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2021-01-16

弓を始めてまる4年、20本引いて10本的中した翌日の朝に想う。

 コロナ渦中生活のなか、ささやかちょっぴりうれしい出来事があった。きわめて個人的な事である。自慢話ととられても構わない。前回に続くが弓の話。

間もなく弓を始めて4年を迎える。昨日午後、今年になり4回目の自主稽古に いった。おおよそ2時間の稽古時間息を整えながら、20本射ることに今年から決めた。的中しなくても集中力を養いながら決めた本数しかひかないことに決めたのである。

もう十分に若くはないのだから、無理をしないで一矢一矢に気持ちを込める気持ちを持続したいとの思いで臨んでいる。静かな所作の中に、気持の集中力が絶対的に不可欠な弓の稽古は、非常事態に近い、コロナ渦中生活に、今や私にとっては欠くことのできない大事な時間となっている。

ただ単に個人的なうれしい出来事として、五十鈴川だよりに書いておきたいだけである。今年になって弓の軌道、矢筋が落ち着いてきた感覚が、ようやくにしてつかめそうになってきつつあるなかの昨日の稽古、何と初めて10本的中したのである。

今年の目標は的中率を3割くらいはキープすることなのだが、いきなり5割 。我ながら信じられなかった。肉体的には下り坂の年齢の中で、できるだけ弓をひくだけの体力気力をキープしながら日々生活することは、言うは易く行うは難しである。

でもまずは道場に向かい、他者の目線の中でも揺るがず稽古を積み重ね、持続してきたからのご褒美五割なのだ。的中するにしくはないが、今の私には道場で静かに自分と向かい合い、弓を射る時間こそが黄金の一時なのである。

弓のおかげで、生活全般がこのコロナ渦中、誤解なく書くが、充実して過ごせているのは間違いない。それとやはり肉体労働。集中力を高め、心おきなく打ち込める好きないっときがコロナ渦中生活の中に持てることは幸福である。

だが、野球に例えてもわかると思うが、私の弓のレベルで3割の的中率をキープするのは並大抵ではない。昨日の稽古で明らかに分かったことは、年齢を忘れての日々の精進、遅々として成果が得られずとも、長い長いトンネルが続いていても、なにがしかの試行錯誤の果てに、身についてゆくものがあるのだということを、確認した昨日の稽古での5割的中であったのである。気の張りのない体では、矢は当たらない。体に気を入れる訓練、稽古しかない。

自らを信じる能力がやはり自信を生むということに尽きるのではないかと、最近考える私である。


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