鈴川だより。

 東京から戻り、3日ほど働いて月は変わり、今月始めての五十鈴川だよりである。妻は仕事で私一人である。私の部屋、寝室兼遊び部屋を約一時間以上かけて本の整理や雑巾がけをして、気持ちを新たにして打っている。春を思わせる陽光が私の背中に当たっている。穏やかそのもの、平和そのものである。(でも平和ボケはまずい)

これからも度々この本はアップします

最小限の報道にしか接していないので、世の中の動きにはとんと頓着しない、時代遅れ極楽とんぼ老人生活を謳歌している私なので、特段に打つことはないのだが、一週間に一度はなにかを綴り打ちたくなるのは何故なのか、自分でもよくはわからない。が、打っていると何やら文章のようなものが、画面を埋めてしまうのがやはりどこか楽しいというか、心のうちが何とはなしに整理整頓ができたかのような感じで、スッキリするのが、自分でもいいのだと思う。

18才から世の中に出て、嫌なことや、ややもすると若い頃は特に、絶望的な気分になり勝ちな私ではあったのだが、富良野塾を卒塾した34歳あたりからひたすら自分の中に希望の種を撒くというか、自分のダメさをほんの少しでも改善するがための努力を、ヒトと比較しないで、超薄い皮をめくり脱皮を繰り返すように心かけ、弱い自分の心と体に、時に自己嫌悪になりながらも、いかんいかんと反省し、古希を過ぎたいまもそのように生活している自分がいる。(自分には絶望したくないのだ)

油断大敵ではあるが、先日の上京で孫と遊んでいるときに、これはまさか夢ではあるまいなと、白昼夢におそわれそうになった(のではあるが)事実としてのつましくも穏やかな暮らしが実現し、五十鈴川だよりを能天気に打てることへの感謝は、例えようもない。

一歩一歩ゆっくりと歩いたものだけが遠くまでゆくとの言葉を、折りに噛み締めるのだが、40才まで散々な寄り道、そのお陰で否応なく試行錯誤を繰り返し、弱い自分から逃げなかったお陰でいまがあるのだと(運を引き寄せられた)自分では肯定的に受け止めている。

変に斜に構えず、真っ向勝負を自分に課したから女神が微笑んでくれたのだと、自分に都合よく考えられたからこその今なのだと。無学無知蒙昧コンプレックスはきっと終生変わることはないだろうが、ようやっと最近方の力が抜けるのと同時に、【マルセを生きる】という本との廻り合いで、マルセさんのお嬢さんの梨花さんとも本格的に出会うことになり、いまの私の年齢だからこそやりたくなる、やれる企画が生まれてきそうな気配の春なのである。

何事も積み重ねなくして企画は生まれず、花も咲かない。三日坊主の私がよろよろよたよたしながら歩んできて半世紀以上、いろんな偶然の女神の微笑みのお陰で、現在があるとしたら、これからも(これ以上は恥ずかしくて打てないが)自分でも意外な企画が企画が生まれてくる予感がしている。そのためには謙虚に学び、新しいヒトと出会わないと何も生まれない。


2024-02-27

長女のところで2日連続五十鈴川だよりをうち、これから岡山に帰る朝に想う。

 東京二組の家族、次女のところに3泊、長女のところに2泊、今日お昼には東京をたち岡山に帰る。いま保育園に望晃くんを送って戻ってきて、寸暇五十鈴川だよりタイム。未彩は休んでいる。レイさんはお仕事に出掛け、長女は家事をこなしている。

ノア君が生まれたときにレイさんが植えたレモンの木

昨日と同じような外の空気は冷たいけれど、冬晴れの晴天で、ベランダからの差し込む光のお陰で、とても静か心地がいいので、ちょっとの時間であれ、五十鈴川だよりを打つ。

昨日午後、保育園に、4月から小学生になるノアくんを迎えに行き、そのまま多摩動物公園の中にある昆虫館に行き、昆虫大好き望晃くんと夕方まですごし、この二日間保育園のお迎えも含め、二人で密に過ごしたので、ちょっと望晃くんとのつかの間のお別れが、私には辛かったのだが、これもまた致し方ないことと受け止めながら、気持ちを落ち着かせ岡山へ帰るためにために、五十鈴川だよりを打っている。

昨日打ったばかりで、取り立てて打つこともないのだが、記録としてのおじじの思いがわずかではあれ五十鈴川だよりを打たせるのだ。昨日の夜は、出会って35年は優にたつであろう、貴重な女性の友人M子さんがわざわざ、稲城まで私に会いに来てくださり、旧交を暖め約一時間半、ちょっと軽くお酒をいただいた。滅多に会えない大切な昔を、青春時代を懐かしく共有し語り合える友人は本当に貴重であり、ありがたかった。あっという間に時は過ぎ、駅でお別れしたが、丸い月が冬空に浮かんでいた。

Mさんはご高齢のお母上を、昨年夏ご自宅で見送られた事を、さりげなく伝えてくれたが、つまびらかには知り得ないことだが、彼女の性格の素晴らしさ、母上に対する思いがさりげなく伝わってきて、改めてよき異性の長年にわたる友に巡り会えたことの幸運と感謝を、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

年年歳歳ヒトは歳を重ね、かって経験したことがない激動時代の中で、心は千路に乱れざるを得ないような世相の最中にあって、このような極めて地味な偶さかの再会が叶うのは、オーバーではなく、奇跡的なことだと思うから、余計に五十鈴川だよりに綴りたいのだ。

孫の手をとり歩きながらしみじみ思う。このような幸福感をいただけることのありがたさを。これ以上の喜びは、きっともうたぶん私には必要ない気に教われるほどだ。昨日も打ったがお役にたてるおじじとしてのつとめを、粛々と勤められることこそが、我が喜びなのである。

その延長で、疑似家族的な長年のお付き合いの友人知人との一期一会的な時間を大切に生きたいとの思いはますます深まる。孫たちはぐんぐん成長する。私の人生時間は短くなる。だがその事を厳粛に受け止め、今日一日をいかにいきればいいのかを、孫たちが教えてくれるような気がしている。

