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2012-12-30

お墓の掃除・家の大掃除・書棚の整理の一日

妻とY女史が作ってくれたお正月のお飾り

30日の朝です。今年も余すところあと2日ですが、個人的には極めて落ち着いた、いい感じの年の瀬を、夫婦水入らずで穏やかに過ごせる平凡な幸福を噛みしめています。

 

昨日は温かく、雨上がりの素晴らしいお天気の中、義父のお墓のお掃除に母と妻と3人で出かけ、午後は、ずっとやろうと思っていた本棚のゆがみの修復を妻と二人で(本をいったんだして、隙間と傾きを直し、また本を整理し入れ直した)やった後、夕方まで窓のガラス磨き、床磨きを、つまりは大掃除をしました。

 

私の家は2階建てで、リビングの大きなガラス窓も含め、窓ガラスが多いので、これを全部ある程度きれいにするのは、なかなかに骨の折れることなのですが、夢が原で掃除をするということを、足かけ相当長くやってきたおかげで、なんというのでしょうか、好きというまでは至らないにせよ、掃除を楽しむというくらいに、私は雑巾がけが苦にならないのです。

 

いわゆる健康のバロメーターくらいに、頭のスイッチを切り替えていまして、全身運動という感じで、身体全部を使っての掃除なのです。雑巾を絞り、目線を床の隅々にやると何と多くの綿ぼこりが住みついていることか、手のはいらないところは古い歯ブラシや、ピンでほじくり出すのですが、これがきれいになった時には、思わぬ快感が走るのです。

 

これがいわゆる、遊び心。薪作りや妻が出来ない、危ない箇所の窓磨きなど、男の私がやれることを分担して行う大掃除は、やはり新しい年を迎える準備としては欠かせません。掃除も含め、日常生活の大半は単調なことの繰り返しなのですが、この単調なことをいかに工夫し楽しめるかということが、人生を豊かにできるかできないかという、分かれ目なのかもしれないということを、思うのです。

 

ともあれ、歳と共に掃除を楽しもうと心がける私です。家でも職場でも同じです。無心にやっていると、みるみるきれいになります。すぐ成果が見えます。さっぱりします。庭を掃き清めたり、土俵を清めたり。日本人にとってお掃除は、自分自身のお清めでもあるのですね。だから私は機械にはできるだけ頼らず、いよいよもっての晩年ライフを、身体を使っての掃除を、一年でも長く続けるということを自分に課したく思っています。

 

日が暮れるころにはほぼ終わり、ゆっくりと湯につかった後、ささやかな妻と二人きりの夕飯タイム。夜は一日働いたからだを休める時間です。上京バス旅2を書きたかったのですが、また書きます。

 

 

 

 

2012-12-29

土取利行さんとエリックのデュオを聴くためのバス旅・1

ライブの前馬食町で親友のK氏とともに

24日深夜から27日早朝まで慌ただしくはあったけれども、やはり上京してよかったと思える充実した時間を過し、戻った日の午後、今年最後の遊心塾のレッスンをし、昨日雪の夢が原で仕事納め、29日朝ようやっと落ち着いてのブログタイムという按配です。

 

この極めてわがまま、あるがまま、個人的ブログ、五十鈴川だよりは、日々の日録的な色彩がいよいよ来年から濃くなってゆくようなきがしているので、上京中の出来事を、短く記しておきたく思います。

 

今回の上京はこれまでの上京とは全く異なり、朝に着き、夜に去るという、変則的な還暦おじさんにはいささか過酷なバス旅となりましたが、年の瀬の今という時代の雰囲気が、特に東京では感じることができ、やはりときおり、岡山を脱出しなければ、こういう思いにはいいたらないということを感じました。

 

お金をかけなくても旅は出来るし、全く見知らぬところに身をおいてみると言うだけで、身体は非日常に包まれ、なにがしかの新鮮な感覚が生まれてくるということがやはりあるのですね。それは年齢に関係なく、感じるものには感じるというしかないのですが、一言でいえば遊び心、自由な心、風の向くまま、気の向くまま、冷たい師走の風に身をさらす中で感じる、今の何かなのです。

 

幸いというか、雀100まで踊り忘れずと言いますか、生来のそういう性格というものが、私の中にはあるのだなあ、ということを今更ながら感じてしまう、年の瀬バス旅となりました。

 

