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2021-09-27

【シェイクスピア音読自在塾】無事にスタートしました。そしてささやかに想う。

これからの写真はすべて彼女の写真です

写真塾生の芳原佳代予子さん

 9月26日日曜日、午後2時から、シェイクスピア音読自在塾のレッスンが始まり5時に無事にレッスンを終えることができた。すべては一から始まる、この事実を先ずはきちんと打っておきたい。

塾生はひとりKさんのみ、私には十分である。第一回のテキストは【オセロ】である。kさんが読んでいない作品を、ということで二人で決めた。他者がいてレッスンをするのは閉塾以来だから、お互い一年半ぶりである。

我が家のリビングルームはかなりの広さがあるので、コロナ渦中十分な距離

 を取り換気をし、椅子やテーブルの位置を変え顔は横向きで緩やかにスタート、登場人物のほとんどを交互に音読していった。ただデズデモーナだけはずっとKさんにおんどくしてもらった。

結果は、私がくどくどと打つことは控えるが、これ以上は望めない形でのスタートが切れたのではないかと 思っている。最初がとにかく肝心なのは言うまでもない。途中何度か休憩をはさみ、5時までの時間があっという間にながれ、何とか3幕に入ったところまで音読することができた。

お互い一年半も音読していない、特に私は手術入院後は、ほとんど音読していなかったので、内心不安がなかったといえばうそになるが、やはり体は以前の音読リズムを記憶していて、努めて無心で日本語の文字を追い音読し始めると、勝手に体が時折自在に反応してくれ、Kさんとのやり取りがスムーズに進んだ。 

Kさんも、初見での素読に必死で挑む。多彩な登場人物の言葉を、肉体に取り込みながら、瞬時に音にしてはいてゆく繰り返し、考えている暇はない。瞬く間に時が流れた。お互いが今を生きている感覚を共有しながら、手ごたえを感じながらのレッスンを、無事に終えることができた喜びを、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

これは謙遜でも何でもなく、わたくしごときのわがままな私塾に、まして時代とはずれまくっている初老男の塾に、Kさんはよくよく考えて飛び込んできてくれたのだから、私としてはただただ微力を尽くす覚悟しかないのである。

考えに考えたら、あとはアクション、犀を投げ転がる方向に、自転してゆくのみなのである。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、とは私のこれまでをどこかで支えてきた言葉である。

ヒトは安きに流れる。(私のことである)私がこれまで憧れたり、畏敬してきた、今も畏敬している方々は、安きに流れない方たちである。わたしに多大な影響をあたえつづけている方々たちの面影を浮かべながら、小さき塾なれど、その方々から無言のエネルギーをいただきながら、Kさんと共に今生きている自らの存在を確認し、お互いコトバを発し合い、こころをキャッチボール、自在な塾の根を張りたいと、しばし老いは禁句、細身の体に言霊の霊力を浴びたいと思うのである。

 


2021-09-25

1年半ぶり、シェイクスピア遊声塾から【シェイクスピア音読自在塾】へ。明日から我が家で音読開始します。

 生きていればこその朝が来た。休日の朝はまた一段とうれしい。夜明け前、西のそらにはかけてゆく残月がのぞめる。まだ暗い、この静けさがたまらず私は好きである。起きてそんなに間がないのに、もう五十鈴川だよりを打っている。

この何やらわけのわからない、自己確認ルーティンワークは、打つ直前まで何が打てるのか、おもいが生まれてくるのか、本人にもほとんど判然としない 。うっているうちに、意識が流れ出し、うてるのである。私にとっては、単なる自己満足の域を出ない便りなのだが、数はともかく、読んでくださっておられる方の存在は、やはり老いゆく我が身に火を灯らせる。

単細胞なので、複雑怪奇な人体の構造と機能、脳のシナプスがどのように点滅、つながったり、消えたりするのかは皆目わからないし、もっと打てばあまりそのようなことには、関心がない。

