ページ

2016-10-31

結婚記念日前日の秋日和、3世代で干し柿をつるす。

この数年毎年書いているかもしれないが、おそらく私が元気で五十鈴川だよりをかける間は、厚かましくも何度も書き続けるような気がする。

そして年を重ねるにつれ、その書き方は面の皮が厚くなってゆくような気がするので、ちょっと我ながら恐ろしい気もしないでもないが、とうに還暦を過ぎているのだから、無礼講でゆこうと思っている。

というのは、今日は29回目の結婚記念日であり、知り合って30年目になるので、やはり私としてはなにがしかの個人的な感慨が秋空のもと生まれてくるのである。

人生にもし、あの時ということがなければとか、 人はまるで異なる人生を歩んだりすることはままあることだと思うが、まさに一人の女性との出会いがあったからこそ、いまの私は生きながら得ることができて、このように五十鈴川だよりを書ける好運に思いをはせてしまうのである。

一人の女性と出合い、あれから29年、結婚し子供に恵まれ、その子供が巣立って行き、またもや晩年夫婦二人の暮らしを始めつつある人生の今。

下の娘がまだ同居しているが、時間の問題で夫婦二人の暮らしがやってくる。これからあと何年共に暮らせるのかは神のみぞ知るということになる、が、いつも書いていることだが、そのような不確かな先のことに私は重きを置いていない。

それよりも今、今日という一日をきちんと過ごせることに、なにがしかの感謝を寿ぎながらの積み重ねを楽しみたいと思わずにはいられないのである。

話は変わる。おとといの土曜日、午前中母と妻の3人で近所のとある方のおうちに、西条柿の収穫にゆき、その日の午後から皮を向けるように母と準備し、昨日一日朝から夕方までかかって吊るし柿を、おおよそ20列以上干すことができた。

おそらく今までで一番多くの吊るし柿を干すことができた。母の思わぬご縁で大量の柿をいただくことになったのだが、実は今年はもう干し柿を作ることはよそうかとも思っていたのだが、意外な展開の成り行きとなり、結果とてもよかった。

畑仕事もそうだが、陽だまりで柿をむいている母はことのほか嬉しそうなのである。そのような母を見ているともちろん私もうれしくなる。バカなことを言い合いながら皮をむいていると、下の娘が私も手伝うと思いもかけない展開、おかげで予想よりずっと早く吊るすことができた。

母、私たち夫婦、そして孫3世代による結婚記念日前日の、我が家の干し柿づくりは、秋日和にこれ以上はない、穏やかな記憶に残る一日となった。

剥いたばかりの柿が、秋の陽光に映える様に、娘が秋の風物詩だねといい、姉と怜君にラインで写真を送っていた。

可能な限り、母が元気な間は3世代での干し柿作りは我が家のささやかな、結婚記念日イベントにしようと心に決めた。

夕方母を送っていったのだが、84歳の母曰く、役に立つ間はできる限りのことはするから、またなんなりといってくださいといわれた。その一言にいうに言われぬ感情がこみ上げた。

これ以上野暮なことを私は書きたくはない。平和とはまさに千差万別、それぞれが日々の暮らしの中で紡いでゆくほかに 、今のところ私には方法がない。

【写真がありませんが、想像力で補っていただけると心からうれしく思います】

2016-10-25

秋の晴天の元、竹韻庵で母と共に野菜を植え、思う

夕飯を終えこの時間帯にブログを書いたことはこの数年まったく記憶がない。が今宵はどういう風の吹き回しか、パソコンに向かう自分がいる。

妻も私も午後九時以降は、テレビはほとんど見ないので、まったく世間様とはずれたような我が家の暮らしなのだ。

この季節は、朝焼けがとみに最高だし、夕焼けも日に日に早く涼むゆく夕日が 格別に美しい。夜明けの光に運動公園で射貫かれ、夕方沈む夕日に射貫かれ一日を終えるなんて、最高に幸せないち日といわずして、なにおかいわんやである。

自分でいうのもなんだが、なんだかまったく自己満足の日々を、このところ送っている気がますますしてきている。

来月は生まれて初めての同窓会で(小学校6年生のとき一年間だけ過ごした、宮崎の美々地小学校の)遠出をするが、以前の自分では考えられないくらい、じっとした暮らしをいとおしむ、楽しむ、生活の変化が訪れているのだ。

体の変化に伴って、まさに意識が変化する典型が、わが暮らしに訪れているのを私は、徐々に徐々に実感し始めている。

だからきっとわが五十鈴川だよりも、ますますもって変化してゆくのではないかという気がしていて、それはそれで実に楽しみなのである。

世は年金とか、金にまつわる話題に事欠かないが、18歳から金に苦労してきた私は、お金がない暮らしの辛さが、少しは身に染みているので、若いころから食うものさえあればお金がなくても、何とかそのホ一日を愉しく生き延びる知恵のようなものが、身についているような気がする。

