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2018-03-30

稲城だより⑦

昨夜は、満開の桜を一人で夜桜見物を愛でることができた。私はただただ花の下を歩くだけであったが、しばし大地が椅子とテーブルになり、多くの方が宴会お花見をそこかしこで楽しんでいた。人々が楽しそうにしているのを見るのが私は好きである。

ところが、今朝はその興趣が一転、夜半の風で桜吹雪が舞い、かなり一気に散っていて、あの宴会の面影はどこにもなかった。今朝はその風が吹く中での、肌寒い早朝散歩となった。

昨夜の人々の群れはどこに行ったのか、 マスクや襟を立てて通勤を急ぐ人たちがほとんどで犬を連れてお散歩する人たちも、いつもよりずっと少なく、昨夜のお花見宴会はうたかたの幻であったかのよう。

 ちょっと寂しくなった桜並木を、私は普段通り、いつもより長めの散策時間を過ごして 、午前中の日課である、望晃君の入浴をほかの小事を済ませての、ブログタイムである。

望晃君のおかげでのつかの間稲城ライフは、まるでちょっとした旅のような趣で、思わぬ 日々を送らせてもらえている。ありがたさがしみる春、こんな春は初めてである。

稲城だより、このように毎日書くとは、書けるとは思いもしなかったが、やはり孫と過ごすわずかな日々を、いくばくかでも綴っておきたいという、おじじの幻想のたまものである。

望晃君は両親の庇護のもと、生まれて最も幸せな日々を送っていると、この一週間そばにいて思う。爺バカではなく、娘夫婦の献身的というしかない愛情の注ぎ方を目にしていると、幸せな星のもとに生を授かったのだと、思う。そのことを一行きちんと書いておきたい。

赤ちゃんは、生まれてから数年の記憶がほとんどないので、映像や写真としての記録は残るが、おじじとしてのさやかな思い出を孫に残しておきたいという、おじじ煩悩が働いているのかも。

ともあれ、明日の午後には妻が、つまりおばばがやってくる。真の意味での三世代での暮らしが数日送れる。

妻は仕事を休んでやってくる。どれほどにか望晃君に会いたかったことか。男の私とはまた全く異なる感覚で、望晃君と触れ合うことであろう。

命の連鎖の厳粛な、表現不可能な望晃君の小さい輝き存在感は 、あまりにも柔らかく繊細で、とうの昔に、とうがたってしまったおじじをも溶かしてしまうのでは、と錯覚させてしまうほどに、寝入った時のお顔は神々しい。






2018-03-29

稲城だより⑥(うれしいコメント

五十鈴川だよりは岡山でしか書けないと思っていたが、娘婿のレイ君のおかげで、彼の小さいパソコンで書いている。

ご存知のように私はデジタルにからきし弱い、前世紀の遺物である昭和の男子、まさか稲城で五十鈴川だよりならぬ、稲城だよりが書けるとは思いもしなかった。私が
文章を書くと彼が写真を入れてアップしてくれるのである。

わずか5回しか書いていないのだが、驚くべきことがわがブログに起こっている。五十鈴川だよりを書いてもうずいぶんな歳月が流れているのだが、3桁のアクセスは経験していない。

レイ君が彼のフェイスブックに、稲城だよりのことを知らせたのだろう一気にアクセスが100件を軽く突破したのだ。そして、昨夜、お父さん 素敵なコメントが来ていますよと、そのコメントを見せてくれたのだ。


正直、やはり続けて書いていると、思わぬことが起こるのである。女性の方からのコメントで、おじじブログを風の吹くまま書いているわが身としては、おじじ応援の風が吹いたと受け止め、この広い世界のどこかの誰かが、読んでくださる可能性にすがりたい。

ところで、稲城だよりしか読んでいない方にお伝えする。私は岡山で週に一度、毎週水曜日の夜、w・シェイクスピアを游読する塾をやっている。(岡山に来られたらお立ち寄りください)

実は昨夜、塾の日であったのだが、1週お休みしてい稲城に来ているのである。塾では今年の7月7日の発表会に向けて、リア王を読んでいる。

というわけで、ここ稲城でも桜並木の下の歩道をリア王の台詞を時折声に出しながら 、テキストを読みながら歩いているのである。

今朝もおおよそ1時間 半、早朝散歩でもごもごと口を動かしながら歩いた。桜並木 には、気のベンチなどもあるので、ちょっと一休みして、満開の桜にを愛でたりもする。

出かけたのが6時半、戻ったのが8時娘と望晃君が まだ休んでおる様子なので、しばしのブログタイムというわけだ。

稲城で、五十鈴川だよりを書かなかったら、わがブログはとこしえに、二桁を更新することはなかっただろうから、望晃君の誕生が引き起こしたたまさかの快挙といわねばならない。

ともあれ、何事も期待しないでコツコツ、続けていると思わぬ意外性のご褒美がやってくる。齢を重ねながら、下りながらの景色の中でもコツコツ続ける中で、何かを見つけたいものである。




2018-03-28

稲城だより⑤

早くも稲城での生活も7日めに入った。今日もお天気が良く最高の気分である。先ほど望晃くんの入浴の娘のお手伝いをし、洗濯物を干し、掃除機をかけ、昼食の準備をし、娘が授乳しながら、寝かしつけている間に、ちょっと稲城だよりというわけである。

今日はまだ外に出ていない。朝が遅かったので、日課の散策は、午後の買い物のを終えてから、娘の許可をもらってしようかと考えている。

意味もなく、本当に気ままに歩く、逍遥しながらの散策は、晩年ライフ、気を落ち着かせ、全身の血の巡りをよくする散歩はしばしの気分転換、私には欠かせない。

ところで、娘の家事全般の補助をしているのだが、ゴミ出しから、郵便を出しに行ったり、その他こまごまと平凡な日々の生活いは、やることが次々に出てきて、その些事をおじじとして、楽しんでやれている自分がいる。

