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2021-01-30

コロナ渦中巣ごもり生活を、いかに生活するか、しないのか、そこが思案のしどころ。ハムレットおじじは光を浴びて考える。

 すべてのエッセイは自慢話であるとは、井上ひさしさんの言葉であったかと思うが、老いると自慢話をしたくなる人が多いように思うが、かくいう自分もそのようになってきつつあるのではないかという気がして時折、まずいとは思う。

が、致し方なくも負の面が増えてゆくのが老いるということなのかもしれない。とはいうものの自戒して、そのうな 自慢話をしている自分に気が付かないような老いの無残をさらすような年寄りになるのは、今しばらく控えたいと願わずにはいられない。

限りなく自慢話に陥らないように気をつけたいと思う。ただ相も変らぬ似たような生活戯れ文、金太郎あめみたいな鮮度のない文章を五十鈴川だよりに綴っているのではないかという自戒の念が時折頭をもたげるのだが、これもまたどこか致し方ないないと、厚顔な老いの姿と私自身受け止めている。

綱渡りのように、すれすれのところで自慢話にならないように、自分らしく普通生活の中に初めて経験する老いゆく時の流れを、自覚的に見つめながらいい意味でのつましい老い欲(と名付けてみた)を見つけたいといいよいよ思う。

それもこれも、このところのコロナ渦中生活の中で思考し、実践し続けてきたことでかすかに自信(自分を信じるという意味で)のようなものが生まれつつあるのを感じる。でもそれは一日でも怠ると綱から落ちてしまうかのような、老いの危うさである。

ある日突然のコロナ渦中生活。すべての状況は一変するということを、これまでの人生でささやかに経験を積んできたことが、非常事態生活でも生きている。無駄な経験は本当にない。危機的状況をいかに生きるのか。自分という器で考えるほかはない。

すでに書いたが、今のところ家族や身近な方々にコロナの感染者はいないが、一寸先のことは誰にも予知予測できない。

ただ私がこの一年近くのコロナ渦中生活で心かけていることは、極めて当たり前に、もっと書けば身体を使い、限りなく昔人的に普通に感謝して暮らすことである。

寒い朝起きて新聞を取りに行くと、連日西の空にまあるい残月が浮かんでいた。【寒い朝・残月光り・日が昇る】。普通人の冬の巣ごもり生活をいかに生きるのかは己次第である。


2021-01-24

妻のお誕生日の朝に想う。

 二日連続して五十鈴川だよりを綴るのはこの歳になると稀である。

さて今日は妻のお誕生日である。この一年、陽が沈んだら夫婦の二人きりでの夫婦時間を過ごしてきたことで、私の中にいい意味でこれまでの夫婦関係では感じなかったことがずいぶんと感じられるようになってきているのは、あきらかにコロナ禍がもたらした、思わぬ禍福である。(と私は感じている)

その禍福を言葉にするのははなはだ難しいが、私はこれからの実践行動で妻に対しては新たな同居人、生活者パートナー としてよき関係性を保つための努力を、自律して為さねばいけないという自省の深まりである。

そのいちいちを記すことは、まだちょっと気恥ずかしいが、お互いが老いてゆく(やがてはお別れが来るまで)これからの時間こそを大切に生きて、ともに過ごすためのパートナーの片割れとしての自覚を深めたいと、妻の生誕の日に五十鈴川だよりに書いておく。

男子厨房に入るべからず、と公言してはばからない戦前の暴君的父親に育てられた私には、桎梏といってもいいほどの時に自己嫌悪に陥るほどのあらがい難い、深層、闇ががうごめいてしまうことを、正直に告白する。

戦後民主主義生まれとは言いながら、明治生まれの祖父母、大正生まれの父に育てられ、九州男子的な桎梏にとらわれた続けている至らない私を、見放しもせず傍に置いてくれている稀なヒトなのだという自覚が、コロナのおかげでよりリアルに深まってきたのである。

これ以上書くと、犬も食わないようになるから控えるが、このところまず簡単な料理をしたり、買い物、かたずけを率先してやるとか、妻の家事労働の負担をへらすことを心かけている。

スーパーマーケットでの買い物などは中世夢が原で働いていた時にはしたこともなかったが、今では買い物に行くのを楽しんでいる自分がいる。洗濯物を干したり、畳んだりすることもなんてことはない。お互いが気持ちよく生活してゆくのに、ただ当たり前のことをやればいいだけのことである。