身体さえシャキッとしている間は、何とかその日一日をやりくりできる自信は、今のところまだ健在である。

話はいつものように変わるが、今日83歳の母と竹韻庵で、母が育てたニンニクの苗や、市販されている野菜の苗(ブロッコリー、カリフラワー、そら豆、下仁田ネギ)を植えた。

朝、竹韻庵に行くけど一緒にゆきますかと電話を入れたところ、行くよーっとまるでこの日の晴天のようなお返事。現在の母はまるで童女だ。

妻は仕事なので 母と二人きりで竹韻庵に行くのは初めてのこと。お供はメルである。10時頃についてゆっくりと始動、母の指導通りに動きながらおおよそ2時間ですべての野菜を植え終わった。

わずか2時間 二人で体を動かしただけで、畑地の景色が変わるのであるからまことに持って愉しいというほかはない。植え終わった小さな畑を見ながら二人で弁当をいただく。うまい、格別だ。

ようやく腰の具合も元通りになり、身体が元気に動けることの有難さを感じながら、あらためて元気に大地と戯れる母の姿に、自分もかくありたいとの念を改めて強く持った。

私と違い、本も読まず、映画も観ず、あらゆる文化的といわれるようなことにはとんと無縁な母でるが。人間としての基本的なことは、きちんとできる。

母を見ていると、私は深く頭を垂れ、反省しきりの最近の私である。これからは母との土時間、声出し時間、散歩時間、読み書きはそのあとという感じで、優先順位を変えようと思う。


確実に母とのこのような穏やかな時間は減ってゆくのだから、一日一日ははから学べることをきちんと学んでおきたいと思うのである。いつかはこのようなひと時も確実にできなくなるが、そのような時は、そのようなとき、いま、今日が一番大事なのだ。

お金に端を発する事件 がひきも切らない世相であるが、可能な限りお金に心がむしばまれないように、母を見習い穏やかに過ごしたいものと、天の下で物思いにふける私である。

2016-10-22

11日ぶりの五十鈴川だよりである。以前はブログを書かないと、どこかが落ち着かない気配があったが、最近はとんとそのような気持ちが消えてしまいつつあるのは、やはり年齢のせいなのだろうという気がする。

ああそろそろもういいかなあ、という声が体のどやらから聞こえてくるのである。でもそれは、やはり毎日ではなくても、書き続けてきたがゆえに至る本人にしかわからない感覚なのであるから 、これでいいのである。

18歳から、わたくしごときの人生でもたびたびの選択、決断をし、何とかこの年齢まで生きてきたが、来年の誕生日で65歳になる。まだ誕生日も来ないのに、岡山市からはシルバーカードが送られてきて、いやでも応でもシルバーageを意識させられる。

還暦を境にということもないが、確実に肉体の変化が起こっていることを最近とみに実感するようになって気つつある。それはいい意味でである。

ところでそれは十数年ぶり、背中から腰に掛けて 痛みがあり、背骨が湾曲しており、しばらく整体師のところに通っている。

考えてみると、ブログを書き始めてからというもの、座りながらずいぶん背中を湾曲 してパソコンに向かっていたのが悪かったのだということがハタと分かったからなのである。

何しろ腰の痛みは十数年ぶり、背中の痛みは初めてなのであるから、自分では気づかないままに随分体に負担を抱えていたのだということが分かってきたのである。

だから 、何事もほどほどに自分の感覚や体調に配慮しながら、日々を送ってゆきながらあるがままの正直だよりを願い、ある日突然流れが止まるのが摂理と受け止めている。

こんなことを書くと、いかにも晩秋的なブログだが、背中や腰の痛みを抱えつつも、竹韻庵には通い、声出しレッスンも、やっているときはまったく痛みのことは忘れている。

ゆったりと歩く程度のスピードで普段通りに生活はできる程度の痛みなので、無理をしてはいけませんよ、という声なのだと受け止めている。

ところで、桑江良健絵画展のことを書きたいのだが、ちょっと時間が無くなってきた。本当にやってよかったということだけ記しておきたい。桑江さんの人徳のおかげで31名の方が、11時から17時までの間我が家に 来てくださった。

私の予想をはるかに超えた。二晩、桑江良健大兄とゆっくり人生を語りあえた、そのことが一番よかった。また思いがけない方がたが来られ、4点もの絵画が売れた。

私はまたしてもいろいろなことをまなぶことができた。そしてこれから、いよいよ自分が人生の幕をしまう準備のきっかけになるヒントを、桑江良健一日絵画展から示唆していただいた気がしている。

