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2021-11-29

何も打ちたいことがなくても、打っていると五十鈴川だよりが流れ始める、初冬の朝に想う。

 丸6時間一回も起きず、熟睡した体は在り難いことに、夜明け前のコーヒー一杯で、老いの身に灯が灯るかのように、さあ、今日も五十鈴川が打てるささやかな喜びに、心がしっとりとしてくる。

ほとんど何も打ちたいことも、とりたててはないのに打つというのは、ルーティン儀式のように、老いの繰り言五十鈴川だよりになりつつある証左であるとの自覚はある。

でもいいのである、いくつになってもパソコン画面と遊ぶかのように、キィを打つことは、老いのデジタルゲーム である、とさえ最近は感じている。

呼び水のように、今日一日を生きる、オーバーではあるものの、いわばささやかな覚悟のような儀式なの である。うつために生きているといえるのかもしれない、それはやはり確実にどかで死を意識して(そこに向かって)生きているという自覚の深まりであろう。

人生は一回限りである。メメントモリという言葉を、頭では どこかで若いころから死を意識するようなことが多かった私である。だからこのような人生を歩むことになってしまったのだと、今は言える気がする。40歳で企画の仕事をするようになり、50歳過ぎて人があまり来ないような企画をやりたくなってきたときに、いつも考えたことは、やらなかったらいつの日にか老いて後悔することがないか、考えて企画してきた。

土取さんとの仕事は依頼があれば受ける覚悟です。

2001年9・11同時多発テロが起こりあきらかに私の中で何かが変わった。還暦以後、あまりにも早い時代の推移と、人心の移り変わり、それとともにの私の心の推移、肉体的な推移で企画することは、今はやめた状態が続いている。

娘たちが成長する過程と共に、個人的に企画する余裕がなくなってしまったのである。企画することはお金の問題が付きまとうので、老いの身の肉体には、正直精神的な負担があまりにも大きく、家族に余計な心配をかけたくなかったのである。

家族に心配をかけず、しかし人間としてどうしてもやりたい企画を、娘たちの成長期と重なった50代ギリギリのところでまさに綱渡りのような状態の中で、よくもまあ、何本かの大きな自分にとっては、荷の重い企画がやれたものであると、今となっては、やはりやってよかったとの思いなのである。

企画とはやはり覚悟なのである。腹が決まり、支援してくれる人たちがいたからこそできたのだと、つくづく今となってはやってやはりよかったとの思いしかない。やってもやらなくても人生は終わるのである。企画を10年近くやっていないが、やめたわけではない。

同時代を今もいき、多大な影響を受けた土取さんをはじめ、私が直接出遭えた方々から、何かの依頼があった時には、老いの残り火をすべて傾けたいという意気は、いまだ燃え続けている。だから肉対労働も、音読も持続できているのかもしれない。

要は早い話、生きていればこそやりたいことは生まれてくるのだし、やりたいことが起こらない生まれてこない人生というものが、私にはつまらないし、【生きているのかいないのかそれが問題だ)という、ハムレットの永遠の謎に直結するのである。

 

2021-11-27

これからの冬時間、冬眠するかのように、シェイクスピア作品他を音読したいと念う朝。

 土曜日の朝がやってきた。フルタイムではなくても、好きなトレーニングを兼ねた肉体労働に勤しむことができ、日々の糊口をしのぐ生活の糧を得ることができるということの、在り難さを、今週もまた噛みしめられるのは、やはり土曜日の朝ならではである。

妻も週に何日かは働いているし、老夫婦二人の生活には今ところ何の支障もない。 時間的なことも含め、このような穏やかな現在を生きられているのは、健康だからこそなのだと、五十鈴川だよりを打ちながら、感謝の念を深める初冬の朝である。

新聞を取りに外に出あると半月が浮かんでいた。なんとも静かな夜明け前、しばし寒さの中観月とは、物好きここに極まれりというほかはない。コーヒーを入れ、おもむろに何を打とうかと思案の一時が、至福である。

心に一点の不安もなく、今在る生活 が送れていられるのは、きっと何かのお影というほかはない。このところ、ありがたやありがたやとまるで念仏を唱えるかのような、五十鈴川だよりになりつつあるなあ、と自覚している。この世の役割をほとんど終えた今、これからはいよいよの夢うたかた時間を生きたいと想うのである。

今日はどのように過ごすのかと思案橋。寝て起きて、こちら側から あちら側へとまるで死から生へと日々向かうような感覚で現在を生きる。コトバというものは不思議である。うっていると、予期しない言葉が生まれ、その言葉が、今日一日をいきる栄養のように思えてくる。まさに、コトバを食べて生きているかのような、五十鈴川だよりなのである。

さて、昨日午後とある場所に薪をもらいに妻と出かけ、年内は十分に燃やせるだけの薪を確保することができた。二人してともにやれる薪づくりとか野菜作りは、老夫婦にとって、日々の潤滑油である。幸い二人とも、お互いにおもねず自立自在干渉せずを生きているのだが、ここ一番では共通、共有して事に当たる。

この、阿吽の呼吸を生きることが、この先最も肝要なことだと私は思っている。まったく異なる人間同士がたまさか出会い、生活をともにし、やがてはそのようなことも夢うたかたのように思えてくるのかもしれないが。

音読しないと面白さは出てこない

話を変える。極めての俗事を大事に生きるのが、自分には似つかわしいとの思いが私にはある。だからきっとシェイクスピアが好きなのであり、音読したくなるのである。これでもかというほどの悪人から、聖なる崇高な人物までが、運命の糸に操られるかのように、劇中でうごめくさまはまるでこの世である。

シェイクスピアの登場人物の関係性で変化する多面性、時代が複雑化するほどに、面妖に心が揺れ動くその在り様。複雑怪奇というほかはない。聖なる世界と俗なる世界との自在な往還こそが、シェイクスピア作品の魅力である。

明日のレッスンは、Kさんの提案でシェイクスピアの【尺には尺を】を音読する。そうそう他者と共に、何度もは音読できない。時間は有限。膨大なシェイクスピア作品群であるが、一つ一つの作品を少しでも、深く味わいつつ音読するこれからの冬時間をこそ大切にしたいと念う朝である。


2021-11-26

五木寛之さんの骨がらみのジェンダー偏見発言に、戦後昭和男として忸怩たる思いを抱えながらも共鳴する。

 先日の日曜日M新聞一面に、五木寛之さんと池上彰晃さんの紙面対談が掲載されていて、五木寛之ファンの私はすぐにめをおとした。見出しに骨がらみジェンダー偏見とある。

朝から、しかも五十鈴川だよりでジェンダーに触れた一文を打つことは、あまりに荷が重いというか、あらぬことを打ってしまいそうで、気の弱い私としては これ以上打つことは控えたいのだが、大いに私は五木寛之さんの考えに共鳴したことだけは、正直に打っておきたい。

ただ、かくもジェンダー問題が、ジェンダーという言葉が頻繁にあらゆるメディアでこの数年取り上げられるようになってきたのには、きっとなにがしかの時代が要求する、目に見えない波動のようなものがあるのには違いない。そのこと事態はとてもいいことだと私は矛盾をどこかに抱えながらも、おもっている。

私など、五木さん語るところの、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)が多分に染み入っているのをどこかで自覚している。幼少期から少年期、環境や親の世代から受け継いできた生活の中で、自然となじんできた感覚というか、偏見や差別は、コトバにはしなくても、無意識の中に、膨大に眠っているような気がしている。

私が26歳の時に買った初版本

だから、どこかしら眠ったままにしておこうなどという意識しての、時代にそぐわない自分というものを、どこかしら後ろめたくもおもいながらの、自分を生きてゆかざるを得ないような、ある種の名状しがたい思いがあることを、正直に打っておきたい。