今回の目的の土取さんと、エリックの即興ライブは、私自身の還暦プレゼントということで、何としてでも聴きたかったのです。短く記します。私の拙い短い言葉では記すのを控えたいほどに、素晴らしいデュオ、まさに百聞は一聴にしかずというしかないライブを体感しました。心底行ってよかったです。土取利行という、枠にはまらない(はまれない〉異能のパーカッショ二ストの年齢を超越した神髄を、耳底眼底に焼き付けました。彼のこれまでの人生、そして現在の全てが、一音一音、エリックとの即興で生まれてくるのを体感しました。60歳の聖夜を素晴らしいオーディエンスと共に過ごせました。(観客とアーティストの共演でもありました)

 

両者でしか生まれてこない、音の世界に身をゆだねる、音が体に与えるエクスタシーというしかない快感。2003年以来、久々に眼の前で、全身シャワーのように音を浴びましたが、今更ながらあらためて、彼と巡り合えたことの幸運を噛みしめた夜となりました。その夜は、馬喰町(すっかりこの街が気に入りました、歴史があります)で親友のK(は飲まず)と二人で過ごし、幸せな記憶に残る還暦の夜を過しました。

 

本当に素晴らしい音楽会や、観劇体験をすると、しばらくは全くそういうことがない生活で充分なのです。今年に関していえば、自分が企画したものは別にして、ライブでは、ピーターブルックの魔笛と今回のデュオだけでしたが、もうそれだけで十分堪能しました。

 

心から渇望するということが、見えなくなっているかのような時代状況が、この数十年続いているそのような認識を私自身は持っています。だからわたしは東京を離れたのかもしれません。根の無い生活の虚しさ。

 

心から、自分が何を渇望するのかを、今しばらく考えられる時間を過すべく、来年から思索的渇望の60歳代へと覚悟を決めて歩めそうな予感を、今回のデュオはプレゼントしてくれました。

 

 

2012-12-24

土取利行さんとエリックのデュオを聴きに上京します

かすかな朝日を浴びる我が家のナンテン

クリスマスイブの今夜、深夜バスで初めて東京に向かいます。福岡にはバスでいったことが一度だけあるのですが、東京は今まで一度もありませんでした。いつも私の企画の応援に駆けつけてくれる、K氏はこの間ほとんどバスを利用しておりましたから、彼の大変さがわかるのだなあ、なんかそういう気持ちです。

 

娘がネットで格安の、往復バスチケットをゲットしてくれたからということもあるのですが、健康を損ねない程度に、あらゆる点での節約をしながら、可能なら、これからもバスと在来線の旅で、往けるところまでゆきたいなんて、まだ夢を見る私です。

 

さて、東京にゆく目的は、土取利行さんと、エリック(マリア・クテュリエ)という素晴らしいクラッシックのチェロ奏者の、デュオインプロヴィゼーションを聴きにゆくのです。25日の夜・聖夜。これは、自分自身にたいする、還暦プレゼントです。

 

たった70人くらいしか入れない狭いスペースでの、とびきり贅沢な音楽会なのです。おそらく邦楽番外地での土取さんとは全く異なる、氏にしか成しえない世界を堪能できるかと思うと、今からワクワクします。言葉以前の人間にとっての音の世界を探求してきた氏が、エリックとなら是非・と演奏するのです。

 

一度だけ、わずかな時間でしたがエリックのソロを岡山で聴いたことがあるのですが、音が生きていて私の身体を揺さぶりました。この二人のデュオが聴ける、聖夜に。

 

岡山に移住して、企画をする側になり、音楽会や観劇にほとんど出掛け無くなりました。生活的にそういう余裕がないこともあるのですが、10代の終わりから、20代にかけてほとんどのお小遣いを、それらに使っていたので、家族が出来てからは、私自身の暮らしには、聴いたり見たりする経済的余裕もなく、またそうまでして聴く、見る必要も無くなってしまったのです。(このことに関してはまたゆっくり書きます)

 

巷には、飽食のように、音が氾濫しています。血が噴き出るような、たぎるような音から、限りなくかすかな、耳を澄まさないと聞こえてこない、しかし強靭な唄声・音が出せる人。桃山晴衣・土取利行。この二人に(私が理解できているのはそのかすかな一部)出会えたことの幸運を感謝する、イブの朝です。

 

 

娘たちが不在のクリスマス

県外の友人に送るための干し柿の作業、母がいつも手伝ってくれる

流されてゆく自分を感じながら、ふっと立ち止る自分も、そこはかとなく感じながら、今日もまた、還暦おじさんの朝を迎えています。24日深夜バスで上京することになっているので、先ほど慌ただしく友人、知人に3通のメールを書いてから、コーヒーの2杯目を入れ、ひと息入れつつ、ブログを書いています。

 