おじじとしての自覚が、わずか一週間でかなり実感として出てきたような気がしている。おむつを替えるのも、抱っこするのも、少し慣れてきたように思える。

先ほども入浴の前、娘の代わりに抱っこしていたのだが、望晃君は縦抱っこが好きなことが覚った。

何事も経験したことは、体の奥で生きている。数十年ぶりの抱っこなのだから、最初はぎこちなかったが 、昨日あたりからずいぶん慣れてきた。とはいえ30分以上っ抱いているとかなり腕が痛くなってぅる。

そこであれやこれや工夫することになるのだが、孫が全身をゆだねて寝入ったりすると、 おじじとしては、何とも言えない気持ちになる。

これが俗にいう、孫は可愛いということなのか、と思い知る。 やがて私がこの世から
おお別れした後にでも、おじじのの胸で抱かれていたのよ、と娘が話でもしてくれれば冥利である。

ともあれ、こんなことを書き連ねていると 、爺バカだよりになるのでよす。ところで、新聞もテレビもほとんど見ていないので、世の中の出来事がまるで分らない。

でもそのことが、限りなくなぜなのか気持ちいい。あと一週間の稲城での生活、情報がまるでなかった昔の暮らしに思いをはせ、娘夫婦と望晃君の新生活をささやかに見守りたい、おじじである。




2018-03-27

稲城だより④(満開の桜の下の早朝散歩でおもう)

稲城の桜並木の両側を挟んで、みさわ川という水深は浅いが、きれいな川が流れていている。22日に着いた時には二分咲きだった桜が、今朝はほぼ満開、川にそって満開の並木の下を気持ちよく、時折大きな鯉の群れの水遊を眺めながら、ただただ歩いた。

気が付くと、一つ手前の駅京王よみうりランド駅まで来ていた。引き返そうかと思ったら、ふと神社の看板が目に入ったので、これも何かのご縁とお参りをした。

たまたま同年輩の方が、お掃除をしていたので、少しばかりお話をしたのだが、私が孫に恵まれたので 、岡山からきていますと告げると、それはそれはと、丁重に対応してくださった。

一日の始まりで、郊外の新しき建物ばかりの中にあって、このような古く由緒ある鎮守の神社に詣でることができたのも、桜並木のお導きと感謝して引き返し、朝のさん策を終えた。

何度も書いているが、格言の類が齢を重ねるにつけしみるようになってきている。その中でも、私が重宝しているのは、犬も歩けば棒に当たるといういささか手あかがついたほどに知られている格言である。
 
思えば生来の気質というのか、この格言のような人生を送りながら生き延びた自分であるような気さえしている。だからなのだ、自分が 歩くことが好きなのは。特に旅先では当てずっぽうに風の向くまま、気の向くままとにかく歩く。ゆったりリズムの中で歩けることのありがたさ、至福感に包まれる。

ましてこの思わぬ稲城での禍福の日々、毎日ダイナミックに花が開花する 、見事というしかない桜並木の下を、歩ける妙。

【願わくは、花の元にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ】という有名な 西行の歌があるが、さもありなんと私なども首肯する。それほどに桜の花は日本人の心を惑わす花である。宮崎の地を幼少期から思春期、春は桜、転校した思い出の地の記憶が、鮮やかによみがえる。

私の場合のことだが、この数年同年代の友人知人の訃報が相次いでいる 、だからというわけではないのだが、私は死をかなり身近に感じるようになっている。そんなさなかの初孫の得も言われぬ輝きは、今後の私に無言の示唆を与える。

孫とともに、家族とともに一年でも長く桜の花を元気に愛でたいものであるとの、無心の欲が深まる老春である。




2018-03-26

稲城だより➂(66歳、親子三世代での初めての生活)

稲城4日目、ほんの少し娘夫婦のところでの暮らしも慣れてきつつある。が、しかしこの齢になると、本当に自分が田舎者であることを痛感する。都会での生活が、時の流れ、人々の表情ほか、全般にわたって正直しんどく感じるのは、明らかに私が老いつつあるからである。

ところで物見遊山ではなく、わずか10日強にわたる稲城暮らしではあるが、この望晃君誕生がもたらしてくれた、岡山の生活リズムとはあまりにかけ離れた生活は、今を生きる私にまた新たなもたらしてくれそうな予感がしている。

早朝の散歩は、岡山でもやっているが、環境の異なる稲城での散歩は非日常の地場であるので、まだ慣れず、体がふわふわ異次元を歩いているかのような趣だ。宮崎の田舎で幼少年期を過ごした私には、まるで浦島太郎でもあるかのような、途方もなく次元の離れた
場と空間である。

人工的に整然と作られた、現代人居住空間都市の中で、唯一私が安らぐのは、おそらくは旧稲木村の面影を残す、先人たちが植えた見事な 桜並木の散歩だ。
レイ君が作ったパン、娘と私に手料理の夕飯

朝、その桜並木の下を、逍遥する一時、私は時空をさかのぼって 、今は昔と想像世界に遊ぶ。これこそがいまの私にとっての、ささやかな老いらくの楽しみである。

散策していると、大都市郊外に住む人々が、知恵を絞って限られた土地に、多様な緑化を植えている。自然への原始的本能回帰だろう 。

ともあれ、あと一週間、早朝散歩や買い出しをしたりしながら、都市生活者の暮らしを眺めながら、望晃くんと娘夫婦との思わぬ三世代での初めての生活を心に刻みたい、66歳の春を生きる私である。

