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2021-02-28

昨夜BSで石原裕次郎さんをしのぶドキュメンタリーを見て、私の昭和に浸りました。

 朝が来た。時は流れ2月最後の日。本当に一日一日が、この歳になると変なたとえだが愛おしく感じる。今日も元気で要られることへの感謝が深まる。感謝の念は健康だからこそ湧いてくる。健康でなかったら、五十鈴川だよりを書くことは先ずかなわないだろう。

書きいつながら想うのだが 、以前も書いたかもしれないが年齢を経るにしたがって、五十鈴川だよりの流れは、細くなり書く回数も減り、いずれは諸行無常の世界へと回帰してゆくのだろう。

だが今はまだおかげさまで、週に何度か五十鈴川だよりを書くことで、今現在のおもいや体調ほかを確認できる。そのことがあり難く特定の宗教は持たない私だが、故郷のご先祖の地にある宇納間神社に詣でたいと思う気持ちが、日に日に強くなるのを抑えることができない。

このところ減少傾向にあるとはいえ、このコロナ感染ウイルスとの共存は長い展望を持って臨まないと、以前の様な終結宣言は望めないのではないかという気がしてならない。

以前も書いたが、いつどこで誰がかかってもふしげではないのがコロナ感染症、自分なりに過密を避けッ手洗いやマスクをしたうえでも、万一完成した場合のことを考える。

過剰な風評などが、あっという間に飛び交うこのネット社会、の網から逃れるには自分で対処すよりは、私のような老いらく脳天気凡夫は、細心の注意をもってできるだけデジタル世界は近親者との交流にのみにして、限りなく前近代的アナログ地上生活を可能なら、全うしたいと夢見るのである。

話は変わるが、私の青春時代大スターであった、石原裕次郎さんの足跡をしのぶドキュメンタリーをBSで観た。なんと3時間の枠。エンターテイメント映画を多く手掛けていたがためにあまり作品を見た記憶がないのだが、高校生のころ由美かおるさんと共演した映画を見た記憶がある。由美かおるさんの鮮烈さの方が、男の私には記憶に残っているのだが、もう半世紀前のおぼろな記憶。でも懐かしい。

珍しく3時間画面をみ、私自身の昭和の思い出と重ね合わせながら、じっくりと見入った。番組の終わり、遺されたシンプルな優しい言葉の中に、青春という言葉に対する祐次郎さんの伝言が伝えられた。

 年齢を超えた熱き思い。これまで生きてきた中での大事なヒトや仲間とのとの宝の思い出をいかに発酵させ、これからの生きる糧にできるのか、できないのかが、大事なのだと知らされた。

戦後10年目に創られた映画、狂った果実の共演で運命的な出会いの末、結ばれ結婚し、最後まで献身的に見守られた奥様に昭和の女性の鏡を見るのは、時代にそぐわぬ初老男の単なる感傷である。

一途。全う。けなげさ、というものに私は惹かれる。私の母もそうだが、私の中の男としての一方的な思い込みである。男性女性の間に正解などというものはありえない。 

再び話は飛ぶが、このところ三船敏郎さんもそうだが、昭和の大スターをしのぶすぐれたドキュメンタリーを目にする。黒澤明のフィルムといえば三船敏郎という存在は不可欠であった。

とまあ、このようなことを朝から書き始めたら単なる思い出五十鈴川だよりになってしまうが、いくばくかコロナ感染症が収まり移動がしやすくなったら石原裕次郎記念館にも、いつの日にか行ってみたくなった。それにしても石原裕次郎の魅力とは何だったのか。笑顔が素晴らしい。



2021-02-23

【身の丈の 苦楽ライフを 念う春】2月23日朝の五十鈴川だより。

 朝が来た。できるだけお金に頼らない生活を心かける、なんてことを初老男の私は何度もすでに書いているが、このことに関してはたぶん、五十鈴川だよりを書けなくなるまで、繰り返し歌の文句のように、さざ波のように書き続けるのではないかという気がしている。

安易にほかの方と比較する愚は避けるが、小さいころからつましい暮らしをしながら、子供5人を育ててくれた両親を見ているし、義理の両親もまたしかりなので、華美な暮らしをしたいとも思わないし、私には似合わないのである。

フランス料理もイタリア料理も、おびただしい世界のお料理も食べたいとはまるで私は思わない。(上京し娘たちが作ってくれたものはいただくが)年のせいもあるが今となっては、幼かりし頃に、舌の味れいが味わった食物、つまり幼少期に頂いた食べ物さえあれば、十分なご馳走の私なのである。

それにもう十分に、私の胃袋は若くはない。老いゆく胃袋を満たしてくれる、年齢にあった できるだけ手の込まない、簡単にできて、栄養が足りていれば十分なのである。それよりなにより、おなかのすく生活が私には大事である。

