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2018-12-31

新聞記事で松浦武四郎という方の存在を知りました、大晦日の朝に思う。

いよいよ今年も大晦日の朝である。3日前から母も含めて家族全員で寝起きしている。リビングと書斎以外は5部屋が埋まっている。その中で、私は衣裳部屋の一番狭いスペースで寝ている。

布団を敷いたらもうほとんどスペースがない。狭い、でも私は気に入っている。何か子供時代に還ったかのような気分である。人間なくなる時には畳一畳というではないか。

冗談ではなく、老いと共にこの世から消えてゆく準備の覚悟を持つためにも、時折の狭いスペースでの過ごし方を、と考えた方がいいのではと、想ったりしている。

枕元のほんのわずかのスペースに、パソコンや本、夜中の水分補給の飲み物などをおいて、寝る前の一時寝起きの一時を過ごすのもまた一興である。

私と妻だけなら寝起きと共に始動できるが、早起きの私が目が覚めても、ほかはまだ寝入っているので静かにしているのである。

とくに望晃くんがいるのでできるだけ静かに移動、皆が起きるまでは静かにしている。この五十鈴川だよりは、書斎にそっと移動して書いている。

ところで話を戻す。ひと月ほど前新聞で幕末の探検家松浦武四郎という方の記事が目に留まった。生誕200年、蝦夷地を北海道と命名した人とある。
このような記事を見つけると新聞を購読してよかったと思う。

記事を読むと、晩年古希を迎え有名な寺社の古材を集め、一畳敷という建物を建て、客人一人を迎えるのに十分であり、人生最後の時を過ごすユニークな書斎を創ったとある。

この一畳敷なる建物を再発見し、来歴や意味などを研究したヘンリー・スミス、アメリカ コロンビア大学名誉教授(日本近代史)のインタヴュー記事である。

死に臨んで人生を振り返る建物で非常に創造的な建物であると書かれている。現在その建物の原寸模型が、ICU(国際キリスト教)大学博物館に常設展示されているとある。

是非行ってみたい、幕末から明治にかけてこのような個性的な独自の発想で凛と生きた人物のことを初めて知ったが、松浦武四郎という方のことをもっともっと知りたくなった。

あわただしき世相には体がついてゆかないし、いまだ意識や体が興味や好奇心がおもむくものに、静かに収斂して ゆきたいと考える私である。

ともあれ、晩年時間を有意義に生きた先人たちの英知に少しでもあやかりたいと、大晦日の朝、物思いにふける私である。










2018-12-29

赤ちゃん怪獣、望晃くんは天真爛漫リビングで遊びまわる。

昨日は午前中アルバイト治め、帰宅してあわただしく昼食の後、長女を迎えに岡山駅に、戻って望晃くんの昼寝と同じ時間私も午睡、起きてから夕飯までの一時を図書館で過ごし、お正月に読めそうな本を数冊借りた。

夕飯を済ませ、最終新幹線で帰省する次女をまたもや岡山駅まで迎えに行くために、ストーブののそばでまたもや寝て過ごし、10時半家を出て娘をピックアップ12時過ぎに帰宅。

これで全員がそろい、今夜からは母も我が家に合流し新年を迎えることになる。これを書いている今は、皆ゆっくりと起きて朝食を済ませての五十鈴川だよりタイムだ。

望晃くんの生誕で、7人での初めての正月となる。リビング以外の部屋は全部各人で埋まるのでこういう時には、ちょっぴり余裕をもって家を建ててよかったと思う。

家を建て替えて、18年が暮れようとしているが随分と重宝して使わせていただいている。思い出がいっぱい詰まっている家に、ノア君が加わり、また新たな展開がこの家の中で始まる。
I氏に頂いた本、ほとんど共感する。

居住空間として、またプライベートな空間としての家の果たす機能は大きい。居心地の良さの大切さこそが、家という空間の大事だと思い知る。

望晃くんはほとんどの時間をリビングで、皆に見守られながら過ごしている。お爺バカではあるが、今のところ両親の深い愛情の元、これ以上望めないほどに健やかに愛育されている。

今朝はじめて望晃くんの離乳食を途中から娘とバトンタッチ、私が口元まで運んだのだが、鳥の赤ちゃんのように夢中で口をもぐもぐさせ、あっという間に適量を平らげる健啖家ぶりに、感心することしきり、そして愉しかった。

望晃くんはまるで、いい意味での赤ちゃん 怪獣の趣である。百面相のように表情が変化するので、見飽きない。

しゃぶり、なめ、噛み、握り、つかみ、たたき、立ち、しゃがみ、つま先立ち、かじり、動き回る、そして時折じっと何かを見つめ観察する。犬のメルと猫の花とはもう遊び相手だ。

日々新鮮な感覚で、世界と対峙し、好奇心のおも向くまま飽きるということがない。そして食べ、疲れ、眠る。(ホモサピエンスの真理が詰まっている)

一体全体何事が日々彼の中で生成されているのであろうか。大きくなって記憶に無いこの時期の過ごし方こそが、大事なのだろうと考える。

子供は親を選べないが、爺バカとしてはレイ君と娘の育て方を見ていると、感心のほかはない。子育てに絶対はない。


2018-12-28

息子レイさんの育面ぶりに新しい家族を見る。

一昨日から息子のレイさんと孫の望晃くんがお正月休みで帰省している。生後9カ月で母親がいなくても、レイさんが育面の鏡としか言えないほどに、離乳食を作って母親不在でもまったく問題なく望晃くんが育っているのに感心しきりである。

このようなを五十鈴川だよりが書けることは、おじじとして幸福である。あまりにも複雑化している感のある、現代社会における家族の問題であるが、幸いにも事我が家に関しては、全員が今のところ健康で社会生活を過ごせ、母もいまだ元気であるからこそ、極めて有難く普通にお正月を迎えられそうである。

健康で、つつましく、シンプルささやかにという以外に、ことさらの家族観は私にはない。老いをゆっくりと感じながら、おじじになり(させてもらって)望晃くんの日々の変化を間近に接するにつけ、殊勝にも老いの役割のようなものを、柄にもなく考えるようになってきつつある。

老いてはこに従えなどという、私の父は老いても子に従わないほどの頑固な個性の持ち主であったが、さて私はどうなってゆくのか、と自分の今後に自分自身がいい意味で揺れる。

それほどに望晃くんの新しい存在は、老いてゆきつつの、私の内面生活に 変化を示唆してくれそうな気配である。

こればかりは、私もおじじにならないと感知することのなかった感覚なので、今更ながらに孫という存在の不思議さに驚かされている。

娘を持った時の父親としての感覚とはまた異なる、この年齢ならではの、そこははかとした味わいである。
望晃くんの離乳食グッズ

あきらかに死者の世界に近づきながら、新しい生命力にたじろぎながらも、その生命力にあやかれる幸福の時間の厳かさのようなものを、柄にもなく私は感じるのである。

ほかの方は知らない、私は感じる。オーバーではあるかもしれないが、孫の存在はこれまでの私の過ごしてきた歩んできた生活そのものをさえ、見直してしまいかねないほどなのである。

孫に恵まれてあの人変わったよね、といわれかねないが、どうか広い心でご寛恕願うしかない。長い人生時間、人間は折々変節脱皮しながら生きるしかない(自分の良しとする方向へ)特に私の場合は。

いずれにせよ、母親はお昼過ぎ、次女は夜遅く帰省し久しぶりに全員そろい、我が家はにぎやかになる。新しい歳、望晃くんを迎えての初めてのお正月となる。

娘は平成元年に生まれ、望晃くんは平成の最後の年に生まれた。時間は流れ流れ、我々はささやかに家族の歴史を刻んでゆく。


2018-12-23

夫婦で掃除し、年の瀬時間を楽しむ。

お正月は長女家族、次女も帰ってくる。そのために妻は、各人のために寝具や、特に今回は孫の望晃くんが成長しているので、あれやこれやとその準備に追われている。

とにかく我妻は、家の中のこまごまとした雑事をすいすいとこなす才能が、私に言わせれば長けている。いそいそと楽しそうにこなしている。

どうしてもできないことがあるときのみ、私に声がかかる。それは主に力が必要な場合である。だから私もできる限り彼女の意に添うように、心かけるようになってきた。

特に休日は、これからのお互いの人生時間を 可能な範囲で共有できるようにしたいと、殊勝に私は決めている。中世夢が原で働いていた時には、よんどころのない私の思いを優先し、ずいぶんと彼女に助けられて、仕事に集中できたので、これからは彼女との時間を大事にしたいのである。

このようなことを綴ると、老いらくのおのろけと、あらぬ誤解を招きそうなので止すが、晩年の夫婦としての時間の過ごし方を、可能な限りいい感じでと願い、そのよき作法のようなものを、探りつつ老いゆく時間を大切にしたいのである。
沖縄の画家、桑江良健氏に頂いた絵、宝である。

昨日も、台所まわりの頑固な汚れ、ガラス磨きなどを頼まれたので、あいよとこなした。きれいになると実に気持ちがいい。新しい年を迎えるために、先人たちは家の中をきれいに掃き清めたり、積もったちりを祓い、お清めの儀式を工夫したのにあやかる。

ともあれ、拭き掃除、掃き掃除は掃除の基本中の基本である。ぞうきんを絞るという極めて当たり前の営為も、近年は減ってきつつあるように見受けられるが、私は雑巾がけは体操くらいの頭の切り替えでやることにしている。

剥く、ほどく、結ぶ、拭く、掃く、磨く、つまむ、絞る、しゃがむ、重いものを全身で持つとか、etc。自分の体の微妙な細部を 私を含めた現代人はあまりにも使わなくなったように思える。

進化とは退化であるとの言葉が浮かぶ。何かを得たら何かを失うとの言も。自分の体と心が気持ちよくなるとは、いったいどういうことなのであろうかと、今更ながら年の瀬に想うのである。

今日は午前中徳山道場の大掃除、午後は我が家のストーブのある吹き抜けのリビングの天井の掃除をやろうと思っている。

やがてはAIに頼る日が来るかも しれないが、神からいただいたわが体が動くうちは、わが動く身体を神に感謝し、妻と共に掃除に励める年の瀬、身体を動かすのである。


2018-12-22

オフタイム、冬の夜長は書物巡礼。

土曜日の静かな朝五十鈴川だよりを書ける、うれしい。レッスンをはじめとする夜出かけることは、年内終了した。

あとは来週数日、昼間のアルバイトが残るだけである。気分としてはもうほとんどオフモードである。

オンとオフを生きている間は永遠に繰り返す。これから歳を跨いでのオフタイム時間が格別にうれしい。今年は何やらいうに言えないほどに、私の内面がやささやかにに変化しつつある自覚があるからである。

よく生きるためにはよく休みつつ、インプットとアウトプットの 加減のバランスが、私の場合つとに必要である。

(今年は年内お墓参りに帰ることがかなわなかったが、来年旧正月までには時間を見つけて帰省したく思っている)

今、無知な私には知らない言葉がたくさん飛び交う松岡正剛氏と舞踏家田中民氏の【意身伝心】という対談本を読んでいるのだが刺激を受ける。還暦を過ぎ仕事を辞め本を読む時間が増えるにしたがって、読みたい本がますます増えてゆく 。

ともあれ、自分にとって刺激を受ける良き本との巡り合いが有難いことに今年も続いていることに関しては感謝するしかない。

本を読むスピード、理解力がことさらに私は遅い、あらゆることに時間がかかるが、今年は 随分と良き本に巡り合えた気がしている。

良き本は、本当に心の友足り得る。外見は老いても想像力は脳の神経細胞を活性化してやまない。時折私は声を出し文字を音読する。音読的に黙読するだから時間がかかる。
前人未到の世界に挑むお二人の対談(すごい)

集中すると聞いたことのある作家の声などは、語っている文体の声が私の体の中で響いたりしたりする。(私は生で松岡正剛氏の声を聴いたことがある)たぶんこれは、自分の体が作家の文体に入り込んでゆきながら読んでいるからだと思う。

シェイクスピアの言葉に限らず、音読するのはその文体の中に自分が入り込んでゆきながら、体感しながら味わってゆくということなのである。

だから、深く体に響いてきた言葉はこのところ書き写したりする。だから本を読む時間はますます遅くなる。数十ページ読んで、身体にその時点で響いてこない本は(どんな名作であれ)読まない(読めない)。

佐藤優氏は速読の本で語っておられた。自分が限られた人生時間で速読するのは、遅読するに値する本に巡り合うためであると。

要は、今現在生きている自分にとって、必要な本に巡り合えるために、巡礼読書をするのである。水や空気を入れ替えるかのようにというとオーバーであるが、その方にしか書けない実体験が醗酵したかのような、よき言葉やフレーズ、リズム、文体。

魂を未知の世界へといざなう登場人物を創造し、物語り、読者に勇気を与える書物こそが初老の私に必要なのである。

孤独に書物めぐりのオフタイム、冬の夜長時間が楽しみである。













2018-12-16

今年も年の瀬が近づいてきました、そして想う。

この一年を振り返るのには、まだちょっと早いが、66歳で過ごしている今年は後年きっと転機を迎えた歳として、記憶されるだろう。望晃くんの生誕、リア王が読めたこと、弓道の初心者教室を終了したことなど。

何事もよいことばかりではない。つらいこともあった。ヒトは総体的に良いことなどは、厚かましいくらいに書けるが、つらいことや整理がつかないことなどは、なかなかにかけないものである。

かくいう私もそうである。私はかなりの饒舌家であるが、整理のつかない思いは文章化することで、もやもやのおもいを明らかにしたい、だから沈黙の時間を過ごすのである。

さて、シェイクスピア遊声塾を始めてもう丸6年が過ぎようとしている。今夜が遊声塾の今年最後のレッスンである。

何度も書いているから もうよすが、よもやまさか、30年近くシェイクスピアを声に出していなかった私が、思い付きと勢いで始めた極めて個人的塾が6年も続いている、現在6名の塾生がいる。

まずは参加してくださっている塾生のおかげがあるからこそ続けられている、そのことがまず第一である。始めた当初30年も声を出して読んでいなかった私の体は、膨大なエネルギーの登場人物の言葉を声に出すたびに体が 悲鳴を上げていた。

それでも、やはり楽しかったからだろう。塾生の入退が続く中、最古参のY氏と共に声を出し続けての現在である。在塾の塾生は時に厳しい私のレッスンに耐えている、素敵な面々である。

肉体的には下り坂の初老生活の中で、とにもかくにも声を毎週毎週全身で声を出し続けて丸6年。漸くにしてほんのわずかではあるが、自分の中にも塾生の中にも手ごたえを感じ始めている。

その感覚があるからこそ、いまだ湧き上がる情熱のようなものにしがみついているのである。昨日書いた村上春樹氏は小説を書くのが大好きであると、天職であると述べておられる。
この方の本は年の瀬ゆっくりと読みたい

そんな大作家の言葉を持ち出すのもはばかられるが、ささやかにシェイクスピアを声に出して読むことに、飽きない(好きだから)からこそ初老男の躰を時折忘れて、満座に恥をさらし声が出せるのだろうと、思っている。

私にとっては謎の戯曲、リア王を何とか終え、頭の切り替えに時間がかかったが、私にとっての原点ともいえる ロミオとジュリエットに、いま私と塾生は挑んでいる。

私にとってシェイクスピアが創造した、あまりにも魅力的な登場人物の台詞は、いまだ初老男を活性化させる。日本語によるシェイクスピア作品に巡り合えた私の好運というしかない。