普段はめったに会えないが、いざという時の莫逆の友を人生で持てたことの喜びの余韻は、いまも私を包む。

月曜日の別れの朝、桑江氏が私の妻の母に、絵を差し上げたいので一枚選んでくれといわれた。思いもかけない申し出に驚き、感謝し一枚を選ばせていただいた。

桑江良健という思いもかけない沖縄の先輩と知己を得たことは、まさにわが人生の喜び、宝である。





2016-10-10

シネマクレールでルキノ・ビスコンティ監督作品【山猫】を見る。

一昨日に続き二日連続で映画を見た。こんなことはこの十数年で初めてではないかという気がする。

それも妻と二人でというのが珍しいことなのだが、そのことをブログで書きたいのではなく、昨日観た映画のことをほんの少し書きたいのである。

私が昨日観た映画というのは 、シネマクレールで朝一回しか上映されない【ルキノ・ヴィスコンティ監督の山猫】という1963年の作品。私が11歳の時に創られた映画である。

私はこの作品を1981年、東京の岩波ホールでたまたま29歳(その時のパンフレットを探したら在った)の時に見ている。可能なら大画面でもう一度見たいと思っていた念願の作品だったからである。

今回のフィルムはもちろんデジタル化されているが、私が観たのはデジタル化される前のフィルム作品である。

バートランカスター、(同監督の家族の肖像の老教授も素晴らしかった)クラウディアカルディナ―レ,アランドロン 、が歳を重ねないでスクリーンの中で息づいていた。歳を重ねたのは私だけである。

強烈な印象を残したシーンが数々出てきた。まさに歴史が塗り替わる激動の時代が荒涼としたシチリアを舞台に描かれる。

内容をくどくどと書くことは控える。関心のある方はDVDかシネマクレールで14日まで上映されているのでご覧になったらいいと思う。

私はルキノヴィスコンティ監督のことは深くは知らないのだが、名門貴族階級の出身でオペラの演出家として有名な方であり、私が影響を受けたフランコゼフィレッリ監督もオペラの演出家であり、ヴィスコンティ監督の弟子筋にあたると読んだことがある。

いずれにせよ、私は青春時代、フェリーニ、デシーカ、 ピエトロジェルミ、エルマンノオルミ、(先日観た森はよみがえる、素晴らしかった)などのそうそうたるリアリズム映画の名匠監督たちの名作を多数観ることができたことを幸せに思う。

話を山猫に戻す、遠い異国の時代も環境もまるで異なるフィルムであるにもかかわらず、なぜこうも心の奥底に響いてくるのか、私にもよくはわからない、が滅びゆくものへの哀切感が、バートランカスターの名演技と相まって、64歳の私にシーンと伝わる。

29歳のときとはまったく違って、あらためてこの作品の奥深さに打たれ、35年ぶりに観ることが叶い、名作とはこういう作品をいうのではないかと私はあらためて感じ入った。

あの時代、当時の人々の生活、貴族階級の暮らしぶり、絢爛豪華というしかにない大舞踏会、細部に眼の行き届いた、的確極まる長時間の細やかな演出(内的心理をあぶりだす)は、ルキノ・ヴィスコンティ監督をおいてほか誰に演出できようか。

いつの時代も苦悩を抱えたまま、なすすべなく運命を受け入れた数多くの、まさに人間らしく生きた人たちの内面を、このように作品化してくれる 大きな映画人ルキノ・ヴィスコンティ、真の芸術家だと思う。

時代を超えて胸を打つ作品を、設備の整ったシネマクレールできちんと観ることの悦楽を堪能した。

これほどの作品を、1800円で観ることができるのだ。まさに映画ほどピンからキリまでが一律料金というのは、私にとっては有難いというほかはない。



2016-10-09

話題のアニメ【君の名は】を妻と観にゆく、そして思う。

休日を妻と過ごす時間が夢が原退職後確実に増えつつある。特にこの一年は意識的にそうするように、何とはなしにそうなってきつつある。

出会ってから30年経ち、何やらまた改めて新鮮な関係性が育めてゆけるかのような気がしてきている。

共に土いじりをしたり、犬の散歩にいったり、美術館にいったり、旅をしたり、映画館に行ったりすることで、共通の体験をしながら会話をすることなしには、やはり夫婦の関係性は深まらない、のだ。

さて、昨日は夫婦して整体にゆき、午後君の名はという新海誠監督の新作アニメを、夫婦で観に行った。

私はさほどアニメーション映画が好きではないのだが、このアニメーションフィルムにはとても感動した。アニメを見て涙が出たのは初めてである。

どんなところがいいのかは多岐にわたっている(ぜひ見てほしい)が、一言でいえば発想がみずみずしく、どこか現実離れして入るが、万人の人間が抱きうる、妄想、幻想、つまりは人間の深層の奥深くに届く、夢物語だからだ。(だがリアリティがある)

