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2016-01-31

今日は午後S女史との2回目の稽古があります。

今日はS女史との2回目の稽古があるので、何とはなしにブログを書く気があまりおきないのだが、ほんのちょっとでいいから書いておきたいという気がする朝である。

今日は稽古が昼なのでちょっと在り難い。事実として運転にメガネは義務づけられてはいないが、いわゆる私は老眼である。

先日の夜の稽古、文庫本の福田恒存訳は文字が小さくて、ぎっしり文字が詰め込まれていて追うのに一苦労したので、昼の稽古はちょっとどうなるかが楽しみなのである。

文字がある程度体にしみてくるまでは 、私の場合口を動かすしかない。小田島訳と福田訳では言葉を発してみてまったくとは言わないまでも、かなりことなるのだ。

あえて書けば、小田島訳は読みやすく福田役は読みにくい。だが初めて声に出す福田訳は私にははなはだ新鮮で面白いのである。

ただどちらも日本語として言葉を発するのには全く変わりはない。今現在のわが体にすがりながら、自分が発する言葉をひたすら探しながらの作業、つまりは稽古を積むしかないのである。

そのためには、私なりの工夫をしながら稽古を積み上げてゆきたいとの今は思いである。 どれだけ現在のわが体を知ることができるか。

汝自身を知れというが、もう間もなく64歳を迎えるにあたって、現在値の自分の体を知りたいという思いがにわかに私の中で湧いてきているのである。

間違いの喜劇を全幕一人で読みたいという試みも、例えれば素手で、丸腰で山に登るような感覚に近いが、ただただ読んでみたいという単なる思い付き遊び心である。

照明も音楽も衣装も まったくなにもなし。無防備に幾人かの来てくださる方に見て聞いていただくだけ、である。

S女史との稽古はこれとは全く異なる。だから楽しみなのだと今は書くにとどめる。


2016-01-30

夏の夜、ㇽネスでやる舞台のS女史との稽古が昨夜初めて在りました。

三日もブログを書かないと、何やら随分書いていないという気がする。その間はちょっと気分がブログの方には向かわなかったのである。

火曜夜、カルチャーセンターでのレッスン、水曜日は遊声塾、そして昨夜はS女史と私がこの夏にやることになった、舞踏と私の語りによる初めてのレッスンがあり、そのために気持ちがブログに向かわなかったのである。

さて、昨夜の初めてのS女史とのレッスンは、一言でいえば引き受けてよかったとの思いが稽古を終えた私の中に湧いてきた。

どのようなレッスンであったのかを書くのは、ことさら伝える必要もないとは思うが、彼女のイメージ力の世界に、私の体が反応する声を探しながらの稽古で、とても新鮮な感覚が私に蘇る体のものだった。

二月の頭から約ひと月彼女はひと月仕事でパリにでにゆくので、それまでにあと2回ほどレッスンの予定である。

二人で一時間半の舞台の約半分ほどを夏の夜の夢のセリフ、残りは彼女の舞踏でのコラボレーションとなるが、ことさらに舞踏と言葉と分ける必要はまったくない。

3時間近くはかかる膨大な言葉の中から、主に妖精の世界と職人世界からs女史が抽出した言葉を私が語ることになる。

とにかく、稽古しながらイメージを 手探りで固めてゆくことになる。大変な作業だが、私にとっては初めての経験なので楽しみである。

彼女は舞台の衣裳や、小道具も可能な限り自分で創る想像力の持ち主なので、私の中に私の潜在的なものを(いまだ眠っている)引き出してくれそうな予感がして、大変だが面白いのである。

ともあれ賽は投げられたのだから、あとは敢然と稽古するだけであるとの思いだ。遊声塾では小田島訳でのレッスンだが、(まだ決定ではない)昨夜は福田恒存訳での稽古。

初めての福田恒存訳での稽古は、小田島訳とはまた異なった日本語の豊かさが随所に感じられて、これはまた実に新鮮な日本語の魅力が、声に出すとわが体に響いて きた。

夏の夜の夢に登場するボトムのセリフではないが、あとはただS女史の抽出力、イメージ力に身をゆだね、大胆に稽古してゆく覚悟である。

老いつつある体とどれだけ格闘できるかが今は楽しみである、と書いておきたい。

2016-01-26

2016年、私は30数年ぶり舞台に立つことになりました。

1932年生まれ、83歳の五木寛之さんが、【嫌老社会を超えて】、という本を書かれている。氏の小説はほとんど読んでいないが、若いころから今に至るも 、エッセイの類はかなり読んで影響を受けている。

氏の思考能力の柔軟さは、(根源といってもいい)どこから来ているのかが 伺え興味深い。

氏をはじめ、佐藤優さんなど私が好きな作家が、冷静な時代観察者として、主に本を通じて発言されているのを読むと、単細胞の私などはへえーっこんな見方、考え方もあるのかと 驚く。