2024-02-26

義理の父の命日、稲城長女のマンションで打つ五十鈴川だより。

 昨日から稲城の長女のところに移動した。昨日とうって変わって素晴らしい冬晴れのお天気で、長女のマンションには強烈な冬の日差しが差し込み、とても暖かい。

先程今年から小学校にはいる望晃くんを保育園まで送って行き、レイさんはお仕事、長女は未彩がお休みしている合間に離乳食を作ったりしている間、私は昨日と同じように寸暇五十鈴川だよりというわけである。

望晃(のあ)君の作品

私の家族だけではなく、どこの家庭であろうと、子育てしながら仕事を続けているのは、大変である。娘はいま育休中である。おじじの私としては、わずかな滞在であれ二つの家族のおじじとして、お役に立てることを最優先にやりながら、記録という意味も含めて、孫たちの成長を定期的に見守りながら、五十鈴川だよりに記しておきたい。

と、ここまで打っていると、未彩が起きてきた。長女とこれから赤ちゃんサロンにお出掛けするとのこと。

お眠りがたりたのかご機嫌である。見送って再び画面に戻っていると、見送ったばかりの長女から電話があり、先程作っていた離乳食を冷凍室に入れておいてほしいとのこと。はいはいとお返事して、またもや画面に戻る。

お昼までのわずかな時間ではあれ、一人で家主のいないマンションで過ごすのも妙な気分ではあるが、東京郊外稲城のさと山が望めるこのマンションは、田舎育ちの私にはありがたい。

とりとめなき、思い付き五十鈴川だよりだが、何気ない日々の生活のひとこまを、ピンで止めるように一行でも打っておけば、やがてはつもりに積もっての生活記録として思い出してもらえるかもしれない、何て事を思うとき、おじじとしてのささやかな自己肯定感に浸れる。

西大寺での老い人生活からつかの間抜け出して、東京娘たち家族と定期的に再会時間を持つことは、限りなく大切なことであるとの思いは、孫が増えたことで、いちだんとおじじとしての役割をきちんと生き抜かなくてはいかんという、責任感が深まる。孫たちからいただくオーラ、エールはやはり半端ない。時おり上京しないとやはりまずいと痛感する。

だからといって、特段ことさらなことはやれもしないのだが、老夫婦二人が健康で穏やかに存在している、その事だけでも娘たちにとってはありがたいと云ってくれるので、その言葉を鵜呑みして、要らぬ心配をできるだけかけたくはないので、これまで以上に普通につましく、粛々と生活するだけなのだが。人生一寸先は本当に未知である。だからこそ、いまをこそ、普通に丁寧に生きたい。ただそれだけである。

ところで話は、突然変わるが、娘たちのマンションには小さなライブラリーがあり、そこにゆくと普段私が手にしないような分野の本がセレクトされていて、無知蒙昧の私のささやかな好奇心をいたく刺激してくれるので、来る度にそのライブラリーを覗くのが楽しみである。

私は年を重ねるにしたがって、学びたいという意欲の発露は若いときよりも十分に時間があるせいか、とくにこの4年歩みは超とろいのではあるけれど、学ぶ楽しみが以前にもまして広がっている。そこに老いつつも私の希望が広がっている。

以前だったら手にしなかったような本も、孫たちから刺激を受けて読むようになってきた。今日も午後望晃君と多摩にあるとある昆虫館にゆく予定なのだが、私がが活性化するのには、私の場合孫たちの存在がいまや不可欠である。こればかりは神から授けていただいた、賜物という以外に言葉がない。日々歳歳ヒトは生まれ変わる。数年前には存在していなかった存在と出会うことで、老人もまた新しき日々を生きるのである。

2024-02-25

娘たち家族に会いに来て寸暇打つ、東京五十鈴川だより。

 22日から三鷹の次女家族のところにお世話になり、これから稲城の長女のところに移動する朝に打つ五十鈴川だよりです。超短い五十鈴川だよりになる。

昨年末素晴らしい本が出た

何せこの3年間で新しい家族が二人増えたお陰で、五十鈴川だよりを落ち着いて打てる時間がなくなった。以前だったら、少々無理しても打ったりしたかもしれないが、まったくと言っていいほど無理をしなくなった自分がいてる。老いゆく自分を必要としてくれる家族のまずは役に立てる、その事が一番重要である。

五十鈴川だよりを打てなくても、孫の葉くんと遊ぶ方がいまの私には楽しく重要だからである。葉君2才7ヶ月との共有体験時間はかけがえがない。(のだ)さて、今日から後2日は長女のところにお世話になるが、ノア君(来月6歳)との時間、未彩(3月で10ヶ月)との時間がとても楽しみである。みあは一年前には存在していなかったのに。

ところで、22日岡山から東京に上京する新幹線のなかで、読んだシェイクスピアに関する本(シェイクスピア、それが問題だ)が素晴らしく面白くて一気に読んだ。その本の写真をアップする。東京滞在記は岡山にかえって時間を見つけてゆっくり打とうと思う。

2024-02-17

久しぶり来週孫たちに会いにゆく、穏やかに春の陽射しを感じる朝に想う。

 来週から5泊6日、ずいぶん会っていない3人の孫に会いにゆく。妻は私が孫を猫っ可愛がりをするのが、ちょっと意外らしい。かくいう私も自分が孫に会えることに、老いてこその喜び、そのことが格別である事を打たずにはいられない。

この世、魔界を自在に生きる

自分の子供ではないのだから、無責任に喜べる。そしてやはりたまに会うからこその、喜びというものだとも想う。こればかりは理屈ではない。恐らく今の私の元気のもと、労働にしろ、音読にしろ、日常生活のあらゆる根元的な老いの活性化は、やはり孫の存在が大きい、と思う。循環の喜び。

最初の孫、長女に授かった望晃(ノア)は3月で6歳今年から小学校にはいる。次女の息子葉は今年7月で3歳、長女の第2子未彩(みあ)は女の子、5月で1歳を迎える。ちょっと会っていないと驚きの大変化、人生で一番変態してゆくかけがえのない時間を体感せず見逃してしまう。だから私はせめて一年に最低4回は直接孫たちとふれあう時間を持ちたいのである。