話は変わるが、先日シェイクスピアのベニスの商人を音読したのだが、あの当時のユダヤ人差別のすさまじさが、シャイロックの台詞にこれでもかというほどに込められている。長くなるので、作品を読んでいただきたいと思う。あの時代に強烈なる個性、シャイロックという人物を書いただけでも、やはりシェイクスピアは偉大である。

400年以上前の作品なので、今の私には要所要所に時代にそぐわぬ古さを感じるところもあるにもせよ、シャイロックの台詞を聴いていると、あまりのユダヤ人への差別と偏見に驚かされる。それは遠い過去の物語のなかの出来事ではなく、今もなお続いている普遍的な問題であるのだと、コトバを言い換えてもいいのかもしれないと思える。

落語は言うに及ばず、文學作品、シェイクスピア作品の登場人物が語る言葉には、差別と偏見に満ちた言葉が枚挙にいとまがないほどに出てくる。フィクションとしての表現の自由と、差別のの問題のむつかしさは、これからもずっと議論され続けながら、きれいごとでは済まされない人間の存在の奥深さの謎と共に、考え続けてゆくほかはない、のだろう。

とまあ、今朝は意外な展開の五十鈴川だよりになったが、いろんな骨がらみしがらみ問題、簡単にはゆかない この世のありとあらゆる諸問題に対して、感性を閉じず絶えず時代の行く末を見つめ発言、作家として今も原稿を書き、齢89歳でのあまりの思考のみずみずしさに打たれたこと、きちんと打っておきたい。(少しでも学びたい)

2021-11-23

雨の翌日、季節が確実に冬の到来を告げる朝に想う。

 音読自在塾をはじめてから、レッスンのことを、ずいぶんこのところの五十鈴川だよりで打ってきたが、おとといのレッスンのことには触れていない。逐一触れなくてもきちんとレッスンは行われているので、ことさらなことがない限り、音読自在塾のレッスンのことには、今後はあまり触れなくなると想う。

Kさんとのレッスン、二人での時間が持続的にやれそうな感じがしてきたのである。持続継続根気稽古で、シェイクスピア作品の登場人物の言葉を、繰り返し音読する中で、Kさん自身の中に、目に見えない何かが育ってきそうな、予感がしてきたからである。厳しい稽古に月謝まで払って、Kさんは挑んでいる。

そんな、ほぼ2カ月近く二人だけのレッスンが続いているなか、おとといのレッスン中、旧遊声塾生A子さんがレッスンを見学にきた。A子さんの突然の稽古見学は、まったく予期しないものだったのだが、何年にもわたってともに稽古をしてきた関係なので、阿吽の呼吸で、2年近く会っていなくても、すぐに時間を飛び越え、すんなりとレッスン空間場所にいても少しも邪魔にならず、私はKさんとのレッスンを持続できた。

うまくは言えないのだが、ただ来てくれただけでもそれだけで十分に嬉しかった。音読自在塾のレッスンは、ことさらなに特別なことがあるのでは決してない。きわめてシンプル。現代人にも通用する翻訳(ある種の部分は翻案に近い、とくに小田島訳は)言葉言葉を繰り返し、あたかも作品の登場人物が今そこに生きているかのように、真実感をもってただ、音読するだけである。 

自在塾で音読したい作品です。

全神経を集中し、耳をそばだて、自分の体が発する声で、登場人物に寄り添ってゆき、結果虚構の中で(嘘の真実)なりきるのである。その過程を生きることが、音読塾のレッスンなのである。相撲の稽古のようにつらいのだが、あの長いセリフを一気に読めた時の快感はサーフィン(やったことはないが)で波に乗れた時の感覚近いものがあるのではと、想える。(相撲と決定的に異なるのは、ある程度の人生年齢を経ないと、経てから始まるのである)

ただ音読するのではなく、必死に音読する。無になっての(なれないがなるのだ)稽古にKさんは挑んでいる。今はまだ始まったばかり、これから高峰そびえるシェイクスピア作品の登場人物の置かれた運命の過酷さを音読することで、 いやがうえにもKさんの内面と、身体は磨かれてゆくことを、私は確信する。

それはおそらく、挑み続けたものだけが手にしえる果実なのではと考える。それほどまでに挑みがいのある、現代にも通用する強烈なキャラクターが、シェイクスピア作品群の中には存在する 。Kさんにはまだ間に合う時間が十分にある。そして、私にもまだいくばくかの時間が。そこを生きるのである。

体はやがて老い、声が出せなくなる摂理である。だが今のうちに徹底的に挑んでおけば、枯れつつある体からでも、命のささやきのような声が出てくる、出せるかもしれないと、不思議な体に問わずにはいられない老春期なるものに挑みたいのである。

何よりも音読自在塾は、下り坂に花を求める塾(受苦)なのである。年齢問わず、本気で音読したい方がいれば、門戸はどなたにであれ開かれている。ただ、覚悟が必要である。

PS レッスンを終え、Kさん、Aさんとしばし我が家でお茶時間が過ごせた。これまでのわが人生の、ささやかな足跡が詰まった書斎でしばし立ち話ができた。苦しい稽古をともにできる自在塾生とは、風通しの良い関係性で在りたい。


 

2021-11-21

晩秋、初冬、二つの居場所を往還し、老人力を養う遊行期を楽しみ、生きる。

 もう6時を回っているのに、部屋の西の窓からはまあるいお月様がのぞめる。東の空は明るみ始めている。昨日も打ったし、ことさらに打つことももはやないのだが、打ちたい自分がどこかに生きている。

これを煩悩というのなら、良き煩悩と私は考え、水が流れる方向に流れるように、まさに自在に打ちたいように、言霊が浮かぶからだと自在に対話しながら、打ちたいように打てればという、いまだ外見年齢にそぐわない、青二才感覚が抜けきらない、初老男である。

でもいいのである。こういう自分を肯定感をもって受け入れながら、あくまでもどこかやるせないほどに頑固に、今は亡き父のように、(できるだけ自分のことは自分でやりできるだけ周りに迷惑をかけず)囲碁三昧ではなく、音読中心自在三昧で生きてゆければ、事は足りる今である。

本当にやりたいこと、やれることにのみ、エネルギーを費やす生活を一日いちにち過ごせれば、個人的には十分なのだが、時折休火山が噴火するかのように、老いの乾坤一滴感覚で、どこかに向かって、矢を射る情熱は持ち続けねば、無念の先人たちに申訳がないのは、先日の五十鈴川だよりに打ったとおりである。

チェーホフ作品音読し続けたい  

話は変わるが、落ち着いて物事がゆっくりと考えられる場所、居場所があるということの有難さを、つくづくコロナ渦中の今、感じている。いま五十鈴川だよりを打っている部屋のほかに、私にはもう一つ心が安定する居場所がある。

それは、この3年間肉体労働しているアルバイト先の作業道具小屋である。菜園場 もあり、昨日も出かけたのだが、働き始めた当初、先輩のTさんと二人で、雑然としていてスペースがなかったところを片付け、Tさんがどこかで机を探してきてくれ、秘密の隠れ場所として重宝しているのである。お茶も沸かせストーブもあるので、特にこれからの冬時間を過ごすのには、私にとってまたとない居場所なのである。(ここだけは秘密にしておく、妻以外)

休日は誰もいないし、声を気兼ねなく出せるので、このコロナ渦中どれだけ、今現在も助けられているかわからない。家から十数分でゆけるので、今日も午前中ゆくことにしている。

限りなく蜜とは程遠い肉体労働と、そこにある限りなく落ち着く居場所のおかげで、私はコロナ渦中を充実して生きられているし、ささやかな菜園場の野菜の成長も楽しめる。また、春の手術後の退院して七日後からの肉体労働、天と地の居場所のおかげでどれほど私が助けられているかは、計り知れない。すっかり健康ライフを取り戻すことができたのは、何といっても自在場所のおかげと繰り返し打っておきたい。