おなかが空いていれば、炊き立てのご飯に梅干し、かつお節、海苔、具のたくさん入った出汁が十分にきいているお味噌汁があれば十分である。

妻が仕事で不在の時、休日のお昼を私は還暦以後自炊しているし、妻がフルタイムの日は私が簡単な夕飯の準備も私は楽しむように心かけている。 時にコロナ渦中生活の今、外食を(生誕日以外)まずしなくなった。したがって生活費が以前にもましてかからない。

つましくも余裕のある、時間を大切にする手の届く暮らしへとシフトダウン。動ける身体をキープする食べ物への感謝。余分な情報は入れず、これまでいただいた過分な情報を消化し深めてゆく老い楽ライフを追求し、時代に迎合せず足元ライフを深めてゆきたいのである。

18歳から、かつかつ経済的困窮生活を、長きにわたって私なりに経験してきたおかげで、お金の有難さ怖さが、多少は身についている。お金は人格を変える。友情さえも。だから私はお金にできる限り頼りたくはないのである。両親がしていたように、お金はいざという時に、家族や大切な他者それぞれが必要な時に備えておくものである。(と今私は思っている)

ささやかなお金を、もう十分に自分のためには使ってきた。老いのこれからは他者のためにというか、はやりの言葉でいうなら、サステナブル的に使えたらと考える。若い時に見た芝居、毒を盛った言葉の名人劇作家、つかこうへい氏の作中人物が【身を粉にして働き・お金を貯め・哀しく使っている】というセリフが強く記憶に残っている。

話は変わる、衣類も還暦以後、ほとんど新しいものは娘たちのプレゼントで足りている。この10年くらいは普段は古いものを繰り返し着ているのだが、十分に足りているし、洗濯さえしてあれば古くても十分である。

何故新しい衣類がほとんど不必要かといえば、この数十年体形がほとんど変わらず体重も変化していないので、いまだ十分に着ることができるから、なのである。

今となっては穴の開いたジーンズなど、高価だそうだが、私のは着古して十数年たち、本当に自然に風化したジーンズなので、愛着がある。要は本人が満足していて、身の丈に合い、その人らしさが出ていればそれでいいのである。。

仕事着、普段着、おしゃれ着、冠婚葬祭の服、つましい暮らしの中で そろえてきたもので、もうすでに十分に足りている。オスカーワイルドは衣裳は肉体の一部だといっているが、やはり着こなしにはその人らしさがにじみ出ると、私は想う。老いゆく我が身を磨くために、限られたお小遣いに感謝して、哀しく使うのではなくうれしく使いたい私である。

幼少期駄菓子屋のくじ引きお菓子を、わずかなお小遣いで買えた時の喜びが、いまだに私の体の奥底に残っている。私は時代錯誤を生きている、生きてゆきたいという瘋癲老人的傾向を自覚している。


 

2021-02-21

弓仲間、I氏とラインを結び、関係性を深め共に弓をの世界を修養したいと、穏やかな春の朝に想う。

 また弓の話か、と思われる向きもあるかと思うがご容赦いただきたい。今年になり少し矢のころ合いが、ほんの少しだが落ち着いてきたように思えるので、今年一年は特に稽古を意識的に行いたく、なるべく短い時間でも総社まで出かけようと考えている。

あとは続けられるかどうかだが 、今のところ何とか続けている。今日も五十鈴川だよりを書きあげたら出かける。午後は長島愛生園で所用が在るのでゆく予定ではなかったのだが、ゆくことにした。

というのは総社で出会えた弓仲間の一人の(以前五十鈴川だよりでちょっと触れた方)I氏の存在がある。昨日はK高校が専用で使用していたので、午後2時半に道場に着き、多くの高校生がいなくなり一人で静かに稽古をしていたら、いつものようにK氏がゆっくり飄然と現れ、それからは二人だけで稽古時間が流れた。いい時間だった。

氏はぼそぼそと口先から五十鈴川だより読みましたよ、と直接私に語り掛けてくれたので、面はゆく私は照れたが、やはりちょっとうれしかった。声を出すこともそうだが、ひとりでも稽古は可能だが、気の合う仲間との稽古、それも世代が異なる仲間との稽古が私は好きである。

長くなるので短く書くが、社会の分断化、個人閉じこもり時代とでもいうしかない、極端に閉塞感漂う、私がこれまでの人生では経験したことがない、人間と人間の関係性の弱まりという状況が続いている時代、言葉数は少ないのだが修養を積むための、良き稽古仲間I氏がいることは、喜びである。ヒトには気の合う仲間、友人が不可欠である(特に私は)

昨日はI氏との二人きりでの稽古で、気の合う仲間の存在のありがたみを一段と感じながらの稽古をすることができ、そのことへの感謝、嬉しさが私に五十鈴川だよりをかかせているのである。私の住む西大寺から総社の道場まで往復通いながら、稽古をするのは時間的にも大変ではあるのだが、大変だと思うと行きどまるので、何とか今年から週三回は道場に通う時間を作りたいと思っている。

