ページ

2019-01-31

久しぶり、シェイクスピア遊読輪読会チラシ配布を思いつく朝。

昨夜は遊声塾のレッスン日。レッスンの夜は体は疲れていても、声に出した登場人物の気持ちが残っていたりして、単細胞の私には珍しく床に入ってもすぐには眠りに落ちない時がたまにある(ほんとにたまに)。

昨夜は16歳のロミオや同世代のティボルト、ジュリエットの父親ほかいろんな人物を音読したので、年齢を忘れいまだ精神が高ぶるのである。

精神が高ぶっていて、すぐに睡魔が訪れなくても横になり、じいっと闇の中で物思いにふけっていると、気が付くと眠りに落ちている。

ところで、雨は落ちていないが雨模様の朝である。今日は午前中の仕事はなし 、ゆっくりと五十鈴川だよりで始動する。

シェイクスピアの輪読遊読会を始めることはすでに何回か書いているが、3月24日午後に、とにもかくにも第一回がやれるところまでこぎつけている。

ひょんなことから、遊声塾のレッスンに参加されるようになった塾生のNさんが、私の苦手なことをすべてカバーし、素晴らしいチラシを作ってくださった。今週中には出来上がる。

Nさんのおかげであっという間にチラシができた(感謝)
チラシが完成したら、時間を見つけて、あちらこちらに 配布に動こうと思っている。動かないことには新しい出会いはない。

この6年間シェイクスピアを音読し続けてきたことで、私自身の初老生活がいかに充実してきたかは、私自身が一番自覚している。

だが、冷静に考えると、老いながらあの膨大な、時に魔術的なほどに絢爛豪華なシェイクスピアの登場人物の言葉を、性根を入れて音読できる時間は、指導は別にしても私には限られている。動かずば悔いが残る。

だからなのだ、悠々として冷静に急げ といった心持の体のわたしだ。チラシ配布などは企画者を辞してからはほとんどやっていないのだが、効果のほどはさておき、15名くらいの輪読参加者を募るために、やれるだけのことはやってみようと思っている私である。よしんば参加者が募れなくても、後悔だけはしたくない。

だから今日は時間を有効に使うべく、何人かのひとにアポを取り、会いに行こうと考えている。

思いついたら吉日、何はともあれ行動あるのみである。












2019-01-27

五十鈴川だより8年目、寒い朝に思う。

週に一度くらいしか書けない時も、何とはなしに、のらりくらりと書き続けて、五十鈴川だよりももう8年目になる。

三日坊主と人に揶揄される私が書き続けていることが、自分でもにわかには信じられない、継続は力なり、とはよく言ったものであるとやはり思う。

私自身が、一番やはり驚いている。何しろ、本を読むのも、文章を書いたりすることも、苦手であった私が、今や本は手放せないし、週に何回か五十鈴川だよりを書かないと落ち着かないくらいに、書くという行為が自然の流れになってきつつある。

特に昨年から、今年にかけては随分五十鈴川だよりを書いている。書くことで、昨日の自分と今日の自分との、それこそ超ミクロの意識の移り変わりを綴ることで、自分自身の危うい移り変わりを、確認しているのである。(ように思える)

自己満足、自己確認、いわばどこか厚顔無恥につづる瘋癲初老人の精神の自慰行為である。そして老いつつ、老いに揺れるいい歳の私がいる。




月に一度墨をすって文字を書く、丸6年が経った。愉しい。

老いるとは、初めて経験する未知の領域の自分との出会いであるとしかいいいうがない。誰かが言っていた、子供の悩みも、老人の悩みも、本質的に人間の悩みは同じである。


そうなのである。ヒトは老いも若きも悩みつつ前進もし、後退もする壊れやすい器なのである。その器をいかに運ぶかという、運べるのかが、私の場合肝要なことなのである。真理はもろくも揺れ動く、だから、五十鈴川だよりを綴るのである。

いわく言い難いが、私の場合苦しむことと悩むことはかなり異なる。悩みはするが苦しむことはご免である。老いつつも感性の欠落を少しでも補うためには、どう生きればいいのかという事こそが、肝要。

言わぬが花的な日本スタイル、それを言っちゃあおしまいよ。野暮、であるとは思うのだが、何しろ私が大好きなシェイクスピア先生は饒舌である。語るに落ちるともいう、だが、私は語って語って人生を終えたいという側に、徐々にシフトしてゆきたい。

デジタル機器にはとんちんかんな私だが、レイさんが五十鈴川だよりを設定してくれたおかげで、気ままに雑念タイムが過ごせるのは、矛盾しつつもうれしい。やがていつの日にかつづれなくなる。書けるいまを書くのである。


2019-01-26

旅は束の間の解放、気のおもむくまま、最後はこのところ必ず神田で過ごす。

土曜日の朝である。先週、五十鈴川だよりを書きあげて、上京してから瞬く間に一週間が過ぎた。

わずか二日半の東京旅、着いて日曜日の午前中 娘たちと朝食をするために、神田のホテルを早朝に出て、都心散策を楽しんだ。

大手町から皇居前、桜田門、三宅坂から麹町(この近辺の会社で妻は働いていた)まで歩き、そこから地下鉄半蔵門線で渋谷に出て、井の頭線と京王線を乗継、娘の暮らす稲城までゆき、束の間東京家族とブランチを過ごし、とんぼ返りで両国に向かったのである。

