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2018-06-30

忽然と現れた、ロシア人女性がもたらす新たなる風に想う。

一昨日の夕方から、我が家に一人のロシア人女性がホームステイしている。わずか10日あまりだが、3人での夕食を2回ほどして、主に英語を道具として使いながら、時折日本語とロシア語もわずかに織り交ぜながらコミュニケーションを図っている。

娘たちが巣立ち部屋が余っているし、我が家では娘たちが小さいころから、いろんな国の様々な年齢のゲストを、日数の長短はあれ招いて異文化交流を重ねてきた、超ミニ我が家歴史がある。

今回は夫婦だけの暮らしになって初めてのホームステイ受け入れである。今回のホームステイは、岡山外語学院からの依頼によるものだが、ホームステイを受け入れて思うことは、毎回どのような方が我が家にやってくるのか(資料は事前に渡されているが)、一期一会の出会いに 、胸が騒ぐ。

人間にはやはり相性というものがある、さても今回は。しっとりと落ち着いた、静かで知性的な猫や犬が大好きな女性で名前は愛称カーチャ、初日仕事を終え迎えに行った妻は上機嫌で帰ってきた。

短いホームステイではあるけれど、これからお別れの日まで毎回夕食を共にしながら、愉しい時間が過ごせるかと思うと、何やらいつもとは違う異文化交流夕食時間がことのほか楽しみな私である。

許可を得て写真を掲載します、今朝の。
我が家には、娘たちが小さいころから迎え入れた、ゲストとの異文化交流 ノートがある。ささやかではあるが、小さな我が家の大きな宝である。そこにまた新たにカーチャが加わる。

異国のゲストとの束の間の交流は、またもや我々初老夫婦にとって普段の暮らしでは味わえぬ刺激を、カーチャはまだわずか二日ではあるが、精神の潤いを与えてくれている。

妻も私も四半世紀、様々な国のゲストを受け入れきたことによって、どれだけ精神に刺激を受けながら、家族全員が成長してきたことか、そのことへの感謝は言を俟たない。

 ともあれ、これからますます年齢を重ねるにしたがって、老いを見つめてゆく暮らしの中で、多国籍の魅力的な、ホームステイゲストが、我々夫婦にとっては再び新たな喜びを与えてくれることを確信させている。

忽然と現れた自分の娘と同世代のロシア人女性に、妻は年齢を超えた友達感覚で喜んでいるし、私には異国の娘のように感じられ、初日の夜から意気投合している。

このような出会いは、日本人とであれそうはあるものではない。そう、稀な出会いなので五十鈴川だよりに綴っているのだ。

彼女はロシアでコンテンポラリーアートの美術館の学芸員をしていて、ロングホリディで日本の岡山で日本語を学ぶためにやってきていて、片言の日本語を話す。

日本という異文化を学ぶ、知的好奇心にあふれた、内に秘めた深い情熱を感じさせ、これまで出会ったことがない、魅力的などこかアジア、スラブ的雰囲気を醸し出す、ロシア人である。

人間はちょっと言葉を交わしただけで、息があったり合わなかったりする、複雑精妙な感覚がある。今回は神様が何やらの使者として、我が家にプレゼントしてくれたのではないかと、かってに考えている。

2018-06-27

第五回、リア王の発表会まであと10日、そして想う。

いよいよあと10日でシェイクスピア遊声塾の第五回目の発表会、リア王である。何度も書いている、61歳で無謀にもシェイクスピア遊声塾なるものを立ち上げ、丸5年が経つ。

一口に5年、よくもまあ継続がかなったものと、この時代の趨勢の中で一番驚いているのは私自身である。7月からは塾生が7名になる(ますます楽しくなる)。

驚いているのは、新聞社の取材が先週の水曜日と今夜と2週連続で飛び込んできたことデアル。今夜は遊声塾のレッスンの日なのだが、その前に取材が入ったのである。(もちろんレッスンも少し見学される)

これまで一度テレビ局が取材に来たことがあったが、じっくりと私自身が取材され記事が掲載されることは初めてなのでうれしい。

新聞記事になるなんてことは、塾を立ち上げた当初考えたこともなかったので、小さな記事であれ、シェイクスピア遊声塾という名前が、紙面に出るということは、記者の方が関心を持たれているということであり、ただ単純に田舎の姉貴や、兄貴に現在の私の活動を知ってもらえるのが、私にはうれしいのである。

夢が原退職後、一念発起、何かまっさられな気持ちで、これまでの企画者としての自分とは、決別する覚悟で、新たなる出発という心持、気概で直観的に始めた塾である。

つましい暮らしの中、おかげで瞬く間に充実この上ない時間をこの5年間過ごせた、その一区切りのリア王の発表会である。6月からは水曜日に加え、日曜日の夜も任意でのレッスンを続けていて、かなり細かい人間の真理の襞の壁に少しでも迫るべく、塾生と言葉の格闘をしている。

闇の中を手探りするように、綱渡り感覚で、この年齢でのわが体と 格闘するのであるが、言うは易し、生半可な声出しでは、シェイクスピアの言葉に弾き飛ばされる。

それくらいに、シェイクスピアの書いた登場人物たちの言葉はエネルギーがあふれている、貧血気味の現代人、初老の私の体は、酸欠状態に陥り悲鳴を上げる。
シェイクスピア作品と巡り遇えた幸運に感謝するほかはない

それは塾生も同じである。このような苦行の塾に参加されている塾生は、言葉遊びではなく(受苦生) ともいえる存在である。

苦しい酸欠になりながらの、山登りにも似た声出し塾が、シェイクスピア遊声塾のレッスンなのであると、発起者の私自身があらためて思い知らされている。

シェイクスピアの言葉を声に出し続けてきたおかげで、わが体と心はその珠玉の言葉に磨かれ、鍛えられ、健康である。インプットとアウトプットのバランスが実にいいのである。