良き稽古仲間の存在が、私を総社に向かわせるのである。奥深き弓の世界の入口に入ったばかりの私であるが、分断時代を超え、共に弓に打ち込める仲間との世代を超えての仲間との実のある共有、出会いを素直に喜んでいる私である。

氏とはラインで関係性を深めてゆきたいと思っている、春である。

2021-02-20

【梅の香に気持ち沈めて鼻よせる】お休みの朝に想う。

 珍しく朝寝坊し、ゆっくりと起きた。たまには休日こういう日もある。私は機械ではない。血が流れている、いまだ煩悩多き庶民初老凡夫である。

私はすでに何度か書いているが 、眠ることが好きである。寝てよく休んだ脳でないと、とてもではないと五十鈴川だよりは書けないし、書く気にもならない。新しい一日を、なるべく新鮮なニュウートラル状態でつづれればという、淡い思いがあるのである。

歳と共に何を綴ろうかなんてことも、ほとんど考えない。書いているうちに何やら文章らしきものがつづりたくなってきて、文が呼び水になって次第につづれている、といったあんばい。何を綴るのかが、判然としないから面白いのである。(今日はこのような五十鈴川だよりになってしまったという意外性、自分のおもい、無意識が顕現化してくる)

最近たまに読み返したりするが、自分が書いたのではなく、自分の中の何かが書かせているのだという気がする。だから書いてみて初めて今の自分の思考が整理され、いまだ揺れ動く初老凡夫の今のおもいがあぶりだされている。

どこか時ににやり場のない思いなども、書くことで自浄作用が働いて、気分が落ち着いたりするので、理屈ではなく、やはりわがままな内的発露なのである、と自己認識している。

と、話は変わるが、佐藤愛子大先輩や、おなくなりになってしまったが(生き方のお手本憧れる方)外山滋比古先生他、私がこれからを生きてゆく上での足元を照らしてくださる方の著書を手元に置き、中庸普通を旨とし、極端に走らず、庶民感覚を基本に老いを見つめたい。

だがいまだ、時に怒りが湧き上がるし、理不尽なことにはささやかにも老いの怒りを綴るくらいの気概のある五十鈴川だよりでありたいとも思う。コトバの上っ面でまことしやかに庶民を丸め込む不逞の輩(政治家の不毛な嘘・官僚の改ざん、企業人の改ざん、嘘の答弁、詐欺師、わんさか呆れ書ききれない)。丸め込まれる側にも問題がある、と小生は思う。

普段から、ゆめゆめ油断せず生きていないと、知らず知らずのうちに流され、丸め込まれる。話は変わるが、正義を振りかざし言葉尻をとらえ、ヒステリックなまでに鬼の首でも取ったかのように居丈高に、追求する輩も理屈ではなく、私はどうにも苦手である。

昔人に憧れる私は、現代人の聲の質がどうにも変容してきたように思えてならない。あらゆる分野の日本人の声に落ち着きがなくなって、軽くなっているように思える(のだ)。

かくゆう私もその任をまぬかれないという自覚がある。だからなのである五十鈴川だよりを書くことで自戒するのである。ではどうすればいいのかは、各人が考えるしかほかには方法がないのだが、地に足をつけての落ち着いた生活、とにかく体を使い、体を動かしながら考える癖を身につける(ように心かけている)、安易に体を甘やかさない。

 肉体労働、生活諸事、雑巾がげ、薪割、趣味の弓など体を 一日動かすと年相応にくたびれる。湯たんぽ抱いてぐっすりと眠れる。疲れればヒトは寝るのである。ほとんどの庶民昔人は栄養は足りなかったと思うが、ひたすら体を動かし、健康に生き健康に黄泉の国に旅立ったのではないかと、想像する。

私は祖先の昔人の生活をおもう。健康でなければ、長生きもむなしく感じてしまう、今の私だ。だから、私は孫の成長を見守るためにも、今しばらく健康なおじじでありたいと念うのである。




2021-02-18

寒い朝・コロナ以前と・以後想う。

 【春の雲かなたにトンビ地に雲雀】 一日一句を娘たち家族に奨められ、俳句帳などもいただいたのでつづけている。弓は65歳から、俳句は一応69歳の生誕日からということにした。あとは継続である。

弓と違って俳句は気楽に詠める手軽さがある。姉も俳句をやっていると聞いているので、やがて弓も声を出すこともかなわぬようになったときのためにも、思いついたら吉日、始めることにした。

まだ始めたばかりだが、何やらうれしい。どこか生活する中で自然と湧き上がる感光を、暮らしのあれやこれやを、限られた文字数の中で、表せられたら何やらどこか愉しい。

五十鈴川だよりは毎日は書けないのだが、俳句だったら毎日詠むことが可能におもえるし、時によったら数句詠むことだってできるかもしれない、などと考えてしまうが、ともあれ何らかの形で、継続して俳句を詠もうと、古希を前にして何やら粛然としてしまう、三日坊主で終わってしまうかもしれないが、とにかく今はただ継続したいとおもうわたしだ。