長女の旦那さんのれいさんは、炊事洗濯料理なんでも娘と共に極めて当たり前にできる。シェアする当たり前感覚が自然に身についている。共働きしながら、二人でしっかりと支え合いながら望晃くんを育てている。私も世代を超えてかくありたい。

コロナ渦中で迎えた妻のお誕生日、お祝いの夕飯はつたなくとも私が作ることにする。

 

2021-01-23

死者たちに想いを焦る籠りの冬時間、ささやかに限りなく普通に生活する。

 例年必ず一月二月は、父や母、義父の命日がやってくるし、我々夫婦の誕生日もやってくる。だからというわけではないのだが、還暦以後、冬の季節は私の中では冬眠の状態を生きているかのような感覚がある。物思う余裕の季節なのである。

ねんれいのことも十分にあると思うが、この寒い季節は、北風をやり過ごすかのように、より一層静かに落ち着いて生活したいと思うのである。オーバーに書けば、死者たちに想いをはせて生きる冬時間なのである。

夜は先ず外出することはない。日が暮れると妻がストーブに火を入れる。家を建て替えて丸20年、 今も薪ストーブは冬の我が家には必須である。画面よりも炎の揺らめきを眺める。

夕飯の後、ストーブのそばでくつろぐいっときが至福だ。花もメルも妻もいる。お酒は極端に飲まなくなった。大きめのお猪口に一杯の梅酒が在れば十分である。寒い夜、ストーブの暖かさに包まれ、湧いたお湯で湯たんぽを事前にお布団に入れておく、暖かい布団が一日を終えた初老凡夫をいたわってくれる。あっという間に眠りに落ちる。眠れる愉楽【老いの身は・湯たんぽ抱いて・夢を見る】ってな按配。

先週、いつもストーブで燃やす建材の木っ端をいただいている会社(これからは近所づきあいが大切)に行き、例年通り車に一杯いただいてきた。妻と二人、ありがたいねと何度も言いながら、これで冬眠生活ができる安ど感が初老夫婦を満たした。

性差も含め、妻と私の性格はまるで異なるが、事ストーブに関してはメンテナンスから 薪の調達まで一緒にやる。(土いじりも)お互いが不得手のことは支え合う。その按配加減がこのコロナ渦中の生活で、しっかりと今更のように再認識できていることは怪我の功名というしかない。

妻は家の中(周り)、での生活に痛痒を感じない、それを苦に感じることが少ない足るを知るタイプの、私に言わせれば稀なヒトである。私は男性でじっとしてはいられないタイプであったのだが、このコロナ渦中生活で、否応なく人と会わず無為で静かな時間が増えたおかげで、じっと何事かをなすことが当たり前の、昔人的ライフが身についてきつつあるのを感じる。

ヒトは状況に応じて変化し、生き延びてきたのに違いない。置かれた状況を、一日を、可能な範囲でギリギリしのぐ英知を過去の庶民列伝の中に私は見つけたい。ごく普通の市井の生活の中で生きた人たちから学びたい。特段のヒーローや、メディや報道、テレビの訳知り教養人たちの言にはいささかうんざりしている。



2021-01-21

元気の秘密について考える冬の朝。

 普段にもまして早く目覚めた。それでも6時間はゆうに睡眠をとっていたことになる。途中一度も目覚めていないのだから熟睡していたことになる。気持ちよく寝て気持ちよく目覚めることが、この非常事態コロナ渦中生活でもできている今の 私の暮らし。何ともあり難いというほかはない。

肉体労働、私は体動かしアルバイトが以前にもまして、このコロナ渦中生活で好きになってきた。最近考える。なぜ、若いころはあんなにも汗をかいての肉体労働が自分にできるとはまるで思わなかったし、自信もまるでなかった。

だが人間はその状況に置かれれば、適応し変化するのである。ある人の紹介で始めた体動かし肉体労働アルバイトもあっという間に二年が過ぎて、特にこの一年はコロナ渦中なので、意識的に一日一日を過ごすように心かけている。