私の場合の晩年の心身の穏やかさ、健康の持続のために始めた遊声塾の思い付きは、当を得ていたのだとの確信に変わりつつある。必死に言葉と格闘する塾生の姿は、老いてゆく私に尊い感情を呼び覚ます。久しく忘れていた、子供に還ったかのような原初的な喜び。

息を吐いて音に出し、劇詩人シェイクスピアの言葉(の素晴らしさ)と格闘し、しがみつきながら、今この世のここに生きて在る、自分という存在のかけがえなさをどこかで認識、肯定する、その実感を私も塾生も求めている。


2018-06-24

セネガル代表と日本代表との戦いに想うつれづれ。

30代、富良野塾を卒塾してから、最初の旅が妻と共に行ったアフリカはケニア。中世夢が原で働くようになって、アフリカの民族音楽を企画するようになって、ジャンベといえば、西アフリカ。

40代、ジャンベ(両方素手でたたく薄型の)の名人ママディ・ケイタを生んだ国ギニアと、サバール(タムタムともいう)という左手に細いばちをもってたたく名人、ドゥドゥ・ニィジャエローズを生んだセネガルを旅をすることができた。(私の人生でこの名人二人に出遭えたことはささやかな誇りである)

ジャンベ

1996年、西洋音楽文化圏の国とはとはまるで異なる、砂ぼこりが舞い上がる悪路を、ジープで一泊二日ギニアのママディ・ケイタのふるさと、バランディグ村まで、600キロ走った。

今となっては、生涯で最も記憶に残る、私にとっては過酷な旅の記憶が蘇る。中国新聞に旅の報告体験記を6回連載した記事、今となっては宝物である。

つたないながら、よく6回も書けたのは、観光旅行ではない初めての西アフリカギニアへの旅 が、現代日本人の私にとって、あまりに異なる原初への回帰を思わせる感動の旅だったからである。

セネガルで買ったサバール(タムタム)
いきなり話題は変わる、今夜のワールドカップ サッカー、日本の相手はセネガルである。1998年セネガルの首都ダカールを旅したことがあるので、いやでも旅の思い出がよみがえる。(だから朝からこのような五十鈴川だよりになっている)

今となっては、よくもまあ日本から遠く離れた、 アフリカ大陸の情報の少ない未知の国を旅をしたものだと、できたものだとの感慨に襲われる。無知だからこそ、強烈な印象が記憶化される。

タイミング、ご縁、意外性の連続との遭遇、好奇心のなせる男心の発露。この年齢で思うことは、つくづく思い切って出かけて無事に帰ってきたことへの感謝である。(ゆかせてくれた妻には感謝しかない)

いまだにニュース映像他、私が編集された情報に極めて懐疑的なのは、自分の体を通して得た第一次情報こそが、真の情報に限りなく近いという思いがあるからだ。

ともあれ、距離的に遠く離れ、気候風土のまるで異なるアフリカへの旅、インドへの旅(インドも3回旅をすることができた)が私に強烈な、日本以外の国々に生きる人間の強靭な魂の地に足の着いた凄さ、世界の広さ、豊かさ、かけがえのなさを、感じさせたことは、今に至るも間違いない。(日本にいるとどこか感覚が浮ついてくる、一方的に与えられた情報をうのみにする危険性)

今夜のセネガルと日本の戦いは、いろんな意味で興味深い。勝ち負けとは別な次元で、あの野生の獲物を一瞬でとらえる嗅覚は、 過酷な大地の上で太古から裸足で動き回り、生き続けてきて、生き残った者たちだけが手にした、しなやかで強靭なまさに現代人がなくした野生感覚。

豊かな日本の風土で、ひ弱にのんびりと育った自分を思い知らされたアフリカの旅。わずかな実り、収穫、食べ物を家族で分かち合い、目に見えない神に感謝をささげ、太鼓を打ち鳴らし、大地の上で踊る。本当に西アフリカの旅からは、根本的に生き方まで考えさせられた。

以来、わずかな滞在の旅であったとはいえ、今に至るも私のライフスタイルは、アフリカがお手本、限りなく シンプルである。(20代での初めての1年4か月の英国自費留学と欧州への旅のこともいずれ折々書いておきたい)

長短はあれ、折々 努めて世界の風の中に身を置いてきたことは、今となってはやはりかけがえがない。ずいぶん遠い国に出掛けていないが、節約して身体が動くうちに世界の風の情報に、身をさらしたく夢見る。





2018-06-23

望晃くんの生誕から3ヶ月、梅雨空に想うつれずれ。

我ながら望晃くんが生まれたからなのか、自分がこれまでの自分とは、ちょっと変容したかのような気持ちになったりするのは、やはり老いてきたからではないか、という気がとてもする。初めて経験する、未知なるゾーンを、可能なら綴りながら自己検証したいという業のようなもの。

徐々に徐々に変容しながらも、何かを綴りたいという、老い力のような、いうに言えぬ初めて沸き起こる。老いの情熱は、私の場合どこから湧いてくるのか、自分でもようとはわからない。


同年代のほかの方々とは、比較しようもないが、自分はますますもって自分らしく素直に生きてゆきたいという思いが、ぞろ目の(66)この年からはっきりと、老いを自覚して生きる元年なのだという思いが、深まっているのは紛れもない事実である。

だからなのかもしれない、この数か月、望晃くんが生まれてからというもの、ずいぶんと五十鈴川だよりを書くという、あるがままの営為に、拘泥している新しき老いの力のようなものを、どこかに感じながら書いている。

内なるみえない力の源泉がどこから来るのかは、自分にも皆目わからないが、ただ言えることは 、幼少期から青年期に至る、さまざまな記憶の集積が、晩年の日々の生き方を照らしているのだという自覚の深まりである。

朝からこんなことを書くのは、いささか気がひける感無きにしもあらずだが、老いの体に湧き出流、感情のつれずれを、今後ますます、をわがあるがままに、 自在に流れゆく五十鈴川だよりになってゆく。