話を変える。先日の私の生誕日は春を思わせるあたたかいひであったのだが、この数日風が強く寒い一日が続いている。先ほど新聞を取りに行ったのだが、かなり冷えていた。北海道は猛烈な吹雪の大寒波に襲われているとのことである。青春の終わり、もう三十路に入っていた私だが、足掛け三回の冬を富良野で経験したことがある。

マイナス30℃を超えた寒さと吹雪のすさまじさ。今でも宮崎生まれの私がよくもまあ、富良野での厳しい生活に耐えられたものであると、我ながら時に感心してしまう。今日はこれから肉体労働アルバイトなので、またゆっくりと書くこともあると思うが、あの富良野体験で、私の中では何かがくっきりはっきり変わってしまった、とだけは言える。

あの体験がなかったら、まず岡山に移住することは思いつかなかったし、一から人生をやり直そうとの覚悟も生まれなかったことは、五十鈴川だよりにきちんと書いておきたい。

わたくしごときでも何度かのギリギリ体験を潜り抜けて今がある。尊敬する高齢の現代美術家の篠田桃紅さんのお言葉にあったと記憶するが、人生は一本の線であると。今日があるから明日があり、命の線は一瞬たりとも滞ることなく流れ、その都度の選択の日々を、ヒトは生きなおしてゆく存在なのだと、あらためて思い知らされる。

この年齢で初めて経験しているコロナ渦中生活、どこかこれまで経験してきた自分の歩みが、この非常事態を助けてくれているかのような気がする、今の生活である。

18歳から働き始め何とか糊口をしのぎ、今もまたささやかなフリーター生活。命あっての物種。生きのびる。なりふり構わず生活する。話は変わるが、私はひたすら愚直に 、けなげに生きている人間が好きである。とくにどん底経験を潜り抜けた人、いろんなアルバイトを若い時にしたおかげで、肩書や外見、権威を着飾るような輩は、本能的に見分ける。

身体を這(張って)ってささやかに、しゃんと立って働いている、とくに体全部を使って働いている肉体労働者に惹かれる。もっと言えば身体を使うことの喜びがわかっている、腕に自信がある職人さんたち、私に言わせればお百姓さんはまさに土の芸術家である。

多種多様な職種でコロナ渦中、我々の生活を支えている現場で働く、報道されない、目に見えない無数の人たちのことを想像する。サンテクジュぺりは本当に大切なことは目に見えないという。

リア王のグロスターは言う。目が見えた時はよくつまずいたと。嵐の荒野をさまよい無一物になり、80歳のリアは言う、わしは今まで何も気づいていなかったと。ヒトは(私は)なくしてみて初めて心から大切なものに気づく存在、なのかもしれない。

コロナが終息したら、また元の木阿弥になるのであろうか。コロナ以前と以後。私自身はどうなるのか、ならないのか。

2021-02-14

コロナ渦中生活、本を読む態度がずいぶんと変化しました。そして想う。

 夜が明けた。【老いの朝・春の気配に・息を吸う】今年から真面目に俳句を学ぼうと思う。五十鈴川だよりの理想としては、最後は俳句で終えることである。

その境地に近づくために、学びながら(季語もろくに知らない、事俳句に限らず無知蒙昧であることを私は十分に自覚している)これからの未知の時間を、蟻おじじのように、のろのろと厳粛に歩んでゆきたい。 

さて、昨日は私のお誕生日だったが、のうのうと書くことは控えるが、つましくも十分に幸福感に満たされた良き、暖かき春の一日であったことを、五十鈴川だよりにきちんと書いておく。(妻と娘たち家族に感謝する・40年以上続いている友人からのメールにも)

さて、数日前から関川夏央 著【子規、最後の八年】を読み始めた。四〇〇ページ近い内容が詰まった、読み応えのある本である。一日に読める分量を決めて少しづつ読んでいるのだが、子規が生きた明治の匂い、交友関係が濃厚に立ち込め、つめこまれていて、読み進むのが面白く想像力が刺激される。

このコロナ渦中生活で、私の本の読み方に多少の変化が訪れている。以前よりも時間をかけてゆっくりと丁寧に読むようになってきたのである。

ひとりの作家が、何年もかけて心血を注いで書きあげた評伝を、短時間で読んで、読んだような気になる愚を避けるようになってきた。五〇ページくらい読んで現在の自分の生活に響かない書物は、いかに名著の誉が高くとも読まなくなった。

一〇代の終わりくらいから、徐々に本を読むようになってきた私だが、20代、30代は生活に追われ、(それでも読んではいたが)じっくりと読めるようになったのは、中世夢が原に職を得て以後、40歳からの往復の通勤時間の22年間である。