ところで、昨夜から我が家の薪ストーブに火がともった。いよいよ冬到来だが、何とバイト先には、ストーブの焚きつけに使える小枝や、枯れた薪材なども手に入るのである。何と私には、恵まれたバイト先であることかと、虚心に感謝する。

繰り返しこころするのは、お金や物では満たされない、永遠の消費にあおられる生活とは無縁時間を過ごすことである。見えないものに感謝し、想像する力を養う、それこそいっとき流行った老人力を鍛えるのには、絶好のまたとない居場所なのである。静謐時間のゆたかさを堪能しながら、今日は午前中2時間程度チェーホフ作品を音読する、のだ。


2021-11-20

大相撲九州場所を、見続けながら初老凡夫は、裸のお相撲さんからエネルギーをいただく。

 いまだ起き上がるときにかすかなめまいが続いているが、朝日を浴びて動いていると普段通りに動けているので、今週も何とか肉体労働をやれ、うれしい土曜日の朝を迎えている。

月食を見ることは叶わなかったのだが、月の満ち欠け、昨夜の満月は夜中外に出て月光浴。雲がほとんどなかったのでそのあまりの夜の明るさを、しばし体で堪能した。(このコロナ渦中の私の楽しみの一つは月の満ち欠けを、愛でることなのだ)

さて、大相撲が始まっている。私は相撲が大好きである。年齢を重ねるにつけ、相撲の奥深さ、人間性がその置かれている立場で、このようにも過酷に心技体があらわになる世界を私はほかに知らない、魅入られてしまう。

そして、いつも不思議だと想うのは、地位が上がるにつけ、怪我や病気などでいったん地位が下がるにつけ、人間の顔つきが微妙に揺れ、千変万化することに驚かされる。まさに人生の縮図をそこに私は感じる。

わけても一番感動するのは、怪我や病気他の、あらゆる肉体にかかる負荷を克服して土俵に復帰して、番付を上げてゆく力士の顔を見ていると、なんとも言えない。本当にいい顔に変化してゆくのである。大人の顔になるのには、どんなに時代が変わろうが男は試練を乗り越えないと大人にはなれないのではと私は考える。(人間はと言い換えてもいいのかもしれないが)

全力で 生きている、知力の限りを尽くして、相手と自分とたたかっている姿が、裸の姿で、あまりにも赤裸々に浮かび上がってきて、どこか身につまされながら、まさにあのまあるい小さな土俵の中に、この世のあまりの熾烈というほかはない、残酷なまでの現実が、世界が時折浮かび上がってくるのを私は感じるのである。

勝者と敗者のあまりの相違。不条理劇を描いた最初の劇作家 といわれるサミュエルベケットは、世界の涙の量は一定である。誰かが泣けば誰かが泣き止むと書いている。誰かが勝てば誰かが負ける。勝負の世界のあまりの過酷な現実と醍醐味が、時折体力差含めあまりの不条理なまでの現実を感じてしまうのは、私だけではあるまい。

だが大相撲では、本当にたまにだが、想わぬ番狂わせが、時に一瞬の狂風が吹いたかのような、逆転劇がある。その時の館内を飛び交う座布団の嵐は、まさに熱狂である。

わが国の古典を学びたい

小学生のころ我が家に初めてテレビがやってきて、60年近く相撲を見続けている。時代と共に外国人力士が増え、様々な時代にそぐわないような問題を抱えながらも、大相撲の魅力の本質は土俵上に、まさに人間の熾烈なドラマとして今を生きている私の胸に響いてくる。

観客席が取り囲む中での、かこくきわまりな、肉体と肉体のあまりに嘘が入りこむすきがない中での、人間同士の攻防。

勝者が敗者をいたわる戦ったものだけが、肉と肉が触れ合ったものだけが知る、微妙な男同士の無言の会話。そういった世界に痩せた初老単細胞男子の端くれの私は、つまり妄想を抱えて、感動するのである。

いきなり話は変わるが、シェイクスピアは人間とは嘘をつく、ふりをする生き物だと、喝破しているが、この世は嘘まみれ、泥まみれだからこそ、たまさかの真実に人々は熱狂するのかもしれない。

シェイクスピア自身、フィクション化、膨大な都合のいい作品の中に普遍的にヒトの心の隙間に届く言葉(真実)を星の様にちりばめた作家なのである。だから私はこよなく嘘を愛しながらも、ある種の嘘を憎み、限りなく嘘の心を宿しながらも、限りなく純粋に裸で勝負を土俵上で行うお相撲さんから私自身の穢れのような心が洗われてゆくのではと、考えている。

ちなみにごひいきの、お相撲さんが何人かいるのだが、一番は照ノ富士関である。可愛く、風格が漂ってきて、しぐさの一つ一つに惹かれる。勝負目前、顔面が赤い血潮で 満る。カッコイイというほかはない。

2021-11-18

めまいのするからだとお付き合いしながら、もの想う朝。

 朝起きるときも含め、横になって立ち上がる時の軽いめまいと、かすかな吐き気の、(ひどくはないのだが)のような状態が4日かほど続いている。それでも動いているとこうやって、五十鈴川だよりを打つ気になるから、と自分で自分に暗示をかけるように、気を入れている。

これを年寄りの冷や水というのかもしれない。人間冗談も言えなくなったらどこかものがなしいとはいえ、軽いめまい程度で済んでいられるからこそなのであるが、やがてはめまいなどでは済まないことにならないように気をつけねばならない。

もう十分に若くはないのだということを、あらためて思い知らされる、冬が近い 晩秋は昭和男の私には、ひときわ物悲しさが、移ろいゆく日々が一段と沁みる、落ち葉の季節である。

このような事ばかり打っていると、気が滅入ってくるが、五十鈴川だよりは自分で自分を鼓舞するために打っているので、落ち込んでくるような拙文、駄文は打ちたくない。嘘とまでは言わないが、どこかしら日々の暮らしに、一滴の潤いのような元気が湧いて、日々の潤滑油のような五十鈴川だよりを打ち続けられれば、本望である。

何よりも、今在る自分ほかを含めどのような悲惨な情報他耳にしても、あまねく太陽が万物を、公平平等に照らすように、そのような目線感覚、地上数センチから世界を、あたまを低くして世界をとらえる感覚を、老人を自覚する私は、光、土や水酸素から学び続けたいし、そのような老人の繰り言感覚をこそ磨きたいと、めまいのする体をいたわりながら、しっかと今を生きている、血迷う感覚を大事に生きたいと、悪あがきではなく、よくあがきをするのである。

おぎゃと生まれて、間もなく古希、声が出る間は声を出し、動ける間は肉体労働というか、天の下での酸素すいすい労働、この惑星に生まれし、幸運不運全部ひっくるめて私は肯定的に生きてゆく側に立って生きてゆきたい、という淡い幻想をもつ。

だが、日本以外の国々に暮らしている、あまたの国々の多くの民衆、いや日本でも私の知らないところや、目に入らないところで、困窮の極みをの中生活している人たち、俗にいう私を含めた一般大衆は、選挙に行くことにも絶某しながら存在しているのではないかと、想像の羽を、めまいを覚えながら伸ばすのである。 

きれいごとを打つのは簡単であるが、ではどうしたらいいのか。18歳からなんとか自分の食い扶持を養いながらこの世の、身過ぎ世過ぎをしてきての現在だが、今現在の私の置かれた生活状況は、半世紀前とは考えられないくらいの豊かさを生きられている。ヒトの嫌がる肉体労働のおかげで。(いつできなくなっても悔いはない)