まさにデジタル(アニメ)時代の監督だが、根っこに確たるリアルな感覚(健全な常識感覚)も持ち合わせていることが、あのアニメの自然の美しさ(ときに自然はあまりにも残酷である)の中に余すところなく表現されている。

30代の監督ということだが、主人公の祖母といい、高山ラーメンの親父といい、実に存在感がある。私には、 田舎の細部の絵がとてつもなく琴線を揺さぶる。

とてもこのフィルムの新しさを、私の一文では伝えられないが、私のアニメ観を覆し、アニメでしかできない、創造世界があるのだということを遅まきながら私は実感した。


世界の若者たちがなぜかくもアニメに惹かれるのかの結実を、私は学んだような気がしている。

下の娘が、テーマ曲を繰り返し今も聞いているが、若者たちの未来への揺らぎが(とくに東北津波、原発事故災害以後も続く、災害の多発)君の名はには、いやそれは若者たちだけではなく,広く災害列島にすむ、現代日本社会に暮らす我々にも届き、このように私にブログを書かせてしまうのである。

2016-10-06

読書の秋、外山滋比古先生の【思考力の方法・聴く力篇】お勧めします。

まさに台風一過の秋晴れです。気が付くとまたもや随分ブログを書いていない。以前は書かないとどこか落ち着かないような自分がいたのだが、そんな自分はもういない、やはり微妙に年齢とともに体と心は変化するみたいだ。

固執するのではなく、変化する自分を誤解を恐れずに言えば、愛し受け入れるそのような心境なのです。 優先してやりたいことの順序が変わりつつあるのです。

あくまで五十鈴川は流れるようにしか流れない、私もかくありたいと、あくまで、ますます自然体で流れてゆきますので、どうかよろしくお願いいたします。

さて、小生10日ほど前から軽い腰痛になり、何とか身体が動くのでほおっていたら回復の兆しがなので、この6日ほど整体師のところに通っているのですが何とか竹韻庵でつるはしが振るえるところまで回復してきました。

今朝もメルと共に、竹韻庵で2時間近く汗を流して戻ってきまして、帰って洗濯物や布団を久しぶりに干し、掃除をし、ついでに気に入っている赤い運動靴を洗い、さんさんと陽光当たる車の屋根に干しさっぱりした気分でパソコンを打ってます。

全く静かなリビングにパソコンを運び書いているのですが、窓越しにはもうそろそろ終わりの金木犀が見え、座布団の上で猫の花が気持ちよさそうに目を閉じています。

 まったくこの上もなく穏やかで、いよいよ本格的な秋日和の到来を、私は心うきうきと迎えています。

さて、灯火親しむ読書の秋、とは全く関係なく腰痛を抱えながらも、私は本が本を導くといいますか、時間を見つけては本を読む時間を楽しんでいます。

ブログを書かなかった間に読んだ本を思い出すままに書くと、【橋本治著、これで古典がよくわかる、いつまでも若いと思うな、関川夏央著、人間晩年図鑑、河合祥一郎著、あらすじで読むシェイクスピア全作品、シェイクスピア(いずれも新書)石牟礼道子著、食べごしらえおままごと(文庫)】など。

どの本も全部私には興味深く面白かった。これだから私の限られた時間の日々は まさに流れるように過ぎてゆくのである。

そして今、外山滋比古著【思考力の方法、聴く力篇】を読んでいる。これが私にとっては目から鱗のように面白い、あまり自分が読んだ本など人に薦めたくはないのだが、この本は関心のある御仁にはお勧めしたい。

夢が原退職後、一番うれしいのはやはり本を読む時間が格段に増えたことだと思う。読まないことには外山先生の御本にも巡り合わないのだ。世の中には何と該博でありながら、専門バカではなく思考が柔軟である方がおられることに、膝を叩いてうれしくなってしまう、たちまちうきうき気分におちいってしまう。

このような本に出合った時の喜びが私にとっての読書体験となる。無学、無知という、いい意味でのトラウマを18歳から抱えながら、生き恥さらして生きてきたが、小器晩成というかようやくにして、学ぶということの楽しさを、体全部で感じ始めたような気が最近している。

気づく年齢は各人異なる、母が言っていたが何事も 、遅きに失するとは思いたくはないが、聴力も、視力も 、反射神経も確実に弱くなってくる中、何はともあれ愉しく本を読める時間を暮らしの中で持てるということは、在り難いことデアル。

てなところで、久方ぶりのブログはこれにて。本日は夜カルチャーセンターでのレッスンがありますので午後はオセロを声に出して、私の初秋は雲の流れのように過ぎてゆきます。