昨日、下の娘がドイツのドレスデンにホームステイにゆくので、家族で岡山駅まで送って行きました。姉は同じところにすでに一足早く行っており、帰りは一緒で来年の年明け5日です。

 

ということで、結婚25年目にして初めて、クリスマスもお正月も娘たちが不在、夫婦と母と猫の風太と犬のメルとで過ごすことになりました。正直さみしい気はしておりますが、全てはいい方に考えてゆくべきだと考え、娘たちの提案に同意しました。

 

姉と異なり、下の娘がこのような行動をするのは、親として、彼女の性格をおもんぱかると、かなりの冒険のはずで、これはひとつの成長として祝って見送りました。二人ともきちんと、アルバイトをして旅費や経費を捻出し計画し実行していますから、限りなく親としての負担は少なく、娘たちのアクションを親として静かに見守りたく思います。

 

ということで、昨夜は母と妻と3人での珍しい夕食となりました。娘たちや私のお弁当を作る、いわゆる家事労働から束の間解放され、3連休の妻は、心からリラックスして夕飯を楽しんでいました。

 

夕食のメインは、殻つきの牡蠣で、それを薪ストーブのオーブンで蒸しました。これは我が家では冬になると必ずやるのですが、この薪ストーブの威力たるや、ほれぼれするほどに人心をとろかせてくれるのです。温め料理や、焼き物なんかに本当に重宝していますし、何よりも芯から部屋が暖まります。

 

牡蠣の担当は、もちろん私で熱いオーブンから出して手際よく中身を取り出して、母と妻のお皿に盛り付けるのです。素直に開いていないのは、ナイフでこじ開けるのですが、すっかり慣れているから、次から次に取り出してあげました。九州の姉から届いた干物も焼きました。母も妻も心から喜びました。

 

こんなことは珍しいのですが、妻がこんなにもビールを飲んだのを久しく見たことがなかった私は、ちょっぴり反省しました。来年からは妻の負担をもっと減らすべく、家事労働に進んで協力しようと。

 

 

 

 

 

2012-12-23

岡富貴様・コメントありがとうございました


私のブログにはほとんどコメントがないのですが、久方ぶりに岡さんからコメントが入っていましたので、大変にうれしく、岡さんは本名でコメントをくださる方なので、実名でお礼を伝えたく、考えた上、ブログでの返信を書く失礼をお許しください。

 

私は、パソコンは、ブログや調べたいことがあるときにくらいにしか使わないし、ほとんどは第一次情報で今生きている世界と関わって生きる中で、信頼できる情報を得ていて(それで充分です)ツイッターやフェイスブックはしないのですが、インターネットはもろ刃の世界ではありますが、今や私には欠かせない、大切なツールです。

 

岡さんへ。

 

コメントありがとう。いつも、岡さんらしいリアクションで、嬉しく拝読いたしました。今朝の新聞の一面に、安部さんが、原発の新設を検討するというのがいきなり目に飛び込んできました。一気に眼が覚め何か書きたくなりました。明治から富国強兵政策、西洋列強に追いつき追い越せで、アジアの中でいち早く、短時間でいわゆる先進国の仲間入りを実現した日本という国。そしてさきの選挙で国民が国の行く末を選択した政党の党首のなんとも言えない、落ち着きのない話し方、私は不安です。

 

戦後生まれの私や、いわゆる私たちが物質的に豊かな生活を謳歌出来てきた暮らしというものは、明治、大正、戦前と、戦争や災害での何と大きな犠牲者の上に、築かれたものであるのかということを、年齢重ねるにつけ身にしみて知るようになってきた私です。

 

得票数は増えていないにもかかわらず、大多数の議席を獲得してしまうという選挙制度の不思議。選挙にゆかない(入れる党がないということではなく、信頼できる人物がいないということがおおきいのではないのでしょうか)人が4割もいる国。有権者にも多大な責任がともなうのが、民主主義であるとの私は認識です。やがては全てわれわれの日々の暮らしに、そのつけは降りかかってきます。

 

歴史を繰り返す愚。これが人間という生き物であるというのは容易い、のかもしれません。かくゆう私だって、御大層なことは言えないという反省は重々噛みしめながら、書くのですが。このブログでも何度も書いているのですが、日々生きる生活の中で、何を大切に、重きを置いてつまりは生きてゆくということにたいしての、考える力の知的欠如、倫理観、矜持のなさはとてもではないけれど、先進国とはとても言えないという気がいたします。

 

