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2013-03-31

芸術のメッカパリにメル友ができました


我が家のキンカン春のビタミンC

エリックマリア氏のきちんとしたプロフィールが届いたので、経歴のところだけを差し替えて、すでに印刷したものも無駄にはせず、もう一回印刷するのは最終版の決定稿を45日までには創ることにしました。思いもかけない方々から、予期せぬ協賛も寄せられているので、本日31日を最終日とすることにしました。

 

私の再出発に関して、はなはだ恐縮しながらも、61歳になったのだから、厚顔無恥でヒダカトモフミ支援会員も4月中募りたく、すでにエリックマリアの511日のチラシを同封し送ったのですが、有難いことに徐々に嬉しい反応が寄せられておりまして、身の引き締まる思いでおります。

 

さて話は変わり、何とも嬉しい御報告を一つ。私にパリ在住の日本女性のメル友ができました(勝手にメル友にしてゴメンナサイ)その方S女子はなんとエリックマリア氏の奥さまで在られたのです。そんな訳で安心して日本語でのメールのやり取りができ、私としては間接的とはいえ、一心同体の方に私の思いを伝えることができ、エリックにも伝わるので嬉しいのです。

 

私のブログも早速開いてくださり、チラシのアップを見てくださって、心やさしき反応をすぐメールで送ってくださいました。そこには岡山になんとしてもゆきたいとの思いが書かれていました。早速私も返信を打ったのですが、御夫婦で岡山にきていただければこんなにも嬉しいことはありません。

 

ことさらにことを、オーバーに考えることは好きではないのですが、何事かを企画する側の人間として、何故このようなことを企画(これまで21年間企画したすべて)するのだろうかということを、私ごときでもときおり立ち止って考えるのですが、とりたてて秘密も根拠も言葉にしてしまっては身も蓋もないというのが、私の正直な気持ちです。

 

では答えはないのかというと、在るのです。その答えは当日会場に足を運んだ方たちにのみ、宿る何かなのだというのが私の答えです。武満徹氏はひとつの音に世界を聴く、と述べておられますが、エリックマリア氏のチェロの響きには、まさに現代を奏でる、複雑・繊細・大胆・優美・悲惨、世界の多面的重層音が詰まっています。

 

なんとしてもオリエント美術館に150人集客し、その方々にチェロと身体・魂が一体化したエリックマリア氏の世界を直接全身で堪能していただきたく思います。

 

チケットのお問い合わせをお待ちしています。090-5378-5433 ヒダカまで。

2013-03-30

S氏においしいお鮨をごちそうになりました


パソコンの調子が悪くしばらくブログが書けず少しやきもきした日々を過しました。なんとか書けるようになって、あらためて自分は書くことが好きになりつつあるのだということを感じています。

 

さて、私は327日を持って夢が原に通うことは、亡くなりました。今日は30日ですが、辞してまだわずかではありますが、なんとも言えない解放感がじわじわと私の身体に湧いてきています。

 

5月にエリックマリアのライブがすぐにやってくるので、あれやこれやの雑事を同時並行でこなしながら、ヒダカトモフミの仕事に全力を傾けるべく、ゆっくり始動しています。

 

424日から岡山天人山プラザで始める、ヒダカトモフミのシェイクスピア遊声塾のチラシも創らなくてはならないし、人生途上トーク・語りの第一回の日も決め、そのためのチラシも創らなくてはならないし、とまあ、個人でやるということは、何からないまで自分でしなければならないわけで、嬉しい自分の時間を過しています。

 

自分の時間が、フルに使えるということは、何事にもかえられないなんとも言えない感覚が私の身体を満たし始めています。はやる心を押さえながらじっくりと深呼吸しながら、ゆっくりと参りますので、この場を借りてこのブログを開いてくださっている方々に、今後ともよろしくとお伝えせずにはいられません。

 