なぜ、この年齢であえて肉体労働をして、音読するのか、はっきりと打っておこう。それはあまたの無数の死者(近親者たちのみではなく)たちの眼に見えないエネルギーを感じるし、そのことを忘れないためである。

音楽会や数多の芸術や文化に一生涯触れることなく生命活動を遮断され、あの世にゆかれたかたがのおもいを忘れたくはない、という感覚なのではと考えている。何か申し訳ないのだ。私の記憶の中の祖父母は、生涯ただ働き、時代に翻弄され、多分苦労続きの中でいき、子育てをしっかりとしてきたのだと思う。

私の両親にしても然り。そしてそれは多くの日本人が、明治からつい数十年まで、いきて辛酸をなめつくしてきながら、子育てという大事業を成してきたのだと、孫に恵まれて、私はようやく思い知らされているのである。

時間を見つけて読みたい作家である

ところで、【めまいのする散歩】というタイトルの武田泰淳の小説があったと記憶する。軍隊経験のある方々の小説を、元気な間に読みたくなっている。

コロナが収まって自由自在になったら、自在塾者として、自在にわがままに少数者を対象にした音読活動を、我が家か、口が動く間にどこかでやれたらと、夜明け前の西の空に浮かぶ満月に近いお月様を眺めながら、想う朝である。

2021-11-16

生まれて初めてかすかなめまいを覚える最近の朝に、世界の不条理に初老凡夫はめまいを覚える。

 一昨日の朝起きるとき、人生で初めてめまいを体験した、実は昨日の朝も、今朝も軽いめまいを感じたのだが、起きて歩いていると普通にふらつかなくなるし、昨日は普通に肉体労働も、おとといは音読自在塾のレッスンもでき、今朝もこうして五十鈴川だよりが打てるし、労働したいという気持ちほか、やりたいことができることにはことさら変化はない。

写真 BY K・YOSIHARA
ただ改めて今更のように思うのは 、わが体にある種の異変が生じれば、普通にできていたことが、まったくできなくなる年齢なのだということのあらためての自覚の深まりである。このように当たり前のように打っている五十鈴川だよりも、ぱたりと打てなくなるということである。

そのことは、3月の手術入院で一度経験している、その経験があるがために、いつ五十鈴川だよりが打てなくなっても、さほどの後悔はないが、音読ができなくなるのはやはり困るので、ひどくなる前に一度医者に診てもらおうかとは思案中である。

だが今朝は五十鈴川だよりが打てる心と体がある、ほっとしている。悲しいかな私は自分中心にしか、物事をとらえられない哀しい性を、生きている。

話を変える。昨日夕飯中、コップ21、温暖化のニュースや、アフガンの人たちのかなりが、食い物がなく冬が越せないのではないかと 、危惧する報道が映像と共にながれた。一方で大谷選手の報道など。私はこの数十年、いつもあまたの世界に関する報道を耳に、映像で間接的に、目にするのだが、自分の感性がもはや、無感覚、無痛覚になってきているのではと、危惧している。(だが老いの身で何かしたいと思案している)

ことさらなことは何もできなくても、いつ何が起きても不思議ではないほどに、世界の持てるものと持てないものの、複雑精妙な強欲資本主義のからくり構造、初老凡夫の頭では到底立ちうちできないほどに、広がっていることの不条理を、ごまめの歯ぎしりのように打っておかねば、どこか人間としてやるせなく、忸怩たる思いである。(もう半世紀以上にもの長きにわたって私の中世夢が原ほかでの企画は、このやる瀬なさが生み出したものである)

持てる者が持てないものを見下ろして着飾り平然としていられる感覚の分断、せめてあまねく、全地球上に存在する民、人類が飢えない程度の人道資本主義、民主主義が行き渡るような仕組みを、構築できる人物の出現を想うのは、私だけではないと考える。

こんなことを打っても、虚しさはつのるが、そこはおおらかに絶対矛盾的に大空を友に私は何人かの信頼できる知人友人に声をかけあるいは、一人ででも音読したりせて、(コロナ後実践してゆく準備をしている)不条理極まる世界の、もっと打たなくても、人類がこの先、未来の人たちが安心して生きてゆけるための、環境を遺してゆける英知をこれからの10年で築かないと危ないと、どこか多くの心ある方が、漠然とした不安感を抱えながら生存しているのではないかと、私もその一人である。

SDGs、ひょっとしたら時すでに遅しというところまで来ているのかもしれない、というは嫌なおもいの深まりは、私自身がCO₂を出す車に乗り続け、プラスティック製品を日々買わないと生きられない資本主義社会経済にからめとられているゆえなのかもしれない。

だがまだ間に合うのだという側に立たないと、という淡い願望を持つのは、孫の存在が老いの身にかすかな灯を点すのである。孫の存在は、世界の子供のこれからの未来と、ささやかに連動する。世界のあらゆる不条理に対して声を上げ続ける五十鈴川だよりでありたい。

2021-11-14

 昨日、オフタイムの午前中、とある場所で久しぶりに夫婦での二人時間を過ごした。お花を生けるのに用いる、ガマ、といわれる植物を採りに出かけたのである。妻はお花が大好きなのである。華道とかは習ったこともないそうだが、ほどんど自分で育てた花や、植物を年間通して、家の内外に花がある。まったく関係ないが、愛猫の名前も花である。

トイレ、浴室はもとより、意外な場所に可憐な小さなが置かれている。このような私にはない特質というか、美質をともにくらすようになるまで私は知らなかった。つつましく、小さきものに、そしてあまねく近しい存在にほとんどのエネルギーを費やして足りる生活の中に、充足しているかのように、私には見える。

昨日妻が撮りました

足るを知ると、言う賢者の言葉があるが、私にとってはさしずめそのような存在なのである。五十鈴川だよりでは、彼女が嫌がるので、これ以上は打たないが、ともあれ昨日は彼女のドライバーを務め、私自身もいつもとは違う時間を過ごせ、良き気分転換になった。

そして、夫婦二人でのこれからの時間の過ごし方を、大切に生きねばと秋空のもとで思案したことは五十鈴川だよりに打っておきたい。

ところで、五十鈴川だよりの写真自分で撮って入れられるようになってきたので、Kさんの写真と併用でゆくことにしました。Kさんに負担をかけたくないという思いと、自分の拙文にはやはり自分での写真をとの思いも募ってきたのである。

上手下手ではなく、撮りたいものや、こころが動いた瞬間をスマホで切り取りたいという思いが、強くなってきたのである。文章だけの五十鈴川だよりではなく、写真を自力で入れたくなってきたからこそ、Kさんや妻のおかげで入れられるようになったのである。

以前は昔人的気分から文字だけでもいいという、どこか慢心感があったのだが、しゃしんの魅力にあらためて、惹かれる自分がいるのである。夕方運動公園でルーティン散歩しているときに出会う人とか、子供とか、落ち葉とか、犬とか、そして空とか、樹木とかを無償に撮りたくなってきたのである。

来年は古希を迎えるので、意識的に写真を撮る、という時間もまた大切にしたいと想うのである。論より証拠、とりあえずは先ずは五十鈴川だよりに、身近なこの世のわが生活をとれればと願う朝である。


2021-11-13

秋の陽光が差し込む部屋、今朝はこのような五十鈴川だよりになりました。

 手術後の春の労働中心生活、暑いさなかでの夏の労働中心生活、そこに秋が来て、音読自在塾が加わり、何やらやはり声を出すことで、すべてが私にとっては良き方向に動き初めていることを、臆面もなく打てる幸せを実感している朝である。

孫が成長してゆく過程で、読み聞かせを一年でも長く続けるというただそれだけの目的だけでも、どこかしら今の私はささやかにときめく。新しく読みたい本をどれにしようかと、還暦での人生再出発ではなく、手術後の再出発のような心持で、実りの秋を生きられている今が在り難い。

