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2024-04-06

体調が戻り、気づけば満開の桜の春に想う、今朝の五十鈴川だより。

 先週から微熱が続き、なんとか2回目のリーディングレッスンを終え、よく月曜から水曜日まで安静にして、熱が下がったので木曜日から肉体労働バイトに復帰、4月にはいって最初の五十鈴川だよりを打つ気になるほどに体調が回復した。

妻丹精の春の訪れ

改めて体の気の充実なくして何事もならずという、当たり前のことの重大さを痛感しながらも、生来の楽天さは変わらず、ダメなときは何をやってもダメと、すぐに諦めるのも私の性格のよいところと、自分を慰める。

パラリンピックの言葉と知りましたが、失ったものを数えるな、今あるものでベストを尽くせ。古稀を過ぎてからはこの言葉が、実にしっくりと来るようになりました。60代の頃とまったく異なって、あれもこれも手放し、現在はどうしても手放せないことにのみ、情熱の残り火を傾注するように、以前にもまして日々の暮らし方をシンプル至極にしている。

手の届く、真からやりたいこと以外はかたくなにやりたくないというか、もっと言えば、これからは一年一年やりたいことにのみエネルギーを集中する。(もちろんオフ時間を大切にしながら)それ以外のことはやらないし、肉体的にやれないという厳粛な事実を生きるのだという覚悟がすわって来たのである。

70歳を過ぎたら義理を欠けという言葉があるが、しかりとうなずくのである。命は有限、以前だったら2日も寝たら回復していたものが、倍はかかるのが老いという冷厳な事実と受け止める。だからといって後ろ向きに生きるのではもうとうない。

3月23日に始まったリーディング音読、早くも明日で3回目のレッスンが行われる。気がつけば桜のはなが満開である。知らぬ間に季節はうつろいあっという間に私の春は過ぎ行く。だからこそ、一期一会レッスンを大事にしたい。いい意味でどこか諦めかけたシェイクスピアのリーディング音読、Nさんのお陰で実現している。その事がにわかには信じられないくらいなのであるが事実である。コロナ以前と以後では自分のなかでの変化がやはりいちばん大きい。

臥せっている間に桜が満開。人生時間が短くなるにつけ、森羅万象が輝く春の訪れの素晴らしさに見入られる。この季節のなか、4年ぶりにシェイクスピアの日本語の音読レッスンがやれる。無名の私のレッスンに連続して参加してくださるかたがいる、ということのありがたさがしみる春である。


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