人間という摩訶不思議な器としての個体は、いかようにも己に都合よく態 変(変節・変身・脱皮)を私の場合は繰り返している。そのような気が。(狡猾な器としての)

その中で変わらない普遍的に自分にとってのかけがえのないものにしがみついて、深い意識の底で普段は眠っている感情に突き動かされながら、日々をの暮らしを再生、持続しているかのようなあんばいなのである。

今は亡き談志師匠は、落語は業の肯定だとおっしゃっているが、その言をもじれば、いよいよもって、五十鈴川だよりは業の肯定の晩年に入ってきたのだという自覚である。

いきなりだが、年賀状も今年で終わり(縁深き方との新たなる交情はまた何か考えたい)にすることにした。決断し何かを手放さないと、との老い力の思いなのである。

望晃くん の生誕は、私のこれまでの人生を整理させ、私の未来の老いの時間の行く末を照らす。まったく私はいい加減である。

生後3ヶ月が過ぎ、親ばかレイさんから写真や動画が送られてくる。爺バカになるのでこれ以上は書かない。




2018-06-21

シェイクスピア遊声塾、5年目にして初めて少し手ごたえを感じた昨夜のレッスン。

起きたばかりで何やらまだ身体がボーっとしているが、目が覚めたので、起きて2階の窓から曇り空の空を眺めながら、ちょっと何やらつづりたい今朝の私である。

昨夜は遊声塾のレッスンの日で、レッスンの日は必然的に寝るのが遅くなり、早起きができなくなるのだが、ほぼ普段と同じように目が覚め運動公園の声出しは後回し、パソコンに向かっている。

昨夜は山陽新聞の文化家庭部の記者の方が、突然見学に来られたこともあり、本番まであと2週間と少し、極めて密度の濃い稽古が、ようやくにして展開した。

見るのと聴くのとではこうも違うかと思われるかもしれないが、シェイクスピアのエネルギーのこもった、登場人物のセリフをよどみなく肉体化し、途中休憩も入れて3時間近く、わずか7名で、声を発し持続するのは、半端な集中力ではまず無理である。

今でも思い出す、塾を始めた当初の発表会では、聴いておられる方が居眠りしていたがおられたし、退屈そうにしておられる方もいた。

でも塾を始めて5年目の今年は、ちょっとではあるが、ひいき目ではなく前進している実感がある。(こんなことを書くと恥ずかしいが、最近塾生が愛おしく感じられる )
昔かって本棚に眠っていた本が復活している

それは塾生だけではなく、私自身もこの5年毎週水曜日(以外にも)声を出し続けてきたおかげで、何やらちょっと前進の感じなのである。何しろ大変な根気がいる声出し塾に、参加されている塾生の変化は、指導する私自身を間断なく学ばせ続ける。

指導するには、まず私自身が根気よく学び続けなくては、ただの一人も塾生の参加は望めないのではという自戒である。謙虚に思う。私の塾に参加してくださる塾生の少しでもお手本になりたいのである。それだけである。

自己肯定、自分というかけがえのない存在の魅力をあきらめずに掘り当ててほしいのである。面白くなかろうが、退屈であろうが、苦行であろうが、何といわれようが、、自分を信じて声を出すのが、遊声塾の終わりなきレッスンなのである。

とりたてての秘策なんてない、あえて言えば作品に惚れるか否かである。そして愚直になりふり構わず、自分を大切に生きて声を出す。

まず何はともあれ、私自身がまっさらな気持ちで、作品世界のすべての登場人物の セリフを声に出して読むところから、作品によじ登ってゆく。

ああでもない、こうでもないと、ただただ登場人物の声のトーンを繰り返し文体に沿って想像し声を出し続ける。これしか私にはほかに方法がないのである。


2018-06-20

歓喜の熱狂と自戒する静けさの共存。

AIの予想では、ワールドカップでは日本はコロンビアに負けるとの予想が新聞に出ていた。人間は機械ではない、奇蹟を生み出しうる血と汗の器なのである。

結果は、日本の勝利。意外性があるからこれほどの熱狂的な歓喜に列島がつつまれるのだろう。また地震ほか、日本列島をおおうあらゆる閉塞感や不安を、瞬間払しょくされる幻のようなものに、人間の感情の琴線が爆発したのであろう。

かくゆうわたしも、昨夜は年齢を忘れ感動した。目に見えぬチーム一丸となってのエネルギーに、勝利の女神がほほ笑む。物語は結末の意外性こそが、ヒトの
を打つ。真剣勝負が生みだすミラクル 、これこそがドラマの神髄というしかない。敗者と勝者の光と影。

まさに人間は時代と共に、時代の中でうごめいて、世代を超えてかなりの日本列島の大部分が、酔いしれたのだろう。私はサッカーなるスポーツの奥深さには無縁な輩だが、豊かなる国も、貧しき国も、代表選手はまるで選ばれた戦士のように何かに殉じボール追う。

純粋な行為は国境を越え、ヒトの胸を打つ。大迫選手ほかみんな逆境を乗り越えて手にした選手たちの顔は、初老の私にも深く刻まれた。若い選手たちの、長谷部キャプテンはじめ、シャイな、何たる奥ゆかしさ 。

表面からはうかがい知れない、日本人としての矜持が随所に感じられ、西野監督の手腕にも脱帽した。耐えて勝つところに、古い頭の私などはしびれる。うたれても打たれても、じっとあきらめず、ここ一番に賭ける。

九州人の私には鹿児島出身の大迫選手の活躍が、ひときわうれしかった。愛郷心のようなものが、私には色濃く在って(それが私の欠点でもある、お許し願いたい )時折絶対矛盾にさいなまれる。

戦争の中シリアの個人の本を集めた図書館の記事
M新聞は書評がいいのでとっている


ところでいきなり、いつものように話は変わるが、夢が原リタイア後、新聞を以前に比べたら、じっくり読むようになったことは何度も書いている。(時間を集中してまとめて読む)