息を吸い、吐き、膨大な熱い言葉の洪水との戦い、その果てに見えてくるものがある。それはたたかわないものには永遠に見えてこない類の何かである。

やわな私の体は、何度もシェイクスピアの言葉の前で、息が切れる。でもいい切れた時、吐ききった時には恍惚感が体に満ちる。

登場人物と自分が瞬間入れ変わる、変身する。人間は自分と他者が時折入れ替わる器である。老いを見つめながら、声が出せる器としての体を一年でも長く大切にしたという思いが深まる。







2018-12-15

村上春樹著【職業としての小説家】を読み、深く撃たれ想う、。

この時間でもまだ外は暗い。昨日夕方何とはなしに体が重く気分がふさぎ気味だったので、邪気を払うような面持ちで、ゆみの道場に行き約一時間ほど弓の稽古をした。空には半月に近い月。私ひとり別世界であった。

弓の稽古を始めたのは65歳の誕生日からだから、来年の2月で丸2年になる。始めた当初のことを想えば、よくもまあ続いたものである。

例えて言うのもまるで違う世界のことなのであるが、これと似たような思いをあえて挙げるなら、富良野に31歳でいったときのことが浮かぶ。

31歳だったからこそ、2年半の富良野での、遅い青春の 最後の時間を、よくもまあ耐えられたものとの思いが蘇る。

ほかの方はいざ知らず、私は意志が弱く自分の 好きな世界に逃げ込みがちな思春期を送ってきたのだが、世の中に出てこれではどんな世界でも通用しないとの思いに次第にかられながらも、何とか糊塗をしのいできた。

長くなるのでこれ以上書かないが、自分が心から好きで楽しめて なおかつそれで生計を立てながら生きてゆける人は、そうはいないというか、ほとんどはいないのではなかろうか。

還暦も半ばを過ぎいま、今ようやくにして心身ともに穏やかな、初老生活を送っている自覚がある。


だがこの感覚も、継続持続を怠ると、握った砂のようにわが手から漏れ出すのである。だからこそ日々邪気を払うかのように、何事かにしがみつき、内心の得体のしれないものと向かい合っているのかもしれない。

話は変わる。村上春樹という世界での評価がほぼ定まっている作家である。。氏の新しい小説を待ちわびる読者が今や世界にたくさんいて、毎回ベストセラーになる。翻訳されている国は50か国に及ぶ。

私は、初期の氏の作品を読んで以来、ほとんど氏の作品を読んでいない。そのような私だが、先日図書館でたまたま、職業小説家としてのこれまでの歩みの想いを赤裸々に語っている本を手にした。

読み始めたら止まらなくなった。一読私は深いため息と共に、飾らない誠実な語り口文体に、魅了された。愚かな私はこの方の新しい文学をまったく誤解していたのである、一方的に。深く反省している。

そして、この方は本当に小説を書くことが 好きで、天職として職業となしうる道を選びうる運命に導かれたのであることを、深く納得した。

氏は私より3つ年上である。かすかにあの時代の空気感を私も共有している。なぜこのような作家が私と同時代に出現したのかは、やがて時代が証明するだろう。

私は氏とは育った環境があまりにも異なっているがために、生理的にある種の距離感があるのはいなめないのであるが、そんなことは些細なことである。

本質的に氏の小説に真摯に取り組む姿勢、そのあまりなまでの、いい小説を書きたいがための一途さ、一見過剰に思えるストイックな生き方は誤解を生むのかもしれないが、天職なのであるから致し方ない。

氏の考えだした新しい文体はワールドワイドに通用する、現代日本を代表する作家なのである、そのことを深く遅まきながら、私は得心したのである。よかった。





2018-12-11

村田喜代子さんの小説を読む、師走の一時。

この数日の急な寒波の到来で、一気に師走モードになり冬が来たという感じである。早寝早起きの私は、ことさらに師走の朝を感じながら、ちょっと五十鈴川だよりのひと時。

世の中の流れのようなものからは、ずいぶんと遠いところにいるような気分で日々を送っている感じのわたしである。それでまったく不都合を感じないので、まあいいではないかという感じ。

ただ何とはなしに、若い時からマイナーな、常に少数マイノリティの側にいるかのような暮らしを続けてきて今があるので、ことさらに書く必要もないのだが。

ずっと時代の流れにはついてゆけない自分の体を、引きずりながら生きてきたような按配のわたしなので、いよいよこのまま流れてゆく覚悟のようなものを、老いてゆきつつ深めてゆけるのか、否かと、思案するいっときは増えてゆきそうである。
1945年生まれの作家、もっとこの方の本は読みたい。

世の中の流れは、長生きを称賛する傾向があるが、何事も自然な流れ、ほどほどの加減が望ましく、長生きもさることながら、要はいかに生きたいのか、(生きたのか)ということこそが、問われるべきなのでは、との側に私などはくみするものである。

とはいえ、初孫に恵まれてみると、どこかに少しでも長生きして、その成長を見守りたいという、ささやかな願望なども生まれてきたりするのだから、いい加減な自分ではある。(絶対矛盾)

ともあれ、人間は日々揺れながら、揺蕩いながら、ああでもないこうでもないと思案しながら流れ流れて、いつとはなしに自分に都合のいい変節を繰り返しながら、存在してゆくしかない生き物である。(私自身が)

さて、私は本は読むものの、あまり小説の類はこのところほとんど読んでいなかったのだが、たまたま村田清子さんという作家の本を今手にしている。

もうすぐ読み終える。初老の夫婦の話である。詳細は割愛。このような本を私も手にする年齢になったのだなあ、との感慨が私を襲う。

へそ曲がりの私は、なんとなく気がせく師走こそは、時間を見つけて静かに内省的に良き本に巡り合うべく灯火親しむ時間を大切に過ごしたいと思う。



2018-12-08

何とかご午前中のアルバイト4か月経過、そして想う。

夏の終わりから主に草刈りを中心としたアルバイトを、基本的に午前中だけではあるが始めてから、4か月が経とうとしている。

長くなるから詳細は省くが、土日や雨の日はお休みなので、今のところすこぶる私は この自分の裁量で時間の都合がつく、この体動かしの仕事が気に入っている。

それは体の動き具合で、体調が良くわかるり、声を出す意欲やあらゆる今やっていることの持続力の調節できるからである。(やるやらぬの加減が)

時折の草刈りやいろんな肉体労働を、を中世夢が原で20年以上続けていたことがやはりすべてはいま役に立っているのだということを実感する。

思えば18歳で小さな志を抱いて上京し、あの高度成長期生きるがために、主にあらゆる肉体労働仕事に従事しながら、生き延びることができた私だが、その間に体に蓄積してきた、学んできたことがいま現在無駄ではなかったことを痛感する。

体を動かすと疲れる、したがってよく眠れる。この循環が単細胞の私には実によく合っているのだ。

年末の今、植木の植栽の刈込を主に機械を(手ばさみでもやる)使ってやっているのだが、これはこれまでやったことがなかったのだが教わってやっている。
丁寧に何事も為すことの大切さ

のびた枝を頭を刈る様に刈ってゆくだけの、これまた単調で単純な仕事ではあるのだが、上達するには、最低限の持続力可能な体力がいる。

ほぼひと月以上やってみて、ようやく少し愉しくなってきつつある。体で覚える、うまく刈り込めるようになるとやったことが形となるので、そのすっきり感、達成感。

集中力と持続力、気を抜くと危ない。根気と加減の阿吽の呼吸、老いつつ学ぶ今である。

芝刈り、草刈り、刈込、等々広い敷地の中を順次移動しながら、天の下での体動かし仕事が、実に私に合っているのだ。休憩時には一人声を出して遊んだりもできる。

気が付くとあっという間に時間が過ぎてお昼、家に戻って昼食の後はしばし休んで今度はまったく違う 時間を過ごす。

このメリハリが、インドアとアウトドアの往復がいいのである。今日は土曜日、ゆっくりと五十鈴川だよりが書けるのがこれまたうれしい。










2018-12-04

日曜日、遊声塾のレッスンで16歳のロミオの5幕のセルフを声に出し、そして想う。

ニュース(これも偏って編集されているとつとに感じる、表層的に報じているのがほとんど、新鮮さや意外な深みがあまりにも感じられない、紋切型)やこれはみる価値があるというものをのぞいては、ほとんどTVというものを見なくなって久しい。

したがって、夕飯後は薪ストーブの炎を眺めながらゴロゴロと過ごすのが、私の冬の夜長のささやかな喜びである。

そして、眠くなったら速やかに休むのである。幸いなことに私はすぐに眠りに落ちるし、寝ることが好きであり、ありがたいことに健康であるからなのだろう、目覚め感もすっきりしている。

だからなのだろう、起きてそう間もないのに五十鈴川だよりがつづれるということの有難さを今も書きながら感じている。(私の全財産は、いま健康に動ける身体以外にはないのであることへの気づき)

よく動くためには、よく体を休めないと、私の場合無理である。睡眠不足だとあらゆることがうまくいかない。老いてはよく眠ることの重要性をことさらに感じる。

若い時のように、無理がきかないし、無理してはいけない。【ゆめゆめ無理は禁物下り坂】といった按配なのは承知している。

とはいうものの、生来の気質、受け継いだDNAというものは、おそらくはこの生を閉じるときまで、止むことはないのであろうことの絶対矛盾を私は生きている。
松岡正剛氏には永遠の少年が棲んでいる

話は変わる。おとといの日曜夜、変則的だが遊声塾の稽古をした。個人的な都合でいつもより稽古時間を早めたため、最初4人で声を出していて、死に急ぐ5幕のロミオをたまたま私が読む羽目になった。

66歳の私が、16歳のロミオの荒れ狂う言葉を声に出す。ついこの間まで80歳のリアの言葉と格闘していたのに、いきなり獰猛なコントロールのきかない思春期の言葉を。

成り行き、ええいままよ、と私は構わず飛び降りるような感じで、生理的に直観的にロミオの言葉を必死で声に出した。

うまく言えない、上手くは書けないが、シェイクスピア遊声塾は限られた人数で 、数多いシェイクスピアの登場人物の言葉を、真剣に遊び心で声に出す塾である。

役柄的には、まず一生読むことがかなわなかったであろう役を、思わぬことで始めた私塾では、魅力的な登場人物の声を出して遊べるという コロンブスの卵のようなことが可能なのである、ということの改めての気づきの感覚が、ロミオを読む私の体に澎湃と響いたのである。

自分とは不確かな実在の器、思春期のことなどすっかり忘れていたかのように生きている初老の私だが、かすかにいまだにあの淡い、きゅんとなるコントロールできない自分が住んでいる。

だから遊声塾を立ち上げて、今も飽きることなく声をだして遊んでいるのではないかとの思いをあらためて自覚した。



2018-12-02

本から本への老いらく時間へと、やがてはシフトしたいと想う師走の朝。

ことしもはや12月にはいった。月並みだが、歳月は人を待たずという言葉が沁み行ってくる。

だが、こうして月並みな拙文を今現在つづれることの有難さを、どこか深く感じ入ってしまう。

この世に生を受け、時代の影響をもろに受けながら、曲がりなりにもどうにか生き延びることができ、こうして生きていられることの不思議さを、いまだ感じながら、そうして一日の始まりに、五十鈴川だよりがつづれる幸を。

日の出が遅くなって、間もなく二階のこの部屋に日差しが朝の到来を告げる。年々、日の出や、日没、月の形の推移に、また雨や風、あらゆる気象の変化に、わが心は微妙なざわめきを覚えるようになってきた。

老いる、つまりは死者の側に近づくにつれ、生きていることの微妙な淡いが、ことさらにしみてくるようになってきた。これを老いの幸徳と私は受け止めている。

すでに何回か書いているし、これからわが命がいつまであるのかは皆目知る由もないが、これからはことさらに動けなくなる、動かなくなる自己を、静かに見つめる(内面はきっと激しく動きながら)日々が増えてゆくのでは、と66歳の年の瀬に思い、その転機の年の始まりとしての、老いの揺れ具合を五十鈴川だよりに記しておきたい。

おのれの体の微妙な移ろいは、おのれの体が一番やはり感じている。その中で今日やれることの優先的な大事、小事を、きちんと整理しながらきっと来年からは、ことさらに不義理を承知しながらの、老い楽ライフに意識的にシフトしてゆくつもりである。

ということで、義理的な年賀状はよすことにした。とはいっても絶対矛盾を生きる私であるから、出したい方には年が明け手書きの一文を筆にしたためたいと、(書ける間は)思っている。

話を変える。この数年若い時にあまりに学ばなかったつけをしみじみ感じる。松岡正剛氏の本や、佐藤優氏の本を読むにつけ、気づいた時からでもいいから、読まねばならぬ読みたい本が目白押しなのである。
歴史的な現在を編集工学する知的巨人

本を読むには、体力がいる。健康体でないと集中力持続力が続かない。この6年シェイクスピア遊声塾で声を出しつつづけてきたおかげで、あまり遠出はしなくなったものの 元気である。

わが本格的な初老生活は、学ぶことに費やしたいとの思いが年々深まり、有限なるわが人生を、可能なら知的好奇心に充てたいのである。

無知から出発し、無知を思い知らされ続けての現在であるにもせよ、そのおかげで何やらを少し感じるようになってきて、若い頃は手の届かなかった本が 読めるのだから。

2018-11-30

4泊5日の上京での、出来事を記録的に。

約8か月ぶりに上京し、娘のところに4泊世話になり帰ってきてもう二日が過ぎようとしている。

爺バカになるし、孫の望晃くんの成長をこの目で しっかりと見届けてきた。レイさんと娘がしっかりと、二人で協力して、彼らなりの子育てを実践している様子に、安心と安堵と、いささかの感動を持った。

とくに男親の、レイさんのかいがいしさぶりには、(日本男子とはどこか異なる、うまく言えないが)感心した。(レイさんが口に運ぶ離乳食をガンガン望晃くんは食べていた)

ともかく、無心で親の愛情を受けながら、すくすく育っている望晃くんの天心爛漫な表情には何度も打たれた。

さて着いた翌日、娘たちの住む稲城からは、対極の千葉は津田沼に住む、兄の娘にも先月二人目の男の子が授かり、義理の姉が お世話のために駆け付けていたので、着いた翌日会いに行き、しばしの語らいの時間が持てた(母子ともに順調)。

その帰り、私が18歳で上京し最も世話になった、劇団民芸に所属する佐々木梅治先輩 と神楽坂で落ち合い、出遭っておおよそ半世紀、旧交を温めた。

この年齢になると、そうはなかなかにゆっくりと話をする機会も稀なので、私には珍しく事前にセッティングをしていたのである。

気が付くと5時間くらいあれやこれやと話し込み、 お互い健康で談論風発できる今を寿いだ。半世紀の時間が流れても、先輩はちっとも変わらない。

そのような関係性が交友として、今も持続しているのは奇跡的である。 そのことがこの年齢になるとよくわかる。

あらゆる関係性には旬というものがあり、季節のようにその旬は移ろってゆく。ましてこの半世紀の急激な全世界的な時代の推移の中での関係性の持続なのであるから、お互い感慨もひとしお、苦労が(私の苦労などは大したことはない)報われ地道に仕事が増えている先輩の姿に接することができるのはうれしく、稀なことなのである。
往復の新幹線で11講まで読み進む、すごい編集力