いま日本は超高齢化社会に突入し、私も含めた団塊の世代の多くがまさに岐路に立たされているかのように、オーバーではなく、生き方征き方を迫られているといっても過言ではない。

五十鈴川だよりを書き綴る中で、未知の、当たり前だが、初めて経験する自分の老いてゆく移ろいを、今後ますます自分は書きながら、やがては書けなくなるのだから書いておこうという自意識から逃がれられない。

以前も書いたかもしれないが、もし私が父の年齢まで生きられるとしたら、これから20年近くを生きるということになる。

ゼロ歳の孫がいたら二十歳になるというわけだ。未知の領域の老いてゆく体を見つめながら、いかように生きゆくのかということについて、ささやかに考え続けながら、書き続けてゆこうというくらいに今は留め置く。
ドレスデンでの妻と下の娘

さて話は変わるが、今年は私にとってまた一つの大きな転機が訪れることになった。私は若いころ演劇を学んでいたのだが、その世界からは足を洗って岡山に移住した。

あれから丸23年が経過する今年、ほぼ3数年ぶりに舞台に立つことになった。これは私にとって全く意外性に富む、予期しない出来事である。

昨年から私のブログを読んでおられる方はご存じだから、くどくど書くことはしない。昨日本番の日にちが決まった。

7月29日(金)夜、場所は岡山ㇽネスホールである。S女史の舞踏と、私のシェイクスピアの言葉(夏の夜の夢からの抜粋)のコラボになる。思いもかけぬオファーを私が受けた形である。

一度は断念した演劇的世界を、なぜ今やることにしたのかを書くのは、上手く伝えられないので省くが、ただ一つ言えることは五木寛之さん流の言に倣えば、自立(律動)した老人を目指したいからである。

それから、第三回のシェイクスピア遊声塾の発表会【間違いの喜劇】は、【4月2日(土曜)午後2時】から、翌日【4月3日、同じく午後2時からヒダカトモフミが一人で、間違いの喜劇を、全幕一人で遊読します】あくまでも、個人的な発表会です。

いずれも入場無料です。簡単なチラシを作るつもりですが、先着 40名程度なので、五十鈴川だよりを読んでくださっている方は、今日から受け付けます。ご高覧くださいますようお願い申し上げます。





2016-01-24

杖を突いて山道を歩く母の姿に感じ入る。

昨日午後から竹韻庵に行った。寒波が近づいている中少し迷ったが私がゆくといったら、妻も母も防寒具に身を固め愛犬メルを連れて同行してくれた。

家で昼食を済ませ、一時すぎから3時半まで、竹韻庵で過ごした。母と妻は玉ねぎに寒肥をやる作業や、小さな笹の根を 拾い集めてくれた。私はもっぱら太い孟宗竹の根をうがす作業。

寒空の下であれ、やっていると体が温まり、上着を一枚脱がずにはいられないほどになる。30分後には、母も妻も防寒衣装を脱いでひたすら体を動かしていた。

寒いとついつい体を動かさなくなるがほんの少しでも体を動かした方が私はいいと思う。肥料を土に練りこみながらの母の手つきは、82歳なのに無駄がなく手早い。

この季節、長時間はさせられないが、一時間くらいならまだまだ十分に大丈夫。 母が竹韻庵に来るのはもうすでに4回目くらいだが、私が本気で大地と格闘しているのを目の当たりにして手伝うといってくれているのだ。

その気持ちが本当にうれしく有難い。あれやこれやの心配りはまさに実践者だからこそが身に着けた賜物で、本を読んだりして身につけたものではない。

ドレスデン大学の友人たちに祝福されている怜君と娘
まさに頭で学んだことではなく、腰の痛さも含め全身で身につけた賜物なのである。

やがては鍬も振るえなくなる時がやってくるとは思うが、その時のことよりも3人で過ごせる 今を脳裡に刻み付けたいと私は思う。

妻が東京の娘に動画を送るといいねの返事。

娘たちもやがては体を動かすことの喜びを身に着けてほしいとは思うが、親がやっていればいずれきっとやってくれると私は信ずる。

午後3時過ぎ急に空気がつめたくなったので、早々に竹韻庵を後にしたが、童女のように愉しそうに杖を突いて山道を歩く姿を見ていると、誘ってよかったと安堵した。妻が母を支えて親子で歩く山道。

結局、母はそのまま我が家で 夕飯をし泊まって休んでいる。母がいると家族の中に芯の棒が宿っている安心感につつまれる。

このような個人的な事柄を臆面もなくつづりたくなるのは、家族とは何かという日本社会をおおう大きな根源的な問題が山積蔓延しているからである。私にとっても避けては通れない大きな問題である。

