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2017-11-25

初冬の真夜中五十鈴川だより。

五十鈴川だよりは、特に今年から、といってもいいくらいわが日々の暮らしの中で大切になってきた。よたよたとではあるが何かにすがるかのように恥ずかしげもなく書き続けてきたがゆえに、この先自分がどの方向に向かえばいいのかが、かすかに見えてきたようなきがする。
遊声塾のY氏が高梁自宅のの山で育ててくださった我が家のシイタケ

あきらかに下ってゆくわが人生の旅路の方向が、よりシンプルに、もっと書けば この方向に下ってゆくのだという覚悟のようなものが、ようやくにして少し生まれつつあるかのような気がしている。

軽佻浮薄な己との長い長い付き合いの中で、ようやっと静かな重しのようなものが、生まれつつある実感とでもいったものが。ヒトは何かをあきらめ、何かを捨て、その痛みと共に、何かを得るのかもしれない。(この年齢でリア王と再び巡り合ったのは実に意義深い)

ともあれ、人生で初めてではないかといってもいいくらい、落ち着いた日々を生活している実感がある。それはきっと 、細き途を何とか歩き終え、今はほとんどやりたいことしかやっておらず、やりたいことだけで、健康に何かと充実した生活が営めているおかげなのだと思っている。

以前のように出かけて、あれやこれやと知の充実を追いかけなくても、(書物を読むことや旅は別)身の回りのあれやこれやを きっちりと丁寧に生活することの大事に、おそまきながらきづきつつあるのだ。満ち足りた安ど感。
2年半かかって生まれ我が家に運ばれたシイタケの子供、Y氏に感謝

ところで、シェイクスピア遊声塾だが、もろもろの逡巡の末今しばらく塾を継続することにした。私のささやかなレッスンに、奇特な5名の塾生が継続の情熱を示している。そのことに答えるべく私としては、今しばらく努力をしなければとの思いが湧いてきたのである。

ただ継続すればいいというのではだめなのだ。私自身の中に何かが燃え続けている情熱を消さないためには、より生活をシンプルに 、限られた時間をその情熱の発露に向けたいのである。幸いにして、シェイクスピア遊声塾のおかげで、この5年間を有難く過ごすことができた。

今年から新たに弓の稽古の時間が加わり、可能な限り肉体労働をし、そのトライアングルを軸に、下り坂をゆるゆるとおりながらも、しばし精神世界の、奥深きこれからを、今しばらく注意深く過ごしたいと私は 考えている。








2017-11-22

義母は私にとっては、日々鏡のような存在になりつつある。

10日ぶりの五十鈴川だより、うーむ歳月人を待たずというが、まさに流れるように月日が過ぎ去る。

実はこの間、一度ブログを書いたのだが、何か無意識に私が変なキィーを押したのか、瞬時に想いを込めた一文が消えてしまった。以前の私だったら、かなり悔しがったかもしれないのだが、最近は仕方ないといい意味であきらめるくらいには大人になってきた。(やはり大事なことは手で書くこと、と知る)

私がいつまでこのようなわがままブログを書けるかは神のみぞ知る。わからない。生成しながらも老いてゆくという、極めて生き物としての当たり前の自分という器 を引きずりながら、幕が下りるまでは右往左往するのだろう。

さて、すっかり冬めいてきて、我が家の薪ストーブがフル稼働し始めた。家族が寄り添って、語らずともストーブの周りで、思い思いの時間をすごす、冬の夜長時間が私はことのほか 好きである。

夜は静かにストーブの炎を眺めながら過ごせれば、もう私にはほかに何も必要がないと思えるほどである。家を建て替えた時から燃やし続けているからもう17年間使っている。

きっと、私がこの世から見えなくなっても、ストーブは家族が使ってくれるだろうと思う。何かを守ってくれるだろうと思う。ところで、先週の日曜日、2年ぶりに我が家のご神木ともいえる、月桂樹の木の剪定を、妻と母の3人でした。

はっさく、金木犀、月桂樹の3本が わが家のご神木である。月桂樹の成長力はまことに持ってすさまじい。見えないところで樹木、雑草をはじめとする植物群は、瞬時の休みもなく、根を伸ばし続けて水分、養分摂取をしているのだろう。何事もどっしりと根を張るには歳月がいるのだ。

毎年誰かのために編む母の手編みのソックス

剪定した枝葉をひもでくくり、束にしたのだが9束にもなった。私が脚立に登りノコギリやハサミで切り、母と妻が束にする。最後の落ち葉の掃除も含めおおよそ2時間くらいで片付いたが、母が元気で手伝ってくれるのが、(元気でいてくれているそのことが)ことのほかに私はうれしい。