今年、83歳の老人党代表の、精神科医の・なだいなだ・さんが、強い国ではなく賢い国を目指そうと呼び掛けています。全く同感いたします。そこそこ食えて、穏やかに暮らせ、安らかに死ねる、そんな国が私はいいです。能天気と大方の方には笑われるのは承知の上で。人口は少ないけれど、そんな国が、ブータンやスイスをはじめ、思わぬ私は深くは知らないのですが、いろんな国ぐにのかたちがありますよね。

 

岡さんのような感性の、強くて優しい女性が(命を育む)、もっともっと活躍し、メンケルさんのような女性議員が増えてほしいと思う、最近の私です。日本は再びバランスの悪い国に、歩みだしそうな気配ですが、ひとりの民として、行く末を見守りたく思います。

 

来年からは、ゆったりと生きられると思います。岡さんとは時間を見つけ、お茶したく思う私です。慌ただしい年の瀬ですが、お健やかにお過ごしください。

 

                 日高奉文拝
私は空を眺めるのが大好きです・空の写真があったので、無意味に載せました

2012-12-20

還暦を迎えても自分自身と対話するということの難しさ

雨土の妙なる恵み人に愛受ける身の幸いかにむくいむ(亡き父の書)

この間の選挙の結果については、とても思考がまとまらないので、ブログで書くことは控えます。書くことで私自身が元気になってゆく様なことについてのみ、できるだけ書いてゆきたいという思いなのです。がそこは生身の人間、憤懣やるかたない思いなんかは、やはり、単細胞の私らしく綴ることになるでしょう。

 

ともあれ、話は忽然と変わり、お隣の韓国で初めての女性大統領がうまれました。親子2代の大統領です。経歴を読むと、なんか芯のある毅然とした女性の方みたいで、苦難が人を育てるのだということを、思い知らされます。必然的に日本の政治家と比較したくなるのですが、その差は私ごときがいわなくても、これからを見てゆけば自明の理ということになるのではないかと推察します。

 

艱難辛苦から逃げては、人間は全く駄目になる生き物ではないかと思います。凡夫を自認する私ですが、かろうじていま現在を生きているのは、単細胞であるがゆえに(複雑なことを思考する能力に著しくかけている)これまでの人生、何回か身の上に降りかかってきた困難に、敢えて逃げなかったからこそ今がある、そんな思いの私です。

 

ことほど左様に、人間が与えられている命を寿命まで全うする旅路は、どのような生い立ちに生れようとも、生半可な努力では成し遂げられるものではないということを、いまさらながらに思い知ります。そしてそのことを思うにつけ、これから先の時代は、いろいろなかたがすでに述べているように、覚悟の時代がすでに訪れているように、私個人も感じています。

 

そのままならない時代の渦中を、ささやかに個人的に一日一日、きちんと生きてゆきたいという思いが、私をしてブログを書かせているのではないかという認識です。ある意味では、今という激動の時代をいきられるということは、逆説的には過分なことかもしれないという思いにも駆られます。

 

覚悟を決め、丹田に気を送り、身体を動かし、自分の身体と対話する。揺らぐ自分自身をすっきりと、毎日建て直し確認する。口で言うのは、政治家のように簡単ですが、毎日継続するためには継続した者にしかわからない、ある種の困難を伴うのも事実です。そこが分かれ目、かもしれません。

 

鍛えるということはいろんな方がよくやっておられますが、自分自身と対話するということは、実に難しいことだと、今もつくづく思い知らされています。

 

明らかに極めるのか諦めないのか、思案できる間は、か細い頭で思案したく思います。

 

 

2012-12-16

あまりにも物悲しいこの国の一人の民として思う

Mさんから3年前に頂いたミカンの苗木・初めて実をつけました
 

土曜日、休日早朝です。私は藤原新也さんのWMCATWALKの会員なので氏のブログはかかさず読んでいます。氏のトークはWMの読者でなくても読めるので、是非五十鈴川だよりを開いている方は読んでほしいと思わずにはいられない。

 

昨日の氏トークに、原発反対を公言し、俳優の仕事がなくなり、俳優を辞め、原発反対の活動に奔走し、この度東京都の8区から衆議院選挙に無所属で立候補した山本太郎さんのホームページアドレスが掲載されていたので、さきほど開いてその音声を聴いた。

 

なによりも驚いたのは、その応援演説にジュリーこと沢田研二さんが、見事な応援演説をしていたことだ。すごい聴衆が取り巻いて聴き入っている雰囲気が音声から伝わってきた。64歳のジュリーだって、選挙カーの上から訴えている。何かの大きな地殻変動が人間社会に起こりつつあり、そんな眼に見えない気配は、私ごとき凡夫にもひしひしと伝わってくるし、ひしひしと感じている。