健康であるからできるのだと思うが、18歳で上京後暮らした場所を、訪ねたくなる自分がいるのは、きっと年齢的に過去を反芻する余裕のようなような感情の表れであると、自分では思っている。

どこか今現在の暮らしに余裕がなかったら、(いろんな意味で)東京散策は不可能である。神田、水道橋、飯田橋、お茶の水、銀座、あの界隈はスマホがなくとも、体の中に未だ地図がある。

ロンドン自費留学を思い付き、3年近く当時水道橋に在った旭屋書店でフリーター生活、週に3日、雄山閣(いまもある)という出版社で宿直のアルバイトもやっていた青春真っただ中、早朝皇居一周のジョギングをたまに私はやっていた。
東京堂書店のブックカバー(めったにカバーをしないのだが)

その時の記憶が、きっと今回神田から麹町までのおおよそ皇居半周を歩かせたのである。

今後、きっと上京するたびに、歩ける間は東京ウォーカーになりそうである。何せ私にしか感知しえない、思い出がぎっしりと詰まった土地、時に苦しく苦い青春時代特有のおもいでまでもが、今となってはノスタルジックによみがえるのである。

老いたのであるという自覚と共に、歩けるうちにいろんな記憶の整理確認をしたりしながら、いよいよこれからの人生時間をこそ、きちんとしっかりと歩まねば、との思いが私をして、歩かせているのだと思う。

お恥ずかしき、おじじの青春時代を望晃くんに伝えたいとの思いもどこかにあるかも。いずれにせよ、私は歩くのが嫌いではない。

東京は、私にとっては限りなくアナーキーになれる魅力的な大都市である。若い時には生活するだけで精いっぱいであったが、今は足の向くまま、老い楽街歩きが楽しめる。

旅の醍醐味は私の場合、身軽な服装で、情報を追わず、まったく何にも拘束されず、おのれの体を動かし、視野に入る近景遠景に身をゆだねることである。必ず意外なことにであえる。芯からの解放、たまさかであるからいいのである。

ところでこの数年、必ずゆくところに神田の東京堂書店がある。カフェも併設されているので 買った本が静かに読める。近くには岩波ホール。(今回もグルジアのフィルム、ブドウ畑に還ろう、を見たが面白かった)

神田には、上手いカフェや手ごろなランチの店が狭いエリアにひしめいてある。犬も歩けば棒に当たる、的な旅こそが私は好きである。

2019-01-25

シェイクスピア遊読輪読会のチラシ原案に、私の思いを入れる言葉を考える。

(2019年、新たにシェイクスピア作品の遊読輪読会を具体的に始めることにした。)
塾生のNさんが作ってくれたチラシ原案

シェイクスピア遊声塾を始めてまる6年、塾生とのレッスンとは別に、もっと多くの未知なる方々と共に、一期一会的にシェイクスピア作品を遊読・輪読する魅力を知ってもらえたら、との思いがにわかに私の中で強く湧き上がってきた。

(私自身これまで生きてきた人生の中で、転機の際、多様なシェイクスピア作品の登場人物の言葉に、生きてゆく勇気、ヒントのようなものを勝手に解釈しながら得てきた。)

人間の実存的な危うさ、生れ落ちた運命の中で、個人が悩み苦しみ格闘する姿を、シェイクスピアの作品群は、初期から後期まで、37本の作品(悲劇・喜劇・歴史劇・浪漫劇など)の中で見事なまでに描いている。その多くの作品群の言葉は国境を飛び越え人の胸を撃つ。

人間存在の絶対的矛盾、根源が浮かび上がる作品群の言葉のあまりの素晴らしさ、その言葉の豊饒さを声に出し続けてきて、老いらくの声ではないが、この歳にしては少し不似合いな、まるで言葉に恋をしているかのようにシェイクスピア作品を読む楽しさが増してきたのである。その思いを未知の方と分かち合いたい。

未知は、あまりの素晴らしさに満ちているという側に私は立つ。シェイクスピア作品を声に出しあう【場】を設けたい理由、人と人がシェイクスピア作品を声に出しあい、出遭いたいのである。



2019-01-24

妻の生誕日に想う、夕方の五十鈴川だより。

言葉にならない知的刺激を受けて岡山に戻り、昨夜充実した遊声塾のレッスンを終え、早木曜日である。

この時間帯に五十鈴川だよりを書くことは珍しいのだが、今日は妻の誕生日である。妻のことを五十鈴川だよりに書くことは、多分私が年齢を重ね、面の皮が厚くなるにつれて、きっと増えてくるのではないかという気がする。

何回か書いているが 、妻に関することを書くことを妻は嫌がるので、努めて書かないようにしているのであるが、生誕日はやはりおめでたい。妻なくして私の人生はないが(これはのろけでは全然なく、事実である)特別なことはしない。(妻が仕事を辞めたら何かしたい)

いまは二人でささやかにお祝い食事をするだけである。東京の娘たちや、レイさんからも朝一番お祝いの言葉が届いていた。妻は そこはかと嬉しそうだった。妻は母性の鏡のようなタイプの人である。

妻は花が大好きである
見知らぬ男女が出逢い家庭を持ち、何とかやりくりしながら30数年現在に至っている。双方の両親の子育てのおかげなのだと感謝し、極めて足るを知るを心かけ、つつがなく家族全員が生活できている今を感謝するだけである。