音読自在塾をはじめてからの、充実しながらもどこかしらのハードワークがたたったのか、今朝はいつもより起きるのが遅かった。でも睡眠が満ち足りたわが体はどこかすがすがしい。でも無理はしない。今日は午前中オフタイム頭を空っぽにして散歩でもしよう。

とはいうものの、日々の持続的な決まったルーティン日課のようなこと、(五十鈴川だよりにはことさらには書いていないが)は、特に休日は欠かさずやることには変わりはない。明日は9かいめのレッスンがあるし、日々の生活の中に、ささやかにもあれやこれやのやりたいことが、老いつつも増えてくるのは、やはりありがたいことと、念仏のように繰り返す。

時折記事を切り抜くノートから

五十鈴川が流れるように私の時間も流れてゆく、そのことを どこかで感謝できていることが、ありがたやなのである。とまあ、このようなことを打っていると目の前の青い空が、いちだんと青くなっている。労働しているときに一番眺めるのが空と雲の流れと大地である。飽きない。(所詮人間は大地をゆききするいきものである)

昼だけではない、昨日も日没時いつものように 運動公園でルーティンワークをしていたら、見事な🌓、しばし寒さの中一人観月。大いなる蒼穹に我ひとりを、ただ感じる感覚を私は養いたいという、欲求が以前よりも深まってきている。

以前は人とのつながりのようなことに、関心の重きが何十年にもわたって続いていたのだが、そのようなことももちろん続いてはいるのだが、物言わぬ大天蓋、大空、広大無辺宇宙の無数の星々との無言のつながり、足元の雑草の無言の花々のけなげな美しさに、魂が揺れ動く。これまたありがたやデアル。

聖なるものと、俗なるわが心を自在に行き来する。揺れる老いこころ、今この世に存在するということの不思議、光と土と水からネギが育つように、わが心にもなにがしかの栄養素を日々注がなければ、と祈りすがる。

見えないものに、遠くの彼方に耳を澄ます感覚、感性を養う。現世の、人間が作った一見気持ちよくきれいな不純なものに、かどわかされ毒され続けるのではと、危惧する。



2021-11-12

2021年、昨日瀬戸内寂聴さんの訃報が知らされた、11月12日の朝に想う。

 東京から戻って、今日を入れれば4日連続して肉体労働をし、3日連続して五十鈴川だよりを打って、今また打っているから打ち終われば4日連続になるが、打ちたくなる自分がいるだけで、遊ぶかのように打てる自分が、この歳になっている。そのことをどこかいいことなのだと、言い聞かせる唯我独尊的な自分がいる。

小さな子供が、一人で お砂場遊びをしているかのように、初老男児の今を生きているだけである。お金を消費して遊ぶのではなく自分の内面生命生活をそれこそ、日々是好日的に生きることが、生きられることが、遊ぶことが最近の私の贅沢である。

そして、先の上京の際のように、ここ一番の時に、必要な時にいくばくかの使えるお金があれば今の私は満足である。お金というものは、魔物である。ヒトを生かしも殺しもする。だから、お金とある種の女性を極端に私は警戒する。お金に、女性に弱い自分を知っているからである。

というわけで、何回も書いているが、老いてきたらお金に執着しない、ある種前近代的な、持たないことを楽しむ、その日その日の風が体を吹き抜けるかのような生き方が、これからの私の目指す、方向性のような気が最近特にしている。

感動しました。

ほとんど一気書きに近い、極力推敲しないその日五十鈴川だよりなので、変換ミスがやたら多いけれども、かまわないのである。読んでくださる方は想像力で補ってくださるものと確信している。

人数の多寡ではなく、読んでくださる方がいる、ということが私にはうれしい。間接的にどこか闇の中で、見えないところでつながっているかのような、幻想がわたしをして、五十鈴川だよりを打たせるのである。

労働するのも、読むのも、打つのも、何をするにしても、やはり体全部がどこか健やかでないと、無理である。先の手術で私は健康に体が動くことの、在り難さを思い知らされたのだ。(臆面もなく打つが、本質はともかく私の中の何かが変わったのである。理解されなくても構わない)

だが我が拙五十鈴川だよりでさえ、打つ気がおきないなんてことがやはり老いと共に、いつの日にかはやってくるのだろう。自然の摂理を私は受け入れたい。だが今はまだ打てるし働く意欲も湧いて、天との対話もできる、いわば実りの秋を生きられている。歌の文句ではないが、今はまだ人生を語らずである。生きたい、未来へ向かいたい、という老いの幻想に近い何か淡いおもいををはせ、老いゆく肉体にしがみつくのである。

さて、いきなりだが瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになった。謹んでご冥福を祈る。命はやがて見えない世界へと旅立つが、そのことは素晴らしいことではないかという気が最近し始めている。生命の誕生だけが素晴らしいのではない、と。

死もまた、年齢とは関係なく十分に生き、与えられた命を全うした方の人生は、すこぶるどこかすがすがしく、まさに後光が刺す。美しく枯れ逝くには、いかに生きればいいのかが問題である。

2021-11-11

ジョニー・デップ演じるユージンスミスのMINAMATAの映画を見ることができました。

 私の娘たちの世代は、もうほとんど水俣病のことは知らないないだろう。だからといって私が水俣病について深く知っているかというと、ほとんど大差はない。だが、この歳になっても、水俣病という言葉を耳にすると、身体のどこかが反応するのはなぜなのか。わからない。

上京したばかりの青春真っただ中、生きるのに、喰うことに必死の日々のさなかに、東京では光化学スモッグ注意報がよく発令され、公害という言葉をいやというほど耳にし、水俣病のこともしった。

あれから半世紀、いまだ水俣問題は続いている。続いているどころか、似たような事例、成長発展という、経済幻想の上に、置き去りにされてしまうかのような、弱者の民の存在は世界各地にかえって増え続けている。

そのことを、その事実の重さを声高にではなく淡々と、だがうちには激しい理不尽不条理なコトバにならないおもいをこめフィクション化し、映画化した、【MINAMATA】というフィルムを、次女の住む近く、吉祥寺のパルコの地下にある、アップリンクという映画館で7日日曜日、午後2時20分から見ることができた。1日一回だけの上映、56席で満席のミニシアターで。


このフィルムのことは、一人の今を生きる初老男として、五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。ジョニー・デップという一人の世界でよく知られた俳優が、知る人ぞ知る伝説の戦場カメラマン、W・ユージンスミスを演じる。

今回、わずか3日間の上京でMINAMATAというフィルムを見ることができるとは思わなかったが、映画館から歩いてゆける距離に住む次女が、すぐに調べてオンライ予約をしてくれたおかげで、運よく見ることができた幸運を打たずにはいられないのである。

私は最近、ユージンスミスの奥様の、アイリーン未緒子スミスさんの新聞記事を読み、(ユージンスミスと共に水俣で写真を撮られた)続けてユージンスミスのドキュメンタリー番組をNHKBSで みたことで、ユージンスミスの生涯に非常に関心があったので、機会があったら何としても見たいと思っていたのである。

映画に関してはジョニー・デップがユージンスミスを演じるというただそれだけで、何としても見たかったのである。それ以外ほとんどなんの予備知識も先入観念もなく、いきなり見ることが思いもかけず意外な速さで叶ったことが、ただ嬉しいのである。(先日のふるさと帰省では兄と共に水俣を訪れたことも 、私の行動に影響をあたえているのは間違いない)

やはり、先入観なく見てただよかった。長くなるので詳細を打つのは控えるが、音楽は坂本龍一、窒素側と激しくやり合う役の真田広之はじめ、いちいち記さないがそうそうたる俳優が、日米で出演している。