それぞれの年代で、読書の傾向は変わってゆく。一庶民の読書という自覚が私にははなはだ強い。18歳から世の中に出て働き始めた私は、演劇を学ぶという少々無謀な選択をしたからである。(無謀ともいえるが今となってはよかった)若かりし私は、夢と現実のはざまに、何度もの挫折を繰り返し、転機を迎えるたびに、書物にすくわれた。

読んだ書物は少ないのだが、20歳で読んだ【チャップリンの自伝】(中野好夫訳、最近新訳が出たので半世紀ぶりに読んでみたい)新書版だが、開高健著【過去と未来の国々】、小田実著、【何でも見てやろう】、五木寛之著【ゴキブリの歌・風に吹かれて】木村治美著【黄昏のロンドンから】大江健三郎著【厳粛な綱渡り】沢木幸太郎著【人の砂漠】山本七平著【日本人とユダヤ人】などなど書いていると、次々と思い出される。

アルバイトに終われていたので、エッセイや紀行記文が多い。あれから半世紀、年齢が上がるにしたがっての生活の変化に伴い、刺激を受ける本は変化しているが、一貫して変わらないのは、ごく普通の生活者としての良識、生きる糧必須アイテムとして、本を読み続けているのには変わりはない。

長い中断の果て、忽然と還暦を過ぎて、シェイクスピア作品を音読し始めて感じたのは、多読することではなく、数は少なくても手元に置き、繰り返し時に声を出して読み、汲めども尽きせぬ知恵の塊ともいえる宝石に巡り合えた。幸運である。もう3年前になるが、リア王を一年かけて音読、身体で読んだ時の体験は、(作品のリアは80歳の設定)これからの私の人生の先行きを照らしてくれている。

人生は短く限られた時間の中での読書体験は、時に人生を左右してしまうほどの切実な感光をもたらす。今も続くコロナ渦中生活で、ひときわ良き読書体験持てている。運命はどう展開してゆくのか、、、。未知の世界を照らしめてくれる古典に静かに触れたい。

 

2021-02-13

弓を始めてまる4年、69歳生誕の朝に想う。

我ながら時に恥ずかしくも、自己愛が過ぎるという趣、傾向が自分には強いという気が最近つとにするが、何故このようなことを、朝いちばんのっけから書いているのかというと、今日は私の69回目の生誕日だからである。自分の誕生日をことさらに、五十鈴川だよりに臆面もなくつづる初老男の厚顔さに呆れもするが、もう還暦も過ぎ来年は古希を迎えるのだから、お許しあれというしかない。

世の中に出るまで親に誕生日を祝ってもらった記憶がない。世の中に出てからもことさらに自分でも誕生日のお祝いに関する記憶がない。私が毎年誕生日がうれしくなったのは、私に家族が でき、妻や娘たちに毎年のように祝ってもらえるようになってからである。

話を変える。確実に老いつつある今を、ことさらこの数年意識するようになってきた。というのは自分自身はさほど急激に老いているという自覚は、今のところうすいのだが、私が影響を受けた年上の世代の方々や、同世代の方々の訃報を頻繁に目にするようになってきたからである。お会いしたこともない方の死がなぜこうも私を惑わすのか。

あきらかに言えることは、私は直接間接問わず、他者とのこれまでの出会いの蓄積の上に存在しているからである。親をはじめとする、特に影響を受けた方の死は 大きい。

生と死、愛と死、老いと死、病と死、このようなどこか不条理な運命の迷路を、ヒトは有史以来、現在も彷徨い、答えのない謎を抱えながら日々を送っているのに違いない。ましてコロナ渦中にむかえた今年の生誕日は、やはりわたしにとっては特別な感慨に襲われる。

もう何十回も書いている気がするが、時代、風土環境、生まれも死も選ぶことができず、何かに導かれるようにヒトは生きてゆかざるを得ない。この年まで、何はともあれ生きることができたことに たいして、まずは素直に家族はじめ多大なご縁の在った方々に私は感謝する。

物心つく以前から、自分という存在はいったいどこからやってきたのだろうかという、漠然たる茫漠とした不安感を抱えて生きてきたがゆえに、演劇などという虚構の世界に逃げ込んだ青年期の私だったのだが、家庭を持ち子供に恵まれ現実世界に引き戻され、しばしそのようなことは深く考えもせず生きてこの年齢まで生きてきた。

だが子育ての責任を終え、老いゆくにつれて、再びどこへ向かうのかという、永遠に答えのない迷宮世界に関心が向かっている。もっと書くなら、いかに生きながら【死について】考えることができるのかという答えのない命題。

うまく言葉にできない、この歳になっても、いまだに湧き上がってくる何かに突き動かされて、老い凡夫の日々を過ごしている中で導かれたのが弓である。弓の世界との巡り合いは必然ではなかったのかと思えるほどに、老いゆく今、いっとき呪縛から開放される。