熱狂とは程遠いが、私にとっての琴線に触れるような記事に出遭えるのではないかとの淡い期待があるからである。

そのような記事を見つけると、元気になるので、手間がかかるが努めて切り抜くようにしている。何度ももうやめようと思うのだが、五十鈴川だよりを書ける間は、気分転換(自分を鼓舞する)もかねて 続けようと思っている。

だからなのだ、私がフェイスブックもツイッターもしないのは、(単に苦手なのであるが)初老の私には残された時間がないのである。自分が心から望むことを先ずは優先するしか、ほかにないのである。

限られた紙面、歓喜の報道や大きな事件に、紙面の多くが割かれているが、あまり報道されない世界の多分野の人類にとって大事な、小さな記事に目を止める感覚を、熱狂の翌日自戒する私である。



2018-06-18

梅雨時の朝、本を読めることの有難さが沁みる初老の私。

読書は真の体験足りうるか、という署名の本を若い時に見たことがある。本をたくさん読もうが、私がくだらないと思う人間はたくさんいるし、名前を出して申し訳ないが、母のように本を買って読むような(読めるような)生活環境で育っていなくても、人間的に豊かで、生きてゆく上で最も肝心なことをきちんと身につけているかたもいる。

何が言いたいのかというと、私の場合だって本好きになったのは、世の中に出てからである。(引揚者の父が、借金して建てた家には本らしき本がほとんどなかった)要は生きるがためにどうしても必要だから読んでいるだけなのである。私が尊敬する方がたは、本を読んでは行動実践しておられる。

私の場合、生きるがための読書これに尽きる。田舎者が無謀にもいきなりの東京暮らしで、無知を思い知らされ、精神も肉体もスカスカ状態になった時に、読書をすることで救われ、広い世界を間接的に知ることができ、体の中に、ここではないどこかを意識し、客観的にすこしづつ自分という存在を、眺められるようになってきたのである。

もし本を通して、文学、芸術や文化、無限の世界に 触れることがなかったら、と考えるとゾッとする。

日々の暮らしにおわれて、スカスカにならないように、努めて安きに流れやすい己を叱咤激励、本に救いを求めているのは、今も全く変わらない。弱い私は言葉に励まされるのだ。

畏怖する、見城徹(幻冬舎社長)さんではないが、自己検証、自己嫌悪、(見城さんは、自己否定までしておられるが、ここは私とは考えが異なる)などに陥った時、途方に暮れた時、本はほんとうに心を支えてくれる。

本との巡り合いのおかげで、簡単に絶望せず、若い時にいくばくかの、広い世界を(何という豊かさ、ワンダフルワールド)知ることができたし、ささやかに、蟻のように底辺労働者として、糊口をしのぎながら、多くの言語文化歴史の異なる国々を旅し、本質的に同じ人間を知った。
はじめてこの方の本を読んだ

妻をはじめとする多くの良き方がたに支えられ、この年齢まで何とか生きてこられた。

本を読んでは、いまだ突き動かされる自分がいる。良き本に巡り合うといまだ血が騒ぐ。
 そして行動実践する、それの繰り返しなのである。

生きるがための強力無比の味方が本なのである。基本的に人間は孤独な存在である。孤独を愛し、孤独を見つめるしかないのである。言語を有する存在としての自分にしがみついて、言葉に磨かれてゆく。

晩年時間、基本的に翻訳日本語のシェイクスピアの言葉世界を、声に出しながら逍遥しているが、これからしずかに老いの時間を実り多く生きるためには、ますます精神の薬としての、劇薬としての読書を、読もうとして挫折した本を蟻のように少しづづ繰り返し、かみ砕く読書をと、梅雨空を眺めながら念じる私である。

2018-06-17

シェイクスピア遊声塾の発表会にすでに9人の方からの申し込み、そして思う。

企画をしていたころは、手で案内書きをたくさん書いていたが、遊声塾の発表会は50通くらいしか出していない、それでもメールや、ブログのコメント欄に、すでに9人の方から参加の申し込みをいただいた。


何か最近自分が猫化してゆく(傲岸不遜あるがままである)

ありがたいことである、本当に感謝している。岡山に移住し、新天地で40歳から企画者として働き、61歳から 再びシェイクスピア遊声塾なるものを立ち上げ丸5年、一区切りのリア王の発表会。オーバーではなく感無量である。

いつまでやれるか、またいつまで人様の前で声を出せるのかは、自分でもまるで分らない。今は、極めて個人的な塾に参加してくださる塾生がおられるので、続けている。その塾生がいる間は、何とか一年でも長く続けたいと考えている、それだけである。自己肯定、希望を生きる。

(それを終えたらきっと次の何かが待っている、土と戯れるのである)

先日、とある女性から稽古を見学したいとのお電話をいただき、13日の夜その方が来られ、リア王の発表会に向けての、私を含めた7人でのレッスンを見学された。

早島に住んでおられる方だったので、途中で帰られたのだが、とてもうれしい塾生に見せたい内容のメールを翌日いただいた。
昨日掲載予定の、父の冊子、宝である(私は父と母の息子である)

リア王の発表会が終わったら、自分も声を出してみたい、参加してみたいとのことである。人様から月謝をいただいて人様を指導する なんてことが、わが人生に起きるなんてことは、61歳まで考えたこともなかった。

18歳から演劇を学ぶために上京し、何度も挫折を味わい、紆余曲折を経ながら、富良野塾を卒塾するまでの経験、中でもやはり20代半ばの英国自費留学で、たくさんシェイクスピアの舞台を見たこと、後半、シェイクスピア シアターで開けても暮れても、声を出し続けた経験が、今無駄なく生かされている。(若い時の脳に無意識に刷り込まれた体験が)

無駄な人生なんてないのである。この歳になってつくづく思う。自分を信じることが人生なのであると、今は臆面もなく言える。人の意見に振り回されない。

そのときの何か体でつかんだ自信が、遊声塾を立ち上げた時のバックボーンになっている。正直、塾生の参加がこんなにもあるとは。思わぬ意外なわが人生の展開に、何かが終われば、何かが始まるのだとの、誰かの言葉を噛みしめる。