だから、きわめて個人的に私にとっての気持ちのいい家族とは何かを、実践を通じる中で考え続ける営為を怠りたくはないというというくらいに、いまは留め置くことにしたい。

今日は妻の誕生日、命の連鎖を寿ぐ日である。


2016-01-22

淡々とひとり竹韻庵で孟宗竹の竹の根をつるはしでうがし、思う。

昨年7月下旬から竹韻庵がよいが始まり見よう見まねで、自分で笹の根を開墾しながらミニの畑を作り、そこに初めて植えたチシャトウが、食べられるほどに成長して、わずかだが収穫し近しき人たちにおすそ分けした。天然チシャトウは格別の味である。

一番たくさん植えている玉ねぎは別にして、ブロッコリーやネギもそれなりに育っているのがうれしい。

最近竹韻庵では、そんなに長時間は働いていない。もっぱら山から畑地に侵入してくる孟宗竹の太い根をつるはしでうがして除去する根気のいる作業を継続してやっている。

今の私の年齢では一日に正味2時間もやれば十分だと、体と相談しながらのらりくらりやっている。息が上がれば腰を下ろして整え、またつるはしを振り下ろす。

初めての経験、根は土の下で数十年の間に縦横無尽、四方八方に根を伸ばしている。こればかりはやったものにしかわからない、くらいの根気がいる。昨日2メートル以上の根を一時間近くかけてそのままの形でうがした。

まさに体がいうことを聞かなければ、竹韻庵通いは叶わぬ夢である。夢が原で十分に体を動かしていたからこそ、有難いことに今も私の体は動いている。

まさにいかに日々の生活の蓄積が体に反映するのかを 如実に物語っている証左である。自分でも信じられないくらいである。

若い頃の私は理屈が勝っていて、身体はとんと動かない 青二才だったのだから。だが富良野の大地でいやというほど鍛えられてから、身体が変わり意識も変わった。

生まれて初めて、ひょろりとした肉体にいささかの芯の棒が通ったような自信が持てたのである。以来、オーバーではなく体さえ元気なら何とか生きてゆけるとの確信がもて、いまに至っているという気がしている。

体が萎えると、ヒトという生き物はあっという間に精神も萎える。この間も久方ぶりに歯が傷みほかのことに集中することがかなわなかったが、体が健康でなければとてもではないがブログなど書けるはずもない。

どんなに細々とではあれ、無理せず無理して,五十鈴川は流れる がままに今をたゆたうのである。昨日は大寒だったが、地面の下ではすでにタケノコの赤ちゃんが芽吹いている。

まさに人間世界とは異なるリズムで大地はものも言わず、春の訪れを水面下で育んでいる。初老の私にとっての竹韻庵竹の根ほり通いは、日々の暮らしに新たなリズムをもたらす。竹韻庵(里山)は夢を育み、身体を鍛えるにはジムであり聖地である。

2016-01-21

塾生の一人M女史のこと。

昨夜、今年2回目遊声塾のレッスンがあった。現在、香川から月に一度わざわざ参加する塾生も入れると、7名の塾生が私にはいる。

以前も一度書いた記憶があるのだが、はなはだ個人的なシェイクスピア遊声塾によもやまさか7名のかたが寒い冬、大変な仕事を抱えながら、しかも平日の夜、参加してくださっている事実に、時折夢のような感覚にひたることがある。

昨夜は、私も含め7名での熱きレッスンが展開した。何度も書いているがシェイクスピアの言葉、劇言語を肉体を通して声に出すというのは、はなはだもって大変なことなのである。

まさに無謀な塾を私は立ちあげてしまったのである。だがこの間も書いたが、このような無謀な塾に参加してくださっている塾生は、本当に奇特な方たちだという思いが私にはある。

貴重極まる、月謝まで払って私の塾に参加してくださる 面々に対して、私はかなり自分のありのままの恥ずかしい姿をさらけだしてレッスンを行っている。

意外と思われるかもしれないが、私は自意識が強く身内以外には(当たり前だが)なかなか自分をさらけ出せない。私の一番恥ずかしい姿をさらけだ せるのは家族だけである。

話を戻す、そのような塾生の中に20年来の友人M女史がいる。ひょっとすると彼女はキリスト教徒なのかもしれないが(本人には確認していない)博愛精神の持ち主である。

塾を立ち上げた時からずっと参加してくださっているが、社長、税理士としての お仕事が忙しく月に一度か二度しか参加できず、しかも来られる時間帯はほとんど9時近くなのである。

私はそれぞれの塾生の、今を生きるギリギリの生活環境の中で、何かを感じ求めている年齢の異なる方々に対して、精いっぱい乏しい才能でそれぞれの塾生に向かい合っている。プロを目指している一番若いH君には細かく厳しくやっている。