世代も環境もあらゆることが異なる我々だが、何故だかはわからないが、共にくらしていられるのは楽だからというしかない。

あえて共通するものを強いてあげるなら、二人ともつましいひと時暮らしが好きだということくらいである。

お互い華美な暮らしを経験したことがないために、そういったことができないし興味もなく、何が普通科は置くとして、普通に今日一日がつつがなく健康に過ごせればそれに勝る悦びなし、といった点では完全に一致している。

歳と共に、つれあいの良さがしみてくる、先のことは神様の領域だが、連れ合いとの晩年時間をこそ楽しめるようになりたいと私は願っている。

いよいよこれから健康を基本に、夫婦の良き関係性の持続、お互いの時間を大事にしたいと思うのである。



2019-01-22

二十日、両国のシアターXで行われた邦楽番外地に立ち会うことができた喜び。

まだ少し身体が寝起きだが、いつものように書いているうちに何かがつづれるやもしれぬというあんばいの朝の五十鈴川だより。

わずか二泊三日の上京旅から昨夜9時過ぎに帰って きて、遅い夕飯を少しだけ食べ、久しぶりに爆睡した。

さて、今回の上京旅、非常に中身の濃い、出かけた甲斐のある面白い出来事が続いて、やはりたまには田舎から出かけないといけないと痛感した、上京旅となった。

その出来事の詳細を、つまびらかに記す言葉も時間も持ち合わせてはいない、五十鈴川だよりだが、両国のシアターXで昨日午後行われた土取利行さんの邦楽番外地、一言出かけてよかった思わせるに十分な密度の濃い、意外性に満ちたイベントに立ち会えた。

毎回私の知らない素敵なゲストアーティスト が邦楽番外地には出演するが、今回も名前だけはよく知っているが、直接ライブを聞いたことがなかった、いとうせいこう氏。

いったいどのようなイベントになるのか、興味しんしんで出かけたのだが、想像を超えた知的でスリリングな言葉が飛び交う(土取さんの歌う唖蝉坊の言葉といとうせいこうさんのラップの見事なまでの融合)意外な展開、時代の闇をあぶりだす、芸術家同志の感性が見事なまでに舞台に厳然と出来した。

時代の底辺を生きる人々に寄り添って歌を紡いだ偉大な親子
まず数曲土取利行さんが、三味線を手にし添田唖蝉坊のうたを歌ったのち、いとうせいこう氏が登場し、とても言葉では記せない思わぬ意外な組み合わせの創造性あふるる 、即興ライブがお二人の間に展開し、そのあまりの楽しさ、素晴らしさ(時代の闇を照射する言葉のすごさ、しかもその言葉は激しくも優しい)にびっくりさせられたことを、わずかであれ五十鈴川だよりに書いておきたい。

この歳で生で初めて聴くラップを、よもやまさか土取さんの邦楽番外地で聴こうとは、そしてそのラッパーがいとうせいこう氏であったなんて、これがまさにイベンチュアルな出来事といわずして何といおう。氏の低音の繰り返しの激しく迫る波のうねりのような、詩人のラップに土取さんのパーカッションが寄り添う。

土取さんが演奏し歌う唖蝉坊の(言葉が平明で、だから言葉を持たない底辺を生きる人たちにもきちんと届く、私にも)世界と、いとうせいこう氏のラップの世界との即興ライブ、今そこで眼前に繰り広げられる瞬間芸術の両者のあまりに見事な融合。

両者が、芸術家同志が、年代も歩んできた道のりも異なるお二人が、見えない芸術の世界で見事に心を通い合わせるまさに一期一会のスリリングな催しに立ち会うことができた喜びをわずかだが、きちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。






2019-01-19

前人未到の世界を多面的に追及する音楽家、土取利行さんの今を確認しに出かける朝の五十鈴川だより。

花金ではないが、妻も私も金曜日の夜を共通して喜べるようになってきたのは、私が午前中の、私の現在ではこれ以上は望めないほどの、フリーター生活を昨年夏の終わりから始めたからである。

瞬く間に金曜日の夜がやってくるというような按配の暮らしを続けている。頑張り屋の妻には、もう仕事を続けなくてもいいのではと、声をかけたりもしているが、本人は60歳までは働くといっている。

(これからは一段とお互いの生活を尊重し、寄り添ってささやかに、よりよく老い楽力を高めてゆきたい)

だから、彼女の場合ことさらに金曜日の夜が、私以上にうれしいのである。ささやかに金曜日の夜は、共に翌日の朝を気にしないでゆったりと夕飯を味わえる事がまたうれしい。

人間の暮らしには、特に私の場合、何かにおわれるようないい意味でのストレスが必要、それが向上心につながるのではという、淡い期待がある。

それに対応するには、何といっても体力が勝負なのである、身体あっての気力である。

夕飯後たまにであるが、見たいTVなどもあるのだが、私も妻もとにかく体調維持を優先し 、一日よく動いてくれた体をいたわり横たわり、寝むようにしている。

大げさではなく還暦後、特にこの数年意識的に体をいたわるようにしている。そのおかげだろう、一日にリズムが生まれ朝の目覚めが実にさわやかである。

とくに午前中は老俊(春)を感じるほどに快調感がある。だからなのだろう、五十鈴川だよりを綴れるのは。睡眠の奇蹟というしかないほどに、7時間熟睡し今朝もおかげさまで快調である。