まかされているので、自分なりに冬の季節にしかできないことを体を温めながら工夫してやっている。このところ庭木の刈込み作業を機械を使ってではなく(時折機械も使うが)ハサミを使って やる。最初はもちろんうまくはゆかなかったのだが最近は楽しい。

チェーンソーの刃を砥いだり、道具のメンテナンスなんかも、バイト先の76歳のT先輩から習って、今では自分でかなりのことができるようになってきた。仕事を終え、道具を磨いてきちんとしまって倉庫の小屋でお湯を沸かし、お茶を入れて飲む。

なんてことのないつれづれなるこの時間が、今は最高にいい時間なのである。コロナ渦中移動自粛生活の中で、とにかく、オーバーに書けば足元宇宙生活を楽しむことを実践しているのだ。いうのもおこがましいが、元気である。

元気の秘密は何か。書くのもおこがましいが愛の暮らし、という歌があったが、愛のある暮らし(深くはやはり恥ずかしいので今は書けない)が、広範な意味での大事な家族や友人の存在が、コロナ渦中生活でしっかりと再認識できていることと、打ち込める好きなことのあれやこれやが、ひとりでできるからである。

五十鈴川だよりを書けるを書けることもその一つ。ぎりぎりのところで踏ん張りながら、糊口をしのげることへの感謝。この末期的とも時に思えるほどの気候変動環境の渦中でも、何とか生きられて在る、今のわが暮らしを深呼吸して感謝するほかはない。おかげさま、もう古希近くまで生きられて在る人生なのだ。

女性の平均寿命が80歳、男性が75歳だそうである(私はほとんど統計とかを信じていないが)となると私の寿命は限りなく終わりに近づいている。だが私は思い考える。そのようなことに思いをいたす時間が在るのなら、今日という一日をいかに生きるかということに思いをいたす、おじじで在りたい。


2021-01-18

揺らめいて・ときめき願う・冬の朝。

 文字だけの五十鈴川だよりになって久しいが、いつの日にかコロナが終息したら、写真不在の拙文に、まとめてレイアウト的に写真をアップしたいと思っている。

その写真もおそらくは読めなくても文字が映っている写真や、昨年コロナ渦中生活で読んで打たれた本が大部になるとは思う。 生活的にも時間的にも中世夢が原の仕事を辞し、娘たちが巣立ち、私は幼い時とは全く異なる、もちろん初めて経験する穏やかな人生時間の今を生きている。

何度もかいているが、亡き父が若い時の苦労は買ってでももせよ、といった言葉が(日本も含め、いま世界各地で報道で知る、生活困難者とは比較せべくもないが)何度も脳裏に浮かぶ。【今が在り難い】

聖書にも言う、泣きながらパンを食べたものでないとその味はわからないと。戦場や焼け跡で飢えた経験のない人間には、感謝するありがたみは望むべくもないのかもしれない。覚るとはなんとも難しい。

話は変わるが、私は昨年から今に至るコロナ渦中生活、で以前にもまして、きちんと新聞に目を通すようになってきた。ただ読むだけではなく、母が娘たちの使い残しの余った古いノートをほどいた紙をくれたので、目に留まった記事を切り抜いて、時間を見つけて気分転換に貼っていたのがずいぶんとたまった。(コロナ渦中生活の記録にしたい)

本を読む速度が極端に遅い私である。月に数冊じっくりと読める本があれば十分である。感応でき、エネルギーが満ちる本を繰り返し繰り返し読むに足りる本が手元にあれば十分。

老いつつある胃袋では、食べるものも読めるものも、限りがある。おのずと変化してくるのが自然の摂理、時流におもねたような本は全く読まないし、読めない。やはり著者の人間的な魅力、人生がが文体に現れつまったような本に私は惹かれる。文は人なりというが、文体には人柄が宿る。拙文を満座にさらすおのれとは、無知蒙昧、厚顔無恥と自覚している。

年齢と共に読む本は変わる、年齢を重ねないと、経験しないと分からない本も多々ある。この齢になる実感できるのも、老いの幸徳と知る。

日々の生活の中で老いと向かい合い、いまだ体に元気な気持ちになれる活力源ともなる栄養、新鮮な風を吹き込んでくれるような本、言葉を持つ著者との出会いこそが、今の私に暮らしには欠かせない。