M女史にはほとんど細かいレッスンをつけることはない。体に留意して時折声を出しに来てくださるだけで私には十分な塾生だからである。彼女はほかの塾生たちを思いやれる懐のひろい稀な方である。

ひたむき、一生懸命に、シンプルに 声を出し続けているとみんなそれぞれにいい顔になってくるのが不思議なのだが、遊声塾はそんなに優しい塾ではない。

あのあまりにも魅力的な登場人物に、それぞれの肉体の血を通わせ、生きた言葉を発するのは至難といってもいい。

ときに、かなりの繰り返しの厳しきレッスンになるが、ギリギリのところで精神と肉体を研ぎ澄まさないと、なかなかにシェイクスピアの言葉は立ち上がってこないのだ。

話は変わるが、昨夜レッスンを 終えた後、M女史が昨日私が書いたブログの本の著者名を教えてくださいと言っていたので、この場を借りてお知らせします。

間違っていました。お許しください。中山祐次郎著【幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと】幻冬舎新書です。

S女史はお忙しきさなか、きちんと私のブログも読んでくださっている。わたしにとって稀ななかまである。

2016-01-20

若き外科医がかかれた新書版の死についての考察本を読み、思う。

1980年生まれの若き外科医(中山しんじろう著)が書いた本をたまたま図書館で手にし、手すきの時間に昨夜読みおえた。

新書版で読みやすいので、今朝妻にも読んでみたらと手渡した。メメントモリ、死について想う、伝えたいことの現時点での一切が若き血潮で語られている。

全存在をかけて書いた本に対する軽はずみな寸評は、ブログでは控えるが一言私にはとても共感することが多く、あらためて若い方々に素晴らしき感性の持ち主が、多分野に輩出していることを知らされた。

ささやかに、いま生きていることへの感謝や、あれやこれやの思いが私をして恥をかくことを顧みず、五十鈴川だよりを書かせている。

まさに生きていること、存在していることの漠たる不思議な思いが、この年齢にしても私の中では深まりつつある気配なのだ。

まさに人間の定義は数々あれど、真理はひとつ、人間は確実に死ぬということである。ならばいかに生きるべきかを、中山医師 は思考し伝えている。

いかに生きるべきかを考えることは、いかに死ぬべきかを考えることだと、言葉では耳にする。寿命の長短はあれ、ヒトはやがて死ぬ。

ならばいかように生きて、いかように末後の時を迎えるのかは、私個人にとっても他人ごとではない一大事である。初めて書くが、そのお迎えに向かって今を私は生きている。死という一点を見据えて生きる勇気をささやかに日々育みたいのである。

【おそらくその際、もう私は私自身から解き放たれている存在に還っていて私という自意識から自由になっていると思う】

 中山医師も書いているが、ヒトはやがては死ぬためにこそ玉響の生を生きざるを得ない、はかなくもまた永遠に揺らぐ存在であるということにしがみついて、私などは じたばたと生きているという認識である。

いつまでも在ると思うなわが命なのである。私が繰り返しバカのように書いているw・シェイクスピアは生と死というあたかも対になるような概念を、死にながら生き、生きながら死ぬ、精神と肉体を合わせもつ、はかなき存在の人間の素晴らしさを、絶対矛盾のなかで劇的に表現しているかに思える。

おかげさまで私は元気でブログを書き、声を発する幸福を噛みしめられる今日を生きているが、明日は不確かななのである。

だからなのだと思う、命を確認するかの如くブログを書いて いるのは。粉雪舞い散るあさ、洗濯物を干しながら朝日を浴び、冷たくなった手に息を吹きかけられるのも、生きているからこそである。

2016-01-19

昨日舞踏家S女史のお宅に3時間ほどお邪魔して語り合いました。

昨日午前中、夏にコラボレーションする舞踏家のS女史の家にお邪魔し、3時間近くいろんなお話をさせていただいた。

青天霹靂、思わぬ舞踏家からの共演オファー関しては、私の中では驚きの感情が抜けきっていなかったのだが、昨日漸くにして私の中でのある種の覚悟(オーバーだが)が固まった。

10日、両国のシアターXで私は彼女の舞踏を初めて体感したのだが、一言彼女にしか表現できない舞踏世界を築かれていて感動した。このような舞踏家にオファーされたのだ。

研ぎ澄まされた感性の現役バリバリの舞踏家と、33年ぶり、演劇の世界から足を洗い、子育てに専念し地に足の着いた平凡な普通の暮らしを、今も心かけている私に何ができるのかはまったく覚束ない。

このような私の思いに対し、彼女は私でいいというし、そのように生きている今現在の私だからこそいいのだというふうな物言いなのである。

だからこそなのだが、そういう彼女の感性に私は安心して自分を可能な限りさらけ出し、身をゆだね、引き受けようという気持ちになったのである。

転機、脱皮、殻を破るとか、いろんなことを体で感じヒトは成長してゆける器だという気が私はする。ひょっとするとS女史とのコラボによる意識と体の本質的な出会いは いよいよ老いてゆく道程の中での、私の中の何かを深め広げてくれるような予感がしている。

