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2016-04-28

次兄から突然送られてきた西原村のお芋を食べながら在り難さを噛みしめ考える。

いよいよ紫外線が強くなり気温も上がり始めたので、朝一番竹韻庵にこのところ通い始め、10時には作業を終えるようにしている。

そのようなわけで、これから夏場はとくに朝のブログは書く機会が減るかと思う。どうか斟酌してくださいますようにと、御断りを入れておく。

九州地方一帯はいまだ余震が続き、正直私自身もどこか気分がどことはなしに、五月晴れのような塩梅にはゆかない中日々を過ごしている。

がしかし、私自身の日々は流れてゆく中、私のすぐ上の次兄から先日どっさりとサツマイモが届いた、聞けば地震で家が倒壊した、あの熊本は西原村の友人がつくったお芋農家のサツマイモだという。

次兄は車一杯毛布や煮炊き用のコンロはじめ、一式を積んで駆けつけたという。その農家の方が昨年秋に収穫したお芋だというのだがあまりの立派さとおいしさにびっくりしている。

こまった時にとにかく頼れる友人や知人が身近にいるということはかけがえがないのだということをあらためて知る。

備えあればと昔の人はいうが、備えというのはあまねくひろい意味でとらえた方が正鵠を得ている気がする。

普段からの生き方をはじめ、積み上げてきた何かがきっと問われるのではないかとあらためて次兄の行為の立派さに感じ入った。

小学6年から父と共に転校した私は、次兄と共に密に過ごしたのは11歳までなのだが兄弟の中では一番苦労しているせいか、他者に対して実におもいやりが深い。

この兄と最近帰郷の旅に交流を深めている。植物や土いじりが好きでいろんなことを良く知っているのでとんちんかんな私には貴重な兄である。

いつかブログで写真をアップしたいが、見事な庭を数十年かけて作っているし、もちろん家庭菜園も見事な野菜を作って長兄や姉、近所に分けている。

突然送られてきたお芋の意味を私はしかと受け止めながら、人としてどのように生きてゆけばいいのかを、お芋をいただきながらいい歳をしてあらためて考えている。


2016-04-24

朝一番、書評を読んで思うこと。

雨の日以外平均すればしゅうに3~4回竹韻庵に通っている。ゆけば必ずなにがしかのことをして過ごす。そのことは私の日々の暮らしに良きリズムを生み出し、おおよその一週間の過ごし方がほぼ決まってきている。

朝起きて週に何回かブログを書くこともそうだし、声を出し続けることもすべてに おいて言えることだが、馬鹿の一つ覚えのように継続持続してゆく中でゆっくりゆっくり見えてくるというか、気づきの感覚が深まってくるような気が(あるいは錯覚かもしれないが)している。

新鮮な感覚の持続というか、それを生み出してゆくためにはどのように日々を過ごしていったらいいのかを考えつつ、といった塩梅。
新鮮な文字、言葉は紋切型思考を洗う

もうすでに何度も書いているが、日曜日の私の楽しみは書評を読むことである。これも十数年継続持続していて、切り抜いた書評はノート十数冊にも及ぶ。

今朝もほぼ読んだ。軽薄無知蒙昧人生のほとんどを生きてきた私である。還暦を過ぎ、この期に及んでようやくにして 独学教養時間が過ごせる在り難さをこの三年間過ごさせてもらっている。

世の中にはなんと該博な(それはあらゆる多岐にわたる分野で)知識を持ち、しかもそれにおぼれず、懐疑的に思考をやめず素敵に生きている、魅力的な人間がおられることを、新聞を読むことで知る。

今朝の書評氏、池内紀、手島龍一、橋爪大三郎三氏のお薦め本書評は読みごたえがあった。私などは単細胞なるがゆえに、思考停止安易な護憲論者にくみしがちなのだが、そうはことは単純ではないのだと、眼力のある方々から教わること多々である。

とにもかくにも自分の人生には限りがあり、その一回限りの人生を可能な範囲で実りあるものにするためには、何をしたらいいのかと、今朝も自分に問うしかない私である。


2016-04-23

真夏の夜の夢、ライブイベント【ロバの夢】いよいよ動き始める。

何かとあわただしく過ごしているうちに桜の季節が終わり今は一雨ごとに新緑がまぶしくなってきている。森羅万象は目には見えないが、いっときのゆるみもなく移ろっている。

地震の余震が続いているなか、私は私の日常をとにもかくにも生きている。この夏、7月29日にルネスホールで行われる【ロバの夢】(というタイトルになった)舞踏とシェイクスピアの言葉による台本が完成し、昨日ルネスで私も含め5人での本番に向けての初ミーティングが行われた。
ロバの夢6ページの台本にイメージがぎっしり