ということで、今週もよく働き、あっという間に土曜日がやって来た。土曜日曜は、おやすみとは言うものの、平日やれないことをあれやこれややっているので、本当に私は退屈することがない今を生きている。自分で言うのもなんだが、(あくまで今のところ)なんだか老いてきてゆっくりとではあるが、好奇心の方はいまだ衰え知らずであるのが、嬉しい。

ところで13日、72歳になり妻を始め、娘たち家族からお祝いをしていただいた。割愛するが、二十歳までお誕生日を祝ってもらったことがない人生(だからと言ってまったくと言っていいほどに私はほかの人を羨んだことがない)ではあったのだが、人並みにやはり嬉しい。

ほかの人はいざ知らず、家族友人含め大事な人たちが、存在していれば、私には十分である。若いときには、人並みに世間的に認められたい上昇思考のようなものが、何がしかの存在でありたいという欲、煩悩のようなものがあったように思うが、かれてきたのとはまた違うのだがが、何が自分らしいのかは置いといて、限りなく下降思考というか、静かに存在したいとでもいうしかないような感覚が、手術後のこの3年、育ってきているのを感じている。静かに何かを願い祈り歩き、草と戯れることは限りなくするけれども、芸術や文化は最小限追いかけることが、さほどなくなりつつある。(本当に心が動くものだけ出掛ける)

小さく深く、しっかりと根をはって、自分に限りなく欠けていた他者を慮る生活を、殊勝にも古希を過ぎてからいよいよ大切にしたい、と思うようになってきたのである。まずは家族にとってありがたがれる、役に立つ存在でありたいのである。その延長で友人知人ともよき関係性の根を無理なく自然に育みたいのである。

そのためには自分なりの生活のなかでの余裕のようなものを、働きながらわずかであれ蓄えながら、ささやかな夢のある企画、還暦以後やっていたような音読ではなく、老いらしさの薫る音読のような事が、やれればといま夢見ている。

そのヒントは【間違いの喜劇】の幕開きのイジーオンのなが台詞を繰り返し音読していたときに、ふとひらめいたのである。上昇思考ではなく、下降思考から思わぬヒントが生まれてきたりすることもまた、老いらしさという風に考えれば、思わぬ楽しい出来事が待っているやも知れないではないか。ともあれ、冬の日差しのなかで春の陽射しを感じながら、今日をいかに過ごすのかに思いを馳せる私である。

2024-02-12

71才最後の日の朝に想う、五十鈴川だより。【老いつつ、いかに生きるのか、生きたらいいのか考え続ける】

 3連休の3日目の朝、連続五十鈴川だよりを打つ。書きたいときも打ち、取り立てて打つ気分ではないときも、お休みの日家にいるときの、特に朝は何かを綴って始動したい自分がいる。

今やすっかり、老人の心身機能調節五十鈴川だよりになりつつある、その事をどこかで自覚しつつ、過ぎし来しかたを振り返り、思い出にじっくりと耽られる時間をこよなく大事にしつつ、今を生きる糧にしようと心かけている。ただ思い出に耽るだけではなく、懐かしき思い出に耽ることができる今を、どこか寿ぎたい自分がいる。よく生きてきたものだ。

いかに生きたらいいのか考え続ける

老人性ナルシストと言われても全く頓着しないほどの厚顔無恥に自分がなってきつつある、その事もどこかで自覚しながらも、限りなく不自由であるなかでの自由を生きたいのである。人は移ろう、その事に自然に正直でありたいと思う。かなりの情熱を傾けていたことから離れ、ほかのことに情熱が移ってしまう自分とは何か。

以前はその事で自己嫌悪におちいったりしたこともあったが、コロナ渦中の手術後はまったくと言っていいほど、昔のように芸術や文化的なことからは目が遠退き、普段の日々の生活を何よりも大事にするようになってきた自分がいる。

今、私には2男1女の孫がいる。リモートでは度々話をしているが、昨年9月から直接あっていない。幼少期の変化は目を見張る。だからそのかけがえのないたまゆらのひとときを体感したく、今月末上京する。こればかりは長生きして、おじじになってみなければ関知し得ない感覚である。やがては成長しおじじなんて相手にせず、自分の世界へと羽ばたいてゆくのは当たり前、またそうであってほしい。

だからこそ彼らが小学校3年生くらいまでの時間、おじじに出来ることを、必要とされる間役にたちたい。有意義に生きたい、のである。

話は変わる。私と同じ歳で私の好きな草刈正雄という俳優がいる。詳細は割愛するが、昨日夕方NHKのファミリーヒストリー特別版をたまたま見た。以前特別版ではないのも見ていて感動したので、すぐに見いった。

お父さんはアメリカ人、生き別れになりお母さんは一人で草刈正雄さんを立派に育て上げる。草刈さんの父探しのファミリーヒストリーに私は熱く打たれた。97才、草刈さんのお父さんの姉との再会の場面はまるでドラマという以外にないほど、劇的だった。

美の壺や色々な役柄で、ますます独特の存在感を表現している草刈さんのキャラクターは、出自から現在までの一言では言葉に尽くせぬ、経験や体験の積み重ねが、醸し出しているのだと府に落ちた。俳優とはなんと不思議な存在であることか。すべてが無駄なくいかされる。

父探しの旅の果て、写真の中の父と廻り合い、アメリカの素晴らしい家族と再会する。もらい泣きした。最後に草刈さんが言っていた。自分は母一人子一人で寂しく育ったので、家族がたくさんいるのが嬉しいと。

草刈さんのファミリーヒストリーを見ながら、私も我が家族に思いを馳せた。この世には星の数ほどの家族がいる。悲喜こもごもまるごと全部抱え込みながら、人間は必死で生きる。浮き沈みがこの世の定め、運命を生きるしかないのが悲しいかな摂理である。番組を見ながら私は思った、草刈さんはその運命を受け入れ、勇気をもって真っ正面から立ち向かったからこそ、女神が微笑んだのだと。