ところで、今日から急きょ二泊三日で上京することにした。今回はノア君には会いに行くが、娘のところには泊まらず両国に近いホテルにした。

出掛ける前の五十鈴川だより、何度も書いているが東京はわが青春の思い出が、ぎっしりと詰まった大都市、特にこの数年私にしか感知しえない思い出の土地、暮らした場所などに足が向かう自分がいる。

それは、きっと私がいい意味で老いてきたことと、今現在の暮らしに余裕があり、どこか幸福であり、ただ単に青春時代を振り返るのではなく、望晃くんの生誕と共に、ささやかに生まれ変われないにしても、今しばらくの元気な自分を持続するための、良きあがきのようなことをどこかに求めているからである。
42年前三味線をもって歌う土取さんを誰が想像しえたであろう、すごいの一言。

ところで土取利行さんは私より2歳年上、私の青春時代に最も良き影響を勝手に受けた音楽家である。最初の出会いは25歳ロンドン。

最も尊敬する演劇人、ピーターブルック演出のユビュ王の舞台上での楽師として、パーカッショ二ストとしてである。(その後、氏のなした探究心尽きない仕事は、同志の桃山晴衣さんとの出会いで、ぐんぐん多岐に広がる。演歌のお仕事は桃山さんの道半ばの志を受け継ぐものである)

その出会いがなかったら現在の私はない。あれから間もなく42年、つかず離れず私は氏の多面的な音楽的追求の現場にそっと可能な限り足を運び 、非力を顧みず全力で、企画自主公演も数回実現してきた。

そして今また演歌のルーツ、源流でるの明治大正期の偉大な添田唖蝉坊・知道親子二代の知られざる歩みの全貌に迫り掘起こし、果敢にやむことなく前人未到の世界を突き進んでおられ、必ず案内を下さる。

武士の情けという言葉がある、友情という言葉もある。父親が言っていた情を大切にせよと。言葉にしたいが言葉にならない絶対矛盾 的な感情、氏ほど孤高を端然と生きておられる芸術家を私はほかに知らない。頭が下がる。

私にできることは、案内に応えて出かけるだけである。明日は氏の現在を眼底に焼き付けるつもりである。

2019-01-18

図書館で素晴らしい本に新年早々出遭う。

立花隆著【武満徹・音楽創造への旅】という本が、今年の本格的な読書の始まりとなる。

私は本を読むのが遅い、ということはたびたび書いている。雑誌とか、気軽に読める本はともかく、書いた方が渾身を込めたような本は、じっくりと読むのでおのずとそうなる。

若い時には、それこそあれもこれも乱読の体であったが、この歳になるとじっくりと、何度も繰り返し、読むに堪えるような本をこそ読みたくなってくる。

ところで、武満徹という稀有な今は亡き作曲家の18年前のはロングインタビューが2年前に上梓され、その本を図書館で見つけたので今朝から読み始めている。

(私が武満徹という名前を知ったのは映画音楽と、谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の、死んだ男の残したもの、という歌である。高校生のころよく歌った。現代音楽の作曲家であるのを知ったのは世の中に出てからである)
高校生のころ死んだ男の残したものという歌を知った

800ページにも及ぼうとする、大著である。ズシリと重い中身の濃い本、あだやおろそかに読んだりしては、ばちが当たる。

ともあれ、2016年に上梓され、以前から読みたかった本が、新年早々図書館にあったことが何やらうれしい。

今年から、時間はかかっても、静かにじっくりと読みたい本を丁寧に読める時間をこそ大切にしたいと思っている。

ところで、一昨日20日に行われる東京両国に在るシアターX での土取利行さんからの邦楽番外地の案内が届いたので、とんぼ返りでも行こうかと思っている。

ゲストはいとうせいこう氏とある。私にとっては土取利行さんは私の人生で直接出遭えた、時代に迎合しない稀有な本物の音楽家である。

立花隆さんにとって、武満徹さんが本物の作曲家であったように。往復の新幹線の中で読むにふさわしい本である。車中読書が楽しみである。

2019-01-15

徳山道場の新年月例会に初めて参加しました、そして想う。

昨年11月17日、弓之町にある徳山道場の弓道初心者教室を終了し、昨日午後一時からの今年最初の、新年月例会なるものに参加した。

月例会がどういうものであるのかの詳細でさえ、深くは認識していない弓道初心者の私であるが、ともかく参加した。

弓道歴数十年の方から、私のような初心者まで、19名が参加した。徳山道場の伝統的な射の儀式体配で始まり、参加者全員が4本の弓を5回、計20射矢を放った。
義理の息子のレイさんにもらった本、繰り返し読むことになると思う

すべてを終えたのは夕闇迫る5時過ぎだった。私の結果は、ちょっと気恥ずかしいので、こころのうちに留め置くことにするが、昨年大晦日に参加した百射会(途中で中座した)に続いての、先輩方注視の中での射、いやでも緊張したが、ひたすら集中を心かけ、何とか射ることができた。