母のことは、繰り返しこれまでも何度五十鈴川だよりで書いたので、もうこれ以上は書くことは控えるが夢が原リタイア後、母と過ごす週末時間を私はことのほか大切にしている。もう5年が経つ、それは、きっとこれからはそのような時間が、やがては過ごすことが難しくなる時が確実にやってくるから、妻と共に母との時間を大切にしたいのだ。

毎週末、妻と 母と3人で何かしらのことをやっているが、童女のようにふるまう母との時間は、ことのほかに愉しい。おおよそ500メートル、母はひとり暮らしの家から我が家まで自転車でやってくる。

時折はお泊りするが、いまだひとり暮らしがいいのだとのたまう。見上げたものである。かくも自立し、泰然自若し続ける根性は一朝一夕になるものではない。

手仕事が得意で、土に親しみ、何かしながら日々感謝している。つましくも、充実した暮らしぶりという言葉が、かくも似あう高齢者をほかに私はしらない。

私には、母はカッコイイのである。まるでエゴイズムの上昇志向が見受けられない。家族や他者の幸せのみを、ただ単に願う日々の過ごし方は、いまの私にとってはお手本の鏡のような存在である。


2017-11-12

開塾5年目【リア王】を読みながら悪戦苦闘の日々、シェイクスピア作品の偉大さに改めて気づく。

ことしの2月11日に弓道を始めたので、昨夜弓道教室の帰り9カ月が過ぎた。どの世界であれ、自分の体と向かい合いながらの、修練はことのほかに難しい。

丸5年近く、毎週水木の夜、声を出し続けてきて、思うのだが、継続は力なりと言葉では言うが、継続することの中で、自分の精神と体がいまだ微妙に変化し続けている。そのことの自覚がある。だから続けている。

還暦を過ぎ、私のようなやわな心の持ち主は、内向きになりがちなのであるが、シェイクスピア遊声塾を立ち上げたことで、日々のこころの張りのようなものが、いまだずっと継続できていることの有難さは、感謝しかない。塾生の存在があったればこそである。

だが、昨日も書いたが何事にもやはり、潮時、一区切りの時のようなものが自分の中に湧いてきている。
ひょんなことでシェイクスピア作品を声に出して読み知づけられる今、ただ感謝。

どのような感情なのかを説明するのはいわく言い難いのだが、継続的にシェイクスピアを声に出して、読み続けてきたおかげで、私自身は以前にもましてシェイクスピア作品の魅力を深く味わえるようになってきた、気がする。

軽薄な私が声を出しながら一行一行読むことで、 登場人物の魅力をより深く分析しながら、声を出す喜びの気づきが深まってきたのである。

発見できる間は、(体が続く間は)何らかの形で魅力的なシェイクスピア作品と私は格闘したい。

が、私はいいのだが、塾生はどうなのかを、今一度確認し、どのような形で継続してゆくのが一番いいのかを、昨日も書いたが思案しているのだ。

開塾、5年目、いま【リア王】を読んでいるが、悪戦苦闘している。作品の持つ、リアをはじめとする登場人物が、その関係性の中で(主に親子の)あまりにも私の実人生では、経験したことのない言葉の洪水を発するので、その言葉のエネルギーに、肉薄するのがはなはだ難しいのである。

でもなぜなのかはよくわからないが、私はリア王を、声に出して読める今を 僭越だが悦び、楽しんでいる。リア王は、私にとって謎の多い物語である。(シェイクスピア作品には謎が多い、またそれが魅力なのだ))読んでも読んでも謎は深まるが、声を出すことで、かろうじて、岸壁に縋り付くように声を出している。

まさにこの世は謎だらけ、だからこそ面白いのだという側に私は立つ。シェイクスピア作品は、よくはわからない謎の存在の人間と、その世界の関係性を鮮やかに、見事というしかない言葉で抽出しているがゆえに、繰り返し声に出して飽きないのである。偉大なる言葉の劇詩人である。











2017-11-11

夢が原退職後丸5年、いい意味での転機の訪れを感じる朝。

よく寝た朝は、気持ちがいい。先ほど休日の妻とゆっくりと朝食をしながら、夫婦の語らいの時間をもった。

陽光を浴びる吊るし柿を窓の外に眺めながら、11月11日の五十鈴川だよりである。さて、うまく想いを伝えられないので詳細は控えるが、思案の数日を過ごしている。始まりがあれば、必ず終わりがある。
部屋から眺める吊るし柿

中世夢が原を退職後、立ち上げたシェイクスピア遊声塾も早5年目がすぎようとしている。いい意味でここいらでひと区切りし、今のメンバーでの存続も含めじっくりと考える時間が、私に訪れている。

山陽カルチャーの講師としての役割も、ここいらがいい潮時という感じで、年内で終えたいと思っている。シェイクスピア遊声塾も、ここいらでいったん立ち止まり、来年の5回目の発表会をやるかやらないかも含め、一度塾生共々考える時間を持ちたいという気持ちになっている。