ともあれ、最初に行った演劇学校の仲間では、亡くなった方もいるしほとんど交遊関係がない中で、佐々木梅治先輩とだけは交友が続き、氏は初心貫徹、元気で活躍している。

そのことがうれしい。そしてやはり刺激を受ける。田舎から出てきて理屈ばか、りのいたらない私を、よくお世話していただいた。耳の痛いことを言われ、時に激論もした若き日の思い出がよみがえる。今となってはすべてが良き思い出である。

そのような先輩と巡り合えたわが人生の運命に感謝する。そのことをきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。

今回の上京では、ほかの方との予定は入れず、3日目は二人の娘と井の頭公園のタイ料理のお店で(レイさんと望晃くんもともに)ランチ。

夜は次女とお寿司をいただき、ゆっくりと近況を語らい。4日目は昼間神田の岩波ホールで【ガンジスに還る】という 映画を(よかった)観、夜は娘の手料理をいただきながら、レイさんとゆっくりと語らいのひと時を過ごした。

火曜日は、少しだけ神田の大好きな古本街でいっとき過ごし、お昼の新幹線で夕方には家に帰り妻と夕飯ができた。






2018-11-23

昨夜カルチャー教室で新しい生徒さんと二人きりでレッスンしました。

弓道の初心者教室を終了し、一区切りを兼ねて、3連休を利用して娘のところに4泊お世話になり、急きょ上京することにした。

出発前のちょっとあわただしき朝の五十鈴川だよりである。でも何か書きたい業深き初老男である。

昨夜はお一人ではあるが、カルチャー教室での新しい生徒さんとの二人きりのレッスン初日であった。

夕刻、山陽カルチャーの駐車場に着くと、屋上から見事な満月が浮かんでいた。先月も眺めることができたし、今月も眺めることができて私はささやかな幸福感に満たされながらレッスンする教室におもむいた。

個人的な事なので、生徒さんのことに関しては一切触れないが、今回の生徒さんもなかなかに個性的、忙しい生活の中で何とかシェイクスピア作品を読みたいととの情熱がある方で、その情熱が私にやはり微妙に伝播し、シェイクスピア遊声塾とはまるで異なる声出しレッスンをすることにした。

この方は、11月に行われた一日体験レッスン に来られ(これまで一日体験に来た人はいなかった)そのまま参加された初めての方である。

いろんな講座のあるカルチャー教室ではあるが、やはり翻訳日本語による シェイクスピアの言葉を声に出して読もうという方はそうはいない中、参加されているので私としては単純に嬉しいのである。

いつものように、最初の声出しは【間違いの喜劇】を読むことから始めた。変な癖がまったくなく、素読ができる方だったのでよかった。

初心忘るべからず、というが言うは易しである。毎回ニュートラルに声を出す至難さを思い知らされる。

カルチャー教室での、二人だけのレッスンは遊声塾でのレッスンを相対化してくれる。終わりなきレッスン、有限なる時間の中で、たまさか声を出しあえる新鮮な相手の出現ははなはだ貴重な時間である。

今回も女性の生徒さんだが、この方とは可能な限りあまり声に出す機会のない作品を読みたいと考えている。

レッスンを終え外に出ると寒さが一段と増していたが、こころは心なしか暖かかった。初冬の夜空に、満月が光って私を照らしていた。

2018-11-20

夜長仕事、薪ストーブのそばで干し柿づくり。

一昨日の土曜日から我が家に薪ストーブの火がともった。まだわずかな時間しか焚いていないが、いよいよ冬の到来。

あの夏の集中豪雨、またあの夏の暑さを、悲しいほどに人間は忘れてしまう。が忘れられないことのみが、各人の千差万別の記憶となって残ってゆくしかないのが、人間という生き物の、はかなさなのかもしれない。

これから日が早くおち、冬の夜長時間が増え、出かけることがすっかり少なくなった私は、薪ストーブのそばで過ごすことが多くなり、いよいよもって内省的な初老男時間を過ごすことになりそうである。

ところで話は変わるが、弓道の初心者教室を終了したことで、決まった時間、毎週土曜日に道場に出かけることがなくなり、一人での稽古をすることになった。

一人で責任を持って稽古ができるようになったのであるが、今はまだ初心者教室を終了したばかりで、どのように日々の稽古をしていったらいいのかちょっと不安ではある。

だがまあ、そんなに深刻に考えずこれまで教わったことを、日々の暮らしの中でなるべく忘れないように、わずかであれ弓に触れる稽古時間を大切にしたいと考えている。
夜明け前に撮りました。

 またもや話は変わる。昨夜一人で柿をむき、干し柿を作って干した。この数週間、時間を見つけて気分転換も兼ね、干し柿作りをしてきた。

今年は母の手は全然煩わせていない。妻が少々手伝ってくれたが、ほとんどを自力で吊るした。(母のことも最近全然触れていないが、おかげさまで母は、今も自転車に乗れるくらいに元気である)

干し柿作り、五十鈴川だよりで触れるのは 今年初めてだが、今年も何とか我が家の初冬を告げる風物詩として吊るすことができたことは、ささやかに嬉しい。






2018-11-18

徳山道場、弓道初心者教室を終了することができました。

昨夜、弓道の初心者教室の実技試験と終了式が行われ、私も何とか初心者教室をしゅうりょうした。

65歳の誕生日から弓の稽古を始めたことははっきり記憶している。まったくのゼロからの稽古で、何とか終了できた事実に、どこかでほっとしている。

ほんの初心者の一区切り、おそらく永遠に鍛錬が続くのであろう。弓道の所作や奥深さには正直、驚いている。

始めてはみたものの、途方に暮れること度々で、いつの日に初心者教室を終えることができるのか、まるで自信がなかった。

この年齢でいただいた終了証書、ささやかにどこか嬉しいのだが、今後の終わりなき修行を想うとき、いささかの覚悟の必要を感じる。

だが、確実にこれだけははっきり言えるのは、ほんのわずかな時間であれ、弓の稽古を1年9カ月近く続けられたことの有難さ、その中で何かが見えてきた確かさである。

26メートル先の的に向かって一人で稽古ができるようになる。生来ぶきっちょでおっちょこちょい自意識過剰の私が、この年齢で弓道の教室で学んだ(入り口を)ことは限りなく大きい。

只今言えるのは、今後も情熱と体が続く間は、わずかな時間であれ弓をひき続けたいと思う自分がいる。

体に静かに負荷をかけ、意識を集中 し的に向かう。義理の息子レイさんとの機縁で始めた思わぬ弓の世界は、私に未知の内的世界の奥深さの一端を知らしめる。

2018-11-17

秋の夕暮れ、落ち葉を眺めながら想う。

日没が日に日に早くなる秋の夕暮れ、私は夕日を眺めるのがこれまた好きである。昼と夜の変わり目、朝もそうだが、この刻一刻の微妙な変化が醸し出す時間帯が人間の心理に与えるものは実に大きい。

宮崎の県北の海山川で幼少年期を過ごした私のほとんどの感性は、この地で形づくられている、ということがこの年齢になるとしみじみ実感する。(ああ、五十鈴川が私を呼ぶ)

五木寛之さんであったか、松岡正剛さんであったか失念したが、老いてゆく晩節時間は、ノスタルジーに耽ることができるのがいい、そのようなことをお書きになっていたが、うなずけるのである。

きっと老いるにしたがって、ヒトはもっともっと幼少期の世界に回帰してゆくのかもしれない。とくに私の場合はそのような予感がしてならない。

だが、これは今に始まったことではなく、中世夢が原で主にアフリカやアジアやの音楽を企画していたころからそうであるのだということの自覚がある。
目からうろこのように自在な思考にため息が出る御本

要するに、もの心つくころからの高度成長、アスファルト化、都市化、ハイテク化してきたこの半世紀の流れに、わが肉体は殆ど置き去りにされ、ついてゆくことにほとほと疲れたというのが、正直なところである。

春には田植え、秋には黄金の実り、稲穂を刈る原風景がことのほか懐かしく、老いてなお私の幼心を刺激してやまない。

きれいな水、きれいな酸素空気、安全な食べ物、健康、家族、親族ほか、眼には見えない生きてゆく上で欠くことのできない大切なもののけ、を見誤ってはならないと、この年齢になり、あらためて沈む夕日を眺めながら想う。

松岡正剛氏の本で初めて知った歌、作者は失念、【見渡せば・花も桜もなかりけり・浦の苫屋の秋の夕暮れ】性格ではないかもしれない。初老男の胸を打つ。

何百年も前に詠まれた歌が、時空を超えて今の私の心に忍び込み、故郷の秋に想いをはせるノスタルジー。

この数十年の間に我が家の周りの水田はほとんど消えつつある。思うという字は、田の心と書く。歌を忘れたカナリアはどこへと向かうのであろうか。

2018-11-16

夕刻、運動公園の紅葉を眺めながら想う。

夕方や早朝、週に何回かは、必ず図書館と運動公園でわずかな時間ではあれ過ごすように心かけている。これが内省的な時間を過ごすのには、ふさわしい。家から歩いて10分のところにこのように心身が安らぐ場所と空間があるということは、幸堪である。

家庭の諸事情で、遠くまで出かけての紅葉狩がかなわないが、この一週間での運動公園内の、樹木の紅葉の色の移ろいは見事である。家の近所で私は十分に、移ろう燃える秋を楽しんでいる。

早朝、出たばかりの陽光を浴びた時の 紅葉群は、またとない美しさである。日本という風土に生を受けた幸運をしみじみと感得する。若い時にはここまで感じなかったことが、いまは感じられる、老いゆく盛りというものがあるのではないかとの思いである。

だがこれもまた、身体が健康であるからゆえに愛で、耽ることが可能なのだと思い至る。どこにも出かけられず、想像力だけで、晩秋を生きておられる方も多いことだろう。深く現在の在り様を感謝する私である。

いきなりリア王のセリフが蘇る。すべてをなくし80歳になって、荒野でぽつねんと一人つぶやく、わしは今まで気づかなかったと。リアだけではない、グロスターも目をなくして気づく、眼が在ったときはよくつまずいたと。

特に今年初孫に恵まれたこと、遊声塾の発表会でリアのセルフを繰り返し読めたことに深く感謝せずにはいられない私である。
井上ひさし氏はシェイクスピアの言葉に触発された作品を書いている

くどくど書くのは控える。春に芽吹き秋には散る。だが根は一瞬たりとも休まず、次の春に備えて地中深く根を張り続ける。

さて、根のない生き物、私はどうすれば。パスカルは人間はか弱き生き物、だが考える葦であると語っている。 シェイクスピアも人間という存在の悲しさ、美しさをその多くの作品の中で、余すところなく言葉になしえている。(と感じる)

老いるにしたがって、シェイクスピアの言葉が声に出せば出すほど、深く染み入ってくるかのように感じる私がいる。人間の一生の有為転変、不可解さ、不条理、あっけなさ、残酷さ、美しさ、余すところなく、言葉にしている。すごいというほかはない。

登場人物の内面を耕し掘り進んでゆくのは、老いの身にははなはだ難しいことではあると承知しつつも、いまだ少しでも声を出しながらよじ登ってみたいと思わせる魅力が(魔力)ある。

リアは繰り返し言う、忍耐をくれと神に叫ぶ。紅葉を眺めながら、あらぬことが脳裏をかけめぐる、老いる時間は、思索のゆったり時間を与えてくれている。

昨日夕方見上げると中天に見事な半月、決まった神のいない私は、ささやかに天に祈って家路を急いだ。



2018-11-10

シェイクスピア遊声塾丸6年、そして想う、真夜中の五十鈴川だより。

シェイクスピア遊声塾を立ち上げることができたそのきっかけは、やはり還暦を、遠野で迎えて、わずか数日ではあるが生まれて初めてボランティア活動に従事し、あの一瞬にすべてが破壊された大槌町の海岸線の瓦礫の現場に立った時に襲った感情が起因している。

無常観、(感)もののあわれ、ということをあの時ほど現実感をもって感じたことはない。当時私はまだ中世夢が原で働いていて、五十鈴川だよりの前の、囲炉裏通信を書いていた。

私はいよいよこれからの晩年ライフを、いかように生きて過ごしてゆくのかを、その後一年ハムレットのように考えうづけ、思い切って61歳で退職した。人生の4幕目を悔いなく過ごそうと。

何が自分を一番奮い立たせ、何が自分にこれからの時間を生きるのに情熱が注げるか、自問自答したのである。まっさらなおもいで。


二階の部屋から眺めた夕日
結果的に、これまでの人生での折々に翻訳日本語によ(若き日、私はロンドンで翻訳日本語のシェイクスピアを読み、日本語の素晴らしさに目覚めた)る、シェイクスピア作品の言葉に随分励まされ、その作品の壮大な言葉の千変万化する登場人物の魅力、スケールに圧倒され、若き日にシェイクスピアシアターという小さな劇団で、明けても暮れても口を動かし、言葉言葉を発したことがこつぜんとよみがえってきたのである。

何かお告げ的な、インスピレーションとでもいうしかない感情が湧き上がってきて、今やらないと悔いが残る。発作的にシェイクスピア遊声塾を立ち上げたのである。

 草食民族の末裔、ひ弱な肉体の初老の男が、あの膨大な作品の、あの豊饒な言葉を声に出して読みかつ声に出して遊ぶなんてことは、無謀なことであるとの懸念はあったのだが、(いまもある)ほかに何も思い浮かばなかったし、あの若き日にやり残したことを、元気なうちにわずかでももう一度やれりたいとの、淡い夢にも似たような感情につつまれたのである。

あれから6年が瞬く間に流れた。高校生の時に初めてゼフィレッリ監督のロミオとジュリエットを見た時の衝撃が、私を田舎から未知の世界へと、想像力の羽に火をつけた。若かったというしかない。

あれから半世紀、今奇特な塾生と共に毎週声をだしている自分がいる、幸運というしかない。だがそれもいつかは終わりが来る。

終わりは始まりなどともいうが、それはシェイクスピアには通用しない。(シェイクスピア以外のことならできるとは思うが、指導はまた別)この年齢になるとシェイクスピア遊声塾は渾身からの肉体の声が出せなくなったら、ある日突然、終わる。

シェイクスピア作品は、本質的に若くても老いてもだが、声に馬力がないとどこか成立しない、声を出してもむなしいのである。未知の世界を切り開いてゆくような声、声に若さが絶対的に必要なのである。細胞が湧きたつかのような。

だから今年の夏は、絶対声に出しておきたかった作品、リア王を読ませてもらった。この数年、これが最後でも悔いのないようにとの思いで続けている。

なにせ30年以上シェイクスピアを声に出していなかったし、内心不安いっぱいのスタートであったのだが、3年目を過ぎるころから、若かりし頃の感覚がいくばくか蘇ってきて今もかろうじて声が出せているのは、ただただ幸運というしかない。

ただ、いつまで声が出せるのかはまったく私にもわからない。だから、毎週のレッスン時間が、こんなことを書くのは気恥ずかしいのだが愛おしいのである。




2018-11-04

人間力のある、世界と渡り合える、政治家の出現を願う朝。

報道にみられる最近のデータ改ざんや、隠蔽体質、表にでなかった裏での、多分野の不始末出来事に関して、いったいこの国の大人たちは、どこまでだらしなくなってきたのか一初老生活者としてはいささか暗澹たる思いである。