さて、昨夜は素敵な心温まるコメントをかいてくださったS氏が、岡山は表町に40年以上店を構える、知る人ぞ知る、車すしという店に私を招いて、御馳走して下さいました。S氏はエリックマリアのソロライブも協賛して下さいましたし、支援会員にもいち早くなってくださいました。

 

私のような個人芸人企画者を、応援して下さる方の存在あればこそ、私は悠々と乏しい才能をフルに開花することが、可能なのです。そのことの在り難さは、筆舌に尽くし難いものがあります。

 

本当に心からおいしいお鮨と、お酒をしみじみと、芯から感謝し美味しく頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。深夜西大寺駅から、ほろ酔いで春の冷気を感じながら、開き始めた桜並木の下を歩きました。

 

我が家の庭にも春がやってきました

2013-03-24

エリックマリアスーパーチェロソロライブのチラシ完成


妻と娘のおかげで、エリックマリアスーパーソロライブのチラシとチケットが思いのほか早く、完成した。エリックとのやりとり、チラシに関しては、4月から東京での新しい生活が始まる長女が、引越しの準備その他、大変な時期であるにもかかわらず、私を助けてくれた。

 

詳しくは書かないが、私にもきちんと自分の意見をのべる娘を見ていて、本当に成長し親元を飛び立ってゆくのだということを、あらためて私に認識させた。このエリックからの企画は私達家族の再出発の記念になるということを改めて感じている。

 

40歳ゼロから再出発して22年目、今また自立しての最初の企画になるわけで、私としてはいつもながらのことではあるけれども、本番の511日に向けて悔いなくPRし、やれるだけのことをと、出来上がったチラシを前に思う。

 

あと先になったが、エリックのライブはオリエント美術館に決まったので、とりあえずほぼ完成したチラシを持って、オリエント美術館のI氏を訪ねたのだが、手作りのささやかなチラシであるにも関わらず、いいのができましたね、とおっしゃってくださったので、嬉しかった。

 

エリックからメールが突然きたのが、311日だったから、まだ2週間もたっていない。この年になっても、まったく予期しない良いことが起こるなんてそうそう在るはずもないのが、現実だと思う私なのだが、簡単にあきらめては夢は実現しないのだ。期せずして嬉しいことが続くことに関しては、正直後が怖いような気持ちすら抱いてしまう。

 

しかし、こんなにも早くエリックマリア氏を企画できる現実が私をして何か不思議な気持ちにさせてしまうのだ。眼に見えない何かが、私を後ろから押してくれているような感覚を、このところ何度も感じてしまう私なのである。

 

夢が原を卒業し、4月からいやがうえにも新しい生活時間を過すことになるが、全身でこれまでとは異なる新しい試みを、生かされている今を充実させてゆきたいと願わずにはいられない。

 

今日ぎんざやにチケットを(30枚)預けます。目標は150人です。いつも通りチケットの行商に歩きますので、ブログを読んだ方は、是非聴きにいらしてください、ね。

 

ヒダカトモフミ支援会員には、今日チラシを郵送します。待っていてください、ね。

2013-03-22

S氏からのコメントが、心から嬉しかった朝に思う遊声塾

いまはなくなった夢の書店・松丸本舗(本文とは関係ありません)

19日の朝書いたブログをS氏が読まれ、これまでで最も長く、嬉しく、そしてしみじみとありがたいコメントを頂いた。

 

私の拙い極めて個人的、庶民的、日々移ろう恥かきかきブログにはほとんどコメントがないので、このようなコメントを頂くと、もう間もなく書き始めて3年と5カ月が経つわけだけれども、くりかえすが心から嬉しく、書きつづけて良かったという思いにとらわれる。

 

この間の私事の変化、世の中の変化は驚くばかりだが、庶民の立場で物事をささやかに考える癖のような感覚が(ささやかな持続向上心とでもいうのか)自分の中に育ってきているのを感じるのだ。

 

だからなのかもしれない、そういう未だ湧きあがる感覚があるからこそ、そこにしがみついて、61歳から新たな人生の歩みを始めたいという思いなのである。無理をするということではなく、柳に風のような自然な希望感覚。