岡山の私の暮らしの中で、よもやまさかこのようなスリリングな出来事が出来するとは、、、。未知との遭遇を苦楽するほかはない。

がしかし、一つの舞台作品を創造するのは半端な情熱ではなしえない。制作のチームスタッフ作りから、煩雑なひとつ一つの手続きを冷静にすすめなければならない。

今回S女史の情熱にチームのメンバーとして私も参加することにしたが、 舞台に関する裏方、情報宣伝含めどのような方と出合えるのか、とても楽しみである。

岡山の中心地に位置するルネスホールで、S女史を中心にして何やら面白いことが起こる可能性の中の輪の一員に加われれば、2016年のスタートとしてはハラハラドキドキだが 楽しみだ。

2016-01-17

週末妻と母と3人でDYYをして平凡を遊ぶ。

昨日、約ひと月以上我が家の北面にあった足場がようやく解体された。お正月前後約2週間は全く壁に関しては、何もしてはいなかったのだが高いところの傷んだ通気口の修復などを妻がセンス良くやってくれたので、ほぼやれるだけは自力で何とかやれた。

9時から始まった解体は、設置するのとは違って正味一時間とちょっとですんでしまった。足場が無くなりすっきりしたので、妻はこの際北面に置いてあったガーデニングや家庭菜園に必要な道具やもろもろ一切をコンパクトに収納する、小さな雨除けの小屋を作るべく知恵を絞り、私と母が手伝った。

結果、午後3時過ぎには見事な収納小屋が完成した。(写真をまたいつの日にかアップします)経費はゼロ、ほとんどありあわせの材料で創意工夫しての見事な仕上がり、手前みそではなく妻と母はやはり親子、実に似ていて不要と思えるような残材のあれやこれやを、上手に工夫する。

DYYをまさに楽しんでいる。妻の働く会社の近くのほかの会社から不要になった分厚いコンパネの半分を2枚いただいてきたのを屋根の部分にしたのだが、買えばお金である。

妻はドリルや丸鋸も自分の判断で買いそろえて、それなりの出費はしながらも自分で作ることを、ことのほか楽しんでいる。

お正月のお飾りなんかも、さりげなく作って楽しんでいる。私は重いものを持ったりトンカチで打ち付けたりと、妻の手伝いをするだけなのだが それなりに実に楽しい。

妻も私も母も、お正月早々北面の家周りがすっきりと片付き、幸先良い他愛のない小さき幸福感をあじわった。

一事が万事という言葉がある。小さき感動を生む生活を持続しながら心がけるということの大切さをあらためて私は思う。

料理も掃除他、日々の暮らしの繰り返しの中でやらねばならぬあれやこれやを、いかに工夫して楽しめるか、いかんで日常生活が別の非日常的な相貌をもって立ち上がるのである。

面白いことは続く、昨日母はスーパーで買ったブロッコリー、いただいた生ラーメンほかの食材を、いつものように持参してやってきていた。

夕方、母が珍しく私が図書館で借りた、野菜の小鉢の料理の本を眺めている。このような野菜料理が食べたいという。

そこで、急きょ妻がその本に在る、ブロッコリーのピリ辛炒めを作ることにした。娘と妻がラーメンほかの夕食献立を準備をしてくれて、4人でのちょっとしたつましくもにぎやかな夕飯をおいしくいただくことができた。

夕飯だけは可能な限り、週に一,二回であれ全員で会話をしながらとるということが、いかに大切なことであるか。

母は、わずかな量だがコップ一杯のビールをおいしそうに飲む。82歳 の母の存在あればこその我が家である。結局昨夜母はてわがやにとまった。


2016-01-16

新年一番最初のシェイクスピア作品、【ヴェローナの二紳士】を声に出して読む。

夢が原を退職してもう間もなく丸3年が経とうとしている。今はまだ生きることにいそがしいその渦中のただなかにいるから、(この3年間の時間の重みはきっと、もしもっと私が存在し続けることができた場合)ゆっくりとは検証できないが、きっとあの時の決断がと思うときがやってくる、予感がする。

私が尊敬する演劇人、ピーターブルックは【死守せよ、が軽やかに手放せ】といっているが、どういう意味なのかは、各人が各々解釈すればいいのだと、私は思う。

以前も書いた記憶があるが、苦しみと悩みは私の中では大いに異なる。来月私は64歳になるのだが、いまだ私は悩みが尽きない。

いや語弊を顧みずいえば、生きることは悩みの連続、きっと生きている限りそのくびきからの解放はないのだろうという覚悟と自覚を深めつつある。だからこそ面白いのだという側に私は立つ。