 

地震や津波の、空恐ろしいまでの波動は、やはり人間の眼に見えない精神の襞にまでその波動が広がっているのだ。これほどまでの空前絶後の被災から、生きているものとして、何かを感じ表現しなければ、あまりにも物悲しい国の民と言わなければならない。

 

私は俳優としての山本太郎さんのことはほとんど知らないのだが、どのような形であれ、安全な道ではなく、意を決して何がしかのアクションを起こす、彼のような普通の感覚の人間が出てくることは必要なことで、あまりにも少なすぎるというのが、偽らざる私の実感である。

 

私も還暦を過ぎ、子育てもほぼめどがつき、ひとりのおじさんフリーターとして、思うことはごまめの歯ぎしりのように書いてゆく決意を固めているのだが、この国の芸術家や芸能者や、ありとあらゆる表現者たちの、原発に関して、身をていし勇気を持って発言し活動している人の少なさと、あまりの、意識の低さ、勇気の無さに、言葉の衰退、身体の衰退に失望してしまう。

 

山本さんも、家族や生活のことを考えると、素直に悩んだと述べられている。ごくごく立場の弱い一般庶民が悩むのは当然だ。がしかし、ことは命の問題だ。経済も何もかも命あっての未来なのだから、くれぐれも順番を間違えてはならないと思う。命と金を量りにかけてはいけない。

 

こんなにも壊れやすい日本列島で起こった、福島の原発事故の恐ろしさが、この期に及んでもまだ、身にしみないあまたのいろんな党の国会議員のなんという、魅力の無い(言語能力)声・顔には、正直絶望的になるのだが、山本太郎さんのような、自分自身の身体で物事を考えるナイーブな感性の方も出てきているので救われる。

 

放射能汚染がいまだ、続いている・福島の問題・あれやこれやが、まったく解決していないのに、再稼働。経済やお金のことに関することにしか、頭が回らない政治家や経済人達。安全な食べ物・水無くして、命をつなぐことは出来ないという、まさにそこを押さえずして、なにが経済発展かと、ちゃんちゃらおかしくなってくる。心の汚染が深刻な情況だ。

 

藤原新也さんも書いているが、明治の文豪、夏目漱石が三四郎のなかで、この国の行く末を案じている。(この国は滅ぶと)すごい文豪がいたものだ。添田唖蝉坊的感性を取り戻したい。

 

金にがんじがらめにされているのが、私を含めたほとんどの日本人の実情だが、人体の心の中まで、がんじがらめにされるのは、私はご免である。還暦を過ぎてなお元気なジュリーのような(どんな職業でも関係ない、心ある一人一人)日本人がわんさかいると信じたい。

2012-12-13

可能な限り、第一次労働を続けたいと思います

いまは亡き星川哲夫氏が作った魔よけのフクロウ

還暦を迎えている、いわゆるオジサン世代の体力というものの標準値がどれくらいなのかなんてことには皆目興味もないのだが、自分の現在の体力がどれくらいなのかは、50代に入ってからかなり意識するようになってきた。父がなくなり、私の中に意識の変化が起こり、40代までのライフスタイルを変えようと思ったことがきっかけである。

 

だから私はいよいよ60代に入っている今、これからの肉体の変化と、意識の変化に、より自覚的でありたいという思いが、年々増してきている。せっかくの今という時間を無様であれなんであれ、わずかでも前向きに尊敬する、諸先輩をお手本に生きてみたいという願望が一段と強くなってきたのだ。

 

夢が原で働くのもあとわずかになってきたのだが、この21年間私がこんなにも健康に生活できているのは、夢が原で働き、オフィス仕事には程遠い、ひとえに身体を動かす仕事にかなりの時間を割いてきたからではないかと考えている。

 

40歳で東京から移住し、あらゆるやったことがないいわゆる肉体労働にこの21年間、従事してきたおかげで、私の身体は都会暮らしをしていた40歳までとは、自分でも見違えるほど健康になった。如何に身体を使うということが大切であるかということを私は身を持って経験してきた。動き出来るということ、苦楽の喜びというしかない、薪割りなどの単純労働の奥深さというものが、かすかにだがハッキリと自覚できたのだ。

 

つまり自分自身の身体というものの使い方が、多様な肉体労働をする中でわかり、足・腰・頭が繋がっている、自分自身の身体を再発見できたのだ。

 