この年齢で、初心者教室を終えたばかりの私である、日暮れて途遠しという言葉がよぎる、がいい意味で開き直りながら今を苦楽することをよしとしたい。

声を出すことと弓は、一見全く相反するような営為に思えるが、深く通底するものがある様に感じている。何よりも全身に気を巡らせ集中しないといけない。

そして注意深く、丁寧に所作を意識して我が身を運ばないといけない、修養の持続継続は、私のようなものぐさものには、なかなかの修練である。

でもまあ、何とか第一回の月例会を無事に終えることができた。そのことがまずはよかった。声出しと、弓の稽古がこれからの心身の励みになる。一歩、一歩である。

その中で見えてくるもの、湧き上がるなにかが、下ってゆくこれからの生活で見つけられれば、、、。そのためには先のことなど考えず続けるしかない。

2019-01-14

市原悦子さんがお亡くなりになった、そして想う。

休日の朝、よほどのことがない限りは、まず五十鈴川だよりを綴ってから何とはなしに始動するようになってきつつある今年である。

これから本格的な寒い季節に入ることになるが、しばし冬眠をするかのように過ごしたいという気持ちが私には強い。

春を迎える前の厳冬期のこの季節は、父や母、義父の命日が続きが可能な限り静かな暮らしを心かけたいのである。

私が歳を重ねるにつけ、この季節は逝きし人たちの面影に想いをはせる季節になってきた。

話は変わるが、あのような雰囲気を醸し出す女優はなかなかに顕れないであろう市原悦子さんがお亡くなりになった。

私は20代の終わりのころ、岩波ホールで白石加代子さんと共演した【トロイアの女】を見たことがある。演出は当時早稲田小劇場を主催していた鈴木忠志氏。

今となっては伝説的な舞台である。重心を低くした体から腰の据わったメリハリの利いた言葉が、小さな劇場ではないホールに響き渡り、凛とした 姿が今も記憶に鮮やかに残っている。

作家、あらゆる芸人、芸能者、芸術家はやはり時代の中で生まれ、時代と共に生き、そして消えてゆく運命なのであろう。(人間すべてが)
最近知り合ったからいただいた御本(今年は焚火もしたい)

1970年から1982年まで、私が18歳から30歳までの12年間、想えば多くのいまだ私の脳裡に刻み込まれた、印象的な俳優が存在している。

今遊声塾で声を出しながら、この間に視た、素晴らしい俳優たちのおもいでの残像が時折私の中で蘇る。宝の記憶、そして私に勇気を与える。

そして想う、この12年間の青年期に体験したあらゆる出来事が、今の私の 初老生活を多面的に支えてくれていることを痛感する。

肺腑をえぐるかのように届く名優の情熱的な言葉に、何度も若かった私は打ちのめされたのである。映像作品での市原悦子さんはみることが叶うが、舞台作品はもう永遠に観ることが叶わない。

舞台俳優は生で見ることしかかなわない。わずかその場に居合わせたものしか、だからこそ私には尊く思われる。(私が上京するたびに岩波ホールで映画を見るのはあの当時の記憶が蘇るからなのかもしれない)

DVD・CDほかいくらでも複製コピーによる間接体験的感動が、ほとんどになりつつあるこのご時世、60年代の終わりから70年代にかけて、思春期から青年期を東京で過ごしたなかで、直接観ることがかなった個性的というしかない、名優、怪優、奇優たちのあまりに人間的な存在感が懐かしい。

詩人であり、演劇的な概念をことごとく打ち破るべく新しい演劇に挑み続けた寺山修司は、血は立ったまま眠っているという戯曲を書いている。新劇から前衛劇、アングラ演劇、テント移動演劇、百花繚乱の体の演劇が都内のあらゆるところで、しのぎを削っていた。

新劇の老舗である、俳優座を退団し、前衛劇から映画、テレビと幅広い世界で果敢に生きられた市原悦子さんという存在はもういない。(ささやかに心からのご冥福を五十鈴川だよりに書いておきたい)







2019-01-13

今年からシェイクスピア作品、遊読群読輪読会を始めることにしました。

先日、今年初めての遊声塾のレッスンが、私を含めて6人で行われた。レッスンに先立っておそらく初めてのことだと記憶するが、年頭に当たって一言それぞれ塾生に語ってもらった。

各人らしい一言が聴けて、私の中で今年もこの面々と共にシェイクスピアの言葉を声に出し続ける決意のようなものが、にわかに湧き上がってきた。

そして、ロミオとジュリエットの1幕から3幕までを新鮮に声を出し、初レッスンを終えた。なんとも言えない充実感、今年もこの面々と登場人物の声を出しあって過ごせる、健康であるがゆえに味わえるひと時に感謝した。

さて、今年から新たにもっと気軽に、シェイクスピアのあまり知られていないない作品に触れられ場を設けるべく、年に5回から6回くらい、十数人くらいを限度に、群読輪読会を実現しようと意図している。

数十年遊声塾を始めるまで本棚で眠っていた(素晴らしいというほかない)。
何はともあれ、まず第一回目を3月か4月にまでにやるために、何人かの仲間に相談したいと思っている。(簡単な呼びかけチラシを2月中には作るつもりである)

とりあえず古希を目標に、節制を心かけ声を出す(出せる)喜び、楽しみの持続、そしてもっともっとシェイクスピア作品の魅力を私自身が学びたいという気持ちが、にわかに湧いてきたのである。

遊声塾のレッスンの中で始めた、輪読の楽しさを、知ってもらうために 、そしてシェイクスピア作品のそのあまりにも豊かな日本の言葉の豊かさも体感してもらうべく、と考えたわけである。