何かを手放さないと、新しい展開は起きない。 たとへそれが傍目に悲惨な結末に終わろうとも、本人はきっと何か心の中にいくばくかの納得が得られるのではないかという気が私はする。

若い時の無手勝無謀というのではない、もうそろそろいい年齢に到達した中で、もう少しじたばたでできる範囲での、これまでの経験値を生かしての、遊び楽しみを見つけたいと思うのである。

その決断が、シェイクスピア遊声塾を私に立ち上げさせたのだ。何せ30年ぶりにシェイクスピアを読むのだからまったく自信はなかったが、悔いが残るやれるだけのことを今やるのだという、内なるかすかな情熱に私はしがみついた。

以来もう間もなく丸3年、毎日ではないがかなり声を日々出し続けている。出し続けてみてはっきりと感じることがある。やがては私のイメージする声は肉体の推移と共に出せなくなるという冷厳な真実である。

 誤解しないでほしいが、そのことを私は悲観的に思ってはいない。いつまで出せるのかは本人にもわからない。ただ今は出せるという 事実を愉しんでいるだけである。

生来の気質かもしれないが、どちらかといえば私は楽天家の部類に入るのではないかという気がする。オーバーではなく、一大決断し塾を立ち上げてつくづくよかったとの思いがいま私を満たす。

 素晴らしい生徒たちと過ごす週一度のレッスンは、かけがえのない純粋無の時間である。シェイクスピアの言葉の過剰な豊饒世界は、私の肉体と意識を研いでくれるのである。

よもやまさか、このような晩年時間が私を待っていたとは思いもしなかった。20代で若さに任せ読んでいた時とは全く異なる感覚で、いままた まっさらな心持でシェイクスピアの言葉に立ち向かう自分がいる。うれしく在り難い・

37本の膨大な作品群がそびえ立っているが、この3年で10数本の作品を声に出して読み 、つくづく思うことは言葉が言葉を生み出すそのあまりのというしかない天才性である。

どんなに気分がふさいでいるときでも 、【お気に召すまま】のふさぎ屋のジェイクイズのセリフを読めば、あるいはリア王のセリフを読めば、人生のあまりの深い真実が寸言違えず語られていて、若い時には感じなかった奥行を現在の体で、実感する。

レッスンではまだ読んでいないが、個人レッスンで今年一番最初の作品、ヴェローナの二紳士を今読んでいる。

いま私はシェイクスピアを読んでいるときが一番幸せである。今年はあまり読んだことがない歴史劇や悲劇も読めるうちにとにかく声に出してみたいと思っている。

2016-01-13

シアターXの会報に依頼された土取利行さんへの拙文。

【1978年ロンドンのヤングヴィック座で、26歳のときピーターブルック演出のユビュ王という芝居を観たのが土取利行さんとの出会い。若い私は衝撃を受けた。

以来、事情の許す限り氏の表現行為にははせ参じることにしている。氏は私にとって未知の世界を自由自在に往還し、いまに至るもびっくりさせ続ける水先案内人である。年齢を超越したかのようなあくなき表現行為の瑞水さは驚倒というほかに言葉がない。

フリージャズ、ほかのジャンルの多彩な表現者とのコラボ、ピーターブルックの舞台音楽、古代の音3部作、洞窟の音・・・。そしていま演歌のルーツを探究し、自ら三味線を手にし、今は亡きパートナー桃山晴衣の遺した貴重極まりない消えゆく世界を伝える演歌師としての壮絶な貌。氏は私にとって深い闇を掘り続けることを持続する超人である。

人類という生き物にとっての音への根源的探究と、人間にとっての自由という根源的な探究がいまも氏の中変幻自在に同居、マグマのように表出してやまない。

お正月早々、シアターXでの4回目になる添田唖蝉坊、明治大正の演歌の世界を聞いた。幸徳秋水が斬首されたのちに生まれた、ギロチンの歌には慄いた。知らぬではすまされないほどにすごい歌詞である。知らない歌を次から次に軽妙なお話と共に知らされる。

このような歌の存在さえ、私をはじめとする多くの大衆は知らぬ存ぜぬである。時代を飛び越え唖蝉坊がとりついたかのように、土取氏の肉体から発せられる 無名の民の声なき声、埋もれていた歌の数々は、現代というますます魑魅魍魎が跋扈する世界を閃光のように 照射する。

まことに持ってこのような端倪すべからざる音楽家がいまの日本に存在していることは誇りである。真の芸術家たちはいったいどこへ消えたのか。

強者の論理がまかり通り人の命などなんとも思わない世界の趨勢に対して、一矢報いる覚悟と気概には頭が下がる。氏の発する音と声は、弱き立場に生きているあらゆる声なき民に勇気を与える。
 