2018-03-25

稲城だより②。

稲城でのにわか暮らし、早くも4日目の朝の散歩を終えて、五十鈴川だよりならぬ、つかの間の稲城だよりである。

昨日に続いて桜並木の下を約一時間、早朝に歩いたのだが実に気持ちがいい。都心の桜は満開とのことだが、稲城の桜はまだ半分も咲いていないので、今週中は徐々に咲き誇るさくらを、私が東京にいる間は楽しめそうである。

さて、孫の望晃くんは、千変万化の顔や手足の表情しぐさで、私を驚かせながら、両親の
愛情を一心に浴びながら穏やかに成長し続けている。

土日はレイさんがいるので安心して稲城だよりが書ける。稲城は郊外のベッドタウンなので、お店が少ない。坂の上の大きいスーパーまで歩いて15分くらいかかるけれど、娘のメモを見ながら、また私が食べたいものなど 適当に買っている。

すでに3回の買い物に出かけたが、朝夕とかなりの距離を歩くので、体調もすこぶるいい。
 田舎者の私には正直落ち着かない環境での マンションライフの日々なのだが、致し方ない是も何かの思し召し、楽しむように心がけている。

駅のそばの桜並木が救いである。いかに緑や、樹木が人間生活に必要なものであるのかを知らされる。娘たちの住居は6階にあるので、夜の訪れとともに世界一明るい都市の夜景が一望できる。

このすべての明かりのもとに、おびただしい人々の暮らしが、日々整然と営まれているかと想像すると、妙に感動してしまう。

そんな都会の片隅に、生を受けて育つ望晃くんである。おじじは思う、そして考える。何が、おじじにできるのかと。それは娘夫婦のお役に立つことの中にこそ、いま見つけられていると感じる。

私が何か当たり前のことをするたびに、レイさんも娘も、ありがとうという言葉を発す
る。その言葉を耳にするたびに、おじじとしては役に立つということの喜びが、体にじんわりと広がる。

まずは家族のために、余裕があれば社会の、誰かの、何かのお役に立つということが、晩年ライフのだいご味かもしれない。初孫の 天使のような寝顔に見入っていると、孫から無言のエネルギーが、おじじに注ぎ込まれる。

望晃くんの生誕は、広い意味でおじじの存在、役割 について新たな思考を私に迫る。


2018-03-24

五十鈴川だよりを,西大寺以外で(ここ娘夫婦の住む稲城で)書くのは初めてである。稲城といってもわからないかもしれないが、新宿から調布、多摩川を渡り、京王よみうりランドの隣駅である。

娘夫婦に男の子、望晃(ノアと読む)くんが生まれ、産後の娘夫婦のお手伝いに 木曜日からきているのである。すでに二泊し3日目の朝、土曜日で息子のレイ君がいるので、ちょっと朝食後のブログタイムというわけである。

今朝初めて、早朝の稲城駅周辺散歩に約一時間出かけた。稲城の駅のすぐそばを川が流れ、川沿いに約2キロ以上の見事な年月を経た桜並木ロードがあり、まだ3分咲き位のその下を散策したのだが、普段とは異なる地を散策するのは、興趣がやはり沸き面白い。


これから4月2日まで、この近隣を毎朝声を出しながら散歩し、桜並木の下を下を歩くことに決めた。

ところで、初孫のことをこまごまと書き綴るのは、お里が知れるくらいにやや気恥ずかしいので控えるが、静かな孫で実によく寝る。しょうしょうぐずるくらい当たり前だと思うのだが、音楽が好きみたいで音が流れるとすぐに穏やかになる。精妙というしかない孫の顔の表情変化は命の輝きそのものだ。

娘夫婦が実によく子どものお世話をしていることに感心している。表現手段を持たない命の輝きに対して、耳をそばだてて聞き漏らすまいとしている。これは親にしかできないことである。

天が与えてくれたこの一時、しばし娘夫婦のお役に立つべく、私はおじじとしての役目をきちんと果たしたいとの一念である。

買い物や、掃除、食事の 補助、片付け、洗濯物を干したり、等、娘の手が届かないところのお世話である。まだ二日しかたっていないが、 何とはなしに楽しめている。あと10日はいるので、デイケア―のプロくらいの気持ちで、過ごすことに決めている。

今日明日はレイさんがいるので、今日は午後若いころ世話になった佐々木梅治先輩の芝居を見に行くよていである。

ともあれ、おじじに東京の春をプレゼントしてくれた孫のために、役に立ちたいと思う殊勝な私である。






2018-03-21

池澤夏樹さんが、南米パタゴニア地方を旅する番組を見る、そして思う。。

このところ素敵な番組をテレビで見ている。昨夜は録画しておいた、池澤夏樹さんがパタゴニアを旅するドキュメントを妻と共に見た。

マゼラン海峡を出発点に、日本のおおよそ5倍の面積を持ち、人口はわずか132万人の風の国、氷河の国、羊と牛の国・・・・。途方もなく広大というしかない、日本の風景とはまるで異なる国を、点のように移動しながら、池澤夏樹さんが旅をしながら、あこがれの地で思索しながら、言葉をつぐむ。自然を畏敬しながら、大自然に抱かれながら、それを実感しながら、つつましやかに人間らしく豊かに暮らす人々の何という神々しさ。

無理とは承知しながらも、あちら側の世界にとてつもなく惹かれる自分がいる。自分の知らない世界の果てには、なんて素敵な世界が在るのだということを知る。なんて素敵な人間が。