2021-02-11

弓を始めてまる4年、昨日初めて4矢連続して的中しました、そして想う。

 今日もまた金太郎あめのような五十鈴川だよりを綴れる、ささやかにも、我ながら脳天気な良き祝日の朝である。

友人からは梅の花の咲いている写真が送られてきたが、私も先日総社の道場に向かう車窓から民家に咲く梅の花を見た。日に日に日が沈むのが遅くなり、平日の夕刻家で 巻き藁をしていると日没の西日が刺しいり、しばしなんとも言えない厳粛な気分になる。夜明けの日の出もまたしかりである。

寒暖を繰り返し確実に季節は春へと向かっている。と共に、いくばくかコロナの感染者も減少傾向にあるのはうれしいが、まだまだ油断大敵である。雨の日でも日は昇る。私の人生で初めて経験する、未曾有のパンデミック非情事態の中の老い凡夫生活、昔人のように身の回りの小さき家事に集中して日々の些事を面白半分で過ごすように心かけている。

若かったら、オンラインで動画を見たり聞いたり、あれやこれやじたばたと不安解消におもむくかもしれないが、もうとうにじたばたする年齢ではない。年相応に夢中になれる(家族に迷惑をかけず)ことにこそ、今は貴重な時間を集中している。

集中といえば、弓を射るのにはことさら集中力が絶対的に不可欠である。老いるという摂理に、まるであらがうかのように、かなりの負荷が体にかかるのをはねのけるかのように弓を射る。時に身体が思うにまかせず絶望的な気分に何度も陥ったが、何をくよくよ川端柳、今射らずしていつ射るのだと自分を鼓舞し、とくにこのコロナ渦中生活、稽古を積んでいる。

明後日で、弓を始めてまる4年。昨日午後お天気も良かったので弓の稽古に 出かけた。一回に4矢射るのは先に書いた。これまで何度か3矢的中はあったのだが、4矢的中は経験したことがなかった。昨日の稽古、三回目に初めて4矢続けて的中したのである。稽古の積み重ねの成果が出た(と思う)。

かろうじて68歳で4矢的中の経験ができた事実は、 極めて個人的な喜ばしき出来事なので、五十鈴川だよりに書いておきたい。私の尊敬する作家、(さほど読んではいないが帚木蓬生さんはシェイクスピアが大好きなのである)帚木蓬生さんが老い活という言葉を提唱しておられる。老いゆく身体を甘やかさないで活動する。然りと私はうなずく。

若い時とは異なり、必然的に静かに動くのである。弓はまさに静かにしか動かないが、内面は激しく揺れ動く。いやでもおのれの心と体が著しく試される。おのれの心の動きが体に現れる。正しい体の動きにならないと、できないと、矢は的に向かってくれない。

一言でいえば難しい。だが射貫いた的の音はなんとも言えない。正直、漸く弓の世界の入口にたどり着いたかのような心持、道はさらにさらに遠い。小学校低学年、ただ五十鈴川で泳ぎたくて、舗装もされていない、あの曲がりくねった遠き途をトボトボと歩いたことをおもいだす私である。


2021-02-07

穏やかな陽気の中弓の稽古、総社で出会えた弓仲間、I氏に弓の弦を張り直していただきました、そして想う。

 昨日は、穏やかな春を感じさせるのに十分な陽気に恵まれ、一日を気持ちよく過ごすことができた。妻が仕事だったので、午前中、私は昨年の9月の終わりごろから通っている総社の道場に稽古に行った。

道が空いていて予定よりも早く着いたら、道場にはまだ誰もいなかった。雲一つない快晴で風もなく、道場の床には春の陽光が 降り注いでいた。普段通り準備して、的前に立ち一回に4矢射るのだが、4矢めをひいていると土曜日の常連である1氏が姿を現した。

コロナ渦中、総社に通いだしておおよそ5カ月になる。I氏は私がわけもわからぬ中、昨年秋の総社のスポーツ大会に出た時に、チームを組んだ3人の中のおひとりである。以来少しく言葉を交わすようになった。5段の上級者、言葉、物腰が柔らかく、こと弓に関しては先達先輩である。

名刺も差し上げていなかったのだが、詳細は省くが、五十鈴川だよりを読んだといわれ、昨日初めて名刺を差し上げた。

わたしは、義理の息子の影響で、たまたま老いてもできそうな、いわば軽い気持ちで弓を始めた。65歳の誕生日から始めたので、もう間もなく丸4年になる。限りある時間、あれもこれもはできないと一度断念したのだが、故郷の兄の家の近くにある、個人幸節館道場、I先生、御年85歳との出会いが私を再び弓への世界を導いた。弓歴70年芯から弓を愛する方である。

コロナ渦中のこの一年、総社の道場に通うまでは家で巻き藁稽古をするだけであったが、I先生に岡山で定期的に稽古できる場所を見つけなさいといわれ、縁があったのが総社の道場だったのである。縁としか言えない、ほかは私とは水が合わなかった。