より一歩前に出ることで、思わぬ出会いがあるやもしれぬ、との淡い望みもどこかにあるのは否めない。

ま、ともあれ理屈ではなく、湧いてくる熱のようなおもいが、いまだ私の中に在ることにしがみついて、新たな展開に、カッコつければ挑みたいのである。

結果などはどうでもいいとは言わないが、遊声塾だって単なる思い付きがこのように継続しているのであるから、まずは思いついたら吉日、始めるにしくはなしである。


2019-01-12

那須塩原に住む友からお手紙をいただき、そして想う。

私が30歳の夏、これからどう生きてゆこうか途方に暮れていた時に、倉本聰氏の北の国からの撮影で使われた富良野の丸太小屋に逗留していた時、(富良野塾に入る前)当時北大生であったI氏からお手紙が届いた。

昨年暮れ、私が送った干し柿のお礼が、すぐ氏とわかる文字で文面がつづられていた。君子の交わりは淡きこと水の如しというが、こういう古い関係性の時折の間接手紙やり取りが、現在の私には最も重宝に感じられ、うれしい。

(老いてゆく中での、落ち着いた時間の中でゆっくりと熟成するかのような、淡いたまさかの互いをおもんぱかる交流 )

この数十年のインターネット革命の渦中をしり目に、何とか生き延び(私は今もその時代の渦中を、その予測もつかない未来社会に、どこかかすかに不安を覚えながらも)今後ますますその渦の中からは、遠くに在りたいと考える初老の輩にとって、お手紙はやはり心の深くに届く。

干し柿が手間暇かかる様に、お手紙もまさにそのように、ゆったりととした時間の中で相手をおもんぱかりながら、書かれたものはおのずと繰り返し読むに値し、じんわりと行間に今現在の彼の暮らしの心境がしのばれる。

出遭って後36年、氏の人生にも様々な風雪があったに相違ないが、ひょうひょうとした温和な物腰や態度は変わらず文面ににじみ出ている。このような激動の時代、移ろいゆかざるを得ないさなかの、関係性の持続は稀な事、ありがたきというしかない。

手紙は立ち止まって、お互いの過ぎし来し方を 想像させる。お正月の五十鈴川だよりに対する、コメントも綴られていてありがたかった。

朋遠方より来たりまた楽しからずやというが、お手紙遠方より来たり、またうれしからずやといったところ。

万年筆や、墨をすってのへなちょこ文字であれ、何か自分らしさが浮かび上がる文面が書けるようになるには、どうしたらいいのかも、またこれからの老い老い生活の楽しみとしたい私である。

デジタルでキィを打って書く、手で文字を刻む。この併用の加減バランスこそが私には望ましい。五十鈴川だよりを書くために始めたキィボードたたきであるが、老いながらも随分と早くたたけるようになった。

もう早く書く必要のない私には、手で文字を書ける今後時間をこそ大切にしたいと考える。I氏に返信を書きたい。


2019-01-09

今年も絶対矛盾を抱えながら、生活者として少しでも学びたく思う。

お正月は2日に母と妻と次女の4人で温泉に、5日はレイさんと娘と望晃くん、妻と母と6人で渋川動物公園に出掛けたくらいでほとんど家と近所の散策で、極めてのんびりと過ごし、ゆっくりと過ごした。

一昨日から本格的に普段通りの暮らしに戻りつつある。昨日は夕方今年初めて弓道場に行き、たまたま私一人だったが約一時間弓をひいた。(空に瞬時三日月が見えた)

もう間もなく弓を始めて2年になる。ようやっと的前に一人で立てるようになったことに、いうに言われぬ、私自身の思いがある。

一人、的前に立ち、まるで年齢にあらがうかのように背筋を伸ばして、身体とと心を的の中に見据えて矢を放つ。(あらゆる負荷が体と意識にかかる)

なかなかに的には当たらない。ただただ現在の持てる力を振り絞り的に相対する。このひとり時間がなんとも言えない心の落ち着きを私に与えてくれる。

今年も何とか週に数回、道場での時間を持ちたいと思っている。弓は私に感覚を研ぎ澄ます修養の一時を与えてくれる。いやでも自分と相対するようになる。弓を始めなかったら味わいえなかかった感覚である。

さて、今夜から遊声塾 のレッスンが新たに始まる。今現在の体と心で、今年も可能な限り新鮮にシェイクスピアの言葉を声に出してゆこうと行こうと思う。

シェイクスピアの言葉をより深く落ち着いて体感するために、長いセリフや気に入った言葉を書き写すことを、昨年のリア王から始めたのだが、今年も可能な範囲でロミオとジュリエットの登場人物の長い言葉を書き写すことを継続したいと思っている。
生きたいように生きるがよろし、私の場合は一生活者として。

だが、いささかの絶対矛盾かもしれないが、本質的には怠惰でいい加減な私をどこかに自覚し続けながらも、18歳から世の中に出て何とか生き延びている私である。

その中で今私が一番大切にしたい(している)ことは、トータルに普通の生活者として極めて普通に生きることである。

若い時には、芸術や文化的と思える世界(先日も書いたが結果的にそれが良かった)に、逃げ込むかのように生き急いでいたが、それは中世夢が原退職と共に卒業した。

この6年ゆっくりあらゆることをリセット。18歳には戻れないが、気持ちは原点帰り、まずは身近な家族を中心にしての 、一庶民としての生活者になる。(つもりだ)