製作費は入場料に頼るしかないし、スタッフもほとんどをボランティアに頼るしかないというきわめて大変なプロジェクトがスタートするが、随時五十鈴川だよりで経過をなるべく書きながら、この公演イベントに出演する一人として、現時点での私のこれまでの何かすべてを出し切るつもりでいる。

照明、音響、チラシ、衣裳もろもろ、一つの舞台作品を創ることは製作費がとてもかかるのである。

私はこのプロジェクトを成功させるために 、個人でわずかでも支援カンパを募るつもりでいる。

スタッフ、出演者は一夜の公演のために、あらゆる諸般の事情の中での雑事の手続きのひとつ一つをクリアしてゆかねばならない。一つの大きな山【夢】に向かって淡々と、しかし熱いメンバーが、ロバの夢実現のために参集している。みんな手弁当である。S女史の情熱の賜物である。

運命の神は時に予期しもしないことを私の人生に与えてくれる。舞踏家S女史から よもやまさかこのようなオファーをいただけるとは思いもしなかった。(試練だが飛び込み泳ぐつもりだ)

今はただこのチームに参加できることの在り難さを、昨日のミーティングで再確認した。とにかく船は漕ぎだしたので、目的地にたどり着くまで何とかこぎ続けるだけだ。

私はS女史の情熱と才能を信じているので、安心して乗船しスタッフ全員で乗り切りたい。とにかくまず200枚のチケットを完売しなければならない。私自身で50枚は売りさばきたいと思っている。

社会人になった娘にも買ってもらうつもりでいる。五十鈴川だよりで今日から先行予約を開始します、電話、メール何でも構わないのでどうかチケット買ってくださいと、書きつづけるつもりでいる。

また厚かましくも、チケット付きのカンパも封書でお願いしたく考えている。心ある見巧者の存在を、パトロンを見つけたいのである。いわば無心である。

それから、友人知人他人どなたにであれ、この夏ルネスで何か面白い【ロバの夢】という ライブイベントがあるという噂をまことしやかに流してもらいたいのだ。大入り満員札度目くらいの活気のある夏の夜の正夢にしたいものである。性根入れてやりますので。

2016-04-20

家族という病、下重暁子を読んで思う。

人はみな自分という病を抱えて生きているのではないのかという認識が私にはある。【家族という病】という下重暁子さんの本を妻が図書館で借りてきた。気になっていた書名、私も読みたかった本なので、手にして一気に読んだ。

感想を一言でいえば、読んでいて痛ましくもつらい内容がつづられていて、一口に家族というが千差万別の家族の姿があるのだという、当たり前のことをあらためて思い知らされる内容だった。

あの戦争の前と後ででまるで変ってしまう (ざるおえない)家族の負の姿が、一少女に与えてしまう心底恐ろしいトラウマ。そこまでの経験をしたことがない私には言葉がはばかられるのが、正直な読後感だ。

とはいうものの、彼女の凛とした、自立した覚悟の個人主義には、私も多々かなりの点で同意する。

だがそこまでは徹しきれない私自身の現在の揺らぎもあって、それはそれで仕方がないと私は考える、生れ落ちた時代が違うのである、環境が。人間は時代に翻弄されるはかなき存在である。

家族というものは厄介なものだという認識は私にもあって、とてもではないが短い朝ブログごときで書き伝えられるものではない。 愛と憎しみとはまさに表裏の関係にということだけは永遠の真理かもしれない。

だから私は家族というものを、いたずらに美化したりは全くできないという立場に立つ。人間というものは、絶対矛盾を抱えつつも、そこにしがみつきながらも、やはり究極は孤独を抱えつつ歩むしかないのでは、という認識である。与えられた隙間をいかに生きるのかを。

歳と共に故郷に回帰したくなり、お互いの老いを確認しつつ姉や兄と年に数回語り合える関係性くらいが、ちょうどいいという有難い認識、べたつかず程よい関係性を維持思いやれるくらいの距離感が いいのである。義理の母との関係性もそうである。