 

今この瞬間も言葉が湧くから、ブログも書けるし、身体も動かせ、企画もできる、声を出すレッスンも可能というわけだ。何よりも生かされている今を、大切にしながら、意識を働かせる。ブログや体操は意識の訓練には、私の場合いまや欠かせない。若いころのようには時間を使えない、時間は宝の年齢なのである。

 

古いかもしれないが、両親やあらゆるこれまでの私の人生を支えてくださった(それから今も支えてくれている)人たちに日向弁で、がんたれだった私は顔向けできないのです。

 

S氏のコメントに、額に汗した、という言葉がある。額に汗したものだけが、感知しうる喜び。汗はだそうと思ってだせるものではない。身体は自分のものではない、与えられたものである。

 

度々書いていますが、生きている喜びの一つは、動けるそして気づく、ということに在ると最近私は考えています。自分の身体の動き具合の不思議に気づく、意識的訓練をすると思わぬことが、楽しくなってきたりするから面白いのです。電車や車とかで動くのではなく、唯一無二の身体で動(く)けるということ。

 

老いていよいよ身体が若いころのようには動けなくなり、ただ動けると言うだけで在り難いということが、おそらく身に沁みてくるまで、これはなかなかに難しいことだはありますが、50代に入ってから、現在まで自分の身体をかなり意識するようになってきました。あれから10年以上、意識するかしないかでこんなにも変わる自分を感じています。

 

話は変わり、若いころ演劇を学んでほんとうに良かったと思える私です。身体を動かし、声を出すということを、シェイクスピアをテキストにして再び遊んでみたい。あの時代の人びとは、娯楽(も金も)が少ないので声を出せる自分の身体を唯一の武器に人生を謳歌して生きていたのでしょう。(でないとあんな膨大な台詞はしゃべれないと思う)過剰なあのセリフをしゃべるのは体力と精神の集中が要ります。

 

遊び心満載のシェイクスピアの戯曲、それにすがり、あやかり私も今しばらく、ビビッドに声を出す、ヒダカトモフミ・シェイクスピア遊声塾をやってみたいのです。

 

思いついたら、若いころから常識にとらわれず、とにもかくにも能力もないのに恥をかきつつやってきました。結果をおそれず。やってみないことには分からないことだらけの人生なのですから。

 

シェイクスピアのいきいきとした絢爛豪華な台詞をきちんト生きた声に出し、遊ぶというところまではなかなかゆかないかもしれませんが、集えた方々が、腹の底から笑ったりできる、オーバーに言えば、人前で声を出し、恥をかくことを恐れず快感になる位の遊声塾を目指したいのです。

 

何よりも、レッスンをつける私自身がガマの油のように恥をかきつつ、生きる力をなんとか身につけてきた、その源の宝石のようなシェイクスピア作品を、群読し、今を生きる糧としたいのです。

2013-03-19

春の嵐の中、S氏夢が原に来てくださる

 

昨日はいわゆる春の嵐のような日でしたが、そんな中S氏がわざわざ夢が原まで来てくださった。仕事の合間、お昼を囲炉裏のそばで共にし、しばし語り合う時間が持てた。氏に会うのは、昨年秋、故郷への旅を共にして以来である。

 

岡山にきて、物心両面でもっとも、世話になっている方である。性格から全てといっていいくらい、氏は私とは好対照の人物といっていい方である。絵を描かれ、寡黙でお酒も一滴も飲めない体質の持ち主で、でも私と付き合ってくださっている。

 

娘の婚約に関して書いたブログでも、いち早くコメントも頂いた。今後の私の行く末に関しても、いろいろと案じてくださっている。いつまでたっても、青臭い私とは異なり、いわゆるいい意味での大人というのか、静かに淡々と我が道をゆくタイプで、先ほども書いたが同じ我が道を行くでも、好対照である。

 

