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2021-02-13

弓を始めてまる4年、69歳生誕の朝に想う。

我ながら時に恥ずかしくも、自己愛が過ぎるという趣、傾向が自分には強いという気が最近つとにするが、何故このようなことを、朝いちばんのっけから書いているのかというと、今日は私の69回目の生誕日だからである。自分の誕生日をことさらに、五十鈴川だよりに臆面もなくつづる初老男の厚顔さに呆れもするが、もう還暦も過ぎ来年は古希を迎えるのだから、お許しあれというしかない。

世の中に出るまで親に誕生日を祝ってもらった記憶がない。世の中に出てからもことさらに自分でも誕生日のお祝いに関する記憶がない。私が毎年誕生日がうれしくなったのは、私に家族が でき、妻や娘たちに毎年のように祝ってもらえるようになってからである。

話を変える。確実に老いつつある今を、ことさらこの数年意識するようになってきた。というのは自分自身はさほど急激に老いているという自覚は、今のところうすいのだが、私が影響を受けた年上の世代の方々や、同世代の方々の訃報を頻繁に目にするようになってきたからである。お会いしたこともない方の死がなぜこうも私を惑わすのか。

あきらかに言えることは、私は直接間接問わず、他者とのこれまでの出会いの蓄積の上に存在しているからである。親をはじめとする、特に影響を受けた方の死は 大きい。

生と死、愛と死、老いと死、病と死、このようなどこか不条理な運命の迷路を、ヒトは有史以来、現在も彷徨い、答えのない謎を抱えながら日々を送っているのに違いない。ましてコロナ渦中にむかえた今年の生誕日は、やはりわたしにとっては特別な感慨に襲われる。

もう何十回も書いている気がするが、時代、風土環境、生まれも死も選ぶことができず、何かに導かれるようにヒトは生きてゆかざるを得ない。この年まで、何はともあれ生きることができたことに たいして、まずは素直に家族はじめ多大なご縁の在った方々に私は感謝する。

物心つく以前から、自分という存在はいったいどこからやってきたのだろうかという、漠然たる茫漠とした不安感を抱えて生きてきたがゆえに、演劇などという虚構の世界に逃げ込んだ青年期の私だったのだが、家庭を持ち子供に恵まれ現実世界に引き戻され、しばしそのようなことは深く考えもせず生きてこの年齢まで生きてきた。

だが子育ての責任を終え、老いゆくにつれて、再びどこへ向かうのかという、永遠に答えのない迷宮世界に関心が向かっている。もっと書くなら、いかに生きながら【死について】考えることができるのかという答えのない命題。

うまく言葉にできない、この歳になっても、いまだに湧き上がってくる何かに突き動かされて、老い凡夫の日々を過ごしている中で導かれたのが弓である。弓の世界との巡り合いは必然ではなかったのかと思えるほどに、老いゆく今、いっとき呪縛から開放される。


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