たまたま出会えた、シェイクスピアを共に読める仲間はかけがえがない。今夜も発表会に向けて自主稽古を望む塾生がいるので、時間を共にする。


2018-06-16

息苦しき時代の閉塞感の中、泰山木のそばで声を出す。

元気で過ごせる人生の残り時間を想うとき、努めて今日という日を可能な限り、有意義に過ごしたいと、孫に恵まれた今年は、特に強く念じて過ごし始めている。(ような気がしている)

だからといって、もって生まれた資質は、頑迷固陋さを増しているかのようなあんばいで、亡き父にますます似てきているかのような、自分を感じる。

晩年の父は、ひたすら碁を打ち、盤上を眺めながら、ほとんどの時間をすごしていたからである。孤愁の人、というのが晩年の父の姿である。

大正一桁生まれ、ソウル師範(跡地は今のソウル大学)を卒業し、戦前母とは写真見合い結婚、若くして共に今の北朝鮮の新義州で、二人して小学校の先生をしていた。

長女と長男は、新義州生まれ、敗戦で命からがら引き上げてきた。亡くなる数年前、地方紙に26回連載された、私の笊碁人生という小冊子が私の手元にある。

何度か折々読み返すのだが、思春期から父と対立ばかり、繰り返してきた私だが今無性に父と話がしたい思いにとらわれる。(だから空想で対話するしかない)平成も間もなく終わる。

突然アメリカに占領され、与えられた、戦後民主主義教育を受けて育ってきた私だが、その寄って立つところの足元が大きく揺らぎつつある懸念を、日々の暮らしの中で感じつつ暮らしている。

感じたからといっても、特段に私に何かを物申せることは思い浮かばないのだが、せめてなんともならない、衛星超監視カメラ 時代の息苦しい閉塞感を何とか気持ちよく生きるための、方図をうるには?いかに老いるべきか否か、と我が身に問うのである。

ともあれ、梅雨の晴れ間、運動公園で天の下裸足で朝の声出しを やっていると、こころが晴れ晴れと、天空と一体化する。青い空が蟻のようなわが姿を見据えている。

ふと私の大好きな、かなり大きな泰山木の樹が目に留まる。真白き花もかなりが枯れているが、大きな葉っぱがつやつやと輝いている。

大きな木のそばで声を出していると、不思議と気が休まる。心が休まる場所を日々の暮らしの近くのどこかに見つけておくことは、私にはとても大事である。

(パソコンの調子が悪く本日は写真お休みします。文字だけでご容赦ください)

2018-06-14

梅雨の晴れ間、早朝、リアのセルフと格闘する。

昨夜は遊声塾の日で、午後6時から3時間半以上を天神山の教室で過ごし、もどっても躁状態で休んだのが遅かったのだが、外が明るくなると体が目覚め、まだねむかったのだが、起きて逍遥声出しを済ませ、朝食を終えての五十鈴川だより。

最近は、朝夕2回声出し散歩をするようになってきつつある。やはりリア王の発表会が近づいてきたからなのだと思う。本当にあるテンションをキープしながら、かぼそい体で声を 出し続けることは、難しい。

昨夜も、かなり細かい指示を、繰り返し出しながらの稽古が続いた。かかれている登場人物のセリフを、まるで生きているかのように声に出すことは、何度も書いているが、至難なことなのである。叱咤激励、自分にもダメを出す。

人間の置かれた状況の変化で、限りない理不尽さや、不条理、苦悩、怒り、懊悩、人間の根源的な多面的感情が、各登場人物の言葉で、随所にこれでもかと、リア王芝居は展開する。
以前から読みたかった本、絶望的に面白い。

家族の崩壊、娘たちに裏切られ、精神が病み、狂気のふちをさまよう 老王リアの内面に迫り声を出すことは、私にとっては丸腰でかなりの高さの山に登ることに等しいくらい、至難である。

苦しいのだが、66歳の今だからギリギリ恥をかいても声に出して、塾生と共に挑ませる、いまだ古びない現代性と普遍性が、リア王という作品にはある。

10行くらいのセリフを記憶することは、さほどまだ困難ではないが、そこから先、その言葉を血肉化してゆく作業が限りなく遠いのである。

真摯に、変化する初老の肉体を引きずり、向かい合い台詞と格闘する。 梅雨の晴れ間、早朝の緑の広場での声出しを、苦楽する。

終えると、周りの緑が一段と新鮮に感じる。それは起きた時とは体が変わっているからだ。

2018-06-12

【戦争の大問題】という丹羽宇一郎氏の御本を読みつつ考える。

おそらく今日の米朝首脳会談でメディアの報道は、かなりの時間を割くことになるだろう。(歴史を真摯に学ぶ必要をこの歳になって痛感する)

最近年齢のせいか、近現代史、特に明治維新からの劇的な国の形の変貌のさなかを真摯に生きた人々に関する書物、150年間の時代の推移を教えてくれる歴史的な書物、昭和という時代の変遷、特に戦前と戦後、同じ昭和でありながらの軍国主義から民主主義180度の転換、私が生まれてからの物心がつくまで間での書物に、重きを置いて手にするようになってきた自分がいる。(もう私には知る時間が限られている)

なぜなのか?当たり前のことのように 一見穏やかにに過ごせている今が、ややもするとある日突然、瓦解してゆくような、そのような恐ろしき直観的な不安を、個人的に持つからである。(その不安はとくに東北津波原発事故大震災から徐々に増えている)

先の大戦で生死をさまよい、軍人一般人を問わず 当時を生きた人々が超高齢化した現在、私より一回り上か、それより上の世代でお元気で仕事をされている方々が、まさに遺言を手渡すかのように、真摯に熟考、論考を重ねた本が私の眼にとまる。(目を凝らせば素晴らしいお仕事の御本が目に留まる、アーサービナードさんの本なども)