そして一番驚いたのは、ユージンスミスを演じるジョニー・デップをはじめ、映画にかかわる表裏すべてのスタッフが一人の人間として、このMINAMATAという作品に取り組んでいるその姿がが映画を通して伝わってきたことである。

コロナパンデミックのこの時代、今なぜユージンスミスのなした仕事【写真】が蘇るのか、今またユージンスミスの【水俣の写真】が蘇るのか。名もなき民の無念の聲をユージンスミスは聞き取る。無念に全神経を集中し、耳を済ませシャッターを押す。1千回シャッターを押し、奇蹟の写真が死者の聲として浮かび上がる、50年の時を超えて。

見終えて思わぬことが起こった。この映画誕生に深くかかわった、奥様のアイリーン未緒子スミスさんが会場の来られ、何と舞台あいさつされたのだ。

私は娘たちはもとより、孫に手渡すためにMINAMATAの写真集を求め、アイリーンさんにサインをいただき、ミーハーのように写真にともに収まった。

PS 翌8日岡山に帰る日、たまたま 六本木の富士フィルムスクエアで、【ユージンスミスの見たもの】という写真展が行われていた。ゆっくりと見て回ることができた。3泊4日の上京は私にとって実りの秋となった。

 


2021-11-10

出会って51年、佐々木梅治さんの【父と暮せば】を長女と共に見る(聴く)ことが叶いました、そして想う。

音読自在塾でも勉強したい

 11月6日上京2日目のことを五十鈴川だよりに打っておきたい。今回の上京目的は私が18歳で上京して3年間通った、貝谷芸術学院演劇科夜間部の一年先輩に、今も劇団民芸に所属する舞台俳優、佐々木梅治さんがいる。

1944年生まれだから、私より8歳年上今年77歳である。舞台俳優なのでほとんどテレビには出ないが、すこし有名になったのはチャングムの誓いで育ての親の軽妙ひょうきんな吹き替えである。経歴については長くなるので控える。

宮崎の田舎から上京し、大都会で木の葉が舞うような貧乏暮らしをしながら、昼は働き夜は週に三日、演劇学校に通う生活をし、夢を追いかけていた私がもっともお世話になったのが、佐々木さんである。

想えば3年間 、まさに少年期から青年期に差し掛かる苦悩する、苦悩し続けた怒涛のような3年間を密に過ごした先輩が佐々木さんなのである。氏のアパートに3ヶ月くらい居候したこともある。お世話になり多大な影響を受けた。本を読むようになったのは氏の影響が大きい。

前回も書いたが、娘たちは父の青春時代を知らないので、このような形で五十鈴川だよりに、折々打てる範囲で打っておきたい年齢にようやく私もなってきたのである。

その佐々木さんが、20年近く続けている一人語り芝居に井上ひさし作、【父と暮せば】がある。先日、氏から父と暮らせばのチラシとお手紙の入った封書が届いた。内容は、丁寧な筆書き、長女の住む稲城のお寺で父と暮せばをやることになったので、私の娘が稲城に住んでいたのを思い出し、できたら観てほしいという文面であった。

 私はスマホで長女にチラシを送った。子供がまだ小さいし、よもやまさか見に行ってくれるとは思いもしなかったが、何と長女が見に行くという。そのことが私にはことのほかにうれしかった。

6日は、次女葉君と共に、お昼前にマンションを出て、お昼を長女のところで レイさんが買ってきてくれていたテイクアウトのお寿司をご馳走になった。次女は少し休んで葉君と共に三鷹に戻っていった。一人語り芝居は開園5時、午前中長女は孫の望晃くんの保育園の行事で稲城の野山を歩き回りつかれていたし、私も少し疲れていたので横になって休んだ。

夕方、私と娘はマンションから2キロくらいのところにあるお寺にタクシーで向かった。タクシーがなかなか捕まらず、ちょっと慌てたが開演にはまにあった。私は何度も佐々木さんの父と暮らせば派を観劇しているが、コロナ渦中の手術後、二人の孫に恵まれてみるのはもちろん初めてである。

1時間40分近く、父と娘語り分け、ト書も語る。全部一人で語る。77歳の年齢で。感動した。私はほとんど目をつむって耳を済ませ聴き入った。情景が浮かび今も佐々木さんの声が耳にこびりついている。しんみりと涙が出た。なぜ先輩との交友が続いたのかは謎である。一口に51年間も関係性が切れることがなく続き、このような形で再会が良き形で実現したことの喜びはたとえようもない。

何はともあれ岡山からかけつけることができ、たまたま娘が稲城に住んでいたことから、お手紙をいただき、その娘と共に、父と娘の井上ひさしさんの傑作芝居を観劇できたことの、えも言えぬ運命のめぐりあわせを静かに胸に刻み、感謝した。コロナ前に観た時とは全く異なり、初めてみるかのように氏。の聲が私の体に沁みこんできた。

そして、なんの先入観年もなくまっさらな状態で見てくれた娘が感動した老いってくれたことが、そのような感性を持って成長してくれていることが、私はただただありがたく嬉しかった。

終演後、3人で記念撮影をすることができた。私は感無量であった。佐々木さんのお便りで、娘と共に佐々木さんの父と暮せばを見ることができた幸運を、五十鈴川だよりにきちんと打っておく。

 

 

2021-11-09

11月5日上京初日、娘と孫のお散歩買い物で武蔵野の農家の老快男児Aさんにに出会えたことの嬉しさを五十鈴川だよりに打っておきたい。

昨日遅く3泊4日の上京旅から戻ってきた。5日と7日は次女のところ、6日は長女のところに泊まった。

実に有意義な滞在時間を過ごすことができた、そのありのままを可能な範囲で、記録的に五十鈴川だよりに何回かに分けて打っておきたい。

5日金曜日、8時半の新幹線で岡山を発ち、午後1時過ぎに次女の住む井の頭公園まで歩いて20分のところにあるマンションに着いた。住んでいるところから歩いてゆける距離に、巨木が多い井の頭公園があるなんて幸せな環境である。

さて、送られて来る写真で孫の成長は間接的には分かっていたが、葉君はしっかと間もなく首が据わるところまで、両親の愛情をたっぷりと受けて、まばゆいほどに成長していた。すぐに抱っこしたが、この小さき命の輝きは私のつたない言葉ではなんとも表現が不可能、命のつながり、神妙におじじは触れさせてもらった。

大きくなったら望晃くんと葉君に読んであげたい

心づくしの昼食(自賛した宮崎の干物もいただいたのだが義理の息子が美味しいといってくれ、私はうれしかった、娘が作ってくれたワカメの酢の物が干物によくあっおいしかった)をいただいたのち 、娘と孫の葉君(生後間もなく4カ月)3人で散歩がてら、次女がよくゆくスーパーに出かけた時の、ある心に残る出来事を打っておきたい。

次女の住むマンション一階にもスーパーは在るのだが、散歩がてら出かけるのに適したスーパーがもう1か所、次女のマンションから500メートルくらいの距離にある。

その間に、なんと今では都心ではほとんど見ることは叶わなくなって久しい立派な農家が在るのだ。その農家では絶えず小松菜をかなり広い耕作地に植えている。その畑の整然とした見事さ美しさはたとえようもない。(娘にスマホで撮って送ってもらおうと今おもい付いた、後日アップしたい)

前回7月に上京した際たまたまそこを通りかかり、年のころ40歳代の男性(ご子息)が小松菜を収穫されていたので、声を交わしたら何と売ってくださったことがあったので、今回もまたどなたかが働いていたら、声をかけたいとは心のどこかで思わないでなかったのだが、今回は娘と孫の3人で通りかかって、あまりに雑草がなくきれいな農地に整然と植え時をずらして育った小松菜がまたもや目に入った。