言うは易し、それには個人主義的健康自立ライフがないとかなわぬ夢である。やがては老いて故郷に帰れなくなる日もやってくるに違いない。だから還れるときに還っておきたいのである。

いよいよもって、心の欲するままに正直でありたいだけなのである。故郷など死んでも帰りたくない人もいるであろう、それぞれである。

散々親に心配をかけた放蕩息子の私には、きっとまだ何かしなければならないことがある、そのことを見つけるためにも(よしんば見つからなくても)還っているのかもしれない。

ともあれ、理屈では収まり切れない感情がいまだ私を突き動かすのだが、姉や兄たちの顔を見ると 、いい歳を忘れしばし安心して幼少の頃へと回帰できる自分がいるのは事実である。

きっと芭蕉のように、旅に病んで夢は枯野を駆け巡る、のかもしれないが、それは今しばらく先のこと、と思いたい。


2016-04-19

いまだ余震が続いているなか、ささやかに想う。

いまだ余震が続いている中、報道で知る範囲で思うことだが、自分がもし体育館とかに避難を余儀なくされる立場になったらといくばくか考えてしまう。

その思いすべてをここに書くことは控えるが、きっと一週間が限度だろうと思う。つい立ても何もない、おおよそプライベートな感覚が持てない状況では、ヒトはきっと精神がやんでしまうのではないかと思う。

窮屈な車の中に寝たことがある私なんかは想像がつくのだが、手足を伸ばして寝られることの何と在り難きことかを思い知らされるのだ。とくにお年寄りの大変さを。

ともあれ、被災地のことを思うと安穏とブログを書くこともはばかられるほどに、このたびの地震災害は、九州人の私にとっては他人事とは思えないのだ。
今朝の我が家に咲いていた花

余震が収まったら、ほんの少しであれなになにがしかのことを、とささやかに考えている。いまははやっても邪魔になるだけである。

岡山に移住してから、とくに阿蘇の麓はこれまで何度も何度も 車で走っていて見覚えのある山肌が削り取られ、道路が寸断されているのを映像で見ると、痛ましい感情にどうしてもかられる。

それにしても思うのだが、便利で快適な我々の暮らしは、いったんこういうことが起こるとトイレの水は流れなくなるし、ガソリンの補給がストップすると車は動かせず、停電になるとあらゆることが立ち行かなくなる。

そういう消費文明生活を、時折根底から見直すような生活も時に考えないと、やはりまずいということを、私は個人的に感じてしまう。

いきなりだが、これから竹韻庵で草刈りなどの仕事をする予定なのだが体が動いて何事かをなせるということがいかに大事であり難いことなことであるのかということを、思い知らされる。

身体あっての物種、健康に動けることの、お金では生むことの出来ぬ幸福感。ささやかにものを想う、思考力こそが全財産というほかない。人は裸で生まれ、裸で死ぬ。いわば原点を、こういう天地を揺るがすようなことがおきるといやでも私は考える。



2016-04-17

わが故郷の近辺で続いている地震に思う。

地震が続いている。つい6日前私は故郷の門川(五十鈴川)から高千穂を抜け南阿蘇に入り、そこの垂水という温泉に入り、ゆっくりしてから、友人のいる柳川に向かったのだが、近くに火の鳥というログハウスの温泉があるところも通ったので今回の被害が多い地震現場はただ事とは思えない。

もし昨日私が現場を走っていたら、このようにブログを書いているなんてこともありえなかったかもしれない。たまたま天運があったというしかない。

いずれにせよ、車で帰る場合大分ルートか、熊本ルートになるので、阿蘇や湯布院や日田、高森、竹田、三船他、知った地名が出ると現地の風景が蘇るのである。

九州男児という言葉がある、古い言葉であるかもしれないが、九州の言葉、各県でかなり異なるとはいえ下関から門司に入るとなぜかしら私は九州に帰ってきた安ど感につつまれる。(これは理屈を超えた遺伝子的な奥深い何かである)九州人である私には今回の震災は、どこかやはり他人ごととは思えないのだ。

ハムレットは親友のホレーショに、この天と地との間には哲学などの及びもつかぬことがあるというが、まさに然りなことがこうも次から次に多発すると、宇宙というかこの地球のマントルの奥深く、神秘の妖怪が煮えたぎっていて時折現れてはこのような(人間の側からみると)大惨事を引き起こす。