わが家族にとってもこの5年という時間は、いろんなこと起こり、長女が結婚し来春には子供が授かる。否応なくいろんなことを考えざるを得ないシチュエーションに追い込まれる。でもこれは天啓と私は受け止めている。

私はすべてのことを、丸ごと受け止め、 何事も真摯に考え、悔いを残さないように、いい方向にと、冷静に思考を整え、結論をゆっくりと出したいと、いま考えている。

これまで、悩みや転機が訪れると、いちどすべてをなんとかリセット して、かろうじて新たな生を獲得してきた経験が、私を支えている。終わりは、新たな始まりである。

今日はこれから、母の畑のお手伝いにゆかねばならないので、本日はこれにて。





2017-11-04

夜明け前の五十鈴川だより。

肉体労働をした日の夜は、ことのほか早く睡魔がやってくる。したがって、余計なことはしないで、ひたすら早くからだをやすめたくなる。

早く休むと、必然的に早く目覚める。この早寝早起きのリズムは、中世夢が原に通っていた時から、身についたリズムで、おそらく元気に生きて生活できる間は、やむことはないだろう。

何度も書いているが、夜あれほど、体がまるで棒になったかのように、頭も動かなくなっていたのに、ぐっすりと熟睡すると、あら不思議生き返ったかのようにわが体は新鮮に動き出す。週に4日の午前中は、私にっての 至福時間である。
部屋から撮ったのと外から撮った、我が家の秋。Y氏のおかげである。

このありがたいという至福感覚は、肉体労働をしているからこそ持てるのである。今の私は、以前よりずっと、週に4日の自由時間を大切に過ごすことにしている。要はメリハリ、バランスなのだが、(詳しくは書かないが)なにやらいい感じで、以前にもましてこの2カ月が過ごせてている。

そして臆面もなく書くが、以前にもましてあらゆる生活些事に関して、感謝する気づきが深まってきているようにも感じられる。 昨日仕事の帰り、ほぼ満月の月の出を東の空に眺め、先ほど西の空に浮かぶ、夜明け前の白い月を眺めてのち五十鈴川だよりを書けるなんて、これを私は至福感覚と呼ぶ。

時折しみじみと、滋味あふるる初老感覚を味わえるのは、私が初老になるまで生きながらえることができたが故である。

話は変わるが、生きている意味が解らないという、自殺願望の若い方が、(私はインターネットもない全アナログ時代に青春時代を過ごしたので、今の若い方たちと感性が異なるので比較しようもないが)増えているのが、どうにも不気味な気がしてならない。日本人は母なる大地をわすれ、画面を眺めて過ごす民族になりつつある、気がする。(だが私は決して悲観はしていない、素晴らしい日本人はいまだたくさんいる)

時代が、肉体をはるかに凌駕するかのように、あらゆる刺激的な情報が瞬時に伝わり、そういうツールがないと生きられないような環境で、成長した体は、いかなる精神的な成長がみられるのか、皆目私には想像することが難しい。

ただ想像するだけだが、物や情報がこんなにも満ち溢れていると、その洪水の中で体が否応なく溺れそうになって、自分で体を動かして全感覚で額に汗して考え身につける、生きて生活することの中で、緩やかにまっとうに人間性が育まれてゆくことが、困難な状況を生きているのではないかという気がしてならない。(そういう意味で私は今の若い方たちに深く同情する)
母と二人で剥いた。陽光にさらされなんとも美しい。

寝起きなので、これ以上の論考は控えるが、極めて当たり前の人間的な感覚は、貧しき国の貧しき民ほど、持ち得ているという気が、いろんな国を若いころ旅して感じてきたことである。

経済大国の根本が揺らいでいる。おごれるものは久しからず、いまや人間性も含め大企業の不祥事ほか、あらゆる分野でのごまかしや隠滅、日本人的美質のようなものが、風前の灯のように感じられるのは私だけだろうか。

私の小さいころには、貧しくとも品格を失っていない、多くのよく働く、第一次労働の日本の民がわんさかいたように思えるのだが、いまや自戒も込めて 、立ち止まって考える。自分自身は、どうなのかと。

自分自身も含め、ヒトは安きに流れやすい生き物なのかもしれないが、そこで矜持をもって生きてきた多くの先人たちの英知や遺産を知ることによって、我が身をただすことができる。

昔から、まっとうに全身を動かして働き、えたお金をゆめゆめ無駄にせず、生きてきた多くの先人たちの生き方から学びたいと、この歳になってあらためて思う私である。














2017-11-02

小さき秋を、何やら充実して生きられる日々を、感謝しながらつづる五十鈴川。

昨夜は遊声塾のレッスンで、おそく寝たのだが、5時間熟睡して目が覚めたので、起きて朝湯を浴び、おもむろに五十鈴川だよりを綴りたくなった。

二日連続して、書くなんてことはいつ以来か。涼しくなり、ほんの少し肉体労働にも慣れて、体に余裕が生まれてきたのかもしれない。

ともあれ、囲炉裏通信も含めれば10年くらい、切れ切れにも細い川の流れのように、右往左往する精神の流れの在り様を、臆面もない日々を、熱しやすく冷めやすく、飽きっぽい私が続けていることが、ときおり不思議である。