現代を知らない、生きたこともない、昔人たちに限りないシンパシーを私はもつ。(電気も車も電話もないハイテクノロジー以前の社会の、いまわれわれが生きているように、みんな苦悩の中生活し生きていた)その昔人たちの無数の死者たちの声に耳を澄ませることに、これからの限りある時間を生きたいと願う私は、確かに現世に生きてはいるが、感覚的にはもうほとんど死者の側を生きているといっても過言ではない。シェークスピアはじめ短くもギリギリの生を燃焼しつくし、遺された珠玉のコトバは、今を生きる私に限りない勇気をくれ、貧血気味の老体を輸血する。その血は体の毛細血管を刺激してくれると確信する。

思わぬ展開で見切りスタートする【シェイクスピア音読自在塾】は明日我が家で始まる。コロナ渦中なので、旧遊声塾の方たちには、メールで簡潔に伝えた。全員ではないがそれぞれ反応をいただき、この場を借りて深く感謝をつたえたい。これで私の中で、遊声塾から音読自在塾へとすんなりシフト移行ができる。

時代が変わり私自身が変わる。時の移ろいを生きる人の心は無常にゆれる、ヤドカリが殻を変えるように、変身しないと気持ちが悪いのである。おのれを偽ることは、単細胞の私には無理である。これはもって生まれた性格ゆえのことなので、私にはどうしようもない。

コロナ渦中生活の一年半が、思いもよらぬこの時代の推移が、はじめての私にとっての大きな手術入院が、私を変えたのは間違いない。ただ単に愉しい、内なる血が流れない世界への痛みへの想像力が伴わない塾は無理なのである。時代の足音は、私には不気味である。寺山修司の芝居のタイトルではないが【血は立ったまま眠っている】ような塾はやりたくない、のである。

何かを捨て手放し、何かが見つけられるかもしれない世界へと、いざなうのである。よしんば見つけられなくとも後悔はしたくない。いまだ続くコロナ渦中、出発に際して一人の塾生の参加があったことが、やはり決断した大きな理由であること、五十鈴川だよりにきちんと打っておく。

おもいの深さは、コトバの饒舌さではない。短い語彙のメールにも言葉の神が細部に宿るのである。話は変わるが、私は必至で生きている不器用な人が好きである。勇気のある人が好きである。想像の世界では、安全安心は何も生まない。想像の冒険をこそがいまは必要だと思考する。軽薄な私自身を承知している。そのような男の塾に参加者がいるという不思議。在り難いという以外のコトバが浮かばない。

18歳から世の中に出て、時に自己嫌悪に何度も陥りながら(それは今もである)そういう自分と対峙しながら、折々内省しながら、綱渡りのように何とか現在まで生きてきた(これた)という認識がある。

このような私が還暦を過ぎ、遊声塾塾を立ち上げ、閉じ、今また音読自在塾を立ち上げる。生きて在ることのハムレット的存在感のはかなさ、このままでいいのかいけないのかまさに問題はそこだ。

時折どこか自分でも信じられないのだが、一人の塾生の存在はこれまでの私の人生が無ではなかった証のようにおもえ、老いゆくわが体に今ひとたびの情熱の発露を灯す。明日のレッスンが楽しみである。

2021-09-23

【ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾】9月26日から開始、そして想う。

 予期せぬ思わぬ早い展開で、音読自在塾を開始できるとは正直思わなかったと、打たなければならない。が、やはり命運の時は、このコロナ渦中であれ、静かに流れ、考えていたことのあれやこれやが発酵し、機が熟していたのだと今は思える。

さて、今日は春に手術、退院してちょうど半年である。再び新しい塾を再開できるなどとは 半年前は想像だにできなかった。あれから半年の時が流れ、結果遊声塾を閉じ、音読自在塾を静かに始めることになったのは、やはりKさんとの縁が大きかったと、そのことを五十鈴川だよりに記録的に打っておきたい。

運命の糸は、どこでどう絡み合い、もつれ、ほどけ、また新たに結ばれるのやら、私自身まったくわからない、というしかない。手術入院を家族やながいつきあいの友人以外には知らせていなかったときに、Kさんから思わぬ長いお便りメールをいただいたのが、音読自在塾に結実したのは間違いない。