私の中に在るアンテナが、それらの本を呼び寄せるのは、明治生まれの曽祖父母、大正生まれの両親と、その時代の教育を受けた、またはその時代の空気感の中で身に着いたものの見方や考え方を、小学生(戦後の貧しき我が家では、全員保育園も幼稚園も言っていない)になるまでに共に過ごし色濃く受けた影響があるからではないかと、この頃とくによく考える。そのことは、本日は割愛する。

いま、丹生宇一郎という方の書かれた、【戦争の大問題】というまさに遺言書ともいえる本を読んでいる(半分以上読み終えた)のだが、今という時代状況のさなかでの、戦争の愚をこんなにもわかりやすく、論理的、実証的な論考に、舌を巻いている。

一企業人、経済人として頂点まで経験され、民間から初めて中国での大使まで勤められた方の、御本である。若い時から伊藤忠商事のお仕事で数々の修羅場を経験され、企業のトップになられてからは、もっと大変な会社のかじ取り判断決断、経営者としての修羅場を何度も経験されたかたの御本である。そのような経歴の方が、このようなタイトルの御本を今出されるのが素晴らしい。


先の大戦で、陰惨極まる飢えの地獄ををくぐられた 、あのもうわずかとなった、シベリアやフィリピンほかの戦場体験者の方にも、直接お話を伺っている。(あのような情況に置かれたら、人間は狂うしかない)

読みやすく、分かりやすく、何よりも説得力がある。このような方が(知性力、人間力)国のトップとして、国のかじ取りをしてくれないと今の政治家に(ということは、我々国民にも大きな責任がある)任せていたらこの国の行方は、危ない。暗澹となるのは私一人ではあるまい。

あらためて思う、知ることの大切さ。相手を知る(歴史文化、内在的論理)という勇気を持たないと、偏狭なナショナリストに堕してしまうのである。

もうそのような時代ではない、(自分ファーストではまずい、他者と自分はつながって存在する)と私個人は考える。あらためて自分も思考のパダイムシフトが必要である。

もう一冊、澤地久枝さんの御本。これは敗戦時、澤地さんが14歳の時の体験が見たまま、感じたまま、あの高齢での記憶が生々しくつづられている。

ヒトは、なかなかに悲惨な体験であればあるほど、語れないものだということがよくわかる。澤地さんがあのご年齢になられたからこそ、書けたのであろうと感じ入った。

理不尽、不条理、一個人としてものを想える間は、五十鈴川だよりの中でつづりたい。





2018-06-08

雨の中、傘を差しリアの台詞に寄り添う早朝。

今雨は上がっているが、早朝雨が降ってなかったので運動公園で、いつものように声を出していたら、かなりの雨脚のつぶてが落ちてきて、やめようかと思ったのだが、あえて傘をさしてはだしでやった。

濡れるのでテキストは持たず、稽古で自然にセリフが記憶されている、一幕の幕開きの、出だしのリアの長い台詞と、それに続く数か所、三幕の2場の長めの台詞、4場の長めの台詞数か所を繰り返し、自主稽古した。

梅雨に映える玄関の花
特に3幕は嵐、風雨の荒野でのシーンなので、かなりの雨の中での稽古は、肌寒く、体感的にリアルさがあって 良き稽古ができた。

10か所くらいを繰り返し、深呼吸しながら声に出すと、一時間くらいすぐに時が流れる。

20代で稽古をしていた時には、今思うとそんなに時間をかけなくても、記憶化されていたセリフがなかなかに頭にというか、身体に入ってゆかない。老いているのである。かすかに自分とリアがダブル。

ちょっと油断すると、すぐに体から消えてしまう。覚えたくらいではすぐに消えてしまうことが分かっているので、杭を打つように、叩き込むかのように 繰り返す。体は不思議な器である。かろうじてまだ身体に入る。そこにしがみつく自分。何をやっているのであろうか。

7月7日の発表会まで、一月をきった。いよいよこれからのひと月、本番までリアの台詞に寄り添う時間を増やしながら、なるべく普段の暮らしとのバランスをうまくとらないといけない。
次々に同時代の良心的なお仕事をされていたが亡くなる

なにしろ、リアは80歳の高齢で 、狂気と痴呆の境界を行ったり来たり、これまでの自分の人生の経験値では推し量るのが不可能とさえ思えるくらいに、不可解な人間の不条理な憎悪の言葉を、まさに子供に還ったかのように娘たちに喚き散らす。

難しい。嘘っぽくならないような声を出すには、繰り返し声を出しながら、ああでもないこうでもないと、身体がリアの声を出しているかのように、自分で見つけてゆくしかない。

帰って朝食、新聞を開くと、一面に名前だけは知っている日高六郎氏の訃報が伝えられていた。


2018-06-06

雨音に耳を済ませ、五十鈴川だよりを書きながら考える。

昨日書いた五十鈴川だより、池谷雄二先生の名前は、裕二が正しいので訂正します。勢いで書いているので、誤字や打ち間違いや繰り返しがあるのは、もうそのままにしているのだが、名前だけはは気づいたら訂正する。(人間は間違う、そこが機械とは違う、間違いや失敗をしながら、ゆるやかにらせんを描きながら、成長したいもの、との側に私は希望を持つ)

さて、梅雨に入った。雨音で目覚め、朝のお散歩はなし。雨音に耳を傾けながら何やら湧いてくる言葉を紡ぐのは、ささやかな小生の初老の楽しみ時間と化している、この頃だ。

生きている限り、そこはかと、あるいは幻想と言い換えてもいいかもしれないが、よりよく日々を生きる(送る)ための工夫のようなことを、自分に課さないと私は不安である。

殺されたくもない・まして殺したくもない、重いテーマに切り込んでいる。

課さないと、私ののような愚鈍な輩は、安きに流されてしまうとの多少の自戒がまだ働くのである。これが働かなくなったらまずいなあ、との恐れである。

書いてはいないが、新聞やテレビでの報道にはうんざりしながらも、遠巻きに関心は持ち続けている。うんざりしている間に、肝心なことが(働き方改革ほか)与党の数の論理で、十分な審議もされないまま決まってゆく。