今朝も元気に五十鈴川だよりを書けるのは、怪我の功名 、この間のコロナ渦中生活で良き本に巡り合えているおかげである。学ぶということの面白さを、この年にして実感している。

考える葦とは言い得て妙というしかない。今しばらくは揺れよじれながら、煩悩を抱え揺らめきときめきたい。

 

2021-01-16

弓を始めてまる4年、20本引いて10本的中した翌日の朝に想う。

 コロナ渦中生活のなか、ささやかちょっぴりうれしい出来事があった。きわめて個人的な事である。自慢話ととられても構わない。前回に続くが弓の話。

間もなく弓を始めて4年を迎える。昨日午後、今年になり4回目の自主稽古に いった。おおよそ2時間の稽古時間息を整えながら、20本射ることに今年から決めた。的中しなくても集中力を養いながら決めた本数しかひかないことに決めたのである。

もう十分に若くはないのだから、無理をしないで一矢一矢に気持ちを込める気持ちを持続したいとの思いで臨んでいる。静かな所作の中に、気持の集中力が絶対的に不可欠な弓の稽古は、非常事態に近い、コロナ渦中生活に、今や私にとっては欠くことのできない大事な時間となっている。

ただ単に個人的なうれしい出来事として、五十鈴川だよりに書いておきたいだけである。今年になって弓の軌道、矢筋が落ち着いてきた感覚が、ようやくにしてつかめそうになってきつつあるなかの昨日の稽古、何と初めて10本的中したのである。

今年の目標は的中率を3割くらいはキープすることなのだが、いきなり5割 。我ながら信じられなかった。肉体的には下り坂の年齢の中で、できるだけ弓をひくだけの体力気力をキープしながら日々生活することは、言うは易く行うは難しである。

でもまずは道場に向かい、他者の目線の中でも揺るがず稽古を積み重ね、持続してきたからのご褒美五割なのだ。的中するにしくはないが、今の私には道場で静かに自分と向かい合い、弓を射る時間こそが黄金の一時なのである。

弓のおかげで、生活全般がこのコロナ渦中、誤解なく書くが、充実して過ごせているのは間違いない。それとやはり肉体労働。集中力を高め、心おきなく打ち込める好きないっときがコロナ渦中生活の中に持てることは幸福である。

だが、野球に例えてもわかると思うが、私の弓のレベルで3割の的中率をキープするのは並大抵ではない。昨日の稽古で明らかに分かったことは、年齢を忘れての日々の精進、遅々として成果が得られずとも、長い長いトンネルが続いていても、なにがしかの試行錯誤の果てに、身についてゆくものがあるのだということを、確認した昨日の稽古での5割的中であったのである。気の張りのない体では、矢は当たらない。体に気を入れる訓練、稽古しかない。

自らを信じる能力がやはり自信を生むということに尽きるのではないかと、最近考える私である。


2021-01-09

手かじかみ、朝日を浴びて・寒げいこ。昨日から弓の稽古始めました。

 お休みの朝もほぼ普段通りの時間にめざめる。平均すれば7時間から8時間は寝ていると思う。高齢化すると眠りが浅くなるというが、肉体労働をしているせいか、午後9時を回ると私の体は眠くなってしまう 。

若い時十分に見たテレビには、とうの昔におさらばして(時折のこれはというのは、妻と共に録画してみたりはしているが)可能な限りの昔人的な早寝早起き、朝日を浴びる男的ライフを実践している。

さて、年明けから東京をはじめ全国的に冬の大寒波の襲来と共に、コロナ感染は一気に加速、増え続けている。不気味である。凡夫には想像を超えた出来事が起こるやもしれず、余計なことは書きたくはない。

自分や家族が、コロナウイルスに感染することだって十分にありうる状況になっているくらいの自覚認識がわたしにはある。もう書いた気がするが責任のある大人が自覚をもって行動実践しないと由々しき事態は当分収まらないような気がする。

ともあれ、一庶民としてはそのことの自覚を深め、穏やかな終息を願うくらいにしかなすすべがないのだが。

きょう今年初めての弓の例会稽古、無謀な人生を選択してきた自分ではあるが、少し迷うが、おそらく稽古には行くだろう。昨年も時折の弓の稽古はずっと続けることができたし、かんせんしゃは出なかった。弓道場は射る場所以外は青天井、風が吹き抜け、極端に言葉を交わさずとも稽古ができる。