私はコロナ渦中自粛生活の中、リハビリ労働を続け、閉塾する意思を固めつつ、先の見通しが見えない中新しい塾を立ち上げるための準備をしていたのだと思う。 話を戻すと、Kさんからのお便りメールの内容は、私の思いもしないことがつづられていて、私の退院間もない体の奥に届いたのである。

とりあえずの返信に手術したことを伝え、その後、どうしてもお会いしてお礼を伝えたい方に倉敷であった際、Kさんにもお声掛けし、わずかな時間再会がかなったことが、音読自在塾につながったのだというしかない。(その時は話がほとんどできず心苦しかった)

話は変わる、7月24日次女に初めての男の子供が授かり、8月半ば8日間ほど上京した際、コロナ渦中に授かった孫の顔を眺めながら、久しぶりにKさんに少し長めのメールを打ったのだが、その返信にも変わらぬ音読へのおもいがつづられていて、徐々に私の中で、Kさんのおもいに応えられるような新しい形での塾ができないかと、一気に私の中の何かが動き始めたのである。

時に、小心者の私の心が裏返り、大胆な行動に走るのは、もって生まれた性格である。Kさんは本人でさえようとしない新しい塾に、一人でも参加したいとまで言ってくれた無謀なヒトなのである。先のことは考えず、ここはひとつ受けてアクションを起こすことだと九州男子の決心がついたのである。すべては一から始まる。

Kさんは西大寺まで来てくれるという。コロナのために、西大寺の公的な施設が9月中は閉館し使用できないのだが、妻が一人なのだし家でやってもいいといってくれたので、Kさんが良ければ今週の日曜日から、ゆるやかに開始することにした。


 

2021-09-20

久方ぶり、Kさんに私の念いを伝え、再び音読への静かな情熱が湧きまずはレッスンを開始、そして想う。

 塾を閉じる前、一番新しい塾生であったKさんと本当に久しぶりにお会いし、昨日も書いたように、今現在の私のこれからやりたい、再出発の塾へのおもいを直接伝えるべく、お会いし話ができた。

一方的な私の思いを、ただただ根気強く彼女は聞いてくれた。まずそのことへの感謝を、きちん、と五十鈴川だよりに打っておきたい。久しぶりに会って最初に抱いた印象は、閉塾前よりもずいぶん大人になられた(ごめんなさい)感じで、上手くは言えないのだが、このコロナ渦中でも、きちんと生活されている雰囲気が感じられ、私はうれしかった。

さて、そのようなKさんとの再会時間は、私のこれからの新しい塾へのおもいが、老いたからだから、いまだあふれ出て、瞬く間に3時間以上が流れた。

彼女と別れ 家に戻ったのちも、気分が高揚していて、とりあえず第一回目のレッスンを、思いついたら吉日、いつどこで始めたら始めようかとの思いが、頭の中を揺れ動いた。気分を抑えるために窓から月を眺め瞑目した。そして、はっきりと決断した。

彼女と相談して、彼女の都合のいい時間帯、そして私の都合のいい時間帯と折り合いをつけ、年内は夜ではなく(彼女一人とのレッスンなので)午後からのレッスンをやりたいとつたえることにした。

夜でなければ、岡山まで私が出かけることもできるし 、二人だけならコロナ渦中でも、距離をとって音読ができるのではないかと考え、とりあえず、彼女の都合を優先し、とにもかくにも、第一回のレッスンを始めることにしたのである。(今日彼女に伝える)

こんなにもの急な速さでの、おもわぬ展開、彼女との直接再会で、私の中に在り難さと、嬉しさが満ちて、Kさんとのまずは二人だけのレッスンから始めたいとの思いが、静かに強く湧いてきたのである。

私とのレッスンを望む、貴重なKさんの存在は今を生きる私に静かに火をともしたのである。陽が沈み月の光を浴び、私の中に音読への情熱が再びわいてきたのだ。Kさんの存在がなければ、シェイクスピア音読自在塾は生まれなかったかもしれない。

ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾は、遊声塾とは異なり、シェークスピア以外の作品も音読するし、時に企画もしたりする変幻自在な塾を目指す。そのためには少人数の小回りのきく塾でありたい。