詩人的な感性を併せ持つ72歳の作家が、次々に宝石のような言葉を、まるで子供のように発音する。マゼランの名がついた海峡での、思索、氷河での思索、3千5百年前、当時の人々が暮らしていた洞窟に描いた、たくさんの手形の絵の前での思索。

今日は桑江良健康氏の絵です。
東京都の5倍の広さの牧場で出会った、71歳の同年代のガウチョ(羊を馬に乗ってあやつる牧童、自由自在に馬を乗りこなす姿、サイコーにカッコよかった)とのやり取り。

彼が14歳から57年間作っている同じ料理(羊・玉ねぎ・ジャガイモ・コメを同時に煮て、味付けをしたもの)のおいしさに舌鼓を打つ池澤夏樹さんの表情のクローズアップ等々。

我が日常生活とは、完全に異なる遠く離れた反対側の国、風景の中でのライブ感覚で紡ぎ出される言葉は、まさに詩人、旅人ならではのおもむきで、66歳のいまの私を魅了した。

以前も書いた記憶があるのだが、齢を重ねると動きが鈍くなるが、逆に思索は深まる(ように私は感じている)年の功というか、重ねないと見えてこない、感じられない世界が、忽然と感じられるようになるのである。

動けるだけ動ける時には、見えなかった、感じなかった世界を感じられる喜びがある。だから下り坂の中で見つけた喜びを、拙文で吐露したくなる。

ところで私も、旅が大好きである。池澤夏樹さんにとっての旅とは と訊かれての答えが素晴らしい、【一生を棒に振ってもしてもいい道楽である】と。私も小さくても気ままな旅がしたい。

私も人生に行き詰まると、ささやかに旅を繰り返してきた、そして生き延びた。そして思うのだ。やはり自分も旅人の端くれとしての感覚を、日常生活においても、失いたくはないものだとの思いに、池澤夏樹さんの発する言葉に撃たれた。

静けさの中に、稲妻のように虹のように、瞬時輝く宝石のような旅言葉。ヒトは何故か移動し、非日常を求める。それはきっと太古から人類は移動してきた原始的記憶のなせる何かなのだろう。いいものを見た。


2018-03-20

妻と共に美輪明宏さんのインタビュー番組を見て感動する。

度々書いているが、感動する、打ち震える。このようなことが若いころには度々起こったのだが、この年齢になると、なかなかにそういうことが少なくなってきたようにも感じる。

だが、五十鈴川だよりを書く間、というか書ける間は、日々の暮らしの中に、また若い時とは異なる質の、人生下り坂の中で見つけた、ささやかな驚きや、こころの揺れ動きを記せる、五十鈴川だよりでありたいとの念いで 、つまりは今日も書き綴る。

さて、池上彰さんのBSのインタビュー番組で美輪明宏さんのお話をきいた。妻が録画してくれたのを、時間差をおいてCMをとばしながら見聞きしたのだが、まったくなずけるお話ばかりで、静かにこのような方が存在していることに、撃たれた。

たたずまい、物腰、しぐさ、態度、言葉の切れ、呼吸、82歳、一糸乱れぬ、その毅然とした揺るがぬ存在感、歩んできた半生の中で培われてきた自信が全身からあふれ出ている。

その思いあふるる、全身で語られる、その深い教養から にじみ出てくる言葉の何たる美しさ。美、芸術、文化で全身を武装し、身に着けた神々しいまでの、自信。他者の痛みをわがことのように、感じる誰しもが畏怖するほどの感性。
春を告げる濡れる我が家のボケの花

本で読むのとは、またまったく異なる。声の持つ不思議がテレビからではあるが、私の 心身に染み入ってきた。このような絶滅危惧種的な奇特な芸術家が、わが日本国に存在することに、私は安堵を覚える。

核弾頭や想像を絶する、最新化学兵器を、相も変わらず作り続けてやまない、御用科学者たちを、これほど痛烈にTVで批判した芸術家をほかに私は知らない。

原点は、8月9日、10歳の時に長崎丸山での(丸山明宏という芸名はそこからきた)阿鼻叫喚の地獄めぐり、少年期の被爆体験がある、と知る。

五十鈴川だよりでは、美輪明宏さんの存在への賛美、言及はこれ以上触れないが、(とても書ききれない)池上彰さんのインタビューも無駄がなく、現代の多岐にわたる諸問題に美輪さんが鋭く的確に答えられたのには、深くうなずき感動し大いなる勇気を得た。

 日本は、大和の国は、和の国芸術の国であると喝破され、再度書くが、先人たちの知的日本遺産を深く学んでおられる教養が、随所に披歴され、まずは日本人が日本のことを学ばねばならないとの、辛らつな言葉に、五十鈴川だよりを書くものとして、深く同感する。



2018-03-19

生命体誕生のNHKスペシャルを妻と共に見る、そして思う。

このような静かな日々を、送るようになるとは(おくれるとは)つゆほども思わなかった私である。世の中に出てからというもの、常に何かにせかされるかのように、急激に変化してゆく世界にまるで、歩調を合わせるかのように動き回ってきた、これまでのわが人生を半生(反省、自省)している。

行動半径が狭くなり、身近な世界の暮らしの中でかなりの充足が得られるようになってきたのには、あきらかにいい意味で老いてきたからだとの自覚がある。

オーバーに言えば、内面生活に重きを置いた暮らしに変化してきたというか、そのようにわが体はできているのだ、という感覚が深まって きている。内面との対話生活、それが愉しいのである。
お隣に頂いたお花

天上天下唯我独尊というが、この世にわが体はただ一つ、他者とは比較のしようもないし、する必要もない、見えない何かに突き動かされながら、わが体と意識を運び、何をするにせよ遊び心を見つける、今しかできない日々を送る。