だからかもしれないのだが、お互いに惹かれるものがあるのかもしれない。亡き父にも、碁を打つ仲間で、数は少ないが相性のいい友達がいて、性格はまるで異なっていたのを思い出す。S氏は私の家族と共に、富良野塾の閉塾式にも同行していただき、その節も一足遅れて富良野にとどまった私の代わりに、妻と娘たちを吹雪の中、きちんと岡山まで連れて帰ってくださった方でもある。

 

この年になり、過ぎし来し方を振り返り、君子の交わりは淡きこと水のごとし、というが、最もそんな表現がぴったりのわが友だと思っている。何故、氏が私のような輩と付き合ってくれているのかは、謎のような感じなのだが、謎のような関係の友人は、親友と呼べる数少ないK氏も含め、あり難いことに私は利害の及ばない友人に恵まれているのではないかと、いま心から天に感謝している。

 

おそらく私が、61歳、心機一転出発できるのもこれまでの人生で出会えた、私を支えてくださる、あらゆる方々のおかげなのだと思う。そのことはゆめゆめ忘れてはならないと春の嵐の中働きながら、後わずかな夢が原時間の中で、心の中深く確認した。

 

43年ぶり、経済的なことはともかく心からやりたいことに、時間を使うことができる生活が訪れようとしいている。このことは私なりの43年間を、とにもかくにも生き抜いててきた私にしかわからない何かがあるので、この喜びを忘れず、身体と心が動く間は、私なりの仕事を追求してゆきたいと考えている。

 

全てに気づくことの遅い私である。ささやかに学びながら、表現者、企画者としての一回性の生の充実を、出会えた方々と共にと願う、今を生きる私です。

 

 

 

2013-03-17

61歳から、遊びをせんとや生まれけん、を基本にします

妻が丹精して育てたクリスマスローズ

以前も書いたとは思うが、繰り返し似たようなことを、名の通った作家でも書いているし、同じことを書いているのに、やはり時間が経つと微妙に文体や、言葉のニュアンスが異なるのは、やはり同じ精神状態ではなく、いまその瞬間を文体化しているからだと思う。

 

さて歩くということに興味が湧いてきたということを、この前書いたことがあるのですが、4月からは本当に自分の時間が増えるので、真面目に歩くことについて考えながら(別に考えなくてもいいのですが)とにもかくにも歩く時間を、日々の暮らしに取り入れてみようかと思案しています。

 

21年間、夢が原で身体を動かしていたのですから、急に動かなくなるということに関して、身体が違和感を覚えるような気がするし、これからの自分の仕事を、可能な限りいいコンディションで取り組んでゆくためには、何よりも身体の調子を整えながら日々を過すということについて、意識し、与えられた自由になる時間を自立して過ごしたいのです。

 

何よりも頭は足と腰の上に位置し、頭は足と腰の衰えからやってくるというのが、私の認識です。なにげなく動ける、歩けるということは、実に複雑な身体の仕組みの上に成り立っているということを、徐々に足腰が弱ってくるようになると良くわかるのです。

 

61歳の自分の体力が、どれくらいあるのか自分でもよくは分からないのですが、(すべては自分の体から始める、他人と比較することはナンセンス)この間急におもいたち、岡山駅から我が家までゆっくりゆっくり歩いてみました。途中車の来ない川の土手は、本を片手に。3時間もかからず歩くことができました。これからは無意味に、ただ歩くということではなく、生活のリズムを組み立ててゆく基本にすることが、自分の場合はいいのではないかということの自覚が芽生えてきました。

 

せっかく与えられた、これからの限られた時間を可能な限り、お金に頼らず自分の身体と遊ぶ方法を、見つけたいと思う私です。健康に関する本は巷に溢れていますが,他人の身体と自分の身体は違うのですから、自分の身体にあった体操や歩き方を見つけ遊びたいのです。

 

シェイクスピアの遊声塾は、翻訳の文体ではあれ、言葉遊びの楽しさを見つけてゆきたいと、思っています。プロの役者を目指すのではないのです、自分の身体が音を出す、話す、語る、器であるということを、(自覚することを)遊ぶ塾です。