そのためには論より証拠、まずはゆっくりと。だが人生時間は有限、受け売りだが哲学者のカントは言っているそうだ。ヒトは活動している中でのみ、生命を感じると。であるならば音読できる今、活動するだけである。


2021-09-19

【ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾】を立ち上げることにし、直接思いを伝えるためにKさんに会うことにしました。

 珍しく今日の午後ヒトに会う。午前中は妻との用事がある。合間は昨日書いたようにチェーホフに関する本を読むつもりである。

午後に会う予定のKさんは、閉塾を伝えたのちも時折連絡をくださり、塾への参加は一番遅い方である。コロナの出来で突然の休塾、したがって発表会は一度も経験していない。

休塾前、夏の夜の夢を発表会に向けて音読する中、若い男役のディミートリアスを、読みます、と名乗りを上げた女性なのである。物おじしない向こう見ずなところが若い時の私に似ている。

私がポストコロナを見据え、とりあえずどのような形であれ、以前のような塾ではなく、先のことは考えず、再出発の塾をやる際は、一人でも参加したいといってくれた奇特な方なのである。

そこまで言ってくれるKさんのことは、私も心の片隅でずっと気に留めていたので、時候もよくなり私自身の体調も依然とほとんど変わらない程度に回復しているので、いまの私の 思いを直接伝えることにしたのである。

世代、性差を超えて、私のおもいを伝えるために 小さなメモ帳に箇条書きで3ページくらい、新しい塾への思い考えを数日前書き留めた。企画をするにも、何をするにも心に浮かぶパッションがなければ物事は進まない。遊声塾を立ち上げた時もそうだったが、案ずるよりも、である。

とりあえず新しい塾に、以前からの塾生が参加するのだが、Kさんは一度も発表会を経験していないし、遊声塾に参加するまでは人前で声を出したこともない方なので、色がついておらず、素直でまっさらなので、私としてはうれしいのである。

未知の世界に飛び込むには、やはりかなりの勇気と覚悟と努力の稽古は必然である。そのようなKさんとの世代を超えたレッスンを、一から先ずは始めようとの思いを伝えたいのである。

うまいとかへたという次元の塾ではなく、個性の純粋さ、今を必死で生きている、がむしゃらさが、ひたひたと伝わる音読者の塾がやりたいのである。

彼女が受け止めてくれれば、コロナ渦中ではあるが、距離を保ちマスクをしての静かで小さな音読から始めようと念う。場所は未定だが、名称は【ヒダカトモフミのシェイクスピア音読自在塾】に決めようと思っている。

2021-09-18

台風一過の秋晴れ、3連休はチェーホフに関する本を読んで過ごすことにする。

 思ったほどの風雨もなく台風14号は去っていった様子で、穏やかな土曜日の朝を迎えている。雲に覆われているが、かなたには青い空もわずかに望める。単細胞人間としては、空の割れ目から青空がのぞめると、それだけで雨続きの後の朝は気分がまさに晴れる。

午前4時には目が覚めたので朝湯につかり、コーヒーを淹れ自分にとっての一仕事の決まりきったかのような雑事をすませて 、軽く朝食を済ませてのちの五十鈴川だよりである。

さて、世界文学全集のなかに収められていた、チェーホフの短編小説14作品を読み終え、もっとチェーホフの作品が読みたくなっている私である。医学生の時から生活のために小説を書き始め、後年は劇作に没頭、命を削る様に4大傑作を書き、最後【桜の園】を書きあげた翌年、44歳の若さで亡くなっている。

当時としてもあまりのはやさでこの世ととお別れした運命を、ただただ思う。だが素晴らしい作品が残っている。翻訳で今チェーホフの作品が読める幸せを私は感じている。あの時代のロシアのチェーホフがたどった人生のいくばくかを、本格的にわずかにではあれ、知りたくなってきた自分がいる。

何故チェーホフ作品にこうまで惹かれるのかについて打つのは、もっともっと作品に触れ、もっと学んでからのことにしたいし、そのような時間があればの話に、今はしておきたい。