以来、5カ月が過ぎようとしている。 総社の道場で知己を得たI氏をはじめとする、世代を超えて弓の稽古ができる仲間との出会いは私にとって大きい。I氏はゆったりと落ち着いて、至らぬ初老男の弓の所作ほかを指摘してくれる。有難い方である。

何事も身につくのには、時間がかかる。この年齢で、よもやまさか弓の稽古に、今風に言うならはまるとは思いもしなかったが、何故か今のところ継続して定期的に弓の稽古を続けている自分がいる。

平均すると週に2回は西大寺から総社に通っている。先行きの見えないコロナ渦中生活、弓に打ち込める身体が未だあるということの有難さ、生活の中に楕円の両極、肉体労働アルバイトと体と精神を研ぎ澄ます弓の稽古、老いゆく中集中力を養うのには必須である。I氏を含めた総社で出会えた弓仲間の存在に私は深く感謝する。

2021-02-06

姿勢を低くして、雑草の芽吹きに見入り、お金に限りなく頼らず、老いを見つめたい。

 世事に関することはもうほとんど書く気がないほどに、ときに、私の初老常識的な感覚が世間とのずれ齟齬を感じることは、すでに何度もかいている。五十鈴川だよりに書く気も失せるが政治家の堕落ブリには目をおおいたくなる。できるだけ日々の暮らしの何気ない有難さを綴りたい五十鈴川だよりなのだが、いまだに怒りが湧いてくる初老男である。怒りは大事だ。

民主主義の代表が聞いてあきれる。品位や矜持、知性、思想性、言葉の使い方、重さがまるで感じられないのは寂しい限り、お粗末というしかない。瞬時に世界の笑いものになるこの時代。私は恐ろしい。絵に描いたような血の通わない言葉のやりとりを聞いていると気が滅入ってくる。私の若いころとまったくといっていいほど変わっていない。いや、もっとひどくなっているかもしれない。若者が政治に関心を持たないのもうなずけるが、これはやはりまずい。好奇心や冒険は若い時にしかできないある種の無謀さも良識の範囲で許される、いわば若気の至りというしかない特権だからである。

すべてのつけは無関心から始まり、やがてはおのれの身の上に降りかかってくるのは、歴史を鑑みれば自明である。いつの時代も特に弱いものの上に降りかかってくる。だからこそ弱さを自覚するものほど無関心ではいけないのである。

養老先生がおっしゃっていたと記憶するが、生きてゆくというのは毎日がけっぷちを歩いてゆくようなものと。だから日々をどんな小さき生き物もきちんと用心深く生きなければ、大きなものに巻かれてしまうのである。

コトバは毒にも薬にもなり、かってに独り歩きし、疑心暗鬼にさせ人の心を奪ってしまう。真実の言葉と騙る言葉との境界を見極める知恵を見つけないと、ツイッターの140文字に、飲み込まれてしまう。毒にも凶器にもなる言葉、危うい時代の洪水の波に飲み込まれないようにしないとまずいと、脳天気初老男は自戒する。私などは特に甘い言葉に騙されやすい。

 話を変える。森会長の発言に関しても、今の社会通念とのあまりのずれ、感覚の麻痺、時代錯誤としか言いようがないほどの、ある種の痛ましさを私はは感じてしまう。他人ごとではない、昔から老害という言葉がある、もうじき古希を迎えようとしている私なども、自戒しないと危ない。

私は自分が時代についてゆけない、ついてゆく気もない初老凡夫を自覚しているつもりである。建前としてではあっても、老いては子に従え という考えである、もっと言うなら未来人たちの良識あると想える人たちの考えに、従うというという意味である。

自分が高齢者の仲間に入ってみてつくづく思うのは、もうすでに十分に社会的な役割を終えた人間は、できる限り未来人たちの行く末を見守る側に立ち、社会のお邪魔にならないように老いてゆくのか、下るのかということをカッコつければ思念したい。

最後に若い方々の中には哲学のある肉体を持った、血の通ったデジタルハイパーテクノロジーを自由自在に駆使し 新しい文化を創造している人新世の方々が、世界的に顕れているのが、希望である。デジタルもまた、毒にも薬にもなる。私は愛のある哲学的愚者の賢人の出現を夢見る。


2021-02-04

立春が過ぎて想う朝。

月日は流れ、立春が過ぎ、日がかすかに長くなり早咲きの梅の写真が今朝の新聞に掲載されていた。確実に春の気配を、目には見えねど感じられる。ただ一人の人間として、日本の風土の中、九州は宮崎の海山川がすぐ近くにある、山里に生を受けた幸せを、歳を重ねるにしたがってひしひしと感じる。

両親がなくなり、この数十年少なくても年に二回、多い時は4回ほどお墓参りがてら故郷に帰省して英気を養ってきたが、この一年のコロナ渦で4カ月以上帰れずにいる。五十鈴川の河口の小さな町に生まれた私は 、【五十鈴川だより】と書かずにはいられないほどに、わがひなびた、さびれた、故郷への、偏愛は老いの深まりと共に、さらに深まってゆくように思われる。