 

本、いきいきとおおらかに声を出し遊ぶ、ということを大昔から人間はやってきたのだと思います。どのような生徒さんと出逢えるのか今から楽しみです。お互い恥をかきながら、出会いの中から何かが生まれてくる塾(声を出すこと以外にも、課外授業も考えています)を目指します。何をするにせよ、豊かな柔らかい遊び心。心身を遊ぶ。

 

これからは、万事心から遊びたいとおもう私です。生きていることを共に歩き、私と遊んでみたい方は遊声塾にいらしてみてくださいと、声をかけずにはいられない、今朝の私です。

 

 

 

2013-03-16

エリックマリア氏のソロライブが5月11日決まりそうです

3月15日仕事帰り西大寺駅

長女が4月から社会人になり東京に住むことになり、住居探しや、引越しの準備などなど何かと慌ただしく、妻や母の事細かな気配りは、男の私なんかにはやはり不可能な領域との思いを感じながら、いよいよ巣立ってゆくのだという思い、出会いと別れの春が我が家にも訪れています。

 

娘の出発と、私の再出発が重なっているのもこれも何かのさだめだと思います。

 

さて、まだ決定ではないのですが、5月の11日に場所は未定ですが、エリックマリア氏のソロライブを岡山で企画することが叶いそうです。昨日メールが届き、11日なら可能だとのお返事が届きました。何かとあわただしくはありますが、すべてを前向きに、冷静にベストを尽くし実現したく動き始めました。

 

こんな素敵なチェロ奏者に、私の人生で巡り逢え、個人的再出発で企画できるなんてことは何に感謝したらよいのかという気持ちです。響きのいい場所を探します。場所が決まったら、すぐこのブログで書かせて頂きます。

 

何かを手放すことによって、新たな出会いが始まる。もうこの年になるとなかなかに、心からワクワクするような感覚のようなものは少なくなるというのが世の常、なのかもしれないとは思うのですが、幸いにして感動するバネのようなものが、いまだ人生いたるところに青山ありという感じで、私の中に湧いてくるというのは、あり難いことだと、天に感謝する私です。

 

感性とか、感動するということは、はなはだ個人的なことです。大勢の人と観劇するとか、試合を見るとか、観客や観衆が(多い少ないということは置いといて)いないと音楽会も含めあらゆるイベントは成立しない。お節介ではあるのですが、自分が見つけた宝物のようなアーティストを企画するということ自体が、私にとってはかなりイベンチュアルなことなのです。一人でも多くの方に聴いてもらいたいと、そのことが、今を生きるエネルギーになり61歳を奔走するわけです。

 

企画し実現に向かう中で、私の中の全体が活性化するわけです。入場料を頂かないと実現しないという現代的摂理を抱えながら、ウキウキハラハラドキドキしながら当日に向かう、なんて芸当は人にはめられない。がしかし、21年間も続けているということは特別な秘密は何もないのですが、感動する心のバネが、(つまり私の場合)あったがゆえに続けられてきたのだと思えます。

 

ようやくこの年にして答えられそうな気がするのは、何故生きているのかと問われたら、ヒトという生き物は他者(人間以外の生き物とも)と生きる喜びを共有でき、感動する心を、授かっている器である、と答えたい。だからこそ私の場合この年まで生きてくることができたのだと、今素直に思えるのだ。

 

話は忽然と変わるが、この他者との交感が生き物として、はなはだ困難な時代状況がこの20年くらい続いているというのが、私の中での認識なのです。私の企画も受難続きなのですが、だからこそまた、私自身も時代に試されているわけです。人間として企画者として、どう生きて表現するか。

 

エリックマリア氏の響きには、苦悩の果ての闇を照らす、肯定的な人間だけが出せる響きがあります。企画者としては、その響きを今を生きる(苦悩を抱えた)方々に聴いていただけたらとの、思いです。

 

 