このことはおそらく、夢が原で学べた最大の財産としていよいよ晩年ライフに活かされてゆくことはまず間違いない。歩いたり食べたり座ったり読んだり、いわば極めて当たり前のことが、いかに複雑な仕組みの中で成り立っているのかということにたいしての気づき。

 

来年からは夢が原でやっていたような、肉体労働とは無縁になるわけだけれども、身体を動かす生活の大切さは、身にしみて分かっているので、これからの人生は健康に身体が動く時間を全財産とし、無理なく体を動かし、声を出し、本を読み、書道に親しみ、妻とガーデニングや菜園を育て、そして、ときおり企画をする。

 

昨日も師走の冬空の中、松林の中から間伐材の松を肩に担いで出すのを、半日やりました。新鮮な空気を吸いながらの労働は、下手なトレーニングジムに通うより、お金もかからず最高なのです。血液も循環し冬空の下での何とも気持ちのいい時間を、職場で過しています。

2012-12-11

選挙が近づいてきた師走の朝に思う

近所の方から頂いたゆず

選挙権というものが与えられてから、私は日本にいないときを除いて一応ほとんど絶望的な気分になりがちになりながらも、選挙には欠かさず、行ってきた。これは亡き父がやはり、ほとんど同じような感じではなかったと想像するが、投票にゆくことを欠かさなかったからである。

 

今更のこともないのだが、女性に選挙資格が与えられた歴史一つとっても、何と多くの艱難辛苦の上に、成ったことかをかろうじて私はしっている。今となっては当たり前のように享受できることが過去にはいかに大変で難しかったのかという様々な事柄を。

 

私も含めて、いかに我々という存在は忘れやすく、安きに流されてしまうのかということを知ると、冬空の下いささか茫然としてしまう私である。がしかし、哀しい事なれども歴史は繰り返すということもあるのかもしれないが、その繰り返しの中でも、人類は緩やかに、螺旋状に心というものも進化してきたのではないかということを、信じる側に私はたつものである。

 

絶望は愚か者の結論だと、思いたい。いつの時代もそうではないかと思うけれども、人間にはやはり、宗教をはじめとする、やあらゆる芸術芸能文化的救い、儀式というものがないとなかなかに、生きるということは至難のことだと、かよわき存在の私は慎ましく認識している。

 

がしかし、個人的なブログなので、何でも書かせて頂きますが、この今の師走の日本の空の下を覆う、なんとも形容しがたい、うそ寒さは何に起因しているのであろうかと、いささか虚ろな思いにとらわれてしまうのも、哀しいけれど事実である。虚しすぎる言葉が跳梁跋扈する無自覚の痛みの無い、騙る言語。

 

この度の選挙は、この国に生きる人間の民度が問われる選挙なのだと思う。添田唖蝉坊はあきらめ節をうたっているが、希望を捨てたくないから唄っているのだ。幸いパソコンで候補者の人格や主義主張を、注意深く知ることができる時代にわれわれは生きている。

 

昔はこうはいかなかったのだ、いろいろなことを知るという自由を、われわれは生きているのだ。このかけがえのない自由を活かして、個人個人があらゆるアクションを起こさない限り、またもやそのつけは大多数の私をはじめとする弱者に降りかかるのは火を見るよりも明らかだ。

 

個人的に、核・原子力(放射能汚染の子供たちに与えるなんという恐ろしさ)のことを、心から真剣に考え、(痛みと想像力を持った)続けている政治家を、私は選びたい。

2012-12-09

しなやかに継続することの大切さがしみる師走です

部屋の中の障子に映る干し柿の影

昔から何事も、石の上にも3年とかいいますが、これはやはり根拠があるのだということを思い知ります。

 

気がつけばもう随分前に、ブログを初めて3年が過ぎました。一年目はようやっと一年という感慨に浸る自分がいましたが、今はもう生活の一部になったかのような案配です。心の薬、毎日ではないにもせよ日課のような感じになってきつつあります。

 

書きはじめたころは、指の練習をしながら、恥ずかしいくらい時間をかけて書いていました。書きたいことはあるのに、指が追いつかないというジレンマを抱えての、出発でしたが、今ではうそのように指が動くようになってきました。

 

歳を重ねてゆく中でも、新しい自分は見つけられるのだということを(これから先のことはさておき)何やらいささかオーバーなれど、実証したかのような感じでもあります。

 

書く内容もほとんど何も考えないようになってきつつあります。一日一日をそれなりにきちんと生活していると、なにがしかの自己慰安文は生まれてくるということなのだと思います。さすがに謝礼をいただく(そんな原稿依頼はほとんどありませんが)ような文章を書かなければいけないときは、やはり構えて、それなりに推敲し乏しい知恵を絞りますが、ブログは全くの、自然体です。ちょっぴりよそゆきの。