暗雲がひたひたと迫り、妖怪が暗躍するこの奇妙奇天烈現代世界、シアターXの継続企画は一抹の希望である。】




2016-01-08

歯の治療の合間にちょっと上京してきます。

新年早々、北朝鮮が核実験をし、新聞に目を凝らすと、一個人としてはあらためて心中穏やかならないのですが、やんごとなき世界情勢を憂いていても、途方に暮れるばかり。

4日から昨日7日まで、午前中竹韻庵に通いながら、今年も五十鈴川だよりは、静かに流れ始めている。
怜さんの大好きなドレスデンの森

一昨日シェイクスピア遊声塾、昨日山陽カルチャー、と今年初めての声出しレッスンが続きようやく私の中での、事始めがスタートしている。

なかなか落ち着いてブログを書く時間が持てないくらい、私個人は充実した新年(念)をスタートしていたのだが、5日の夜中急に歯が痛み出し、娘が推薦する岡山の歯医者さんに急きょ行った。

これまで行っていた歯医者さんとは違う歯医者さんである。まだ一回しかいってないがこれから週一程度通うことになりそうである。

言葉を発することを、生業にしている私としては、今しばらくのことではなく歯がとても大切なので、この際きちんと、徹底しての治療をするつもりである。

疲労が蓄積すると、免疫力が弱まり体の弱い部分に現れるので、この数日は十分な睡眠をとっている。

いい先生の手早い処置ですぐ痛みはひいたので、二日連続での夜のレッスンも普段通りこなすことができ、こうしてブログを書く元気も回復してきた。

身体はこうしてすぐ変調を知らせてくれるので有難いと思う。幸い体のほかの部分は、この年齢にしては、(われながら)すこぶる元気すぎて、やりすぎるくらいだから体の方がちょっとブレーキをかけてくれたのだと思う。

今年から二日連続して夜のレッスンに変わったことで、私の中ではいろんなことに集中して日にち的に有効に時間が使えるようになってきたのが有難い。

当初予定していた上京、思わぬ歯の痛みでしばし躊躇したのだが、歯の治療を最優先し予定より早く上京し早く帰ってくることにした。

というわけで、今日これから上京します。どうしても見ておかないと、聞いておかないといけない舞台が、たまたま同じ場所で連続してあるのもまた奇縁、出かけることにしたのである。場所は両国のシアターX(かいと呼ぶ)。

次回の歯の治療の日が決まっているので、今回は急きょ新幹線にした。各駅停車ののんびり時間旅は、次回の旅としたい。

持参する本は、佐藤優さんの新刊新書2冊(そんじょそこらの新書とはわけが違うくらい中身が濃い、資本主義について、一神教について、1000円もしないでこれだけの内容の講義が聴けるなんて)と外山滋比古先生の【老いの整理学】の3冊。

年齢的に旅のお供には軽い本が重宝する。新年早々のあわただしき3泊4日の旅になるが、この年齢なればこそこういう気ままな旅ができる在り難さ。

何度も書いているが、東京は22年間過ごした第二のふるさと。住んでいた時にはゆけなかったエリアをしばしのんびり散策するには東京は江戸から続く奥が深い都市である。

というわけで11日夜中の戻ります。



2016-01-04

私の中での仕事始めの朝ブログ。

昨日9時前に家を出て国道2号線がすいていたので兵庫県側から岡山県に入り大原町に着いたのが11時まえ、周辺を親子4人で少し散歩して、11時から入浴できる温泉に家族4人でゆっくりと入った。

開館と同時といったこともあったかもしれないが、温泉はすいていて本当に気持ちがよい、お正月早々の初湯を存分に堪能できた。

入浴後、そこから30キロ近くドライブし湯郷で昼食を済ませ娘がスマホで見つけた長福寺というお寺で初詣。見事な朱色の3重の塔があり詣でる人も少なく、周辺を散策し近くに滝があったのでそこにも行ってみた。

滝まで足を延ばしていたのは、我々以外親子の3人ずれのみ。森閑とした山里を高低差15メートルくらいの、さほど大きくはないが感じのいい滝が落ちていた。

わが家族は滝が大好きなのである。 母も妻も娘も私も穏やかに満足して家路に向かい、午後4時半には家に着いた。
ドレスデンの石畳の街は本当に落ち着いている

お正月初めて遠出したが、これで我が家のお正月は終わり、明日から妻も仕事なので、私も今日から普段の暮らしに戻る。

とりあえず、お年賀状ほかのことを午前中澄ませ、お昼からちょっと竹韻庵に妻と母とゆく予定だ。妻と母は土に触れることが大好きなので誘ったらいいよと即答してくれたのだ。