それよりもゆっくりと、作品を音読したり、集中力のある時間帯に黙読したいと、今はただ思うのである。

生きるために、生活者として作品を書き始めたチェーホフ。文章、作品を売って生活費を稼いだチェーホフ。私もまずは生活者として生きながら、必死で稼ぎ演劇を学び始めたものとしてどこか惹かれる。そして今も老いバイトをしている。

老いつつも生活者の視点からの音読生活、企画者生活を生きたいと考える私にとって、何故かチェーホフ作品は私の心をとらえるのである。ままならない生活に苦悩する 当時の人々の、まさに出口の光が見えず煩悶する姿は、時代を超え、国境を越え、私の心をとらえて離さないのである。

前回も書いたが、まさに今の年齢でタイミングで読んだからこそ、こんなにもチェーホフの書く、置かれた立場、状況での登場人物の語るコトバが、私の胸に響くのである。移ろう肉体、移ろう魂。明確な答えは当時も今もない。厳しい現実がぽっくりとあてどなく茫洋と無限に広がっているだけである。

だが人間は生きてゆくのである。きっといつの日にか希望に満ちあふれた未来がやってくるのだと。チェーホフは明確なコトバは遺していない。(それはシェイクスピア同じ)

だが、人間に対するて哲学的なおもい、観察眼の深さ、存在を持て余す登場人物への 限りないやさしさ、愛情は行間から私の胸に届くのである。だから、私はチェーホフが生きた足跡、当時の時代背景をもっと学びたいと謙虚に想うのである。(元気に過ごせるこれからの時間、チェーホフの短命を想うと背筋が伸びる)

 

 

 

2021-09-15

コロナ渦中自粛生活で、チェーホフの短編小説を読み、チェーホフのすごさを再認識し、そして想う。

 ぐずついた雨模様の天気が続いている。起きたら雨なので、アウトドア労働バイトは今日はお休みすることにし、さりとてぽっくりと空いた時間をどうするかといえば、私の場合は五十鈴川だよりを打つという、習慣があるのは有難い。

9月も中日、気候はすっかり秋の気配、菜種梅雨をどこか思わせる朝である。涼しいので本が実によく読める。実はこの一週間時間を見つけては、主に起きたての時間にチェーホフの14本の短編小説、(世界文学全集 に収められている)を読んでいる。

残【いいなずけ】だけである。この一年半というもの、コロナのおかげで、というしかないのだが、想わぬ読書時間を過ごしている。このことに関してはもうすでに何度もかいているので、ことさらな繰り返しは避けるが、もしコロナが出現しなければ、このような予期しない読書体験は、まずできなかったのではないかと勘案すれば、思わぬよき出来事、とも考えられる。

事程左様に、長くは続かないピンチであれば 、良き方に思考展開できる、コロナ時間を過ごせるまたとないチャンスをいただいた、この年齢でこそ至宝の本の数々に、巡り合えたのではないかと思えるのである。

年譜によればチェーホフ は1841年に生まれ1904年、44歳で亡くなっている。ロシア革命が起こるのはチェーホフの死後13年、1917年である。

チェーホフの死後117年、ロシアの大地が生んだ(というしかない)異国の偉大な劇作家(劇作はぐっと後である)小説の数々を、すばらしい日本語の翻訳で(昭和39年に発行されている。古びず十分に読める)読める幸せを堪能している。

ヒトもそうだが、本にも出会う、巡り合えるタイミングがあるのだということを、痛感実感体感している。古希目前、再び本格的にチェーホフの戯曲や小説に私は出会ったのである。

若い時に買って読んだ時には、あたまで通読しただけで、なんにもわかっていなかったことが、この度の読書体験で実感できたのである。このコロナ下の、そして今の年齢だからこそ、染み入る様に言葉の霊が(翻訳であれ)わが体に、肺腑に沁み行ってきたのである。

シェークスピア以外にも声に出して読みたい作家、作品が、コロナ自粛生活の渦中に見つかったこと、見つけられたことは望外の喜び以外の何物でない。声を出すためには、アウトドアで、労働で老いゆく体を日々見つめなおすしかない。ポストコロナを見据え静かに始動したい。