もう間もなく弓を始めてまる4年(途中半年遠ざかっていたが、故郷の兄の家の近くの個人道場のI先生との出会いで再び始めた)になるが、65歳の誕生日にひょんなことから始めた。いま、弓をひかない暮らしは考えられない。

昨年、遊声塾のレッスンが突然の休塾に見舞われ、今に至るもいつ声が出せるのか見通しは立たない。が、その間弓の稽古を継続できたことが、今も続くコロナ渦中生活の中でどれほど大きかったことか、痛感している。

おそらく生活の中にどこか張りのある、持てる、集中力持続時間があるということが、今の私には大切、元気でいられること証左なのだとの思われる。それとやはり一人でできる肉体労働、アウトドアライフと家でのインドアライフのバランスのおかげで、つましく穏やかに生活できている、のだと思える。

昨日よんだ俳句(私は今年から本格的に俳句を始めた)【寒風に・仁王立ちして・草を刈る】お粗末。仁王立ちといえば、弓は先ずまっすぐ立つ訓練から始まる。40歳から開園前や冬場に中世夢が原で、22年間体を動かし、とくに草刈りをはじめとする肉体労働を続けてきたからこその【今】なのだと思う。

演劇のおかげで自分の体の弱点がわかり、細い体にいかに息を入れるかに腐心してきた私だが、弓のおかげで丹田に息が満ちる感覚が持続できている。いつの日にか声が出せる日まで弓の稽古で丹田呼吸を深めたい私である。


2021-01-03

墨をすり一筆入れ、いただいた年賀状に返事を書き、新年に想う朝。

 年齢にふさわしい、人生で初めてといってもいい静かなお正月を送っている。昨日母は自分の家に戻り、再び妻との生活が始まった。さて昨日、年賀状は昨年をもって卒業する旨お知らせをしたのだが、それにもかかわらず30人以上の方々から、賀状を頂戴した。

私はいただいた方には、墨をすり一筆入れゆっくりとお礼を書くことにし、まずは20人に投函した。この程度の人数であれば、いまだ私には手書きで十分である。松の内に感謝の一筆を投函したい。

いただいた賀状のかなりには自筆文字が見られ、やはりほっとする。還暦を過ぎてから私自身は時折墨をすり、筆や万年筆で文字を書く生活を、時代にあらがうかのように意識的に努めている。これが自己満足的に愉しい。思わぬいっときが流れる。

年頭に当たり、いつまで続くか先の見えないコロナ渦中生活、いつもはやらないことをより意識的に面白がりたく、身近な、感覚を共有できる方にはお便りを書くようにしようと思う私である。時間は一定なので思いを籠め、書けるうちに拙文を綴れるいっときを大切にしたく思う。あとは、実践できるかどうかである。

年末から念頭にかけて、ゆったりとしたまるで幼少期に還ったかのような時の流れを感じながら、五十鈴川だよりを綴ることができた。きわめて個人的、わがままな思い入れの強い五十鈴川だよりであることを、私は承知している。

きっとますます時代の趨勢との違和、祖語、ずれは深まりこすれ、薄まることはないだろう。でもそれでいいのだという、どこかしら柳に風のように、五十鈴川が自然に流れてゆくように、かくありたくあえて時代の趨勢を追うことはとうの昔に辞めている。好きなことに時をゆだねたい。

 それより、自分の体と精神が喜ぶことを、これから毎日やり続けることこそが大事なのだとの思い、可能な限り(といってもデジタルも用いながら)時間をかけて楽しめることの方に、ゆっくりとシフトしてゆきたい私である。

亡き父は万年筆と、筆を愛用し水が流れるように文字を書いていたし、それで足りる生活をしていたので、私もそれに習うだけである。何かに祈るということが、書くという音には込められている。耕すとか彫るということにも。これから先はわからないが、特定の宗教はない私だが、天を仰いで手を合わせたり、お墓参りで祈ることはきっと増える。はかなさをいとおしむ暮らし。気恥ずかしいが愛のある暮らし、しかない。

文字を書くことが、還暦を過ぎて徐々に好きになってきつつあるわたしだ。文章を書くことも文字を書くことも、苦手の極みみたいな私だったのだが、人間は微妙に変化し続ける。心が感じ動く間は、謙虚な心持で日々の生活の細部を丁寧に生きたいと思う。