話は変わる。昨夜NHKで人体誕生の、スペシャルドキュメントを、妻と共に心身とみた。いまだ謎に包まれた、緻密というしかない神の領域に迫る、最新情報映像研究分野の数々に見入った、そして驚いた。

当たり前のように感じることが、いかに当たり前ではなく、数々の言葉にならない、なしえない、いまだに解明されない複雑精妙な未知の細胞の情報伝達、受精後、驚くべき変化の果てに、生命体が、わずか10月10日で誕生するという、まさに神秘が、まさに最新最先端映像編集で知らされる。

つい最近孫に恵まれたばかりなので、いちだんと敬虔な面持ちで番組に見入った私である。まさにこの世に、わが体と共に命が在るということの何という、奇蹟的な不思議、そしてそれは70億以上の全世界の人々、天上天下唯我独尊、代わりのきかないかけがえのない命なのである。

この年齢まで生きられ、このような番組を見ることができて、いまだ厳粛で粛然たる面持ちになる私がいて、なにやら言うに言えぬ感覚が、わたしをして五十鈴川だよりを書かせる。

それは、一言でいえば、初孫を授かった有難さへの感謝である。春雨が森羅万象に降り注ぐ、万物が輝く、我あり愛でる、ありがたきかな。





2018-03-16

眼が明いた孫の写真を眺めながら想う。

孫が生まれてから、妻はおばばとなり、日夜孫の変身ぶりに歓喜のメールを送っている。一夜にして、世界が変わったかのようなあんばいである。

男の私にはいかんともしがたい生理的な差異を、時折痛感しながらも、その 差異をどこかまぶしく感じながら、眺めている。

自分のことだが、やはり男はどこか観念的で、うれしいのだが、どこかそうっと遠巻きに眺めているといった按配の体、まぶしい輝きの小さな生命体に、おじじはいささか照れるのである。

父親になった時もそうだったが、孫と対面し、関係性を築きながら、ゆるやかに緩やかにおじじになってゆくのではないかと思う、そうなりながら、ゆっくり私なりのおじじを目指したいと思っている。

今朝、目が明いた孫の写真を眺めながら、いかんともしがたいジジバカにになってゆくのではないかとの予感は、いい意味でしそうな気配である。

ともあれ、娘夫婦のお邪魔に ならない程度に、適度な距離感で孫には接するつもり、とりあえずは、今月下旬に上京し産後で動けない娘のなにかのお役に立てればとの思いである。
私は高峰秀子さんのファンである(ブログの内容には関係ありません)

相も変らず、多事国難のさなか、時は移ろい高知ではいよいよ桜の開花の知らせ 、おそらく孫と初めて対面、しばし滞在するころには東京でもお花見ができるだろう。

私にとっての東京 は第二のふるさとといっても過言ではない。桜の名所がいたり所に在り、娘が生まれてしばし、岡山に移住するまでの数年、3人で住んでいた久我山の駅前周辺、井の頭公園周辺をうららかな日によく散歩した思い出がよみがえる。

生きて元気である間に、孫ともささやかに、あれやこれやの自然の中での思い出が作れたらとおじじは願う。私の好きな海山川、得意なことで男同士(女の子ではこうはいかない)孫との時間を 紡ぎたく夢は広がる。

そのためには、今しばらく元気に動ける身体をキープしなければならない。そのためにささやかに始めたことがあるのだが、3ヶ月持続したら五十鈴川だよりに書くことにしたい。




2018-03-14

娘に男の子が生まれ、おじじになりました、そして思う。

昨日、3月13日午後、長女に男の子が生まれた。私にいわゆる初孫ができたのである。おじいちゃんと呼ばれることになった。まだ見てもいないし、実感的に遠いとはいえ、レイさんの送ってくれた母と子の映像と写真を見ると、すでに一人前の姿形、泣き声が立派で、言葉になしえない感情が、じんわりとおじじの体にこみ上げた。
少しずつ声に出して石牟礼さんの文章を読みたくなりました

娘の生誕が、私をして父親の端くれに導いたように、初孫の生誕が、きっとわたしをおじじに導いてくれるであろう予感が、孫の命の鳴き声を通して、私の体に湧き起っている。

時のたつごとに、孫の命は刻一刻と変化し、立ち上がるまで劇的な変化を遂げる。このかけがえのない二度とない時間を、娘夫婦には大切にしてほしいし、彼らはするだろう。

命の精妙さを体感するまたとない時間というしかない。もうすっかり過去の時間となってかなり忘却したが、娘が生まれてからの世田谷の団地での一年間、ふりかえっても新米両親として生きた時間のかけがえのなさは、私の生き方を変えてしまうほどに、赤ちゃん娘の持つ生命力に圧倒された。

人間なかなかに変わらないが、赤ちゃんのためなら、かなりの親は劇的な変化を遂げるように思える。おじじにしてもらえたのだから、私も初孫のためにも今しばらくの変化を遂げたいものであると、命の輝き、不思議さをまえにいささか神妙な私である。

ともあれ、こつこつ生きていると思わぬ後利益が、庶民の私にも訪れる。一見平凡な 生活の中での、何という非凡な生命の誕生、まさに天からの授かりものというしかない。

今月下旬から10日ほど、娘夫婦のもとに出掛ける予定なのだが、その間は五十鈴川だよりをかけないが、ノートを持参して折々の出来事を書きたくは思っている。命の輝きにあやかりたい私である。

さて、全世界のあらゆる出来事、株価の上下いどうが何十年も日めくりで報じられ、弱肉強食資本主義社会(破綻しそうである、価値観の変換が何としても必要だ、でないと命の元である水の惑星の生態系が危ない)が暗躍跋扈する。