(他者を批判することはたやすいが、責任ある国民一人一人がしっかりしないと)お金という経済優先魔法世界に、身も心もむしばまれてゆく。(私も相当むしばまれている、だから考えるのだ)

どこかに危惧を抱きながらも、日々の暮らしの中で忘れ流されてしまう。歴史始まって以来の、超多忙化IT時代(私はデジタル世界を否定しているのではない)のさなか、どこかこころや体が悲鳴をあげているにもかかわらず、その声なき悲鳴に、見て見ぬふり、(あるいは感じながらもどうしていいかわからない)をしているかのような、時代の趨勢を五十鈴川だよりを書きながら、小生はまずいと感じている。感じたら書く、個人で。あきらめるのは愚である。

つましい暮らしの中で、何よりも体にとっての気持ちのいいことを、(経済優先社会の中)見つける。私のように世の中に出て、ほとんどお金というものに縁のない暮らしを、底辺でしてきた中で見つけた、ささやかに知恵と工夫を凝らす生き方。

限られた年金暮らしの中で、かくも長きにわたって一人で豊かに生きている母を、私はそばで18年間接していて感じ入る。あのように生きられれば、(健康であるのが大前提だが)贅沢さえしなければ、さほどお金は不要だ。もっと言えば、精神のぜい肉がつかない、いつも完全燃焼。

ヒトを思いやれる社会を私は望む

貧乏ではあれその日がしのげれば、上を見ず下を見て、その中で見える世界を楽しむ。贅沢とは何か?体が気持ちいいと、こころも気持ちいい。

心と体は同体である。心会っての躰、身体あっての心なのである。例えば、水を浴びて体を洗うと、それだけで気持ちがいい。声を出すと、整理整頓すると、掃除をすると、花を愛でると、本を読むと、散歩すると、料理を作ると、手紙を書くと、ちょっとおしゃれをすると、新聞をよく読むと、ピーンと来る記事があると切り抜くと、体操をすると、妻とDVDを見ると、などなどずらずら。

池谷先生もおっしゃっていたが、健全な体に健全な心が宿ると。唯一無二の体が、お金という幻想に振り回されないように、五十鈴川はただただ、摂理に沿って老いてゆきながら低きに流れてゆきたいと、最近考えるのである。


2018-06-05

夜明け前、6月5日の五十鈴川だより。

早く目覚めたので、まだ身体が胡乱な状態だが、コーヒーを飲みながら、湧いてくる言葉を、つづろう。これからぐんぐん夜明けが早くなる、すでにかすかに夜が白み始めている。

書き終えるころには、陽はまた昇っていることだろう。ところで出口治明先生が推薦されていた、気鋭の脳科学者、池谷雄二氏の書かれた、【脳には妙な癖がある】という本をほぼ読み終えた。
読みやすいが内容は深く時間をかけて書かれている

一言非常に面白く、興味深く読めた。5億年の進化の果てに、現在の脳があり、それもまたあまりに複雑な集積回路としての脳に関して、この20年くらい世界中の脳科学者が、デジタルテクノロジーの発達の中で、その神秘を解明すべく、日夜取り組んでおられるということが、凡夫の私にもよくわかった。無知を深く自覚すれば、このようなご利益がある。

繰り返しひも解くに足る本なので、文庫が出ているので求めることにした。個人的に、老いてゆく自分の身体に興味というか、関心を持っている私には、必要な本だと思えた。

何よりも読み進むうちに、著者の脳科学に取り組む真摯な姿勢が、よくわかり、スリリングフルに読み進むことができた。

深く腑に落ちたのは、人の心がどれほど身体や環境に支配されているかということ、をのべておられている。心は脳に在るのではなく、身体や環境に散在していると。

常々、身体あっての物種、こころだと声を出しながら感じていた私には、大いなる共感を覚えた。体が痛いと心も痛いのだ。これ以上書くのは割愛、関心のある方は本を是非読んでいただきたい。

話は変わる。一昨日の日曜日、久方ぶり、妻が見たいという映画あるというので、なんの予備知識も先入観もなく、ファティ・アキン監督【女は二度決断する】というという映画をシネマクレールに見に行った。
ダイアン・クルーガー主演。ファティアキン監督

ダイアン・クルーガーがカンヌ映画祭で主演女優賞を撮った作品であることもあとで知った。全編彼女の演技に感服した。狂ったかのように皮膚感覚で演じる凄さ。

突然夫と息子を、テロでなくした妻の慟哭。移民問題とテロ、皮膚感覚でEU各国が抱え込んでいる現実問題が、(無駄なく水面下で)ドイツのハンブルグ移民街を舞台に描かれる。

アキン監督はトルコからの移民で現在はドイツ国籍を取得している監督である。日本人である私には、正直皮膚感覚で遠い移民問題だが、そんな能天気なことは言っていられない状況がひたひたと、避けられぬ問題として我々の眼前にやってきている。

重いテーマなのだが、エンタテインメントとしてサスペンスフル、それを超えて、何かを感じさせる映画、それを感じさせるのはダイアン・クルーガーのリアルな神業的な演技力というしかない。

もし、私がある日突然家族を失ったら、どうなるであろうか。夜が明けてきた。


2018-06-03

望晃くんとのデジタル電話で目覚めるサンデーモーニングの朝に思う。

孫の望晃くんとの、思わぬ朝のテレビ電話を終えての五十鈴川だよりのいっとき。遊声塾と弓道教室の翌朝は、いつもよりゆっくり起きる。土曜、日曜は妻と共にゆっくりと朝食をする。(間接的にデジタル世界のおかげでの孫の成長が拝める、おじじ、おばばは幸堪である)