 

さて、昨日はなにをして過ごしたかというと、五時に起きてすぐブログを書き、その後8通筆で短い便りを書き、郵便局で投函し、その足で歯医者さんにゆき(声を出し始めましたので、歯はとても大切なので、全てみてもらっているのです)ました。戻って午後1時まで、ストーブの薪作り。少し遅めの昼食(妻の美味しいドリアで)をし、その後、・扉をたたく人・という(深い問題がテーマのいいフィルムでした)DVDを妻と見ました。

 

見終えて、妻と運動公園までメルの散歩、寒かったのですが少し身体を動かしました。帰るともう日はとっぷりと暮れ、早起きの私の一日は働いている日も、休日の日も、何かかにかと、こともなげに穏やかに過ぎてゆくというわけです。

 

大切なことは日中にほとんどを済ませ夕方までに終えます。夜は身体を休め、音楽でも聴き、または眠くなるまで本を読み(初めて渡辺一枝さんの本を読みました、チベットの、すばらしい)ます。

 

これからは平凡の中に、非凡なあり難さを、感受してゆく、精神的な強靭(つよさ)さを身につけたく思うのです。

 

12月8日、師走の朝に思う

妻が作った和布のコースター

邦楽番外地を終えてまたたく間に2週間が過ぎようとしています。ふと、意識的になればなんという時の流れの早さかなと、マイナス的な意味ではなく、やはり年齢的なことが作用しているのだとは思いますが、一日一日が実に早く過ぎてゆくように感じられるのはいかんともしがたい事実です。

 

ですけれども、なんというのでしょうか。再三書いているようにも思うのですが、体力は明らかに落ちてきたり、行動もゆったりしてくるし、皺やシミも増え、いわゆる老人に日に日に近づいているという自覚が深まるとともに、何かしらこれまでの活発に動くおのれとは、また異なる、おのれにプラスの内的な感覚が育ってきているようにも思えるのです。

 

この何とも言えない微妙な、これがいわゆる老人力というものかもしれませんが、そのような緩やかな、若い時には感じられなかった、まさにゆったリズムならではの味わいのようなものが、私の中で生まれてきつつあります。

 

そういう意味では、これから先はもうあまり驚かない(心を豊かにしてくれることにのみ驚きたい)と言いますか、それは悲観的な意味合いではなく、世間に起こるよしなしごとに、一喜一憂することは、もうだんだんと少なくなるだろうという、ある種の達観が、私の中にあがらい難く育ってきているのは、事実です。

 

眼に見える世界や、人間が創りだす世界のあれやこれやに、散々心をとらわれて還暦まで生きてきたのですから、これからはちょっとこれまでとは異なる、単刀直入にいえば、眼に見えない世界を、より意識的に生きてみたいというような心持なのです。(何故こういういわば精神性が芽生えつつあるのかということについては、いつか時間をかけてゆっくり自己検証し、文章化したいという気持ちもあります)

 

こんなことを書くと、何やら世俗を脱するかのごとき印象をもたれるかも知れませんが、全くそうではなく、世俗の中に在ってこその。まだまだ煩悩もいかんともしがたく抱えつつ、その煩悩を見つめつつ市井に暮らしてみたいという、感じなのです。

 

そういう心境でニュースなどを眺めていると、なんというのでしょうかすぐスイッチを切りたくなるような、自分の心が冷え冷えとしてくるような、事象のなんと増えてきたことか、この時代の趨勢には、いささか辟易暗澹とはいたします。が、その時代の渦中を冷静に過ごせるものなら過してみたいのです。

 

時代はさておき自分自身にとっては、これ以上は望めないほどに充実した21年だったという思いに浸れる自分がいます。天を仰ぎ静かに感謝する自分がいます。

2012-12-07

身体を使って文字を書くことの、喜びと楽しみ

休日お昼自分で作ったパスタ、(食べ始める前にとればよかった)

筆で手紙を書く、万年筆で便りを書く、手で、身体で何かを成す。ということに私はこだわってゆきたいという一念が、歳を重ねるにつけてますます私の中で発酵しつつあります。

 

素敵だと自分がおもえる先人達が残した、今も古びることなく、混迷の時代ますます輝きを放ち、書いていると自分にも元気が頂けるような言葉や文字を書きたいとずっと思いついづけてきましたが、機が熟し、ようやく来年からその時間が持てるということになります。心の余裕がないとやはり難しいことなので嬉しいです。