2013-03-14

ヒダカトモフミのシェイクスピア遊声塾始めます


昨日は午後からにわかに春の嵐のような天候になったが、私の声を出す教室に、岡山でなら参加できるという女性とようやく逢うことができた。

 

この方は、私などとは比較にならないお忙しい方なのだが、その日々の暮らしの中でも、私の声を出すレッスンに参加してみたいという情熱のある方なので、私が岡山に出向き、心機一転岡山でとにもかくにも始めることに、結論から書けばなりました。

 

場所は、岡山天神山プラザの練習室(いろんな練習室があるのですが、空いている教室)を、平日、毎週水曜日借りることにし、お仕事が終わった夜7時半から9時半までに決めました。今日文化プラザに教室に申し込みにゆきます。

 

なるべく早く簡単な手書きのチラシを作り生徒を募集します。現時点では、参加者二人ですが、定員は一クラス10人までとします。月謝は8000円です。

 

ヒダカトモフミの遊声塾。内容はウイリアム・シェイクスピアの作品をテキストに声を出します。最初は・間違いの喜劇という作品です。4月24日から始めますので、どんなことをするのか関心のある方は、是非問い合わせの上いらしてみてください。

 

私は若いころ演劇三昧の青春を送り、今も東京にありますが、シェイクスピアシアターという劇団で20代の終わりの4年間、明けても暮れても翻訳された、シェイクスピア作品を声に出し、渋谷のジャンジャンという小さな空間で芝居をしておりました。

 

こないだ、一番長いブログでも少し触れましたが、高校生の時、映画でロミオとジュリエットを見た時から、私がこれまでの人生で最も読み影響を受け、自分の身体で声に出してきたシェイクスピア、もっとも好きな大作家をやはりテキストにすることにきめました。

 

私が一番希望するのは、声を出すことに興味があり、シェイクスピアのいきいきとした登上人物達の、華麗極まる台詞に挑戦する意欲的な人に参加してほしいということです。昨年秋、この塾を始めるにあたって、ひとりの女性と毎週3カ月、レッスンを、30年ぶりくらいにやって見てみて、自分が自信を持って最もいきいき指導できるのは、シェイクスピアなのだということがはっきり解ったのです。

 

ともあれ4月から、サヨウナラ夢が原、コンニチハ新しい生活、という生き方を選択します。

 

 

2013-03-13

3月11日エリック・マリア氏からメールが届きました


思いがけないことっていうのは、やはり突然起こる。それはいいことも、そしてこの年になると天の摂理と受けとめるしかないとも思うのだが、悲しいこともである。

 

だが今回のは嬉しい突然。クラッシックの演奏会なんか、この10数年ほとんど行ったことはないが、私がクラッシックの演奏会を初めて生で聴いたのは、ロンドンにいた25歳のときで、ロンドンフィルの演奏会。場所はテムズ川のビッグベンの対岸にあったホール。

 

若く、何でも見てやろう精神にあふれていた私は、フルオーケストラの交響楽に驚き、素直に感動した。何よりも学生割引で(私は着いてすぐ英語の学校に通う、フルタイムコースの学生だった)値段が安かったのでその後も何回も時間を見つけて、聴きに出かけた。

 

前置きが長くなったが、フランスの(詳しい説明は省くが)エリックマリアという、チェロ奏者から、5月に日本ツアーにゆくので、岡山で逢えますかというメールが3月11日の朝、(最近もそうだが、私は意外といろんなことを啓示的にとらえる癖がある)仕事に出かける前に届いていたのである。

 

私はこの方の生演奏を二度ほど聞いたことがある。一度は短い演奏をソロ(その響きは私の心をひきかきまわした)で、2度目は昨年の暮れ、土取利行さんとの即興デュオで。クラッシック音楽の奏者であることを忘れさせる、その枠に収まらないほとばしる情熱は、これはと思う他の分野の音楽家との瞬間即興音楽にも果敢に挑む、冒険心あふるる音楽家である。

 