だから、もうほとんど五十鈴川だよりでは触れていないし、触れることすら気が進まないが、特に私たちが選んだ政治家の発言や、動向に関しては、有権者の一人として目の黒いうちは、無関心であってはならない。

特に憲法改正などの重要法案に関して、責任世代はひとり一人が、私のような凡夫でさえきちんと考えないと、先々に禍根を残すのではないかとの危惧がよぎる。少子高齢化の問題はまったなし。

移民問題(労働ビザや滞在ビザに関して)に関しても、私も含め海に囲まれた日本人にとっては、皮膚感覚では感じにくい大問題である。この数年(5年くらい)わが近所でも主にアジア系の外国人労働者の数は急速に増えている。彼らの助けがなくてはもうこの国の特に中小零細企業は立ち行かなくなっている。

散歩中に度々出会う東南アジア系の人たち、(主に女性が多い)会釈を交わしたりすることもたびたびであるし、向こうから挨拶されたりすることもある。

一体全体どのような時代の流れの中に我々が暮らしているのかが、田舎にいるとなかなかにぴんと来ないが、日本の経済や社会は、外国からの有能な人材なくしては、立ち行かないようになっているのは明らかである。(介護の分野などでは深刻である)

日本の未来、行く末にしっかりした見識、胆力、世界的な視野をもった、特に有能な政治家が今ほど求められる時代はないのだとの、思いである。

ノーベル賞や、また多種多様なほかの分野では、多くのすぐれた人材が今も多く輩出するわが国であるが、事政治家に関しては日本を代表する顔としての、世界と渡り合える人材があまりにも枯渇しているのでは、との懸念がぬぐえない。

来年は参議院選挙も控えている。早い話一人一人の国民が、わがことの問題として考え、しっかりした政治家としての人材 、器を良く見極め、まずは選挙に行きと票率をあげないことには話にならない。デジタルでの投票を是非検討してもらいたい(わざわざ投票所に行く時代ではない)

無関心の恐ろしさは、やがて 我が身にきっと降りかかってくる(と考える)。いささか話が大きいが、普段の暮らしを注意深く生きないと、知らなかったでは済まされない事態になるのは、先の大戦でいやというほど、私たちの親の世代は体験しているはずである。

ともあれ第4次産業革命、これまで経験したことのない時代の到来 の渦中を我々は生きている。何を基点にして、何を目指して未来への舵を切ってゆくのかを、凡夫なりに関心を持って見守りたい。


2018-11-03

秋日和、松岡正剛氏の本を読む。

松岡正剛さんという本の虫であり、多面的に博識で、若い時に【遊】という雑誌を立ち上げて、今に至るも枠に収まらない編集工学の大家がおられる。

夢が原リタイア後、この方の書かれている本を折々手にしている。この方も私がかってに先生のように思っている一人である。

二十一歳から数年間、今は亡き水道橋に在った旭屋書店でアルバイトをしながら、英国遊学のためにお金を貯めていた時期、【遊】という雑誌を手にしたことがある。

当時(いまもだが)の私は、書かれている方々の文章がまるでちんぷんかんであったことだけは、はっきりと覚えている。

だが、遊というタイトルの斬新さ、編集の斬新さはこれまたはっきりと記憶している。あれから半世紀近く時が流れ、ようやっと氏の書かれている書物をゆったりと読める自分がいる。

若気の至りと、ちょっと背伸びして 旭屋書店時代に買っておいた少々難解であった本が、今はとてもよく読める。
全5章松岡正剛先生の名講義、目から鱗が落ちる。

買っておいて、そして処分しないで本当に良かったと、最近つくづく思う。良書悪書、自分にとっての良き本とは、蒙を切り開くように世界の視方や、見立てに風穴を開けてくれるような方々の本である。

若い時に本を読む時期を逸し、後悔反省しきりの私であるが、気づいた時が一番若いの例えの通り、そのようなことは気にせず、気楽に気ままに良書に巡り合う醍醐味を可能な限り求めたい。

その松岡正剛氏は、白川静先生(心から尊敬する大先生)に関する著作もあられる。白川静先生も、松岡正剛氏も遊という漢字が共通して大好きであられたそうである。

シェイクスピア遊声塾を立ち上げるとき、塾に遊という感じを選んだのは、たまたまではあるにせよ、平安時代の今様、梁塵秘抄、庶民が歌った遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生まれけんにあやかったことは確かである。

ようやくにして、遅きに失した感無きにしも非ずだが、本を読める醍醐味に心うきうきの最近の私である。近くに図書館があり足しげく通え、そのうえ隣接して体を動かせる広場 もある。

初老生活者の私にとっては、またとない環境である。知り学ぶということの有難さを噛みしめる秋日和である。



2018-10-31

30有余年、真夜中、結婚記念日に想う。

真夜中、日付が変わって10月31日はわが夫婦の結婚記念日である。この数年何回か書いた記憶があるので、またかとお思いの方はごめんなさい。

初老男の戯言、ノスタルジーとお笑いになっても結構である。30有余年、よくもまあ続いていると、我ながら感心する。時期、タイミング、めぐりあわせ、いい意味でのあきらめ、育った環境、多面的に相性が良かったのだと思う以外に言葉がない。

夫婦というのは、伴に居て疲れない、もっと言えば気が休まるというのがこの歳になると一番である。
恋の悩み、一幕のロミオのセリフ

若い時と違って、この歳になるとお互い、あちらこちらと体他、摩耗の感が否めないが、何はともあれ健康であればこそ、ささやかに地味にお祝いしたい。(若い時と違って派手なことはしない)

今夜は塾があるので、日を改めてするつもりである。さて話は変わるが、小説は読んだことがないのだが(読もうと思っている)高橋源一郎さんという小説家がいる。

この方がM新聞に、身の上相談をやっていて必ず読むようにしている。何故か回答に嘘がなく実体験に裏付けられていて、希望が持て時折ジーンと感動するのである。

聞くところによると、氏は3回離婚しているそうだ。初老を迎えて、4回目の結婚で生まれた男のお子さんの子育て奮戦記を、毎日お弁当を作って送り出すほか、ラジオで語っておられたのをたまたま聞いて、名前がすぐインプットされていた。

とある日の相談、子育てで悩んでいる若いお母さんの相談に答えていた氏の回答が、あまりに素晴らしかったので、切り抜いて今子育て真っ最中の娘に送ったら、娘から、分かるわあ、文章読んだら泣けてきたと、ラインで一文が送られてきた。

真夜中に子供がぐずる、睡眠時間を削って初老男は、身体の弱い奥様に変わってあれやこれやと、親にしかできない情愛の細やかさで対応する、何と人間は手がかかる生き物であるか。その様を想像すると、子育てをやったもののみが共有できる感動が広がるのである。

子育てとは、何もできない赤ちゃんをひたすら愛しつくす、ことに尽きるのである。この世にたった一人、巡り合ったわがかけがえのないわが子と。母乳は出なくても、父親にできることはいっぱいあるのである。

もう何十年も前のことだから、凡夫の私はほとんど忘れてしまったが、さすが小説家はつい昨日のことのように、文章に再現する。(国は若い夫婦の子育て支援、シングルマザーの社会的支援、子供の置かれている貧困家庭の問題等、対策が早急に必要だ、でないとこの国の未来は暗い)

氏の醸し出す語り、文章、人間性、温かさは、すべてこれまでの人生の実体験の裏付けが、発酵して生み出されているのだということがわかる。

ヒトは失敗し立ち上がり、ああだこうだと逡巡しつつ、安きに流れず小説を書いておられるのだ。氏は若き日学生運動で逮捕収監された経験もおありになり、20代はほとんど肉体労働者生活をしながら、(氏は天の下での肉体労働で生き返ったそうである、分かるなあ)若き日の結婚生活でも きっと苦労をされたのだろう。

離婚はされたが、40代のお嬢さんは立派に成長され、現在とある美術館の館長をされておられるのも、これまたM新聞の人の欄で知った。きちんと子育てされたのだ。

それぞれの居場所で、しっかり生きる。恥も外聞もない、まっとうに生きることが肝要だ。高橋源一郎的なぶきっちょな生き方、性格の持ち主は、その他多くのぶきっちょな同性に限りなく勇気を与えてくれる。

ともあれ、私のような輩と、30有余年生活を共にしてくれている妻には、亡き父が母に見せた、晩年の姿を多少なりともお手本にしながら、今しばらく穏やかに共に暮らせることを 願うのみである。





2018-10-29

約10日ぶり、肉体労働の仕事の日の夜明けの五十鈴川だより。

とりたてて、なにかを綴るぞというような、力みがかった自分が消えつつあるような塩梅の最近の五十鈴川だよりであるが、これがいいことなのかどうかは自分でも判然としない。

ただただいえるのは、あまたの川が蛇行を繰り返しながら、流れるようにしか流れえないように、五十鈴川にあやかっている、わが拙き日々日録的雑文は、つづれるようにしか綴れないのである。(いつもあの川の流れを想う自分がいる)

右往左往を今も繰り返しながら、(右往左往できるということは、ありがたいことである)有難く日々を生きながら得ている、自覚がある。

老いつつも想う一番の幸徳は、 若い時と違って拙文を綴りながら、内省的時間を綴れることである。還暦までの自分は日々のいそがしさに、忙殺され、おのれを顧みるような時間をなかなかに持てずにいた、あるいはそれをいいことに、あえて目を向けずにいたような気がしている。

いまこの年齢になり、ようやっと内省的な時間が持てる今を ことのほか、ありがたいと感じている。
坪内逍遥訳ロミオとジュリエット(まさか読む日がこようとは)

内省ばかりしているのではなく、新たなことに挑戦し(これは弓の稽古のこと)具体的に何かこれまで不得手にしていた、家事雑事なども、このところ、しっかりとやり始めている自分がいる。

食後の食器を 洗って片づけてしまうところまでをきちんとやる自分がいる。

掃除や、整理整頓が苦手な私であるが、ほんのわずかでも苦手なことを克服できるように、老いを理由にすることなく、今しばらく老骨をゆるやかに使ってゆっくりとこなそう、と思案する私である。

 ところで、今日は10日ぶりに午前中肉体労働の仕事がある。毎日だとほかのやりたいことに支障があるので、月に18日の午前中肉体労働の仕事が、今の自分にはきわめてふさわしい。

体が動くから拙文も綴れる。妻との二人の暮らしの中で、読み書き、草を刈り、声を出し、弓をひき、食べ、そして眠る。わが初老循環生活である。

シンプルこの上なき、天の下でのわが暮らしを感謝し、今日も肉体と対話し一日を堪能したい。

2018-10-25

満月・丑三つ時の五十鈴川だより。

昨日夕方図書館に行っての帰り、運動公園を散歩していたら、東の空にほぼ満月のオレンジ色の月がうかんだ。

思わず見とれ、そのままおはぎを買いにゆき、家の戻って夕飯前妻と共に中秋の月を眺め、夕飯の後二人で 食した。

これが雨だったら月は望めなかったので、ただ単純に嬉しかった。このところお天気に恵まれていたので、徐々に月明かりがまし、フルムーンに近づく姿をひそかに楽しんでいた。

できることなら老いの楽しみ、毎月一回その神々しい光を浴びたいものだと、小生は願っている。さて珍しく真夜中五十鈴川だよりを綴っている。夕飯後いつものように早めに床に就いたのだが、目が覚めたので起きて外に出てみたら、月は中天に移動し煌々と真白き光を放っていた、寸暇月光浴。
最近高齢で素晴らしいお仕事をなさって方の本に惹かれる

しっかり目が覚めたので、月明かりで何とはなしにリビングが明るいので、夜中だし電気はつけず、感覚を研ぎ澄まし、明るい闇の中で弓の素引きの稽古を10回ほどやってみた。(いったいこの初老男は何をやっているのだ)

漆黒の闇であったらまず不可能であるが、満月の夜なら闇の中での、瞑想的な弓の稽古が可能であることが分かった。(もう好きなように時間を生きるのである)

大方の現代人にとっては、闇は恐ろしいという感覚が大勢を占めるに違いない。私だって闇は怖い、小さいころの記憶の原風景の夜は、まだ裸電球のみが灯る(くらいの)明るさで、闇の方がはるかに勝っていた。

街が都市化され超速の照明の変化、家がの隅々までが明るくなり、人間の中に闇に対する恐れが消え、コンビニはいつも明るく、昼と夜の境界が消えつつある時代が訪れている。

だが、絶滅危惧種的な感覚を持つ私は、あの恐ろしいまでの雨の日の漆黒の闇の幼年時代の記憶を忘れることができない。光と闇のバランスが 崩れたら、おそらく人体もまたなにがしかの異変が起きるのではないかと、アナログ初老男は月明かりのもと、あらぬ不安を抱く。

あらゆる文明は、行き着くところまでゆくのであろう。満月の明かりは初老男を不安にさせる。不安を消すには、真夜中の弓の素引きはまたとない特効薬である。

2018-10-24

神は、目に見えない細部にいらっしゃる、という気づき。

起きたばかりでまだ身体がボーっとしているが、何か書いて体を起こして、今日一日を始めたい。

雨上がりの朝、新聞を取りに外に出たのだが、なんとも気持ちがよくて、今日はたまさか遊声塾もお休みなので、終日完全なオフタイムである。

オフタイムではあるが、このような日にこそ、その分ロミオとジュリエットを丁寧に読む時間に充てたいという、私の思いがある。

リア王から意識的に始めたことに、いろんな役の長いセリフや、気に入ったセリフ、いいにくいセリフなどを、書き写しながら、声に出すということがある。

それと散歩を兼ねて、立って歩きながら、ぶつぶつとつぶやきながら、声を出すということも。こちらは数年前からやっていたのだが、より意識的に散歩時間に組み込むようにしたのである。

気分がいまいちの時でも、青い空の下、あるいは曇りでも、あるいは激しい雨でなければ、これがなかなかによろしい。
シェイクスピア解読対談、素晴らしく面白い

私は、限りなく人生も晩節を迎えて反省しきりの、昨今である。三つ子の魂は治らないものの、自分自身の至らなさへの気づきは、若干深まっているのではないかという、自覚がある。

反射神経他、いろんな動作が緩やかに下っているのを自覚しながら、何事も意識的に丁寧にゆっくりとやろうという、時間はかかるがそのことをマイナスに考えるのではなく、あえて楽しもうという、逆転の発想である。

例えば食事の後の後片付けは、ほぼ完全に私がやる様に自然に最近なってきた。なぜなのか、苦にならず愉しいからである。掃除他リタイヤ後、私が苦にならず取り組んでいる生活する上での家事雑事を、なるべく丁寧にやる様になってきたのである。

これはひとえに遊声塾を立ち上げて、丁寧に言葉を声に出し続けていることと、あながち無関係ではないように感じている。繰り返し丁寧に、ゆっくりと、用心深く声を出すしか、シェイクスピアの登場人物は近づいてこないのである。

何度も書いているが、小さいころから私は怠惰で横着で、日向人的などこかずさんな自分を持て余しつつ(いまもであるが)何とかこの年まで生き延びてきたが、ようやく近年シェイクスピアを声に出して読み続ける中で、塾を立ち上げたことで、幾分かではあるが、その横着さが改善の兆しなのである。