朝の声出しをしない時は、夕方にする。いずれも一日のどこかでは、声を出すように心かけている。弓もそうである。だいたい5種類くらいを循環してやっていると一日が、ゆるやかに過ぎてゆく。わが老いらくの日々が緩やかに過ぎてゆく。

小さい時からの、自分の弱点である、堪え性のなさのトラウマを、どこかにいまだに引きずっている。(そのトラウマを今はいいほうに考えていて、元気な間は一日でもそのトラウマとお付き合いしたい自分がいる、自分の最大の敵はほかならぬ自分である、自分と向き合う)

話を変える。大部な読み応えのある本の合間に、読みやすい本を交互に読む。あるいは朝は手ごわい本を中心に、食後や寝る前は、滋養になるような本を読んで過ごしている。

また、二宮金次郎ではないが、素読でヒントを得たのだが、歩きながらというか動きながら、読みやすい本は読むようなことも最近は試みている。(要は遊、遊しているだけである)

じっと集中して読む本、動きながらでも集中して読める本 とが、わたしの場合はある。いずれにせよ、その本に対していかに集中できるのかが大切なのである。

出口治明先生は速読をしないと、おっしゃっていた。書きこみもしないし線をひいたりもしないと。私は遅読である。そういう意味では出口治明先生と佐藤優先生は対照的であるが、もって生まれた読書体質が異なるのだと思う。出口先生は本を読む前には手を洗い、背筋を伸ばして読むと書いておられた。達人はやはりどこかが違う。

いずれにせよ、自分らしく、自分の体で読み砕いてゆくしかないし、その方法は千差万別であっていいのだと思うが、うーむ、とどこかで感じ入りなってしまう。爪の垢でも参考にしたいと思う。

ヒトとお付き合いする時間を減らし、最近本当によく図書館に行くようになった。(いささか遅きに失した感がるが、先生のおっしゃるように今が一番若いと思おう)ゆくと必ず本に巡り合える。前もって探しにゆく本と、図書館で出会う本が私の場合在る。
昨日図書館で出遭った本、タイトルからして面白い。

ブロブのデジタル時間感覚と、リアルタイム時間を感覚との併用を心がける私だが、本を見つけるのは、ほとんど図書館である。5感と第6感で見つける。

まあ、本屋さんとか、図書館が私は好きなだけで、歩ける身体で見つけているだけなのであるが、動けない方にとってはデジタル世界はまた異なる意味で豊かな本との出会いをもたらす。デジタル世界も素晴らしい。もし私が動けなくなっても意識が動いているのであれば、きっとデジタルワールドに遊ぶと思う。

ともあれ、ありがたいことに、いまはまださほどデジタル世界に頼らなくても、直接体験的な、リアルワールドの世界を、楽しめるわが体とのお付き合いを優先しているだけである。本を含めた、おいしいものを直接いただく喜びは、狩猟本能やはり格別である。

デジタル化される以前に、昭和青年期を過ごした私は、きっと繰り返し あの世界にしがみつき、あの世界に回帰することで、この超音速デジタル世界を何とか生き抜く術を見つけるべく、今しばらく晩年時間をじたばた生きねばと思う。心はデジタルのようにはゆかぬ、望晃くんのためにも、おじじはじたばたするのである。

2018-06-02

知り、学び、猫化してゆくかのように、五十鈴川は流れる。

早6月も2日、昨日今日と快晴、今日は土曜日で妻がいるので、朝一番の声出しを終え、戻って朝食を済ませ、妻の頼みの一仕事を終え一息、五十鈴川だより時間である。

2階の娘たちが使っていた部屋で過ごす時間が、ほとんどになりつつあるわが暮らし。12畳くらいはある板の間の部屋。天井が高いので、弓の素引きをするのには最適である。また薄いマットや毛布のうすいのをひいての、ストレッチにも、窓を閉め切って声を出すのにも重宝している。
右手にノートをおいて本を読むようになってきた、忘れても書く。

まだわずか半年近くだが、おそらくこれからのほとんどのわが人生時間を、旅に出かける以外は過ごすことになるだろう、多目的場所、空間である。東・南・西に窓があるので、全部開け放つと、風が抜ける。

今、机が置いてある南の窓から空を眺めながら一文を綴っている。18歳から世の中に出て、3畳一間、トイレ共同、風呂なし、日当たり悪し、とにかく安いのが取り柄のようなアパート暮らしを、東京では経験していた私である。

おのろけでも何でもなく、妻と出遭わなかったら、このような住環境で過ごすことは、一生縁なきことであったのではとおもう。運命に感謝するというしかない。

だから、今この部屋で過ごせる、穏やかで静かな時間は、至福のひとときというしか、私にはほかに言葉が見つからないのである。近所をうろつくくらいで、どこへも出かけずとも満ち足りる生活をこそ、晩年の楽しみとしたいのである。

亡き父が、若い時の苦労は買ってもせよ、と耳にタコができるくらい言っていたが、何度も書いているが、その言葉が沁みる、あそこを通過したればこその今の暮らしなのである。

私がこのような家に住めるのは、ひとえに妻の両親のおかげなのである。いきなりだが、妻の母を、私はこの家で(先のことは予期できないが)看取れるものなら看取りたいという気持ちである。
語り口が平明、面白かった。まるで知りませんでした、無知が沁みます。

さて、ほかに書くことがないのかというくらい、決まりきったことばかり書いている五十鈴川だより だが、仕方がない業容赦を。

勝手に、いろんな先生に私淑しながら、自宅で聴講ゼミでも受けているかのような面持ちで、以前は読まないような本を随分と読むようになってきた。そのことによって、ずいぶんと刺激的な日々が過ごせている。

たまたま、NHKで養老孟子先生が、愛猫と暮らすドキュメントを眺めていたのだが、先生曰く、要はいかに生きるか、なのであると。猫は余計なことは一切しないと。

煩悩的な世俗を生きせっきっって (私のことです)生きてきて、ようやく少しづつ猫化してゆく自分が育ってきつつある。