私が【間違いの喜劇】に惹かれるのは何故なのだろうか。イジーオンは家族と再会するために命を懸けて、老いてなお旅に出る。帆船の小さい船での家族探しの旅。シェイクスピアはなぜこのような物語を書いたのだろうか。シェイクスピアの作品の登場人物は運命と対峙する人物が多い。そこに私は惹かれる、のだ。

草刈さんのイジーオンが見てみたいと突然私は思ったが、まずは自分が今しばらくシェイクスピアのハムレット、ほかも元気なうちにもっと深く味わい繰り返し音読したくなってきた。

2024-02-11

3連休二日目、平凡に妻との時間を享受する、その事に思いを馳せ、冬の朝日を浴び想う。

 昨日に続いての五十鈴川だより。中世夢が原退職後、まもなく次女が嫁ぎ、夫婦二人での時間を過ごすことが増え、コロナ勃発から現在までいよいよもっての夫婦二人で過ごす時間が増え、その事を遅蒔きながら、内省反省大切にしている。

ちびりちびり老いつつ学びたい

幸い、いまだ私も労働で幾ばくかの糧を得ているし、妻もやりがいのある事を週に数日やりながら、穏やかな老夫婦生活が営めていることに、言い様のない感謝が、時に私の中に沸き起こる。平凡に生きられることの、ありがたさ、冬の陽射しを浴びながら・・・。

還暦後、私はできるだけお金に頼らない、つましい生活を心かけているつもりであるが、そのような暮らしも、あっという間に10年が過ぎようとしている。

昨日もメル散歩と食品買い出し以外は、終日家で妻とすごした。食事やDVDを見たりと二人で共に過ごす以外の時間は、まったくお互いに干渉しあわないのですこぶる快適である。

妻が一階で繕い物等をやっている。私は2階で間違いの喜劇を音読する。1幕から4幕まで全登場人物を休み休み音読したらお昼になったので終了。妻と昼食、妻がかき揚げうどんを作ってくれた。洗い物は私の担当。昼食後プライムビデオで共に、トムハンクスのフォレストガンプを見る。妻の推薦で初めて見たが、幸福感に浸れる最高のエンターテイメント。

見終えて、夕刻約一時間薪割りと、ストーブの煙突掃除。早めにお風呂に入り早めの夕食。夕食後、BSでベニスからの生中継での仮面カーニバルを午後9時までみた。妻と新婚旅行で訪れたことがあるので、懐かしく思い出がよみがえり、追憶の世界に引き込まれた。

その後、普段だったら明日に備え寝るのだが、3連休なので珍しく夜更かし、NHKのETVで、漁師と妻とピアノというドキュメンタリーに引き込まれ、見いってしまった。リストの名曲カンパネラを52才から10年間挑戦し弾きこなす、漁師さんと妻のドキュメンタリー。打たれた。

日常生活、手の届く範囲での暮らしの充実こそを大事に、大切にしたいとの思いが私には深まる。妻は今日はお仕事。妻が帰ってくるまでは一人で過ごす。やりたいことがやれる今を愉快に生きる。それもこれも、健康であればこその老い楽ライフである。



2024-02-10

音読仲間を求めて間違いの喜劇のイジーオンように、私は老いの旅に出る。

 2月もはや10日土曜日の朝である。2日は5年ぶりくらいに高松まで出掛け、【土取利行さんの浜辺のサヌカイト】というドキュメンタリーフィルムの(さぬき映画祭での上映)をみに出掛けた。(土取さんは異能の人であることを改めて再認識した)

5日(父の命日)は、マルセさんの文忌を続けておられ、先月知り合ったばかりのNさん(私より一回り年上の先輩が我が家にやって来て泊まら(久方ぶり楽しかった)れたりして、昨日までフルに日中は働いていたので、なかなか落ち着いて五十鈴川だよりを打つ気分にならなかったのだが、今日から3連休で、落ち着いて五十鈴川だよりを打てるのがちょっと嬉しい。

老いゆく日々の身辺雑記録、極めて個人的なあるがまま五十鈴川だより、きっといつかは打つ気力も萎えてしまうのは、天の摂理と受け入れるつもりではある。だがしかし、10日ぶりではあれ、打ちたい気持ちが沸き起こる間は、細き流れを徒然打ちたくなる自分がいる。

2月末、昨年9月以来あっていない娘たち二家族に会いに一週間お休みするのでこの一週間はフルに働いていたので、忙しく五十鈴川だよりを打つ気にはならなかったのである。肉体労働、どこかトレーニングしている感じで働いているので、疲れたらぐっすりと眠れるし、何よりも私は眠ることが好きなのである。眠ることが最優先、疲れていたら五十鈴川だよりは打てないし、音読もできない。

ところで話は変わるが、人生で初めて手術をし、古稀を過ぎてすべてをリセットし、交遊関係も義理を欠くことが増えてきたが、これも摂理と都合よく考え、日々最優先にやれることをやりながらすごしている。

そのような日々を送りながら、コロナパンデミック以前66才から、とある人のご紹介で始めた肉体労働アルバイトも、もうまる6年が経つ。つくづくこの肉体労働のお陰、在りがたさを今も痛感している。特にコロナ渦中での手術後のこの3年は、この労働仕事があったればこその今である。

天の下、ありがたやありがたやという一念を無意識に唱えながら、体を動かせる功徳を噛み締めるのだ。冬の肉体労働は一見やることが減るのだが、このところ相棒のK氏と葛の根を掘る単純作業に従事したり、手強い草の根の除去にいそしんでいる。

ところでふたたび話は変わるが、長いこと関係性が疎遠になっていたS氏が、シェイクスピア作品間違いの喜劇の音読に参加するという驚きのメールをいただいた。3月23日初回の音読は吉備路文学館で行われることが決まっているが、今のところ何人の参加があるのかも全くわからない。がしかし、私はいい意味でなるようにしかならないでよしと、どこか諦めている。

神奈川から知り合って45年のK氏と、岡山で知り合って30年のS氏と私の3人で(もうひとり女性から問い合わせがあるという)よもやまさかこの面子で間違いの喜劇を音読できるなんて思いもしなかったので、その事だけでもって私はどこかで満足なのである。