オーバーだが、自分自身の至らなさや弱点を、気づいた時から少しでも見つめなおし、改善するためには、台詞を繰り返し諳んじる営為(よしんば諳んじられなくても)、書くということのほか、あらゆる手間暇のかかることの中にこそ、何か大切なものが潜んでいる。(との思いだ)

神は細部に宿る、というが目に付くところには神はいらっしゃらない、のである。












2018-10-21

秋日和・靴を洗って・書評よむ。

昨日に続いての素晴らしいというほかはない、秋日和である。布団を干し、ズック靴を洗い束の間、朝の陽光を浴びて、五十鈴川だよりを綴りたくなった。

遠出はできないのだが、今日は妻と母との用事を共にやる予定である。妻がフルタイムで働いているので、土日しか共に過ごす時間がないので、これまでできなかった反省も込めて、何事にもまして可能な範囲で妻との時間を共有したいという、殊勝な私なのである。

何度か書いた記憶があるのだが、父も晩年は、苦労を共にした母との時間を何にもまして、大切にしていた。私も亡き父にあやかるつもりだ。

その姿が、私に焼き付いている。子供たちが巣立ってからは、何よりも 母を大切にしていた。臆面もなくつづらせていただくが、妻との出会いなくして、今このように穏やかに過ごせる晩年時間は、けっして私に訪れることはなかっただろう。

今朝はこれくらいにとどめるが、古希を無事に迎えることができたなら、折々妻とのことなども、思い出せるうちに綴っておきたいとは、考える私である。

だが今はまだ、どこか気恥ずかしいし、何よりも妻から、あまり私のことは書かないでねと、くぎを刺されているのである。
手間暇を楽しめる初老男を目指したい

さて、日曜日は書評が楽しみの私である。M新聞の書評氏には、私の好きな書評氏がずいぶんいるので、楽しみなのである。文字が読めることは本当にうれしく在り難い。

書評を文芸的エッセイにまで感じさせてくれるほどに、本を実際に(とてもではないが読んでいる時間はないが、どうしても読みたい本は買うことにしている)読まなくても、私には足りるのである。

へーっ、こんな本があるのだと知るだけでも、この十数年、学び楽しませてもらっている。凡夫は凡夫なりに、継続持続、読み続けていると、何かが蓄積されてくるのを実感する。

だからなのだろう、書評ノートだけはやめられない。ささやかな知的刺激、自己満足独学時間は、ひそかな愉しみの域をでない。

世界の出来事への知的扉が開き、知らない世界が垣間見え、何もお金がかからないのであるから。世の中に出て、散々お金に苦労した私には、居ながらにして小さな知的な旅をしている気分になれる、のである。

緩やかな陽光を浴びて、コーヒーを飲みながら、書評を読み、気に入った本を切り抜いてノートに貼る営為、アナログ初老男にはまことに持って、似合っていると、自賛する私である。


2018-10-20

草刈り初老男、天空に向かって声を放つ。

すがすがしい秋の陽光が、娘たちが使っていた、そして今は私の自由気まま空間として使っている部屋に、差し込んでいる。

窓から日差しを浴びながら、とらわれることなくどこからか湧いてくる言葉を、五十鈴川だよりに書き綴れるいっときに、私はささやかな、幸福を感じる。

さて今日から10日ほど、肉体労働の仕事はお休みである。お休みの分今月はこれまで、午後も何日か仕事をした。今働いている肉体労働の仕事は、時間の都合がつくので私にとってはとてもあり難い。

実は孫に会いにゆく予定で、10日ほど空けられるよう調整していたのだが、もう少し待てば、レイ君と望晃くんが11月には帰ってくるし、ちょっと家庭の諸事情で、上京はよすことにしたのである。

ということで、ぽっかりと空いたこれからの10日間をどのように過ごすかということだが、基本的には普段通りに過ごしたいという思いである。

午前中空いた時間、普段やっていることをもっと増やして、リズムよく一日が送れるように、と考えている。今週は遊声塾もお休みなので、今日を含めて弓の稽古に出掛けるだけなので、たまさかの貴重なオフタイム、静かに学びの時間を 増やしたい。

ところで肉体労働の仕事、ほぼ2カ月があっという間に過ぎたが、身体の調子がとてもいい。上手ではないが、20年以上中世夢が原で、草刈りほかの肉体労働の仕事に従事してきたおかげで、天の下での体動かしが私に合っている。

一人有酸素運動、芝を刈ったり、草を刈ったりしていると、ゆるやかに時が流れ、どこかで、知らぬ間に自分自身と向かい合っていたりする。とにかく体が動く(ける)有難さ。

この間、私の仕事ぶりを見ていてくださった上司の方が、あまり無理をしないようにと、声をかけてくださる。皆さん親切で感じがとてもいい。

仕事さえきちんとやれば、私のペースでやっていいので、私にとってはまことに持って有難い、というほかはない。限りなくストレスがないのである。

話は変わる。夏の猛暑の中での、リア王の声出し稽古を何とかやり遂げ、9月から塾生とのロミオとジュリエットの 声出しが、始まっている。
いろんな翻訳の日本語で作品を読む

遊声塾も6年目に入る。現在塾生は7名、(夢のようである)私を含めてお休みの人がいない日は、8名で輪読をするのだが、やはりこれくらいの人数で声出しすると、皆の気が気を呼び、思いもかけず、愉しい声出し稽古ができる。まことに持って、人間の体は不思議な声を発する。

声量というものは老いと共に、落ちる。肉体の老化と共に、肺活量も筋肉もあらゆる器官が。だが歳を重ね、作品を深く理解したり、これまで気づかなかったことに気づくようになるとといった点では、成熟の熟慮の果てに得られる、老いの幸徳を私は実感している。

だから何とか持続継続ができている。踏ん張って、かろうじて体が動き、声が出せている。生きて動いて働ける間は声を出し続け たいと、今のところ念じている。

繰り返し書いているが、月謝をはらってまで、個人的に思いついた私塾に参加してくださる塾生に私ができることは、と問う。

30年ぶりにシェイクスピアの翻訳(いろんな翻訳の日本語の素晴らしさに感動する。私は翻訳の日本語のシェイクスピアの言葉を声に出したいのである)による言葉を声に出し、言葉と格闘しているのである。(格闘しないと自分の内面が磨かれないのである)

毎回、身体がついてゆかず、悲鳴を上げる。やがては体が白旗をあげる日が、近未来やってくることは、頭では自明の理である。

でもその日、悔いなく白旗を掲げられるように、虚空にむかってらせん状に声を放ちたいという思いの消えない、初老草刈(正雄ならぬ)天邪鬼の私である。



2018-10-19

【五十鈴川・清き流れはあればあれ・我は濁れる水に宿らん】

昨夜床に就いて、五木寛之さんの、すらすら読めるが、なかなかに含蓄に富む、【とらわれないと】いうエッセイを読んでいたら、いきなり、(五十鈴川・清きながれはあればあれ・我は濁れる水に宿らん)という歌が目に飛び込んできた。

何せ私のブログは、故郷を流れる五十鈴川に想いをはせた、還暦を過ぎて書き始めた、原点帰りというか、老いてゆく下り坂の、初老男の想いを綴る、五十鈴川だよりなので、五十鈴川という文字に、目が釘付けになったという次第。

話は飛ぶ、私が高校3年生の時、高校があった日向市で 五木寛之氏の講演会が行われ、当時直木賞を受賞されたばかりの、氏のお話を聞いた記憶が鮮明に私の記憶にはある。

(氏のお話を聞いて私はふるさとを飛び出す決心がついたように思う)

やさぐれて、どこかシニカルで、1932年生まれの氏は、当時38歳であられた。カッコよかった。



以来、あれから幾年月、小説の類はほとんど読んではいないが、エッセイの類は折に触れて、今も時折読んでいる。(あれから半世紀近く、氏は今もカッコイイ)

理由はいろいろあるが、文章が平明で読みやすく、何よりも私のふるさとに近いところの、ご出身であり、言葉の訛りに親近感を覚えるし、何よりも氏が私の両親と同じ、教育者であり、北朝鮮からの引揚者であるという、一点に尽きるのではないかと、考えている。(人間の阿修羅のごとき現場を、氏は思春期に原体験、そのトラウマが氏を作家にしたのだと思える)

氏の時代と人間を傍観者的に思索的に眺める、独特の視点ははなはだ貴重である、しかも好奇心は今に至るも 衰えず、現役で淡々とお仕事をなさっている、強靭な持続力には驚嘆する。

自由気ままに生きておられるかのように、デラシネを自認しておられ、軽く書かれているが、内容は深く重い。10代の終わり、風に吹かれて、というエッセイに、私がどれほどの影響を受けたのかがわかる。

たぶん氏のエッセイを読まなかったら、異国自費留学は思いつかなかったし、なしえなかっただろう。シベリア鉄道に乗って帰国するという発想も生まれなかっただろう。

早稲田大学に入学はしたものの、極貧の学生生活。私も演劇を学ぼうと田舎から淡い夢を見て上京し、氏には遠く及ばないものの、ある面どこか共通するかのような都会生活。あの赤裸々な青春生活エッセイにどれほど救われたことか。 (生きるということはかくも厳しいのである)

高齢になられてなお、老いるということに関して、ご自身自体を見つめるまなざしは、作家の宿命的業を感じさせ、人生の先輩のデラシネの矜持がいかんなく発揮され、今の私の何かを触発する。惹かれる。

ずいぶん時間が流れたが、高校生の時に啓発されたように、半世紀の時が流れ、今また再び巡り合ったかのようにさえ感じる、のである。

2018-10-13

読書の秋、佐藤優氏の本を読む。

自分でも驚くくらいの、50代まではおもい及びもしなかったほどに、静かなというか、家から出掛けなくなった自分がいる。

引きこもりではなく、家で静かに何かをじっと過ごす時間が増えて、そのことの方が、自分にとって気持ちがいいのである。

最近、弓の稽古のことにはほとんど触れていないが、ささやかに弓の稽古時間を、どんなにやる気がない時でも、弓に触れるように心がけている。

幸い、我が家のリビングの空間は天井が高いし、床が木なので道場とまではいかないが、弓の稽古が可能なのである。

午前中肉体労働の仕事を終え、帰って昼食を済ませ、少し休んだのち、ロミオとジュリエットの 長いセリフを書き写したり、本を読んだりする合間合間に、弓の素引きほかの所作の稽古をすると、実に気持ちが引き締まって、物事がはかどる。(ような気がしている)

平日の雨の日は、肉体労働の仕事もないし、妻も仕事なので、食餌時間も含め夕方まで、一人の時間を存分に過ごすことができる今を、ことのほか幸せに感じている。

逆に考えれば、これまでの人生時間、あまりにもひとり時間を過ごさずに来たのではないかという反省が私に生まれているのである。(あまりにも学ばなく人生を過ごしてきた)

だがこういう内省というか、反省というか、年齢相応の個人的心境などというものは、その年齢にならないとなかなか訪れない、今の自分に忠実であるだけである。

時間単位で、順繰り過ごしていると、時間は瞬く間に過ぎて、妻が帰ってくる時間となり、二人で夕食の準備や、メルの散歩などを共にし、夜はリラックスタイムを過ごし、早めに床に就き、明日に備えるといった按配の、秋の日々なのである。

さて 、読書の秋である。いま、佐藤優氏の【交渉術】という本をゆっくりと読んでいる。全17章の12章までを読んだところ。実はこの本2009年に買った本で、いつか読もうと思っていたのだがようやく手にしている。

徐々に引き込まれる。実体験に基づいての、実に氏らしい記述で書かれていて、人柄が文体に現れていてぐいぐい引き込まれる。

これだけの内容の本が、1667円、私にとっては安いというほかはない。歴代3人の総理(橋本・小渕・森)と直接言葉を交わした、外交官時代の北方領土問題交渉における、繊細極まるやり取りの記述には何度も驚かされた。(よくぞ書いてくださった)

物事の真実というものは、マスコミ等の報道なのでは 決して余人には伝わらないものであることが、この本を読むと実によくわかる。

それにしても、魑魅魍魎たちとの国益ををかけた異国・外国交渉の真実のやり取りの、命を懸けた仕事ぶりはすさまじい。

佐藤優氏が、背任容疑で逮捕され、外務省を去ることがなかったら、このような現代日本にとって、稀に見る有能な作家は生まれなかったのかもしれない、と考えると、運命というものはわからない。

ともあれ、私が佐藤優氏の本を初めて読んだのが2006年、【国家の罠】(外務省のラスプーチンと呼ばれて)である。以来現在に至るまで、どれほど多くのことを一人の庶民として、学ばせていただいているか、感謝しかない。

新書版でも内容の濃い本を多数出されている
物事の真実などというものは、重層的に、多面的に、複眼的に、歴史的に、地政学的に、博覧強記で、しかも人民的な思考を失わず、国益を考えられる真の意味でのインテリジェンスの持ち主においてのみ可能なのだということが、凡夫の私にもかすかにわかる。

語学の教養、キリスト教神学の教養、マルクスの講義他、皆目私にはわからない本も多くあるが、氏独特の語り口、文体、人柄には、私にも伝わる熱い情熱が随所に感じられる。

私の好きな、今は亡き米原万理さんが、困難な状況に陥ったい佐藤優氏のことを案じ、電話を入れるくだりなど、(獄中記にある)感動する。

交渉術に記されている、当時の森総理とのやり取りなど、単細胞の私は目頭が熱くなった。あらためて思う、表面的な報道ほかをうのみにしてはならない。(のせられやすい私は反省する)

佐藤優氏の御本を少しでも読みこみ、氏を通して知る、学ぶ力を、老いてゆく時間の中で見つけたいと、秋の陽光の中念じる私である。

2018-10-08

吐き気あがりの、とりとめなき五十鈴川だより。

一昨日土曜日の夕方、弓の稽古に出掛けようとしたら、急に吐き気を催し汗がじとーっと噴き出してきて、いきなり吐いてしまった。

やむなく弓の稽古はお休みに。横になって休んでは吐き、休んでは吐きを5回くらい繰り返し、胃が空っぽになるまではいたら、ようやっと気持ちの悪さが収まった。

どうも食べたものに当たったらしい。私は食べ物に対してもったいないというという感情が、沁みついている環境に育ったせいか、少々古いものでも平気で口にする悪い性癖があるのが、災いしたらしい。

それと、身体の疲労で体力が弱まっていたのが重なって、身体が耐えられなかったのだと思う。だが昨日一日しっかりと休んだおかげで気分も回復、夕方くらいから再び食欲もゆっくりと戻ってきて、今朝は妻と二人で和食の朝ご飯をゆっくりといただくことができた。(モロヘイヤ、油揚げ、ナスのお味噌汁を私が作った)

妻は私が吐くのを初めてみたといっていたが、私も前回はいたのを思い出せないほどに長い間吐いた記憶がない。

20代は、お酒が弱いくせに飲んでよく吐いた記憶があるが、この数十年は吐いた記憶がない。あらためて健康の有難さが沁みるとともに、若いころよりも免疫力他、体力が低下しつつあるのだから、食べ物にはくれぐれも注意しなければと思い知らされた。