どんな旧所明媚な観光地よりも、故郷の土地に私の精神と体が落ち着くのは、何故だかはわからない。この半世紀で無残といってもいいほどに町の姿は変化したが、かろうじて山河は私の記憶の原風景をとどめている。そして何よりも姉や兄たちが元気にしていて、頻繁に帰省する愚弟を暖かく迎えてくれるからだ。有難いというほかはない。

ふるさとの・訛り懐かし停車場の・人混みにそを聴きにゆく。と啄木は詠んでいるが、私もふるさとに帰ると、会話が一瞬で訛り丸出しになるになる。裸になれる場所が故郷である。

コロナ渦中で、故郷への回帰旅がかなわぬことはつらいが、オンラインで画面越しに、ここはじっと辛抱するよりほかない。それにしても感染症の恐ろしさに今だ世界が激震している中、家族親族、身近な方がたのかろうじての健康が保たれているのは禍福というほかはない。

やはり人社会のルールを守ってヒトとの接触が極端に少ない、日常生活を持続しているからなのだろうが、そうもいかないあらゆる現役時代バリバリの職種の人、あまたの多様な接触現場仕事の人たちの、ご苦労は想像を絶する。

春がきて、一日も早いコロナの終息が見えるまでは、今のところ忍耐、辛抱という言葉が今の私には一番しっくりくる。命あっての物種である。今は人と向かい合う時間をさけて、土と向かい合いたい。

 


2021-02-01

如月に入った朝に想う。

 如月。さあ今日から2月である。早く休むので必然の摂理、早く目覚める。頭と体がすっきりしていたら、睡眠が足りているので、まだ暗い中私はゆったりと始動する。電気をぱちぱちとはつけない。目を凝らして細心の注意をしながら家人を起こさないようにして、できるだけ暗い中、電気をつけないで一階に降りてコーヒーを入れる。

暗いのはやはりどこか怖いが、怖いという感覚が人間には必要であると考える。だからどこか謙虚になる。幼い時の原風景の記憶、暗い室内裸電球が灯っていた。だからなのだろう、あまりの現代のどこもかしこもの明るさが、私は苦手である。暗いと精神が落ち着く。

あまりの現代文明的蛍光灯白色文化に私がなじめないのはそのせいである。漆黒の闇は私を、いやがうえにも私を内省的にさせる。恐れながらも、私は闇をどこか愛する。

老いてくると、やがては闇の中に吸い込まれてゆく自分を、闇の中で感じ始めつつめざめ、命の在り難さを想い、さあ今日も一日生きようと、夜明け前の体に熱いコーヒーを流し込みながら、五十鈴川だよりを綴るのである。一杯のコーヒーが沁みる。

まさに闇の中で、五十鈴川だよりを綴るいっときの私は、時に昼間の自分とはどこか体の感覚が違う、別次元のさなかをさまよっているかのような趣である。自分とは刻一刻変化し続ける空っぽの器というしかない。

老いの深まりと共に、幼かりし頃の原風景感覚が 蘇るのはなぜなのだろう。幼少期の私の原風景の海山川には、空き缶やブラスチックのごみというものがまったくなかった。移動手段は自転車くらいであったから、それはそれはのどかで、周りの人々の所作や言葉遣いものんびりと閑雅であった。

今は昔、きっと私はいよいよもって現代文明、超ハイテクテクノロジー、便利快適社会からは置き去りにされてゆくに違いない。でもそれはそれでいいのだという思いが私にはあるのだ。娘や孫たち未来世代が新しい時代を生きて作ってゆくのを眺めるのが楽しみである。

さて、コロナウイルスの猛威のことも、このところの五十鈴川だよりにはほとんど触れていない。以前も書いたかもしれないが、移動したり、ヒトに頻繁にあったりすることがほとんどない初老凡夫生活なので、私の生活はさほどほとんどかわらないのである。

孫の成長する姿を時折眺められないのがつらいくらいで 、誤解を招くかもしれないが、どこかこの先の見えないコロナ渦中生活を、面白く生きるべく知恵を絞って楽しんでいる,のだ。

昨日も夫婦して春に植える野菜の土づくりのため、ほぼ半日畑の草取りをし、肥料をまき、ささやかな菜園場を小さな耕運機で攪拌した。土の匂いを嗅ぎ、手ごわい草と格闘し、鍬で縁を整えると、小さな畑が出来上がる。

バイト先の小さな菜園場。我々夫婦と犬のメルしかいない。穏やかな暖かいお天気に恵まれ、春を待ちわびながら厳冬期でさえ、根を張り伸びていた草が取り除かれた菜園場は、見違えるように変身。肉体労働の後の青空の下の熱いお茶がまたおいしい。

生きて在る事の、何たるシンプルさ。世の中に出て半世紀、突然のコロナウイルスの猛威は、この半世紀の私の過ぎし来し方に想いをはせさせ内省させる、またとない時間を与えてくれている。