何のためにヒトは働くのか?誰のために?という当たり前の問いが、欠落した社会の到来、一億が総活躍し、あげく他国の人と武器(永遠に軍需産業は安泰)をもって戦争まで起こす国に向かうのか?今しばらくおじじとしては老いたり、ボケている暇はない。

知らず知らず精神と体がむしばまれる超過労労働監視社会、人間不信社会、こころが金銭で売り買いされ、食い荒らされ、命がかくも軽んじられる時代のさなかに生まれてきたわが孫の未来を、おじじは危惧する。

命の重さに対する感覚が鈍磨(ほとんどしている)しがちなご時世だが、命の比類のなさ輝きは普遍である。世界のあまりの理不尽不条理、命の不公平は多くの人が認識している。

このままでいいのか、いけないのか、そこにこそ価値観を置いた、発想を変えた新しい政治家や新しい経済政策を、おじじは未来の人たちに期待する。おじじの役割は限りなくある。

安倍さんや麻生さんの自民党体質ではもはや無理、命の輝きを奪う大きな理不尽というしかない強者には、今後一人の庶民おじじとして、断固五十鈴川だよりで異を綴る覚悟である。



2018-03-10

母の命日を機に食生活を見直すことにする。

母が逝去して早20年である。昨日も五十鈴川だよりを書いたし、また今朝も書き連ねるのは、いささか書きすぎの感無きにしも非ずだが、それでも書きたい五十鈴川、といったところである。

母は81歳、父が83歳で亡くなり、私はまだ40代で子育て真っ最中であった。現在66歳の私は子育ても終わり、もうすぐ初めての孫に恵まれようかとの、齢を生きている。

人生の・有為転変を重ね人は皆歳をとる・(リアの台詞)という言葉が、私にも沁みる。

今朝私が作ったお味噌汁

生きることは、ほとんどが哀しみの連続である、とどなたかが言っていた。わたくしごと気のささやかな人生でも、かなり腑に落ちる言葉ではある。ではあるが、それだけではあまりにもむなしいと、小生は考える側に立つ。

悲しいことが多いのであれば、なるべくなぜなのであろう、と考え、悲しい自分を自ら慰め、愉しいことを探し続けてきたのが、オーバーだがわが人生であったのでは、(まだ終わってはいない)との思いが最近してきている。

ことさらに深遠なる哲学ほかには皆目無縁で、ただただ無学無知生き恥をさらしながら、(もかすかにまなび)一生活者としての人生を今も歩んでいるに過ぎない。
出汁は煮干しと昆布

母は言っていた。小事を大事に生きなさいと。齢を重ねるにしたがってますます母の言葉が沁みる年齢となってきて、有難く思う私である。

話は変わるが、最近数年ぶりに娘の言葉に従い、(ありがたいことに家族全員がわが体を案じてくれる、私は素直になってきた)健康診断のために病院に行ったのだが、血糖値が高いということで 、自らの生活を反省し、簡単な調理を試みている。

結果、どういうことになるのかが楽しみなので、しばらくの間、あらゆることを自制し、禁欲的に、生活してみようと自らに課しているのだが、3日坊主にならないように自らに戒めている。簡単調理は楽しい。小事をとにかく丁寧に生きる(ようにつとめたい)、母の命日に誓う。





2018-03-09

1998年に亡くなった、母の命日の前日に想う。

明日は母の命日であり、敗戦の年の東京大空襲の日であり、明後日は東北津波大震災、原発事故の日である。

当時私は59歳、7年の時が流れた。あれから私自身の生活が表面はともかく、内面生活がやはり微妙に変化してきてるということを、実感している。

そのことに関しての、ことさらの言及は五十鈴川だよりでは控えるが、あきらかに身の回りの何気ない、当たり前の手の届く範囲の日常生活を大切にするようになってきた自分がいる。

それと先日も書いたが、無数のおびただしい想い半ばで、旅立たれた過去の死者たちのことを、のーたりんの私も遅ればせながらいくばくか考えるようになってきた。

いくばくか考えるようになってきて最近思うのは、 無知なるがゆえの渇望が、老いてゆきつつも、深まってゆくのだという我が身の実感である。

外見は老いてゆきつつも、内面はいまだ激しく揺れ動き、老いてゆく中で若いころには感じなかったことが、ようやくにして感じるようになってきたことが、あるという発見である。
宝石のような文章がちりばめられている、肩を押される。

例えば、シェイクスピア遊声塾を立ち上げ(東北の大震災がなかったらおそらく遊声塾はなかった)5年が経ち、今リア王という傑作に塾生共々、7月7日の発表会に向かっているのだが、作品を深く理解し味あうのに、この年齢で読めることの幸運を想うのである。

息が浅くなり、若い頃のようには大声が出せなくても、80歳のリアの息を、感情を発露するには、それなりの人生の辛酸を生きてきた感情の襞が、無駄なく生かされ、老いた息というものが、大いに役に立つということの発見である。

発見がないと、不特定多数の方に観ていただくという表現行為は、私にはできない。ささやかに私のエネルギーの根拠を、私の母を始め無数の声なき声の中に、わずかであれ見つけ続けたい。

末尾にアーサービナードさんの【日々の非常口】という随筆本の中に見つけた、村の夕暮れ、というエッセイの中の、(いまわの挨拶)という詩を(ロングフェローという方の)。