とはいえ、たまにはこういうこともないと、人間というか私という生き物は、すぐに忘れてしまうので、よく反省しなさいとの天の声と思うことにした。

悪いものを全部体が排せつしてくれたおかげで、今朝はそこはかとなく体が軽く、身も心もいい感じである。いつにもまして朝の 陽光がまぶしく感じられる。

近所の造園業者からもらった冬用の薪の材料、涼しくなったら薪づくり

陽光に照らされた金木犀の花が一段と鮮やかだ。 禍を転じて福と為すという言葉があるが、天はゆきすぎたり、やりすぎたりすると、バランスを取らせるために、このような仕打ちをするのであると知る。

弓の稽古ができなかったのは、残念だったが、天が休みなさいといっているのだから、素直に休むことにし、ただひたすら横になり、吐き気が収まってからは、水分補給のために、リンゴジュースと、甘酒を飲んで丸一日固形物を採らず体を休めた。

私の場合オーバーワークや、季節の変わり目には、身体が敏感に反応し、発熱したりして休むことを余儀なくさせられる。年に何回か必ずこのようなことが起こるわが体の内なる警告には素直に従うことにしている。

話は忽然と変わる。昨日、気分がかなり良くはなったものの、幾分体がまだだるかったので、長女に読ませたい新聞の切り抜きを送るための(写メでも送れるが)手紙をしたためて、局まで自転車で投函しに行った。体の力が抜けていて、すらすらとあっという間に文章ができた。

最近、手で文字を書くという行為をできるだけ楽しもうという、自分がいる。特に身近な家族や、大事な姉兄弟 とかには、火急の用がない時には折々、便りを綴るいっときなどが、ことさらに幸せな感情を抱かせる。

手紙を開封するときの気持ちはなんとも言えない。私は今となっては、時代の推移をただただ眺めているに過ぎない、傍観者的初老昭和男子である。

幸い3連休で、今日までゆっくりと体を休め、明日から普段通りの活動に戻る予定。健康は何物にも代えられぬ、ありがたき宝である。

病み上がりならぬ、吐き気あがりのとりとめなき五十鈴川だよりになった。








2018-10-06

草を刈り、言葉を書き写し、言葉を諳んじる秋。

早10月も6日である。本格的に9月から平日の午前中、晴れの日は肉体労働に従事するようになったので、何かといい意味で、より充実した日々が過ごせている。

一日一日が、メリハリよく過ぎてゆくように感じている。今朝も台風の影響がほとんどなく、今のところ青空が窓から望める朝である。

中世夢が原で、開園前や冬場の来園者が少ない季節に、よく草刈りや萱刈をやった経験が無駄にならず、いま午前中やっている肉体労働は草刈りや、芝刈りが主な仕事である。

実働3時間くらいなので、足腰の鍛錬にはちょうどいいので、思わぬ私にとっては有難い肉体労働が、舞い込んできたのである。

私はとりたてて草刈りがうまい というわけではなく、苦にならないのである。ある程度の持続力、集中力をキープする体力だけは必要なので、私としては肉体訓練もかねての仕事と割り切っている。
歳と共に古典の世界に回帰する

話は変わる。若いころから芸術や文化的な事に、まるで逃げ込むかのような日々を過ごしてきた私であるが、還暦を過ぎるころから、何やらそういった世界から、そろそろ卒業というか、足を洗いたいというか、降りてゆきたいというか、ただ自分の好きなやりたことに謙虚に忠実で在りたいと思っている。

ないげない身の回りの、手の届く地に足のついた、平凡な日々をこそ大切にして、生活してゆきたいという思いが深まってきている。

私の祖父母、両親はじめ、姉兄弟、家族含め、芸術やいわゆる文化的な事にはほとんど無縁な、ただただ生活者としての人生を歩んできた。(歩んでいる)

ただただ、ご先祖が暮らしていたような、(そのようなことは不可能ではあれ)つましい生活者としての 日々をこそ、晩年時間は過ごしたいという気持ちなのである。

五十鈴川だよりを注意深く読んでくだされば何度か書いているが、これまで自分が重きを置いて歩んできた時間の過ごし方とは、どこかで決別したいのである。

決別というといかめしいが、有限な人生時間をきちんと整理し、焦点を絞って不義理も辞さず、身の回りの雑事をきちんとこなせる自立した初老男を目指したいのである。

芸術の秋、映画祭などの案内状などが送られてくる。以前なら関心を持ってチラシなども眺めたかもしれないが、特に今年からはそのような関心が薄らいできているのを自覚している。

それはなぜなのかはわからない、ただおぼろげに、自分の関心事が、老いつつ自分の内面のほうに向かい始めているのではないかという気はしている。

何やらは判然とはしないが、以前とは異なる未知なる内面世界の領域に、関心が向かいつつあるのである。

リア王の長いセリフを書き写したり、今またロミオとジュリエットの登場人物の、気に入ったセリフを書き写ししたり、諳んじることに、時間を費やしたり、未知の古典を読むことの方が、(能動的に自分の時間を費やすことの方が、)愉しいのである。

あくまで出掛けて何かを享受する幸徳を辞めたというのではなく、あくまでバランスの問題なのだが、その加減が老いゆく中、優先する時間の過ごし方が、変容してきているのである。(旅だけは永遠の例外、本を持参しての旅、秋は最高の季節、ふらっと旅情が私をいざなう)

天空の元、風を感じながら、伸びた草を、ただただ刈っている時間は、ただただ言葉を書き写す時間と、似て非なるものではあるけれど、私にとっては同義的な今を生きる意味をなすのである。







2018-09-28

長兄からの秋の便り、そして想う。

長兄から手紙がきた。文字は体を表すというが、まことに持ってその通りである。

わが姉兄弟は、父が転勤生活者であったために全員で過ごしたのは、私が小学5年生までだった。両親、祖父母、わが姉兄弟9人が一つ屋根に暮らしていた。

まだ戦後の匂いがかすかに残っていて、現在とは比較が及ばないほどに、貧しい暮らしであった。(我が家より貧しい人々も、地域に大勢暮らしていた、私が異国の貧しき民に同情を禁じ得ないのはそれゆえである)

それはそれは怖かった父を中心に、家族全員での生活が、今は無き生家での折々の記憶の 出来事が、いまだ私の脳裡には鮮明によみがえる。

悲しいことも、父に叱られてつらかったことも、うれしかったことも、あのつましい暮らしの出来事が、歳と共にすべてが今となっては良き思い出として蘇る。(おそらく今が幸福だからだろう)

人間の脳は、つらいことはあまり蘇らせないように無意識にそういう工夫をするとの言を読んだ気がするが、然りそうなのだなと思う。

兄弟げんかも数限りしたが、今となってはすべてが水の泡、胸底にかすかに残っているくらいで、やはり食い物にまつわる記憶とか、愉しかった思い出、つらかった思い出の方が 鮮明である。

なく父が使っていた硯、月に一度使っている

晩節を迎えたわが姉兄弟(タイに住んでいる弟も含め、なかなか会えないが)と、兄弟のつながりが、いまだにいい感じで続いているのは、多分にあの生家での全員生活体験の記憶と、やはり両親の生き方、教育のおかげではないかと思う。

ところで、長兄の娘に二人目の子供が授かり、義理の姉が10月から千葉に付き添いでゆくことになり、しばしひとりでの生活になるとのこと他、近況が几帳面な文字で簡潔に記され、生まれたばかりの孫も含めての、次女家族とのにぎやかなお正月を過ごす予定であると結ばれていた。

私も初めておじじになり、  おじじの気持ちをようやく体験し、この年まで何とか生きてきた中で味わえる、人生の滋味、奥深さのような、若い時にはまったく考えも及ばなかった、老いるゆえにこそ味わえる未知の領域の広がりを実感している。

生命の連鎖、生と死の連鎖、新しい生命の誕生に寄り添う、おばば、おじじ役割は必須である。 ともあれおめでたい。

手紙というものは、やはりジンと伝わる。五十鈴川だよりに、わが兄夫婦の平凡の慶事を月が西の空に浮かぶ秋の朝記す。

2018-09-24

秋分の日の翌日の夕方の五十鈴川だより

2週続いての3連休、昨日は秋分の日、今日はあいにくの曇りだが見えないだけで空にはかなり満月が近い月が浮かんでいるはずである。

もう繰り返し書いているが私は月に行くことよりも、月を眺める方がはるかに好きである。五十鈴川だよりを書き始めた日にも、空には満月が噛んでいたような記憶がある。

話は変わる。極めて個人的な身辺雑記をほとんどは書き連ねている五十鈴川だよりではあるが、時折どうしても触れたくなる新聞記事などがある。

最近でいえば、プラスチックのゴミ問題である。ミクロのプラスチックのごみが、魚や動物の体内ばかりではなく、飲料水 にまで及んでいるという報道記事を目にすると、どうしても心が穏やかではいられなくなる。

私は極めて手付かずのほとんどゴミのない、まだプラスチックの容器などがない時代に、10歳くらいまでごした世代なので、まったくきれいな海や川の原風景ノ記憶が、はっきりと残っている。

その記憶の宝のかけがえのなさを、年とともに痛感している。おそらく私が鮭が故郷の川に、還って産卵するのとはまた少し異なるかもしれないが、私が晩年になればなるほど、故郷の川や海や山に向かうのは、AIでは作れない自然世界に回帰したいという、生き物としての本能だろう。

そういう意味では、老いつつあるとはいえ、私のいまだ内なる自然回帰本能は元気である。おじじとしては、孫の望晃くんたちの未来世代のことを想うとき、時折暗澹としながらも、個人的に折々、世界の大問題に一個人として、五十鈴川だよりにきちんと触れておかねばと反省するのである。そういう意味では我々よりも若い世代の方がはるかに期待が持てる。

動植物たちを、絶滅危惧種に追い込んだり、ほかの生物にとって有害なプラスチックの ごみをまき散らして平然としているある種の人類の方々とは、神経の回路が私はちょっと異なると、はっきりと書いておく。

今年の夏、家族で宝伝の海に砂遊び出かけた折も、プラスチック製品のごみ容器が、あちらこちらに打ち寄せられていた。
我が家に初めて咲いたヒガンバナ

これこそグローカルに、人類の意識のある責任ある大人、一人一人がブログであれ、フェイスブックであれ、ツイッターであれ、投書であれ、なんでもいいから、問題意識をもって、自分なりの見解や、提議をなすべき喫緊の課題であると、私などは考えてしまう。

この半世紀、オリンピックや、ワールドカップほか、毎年のように、ありとあらゆる次から次にと繰り広げられる、主に映像による大型お祭り消費イベント の陰で、地球温暖化環境問題は、どうもよい方向に向かっていないように感じるのは、わたし一人ではあるまい。

安全な水、おいしい酸素は緑がなければ無理である。お金がいくらあっても、あらゆる生物、人類は困るのだ。優先順位で何にも勝るのは、あらゆる生命の連鎖の上での、持続的人類の営みの平和共存である。

 アメリカの高校生や、カルフォルニアの知事や、世界の心あるストローなどを使用する企業人が、果敢に声をあげ取り組み始めている、心強い。

日本人はあまりにも緑か豊かで、自らが豊富なので、ややもすると鈍感に(私のことです)なりやすい。反省しないといけない。

2018-09-22

【僕は散歩と雑学が好き】という世界に再び憧れる。

3日連続の五十鈴川だよりである。歳を重ねると夜あまり眠れないなどとは、よく耳にするが、ほかの方はともかく私自身は実によく眠れる。

寝ることが私は好きである。昼寝もよくする。よく体を動かして、精神もよく動かして、欲するものをよく食べ、よく眠る、これが今のところの初老生活でのわが心得である。

雨上がりの今朝、犬のメルを伴い運動公園へ。裸足での軽いジョギングののち(約20分)その後40分ほど、声出し。ロミオとジュリエットの2幕を読む。

朝一番の声出し読書は、部屋の中での読書とはやはり異なる。よく休んだ脳は、新鮮に文字を追う。緑の芝生に残る水滴に朝日が当たり 、宝石のように無数に輝く、雨に洗われた樹木の無数の葉が朝日に照り輝き、見上げると青い空、これで気分がよくならないわけがない。

私がジョギングや声出しをしている間、つないだ愛犬メルはじっと木陰で私を眺めている。我が家から一キロくらいの距離にある運動公園と図書館は、私の心身の調節機能空間として、晩年ライフの必須トポス、居場所である。

もうほとんど内容は忘れてしまったが、本のタイトルはよく覚えている。若いころ粋な方だと憧れた、植草甚一さんという方の本に、【僕は散歩と雑学が好き】という本があった。

今ときおりそのタイトルを思い出す、こころと足が動く間は、よしんば声出しや、そのほかの楽しみがかなわなくなっても、散歩だけは生涯の友としたいと念ずる、自分がいる。

散歩の延長が旅である。もうなくなったがBSのNHKでわが心の旅という、私の好きな番組があった。若いころ過ごした思い出の地を再訪するという旅番組である。私にも再訪したいところがある。それは生まれて初めて海外自費留学した 思い出の地ロンドンである。

ロンドンの北、地下鉄ノーザンラインで20分くらいの、スタンモア駅から歩いて15分くらいのところに私は下宿した 。ミセス、ウォルトン未亡人が一人で住む一軒家の一室を間借りしたのである。

18歳で上京、試行錯誤の後、25歳で初めて手にした自由時間、まさに水を得た魚のようにおのぼりさんロンドンライフを、私はどこかに異国暮らしに不安を抱えつつも、満喫した。
我が家の夏の最後のひまわり

あの青く純粋なロンドンライフ(一年4か月を過ごした)があったればこそ、私は何とかその後の 人生の試練を乗り越え、今を生きていられるのだという実感がある。

話がそれた。私はおそらくこれからますます思い出を、よすがとして初老生活を送ることになるような気がする。

だがそれは単に思い出に、耽溺するのではなく、これからの人生時間、時に首を垂れるように思い出し、明日を豊かに送るための栄養剤のようにできるのではないかとの、淡い思いがあるのである。

失念したが、女性の高名な児童文学者が、青少年時代の思い出が豊かなヒトは、豊かな老年時代を送ることができる、との言を読んだことがある。

そういう意味では、うれしいこと悲しいこと、数々の思い出が私の脳裡にはしまわれている。ありがたいことである。






2018-09-21

鬱陶しい朝、運動公園で体動かし、そして考える。

慈雨という言葉があるが、私にとっては慈雨ではあっても、多くの方にとって、特に災害に遭われて避難生活を余儀なくされておられる方々含め、状況が異なれば、千差万別の雨の、受け止め方になる。

さて、鬱陶しい空模様の中、小ぬか雨だったので、気分転換に、運動公園で約一時間、今朝は声出しではなく、体動かしをやってきた。

激しい雨でなかったら、私は濡れても外でわずかでも体を動かすように、特に今年から心かけている。暑い夏の今年は、何回か声出しも雨の中でやったのだが、雨だと人もいないし、人の気配のない広い場所で、声を出したり、軽いジョギング等の、体動かしは実に気持ちがいいのである。
初収穫我が家の唐辛子

小さいころ、雨の中でずぶぬれになって、夏休みよく遊んだ記憶、原体験が、いまだに私を外で遊ばせているのではないかと考える。

濡れた体をよく拭いて、衣類を着かえた時のここち良さはなんとも言えない。

昨日夜は カルチャー教室でのレッスンがあり、おそく寝たのだが五時前には目が覚め、身体が重く、それを解消するために体動かしをやったのだが、効果はてきめん、凄く体が軽くなり、五十鈴川だより時間というわけである。