S氏(私よりひとつ年下)にいたっては、71才で初めてのシェイクスピア作品音読体験となる。画期的とはこの事である。私は61才からシェイクスピアの音読を始め、今に至るも毎日ではないにもせよ。継続持続、草を抜くように集中力を高めつつ生活していて思うことは、お年寄り、つまり自分の健康維持養生活性化に、どれ程有用であるのか、自分自身が一番わかっているつもりである。

今後もハムレットを始め、リア王、あらしのプロスペロー、ロミオとジュリエットのマーキューシオ、オセローのオセローとイアーゴー、ベニスの商人のシャイロック、夏の夜の夢のボトム、お気に召すままのジェイクイズ、間違いの喜劇のイジーオン、記せばきりがないが、ざっと数十人のあまりにも魅力的な台詞、言葉をこれからも体のトレーニングのように音読したいと念う。

もう全くうまい下手とかではなく、老いゆくことを真っ正面から見つめ、老いの可能性、熱情をあきらめつつも諦めない輩に出会いたい、だけなのである。手の届く範囲での生活圏での音読を私自身が実践し、志を共にできる仲間を求めて間違いの喜劇のイジーオンのように老いの旅に出掛ける(のだ)。

(右の写真の本、6年前に出版された本、トランプさんがアメリカの大統領になるなんて日本の知識人の誰もが予想していなかったあの頃、副島隆彦氏が予言していたらしい。今読んでもぶっとんだ分析力には脱帽する。

2006年からこの17年間、すべてではないが、私は佐藤優さんのかなりの本をどこか羅針盤のように、知識人の鏡のようにボンクラの私には歯が立たないようなご本も噛むようにゆっくりと読んでいる。分析力、実践力、発想力、死を賭した多角的超人的なお仕事ぶり、現在の日本にこれほどの知識人が存在していることが、私には救いである)

2024-01-31

【文忌】で出会えた沼野健司さんのコメント、そして文忌の主宰者N氏が来週我が家にやって来る、そして想う。

 1月最後の日、昨日で今月の肉体労働は終えたので、今日はゆっくりと五十鈴川だよりが打てる。未だ爪痕生々しい、能登半島の大震災で年が明けてはや一月、色々なニュースや情報が、嫌でも飛び込んでくる、十分に老人の私は、日々無事に日常生活が送れていることの在りがたさを天に向かって感謝しつつ、五十鈴川だよりを打つ。

一気に読んだ。感動した。

ところで、久方珍しくも実名、沼野健司さんさんから嬉しいコメントを前回の五十鈴川だよりにいただいた。(この場を借りてお礼申し上げます)沼野さんとは1月21日、神戸であったマルセさんの【文忌】の会で出会ったばかりの方である。

この会でお会いした方々に名刺を何枚かただいたのだが、私は名刺を持ち合わせていなかったので、名刺がわりに短いお便りをいれて投函したのだが、反応素早く多分着くと同時くらいに、すぐにコメントをいただいたのである。(今後はますます手書きを楽しみ、デジタル併用自在でありたい)

老いゆくなかで見つけたことのひとつに、できるだけゆっくりと丁寧に生きてゆきたい、ということがある。薪割りも、何もかもゆっくりとしかできないが、そのゆっくりを面白可笑しく楽しくと、どこか念じつつ。そのような日々を送ってはや一月が経過した。

だが2週連続週末動き、27日土曜日大阪の山本能楽堂(素晴らしい)で行われた人間国宝奥村旭翆さんの筑前琵琶(たたずまい、か細い声になんとも言えない艶が、琵琶の響きに別世界に誘われた)を聴きに行った帰りに、神戸に立ち寄り20年以上文忌を主宰されているN氏と、2時間近く一献傾け歓談した。ゆっくりと足元日常生活を送りながら、この機会を逃すとなかなか会えないように思えるかたとは、意を決して会うように心かけているのである。

そういう意味では、平凡な生活の中に、なにかと充実した一月を(明日からは2月なので)個人的に送れているのは、動くときには動く体、がいまだあるという証左、ありがたやというしかない。

肉体労働と音読で、体調を整えながら新しい出会いが生まれる。また、これが一番大事なのだが、古いお付き合いの方たちとも、新しい現在を風通しよく交歓し合えるような関係性の持続が今後ますます私には重要大切になってくる。そのように生活したい。

ところで、意外な展開。昨日着信履歴が(私は一日に数回しかスマホを開かない。ほかの事をしている)あったので文忌主宰者N氏に電話をいれると、2月5日月曜日、広島の帰りに岡山に立ち寄るので、よかったら我が家に泊めてほしいとのこと。私は快諾した。一宿一飯の関係性が生まれた。

誰でも泊めるわけではない。文忌を主宰され続けておられる方が、我が家に泊まりにこられる。ゆっくりとお話ししたのは27日だけである。まさに一期一会の功徳というほかはない。手前みそではなく、たった一度の語らいで、うまが合い信用してくださったのだと、勝手に私はどこか内心快んでる。縁は生まれ、縁はやがて死とともに消える。

文忌に参加したことで、沼野さんから暖かいコメントをいただいたり、文忌の主宰者が我が家にやって来る。それもこれもマルセ太郎さんを思い付きで企画しえたご縁による。あれから20年、マルセさんは生きている、というに留まらず、いよいよもって現世での存在感をあまねく降り注ぎ続けるように感じている。【マルセを生きる】という本のおかげで何やら今年は、私個人は限りなく静かに、限りなく慎ましく、時に熱く、ご縁のあったかたたちと面白可笑しく交歓しつつ、平凡に生活したいと、念う。


2024-01-26

1月21日【文忌】という、故マルセ太郎さんを偲ぶ会に参加して来ました。そして思う。

 熱はないがちょっと体が重く、鼻水が出るので大事をとって、今日は肉体労働はお休みして布団のなかで猫になっていたのだが、新鮮な内に、忘れない内に21日の事を打っておきたい。