【見栄えは違うが、本当は老いが、若さに負けないくらいの可能性を孕んでいる。陽が沈み、夕闇が迫ると、昼間はまったく見えなかった星が、天いっぱいに現れる】






2018-03-07

身近な死者たち以外の、死者たちのことも身近に考える。

最近高村薫さんの小説を読んだばかりだったので、新聞に高村薫という文字を見つけると、すぐに目がゆく。
他者の死に敏感でありたい

高村薫さんの小説のブックデザインを長年にわたり手掛けておられたという、装丁家、多田和博さんが、2月18日、享年69歳でお亡くなりになり、一文を寄せられ悼んでおられる。(すばらしい)

このところ、大杉漣さんはじめ同年代の方の訃報に接することが多いので、いささか否応なく、死について考えることが、多いように思うし、五十鈴川だよりでも書き連ねることが多い。

長寿を祝う社会の風潮には、異を唱えるものでは決してないが、長生きばかりが、幸福であるなんてことは、決して言えないと私は思っている。


要は何事にもほどよいあんばい、ある程度の千差万別のその方らしい、引き際、寿命をこそ生きられたら、(現時点でだが)と思わずにはいられない。その人らしい死に際、があるのではないか、あえて言えば、これからは、そこをこそ考えつつ、私などは日々を送りたく思うのである。


40過ぎまでは、死を特別に意識することもなく、ただただやみくもに生きてきたが、還暦を過ぎてからは、意識的に死を考えようと、努めている。
ご近所のしだれ梅

だから、今後も繰り返し書くだろうけれど、死と生を分けて生きるのではなく、そこはかと、日々の暮らしの中で折々死を意識することで、何とはなしに生を敏感に、新鮮に感じながら、生きていられるように心がけたいのである。

凡夫の私などに、大変に難しいことは重々承知ではあるけれども、凡夫は凡夫なりに、身近な死者たち以外の死についても考えられる、現在のこの陽だまりのような初老時間が、かけがえがなく思える。

死を想うことで、ささやかに健やかでありたい、寒春である。




2018-03-06

今日の新聞を読み、味わうことで今日を生き延びる、そして思う。

ちょっと寒の戻りのような朝の温度であったが、日差しを浴び、声を出しながら歩く先、近所の庭先の梅の花の一気の開花が、春を告げている。自然と直結しているわが体も緩む。

さて、退職後というか、生活に時間 の余裕が生まれてから、新聞、小説、随筆を含め、あらゆる日本語の文字を以前よりも、ずっと落ち着いて、丁寧に読むようになってきたように思える。

それとともに、いかに自分という存在が、言葉を紡ぎながらよたよたと思考をしているのかが、わかるようになってきた。言葉、文字に以前にもまして敏感になりつつある(ように思える)。
一日に何か一つ心が動く記事を見つけたいと思う
文字を通して、何かを見つける、感動する、内なる何かが揺れる。

知的な(かすかであれ)悦びには、今のところ年齢などは全く関係がないのだということを、今年になってますます実感している。足るを知り、無限世界の言葉にたゆたう。

それは、やはり気づいた時から、無知なればこそ知る悦びが味わえるのだという、いささか逆説めく、唯我独尊的わがままな発想によるとはいえ、人生一巡り、還暦を超えたら人生の晩年くらい、唯我独尊に生きてもいいのでは、と考える。

他者と比較するなんて愚を、私はこれまでの人生でほとんど選択してこなかったし、すべてを置かれたところの暮らし向きの中で、耕し掘り進み 、苦楽し今も生きている。


このような記事を見つけるために新聞を購読する

自分には才能がないのでは、との不安感に、思春期から20代の 青年期、何度も何度もかられたものだが、30代に入り自分は自分の人生を悔いなく生きる、といささかオーバーだが、腹をくくったところあたりから、運命の女神が好転し始めたのだ、と今は思える。

簡単に絶望したり、あきらめたりするのは、あまりにも私にはもったいないという気がしてならない、命あれば人生は長い。どんなことが人生に待ち受けているのか誰しもわからないのである。

目先の勝負なんて本当にどうでもいいのだ、パラリンピックのアスリートにみる、人間の無限の可能性、程度差はあってもどなたにだって備わっている。

カッコ悪くても人(他者はは無責任に勝手なことをほざく)に何を言われようが、気にはしても振り回される必要はまるでない。ほんのわずかであれ、やれば可能性は拓く、やらなければ無で終わる。そういう側から、私は世界を生きてゆきたい(よしんば明日倒れても)

若い時、特に金がなく、ずいぶんみじめな思いをあじわったが、(結果つくづくそれが良かった)自分で自分を楽しませるしか、ほかに私には方法がなかった。在るのは、不確かでひ弱なわが体だけ。私は全財産ともいえるわが身体にしがみつき、何とか生きてきた。

そしていまも、まったく若かりし頃と同じように、わが体にしがみついて 生きている。身体とは、何と不思議な器であろうか。

どこかの先人哲学者の言葉であったかと思う。体は私が作ったものではない、気が付いたらこの世にいたのだ。人間は、こころにも、身体にも衣をまとわないと、息ができない存在なのかもしれない。

リアの言葉【人間・衣裳を剥ぎとれば・おまえのように・あわれな裸の二本足の動物にすぎぬ】リア王という傑作は、人間の運命、存在の奥深い闇を容赦なく私に突きつける。

リア王の登場人物たちは、運命とたたかっている。運命と生きている。私もささやかに運命を生きるしかない。









2018-03-03

初めて高村薫さんの小説、【土の記】上下を読みました。

初めて高村薫さんの小説、土の記上下を読んだ。いわゆる純文学といわれる本を、ほとんどこれまで私は読んでこなかった。

だが、折々新聞などで高村さんの発言などをたまたま読み、ほぼ私と同世代の、この作家に関心をもっていた。何かこれまで読んだことがなく、今を生きる私に必要な手ごわい小説が読みたかった。