災害、天災は忘れたころにやってくるというが、私も含めた人間の大多数はやはり忘れてしまう。もっと言うならあまたの多くのいわゆる一般大衆はどこか忘れたふりでもしなければ生きてゆけないくらいに、日々の生活に追いかけまくられて生きているのが現実ではないかというのが、正直な私の認識。

もし自分が家が倒壊するとか、大切な分身を失うとかしたらどのような感覚に陥るか皆目想像だにできない。言葉で簡単に冥福を祈るなんて気持ちにだけはとてもならない。

姉や兄がが被災したら、安穏とブログなんか書いてはいないだろう。だからこその穏やかな日常のありがたみを感じながら、このいっとき書いている(つもりである)。

ささやかになにか自分にできることはないか考えている。

2016-04-16

ハムレットのように【このままでいいのかいけないのか】考え続ける勇気を持ちたい。

帰省旅では阿蘇から熊本をを抜け友人のいる柳川に入ったのだが、ついこないだ車で走ったあたりが、大きな地震災害に見舞われた。

門川の兄にすぐ電話を入れた。これまでに経験したことのない揺れだったとのことだが、幸い被害はなかったとのことである。いまだ余震が続いているから安穏とはしておられず、現地の被害が集中したエリアの方々のことを想像する。

お隣の川内原発は、この渦中も稼働している。もしという仮定を、わたくしごときでも想像する。川内原発の近辺で起きたらと。きっとこのような想像をした方は私だけではないと思う。

この火山列島には、53基にも及ぶ原子力発電所がある(稼働していないのも含めて) 。安倍さんは経済経済とうわ言のようにのたまうが、今更のように我々はひとつ間違えば奈落の底という、安全という名のおまじない的平和をたまたま享受していることをあらためて知らされる。

テロという言葉が、テレビや紙面で耳タコが出るくらい聞かされる。一庶民にの頭では何をどうしていいものやら、とんとちんぷんかんぷんの有体なのだが、それでも何かは思い考えるのである。

生きていることの醍醐味の一つは、自分の体で(しかないのだから)考え動き、動き考えすることではないか。(何故テロはやまないのか、原発が狂信的テロに襲われたら。現実は映画ではないのだ)

スイッチをひねれば、電気も水もお金さえ払えば、無尽蔵に出る、あるかのように錯覚しているが、インフラが地震に会えばすべては水の泡になる経済優先、命後回し社会に我々は放り込まれている、といった認識が私にはある。(いつ何時棄民化、難民生活に陥るか対岸の火事では済まない時代に生きているという認識である)

そういう社会のほとんどを、戦後70年 の64年間を私は生きてきた。しかしいま、本当にどのような国であったら、日本国民は幸せな感覚を取り戻すことができるのかの大きな歴史的な転換点の土壇場にいるのではないかという気がしてならない。
竹韻庵に記念樹として植えた柿木が根付きました

先日新聞で、国民は知る権利があるという言葉と共に、知る義務があるという言葉も知った。

夏には選挙があるが、18歳以上の国民はこの国の行く末の舵を託す政治家の大局観をとくと見極めねば取り返しがつかないことになる、気がする。

いきなりだが、シェイクスピアは【夏の世の夢の妖精パックに人間てなんて馬鹿なんでしょう】と、いわせている。バカの一人の人間として思うことは、自分は利口だと考えている人間ほど度し難いものはなない、という認識が私にはある。

誰かが言っていた言葉、明日世界が滅びる(あくまで人間世界が)としても、花を植えるというしかないし、赤ちゃんは生まれているし、そこに幻想の希望を持つしかない、しがみつくしかないというのが現時点での私の思い。

ささやかに五十鈴川だよりを書き、発言している我が身としては、土を耕し作物を植え命の根本に体で触れながら、思考も開墾しなければ、天と地から浮いたような考えに煮つまってしまうのではないかという不安に駆られるのである。

4年前東北の大震災をこの目で見て、私の生き方は大きく変わった。友人たちとの付き合いも私が変わったことで、多少の変化が見えているが、大切な友人たちとは全く変化なしにお付き合いが続いている。

幸福感、命の根源、自分が本当に大切に思えることは奈変に在るのか、そのことを日々自分を疑いながら、ハムレットのように、このままでいいのかいけないのかを、考える勇気を持ちたい。