マルセ太郎という知るヒトぞ知るボードビリアン、芸人をご存じのかたがおられるだろうか。マルセさんは2001年1月22日、岡山のK病院で逝去された。

マルセさんと再び再会した。

長くなるので、五十鈴川だよりでは、要点のみ簡単に記す。私は40歳で中世夢が原で、企画者として人生再出発をした。18才で宮崎の田舎から上京して40才まで東京で基本的に生活をした。(一年半のロンドン自費留学、富良野での足掛け3年を除いて)

その22年間に体験した、主に演劇、映画や音楽、の感動体験の蓄積をバネに、失われた時間を取り戻すかのように、ガンガン企画をしていた。

中世夢が原という、遊びをせんとや生まれけん、企画者心を無限に刺激する場と空間を与えられた私は、自分でも信じられないくらいの、エネルギーが沸いて動いていた。(気がする)感動の蓄積(インプット)がアウトプットを支えていた。

私が20代の終わり、4年近く在籍していたシェイクスピアシアターという小さな劇団(日本で初めてシェイクスピア全作品の完全上演を成し遂げた)は客席数120席のジャンジャンという渋谷の山の手教会の地下にある小劇場を本拠地にしていた。

綺羅星のようにスゴい多ジャンルのアーティストが日替わり、もしくは数日間で出演する小さな半地下の劇場。今はない。そこで私は雪村いずみさんの歌や、浅川マキさん、中村伸郎、ほかそうそうたる面々のステージに、まさに出会った。

振り返るとジャンジャンで私が体験し学んだことは、いまとなっては、帰り来ぬ青春、宝である。そこでたまたま一度観たのが、マルセ太郎さんという一口では形容できない異色の芸人であった。 

まだ誰もなしたことがない映画をまるごと一人で語る、映画再現芸、スクリーンのない映画館というピン芸を創造されたころであったと思う。私が富良野での修行生活を終え、再び東京ライフを始め、さあいよいよこれから後半の人生をいかに生きて行くべきか、大きな岐路にたたされていた頃であった。

はしょる。当時妻と巡りあったばかりの頃で娘もおらず、よもやまさか岡山に移住し、企画者になるなんて思いもしなかったころである。だが事実は小説より奇なり。企画者となった私は、その後中世夢が原で小栗康平監督の【泥の川】、西大寺の五福座で黒沢明監督の【生きる】を企画することになる。

再びはしょる。一昨年の暮れ、突然マルセさんのお嬢さんからお手紙をいただき、たち消えになりかけていた、マルセさんがお亡くなりになってまもなく、50名の方々が当時書いた文章を、やはり本という形にしたいという熱い思いを、岡山でお嬢さんの梨花さんから直接聞いた。

あれから20年の歳月が流れた、だが梨花さんのなかで片時も離れずマルセ太郎という存在が、ますます大きな存在となって発酵し続けていたのである。本という形にしたいという念いが実り、昨年11月上梓され手元に届いたのである。(まるでマルセさんが奇跡的によみがえったとしか言えないような、閉塞感極まるこの時代に明るい快挙というほかはない)

話は飛ぶ。マルセ太郎さんがお亡くなりになってから、神戸にて【文忌】というマルセ太郎という無比の存在を偲ぶ会を21年の長きにわたって継続してこられたNさんという方がおられる。(まさにマルセ太郎に魅いられた方である)

梨花さんとお会いしてから、その文忌に昨年、今年と二年連続して参加、2回目が21日だったのである。上梓されたばかりの本を10冊買い求め、初めてNさん梨花さん、弁護士の弟Rさん、そして梨花さんのお嬢さんとの語らいに最後まで参加し、楽しい時間をすごし、結果赤穂線の終電で帰ったのだ。

明日、熱がなければ大阪に筑前琵琶を聴きに行く予定なのだが、その帰りに神戸のN氏に夕刻会うべくアポをいれた。会える人には会えるときに会っておきたい。

2024-01-20

【間違いの喜劇】の音読リーディングに老いゆく体が反応する。大寒の朝に想う。

 なにか打ちたい。メルと散歩に出ると水溜まり、今は落ちていない。予報は雨である。今日は妻もお休みなので、穏やかな一日が過ごせればと思うが、被災地の私のような高齢者や、受験生他の置かれた方々の千差万別の困難は想像を絶する。

2年前の先生との再会が全ての始まり

水が出て、お風呂には入れ、暖がとれ、食べるものがあるということのありがたさは、永久に体験したもののみが関知する他はないほどに、想像を絶する。そのようななか、今朝も能天気に五十鈴川だよりを打てる、打つおのれの生活の在りがたさを噛み締めている。

さて、老人生活を堅持しながら、N氏のフライヤーの素晴らしさ(いたく想像力をかきたてる)に背中を押され、日々肉体労働をしながら、一歩一歩3月に向けて、なにがしかの私なりの実践を送っている。

コロナ禍のこの4年間、何はともあれ日々を、自分なりに有意義に生活を営めてきた、おかげで、きっとこのような素晴らしいフライヤーに巡り会えたのだと、勝手に思っている。幸運は積み重ねた上にしか咲いてはくれない。

どこか諦念感覚を持ちながらも、しぶとく一寸あきらめない絶対矛盾を、未だ微かに持ち合わせている情熱の残り火、のようなものにしがみついて、あちらこちらの数は少ないが熱い友人知人に、お手紙やメール、電話等で私の念いを伝えている。

一月も今日で二十日、大寒であるが、老人の私のハート、体はどこかしら熱い。そのような感覚がないと、とてもではないが、間違いの喜劇の音読リーディングはまず無理である。フライヤーができてから、ほぼ毎日、間違いの喜劇の個人レッスンを続けている。平均すれば毎日ゆっくりゆっくり2時間続けている。(正味一時間半)

間違いの喜劇を音読するのは、2016年以来だから7年ぶりである。小田島雄志訳ではなく、松岡和子訳でのリーディング。微妙に随所に翻訳が異なる。小田島雄志訳で馴染んでいた体に染み込んでいた言葉を洗い落とすように、まずはリーディングしている。今現在の自分の年齢体でのリーディング、これが自分でも新鮮なのに、ちょっと驚いている。