でもまあ、心と体の調節機能として、自省機能として、私にとって今や五十鈴川だよりを書くことは、 書かないことは考えられない。

明治維新から150年、灯火親しむ秋です

書禅というとオーバーだが、静かに自分と向かい合いながら、想いが浮かびつづれるということは、何かしら日々を新鮮に感じられるという意味において今や欠かせない。初老時間の楽しみである。

じっと、パソコン画面に見入りながら、指を動かしていると、なにやら指が勝手に動き出すのが、これまた不思議である。ことほど左様に生きて存在するということは、まさに不思議ワールドを日々体感することに他ならない。

凡夫の私などは、すぐそのことを忘れてしまいがちであるが、日々新陳代謝を繰り返しながら、動的平衡を保ち、古い細胞と入れ替わりながら、生きながら得ている日々の折々をつづれるなんて、ことのほかの有難さと感謝する。

ところで、昨日も月を十分に愛でることができ、よきレッスンができ、ことのほか何もなき在るがままの、良き秋の一日を過ごすことができた。

だからこそ、さやけきなにがしかを、生きている今自分がここにいるという思いを、つづりたくなるのかもしれない。外を見ると夜が明けてきつつある。

話は忽然と変わるが、昨夜遊声塾のY氏から、干し柿用の柿を50個くらいいただいた。今日はこれから予定を変え、午前中母と二人でむいて吊るす予定である。

この10年近く、秋が深まるこの季節には、必ずいくばくかの干し柿を造り続けているが、今年もY氏のおかげで吊るすことができそうだ。

吊るし終えたら、次の五十鈴川だよりに写真をアップしたい。

2017-11-01

30回目の結婚記念日、真夜中に想う。

今日から11月、一日の真夜中である。昨日は30回目の結婚記念日であった。下の娘がワインを買ってきてくれ、ささやかに祝った。

一口に30年、やはり相性というものがあるのだと想う。妻と、日に日に大きくなってゆく月に、感謝をした。

ところで、最近盛んに肉体労働のことを書いているが、何とか2カ月体がもった。そのことにもまた、月に向かって感謝をした。今のところ月火金の3日働いている。この二日間、晴天で仕事を終えるころには月が出ている。

日没がまた、なんとも言えず美しい。一日動かした体を、月とおひさまが癒してくれる。家から2分のところに会社があるので、働いた日はかえってすぐにお風呂に入る。これが何というのか、生き返るというとオーバーだが、湯(愉)楽である。

正直、今の私の年齢ではシンドイ作業(筋トレだ)もあるのだが、ありがたいことに徐々に体が動いて、何とか順応してくれている。一日やり終えた後の爽快感は、私のみが味わえる、これまた生きていればこその愉楽と、私は思うことにしている。
O氏に借りた本、難しいのですがゆっくりと読んでます。

肉体労働をしていると、 青春時代の終わりを過ごした富良野塾での過酷な肉体労働の日々をいやでも思い出すが、あれを乗り越えられたのが、やはり経験値として、限りなく大きい。

あの日々を経験しているからこそ、この年での肉体労働が続けられているのは(まだ2カ月だが)まず間違いない。

この歳になって、若い人たちとともに体を動かして過ごせるのは、なんともはや有難いことであると思う。今のところ、リストラの気配もない。私のようなあまのじゃくは、やはり何か役に立つ体が、未だあるという、単純さが私を支える。

妻の父は大工さんだった。母も妻も汗をかいて働く父親の姿を見ている。暑い日も雨の日も、現場で働く肉体労働者の大変さは、やったもののみが、身体を通してわかる感覚である。でもそれが気持ちのいいのだ。メリハリがはっきりとしている。

職人は、仕事ができる人に共通しているが寡黙である。中には一見怖い顔をしている人もいるが、本物ほど、意外と優しく気配りができる。

そのような職人さんと共に、この年齢でお仕事をご一緒させてもらえる今を、私は感謝している。そこには一切の甘えは許されない 。

現場に入ると、ピーンとしたいい意味での緊張感がある。男にとってはこの感じがいい。時代は鵺のような先行き不安が、あまねく社会全体を覆っているかのような、不透明感に満ちているが、地面と向かい合いながら、アウトドアでの職人世界は、限りなくシンプルで潔く、今の私にはあり難い仕事である。

とりあえずまずは、3ヶ月を乗り切りたい。持続力、集中力を修養する体力を身に着けたいと、念う。