2021-09-12

ケネスプラナーのフィルム作品【シェイクスピアの庭】をDVDで見て、想う。

たまたまツタヤにいったら、シェイクスピアの庭というDVDが目に飛び込んできた。ケネスプラナー自身がシェイクスピアを演じかつ演出する。シェイクスピアが筆を折、故郷に帰って亡くなるまでの家族との再会、晩年のシェイクスピアの謎の生活に焦点を絞り描いている作品。

五十鈴川だよりに記録的にわずかでも打っておきたい。個人的にこれまでの人生時間の中で、高校生の時から、シェイクスピア作品にずいぶんと良い意味で影響を受け、今に至るもその作品のコトバの何かが舞い降りたとしか思えない詩的感受性には、脱帽し続けている。

【シェイクスピアの庭】状況に応じて、広大無辺に変化し移ろいゆく、人間の魂の高貴さから愚劣さまでを宇宙的視野の中でコトバ化し、今も世界中で翻訳上演され数々の傑作名作を遺したウイリアム・シェイクスピア。その偉大な劇詩人の晩年時間を描いたまさに傑作である。

高校生の時に見たフィルム、フランコゼフィレッリのロミオとジュリエット が私のシェイクスピアとの出会いだが、18歳で上京し、小さな演劇学校に入り学び始めた私は、シェイクスピアの作品が上演されると、かつかつの生活をしながらもできる限り劇場に足を運ぶようになっていった。

そのような時に当時、私が20歳から21歳にかけて、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(以下RSC)が日本公演に来ており、たまたま日生劇場で私はピーターブルック演出の夏の夜の夢と、ジョンバートンの演出の十二夜を見ることができた、そのことの幸運は、今もって五十鈴川だよりに打っておかねばという気になる。(くらいにすごい舞台だった)

 長くなるが打っておこう。シェイクスピアの庭で妻の役を演じていたのが、私が見た十二夜の中で双子の妹ヴァイオラ を演じていた、ジュディデンチなのである。あれから五十年近い歳月が流れている。風格というしかない静かな存在感に圧倒されてしまった。

話は飛ぶ。一念発起、数年バイトしお金を貯め、二十五歳から二十六歳にかけて、私はロンドンに遊学した。RSCを中心に!00本近くの舞台作品を見たが、今に至るもこの時に見て唸った舞台作品のベストワンが、トレバーナン演出の【マクベス】。マクベス夫人を演じていたのが、あれから6年近い歳月が流れたのちのジュディデンチ。そしてマクベスを演じていたのが、イアンマッケラン。

この二人の傑出したというしかない、火花を散らすようなシェイクスピアの原本のコトバの、韻律が耳に心地いい。鍛えこまれた肉体から発せられる、見事というしかないシェイクスピア劇の台詞術、神髄の妙に圧倒された日の出来事観劇(感激)体験は、まさに一期一会というしかない、わが生涯の今もっての宝の思い出である。

私はこの舞台をシェイクスピアの生まれた、ストラットフォードの大劇場ではなく、当時設立されたばかりの、実験的な小劇場、THE・OTHER・PLACEで25歳の秋に見みた。そして翌年、26歳の時ロンドンにやってきたマクベスを再び、(RSCにはロンドンにも本拠地劇場がある)これまたストラットフォードと同じ実験的小劇場WAREHOUSEでもう一度見た。

両方とも200人くらいしか入らない小さな小屋、劇場なので手の届く距離、二人のやりとりの凄まじさに若かった私は打ちのめされた。時にイアンマッケランの口からツバキが飛ぶ。眼底に焼き付けたかったのである。この観劇体験がなかったら、後年シェイクスピアシアターに入ることはなかっただろうし、シェイクスピア遊声塾を立ち上げることもなかっただろう。人生は偶然に偶然がもつれ合い、結果的に必然となる。

話をシェイクスピアの庭に戻す。このフィルムには、あのイアンマッケランもまた登場する。シェイクスピア役のケネスプラナー・妻の役のジュディデンチ・公爵役のイアンマッケラン。あれから43年の歳月が流れても、画面を通して聞こえてくる声はまったく変わっていなかった。