2016-04-13

再び五十鈴川だよりは流れ始めました。

6日ぶりの五十鈴川だより、昨夜9時過ぎに無事に帰ってきました。うーむ何から書いていいのやらというくらいに、心に残るいい旅となりました。

ゆく前も書きましたが、兄や姉が愚弟の私を暖かく迎えてくれました。桜をあと何回愛でることができるかというくらい、兄や姉との語らいもいずれは叶わぬ時がやってくるからこそ、逢える時に会っておかねばとの思いです。

【月曜日に帰る予定でしたが、30年来の友人が博多にいまして電話をしたら柳川の現場にいるとのことでしたので、いったことのない柳川に立ち寄り旧交を温め合いました。

K氏は遠方から立ち寄った私を心から歓待してくれ、観光客のまったくいない琴奨菊のふるさとで、水路の角のお魚居酒屋でおいしいお魚料理とお酒をご馳走してくれました。北原白秋 の生家の近く、空には三日月。風情の極み、しばし風に狂う男時間を二人で過ごしました】k氏にこの場を借りて感謝。

若い時はともかく、晩年よもやまさか自分がこのような穏やかな気持ちになるなどとは思いもしませんでした。老いた、齢の功名だろうと素直に有難く思っています。

ところで、次兄の家の庭に咲いていた花をいただき球根草なので車に積んで持ち帰り、今朝起きてすぐに竹韻庵にゆき植えました。

車の中に丸2日間いたので根付くのを祈るのみ     
竹韻庵に植えるのは簡単ではない。まず竹の根をうがしてから植えたのだが、2時間近くかかって漸く完了した。

私は定年退職後、土に親しむ生活を心かけているまったくのど素人なのだが、次兄の言う通りにとりあえず移植した 。

手間をかけただけ、やはり喜びは大きい。車で帰らなければ持ち帰ろうとは思わなかったかもしれない。今は亡き実家の庭に在った植物も何種類か西大寺に持ち帰り移植したのだが根付いている。

少しずつ兄や姉にいただいたわが故郷の縁あった樹木や花を竹韻庵に移植してゆきたいと思う私だ。

せっかちな私だが、気長に丁寧に物事に取り組む面白さがいくばくか身につき始めたように思う。

のんびり電車旅とか今回のようにできるだけ高速を走らない旅なんかも随分と楽しめるようになってきた。高速では見えない豊かな人々の暮らしが、車窓からは見えるのだ。

反射神経が鈍くなってくるし、用心しながらゆっくり運転をする。自然な衰えとたたかうのではなく、牛歩のように進む楽しみを見つけるというか、確実にやってゆくことの大切さ。老春は今のところ実に面白い。

話はあちこち変わるが、先日一人で間違いの喜劇全幕読んでみて体感したのだが、かろうじてある程度の速度で読み終えることができた。訓練によって早く読むことだけは、今のところなんとかキープしている。

こればかりは訓練しないと体がすぐに錆びついてしまう。というわけで今日もこれからいくばくか口を動かし、非日常から日常へと向かう五十鈴川である。

2016-04-07

宮崎に帰省します。五十鈴川だよりはしばしオフです。

雨が降り続いていますが私にとっては恵みの雨です。久しぶりの完全オフ、家でひとりきりの静かな時間を過ごすことができました。
台湾の歴史をあまりにも知らない自分です

スマホに変えてひと月が経ちました。まだほとんど使っていないくらい単純なことしかしていないし、もうほとんどこれさえできれば(私にはほかに十分やることがあるので)満足しています。

ラインの弊害を時に見聞き しますが、何事も使い方次第ではないでしょうか。私は家族が何をして一日をしていたのかがよくわかって(私は眺めるくらいですが、時に反応はします)重宝しています。

それと塾生同士のやりとりや、瞬時に思いついたことなどを伝えたいときに重宝しています。塾生からも、様々な反応があるので、直接言えなかったこと、上手く伝えられなかったときなどには大変ありがたく思っています。

何事も加減次第、私らしく自然にやってゆくのみです。パソコンだってブログを書きたいから、キィを打つことから始めたのですから。いまや最低しか使っていませんが、まったく同じことです。