気分がすぐれない時には、あえて体を動かし、自分で自分を気分良くする方法のようなものを、年齢と共に考えるようにしている。無理をするというのではなく、意識的に体の気持ちのいいほうに向きを変えるのである。

人間であるから、体調がすぐれない時が、多分にどなたにだってあるはずで、私にもある。ただ私の場合、若い時は本当にお恥ずかしいというほかないほどに、ぐうたらで怠惰な世情に流される生活をしていたのだが、家庭を持ち家族に恵まれるにしたがって、ようやく人並みに真面目に生きるようになってきたというのが正直なところである。

人生の折り返し地点を過ぎて、子育てを終え、人生の残り時間をいやでも考えざるを得ないようになってから、ようやっと少しストイックに物事を考えるようになってきた、というのが偽らざるところである。

だが、昔から年寄りの冷や水というくらいで、オーバーワークは禁物である。よく動かしたら、よく休むのが鉄則である。

ストイックを楽しんで 生きる晩年ライフなんて、よもや自分には不可能であると考えていたが、あにはからんや、そうでもない自分が育ってきている(ような気がしている)。

一週間を、バランスよく体調管理しながら、心身を面白がらせる。体を晴れ晴れとする方法を、探究する。苦楽する。

【人間は 努力する限り 迷うものだ】    ーゲーテー ファウストより。







2018-09-20

秋の深まる雨音を聴きながら、想う。

秋の深まる雨音が体に優しく染み入ってくる朝のいっときである。雨が降ると肉体労働はお休み、一人きりの晴耕雨読時間がやってくる。ありがたいことこの上なしである。

何やら達観してきたわけではないのだが、五十鈴川だよりも、マンネリ化してきつつあるのは、否めない。だが、いま私はマンネリ化をどこかで楽しんでいる。

ほとんどは自問自答、精神調整的な綴り方を、己に課しているかのような五十鈴川だよりなので、今後もおそらくよたよたとではあるが、つづりたいという内なる情熱が続く間は、我流自然に、奇をてらわず平凡を、低きに向かって流れたいとおもう私である。


塾生一期生のY氏に頂いた秋の実り
晴れた日の平日の午前中は、肉体労働に従事し、水曜と木曜日の夜はシェイクスピアの言葉を声に出し、土曜日の夜は弓道教室、日曜日は家人としての役割を果たすべくこまごまとやるべき季節的な家事をこなしていると、一週間は瞬く間に過ぎてゆく。

何をするにも、集中力、持続力をキープするには体の健康がすべてである。だからなのだ、初老生活で私が肉体労働をするのは。

汗をかく、無心になる、ある程度の負荷を肉体に賭けながら、一定のコンディションをキープするには、それなりの日々の暮らし方のやるべき時間配分を、体調と相談しながら、努めないとまず無理である。この年齢になるとそのことの肝要さが、しみるように自覚できる。

同じようなことの繰り返しの中での、日々の蓄積にしか、思いもかけないことは起こりえない。日々同じようなことが、(でもそれは同じではない、肉体は日々生成され生まれ変わる)今日もなんとかやれたということの安ど感の中で眠りに落ちるささやかな幸福感。

さて、読書の秋である。猛暑であるにもかかわらず、この夏はよく本を読んだ。(良き読書は次々に本が本を呼ぶ)自分にとっての良き本に巡り合うと、ささやかな幸福感に満たされる。

本はまさに想像力の源、精神のビタミン、雨の日の午前中 活字世界に身も心もゆだねることにする


2018-09-15

老いゆく身体、シェイクスピアの言葉の記憶化に挑む、そして想う。

晴耕雨読とはよく言ったものである。エネルギーあふるるシェイクスピアの言葉を雨読する。

中世夢が原の囲炉裏のある屋敷で、かなりの時間を40歳から退職するまで過ごし、そののちW・シェイクスピアが生きた400年前の作品を声に出す日々をこの5年間過ごし、思うことは自分自身がますますもって、現代文明社会生活に適応できなくなってきている、というまぎれもない自己認識である。

そういう自己認識をもって日々を生きる私であるが、そのように書くと、どこか悲しい、寂しい気配がただようが、本人は意外とそれをどこかで楽しんでいる。

今やデジタルワールドの世界からは逃れようもなく、ちゃっかり五十鈴川だよりが書けることだって、デジタルのおかげなのであるから、我ながらの絶対矛盾的可笑しさである。

 何事もバランス、我が初老生活、この世界この時代に生きているものの宿命的な現世を、いかにやりくりやり過ごし、おのれの居場所(体を風通しよく)をいくばくかでも確保するには、これまで生きてきた中で身につけた知恵を、生かすにしくはない。

あだや真面目に時代に迎合せず、柳に風と 受け流し、今ある手の届く範囲での、俊敏には動けない身体との対話を繰り返しながらの、ゆったりライフをこそ楽しむこと、こそが冥利なのだとの、今のところの思いである。
絶対矛盾、これまで手にしなかった方の本も手にしている

さていきなり話は変わるが、 歳と共に記憶力が弱まってくるというのは事実である。リアの長いセリフを可能なら繰り返し声に出す中で、暗記に挑戦したいと考えて実行してみて思ったことなのだが、若い時の何倍もの時間を要した。

老いてゆく中、現世的な時間がますます短くなってゆく中で、台詞を体に記憶する時間は ますます増えてゆく。だがこれを悲観的にとらえる必要は全くないと私は考えている。

老いてゆく中で、暗記力が衰えるのは当たり前ではないか。だがささやかに、まだ言葉を繰り返し発する中で、かろうじて言葉は体のどこかに、よしんば瞬時には出てこなくても蓄積されてゆくのだということが、分かったからである。

老いてゆく中での発見である。若い時より何倍も時間はかかるのだが、言葉がすらすら出てくるときの嬉しさは、若い時の比ではない。

遊声塾を立ち上げた時に思ったことは、老いてゆくこれからの時間を、シェイクスピアの言葉を声に出すことで、わが体と向かい合いたいと考えたのである。

あれから瞬く間に5年、私の体はシェイクスピアの言葉で、何とかかろうじて磨かれ生の充実を生き延びている。


2018-09-14

肉体労働の仕事が舞い込んできました。

火曜日に娘たちが(望晃くんも)帰郷し、夫婦二人の静かな日々が訪れている。が、世の中は一見情報満載の、新聞、ニュース映像他が、引きも切らずに日々垂れ流される。

以前は、ずいぶんといろんな情報に、一喜一憂したものだが、歳を重ね面の皮が厚くなったのか、又は感性が鈍くなったのか(おそらくは後者だろう)は判然としないが、あらゆる情報には懐疑的、振り回されなくなってきた。肝心なことは、画面や、紙面の中ではなく今の私には足元にあるのである。

アンソロジー、すぐに読めるが内容は重く深い。
間接情報を追うのではなく、日々の暮らしの中で感じる自分自身との対話のような第一次情報感覚を大事にしながら、日々を大切に暮らしたいという、初老生活者になってきている。若くはない、だが今こそが私にとってのすべてである。

ところで、8月末から、正確には9月から週に四五日、(半日だから引き受けた)午前中だけの肉体労働の仕事が、とある方からの紹介で舞い込んできた。五十鈴川だよりに書くのは初めてだが、今日は雨なので、仕事がないので五十鈴川だよりが書ける。(うれしい)

小さいころから、私は体が弱く痩せていて、夢想的な子供であった。世の中に出てあらゆる試練の中で、世の中にもまれるにしたがって、少しずつ少しずつ体が 普通の丈夫さになってきたように思う。そして精神も鍛えられた。

何度も書いているが、わけても肉体労働ということに関しては、相当なコンプレックスを若い時から持っていた、割愛するが、今では青天井の下(天と地と自分がつながっている感覚)体を動かすことが最も気に入っている自分がいる。人間は変わる、だからこそ素晴らしいのである。

この歳になり身体が動き、お声がかかるなんてことが、私にとっては冥利である。若いころ、演劇世界に夢中になり、あらゆるアルバイターをこなしてきたおかげで、私には労働に対する貴賤的な感覚が、ないというより薄い。

まだ舗装道路がなく、機械化される前、小学校の行き帰りに観たお百姓さんや、漁師さん、職人さんたち第一次労働に従事する田舎の人々の姿が、私の働いている大人たちのイメージの原点である。(鍛冶屋、畳屋、鋳掛屋、皆カッコよかった、貧しくともおっとりのんびり、人間らしかった)

あの方たちには、直接的間接的に お世話になった愉しい記憶がある。記憶満載のわが小学校時代。今となっては、まさに夢のようによみがえる。それがいまはない、ああ、何という寂しさ、悲しさ。今の子供たちはどのような思い出を大きくなって持てるのであろうか。

話を戻す。体を張って銭を稼ぐ。自分という肉体が動く間は、わずかでもいいから、一日でも長く動かしたいと思い始めたのは、望晃くんの力がやはり大きいといわざるを得ない。

私は、身体を張って働いている人たちにシンパシーを感じる。明治生まれのサトばあちゃん、私がもの心つくころには床屋さんの仕事はやめていたが、恵じいちゃんも芸術や文化的な事とは、無縁な世界でひたすら家族のために動いていた。

真っ当という言葉以外にない、家族のためだけに働いた、普通の人たちの原風景の面影が、歳を重ねるにつけて蘇る。

わが先祖宇納間村。戦前まで、病院もないような村でわが先祖の人々は暮らしてきたのである。そのことの重さを、ようやくにして感じる。

働ける重さを感じながら、祖先に想いを馳せ、望晃くんの未来にも想いをはせる私である。



2018-09-09

何か見えない世界に、静かに手を合わせる

酷暑の夏が過ぎ去ったかと思えば、9月に入り矢継ぎ早に、台風や地震が関西や北海道を襲い、その爪痕の痛ましさ、捜索が行われていて、行方の分からない方が、おられることに関しては言葉がない。

身を切られるような経験や体験をすることもなく、孫を眺められている現実、平凡で非凡な日々にただただ感謝する私である。

ところで、昨日から次女もわずか3日ではあるが里帰りしていて、孫の望晃くんを中心に我が家はにぎやかである。ひさびさに家族の声が満ちている

このような平凡な日々の営みが、ある日突然の災害で突然断ち切られたら、私はどうなるのであろうか。そのようなことを想像するだけで、 ゾッとしてしまう。家族というかけがえのない関係性。

誠に運命の先行きはわからない、ある日突然不条理な世界に投げ込まれる、わが家族にも起こりうるのである。年齢を重ねるにつれて、生きる姿勢がシンプルになりつつある、もっと書けば多面的にシンプルな生活を心かけている(つもりである)。

できるだけ、華美な生活を避け(しようとはまるで思わない)リアのセリフではないが、老いてゆく中で、今まで気づかなかったようなことに価値を見出す、わずかではあるが気づくようにな心かける。これこそが、老いつつある幸徳であるのかもしれない。
ようやく石牟礼道子さんの御本を手にしている

本当に大切で大事なことは目に見えない、とは、よく聞く言葉ではある。これまでの人生、見えたり、聞こえたりすることに右往左往しながら、ほとんどの時間を費やしてしまいがちであった私を変えたいのである。

一年近くの間、リアの言葉に寄り添ってきて想うのは、理不尽、不条理な世界にある日突然放り込まれた時の、人間のあまりの不毛な無力感である。でもそれは、悲しいかな、そのような境遇に置かれたもの(運命)にしか、永遠に感知できない。(こころの闇の奥深さ)

リアは言う、気違いにしないでくれ、気違いにはなりたくないと。 忍耐の鏡になりたいと。

いくつになっても、いまだ人間存在の魂のたゆたう危うさから 逃れられない自分を感じる。見えない世界をほんのわずかでも感知したり想像することに重きを置く生活にシフトしたく念う私である。(よしんばかなわなくても)




2018-09-07

尻切れトンボの今朝の五十鈴川だより。

九月に入り、2度目の五十鈴川だよりである。シェイクスピアの普遍的なあまりにも有名な作品ハムレット、ハムレットは言う、【この天と地との間には、哲学などおもいもつかぬことがあるものだ】と。

北海道を震度7の地震が襲った、無残たる思いもかけぬ惨場には言葉を失う。映像は私の心を揺らし惑わす。なすすべのない呆然たる無力感にとらわれる。

青春の終わり、富良野で三度冬を越し、土地勘のある大地の上で暮らす人々に、思いをはせる。

九州生まれの私は、若いころ北の大地にあこがれを持ち、18歳で演劇学校にはいるために上京し、何とかバイト生活をつづけながら、二十歳までの3年間を過ごしたが、現実は限りなく厳しく私の上に乗りかかり、苦悶の果てに私はなけなしの金をもって、北の大地北海道を旅したことがある。(この体験は旅の重さを私に知らしめた。だから私は今も行き詰まると一人旅に出る)

ヒトは成功体験は語るが、無残体験は語りたがらない。かくゆう私だってそうである。私の10代の終わりから、30代の初め、つまりちょっと長めの青春時代は、お恥ずかしいくらいの、試行錯誤の繰り返し、挫折挫折の連続であった、と今にして思える。

だが、この歳になって気づき想う、ヒトは困難を避けたがるが、生きている限り困難は、おそらく永遠に続く のである。ヒトは追い詰められ、覚悟を決める。

ハムレットは絶えず自問自答を繰り返す。このままでいいのか、いけないのかと。66歳にもなって、お恥ずかしい限りではあるが、いまだ私はどこかに青春のしっぽの燃えカスのようなものを心のどかに隠し持っているかのように感じている。だから、五十鈴川だよりを書きながら、自問自答を繰り返す、このままでいいのかと。

さて、5回目の、あの夏のリア王の発表会を終え、6年目に向かう最初のレッスンが5日夜行われた。

参加者は私を含めた7人。テキストはロミオとジュリエット。高校生の時に見た、フランコゼフィレッリのロミオとジュリエットに出遭うことがなかったら、私はあのまま田舎で一生を終えたかもしれない。シェイクスピアの国に留学することもなく、イタリアを漫遊することもなく、この惑星に生を受けた奇跡を感知することもなく。

大きなスクリーンに登場する人物たちの、やり場のない持て余すエネルギーの発露、青春の光と影、生命力あふるる疾走する言葉言葉、大人の無理解、断絶、運命の非情残酷さ、完全に私は根こそぎ夢か現かの際の世界にといざなわれた。
蜷川幸雄商業演劇初演出ロミオとジュリエットのパンフ

あれから半世紀、岡山で塾生と共に声を出している自分が、まっこと不思議でならなかった。でも事実なのである。

ロミオとジュリエットで私がもっとも好きな人物の一人、マーキューシオ は言う、【夢とは暇な頭が生む幻】だと。

リア王からロミオとジュリエットへ。老いの物語から青春 物語へとシフトチェンジ、かなわぬ夢物語をつぐむために、可能な限り塾生と共に口を動かしたいと願う私である。




2018-09-02

望晃くんがやってきて九日目、そして想う。

あの灼熱地獄は、いったいどこに行ったのかと思えるほどに、朝夕は幾分涼しくなり、過ごしやすくなった今朝である。

流れるように時が流れ、早9月、正直どこかにまだ夏の疲れが、のこっているかのようなわが体であるが、その体と自問自答しながら過ごしている。

さて昨日、やろうやろうと思いながら 、夏の暑さ、リアの発表会などを言い訳にやらなかった、我が家の収穫を終えた、トマトや野菜、庭の雑草ほかを引き抜いて片づける作業を、午前中一人で、小雨の降る中続けた。かなりはかどり気持ちが落ち着いた。

