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2021-09-15

コロナ渦中自粛生活で、チェーホフの短編小説を読み、チェーホフのすごさを再認識し、そして想う。

 ぐずついた雨模様の天気が続いている。起きたら雨なので、アウトドア労働バイトは今日はお休みすることにし、さりとてぽっくりと空いた時間をどうするかといえば、私の場合は五十鈴川だよりを打つという、習慣があるのは有難い。

9月も中日、気候はすっかり秋の気配、菜種梅雨をどこか思わせる朝である。涼しいので本が実によく読める。実はこの一週間時間を見つけては、主に起きたての時間にチェーホフの14本の短編小説、(世界文学全集 に収められている)を読んでいる。

残【いいなずけ】だけである。この一年半というもの、コロナのおかげで、というしかないのだが、想わぬ読書時間を過ごしている。このことに関してはもうすでに何度もかいているので、ことさらな繰り返しは避けるが、もしコロナが出現しなければ、このような予期しない読書体験は、まずできなかったのではないかと勘案すれば、思わぬよき出来事、とも考えられる。

事程左様に、長くは続かないピンチであれば 、良き方に思考展開できる、コロナ時間を過ごせるまたとないチャンスをいただいた、この年齢でこそ至宝の本の数々に、巡り合えたのではないかと思えるのである。

年譜によればチェーホフ は1841年に生まれ1904年、44歳で亡くなっている。ロシア革命が起こるのはチェーホフの死後13年、1917年である。

チェーホフの死後117年、ロシアの大地が生んだ(というしかない)異国の偉大な劇作家(劇作はぐっと後である)小説の数々を、すばらしい日本語の翻訳で(昭和39年に発行されている。古びず十分に読める)読める幸せを堪能している。

ヒトもそうだが、本にも出会う、巡り合えるタイミングがあるのだということを、痛感実感体感している。古希目前、再び本格的にチェーホフの戯曲や小説に私は出会ったのである。

若い時に買って読んだ時には、あたまで通読しただけで、なんにもわかっていなかったことが、この度の読書体験で実感できたのである。このコロナ下の、そして今の年齢だからこそ、染み入る様に言葉の霊が(翻訳であれ)わが体に、肺腑に沁み行ってきたのである。

シェークスピア以外にも声に出して読みたい作家、作品が、コロナ自粛生活の渦中に見つかったこと、見つけられたことは望外の喜び以外の何物でない。声を出すためには、アウトドアで、労働で老いゆく体を日々見つめなおすしかない。ポストコロナを見据え静かに始動したい。



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