車の免許を北海道でとった時も、必要に迫られたのでとっただけのことで深い理由は私にはあまりありません。どうしても必要に迫られたら、わが体は何とか動いています。

ただ私くらいの年齢になると、人生の自由に使える時間が限られているので、あくまでほどほどにお付き合いしたく思っています。

さて発表会の反応などをいただいています。岡さんはじめ 、はがきやお手紙でこの場を借りて感謝いたします。

さていろいろ書きたいこともあるのですが、明日から宮崎にお墓参りに帰ります。車でのんびりと気ままな旅です。来週月曜日には戻る予定です。

もういい年なのですから、時にはゆっくりよく働いたわが体をいたわり、故郷の両親にいろいろ伝えたいことがあるのです。

電車での帰郷も考えましたが、時候がいいので小回りのきく車にしたのです。 きっと故郷の新緑が迎えてくれるかとうきうきです。

兄二人には連絡したのですが、気を付けて運転してこいとのうれしい言葉。口論やけんかを小さき頃いやというほどした昭和の貧しさを知る世代との再会は、理屈抜き大切です。

もうあと何回共に飲食できるかと思うと、元気に還れるうちに旧交を温めないと悔いが残ります。いよいよもって、人生の最後を想像して今何をすればいいのかを、組み立ててゆかねばとの思いなのです。

春の五十鈴川が私を待っています。五十鈴川だよりはしばしオフです。


2016-04-06

時間の許す限りシェイクスピア作品を声に出して読みたいと思います

還暦を過ぎ、老いてゆく流れの中、あえてつかの間逆流するかのように、丸3
歴史劇をきちんと読みたい
年本当に貴重な仲間と共にシェイクスピアを読み続けた結果、【間違いの喜劇】を何とか2時間近く一人で、全登場人物を遊読できたことで、自分自身のこれまでの人生にある種の一区切りをつけることができた。

これは井の中の蛙が、無謀にも18歳で世の中に出て、何とか泳ぎ切って今を生きて迎えることができた、自分自身に対する祝福の遊読会ででもあったのだということを今感じている。

いよいよこれからの人生時間に向かってゆくための、オーバーだが一つの内なる儀式を何とか終えたような気がしているのである。

人は悲しいかな(それが素晴らしいのだとの側に私は立ちたい)、なにがしかの幻想の誤差を生きているのではないかという認識が私にはある。

生意気な高校生時代、ベケットのゴドーを待ちながらという今や不条理劇の古典である芝居を読んだ。ちんぷんかんぷんだったが、天才ははるか遠くの先の時代の到来を予見していたと、分かる。

話を変える。理解をするということは果たしてどういうことなのであろうかと、いまだ時折考える。自分たちが臆面もなく正しいと考える側から一歩も出ない思考というものは、危ないと私は思う。

生まれた時を記憶していない私は、おそらく消えるときもなにも感じなくなっているのかと、考えると、不条理なわが体が思うことを時折こうして書き刻みたくなるのである。

私が初老の体を引きずりながら、シェイクスピアの言葉、声を出すことにしがみつくのは、ゆえなしとしない人間の不条理な世界をすでに400年前に予見していたからだと、書いておきたい。

とにもかくにも、今はただ翻訳日本語によるシェイクスピアを、かろうじて読めるわが体をいたわりつつ、 あの膨大な言葉の海を少しずつ身体で読んでゆきたいと思わずにはいられない自分がいる。

37本のほとんどは、33年ぶりに再び読む作品ばかりである。それらの作品群がどのようにわが体に迫ってくるのかが、初老男のひそかな楽しみである。

2016-04-05

S氏K氏と竹韻庵で初老男の春の小宴会を満喫。

昨日午後S氏のお招きで、私の個人朗読会に駆け付けてくれた親友と3人でお昼から夕方まで、竹韻庵タイムを過ごさせていただいた。

新緑とお花見の小宴会は、S氏の心づくしでまさに日本に生まれてよかったと心から癒されるひと時となり、この一週間の疲れが気持ちよく抜けていった。

小さき庵のベランダでまずは抹茶をいただく。つづいて獅子鍋、材料の野菜はすべて竹韻庵で採れた野菜、九条ネギ、玉ねぎの青い部分、ブロッコリー、春菊、セロリ。あと市販のなめこやまいたけが加わり、最後にホタテ。

すべて事前に段取り、家でS氏が刻んで持参してくれていた。氏は山に登るのでコッヘルはじめ、山での食事道具一式で手早く湯を沸かし、シシ肉を入れすぐに宴会は 始まった。

都会暮らしのわが友K氏は野趣あふるるおもてなしに、頬が緩み全身が弛緩し幸せそうに、すべてをうまいうまいとほうばっていた。かくいう私も舌鼓を何度打ち鳴らしたことか。