映画を見ながら、様々な記憶の糸がもつれ合い、ケネスプラナーのシェイクスピアへのおもいの深さが、作品化する執念が、フィクションとしてシェイクスピアの晩年生活に挑む情熱に打たれた。ケネスプラナー、ヒトは老いてなお深化する。

そしてケネスプラナーのおもいに応えて、ジュディデンチ、イアンマッケランもまた素晴らしい演技を披露する。二人もまたシェイクスピアへの敬愛の深さで応える、3人の友情が伝わってくる。老いてなお健在静かでゆるぎない演技力に私は画面を通して心から脱帽した。 

低予算のなか、わずか2か月くらいで撮影されたとは思えない、しっとりとした落ち着いた当時の家屋が残っているウインザーエリアの田園風景がなんとも言えず美しい。今の私の年齢に染み入ってくる。私がこの世から消えるまで面影は生きる。

若き日、ストラットフォードの白いユースホステルから劇場に足を運んだ時のことが思い出される。若気の至りに今となっては、人生は一度だけ、お導きがあったというほかはない。


2021-09-06

初秋、久しぶりの妻との休日ドライブ、そして想う。

何故だかは分からないが、昨日日曜日午前中、もうずいぶん前に行った、長船にある無人の野菜や野菜の苗 を売っていた売店のことをおもいだし、妻を誘ってドライブがてら行ってみた。

結果、このコロナ渦中、規模ははるかに記憶の中の売店とは異なり縮小されていたがあった。育ててはいない、オクラときゅーりとなす(は育てているのだが)それから妻はレタスの苗を求めた。スーパーで売っているものとは比較にならない、安さと大きさでビックリ、これが田舎に住む良さである。

やはりコロナの影響なのか、我々以外に求める人の姿はいない。めったに夫婦でドライブすることは少ないので(妻は児童館勤務なので土曜日曜の仕事が多く、私とともにのお休みが少ないのである)走ったことのない路をついでにドライブすると、ブドウを各種直接販売しているお店があったので、ちょっと立ち寄ったのだが、これまたスーパーなどで販売している価格よりも安く、二人で食べるには十分のブドウをひと房求めて、その店を後にしたのだが、この店にも私たちだけしか、お客の姿はなかった。

私はインターネットのランキングを見たりしてゆくことはほとんどない。ただ単に妻とドライブがしたかっただけである。晩年の父はどこに出掛けるにしろ、母との二人連れ、まるで小津安二郎の映画のような感じであったが、どういうわけか私もいよいよこれからは、妻との時間を共に大切に送りたいと想うのである。

これから先の未知の時間を、一緒に 過ごせるひとときを大切にしたい、ただそれだけである。共に暮らし始めて35年の歳月が流れたが、このコロナ渦中生活の今、ほとんど二人だけで、家で過ごしている。家の中にいて、お互いの居場所でお互い好きなことをやりながら、一年半以上を過ごしている。

もちろんこのようなことは初めてなのであるが、まったくといっていいほどに不都合はない。もっと打てば二人だけの生活を私は楽しめている。もともと妻は、家にいることが苦にならない、家事仕事、庭仕事他 出掛けなくとも静かな充実を過ごすことができる人なのである。

私はといえば正反対、どちらかといえばじっとしているのが苦手であり、動的なタイプであったのだが、コロナの出来で静的なタイプへと、否応なく変身してしまいそうな按配なのである。まったくもって人は(おのれとは何か)状況に応じて生き延びる器というしかない。コロナ時間の過ごし方で、これからの行く末が決まるのではという気もするくらいである。(心から終息を願いながら)

自分でいうのもなんだが、こうも自分がいわゆるオタクかしてゆくことに順応してゆくことができるとは、意外な気もするのだが、やはりいろんな意味で年齢的なタイミングが、合致したのではないかとも思える。 

今日の午後は、クリントイーストウッドの【運び屋】というフィルムを(私はクリントイーストウッドのファンである)たまたま共に、昼食後BSで見たのだが、ことさらな会話がなくとも、妻と共に時間を過ごすということの積み重ねが大事だと、はじめての手術で、死をまじかに感じてから以前にもまして私は考えている。