私は本(の種類にもよるが)を読むのは極めて遅い、特に高村薫さんのような、独自のその人にしか書けない自在な創作文体を、一行一行読み進むのは、かなりの根気が私には必要だった。

が、主人公が72歳で 【土の記】というタイトルに惹かれ、稲の栽培に関しての記述や、そのほかにも異なる分野の専門的な用語に、多々読めない漢字があって、しばし難儀しながらも、何故か読み進められたのは、やはり現代の高齢化家族の抱えている、不毛の闇を丸ごと描こうという、作家の比類ない挑戦に撃たれたからだ。

本能的良心がにじみでる作家が、数年かけ心血を振り絞って書いた小説を、わずかな時間で読み、読んだ気になってしまうのは、空恐ろしいことだといわねばならない。

巷間、日々数多の小説が出版されるが、私などが手にし、冷静に深く読める時間、本は限られている。縁とたまたまのタイミングでの本との出会いなのである。


よたよたとで、はあるが、わずかずつ長年にわたって本を読み続けてきたおかげで、 年齢を重ねるにつけ、良き本に巡り合うようになってきた。

2月は随分と五十鈴川だよりを書いているが、それはきっと良き本に巡り合い、日本語という文字、言葉で考える生き物として、言語による想像力が私の中で刺激され、かろうじて何かがわが体の中で、分泌されているからである。(本だけではもちろんない)

私が今求める作品は、なにがしかの、現代の解決不可能に思えるような問題から目をそらさず意識的に果敢に取り組み、挑戦している作家の本、読者が求める正解やカタルシス(そういう本も私は好きではある)ばかりではなく、未知の想像力を刺激してくれる本である。

数冊の本を時間帯で読み分けながら、【土の記】上下500ページを読み終えたが、この同時代の未曾有のカオスの中、一筋の光を(困難な道)探究する作家の言葉に撃たれた。




2018-03-02

春の嵐の日にアーサー・ビナードさんにお手紙を書く。

昨日は春の嵐が吹き荒れ、北国では強風と吹雪が続いて災禍が報じられている。今朝は一転穏やかな朝で、私は春の日差しが一番入り込む部屋で、しばしの五十鈴川だよりじかんである。

初老の、曰く微妙に揺れ動く自分の中の心身のうつろいを、週に何回かつづれるいっときのおかげで、充実の日々を過ごしている。(気がしている)過ごせていなければ、臆面もなく、書き綴れるわけもなく五十鈴川だよりは、当の昔におえていただろう。

一言、確認自問自答、日々のわがきわめて個人的雑記録が、五十鈴川だよりなのだと、あらためて思う。つたなくはあっても、何やらの想いがつづれると、数日間は何も書かなくても、良きリズムで日々が過ごせるのである。



アーサービナードさんは私が人生で初めて出遭えた詩人である
そうこうしているうちに、徐々に徐々にあの寒かった冬が去り、しずしずと春の気配がそこかしこに感じられ、冬を忘れることによって、新たにめぐりくる春を新鮮に生きられるというのが、身体に備わっている、人間の摂理というものかもしれない。人間は環境から逃れえない生き物である。

ともあれ、生きている限り、私は私の一回生をそれなりに絶対矛盾を抱えながら、可能な限り五十鈴川だよりを綴ることでの、内省時間を大切にしたいと思うのである。

さて、昨日午前中アーサー・ビナードさん、兄、年上の友人宛に3通お手紙をかいた。メールでのやり取りももちろん可能なのだが、最近万年筆でできるだけ手紙やはがきを書く時間を、大切にしたいと思うようになってきた。
詩人の感性が横溢、シェイクスピアの引用がそこかしこに出てくる

畏敬、敬愛する アーサービナードさんは、いまだにケータイを持たれていない、都内を移動する時には、雨の日以外は自転車で移動しているというほどの、グローバル化という一見美名な時代の大波には、安易に飲み込まれない、強靭な筋金入りの感性の持ち主、そのような方に手紙が書けるというだけで、私はうれしい。

私は思想信条も浅薄至極、ではあるが、年下の異国の方の、恐れ入るほどの日本語能力のもとに(英語も含めた多言語能力、疑う好奇心つまりは、彼の思想)徹底した 生き方を実践されているのを、わずかでも学びたく思う日々なのである。やわらかい頑固者に憧れる。

絵本の翻訳他お仕事は多岐にわたっている
先日念願かなって初めてお目にかかり、すでにもっていた本に講演が始まる前 サインをお願いした際に、お手紙を書きたいので住所を教えてくださいと、ぶしつけではあったが、いきなり申し出たのだが、ビナードさんは淡々と書いてくださり、何と電話番号、まで記してくださったのである。

人間は、直感で何かを感じるものである。私は理屈よりも直感を信じる。逆の立場、私だったらどうしたであろうか。日本語ぽこリポコリを読んで、氏の類まれなユーモアとその博識、教養の深さ、人間性に撃たれていた私は、詩人が見ず知らずの私に住所を書いてくださる自信があった、私の直感は当たった。

氏の発言や書かれている言葉には、嘘偽りの言葉がまったくない、限りない人類への愛の想いの深さ、氏が見つけた日本語の日本人も知らない、気づかない、思いもよらぬ発見の言葉が絶望的なまでに満ち満ちている。

氏は、このままでは日本語が廃れてゆく、この時代の趨勢を絶望的なまでに危惧している。異国の方がである。 一庶民、日本人の端くれとして、先人が生活の端々で紡いできた日本語の素晴らしさを学びなおしたいと、感じ取りたいと、思わずにはいられない。