自然の中で育った私は、野外の中では細胞が生き返る。まさに自然とわが体はつながっているので格別なのだ。ましてほとんどは自分で育てた野菜。現代社会においてこれ以上の贅沢は私にはない。

どんなレストランやに行っても、これ以上のおいしさは味わえないだろう。季節も最高、山里での久しぶりの友との語らい、お金ではなくおもてなしの心遣い、あらゆる何かが絶妙の タイミングでマッチしないとまず無理である。

最後、スープでうどんをいただき、フルコースは完了。ああそして最後にコーヒーで締めた。とここまで書いて肝心なことをかくのを忘れていた。

ひとしきりおなかが満たされた中休み、S氏が小さなタケノコを 掘ってきたので、我々もしばしタケノコ堀に興じて私が2本K氏も一本掘り当てた。大地の恵みを体で体感するとやはりまっとうな感覚が生まれるのだ。

さっそく火をおこし焼いて食べた。 9割以上地中に在るタケノコを掘ってすぐに焼いて食べたのは生まれて初めてのこと。私もK氏もそのおいしさには絶句、ほんの少し食べられればいいのだ。

S氏はお酒が飲めないのだが、わたしとK 氏は程よく気持ちよく童心に還って、大吟醸がするすると肺腑に沁みた。愉しいj間は瞬く間に過ぎ、気持ちのいい友人たちとの語らいですっかり発表会の疲れもどこへやらとんで行ってしまった。

S氏のおもてなしに対して、心からの感謝を五十鈴川だよりに記しておきたい。往復夜行バスで駆けつけてくれたわが良き友を岡山駅で見送った。二人の友のおかげで何かこころから慰労された。

亡き父が繰り返しともを大切にせよといっていたが、利害のない肝心な時にきちんとそばにいてくれ、遠くから思い至れる友は、たまたま人生を共に歩める同性の相棒、宝である。

2016-04-04

発表会・遊読会、二日間を終えた翌日の朝に思う。

64歳にもなっていまだ子供みたいにうきうきする感覚があるということをあらためてこの二日間感じた。それがあるうちは、じたばたお恥ずかしき人生を歩めるような気がしている。

さて、シェイクスピア遊声塾発表会の3回目の発表会、続いて私の個人遊読会と何とか終えることができた。ハラハラ、ドキドキ、ギリギリ感の中を、ようやく二日間走り抜けることができた。

何か素直にアクションを起こすと、痛い思いもするのですが、嫌でも自分自身とたち向かわないといけないので、 3年前無謀だとは思いつつも遊声塾を立ち上げてよかったとの思いに体が満たされている。

整理できないいろいろな思いに、いまは まだ身体がつつまれていて、雨上がりの曇り空がいい感じで、ささやかな庭を眺めながらブログを書いている。

昨日、若き日ロンドンで出会った以来の交友関係が持続できている親友が私の個人遊読に駆け付けてくれ、祝杯を共に挙げてくれた。今日もこれから竹韻庵でS氏と3人で会うことになっている。

私の妻や私の娘たちは、若き日私が演劇的世界に耽溺していたころを知らない。一度その世界から遠のいた私だが、還暦を過ぎ老春を生きるために気が付くと再び若き日の血潮の残滓が残っていて、33年ぶり、ささやかに妻や娘に見てもらいたいという気持ちがあり、まだ間に合うのではないかというのが私が個人遊読を決めた、大きな理由の一つである。
Uさん・貴女に逢えて感謝します

 社会人一年生の娘から(仕事の都合で遊読会を30分くらい見てくれた)ラインで、素敵だったよ、という言葉をいただいたのだが、親ばかの私はこの一言が一番うれしかった。妻も二日間きちんと見届けてくれたので、私にしかわからない喜びが押し寄せた。

塾生の発表会は、50人の方が来てくださり、9割は私の知らない人たちばかりでそれがとても新鮮だった。

昨日は20名の方が来てくださり、4名の方が新聞を見て来てくださったのがうれしかった。まったく私のことを知らない方たちも、意外に新鮮な反応をしてくださり、これからまた次に向かってゆける手ごたえやヒントを、なにやらほんわかといただきました。