さて、明日からは半日とはいえ(十分である)私の好きな肉体労働、トレーニングを兼ねた仕事が始まる。朝日を浴びて動けることは、幸福、快感である。部屋に陽光が差し込んできた。

2021-01-02

2021年、明けましておめでとうございます。年頭にささやかに想う朝。

あけましておめでとうございます。一寸先何が起こるかは神のみが知るこの時代、何はともあれ五十鈴川だよりを書けるということ、書ける環境に自分がいて、書こうと思う自分がいるということを、確認している。

私は怠け者であり、自分という存在に世の中に出るまでまったく自信がなく 、何度もかいているが文章を綴るなんてことも、大の苦手だった。そのような私が、今デジタルのおかげで、ささやか細き五十鈴川だよりを、折々書いているのが不思議である。

何度もかいている気がするが、私には自己分析する意欲がまるでない。そのような事より、いかに今日を気持ちよく過ごすかという、一点に焦点を絞るような暮らしを老いゆく身体に心かけているし、そのことは昨年のそして未だようとして終息の見えないコロナ渦中生活で、いよいよもって深まってきた。

アクセス数の多寡ではなく、読んでくださっておられる方がいるということは誠に大きい。書き始めた当初は家族や身近な兄や姉たちに、またささやかな己の生活雑感記録になれば、いいというくらいの気持ちで、軽く書き始めた五十鈴川だより。このように長くつづれていることを、年頭に当たって寿ぎたい。

書き始めた当初、二人の娘は結婚していなかった。次女も家庭を持ち、長女には息子がいる。その息子が3月、3歳になる。爺バカであれ何であれ、このコロナ渦中オンラインで何度孫の無垢な声にすくわれたことか。まことに人生の旅路は未知との遭遇である。長くなるので簡略に記すが、大晦日と昨日東京家族全員が長女のマンションに集まりオンラインでのお正月を堪能することができた。

5月で88歳の米寿を迎える母も年末からやってきて今も我が家にいる。身近な方々全員が健康で穏やかでいられるからこそ、私は五十鈴川だよりを綴ることができる。とくに母がいまだひとり暮らしで自立した老境を健康に生きている母は、すでに何度もかいているが、私のこれからの足元を照らすお手本としたい。

年末、父の形見の丹前がほつれていたのだが、陽だまりの中さっそく針仕事で見事につくろってくれた。老いてゆく摂理はあらがえないが、いまだ自転車で我が家までやってくる元気さをキープしている。

娘たち家族が、母のことを気遣い、母も気遣う。私にはまねのできない、家族第一主義の理屈抜き、良し悪しではなく戦前の教育の面影が色濃く残る昭和の母である。田舎の貧しい家に生まれ、母性が強く、兄弟姉妹が多く、長女として下の妹弟優先自分は高等教育を受けることもかなわなかった。だがきちんと生きて子育てしてきた。立派な母である。

私はこの数年だんだん母の世界に傾斜、土に親しむようになってきたのは間違いなく母の影響である。折々私は反省する。何が立派な生き方なのか。以前は上を目指すことに情熱を傾けてきたが(何が上なのかは置くとして)特に還暦を過ぎてからは、下ることに情熱を傾けるというか、自分のことよりも家族をはじめとするまずは、身近な他者の安寧を優先する母を見習うようになってきた。気づき始めると周りには上下左右お手本にしたい方々に私は恵まれている。テレビなどでいけしゃあしゃあと語るような輩にはとんと感性のアンテナが響かなくなった。底辺でそっときちんと生きている多くの方々からより静かに学びたい。

これは、上下の問題ではなく、私の憧れる方たちは己は先ず置いといて他者のために、心血注ぐ生き方を実践するマイノリティの方々である。生まれながらのマイノリティの弱者や困難な状況下で不条理に生きざるを得ない方々側からの視点から、きちんと物事を冷静に判断したんたんと実践する、勇気あるしたたかなつわものから学びたい。

中村哲先生先生をはじめとするしなやかなつわもの、いちいち名前をあげないが50代に入り書物を通じて知り、読み続けている方々の側に身を置いて考える勇気を持たなければいけないとおもう年頭の朝である。