チェロを、さかさまにしてたたいた姿は、還暦の私の脳裏に焼き付いている。彼は土取さんのことをマスターと呼ぶ。ジャンルを超え、二人の信頼関係の上に成立している音遊びとも言える瞬間即興ライブに、芯から私は感銘を受けた。その夜は、年齢を超越した、土取さんのパーカッションの素晴らしさを、あらためて堪能した。二人でしか成しえない、型破りの魂の音の表現。二人の宇宙。

 

東京馬喰町でのライブの後、ほんの少しエリックマリア氏と話すチャンスがあった。名刺を渡し、岡山でいつか会いたい、コンタクトをとりたいと慌ただしい中伝えた。あれからまだ3カ月もたっていないが、忘れずに連絡をくれたのである。東京まで深夜バスで聴きに行って、本当によかった。企画者は、これはと思ったら動かなくてはいけない。

 

今私は、私の人生途上トークを6月にスライドさせて、彼のソロライブを、なんとかして岡山で実現したく、すぐに彼に返信を打った。(娘があっという間に私の思いを伝えてくれた)。

 

春のめざめ、というしかない。オロも、エリックも、何かが向こう側からやってくる。私の個人的な再出発は、のんびりはしていられないくらい、慌ただしくなりそうな気配である。

 

 
ご縁がありました

2013-03-10

61歳から、私はヒダカトモフミ・というタレントになります


3月10日、今日は亡き母の命日です。そして一度に10万人以上の方がなくなったという東京大空襲のあった日、そして明日は東日本大震災原発事故から丸二年です。あれよあれよという間に時が流れ、あっという間にいろんなことが風化してゆく、ように思える。

 

岡山で暮らしていると、フクシマのことも、私自身、悲しいかな身をきられるような実感の乏しさ、想像力の欠如はいかんともしがたく、日々の平凡な日常の中にまるで何事もなかったかのように収れんしてゆくことの不気味さを、そこはかとなく感じる。無痛無思考感覚。

 

個人的に、厳冬期から3月にかけては、家族の(義父、両親)亡くなった日や、妻や私の誕生日が、交互に訪れてくる季節なので、否応なく死と生について思いを馳せることが多く、この時期に(この十数年)今年何を企画するのかということを考えてきました。

 

ネパールの音楽、ペルシャ音楽、中村哲先生の講演会、南インドの古典舞踊劇クーリヤッタム、アレクセイと泉,プージェー、光、邦楽番外地などなど、なんとか、子育てしながら、この厳しい時代に、ひとりの庶民の立場で(妻の限りない理解の中で)企画が続けられている、幸運は、言葉にはならない。

 

どんなことも、念い、動き、悩み、考え続けることの中からしか企画のひらめき、情熱は湧いてきようもない。若いころから全く物事を知らないことが、逆に私を奮い立たせてきたようにも思えます、何ごとも当たって、やってみないことには解らないという永遠の真理。下手な理念より、ひとつの実行、愚者の一念。

 

空振りを繰り返し、何度も恥をかき、才能のあるなしなんかを気にせず、自分を信じて企画を続けてきました。その湧いてくる熱のようなことの、自己分析的なことは今しばらく置くとしても、おそらくこれからの私は、死者たちの声なき声に、もっともっと耳を傾ける力を身につけてゆきたいという思いにとらわれている。

 

知らないことが恥ではなく、知っていて何もしないことが、恥ずかしいという思いなのである。素直に耳を傾け、虚心坦懐にすぐれた作品(あらゆる先人たちの言霊、音霊、魂の発露、うまい下手とかコンクール一位とかではなく、揺るがない根のある表現者)の声なき声を、今を生きる私の精神と身体で聴きとる訓練をし、恥をかきつつ自分自身表現もし、企画もする。

 

音楽会、声を出す塾(大人・子供対象)、DVD映画会、トーク・朗読会、講演会、なんであれ、私の身体を通してボーダレスに表現してゆく。日高奉文が独りのタレントとして、残りの人生の時間を(自己表現できる間)4月から新に出発します。