 

 

 

 


2021-09-04

ポストコロナを見据え、9月最初の休日の朝に想う。

 三日間雨が続いている。雷の音で目覚め、まだ暗い午前4時、休日ではあるが起きた。起床時間は毎日ほとんど変わらないが、休日はコンディション次第である。

バイトの日も含め、読んだり書いたりは早朝か、最近は午睡の後にも(涼しくなってきたので)書くようにしている。よく休んだ体でないと私の場合ダメなのである。この傾向は年齢と共にだから、五十鈴川だよりを打てる間は、一日でも長く持続根気を養いながら、朝の英気をいただきながら、打ち続けたいと念う。

もうほとんど、世の流れからは遠く離れた自分を自覚しながら、あえて打てばずれまくっている自分自身を、いい意味で途方に暮れながら、やれることを在り難がりながら、生活者としての今を、好奇心のおもむくまま生きている、のだ。

術後、お酒をたしなまなくなったし、ころなの猛威の渦中を、以前にもましてストイック、かつシンプルに日々を逆に、送っている。(送れている)アクティブに動ける暮らしから、アクティブには動けない暮らし、限られた範囲での生活を。

一言でいえば、コロナ以前、そして手術以前とは異なる生活の持続の中で、内なる内面との対話時間が増え、想わぬ本との出会いがあればこそ、このコロナ渦中でも何とか精神の安寧が保たれているのは間違いない。もっと打てば、充実しているのである。

まことに持って良き本というのは、かけがえがないと身につまされる。古希目前にもなってあまりの自分の無知、浅学菲才をこのコロナ渦中の読書体験で、ますますもって知らされている。

例えば、この春土取利行さんに教えていただいた、永井叔(よし)という青空詩人の自伝の青春篇を今半分以上読んでいるのだが、コロナ以前の生活が続いていたら、けっして読むことなく、知ることなく、人生を閉じていたかもしれないと想うと、一事が万事塞翁が馬というしかない気になる。

手術でお酒を飲まなくなったことが良き方に展開して、遅きに失した感が無きにしも非ずとはいえ、母の言葉が蘇り、気づいた時が一番若いのだ、と学び知ることの有難さを、日々感じている今なのである。

60代のかなりの時間は、好きなシェイクスピア作品の音読を中心に生活が回転していたのだが、コロナのおかげで、まったく予期しない生活が続いているおかげで、根本からの生活転換が、コロナ後できそうな気がしてきている、のだ。

コロナ後の生活を想定する。静かな音読は続けるかもしれないが、60代とは異なるシェイクスピア作品中心ではなく、楕円的に中心が分散しながらも集中し、つながってゆく自分にとっての、新しいこれからの時間の過ごし方を模索しているのである。

実現する、しないもさることながら、要はやりたいと思えるか、想えないかなのである。自分という器がおもい付くことがあったればこそ、シェイクスピア遊声塾も実現したのである。閉じることで、また新たな可能性が生まれるかもしれないではないか。

もやもやした揺籃、コトバ化しにくいのだが、以前やっていたようなことはもうやりたくない自分が生まれてきたのである。これからは一年でも二年でも、心底やりたいことをやれる仲間がいれば共にやりたいし、いなくても、とりあえずかまわない。

企画は、声を一人で出すようなわけにはいかないが、土取利行さんがやりたいことは、お手伝いではなく、共(友)にやりたいと 考えている。ほかにもやりたいことが生まれてきている。

土取利行さんの足跡、歩み、その 多岐にわたる膨大なお仕事、そして今、そしてこれからの時間の中で、取り組もうとされているエネルギーに少しでも関わりたく思っている。

土取利行さんの取り組み、お仕事の全貌のわずかしか理解しえていないことは、私が一番承知している。だが、理解しているから共に何かしたいのではない。理解できないからこそ、面白いのであり、未知なのであり、冒険心をそそられるのである。

もっと打てば、理解しているからではなく、信じているから共に仕事がしたいのである。