何事も手入れをしなかったら、荒れ放題の庭になる。体だってきっとそうなのである。

今日も五十鈴川だよりを書きあげたら、午前中は枝の剪定や、草取りをするつもりである。30過ぎまではまったく苦手だったことが、苦手でなくなったのは、富良野塾での体験や、中世夢が原で、体を動かし続けたことが、いつの間にか私を変えてしまったのである。
野菜の枝葉他

今現在のわが体は、ありがたいことに声も出せるし、弓も引くくらいの体力をキープしている。一日でも身の回りのことを、きちんとひとりでできる日々を持続するためにも、ある意味では最も大切な雑事を、あだやおろそかにはしたくないと思うのである。

歳と共に、普通にできることの当たり前の有難さが、にわかにしみるようになってきた。当たり前ではないのである。

ところで、今日で九日目だが、たまさかの、孫の望晃くんと娘、我々夫婦とでの4人暮らし、中心はやはり孫である。詳細は割愛、孫の命の日々の変化の精妙さに、おじじは驚くばかりである。

天然、自然の、まろやかな表現、声の響き、泣き声が日々、我が家に満ちる。それを一心で受け止め、対処する娘の姿には、頭が下がるほどの、揺るぎのない母性が存在している。

あの小さいころの、わが娘の面影は、いまだ容易に思い出せるが、母となった娘は全くといっていいほどに、どこか遠くに行った見知らぬ人、と見間違うほどに成長している。望晃くんは日に何度も娘の子守唄で、安心して眠りに落ちる。

望晃くんの足

赤ちゃんは日々変化する。この歳になってますます感じ入る。赤ちゃんという最も大事な、人生の始まりの二度とない大切な時間の過ごし方がいかに大切かということを。

昨日午後2時、NHKのBSで動的平衡で著名な、福岡伸一先生の最後の講義という番組を、全員で視聴した。

一年でほぼ全部の細胞が、入れ替わるとのことである。食べ物で入れ変わる人体、命。いまだ解明しきれていない命の不可思議なメカニズム。自然、宇宙の精妙さは、どこから来たものであるのか、 望晃くんを眺めながら、いまだおじじは、殊勝で厳粛な気持ちにさせられる。

もうあと一週間母と娘は我が家にいる。この時間を大切にしたいとおじじは考える。

2018-08-27

リア王の発表会で音を担当し、ケントを朗誦されたNさんのピアノの発表会に家族でゆくことができました、そして想う>

帰省旅から戻った翌日、午前中あわただしく忘れないうちに、五十鈴川だよりを書き、声出しを済ませ、孫の望晃くんと娘を駅に迎えにゆき、その足でとあるピアノの発表会に、妻も含め4人で出かけた。

急きょ、遊声塾のリア王発表会にケントの役で参加され、音を担当してくださったNさんから知らされ、Nさんが習っておられるピアノの発表会だというので、行ってみる気になった。

詳細は割愛するが、ピアノの発表会なるものに、私は生まれて初めて、なんの先入観もなく参加した。

老若男女18名による3部構成の発表会、1部はいろんな作曲家の演奏、2部はドビッシー生誕100年を記念する演奏、(Nさんも演奏されたが、選曲も含め、彼女の世界が垣間見られ素晴らしかった)

休憩後が3部で、ヘンデルとグレーテル、物語の進行に従って18名が入れ替わり連弾する。
高校生の時宮崎で氏の演出によるドストエフスキーの白痴を見た

物語はNさんが、一人で登場人物の すべてを物語った。Nさんも途中一度だけ連弾に参加した。

Nさんはピアノもさることながら、朗読を 10年以上やられているということで、その実力がいかんなく発揮されていた。

リア王の発表会に音をつけていただく、という出会いから始まったのだが、朗読をやられている実績があったので、ぶしつけにもケントという大役を、朗誦してもらったのだが、果敢によどみなく、自然に声を出されるので、そのわけがヘンデルとグレーテルの朗読を聴いていて腑に落ちた。

ともあれ、Nさんのお声掛けで、この年にして初めて 小さくてもきらりと光る、ピアノ発表会にゆけた喜びを、我が五十鈴川だよりにささやかに記しておきたい。

それから、妻、孫、娘 私の4人で聴けたことが、私にはうれしかった。娘が赤ちゃん連れでもいいのなら、是非行きたいといったのである。幸い望晃くんは全く騒がなかった。

孫の望晃くんはわずか5カ月で、名曲の数々を生で聴くチャンスに遭遇した。赤ちゃんも、おじじも生きているというとは、未知なるものとの遭遇の連続である。良きものに触れるアンテナをさび付かせてはならない。

ややもすると、老いるにしたがって、紋切型ライフに陥りがちだが、せっかく男の孫に恵まれたのであるから、男同士、孫と共に、今しばらく未知との遭遇を楽しめるおじじでありたいと 念じる私である。




2018-08-25

66歳の夏、五十鈴川に帰省旅

ふるさと門川を夜明け前に発ち、昨夜9時前に無事帰ってきました。

リア王発表会の翌日に発ち、5泊6日の旅、本当はもっとオフ時間を過ごす予定でしたが、今日から孫と娘が帰ってくるので、おじじの役割を果たすべく、役に立ちたく、戻ったというのが本音です。

ふるさとでも台風の余波が、天候を左右し、姉にお前は台風のような男だといわれましたが、これまでのようには遠出はしませんでしたが、いまだ知らない故郷の近くの海や川、渓谷を堪能し、66歳の夏の疲れをいやすことができました。

初日、19日はちょっと行ってみたいところ、島根県の津和野の上流を流れる高津川に立ち寄り、(思わぬ出会いがありました、また書きます)車中泊、翌20日午前中大分と宮崎の県境にある以前から一度は行ってみたいと思っていた、渓谷を一人で訪ねました。

これが、思っていたよりもすごい渓谷で、(大崩山の反対側にある)一番奥にある観音の滝まで、歩いて一時間以上、めったにゆけないと思い、地下足袋に履き替え、腹ごしらえ水分補給をしっかりし出かけました。

渓谷の一番奥まったところに落差77メートルの、観音の滝がありました。険しい渓谷の両側を、歩きにくいアップダウンを歩かないと拝めない、偶然立ち寄って滝の前に発った時、疲れが吹き飛びました。
台風の余波の海辺を兄と散策する

帰りは足取りも軽く、兄の家には夕方4時につきました。義理の姉が美味しい夕食を用意していてくれ、疲れが吹き飛び、話もそこそこ、夕食後爆睡しました。

翌日21日は、兄と二人で台風の余波で荒れる日向灘を眺めながら、おそらく何十年も訪れていない、高校生の時うろついた、思い出の宮崎市内をドライブしたりしてすごし、夕方兄と五十鈴川に沐浴に出掛けたりしてすごしました。

よく22日、朝一番一人でお墓参りにゆき、その足で次兄を訪ねしばし雑談し、朝食後またもや兄と二人で、延岡市内を流れる五ヶ瀬川に水遊びに出掛けたのですが、上流で雨が激しかったみたいで、濁流が渦巻いていて断念、またもや昨日に続いていったことのない、延岡の海を眺めにゆき、しばし砂遊び、並はあれていて近づかなかった。

その後、市内の温泉に入ってのんびりし、兄貴も私も好きな地元のおばちゃんたちがやっている、ちゃんぽんのおいしい店でお昼。ちゃんぽん は早売り切れで、仕方なく二人ともラーメンと餃子にした。餃子も実においしかった。

義理の姉には皿焼きそば(メニューは4種類しかない)をテイクアウト。その日午後はのんびりと過ごし、夕方ほんの少し弓の素引きをした。夜は姉の家で夕食をご馳走になり義兄もともに歓談、途中から兄も参加、義兄が高い焼酎のいいのを出してくれ、すっかり酔って、兄の家に戻って、爆睡しました。
今回の旅に持参したいつ冊(素晴らしい)

23日最終日、朝食後(毎食義理の姉がきちんと洋風の朝食を作ってくれた)出かけようとすると車かからず、次兄に来てもらいケーブルをつなぎ事なきを得る。

その後Gスタンドで、車の点検掃除を済ませ買い物などをしたのち、午前中2通ほど葉書を書いて投函。昼食はT姉がそうめんを作ってくれた。これがまた、最高においしかった。(この場を借りて再感謝)






そのあと、ゆるりお昼寝、目が覚めて最後に一人再び五十鈴川へ 、増水していたので水に浸かるのはあきらめようと思ったのだが、五十鈴川に流れ込む小さな支流があったので、二回に分けて10分くらい浸かった。

夜、今回の旅の最後の晩餐、兄がお寿司やオードブル盛り合わせをテイクアウト、姉夫婦、次兄夫婦、わざわざ集まってくれしばし歓談した。

このような時代の趨勢のさなか、兄姉弟(義理の兄姉も含め)が私の呼びかけに応じてくれ、集まってくれるということがはなはだ、私にはうれしいのだ。

わが兄弟も、一年一年老いてゆく、やがてはこのような、うたかたの、ささやかな宴も かなわぬことになるだろう。

だからこそ、やれるときにやっておこうと思うのである。今回もささやかに夏の帰省と、兄弟の宴がかなったことを、ささやかに五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。









2018-08-19

66歳の夏、リア王発表会を無事終える。

8月18日昨日、シェイクスピア遊声塾、第5回発表会【リア王】を何とか無事に終えることができました。

かなり本音の、がしかし本当に愉しい打ち上げを終え、本当にひさかたぶりに外でお酒をいただき終電で帰宅、遅く寝たのですが、すっきりと目覚めたので、何か少し書いて故郷にお墓参りに帰ろうかと思っています。

全身が疲れているのですが、何故か今朝の空気のように、さわやかなわが体です。ともあれ、極めて個人的な思いの強いリア王を、遊声塾の発表会でやれることができて、オーバーではなく、感無量です。

塾生他、裏方を含め、有形無形 、来られたお客様、この場を借りて感謝します。ありがとうございました。

正直、身体がいまだボーっとしてまして、論旨のまとまらない今朝の五十鈴川だよりですが、無事に発表会を終えることができたことだけでも書いておこうと。

今日から一週間もしくはそれ以上、心身をオフにし、わが故郷へ帰省旅をします。

というわけで、しばらく五十鈴川だよりはオフになります。ご寛恕くださいますように申し上げます。

2018-08-17

シェイクスピア遊声塾リア王発表会の前日の朝に思う。

リア王発表会の前日の朝である。この夏初めての涼しい朝のおかげで熟睡し、あたまがこの夏初めてといっていいくらいすっきりとした感じで、五十鈴川だよりを書ける喜びをかみしめている。

リア王発表会が、まさかの集中豪雨で延期になって、どこにも出かけない 暑い夏がひたすら続いていたが、それも今日を含め明日が過ぎればまたもやの一区切り、ほっとする。

本来であれば7月7日に済んでいたものが、延期になったことでまたもやギアを入れ直し、おおよそ40日、再び新たな気持ちで、この酷暑の夏、一日に一度は必ずリアの言葉をおさらいし、66歳のわが体に言葉をしみこませてきた。

どこへも出かけず、(リアが終わるまではどこへも出かける気がしない)経験したことのない暑さの中、静かに自分と向かい合う日々を過ごしてきた。ちょっといかめしいが、修行という言葉が、なんども頭を去来した。

でもそのおかげなのだろう。集中してやれることがあったからこそ、この酷暑を(まだ続くだろうが)乗り切れたのだと思っている。

何事も万事は塞翁が馬である。こんなに本が読めた夏も初めてではないかという気がしている。漸くにして、あまりに遅すぎるかもしれないが、読書の醍醐味がわが体に沁み行ってきたといっても過言ではない。

21年前に買った星野道夫さんのグリズリーの写真集

ピンチはチャンス、わざわい転じて福となす、で、この年まで生き延びてきた私である。

老いたリアの狂気を含んだ言葉を、ある一点のテンションで暴発するかのように、やりばのない怒りや苦悩を表現するのは、はなはだもってわが体、能力では難しいが、声を出すことでなにがしかの発見がある、だから続けられる。

 自分の人生の持ち時間、未来時間がいかほどあるのかは、皆目わからないが、この66歳の夏は、リアの台詞と格闘した酷暑の夏として記憶に刻まれるに違いない。

基本的に、私ははなはだ怠惰な性格なのであるが、シェイクスピア作品をふたたび声に出して読むことを続けて丸5年、思わぬ晩年時間を過ごせている幸福を時折実感する。

天の下、大地をしっかりと踏みしめて、胎から声を出し生を実感する。詩的言語の塊、人間の発するおぞましき言葉から、崇高な言葉まで、言葉の宇宙をW・シェイクスピアは余すところなく、リア王という劇に閉じ込めている。

66歳で、リアの台詞と格闘できた夏も間もなく終わる 。少し休みたい。






2018-08-16

8月16日の朝に思う。(星野さんの御本を読み、極北の暮らしを想像する)

昨日あたりから、帰省Uターンラッシュがピークらしい、だが、事自分のことに関しては全く世の中の流れとは無縁で、特にこの夏を図書館で過ごしている。

この夏ほど、図書館で過ごしたのは初めてではないかと思えるほどに図書館で午後の時間を過ごした。(リアが延期になったので、どこにも行く気がしないのである)

一番の決め手は、やはり涼しいことと、静かなことである。ゆったりとした空間で落ち着いて本が読めるなんてことは、今年の夏は特にありがたき贅沢を感じる。

外出したら、じっとしているだけでも、汗が噴き出るのに、移動しながら人混みの渦に巻き込まれたりするのは、もうこの歳になるとはなはだご免である。

考えてみると、50代くらいまでは、本当によく動いていたが、60代に入ってからというもの、億劫になってきた。体と共に心も変わる。早い話、これが老化現象なのだと受けとめている。
今年の夏は星野道夫さんに再会できた、本当にうれしい。

腰が重くなり、以前だったら気軽に(居酒屋さんなんかにまるで出掛けなくなった)出かけたりしたことに、とんと興趣が持てなくなり、身の回りの手が届く範囲での、まあ、新しい興趣とでもいったことに、関心が移りつつある。

これからの人生時間、できるだけこれまでやってきたことには別れを告げ、静かに我が身を振り返りつつ、これからを前向きに生きたいのである。内省ライフの始まりである。

昨日も書いたが、可能な限りできるだけ自分のことは、自分で始末する。やってみようという、身辺こまごまライフにうつつを抜かす喜びを見つける暮らしにシフトしたいのだ。

その中で意識的にしているのが料理、ほとんど似たような料理にあれやこれやの工夫を凝らすだけの、簡単料理ではあるが、これが慣れるにしたがって手際もよくなり、結構段取り頭も使うので なかなかよろしい。(今日のお昼は、ゴーヤ中心の野菜ラーメンの予定)

最後の後片付けまで、きちんと済ませると気分もとてもいい。18日のリアが終わるまでは、とにもかくにも、毎日の生活雑事を楽しみ、絶対矛盾をいつも我が身に抱えながら、朝夕、リアの言葉を反芻し、こうやって五十鈴川だよりを書きながら、穏やかに生きられる今を噛みしめている。