 

その手始めということもないのですが、今回の邦楽番外地でお世話になった方々に、この間の日曜日から、筆で感謝の言葉を書いています。一度には書けないので、順次書いて投函しています。全くの我流です。父も我流でしたが、流れるように字を書いていました。子供心に判読し難い文字でしたが、受け取った同年代の方は、理解されていたのでしょう。

 

これからの晩節は、いままでやったことのないことにも挑戦してみたいのです。すごい民俗学者の、谷川健一先生が(一度だけお目にかかったことがあります)独学の勧めという本をお書きになっています。私ごときが比較するのもおこがましい素晴らしいお仕事をされた先人たちのことを教えて頂きました。こつこつと努力することの素晴らしさが伝わってきます。

 

私は18歳から、全て独学です、どん底という名作を書いている、ロシアのマキシムゴーリキーは、社会が私の大学だと書いているそうですが、彼の言に倣えば、全くそうだと私は思っています。乏しい能力を精一杯努力する中で小さくても花を開かせることが、いわば人生の醍醐味ではないかと、あらためてこの年になって、思い知る私です。

 

企画することも誰かに倣ったわけではなく、企画してみいたという思いが、内からあふれ出てくるものがあったからこそ、21年間いまも続けられているわけですし、いろんな方々から素直に学びながら(この感性が一番肝要だと思います、自分に嘘はつけないのです)直感に支えられて、我が道を歩みながら(ほとんどの時間を、パンのために費やしながらもあきらめ)生き延び、なんとか還暦を迎えることができたのですから。

 

これからも試練が訪れるでしょうが、その中でこそ何かを見つけてゆくくらいの、ある種の覚悟を持って歩んでゆくことの中にしか、ビビッドな人生というものは生まれえないのではないかという気さえするのです。

 

 

 

 

 

 

 

2012-12-02

妻とのささやかランチの、初冬の温かさ

妻が育てている玄関先の小さき花

妻のことを、少しこの間25周年ということで書かせて頂きましたが、昨日、本当に久しぶりにめったに外食をしない妻が、ランチを食べにゆきたいということで、妻の知っている、郊外の我が家から車で10分くらいのところにある、小さなフランス料理のお店にゆきました。

 

こんなことは、一年に一度か二度くらいしかないのですが、下の娘が大学を卒業するまではと、本当にほれぼれするほどに、つましい彼女の生き方は、おのろけでは全くなく、私をして感動させます。あれやこれを望まず、母として最善のことを娘たちのことに、私のことに、つまり家族のことにほとんどのエネルギーを費やす姿を、間近に見ていると、やはり男の私とは、まるで異なる存在であると思わずにはいられません。

 

来年からは妻との時間を優先しながら、これからの人生を再構築してゆく、新たな出発をしたいと考える私です。妻は今時珍しい、権威や、見かけの肩書や、その他もろもろの偏見などにとらわれない、私の母親のような、極めて母性的な昔だったら極めて普通の女性です。

 

それだからこそ、私のようなちょっとできそこないのタイプを、伴侶として、くれたのかもしれません。愛と憎しみということは、表裏一体とかになりがちです。愛するがゆえに、憎しみも重なりあうということなのかもしれませんし、長いこと共に暮らすと、一番大切なことがややもすると見失いがちになるということ、だと思います。

 

夫婦というのは、不思議です、小さいころ、父と母がいさかいをし、私が母の味方をし、あんな暴言を吐く父親の悪口を言うと、母がお父さんは大変なのだから、あんたがそんなことを言う必要はないと、私を叱り、父を弁護したのです。

 

子供心に大人は不可解だと思いました。あのころから、私の人間という生き物に関しての、謎の芽生えは始まったのだと思います。一筋縄ではいかない、人間という存在。アイデンティティを、絶対矛盾的自己同一、と訳した西田幾多郎という日本の哲学者。

 

みじかいブログで書くことではないのですが、生と死、愛と憎しみ、愛と死、生と宗教、戦争と平和、正義と戦争、親と子、仕事と家族、ずっと書かないといけないので止しますが、(ヒトは何故ヒトを殺すのかという哲学的命題の謎)。

 

還暦を迎え、何故生きて企画をするのかということについては、いよいよもって、終えるまでの旅を、永遠の時間軸の中で、一年一年その年の今の花としての企画をしたく思うのです。

 

ところでランチを食する妻は、こんな料理(カボチャのスープ他)は家ではなかなか作れないと言い、健気な微笑みを浮かべました。安くて美味しくて、私も大満足、夫婦で、小さい初冬を見つけました。