30才で読んでも、65才で読んでも、今読んでもやはりシェイクスピアの言葉は(日本語に翻訳されても)私の体の奥深く、琴線を刺激する。その言葉を面白く感じる想像力、キャッチする感覚があれば、である。

吉備路文学館でのフライヤーのキャッチコピーには、私の思いが籠められている。このような今をいきる一人の老人生活者の思いに反応してくれる、未知の自分を発見したいという勇気を持ったヒトに、私は出会いたい。ただそれだけである。

久しぶりに丁寧にリーディングしてみて、7年前とは明らかに異なる現在の体が言葉に反応する。30才でイジーオンを読んだときには、まったく関知し得なかった感覚が、老人の我が体が喜んでいる感覚を、今私は間違いの喜劇に発見している。最後、家族との再会の場面では、思わず涙腺に込み上げるものがあった。喜怒哀楽快不快、心から開放し伸びやかにリーディングする。あくまでも自然に木の葉が落ちてゆくように、自分の摂理に従うリーディング。

生きている喜びとは、体の赴くまま自分の摂理を生きる喜びの発見だと、今また私は発見しているのだ。喜びの発見、人生の喜びはヒトそれぞれ千差万別である。たまたま私はシェイクスピアの作品の言葉に出会い、救われ続けているだけなのである。幕開きのイジーオンの長い台詞を、諳じる事にまず41年ぶり挑戦している。



2024-01-14

薪作り・冬の日溜まり・読み稽古。

 今朝はかなり冷えたが、休日の朝のルーティンを終え、冬の日差しが差し込む我が部屋にいると、オキシトシンがわいてくるのかなにか打ちたくなる。昨日夕刻、刷りたての間違いの喜劇のフライヤーを、N氏がわざわざ自宅まで届けてくださり、またまた恐縮、ありがたく、見事なフライヤーの仕上がりの余韻にひたっている、私である。

とは言うものの、そのフライヤーに負けないように今日も時間を見つけて、私自身のリーディングレッスンをする。一行一行集中、いつの間にか、一幕が終わる。昨日はお休みだったので、時おりお休みしながら、間違いの喜劇全幕を、午後2時から一人で全登場人物の台詞をリーディングした。

シェイクスピアの作品の中で一番短い作品なので、とりあえず久しぶりにまるごとリーディングしてみたのである。口の筋肉がいかように動くのかを、ゆっくり意識しながら、現在の自分自身の集中力と口力を確認しながらリーディングを無事に終えることができた。その事で吉備路文学館での音読リーディングレッスンに向かう打ちなる覚悟がまずは決まった。

これから2月いっぱい、生活仕事の合間合間に、各登場人物の抜き稽古声だしを持続的に続け、週に一回全幕全登場人物を通しリーディングすることで、気づいたことをノートに書けば、自分がどのようなレッスンをやりたいのかが、おのずと見えて来るように思える。

何事かに気づく、何事かが思い付くのは、無心に集中して完全にリラックスしているときにしか、私の場合アイデアはわいてこない。意識を集中し打ち込んで気持ちがいいときにしか、なにかは訪れないのである。キモチがのらないときにやっても効果は薄い。しかし、キモチがのらないときにでも、ゆっくりゆっくり体と相談しながら、音読を続けていると、徐々に集中力が増してきて、意外にも長い時間音読できたりもするから、体というものは実にいい加減不思議な器なのである。

薪作りと音読はセットである

ともあれ、3月から始まる、吉備路文学館での音読リーディングに向けて、どのようなレッスンがやれるのか、間違いの喜劇の各登場人物のリーディングを、まずは自分自身がやってみることで見つけてゆくつもりである。

間違いの喜劇の劇中、アンティフォラスと召し使いドローミオとの、時問答があって、意味もなくおかしいのだが、時、時間というものといかにうまく付き合ってゆくのかが、私にとってはこれからもっとも大事で大切なことなのである。

まずは念頭、間違いの喜劇のリーディングをやりながら、一日の時の過ごし方を充実して送らねばと、冬の日差しを浴びながら、もの想うのである。

2024-01-13

N氏のおかげで、吉備路文学館で3月から行う間違いの喜劇のフライヤーができました、そして想う。

 N氏から間違いの喜劇の完成フライヤーがメールで送られてきたのは一昨日の夕方である。昨年末、氏から突然メールがあり、年明け早々一度会って打ち合わせをし、その後はメールのやり取りだけで、本当にあっという間に出来上がった。(氏はずっと私の事を心に留め発酵させていたのである)なんという事の展開、早さでの仕上がりに、驚きを禁じ得ない。

夕刻N氏から直接届いたフライヤー

個人的な話で恐縮だが、よもやまさか吉備路文学館でW・シェイクスピアの音読・リーディングレッスンがやれるとは思いもしなかったので、喜びは格別なのである。

私はせっかちを自認しているが、事好きなことに関しては、年と共に忍耐強くなってきた気がしている。61才、2013年から天神山文化プラザでシェイクスピア遊声塾を立ち上げ、コロナで閉塾を余儀なくされる2019年末まで、ひたすらシェイクスピア作品の音読リーディングにかなりの情熱を割いていた。(31才から30年間まったく音読はやっていなかった)

閉塾後の一昨年、昨年と企画者としての情熱が再燃、アクションを起こしたが、再びシェイクスピアの音読がやれるかどうかは自分のなかでもわからなかった。年齢的にもう十分にやった、やれたという思いもあったし、かなりの覚悟で集中して声を出すレッスンはもうやれないのでは、との思いがよぎったのも確かである。

そのようなときにN氏に出会い(正確には再会)、会話を重ね、中世夢が原での経験体験や40歳で岡山に移住するまでの、右往左往話をするなかで、私のシェイクスピア作品の音読リーディングに対する情熱が再び再燃したのだ。

遊声塾の時とは異なる、多世代老若男女での、あまりにも豊かな言葉の魔術師W・シェイクスピア作品のいくつかを、私がこれまで音読テキストにしていた小田島雄志訳ではなく、女性で初めてシェイクスピア全作品の翻訳という偉業を成し遂げた、松岡和子先生の翻訳で声だしリーディングをやりたくなったのである。