娘曰はく、この小松菜畑を見ると気持ちが落ち着き癒されるのだと。だから散歩がてらちょっと遠いスーパーに買い物に行くのだと。娘とそのようなことを話しながら歩いていると、何と私たちの話し声が畑にいた初老の男性の耳に届いたのか、向こうから雑草が少ない理由などを話し始め、丹精込めた自慢の農地を、武蔵野のかってはたくさんあった農家の灯を守っているとのことをいきなり話始めた。家長でお年72歳のAさんであった。

私と娘はすっかりうれしくなった。厚かましくも前回上京した際もたまたま小松菜を分けていただいたので、今回もお願いしたところ、出荷しているのだからいいですよと、快く応じてくださった。スーパーで買い物を済ませ、帰りに豪邸の玄関わきにある野菜の洗い場に伺うと土をきれいに落として、袋に入れてくださった。なんと100円、消費税なし。

これも何がのご縁奇縁と、私は持っていた名刺を差し上げ、娘に今後も小松菜を売ってほしい旨お願いしたところ、心安く受けてくださった。武蔵野の大地を守る心意気に、私はどこか懐かしい日本人の面影を感じ、見た。

娘の住んでいるところの近くにある、大地の空間に色づく緑の野菜、葉君の母乳のためにも娘は安心な野菜他を食べなくてはならない。現代のメガポリスの目と鼻の先で収穫された小松菜がいただけるなんて幸せという以外ないではないか。

上京初日、Aさんという年上の武蔵野快男児に会えたことの出来事、何としても五十鈴川だよりに記録としてのこしておきたいのだ。わずか3日の上京初日の出来事が私をすっかりといい気持にさせた。私の人生をいまだ左右する座右の銘、犬も歩けば棒に当たるである。

帰ってさっそく夫のSさんに出来事を報告。Sさんはことのほかに聞き上手、私は彼と一緒の時間を過ごすたびに、親近感が増してくる。それは長女の旦那さんのレイさんにも言える。おまけにレイさんとSさんは仲がいい、臆面もなく打たせてほしい。私は果報者であると痛感している。

夜は、娘のお鍋料理をいただいた。葉君がぐずったりしても、二人力を合わせ辛抱強くケアーしている様に打たれ、上京初日良き気持ちで眠りに落ちた。


2021-11-05

シェイクスピア音読自在塾8回目のレッスンを終えた翌日の朝に想う。

 昨日音読自在塾の8回目のレッスンが、もう8回目だ、いつものように緑化公園 の部屋でKさんとのレッスンが行われた。音読自在塾を始めたてから、毎回なにがしかの拙文を打っている。これは記録的にも打てる間は、何としても持続的に、わずかにではあれ持続したいという、わが思いである。

毎回一期一会的に、集中力を養う持続的稽古を繰り返す。その稽古が少しでも一人の普段の生活の中でも、繰り返し行えるようになれば、きっとKさんの中になにがしかの変化が顕れると、確信する。私のレッスンで声を出し始めてKさんは、まだ一年にもなっていないのだ、焦らずコツコツ、まったくの田舎者、粗忽者が18歳から世の中に出て、演劇などというものを学び、その中でつかんだ、あれやこれやの思いのわずかを、Kさんに伝えられたら本望である。

このフィルム是非見たい

声を出すだけではなく、企画することの醍醐味、面白さなども並行して、限られた時間、レッスン時間以外にでも、kさんが、あくまでも望むのであれば、伝えられたらとの、願望を持つ。(のである)

芸は盗むもの、とやはり小三治師匠もおっしゃっていた。ことばだけが語り伝えるのでは絶対的にない。所作や振る舞いからも何かを感じ取る、昆虫的な触覚感性が必要だと。わが道を生きる、自分を信じ切る覚悟が音読自在塾生には必要である。

その点は、昨日の8回目の稽古でかなり確信したのだが、Kさんの中には私とは異なる、世代も、性差も異なるのだが、ある種のおおらかな大胆さが備わっているように思える。めげないのである。至らなさを知る、まず。

そのことを、十分に自覚しながら、自分の体を鍛え、呼吸力を鍛え、何よりもシェイクスピア作品の魅力的な登場人物の長いセリフを、(苦悩する人格の多面性を)流れるように発語、音読できる、と確信した。繰り返す、Kさんは1年7カ月もレッスンを中断していたのだし、トータルでまだ一年も私のレッスンを直接面受していないのだ。(リモートでは無理である)

そして、音読自在塾の突然のコロナ渦中での見切り発車。わずか8回目のレッスンを終えたばかりだが、Kさんの情熱が私に伝わらなかったら、まず年内の音読自在塾の開始はなかったであろう。私ひとりでの稽古は家やその他の空間でやっただろうが、Kさんとともにのレッスンを、コロナ渦中でも始めたのは、時間が大切、今始めねばとのわが想いからだ。

そして今のところ、コロナにも感染せず二人レッスンがやれていることに関してまったく在り難いというほかはない。距離を取り向かい合わず、マスクをしての動き回らない音読稽古、不自由な稽古なのだが、思い立ったが吉日二人だからこそ、やれているのである。

そして、あらためて年内はもとより、Kさんの情熱にできるだけ向き合い、このコロナ渦中でできなかった1年7カ月のレッスン時間を少しでも取り戻すべく、密度の濃い負荷のかかる稽古をしたいと私は考えている。決して焦らず、十分に寝て食べて天と地を味方に、酸素を十分に体に行き渡らせながら進む、音読自在塾を私は目指す。

Kさんは昨日もハムレットの長台詞(2幕3幕の)、エドリエーナの長台詞を正味2時間以上繰り返し音読した。まずは3年かけて土台作り、愉しみである。

昨日のエドリエーナの長いセリフ、以前わずかであるが音読したところがある場面を、ずいぶん久しぶりに音読したのだが、以前レッスンした時間が無駄ではなかったことが、昨日の稽古で私にはわかった。

今音読している、ハムレットやデズデモーナ、エドリエーナほか、これから数年後、いやもっともっと後、私がこの世からおさらばするころ、kさんがどのように変身してゆくのかが、私には非常に楽しみである。そのようなことをおもわせる稽古が、昨日はできた。来週からはベニスの商人を音読する。

(PS 今日はこれから上京するので五十鈴川だよりはしばしオフ、月曜日遅く戻ります)

2021-11-04

たまたま図書館で桂小三治師匠の自伝的遺された言葉を読み打たれました。心の師としたい方です。

昨日夕方の雨が降る中の日没

 生活暮らしの中で私がもっとも出掛けてゆくところは、何と言っても図書館デアル。とくにこのコロナ渦中では、閉鎖されているときにはもちろんゆけなかったが、昨日も午後出かけた。

図書館散歩といっていいくらいに、平均すれば2週間に一回は必ずといっていいくらい出かけている。借りたい本があるなしにかかわらず、出かける。ゆけばなにがしかの本に必ずといっていいほど、巡り合う。さあ、今日はどのような本にめぐりあえるかと、ささやかにうれしいのである。

もう十分に老いてはいるのだが、いまだ在り難いことにどこかしらときめく自分がいる。この胸のときめき、歌の文句ではなく、これがなくなったらおそらく生きている甲斐がないとまではいわないが、極端に物悲しくも、寂しい人生になることは自明だろう。

だからなのだろう、音読自在塾を始めたのは。自分で自分を 追い込んで(そのことを楽しむ余裕のある追い込みでないとまずいが)いまだどこか変身できる可能性の在りやなしやをはかっているのではと、自分では考えている。

生活に限りなく自己満足的な老いの潤い、精神のコラーゲンやオキシトシンの分泌を促すような、悪あがきじみたことに、現を抜かすなんてことを考えてしまうのである。もう老いた自覚の生き恥をさらして打つが、天上天下唯我独尊(限りなく謙虚に)でゆくことに、音読自在塾を始めた時に決めたのである。

