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2024-04-21

2024年、4月19日、20日二日連続土取利行さん企画・プロデュースイベントに立ち会えた至福の五十鈴川だより。

 19日午後7時からサンポートホール高松で行われた、【異響同塵 古代サヌカイト&チェロ 異次元コンサート 土取利行&エリック・マリア・クテュリエ セッション、ゲスト松田美緒】を体感、聴いた。

何故か手元にある昔のチケット


19日午前中で仕事を切り上げ、余裕をもって高松につき会場で静かに開演を待った。一部はエリック・マリアのソロと松田美緒さんの歌とのコラボ。続いて二部に入り、生まれて初めて土取利行さんが演奏する古代石器サヌカイトの生音で聴いた。

前半はソロ、後半はエリック・マリアとのセッション。音の密度が研ぎ澄まされている。サヌカイトの音の神秘に心底おののいた。

サヌカイトとチェロの響きの交歓、歌(詩と)チェロの交歓。カーテンコール。3人による夢幻的交歓。サヌカイト、チェロの響きの神秘、声の響きの神秘、彼方からさんざめいてくる波動に耳を澄ます。

なにか大いなるものに包まれ抱かれる安堵の原初的回帰感覚、聴き終えて言い知れぬ静かなある種の幸福感が私の体を満たした。いまはただこの稀有なセッションに立ち会えたことの老いの喜びを、わずかに五十鈴川だよりに打てるだけで幸せである。

土取利行さんに出会ったのは私が26才のときである。かけがえのない若さを抱え、当時私はロンドンに演劇を学ぶためというめいぶんを掲げ、劇場の街、ウエストエンドエリアを夜毎徘徊していた。シェイクスピアの舞台を見るために自費遊学、生まれて初めての自由自在生活、遅蒔きの青春を満喫していた。

ある日、タイムアウトという情報紙に【ピーター・ブルック演出、ユビュ王】という文字が目に入った。場所はテムズ川のウォータールー橋のそばの劇場ヤングヴィック座。芝居が始まりビックリした。何と日本人である土取利行さんが、あのピーター・ブルックの劇の音楽を担当していたからである。

私は二十歳のときにピーター・ブルックが演出したシェイクスピアの夏の夜の夢を東京日生劇場で観たことがあり、そのあまりの斬新さに度肝を抜かれた経験が、結果的に私を土取利行さんと出会わせたのである。今から46年も前の忘れもしない出来事である。(人生の折々、シェイクスピアはいまだ私を未知の世界に誘う、音読しかりである)

もしあのとき、タイムアウトという催し雑誌にピーター・ブルック演出、【ユビュ王】という文字が目に入らなかったら土取利行さんに出会うことはなかった。打っていると思い出が去来する。

あの偉大なピーター・ブルックも先年お亡くなりになった。46年の歳月が流れるなか、土取利行さんとの交遊は奇跡的にという表現しか思い付かないほどに続いている。氏のいまだ続く多分野に及ぶ膨大なお仕事の、折々を垣間見ているにすぎない私だが、その未踏の芸術家としての歩みの一部を、間近で体験できたとの幸運は筆舌には尽くせないものがある。

話を戻す。長くなるので、簡略して事実のみ忘れないうちに打っておく。ライブセッションが終わりロビーで、エリック・マリアと10数年ぶりに再会した。(実は私はエリックを岡山のオリエント美術館でソロライブを企画したことがあるのである。改めてエリックはすごい演奏家に成長していた)ビックリ、エリックはすぐに私を見つけ笑顔で近づいて来てくれた。メールアドレスを交換し、旧交を温めた。

最終電車で西大寺に戻り、昨日は再び午後一時から多度津の海岸寺というお寺で、エリック・マリアが空海ご生誕1250年を祝、奉納する演奏を体感するために出掛けた。土取利行さんが幼少期を過ごした多度津の海も散策する時間が持てた。土取利行さん、エリック・マリア3人での記念の写真も裏方の0さんが撮ってくれた。空海ご生誕1250年の節目の空前絶後のイベントに立ち会え、なんだか老いて生き返ったかのような至福感に包まれる。

瀬戸大橋を二日に渡って往復したのだが、このようなこともあのようなことも、まさに春の世の夢とでもいうしかないようなイベントに遭遇したこと、が夢ではないことをきちんと五十鈴川だよりに打っておかねばと念う。



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