 

私のブログを読んでくださっている方は御存じだと思いますが、オロというチベットの映画の自主上映(秋に予定)。それから、ヒダカトモフミ・61歳人生途上トーク&朗読会第一弾を、先ずは5月に企画します。

 

折々は、一番先にブログ五十鈴川だよりでお伝えしますので、可能ならパソコンをされる方は、お気に入りに入れてチェックして下さるとうれしいです。可能な限りは通信的案内も100通くらいは出し続けたく思っています、縁のある方々に。

 

ヒダカトモフミ個人応援会員も一年一年募ってゆきます。どうか御支援くださいますようお願いします。

 

 

 

 

 

2013-03-07

心から富良野塾1期生でよかったと思えた3月3日の夜


私は自分が、倉本聰さん(以下先生)が創立された富良野塾(すでに閉塾している)の1期生であることをこのブログでも書いた記憶がないし、岡山に移住してからも、訊かれたときにしか、はいそうですと答えたことはない。

 

今から30年前、31歳から足かけ3年間34歳まで、私は北海道の富良野で過した。北の国からのロケ地の近くの原野で、現代人としては極めて珍しい経験をした。そのことに関しては先生が・谷は眠っていたという・本に書いている。

 

冬はマイナス30度以下になる、富良野の冬の過酷さの中、ゼロから一期生は塾舎を創り、春から秋は生活費を稼ぐために、片道400メートルもある、たまねぎ畑やニンジン畑に

這いつくばった。(我ながらよくやったと、今心から思う)

 

あんなにひ弱かった私が、その後いくばくか強くなれた(自信がついた)のは、あの3シーズンの生活の中で肉体も精神も鍛えられたからに他ならないとの確信が、私の中にある。

 

私が富良野での生活に関して、いまだあまり何も書いていないかというと、卒塾してから現在の妻と巡り合い、お互い子供に恵まれ、家族がで、子育て新生活を夢中で生きてきたからに他ならない。特に岡山に越してからは、それまで学んできたことを活かしての、中世夢が原での、仕事に集中してきたからだと、思う。

 

ところで、先週日曜日、3月3日、播州赤穂まで、先生の・明日悲別で・という演劇を本当に久しぶりに見に出かけた。卒塾してから観た先生の舞台で、最も感銘を受けた。一歩間違えば余りにも取り返しがつかない、われわれの危うい科学技術過信文明生活の黙示録的な舞台。(内容に関しては、短い文章では書けない)

 

若い後輩たちが、みずみずしい生身の躍動感あふるる身体で、先生の今の思いを舞台上に具現化していた。私が素直に感動したのは、78歳の先生の演出の若さである。舞台でしかできない表現をフルに使い、端々に人間という存在にたいする愛情が先生らしい言葉であふれ、それは絶望的情況の中での希望というしかない、渾身の舞台表現に集約されていた。

 

この舞台では、フクシマ(歴史上初めて生きものが住めないエリアが我が国にできた)の終わらない人災原発事故災害が(悲別からフクシマに移民し働く登場人物から)叫ばれる(世界の資本主義社会の行き着く先)。

 

この眼に見えない恐怖に関して、先生は人一倍敏感だ。棄民という言葉、今や全世界の人類がいつ棄民になってもおかしくはない、時代を共有している。そのことを先生は激しく問いかける。忘れっぽい日本人の一人として自戒する、ひとりひとりが今ほど考えないといけない時代はないのではないかと思う。頭ではなく身体で。

 

話は変わるが、舞台を見終えて一番先に思ったことは、富良野塾に1期生として参加できて心からよかった思えたことだ。本当に久しぶり、先生にもお会いすることができ、御挨拶ができた。人生いまだ途上だが、ある程度歳を重ねないとわからないことがある。

 

暗い曲がりくねった道を赤穂から、西大寺まで車で帰りながら、富良野での遅まきの青春生活を私は思い出していた。