普通ということは、どのようなことが普通であるのかのことはさておくが、私なりの普通を生きると思うだけで、芸術や文化的な事には生活者として(の視点で)かかわってゆくということである。

素晴らしい芸術や文化遺産ははシェイクスピアを持ち出すまでもなく、燦然と 世界の宝としてそこにあるのだから、一生活者に滋養を与えてくれる芸術や文化をこそささやかに、限られた時間、地に足をつけて今年も学んでゆきたいのである。


2019-01-07

ちょっと寂しい、普段通りの我が家になりました。

約11日ぶりに夫婦二人だけの静かな朝を迎えている。昨日午前中娘夫婦と望晃くんを岡山駅まで送ってゆき、元の生活に戻り、我が家のお正月も終わった。

私の中でも 普段通りの生活に戻る。2019年ははたまたどのような年になるのか皆目わからないが、確実なのはまた一つ歳を重ね、緩やかに死の世界の方にシフトしてゆき、自分の現在地を確認しながらの、日々を送ることになるだろう。

昨年、ネガティブケイパビリティ(うまく翻訳できないのでそのまま)という言葉を本を読んでいて知ったが、身体が老いてゆく中での成熟ということ について、可能なら考え続けながら、日々を送りたいと思案する。

私の書くことは、ややもするとオーバーになりがちであるが、どこか妄想性というか、ここではない、どこかあらぬ世界のことなどを想像する癖のような体質がないと、臆面もなく五十鈴川だよりのような、あるがまま、わがまま拙文はつづれるものではない。

この数年、書き始めるまでほとんど何も考えず、書き始めると何やらの一文を綴るような按配。自分の中の何か(おそらく存在の不確かさ)を鎮めるための、いまわの際的、おまじない五十鈴川だよりになりつつある。(ような気がしている)


凄いスピードで娘の離乳食をほうばる望晃くん、生命力そのもの。
さて望晃くんの 生誕で、現実におじじとなりいやでも孫の存在は、現在の私の今後を多面的に照らす道しるべのようにさえ時折感じている。

とはいっても、私は単なる爺バカになるつもりは毛頭ない。只今感じているのはただただ一人のおじじという人間として、恥ずかしくはないおじじになりたいという、極めて普通の感覚がより深くなってきつつある。(とおもう)

最後の日の夜、家族のこれまでのささやかな歴史である写真のアルバムを、レイさんや娘妻、母と共に夕食後見入った。

現在の望晃くんと同じくらいのころ、私が娘をお風呂に入れている写真 に見入った。あれから30年近い歳月の末の現在である。

様々な感懐に私がふけるのも致し方あるまい。事実は小説より奇なりである。つづっていると妄念が、妄念を呼ぶ五十鈴川だよりであるが、今年も静かに、時に流れに逆らって老い力を蓄えるための方法を思案したい。

2019-01-05

古希を見据えながら日々を送りたく想うお正月。

次女は3日に帰京したが、長女家族は今日までいるので、母も含め6人で午後出かけようと思っている。

今後も繰り返し書くことになるかと思うが、世の中に出てから演劇などという、想えばあまりに不安定な世界に十数年身を置いていたがために、よもやまさかこのように普通に家庭を持ち、子や孫に囲まれてのお正月が望めるなどとは、思いもしなかった私である。

本質的な事はともかく、人間は歳と共に外見も中身も、環境も含め多様な関係性で、まるでカメレオン(私の場合)のように変容 してゆくことを、ことさらに実感している。

若い時に、自分が望んだとはいえ、あまりにも背伸びを、挑戦を繰り返した(いま振り返るとそれが結果的にはよかったといえる)がために、幸福感のうすいみじめな生活を余儀なくされたが、今現在のあまりに普通での人並みの暮らしが、にわかには信じられない私である。
レイさんと娘たちがプレゼントしてくれたキンドル

37歳の時娘に恵まれ、私の中で何かが壊れ、新しい自分と巡り合い(今考えれば)その後は脇目もふらず子育てと思いもかけぬ仕事に邁進し、いつしか演劇的世界のことなどとうに忘れていた。

子育てに一区切り、61歳で企画者としての仕事にも一区切り、どういう風の吹き回しか、再び若き日情熱を傾けた、シェイクスピアの日本の翻訳された言葉を声に出し続けて丸6年がすぎた。

若かったあのころ、私にとっては大変な生活ではあったが、その間に学んだことが、今の私の初老生活の核になっている有難さを、深く痛く感じている。

ギリギリの生活の中で身体を通して学んだことや、つかんだことは、ヒトの体の奥深くにしっかりと根付いているのを実感する、無駄飯は食っていなかったのである。

一回こっきりの人生を、まるでフィクションのように、夢とうつつを往還し、演劇的に生きることの豊かさ の方法のようなものを、いよいよもって自由に、老いてゆく時間にこそ大事にしたいと思う。

そういう意味では、若いころの苦労は買ってでもせよと、今は亡き父がよく口にしていた言葉の重さの意味を、ようように感じている私である。

考えてみると、四捨五入すれば古希が間近に感じられる年齢に私もなってきた、そのことをどこか他人事のように感じながらも、時折冷厳に時が流れている現実を今更のように厳粛に受け止めている。