胎が据わると、生活のメリハリにリズムができ、おのずと目的のようなものも生まれてきて、図書館に何か宝物を見つけに出もゆくかのような心持になるのが、なれるのがささやかなれどどこか好奇心が満たされありがたやなのである。

シェイクスピア作品を翻訳された小田島先生は、好奇心とは高貴心であるとの名言を残されている。これでゆくのだ、男一人細身を引きずり、風に吹かれてよたよたと、だが足はしっかと大地をつかみ、踏みしめ、カッコつけて頑固にと、願う私なのであります。

とまあ、ここまで打ってきて思うのは、今日もまたいけしゃあしゃあと、五十鈴川だよりが打てる幸せを噛みしめるのである。今日午後は音読自在塾のレッスン。明後日からは3泊4日上京する、往復新幹線の中で読む本は借りることができた。

突然話は変わるが、今は亡き桂小三治師匠の本に巡り合ったのも図書館だった。昨日夕方、過日逝かれた桂小三治師匠をしのぶ再放送番組を民放BSで見た。生で見ることは叶わなかったが、間接的にカッコイイあこがれの噺家だったので、しっかりと眼底に焼き付けるように見た。存在そのものが匂い立つ。生き方に一本筋がピーンと立っている。声が話し方が人生そのもの。地面近くに名もなくもすっくと咲いている誇り高き花。立ち上がる姿、目つき、後ろ姿、私にはすべてがカッコイイ方としか言いようがない。

お亡くなりになる5日前まで高座に上がり続け、自分で自分を叱咤激励し続けた見事な生涯に、拍手を送りたくなった。爪の垢でも学ばねばと、音読自在塾を始めたばかりの私は、これでまた一人、私の背中を押してくれる黄泉の国のかたがたの存在を、五十鈴川だよりにしっかりと打っておく。(遺された師匠の噺をこれからしっかりと耳に刻みたく想う)

2021-11-03

読書の秋、カレルチャペックの作品の音読に挑む。

 音読自在塾を始めるまで、おおよそ1年7カ月、家族、親族以外の人とはほとんど話をしていない状況下を生きてきた。音読自在塾を始めたことで、平均すれば週に一度Kさんとのレッスンがあるので、限られた時間の中での言葉のやりとりはしているが、普段はほとんど他者との交流は今もない。

そのようなことは、これまでのわが人生にはなかったので、まあある意味では非常事態ではあるとは言えるものの、以前も打った気がするが、おおよその社会的親としての責任生活を終えたのちの、突然のコロナ自粛自粛生活は 、ある意味で私にとってはいい方向に作用しているのではないかと想えている。

どこかで、コロナにかかっていないから、このような能天気なことが打てるのだとは思いながらも、である。これまでの人生、ほとんど成り行きのような状態で、かぼそき肉体を引きずりながら、何度も行き詰まり、全身で何度もどっちにむかおうか、呻吟した若い日々のことを、いまだ昨日のことのように、おもいだす私である。

私が植えた下仁田ネギ根付きました

よく乗り越えられたものだと、ときに我が身の運の強さに、(業の深さに)天を仰いで感謝する。まだ人生を振り返るには早いという気もどこかではするものの、これからは振り返りつつ、老いの深まりを確認しつつ、一歩一歩をと、念じつつ前進したいのである。

老いる覚悟の深まりを、一段と想う秋である。還暦を過ぎてのち、この9年で私が多大な影響を受けた方々が、(いちいち記さない、しるせない)黄泉の国にたびだたれたが、私は生きている。だから、私はこれからの人生をより謙虚に、敬虔なおもいで生きなければと、初老凡夫なりに自戒のおもいが深まるのである。

で、私に何ができるのか、と問うのである。私のできるのは、やはり音読や、企画なのである。大きなことはできもしないし、したくもないが、手の届く範囲の人にリアカーをひいて、行商するかのように、小さな主催イベントを、小さき営みを成して生きておられる方々に届けられたらとの、おもいが深まる秋なのである。

いずれにせよ、今後のコロナの終息次第ではあるものの、ささやかに表現活動が自由にできるようになったなら、私自身まずはシェイクスピア作品の大人数の作品の音読ではなく、小さな作品で、こころが引かれる作品の音読を始めてみたいので、学び勉強するのにはコロナ渦中は、私にとっては、逆説的にありがたいのである。

2021-11-01

写真家ユージンスミスの2本のドキュメンタリーをたまたま見ることができた、翌日の朝に想う。

 昨日は衆院選挙の投票日であり、私も投票には出かけたが結果はさほど山は動かずに終わったのではないかと、結果も見ずに床に就いた私には思える。今朝はまだ新聞が届いていないのでよくわからないのである。

それよりも、昨日の午後たまたま、午後2時からNHKBSで、写真家ユージンスミス のドキュメンタリーを2本たまたま見ることができた。そのことをわずかでも打っておきたい。私が見ていないだけで、2本とも再放送であるが、近年の番組である。一本は若き日の戦場カメラマンとしてのユージンスミスの足跡をたどるドキュメントと、もう一本は戦後民家を借り、水俣に棲みついて撮り続けた、貴重極まるとしか言いようがないドキュメンタリーフィルム。

この年齢でたまたま見ることができたことの好運、コロナ下で、おそらく自分の中になにがしかの変容が起こっているからこそ、このような稀な作品番組に激しく心がゆれうごくのだと、想える。

ユージンスミス、人間としてあまりにすごいとしか言いようがない地点まで紆余曲折の果て、たどり着いた時代が生んだ稀有な写真家、悩み続け、苦悩の果てに結果作品が残っているのだと、痛切に知らされた。老いつつも 魂を揺さぶられた。

このような珠玉のドキュメンタリー番組を創る時代に流されない、硬派の番組スタッフも存在することを、私はどこかで感謝しながら、そして私自身がそういった番組をチェックすることなく、見逃していたことに、内心忸怩たる思いもどこかで感じながら、それでも見ることができたことの感謝を、 五十鈴川だよりにきちんと打っておきたい。

写真家ユージンスミスの有名な一枚の写真、(楽園への旅立ちというタイトルは知らなかったが)は記憶にあったが、彼のあまりのというしか言葉がない、第二次世界大戦アメリカ海軍の戦場カメラマンとしての履歴、南方の島や沖縄の激戦地でのライフの契約カメラマンとしての履歴、彼が若き日に目撃した無残極まる戦場の地獄(9割はアメリカの検閲で没収された)のことはまるで知らなかった。

私は今更のように、この年齢での自分の無知を思い知らされた。このようなおぞましいというしか表現不可能のような事実の、撮影したものの良心というしかない、敵味方をやがて超えて、ヒトはなぜ罪なき人をこうまで殺りくして、都合のいいように写真を選び改ざんできるのか、するのか、不条理な世界に、ユージンスミスが目覚めてゆく過程が伝わってきて、私はなんとも言えない、気持ちにいたたまれないおもいで、画面を凝視し続けた。

とくに遺作となった水俣の写真を撮る苦悩と葛藤の上に成った作品の崇高な神々しさは、どのようなコトバも超えて(むなしく)沈黙を迫る。ユージンスミスにしか撮りえない写真の素晴らしさに、私はどこか慄く。番組の中でとくに私が感銘を受けたのは、苦悩するユージンスミスの遺された声である。

水俣病で青春の自由のすべてを奪われた少女に語り掛けるユージンスミスの聲は、地底の底からの懺悔の聲のように私の耳には響いてきた。この2本のドキュメンタリーを見ることができたことの重さを噛みしめ、これから繰り返し反芻し、人間としての良心を一枚の写真に籠めたユージンスミスの写真をみつづけてゆきたい。