長くなるので(五十鈴川だよりに書いている)はしょるが、2年前の夏の終わり、東京下北沢の本多劇場で、私は松岡和子先生に偶然ロビーでお会いしたのである。縁の不思議さに背中を押され、俄になぜだか、ものすごく先生の翻訳でシェイクスピア作品のリーディングを一からやりたくなったのだ。その昔、先生がまだ大学で教鞭をとられていて、私がシェイクスピア・シアターに在籍していた頃、何度もロビーや客席にいらした若き日の先生のお姿を私は記憶している。

あれから40年以上の歳月が流れたが、一方的に何かの啓示的お告げのような感覚にとらわれたのである。年齢を忘れ、声が出るうちにマッさらな気持ちで、新しい先生の翻訳でのリーディングに挑戦したくなったのである。その思いを私はN氏につたえた。氏は冷静に受け止め、氏が福武文化振興財団の助成を受けている事業の一環として取り組んでくださり、場所も願ってもない吉備路文学館を押さえてくださったのである。

私のような来歴の、一人のシェイクスピア好きが、岡山の吉備路文学館の空間で、【間違いの喜劇】のリーディングがやれるとは、初夢にしても身をつまされる思いである。

この数日時間を決め、2016年以来、久しぶりに松岡和子先生の訳で間違いの喜劇の音読リーディングを3月に向けて私自身のレッスンを始めている。老いゆくからだが喜んでいる。今年の5月までは間違いの喜劇の音読を中心に時が流れてゆくようになるだろう。どのような老若男女に出会えるのか、レッスンは顔ぶれ次第だが、その前にやるべき事、やっておかねばならないことを、2月末まで十分に準備しなければならない。(のだ)

集ってくださったかたたちの、幸福オキシトシンが溢れるようなレッスンをやりたい。そのためには私自身が入念に準備しておかねばならない。リア王が娘末コーディーリアに語りかける、何もないところになにも出てきはせぬという言葉が響く。こればかりは言霊が顕れるように老いを暫し忘れ反復音読するしかない。【愛こそ、そして今こそがすべてである】

間違いの喜劇は、松岡和子先生が37本のシェイクスピア作品の中で、一番最初に翻訳された作品である。私の一番好き作品であり、シェイクスピア・シアターで初めての大役イジーオンを演じた思いで深い作品である。


2024-01-08

2024年、1月8日月曜日、成人の日今年最初の五十鈴川だより。

 私の部屋に差し込む、陽光の力を浴びて、今年初めての五十鈴川だよりを打ちたい。

北陸をエリア襲った、今も続く大震災でお正月気分が吹っ飛んでしまい、ただひたすら静かに今日まで生活している。昨年暮れの五十鈴川だよりでも触れたが、老夫婦静かな年明け生活である。(あらゆる困難生活を余儀なくされているかたのことを勘案すると言葉がない、いつ自分にも天変地異が襲いかかっても不思議ではない。悲しいかな我が身で体感しない限りの、限界感覚を私は生きている)

逆さまですみません

だが、久しく年賀状を出さない生活を続けていたのだが、というより年賀状は数年前卒業したのだが、今年は55通もの手書き賀状をすでに投函した。55人ものかたに一文を添えて投函できる事の幸福、手で文字を書くことの、書けることの喜びを感じつつ、私なりのつましくも充実したお正月を過ごしている。ひとつ年を重ねる、老いゆく時間を積み重ねるごとに、感謝の念のは深まる。

体動かし老いバイトも、4日5日と勤め、今更ながら冬の日差しを浴びながら動ける喜び感覚、働ける感覚を噛み締めつつ、一年を全うする養生健康が願いである。

体にオキシトシンが分泌されるような生活を続けられたら、もう年よりの私はほかに多くはなにも望まない。何よりも家族や近しいかたたちが平凡にすごせ、世界の秩序安寧を祈るのみである。

ところで詳細は長くなるので省くが、一昨年出会ってひょんな事から多嘉良カナさんのポスター、フライやーをつくってくださったNさんが、福武文化振興財団の助成を受けて取り組んでおられる事業のひとつで、参加者がいれば3月から吉備路文学館でシェイクスピアの音読レッスンをやる事になり、フライやーを仕上げるために、N氏が今必死に年明けから取り組んでくださっている。一月中には出来上がる。

福武文化振興財団の郵便物のなかにフライヤーが同封されるとの事(その数2000通以上)、幾ばくかの反応があるや、なしや、楽しみである。そのフライヤーを私自身もあちらこちらに配布し、私がレッスン出来る間は、シェイクスピアの作品、現代日本語の翻訳によるシェイクスピアの素晴らしさが、一人でも多くの岡山に(岡山以外でも)住むかたに伝わるようにと、希望は膨らむ。テキストはシェイクスピア作品の【間違いの喜劇】松岡和子訳、筑摩文庫である。

出会って45年になる神奈川に住む親友(真友)からタイミングがあえば、参加したいというメールを昨日もらった。世界は広いのだ。どのようなヒトが生活し生きておられるのか、未知である。未知の存在に出会うべく、どのような音読レッスンがやりたいのかを、N氏に箇条書きにして、送ったのできっと素晴らしいフライヤーが出来ると確信している。(チラシが仕上がったらすぐにまずは五十鈴川だよりにアップします)

コロナで遊声塾をあきらめ、あれから4年、この間個人的に二人の新しい命、孫が授かり、その輝きは年よりの私を新たな世界へと誘う。60代でやっていたようなレッスンはもう出来ないし、あえてそのようなレッスンはやりたくはない。参加者からオキシトシンが溢れ、幸せ感に満ちるようなレッスンがやりたく、今日もこれから無になって間違いの喜劇を再読音読自分のためのレッスンをする。

世界は日々移ろうが、五十鈴川だより打ち続けたおかげで、自問自答時間を過ごせ、家族を含めた新たな出会いや再会が私を変化させる。【ゆくかわの流れは絶えずして・淀みに浮かぶうたかたは・消えかつ結びて・久しくとどまり足るためしなし】といった案配である。