カルチャー教室で、ともにシェイクスピアに読んでいる今年86歳になられる童女Uさんから生まれて初めて 素敵なバラの花束をいただいた。

今やUさんと私の関係は身内同然という感じに育ってきた。命が軽んじられ、絆やあらゆる言葉表現に、生命体の衰え、血が痩せ細っているのを私は感じる。

親子、友人、あらゆる関係性で社会は成り立つ。自分にとって大切な関係性をシェイクスピアを声に出しながら、乏しい才能ながらそれしかないのだから、その自分を耕しながら新しい他者との豊かな関係性を見つめてゆきたい。



2016-04-02

第3回シェイクスピア遊声塾発表会無事に終えることができました。

夜夕食を終えた後ブログを書いた記憶はほとんどない私だが、今夜はほんのちょっとではあれ書いておきたいのである。

今日午後、2時から、何とか無事にシェイクスピア遊声塾の第3回発表会は終わった。天神山で塾生と共にささやかに打ち上げの祝杯をあげ、駅まで歩いたのだが、急に西川で束の間あお花見をしたくなった私は、たまたま駅までともに歩いた塾生3人と共に30分間くらいメタセコイアの樹のそばの桜を眺めながら、発表会の余韻に浸った。アサヒビールのI氏がビールをごちそうしてくれた。

明日私の個人的な発表会があるので、落ち着いてブログを書くような状態ではないにも関わらず、何か書かずにはいられない私である。神経が幸福感に満ちていて、3年はかかったが良き仲間に恵まれて、ようやくにしてシェイクスピア遊声塾がつぼみくらいには育ってきたという手ごたえを感じたのである。
塾生のM氏がつくってくれたチラシ

道なき道を、未知の仲間と共に歩むことの困難とスリル満点の、旅を終えた束の間の喜びの夜を、塾生に感謝するブログをとにもかくにも書いておきたいのである。

明日は、私の個人的わがまま発表会だがそれはそれ、とにもかくにも今日の塾生の発表会が無事に終わったことで、なにかしらの方向性が見えてきたような気がする。ただただ私はうれしいのである。

遊声塾は、シェイクスピアの言葉と肉体をかけて対峙することで、自分の中に可能性を広げてゆく、自分自身のレッスンを持続してゆく塾である。

ともあれ、このような無謀極まる塾に果敢に参加され、多くの方に観ていただいたおかげで、塾生もなにがしかの手ごたえをつかんだかのようにいい顔をみんなしていた。いい顔はどうしたら生まれるのか。

努力をすることは厳しきことが不即不離だが、仲間がいれば高い山にも上れるのだ。上った地点の見晴らしは体全部を使ったもののみが得られる、何かだ。

体が言うことをきかなかったら、勇気もへったくれもない。有難いことにささやかに、私にはいまだ勇気を育む肉と 血が流れている。チャップリンがいうように人生に勇気は欠かせない。

闇の中を手を携えて歩む仲間と共に、先のことはあまり考えず声が出せる今を全身で甘受する贅沢を生きていたい。

2016-04-01

【間違いの喜劇】多くの登場人物をわずかな塾生で立ち向かいます。

たったワンシーンしか登場しない人物も入れると、間違いの喜劇は18人登場する。それを私も含め7人で読むとなるとどうしても一人が二役も三役も読まなければならない。何も知らない方は聞い
1977年、私が英国に自費留学した年に買った読本
ていて当然混乱する。

がしかし、一年稽古し続けた塾生のためにも何とか塾長としては発表の場を設けたい。

矛盾を抱えつつも前進するしかない塾なので、あらすじを書いたものを配布し、当日は開演前私が少し補足説明をすることにした。

一昨日夜、見学者5名を招き、男子塾生がインフルエンザや、体調不良でお休みの中、私が代読し5名で読んだのだが、なんの説明もなく聴かれたので余計に困惑されたみたいだった。

がしかし、災い転じてではないがなるべくガイダンスをして当日遊読した方が、聞く方も納得できると思うので、一昨日夜の公開ワークショップ的なレッスンはとても意義があった。

今日もこれから限られた面々で、自主稽古をするのだがもう明日が本番なのであるから、悠長にブログなんか書いている余裕はないのだが、いつも書いているように、絶対矛盾の私である。

ともあれ明日の今頃は、塾生の発表会は終わっているだろうが、今夜稽古をしたい人には、お付き合いするつもりだ。相撲と同じで言葉と格闘し稽古するしか、あのシェイクスピアの作品には立ち向かいようがないのだから。

私が元気で声を出せる間は、奇特な大切な仲間である塾生と共に、シェイクスピア作品を遊読し、内なる希望の声を探究し続けたい。