2019-01-03

妻と共に初詣で、そして想う。

元旦にちょっと驚きのサプライズがあり、今年は次女にも良きことが起きそうで、年明け早々我が家は笑顔に包まれた。

その余韻を胸に、昨日の朝妻と共にいつも初日の出を見に行く近所の山にいった。二日なのでもちろん誰もいない 。見事な初日の出を望むことがかなった。

朝一番、静寂の中神々しいというしかない光を浴びると、この年齢でも何やら神妙な面持ちになり、特定の宗教を持たない私だが、そっと何かにすがるかのように祈ったりするのだから不思議というほかはない。

先のことはわからないが、歳を重ね、死を間近に感じたり、何か大きな出来事があると人は宗教に帰依したりするが、ややもすると自分にもそのような感覚が育ってくるのかもしれない、などとも思ったりもする。

いずれにせよ、娘たちが伴侶に恵まれ子供が生まれ、家族の体をなすにしたがって、私と妻はいやでも老いの役割(夫婦としての身の振り方)のようなことを、おのずと考えるようになってくる。

そのことが、わが夫婦の老いてゆくこれからの時間を豊かにしてゆくために、どのように過ごしてゆけばいいのかを、考え続けねばならない、(のである)。
23年前買っていた本、アップするのは二度目、いま沁みるように読める

話を変える、だがささやかに私自身が情熱を傾けている、シェイクスピアの音読や、弓の稽古、ほかも、身体の衰えを少しでもカバーしながら、継続持続を図るべく、より繊細に時間を大切に過ごしたいというふうに考えている。

ということで、昨年五十鈴川だよりには書いたのだが、義理的な年賀状はもう書かないということにしたのだが、いただいた方には、墨をすって 全て手書きで昨日投函した。

まるで時代遅れの手書き年賀を書いてみると、これがまた驚いたことに、実に新年書初めのような感じで愉しく書けたのが意外で、おそらくはこれから減ってゆくであろう年賀状は、年が明けてますますゆっくりと書くことが一番であると認識した。

また一つ老いてゆく中での楽しみを見つけたようにさえ思えたのである。孫の望晃くんにも、墨をすって文字を書くことをささやかに伝えられるおじじでありたいのである。

ナイフで削るとか、火の起こし方とか、極めて人としての原初的な基本的たしなみをわが孫に伝えたいのである。意外や意外、孫がおじじを活性化させお役に立てるのであればこれこそが老いてゆくものの、自然なサイクルの在り様ではないかとさえ、私は思うのである。

ともあれ、今年も五十鈴川だよりを書きながら、自問自答しながら右往左往の蛇行を繰り返しながら、老いつつなるべく日々を新たに過ごしてゆきたい 。

2019-01-01

2019年、あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。わが拙き五十鈴川だよりを読んでくださっている方々に、こころからの新年のお祝を申し上げます。

何はともあれ、新しき年が明けました。いつまで五十鈴川だよりが書けるかは存じませんが、今年もとりあえずは書ける情熱のある自分がいることを緩やかに確認しながら、うちの中に湧いてくる言葉を通して、日々の自分の揺れる在り様を綴りたく、と祈っています。

この数年近所に初日の出を眺めに出掛けていますが、今朝は望めるでしょうか。望めなくても3が日のうちには望みたく思っています。

毎日日は昇り沈むわけなので、時に、ことさらにとは横着な私などは思うのですが、やはり年が改まると、一つの長い伝統の厳かな儀式として、大切だと思う気持ちは年々深まってきます。

この年齢になると、やはりどこか体がいつおかしくなっても当たり前、相応なのであるから、そうなった時になるべくうろたえないための、なにかを少しでもわが心と体のどこかに、蓄えられたらなあ、と今年も念頭に当たりおもう私です。

ともあれ、昨日は家族全員で極めて当たり前ごく普通に健康に年越しができました。とくに母が健康に、年越し小宴会に元気に参加できたこと、またそこに昨年までは存在しなかった望晃くんが加わったことも含め、あきらかにわが家族もそれなりの変容を、生きています。生きていることはまさにそれぞれが変容してゆくことにほかなりません。

ですが、この厳しき時代の趨勢のなか、全員そろって笑顔で過ごせたこと、その一点における我が身のありがたき幸福に感謝しました。

健康に動けることをはじめとして、極めて当たり前、当然だと思えることが、実はまったく当たり前ではないという、極めて深い気づきは、私の場合歳と共に感じています。

もう何度も五十鈴川だよりに書いていますので、ことさらに書くことは控えますが、おそらく今後もまた、永遠と一日的な感じを、私が持てるような感覚がある間は、繰り返し書くことになるのではないかという気はしています。


ところで、いつものように話を変えますが、先日養老孟司先生と、CW・ニコルさんとの対談集【身体を忘れた 日本人】という本の中で、養老(いい苗字ですね)先生が、世界が変わらなくても、自分が変われば世界は変わって見えるということをおっしゃっていました。

然りと、私はうなずいたのですが、バカの壁的に自分という存在を枠にはめるのではなく、いい歳をしてなどという世間的な色眼鏡に惑わされることなく、歩みは遅くとも、ささやかに変化しながら、自分にとっての気持ちのいい過ごし方を心かけながら生きてゆきたく思う、年頭のわたしです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。