ともあれ、今日竹韻庵にゆき、私の中での仕事始めということにして、己を律しながらいつものように体動かしからゆるゆると始動したく思っています。

アマゾンで求めた、ヘンリー5世や、ヴェローナの二紳士の本も届き、今年もシェイクスピアと格闘しながら可能な限り塾生と共に声を出し続けたく思っています。

2016-01-03

謙虚に学びたく、お正月そうそう本屋さんにゆきました。

お正月もはや3日め、今年は例年になく静かで穏やかに過ごしている。娘が午前中元旦からアルバイトをしているが午後からは家族4にんで過ごしている。

昨日はバイトを終えた娘を駅で迎え、そのまま4人でお墓参りにいった。今日は娘がオフなので全員でこれから、美作の方の温泉ドライブに出かけることになっている。

我が家は全員が温泉好きなので、すぐに話がまとまる。年末も4人で近場の温泉に出かけたのだが今日は、ちょっと遠くまで冬の山道をドライブがてら、のんびり日帰り旅行という感じだ。

昨日は、午前中私はずっと本を読み母や妻はそれなりに各自思い思いのことをして過ごした。母と妻も私もほとんど テレビを見ないので静かな時が流れるお正月だ。

お墓参りから帰って、私だけちょっと岡山まででた、気分転換がてらにゆくところはほとんど私の場合決まっている。本屋さんである。

私と同世代の方はご存じだと思うが、田中角栄さんの秘書であり、越山会の女王といわれた佐藤昭子の娘さんがかかれた、母親との確執を赤裸々に描かれた本を(父親は田中角栄)読み終えたばかりで、図書館は休みだし本屋さんで買いたい本があったのだ。

余談だが、娘さんのあつ子さんが書かれた本は、父親である田中角栄さんの意外な姿も随所に出てきて、実に興味深く面白かった。

戦後、男と女が昭和という時代に出会い、数奇な運命をたどるその修羅場の人生は、まさにドラマというしかない。どん底から絶頂へ、転落、そして病、老いての死。親子とは。

人間が人間としての幸せを感じたり、つかむことがいかに至難なことであるのかが 示される。あつ子さんは、私より3つ年下だがほぼ同世代なので時代背景がよくわかるし、読みながら浮世の人間の盛衰のはかなさが伝わる。

生れ落ちる場所での相違、愛を受けることのない環境での生誕はかくも人の心を仕方なくもゆがめてしまうのである。(それにしてもこの100年の現代史は繰り返し学び続けたい)

私がなんとなく生き延びて今もこうしていられるのは、やはり両親が極めて普通の常識を持ち、普通の愛情を少年期に注いでくれたからだろう。

頑固なくらい、親に倣ったことしか伝えられない自分を、親になってみて今も感じる。親は選べないから、愛情に薄い家庭に生まれた子供の悲しさは想像に余りある。

これ以上書くのは控えるが、表面からは見えない余人にはうかがい知れない心の奥の苦悩をかかえ、あらゆる華やかさの影で生きているのではないかと。(ダイアナ妃なんかも含め、きっとわんさか)

ところで、本屋さんには1時間ほどいて買いたい本、読みたい本が次々飛び込んできたが、そうは読めない。【福田恒存訳の夏の夜の夢】を買いたかったのでそれはすぐに見つかった。

もう一冊は、橋爪大三郎さんと佐藤優さんとの対談本【あぶない一神教】にした。次に買う予定の憲法の本も確認した。(私はイスラム世界のことをあまりに知らない)

今年もシェイクスピアを読み続けながら、私が信頼する先生のように思っている方々の本を読み、謙虚に学びたい。学ぶことは本当に面白く、佐藤優さんには血が通った人間味を感じるので難しいことも学びたくなる。

今日で私のお正月は終わる。2016年も声を出し、体を動かし、ささやかに本を読み続けたく思う。



2016-01-02

2016年元旦、家族4人で山田洋次監督の【母と暮らせば】を見る。

あけましておめでとうございます。

新しい年が始まりました。何はともあれ生きてこのように無事に戯言にも等しいよしなしブログを、囲炉裏通信も入れると、丸7年か8年も書き続けていられるということに感謝したい。

五十鈴川だよりにになってから すでに丸4年、だからちょっと歳月を感じる。きっと読よんでださっている方がいるから、たまたまこの世に在ることの不思議を寿ぐような感覚で、わがままブログが書き続けられている。

読んでくださっておられる方々と共に今年も揺れ、蛇行しながら五十鈴川だよりは、自己検証しながら、ゆるゆると平和裡に過ごせる穏やかさを基本に生きてゆきたいと考える。

松の内はとくに静かに生活したいとは思うのだが、6日からは遊声塾、7日からはカルチャーも始まるので、明日で私の中でのお正月は終わる。

時代の表層が変化してもやはりお正月は気分も新たになりいいものである。元旦の昨日は妻と母と娘の4人で近くの山に初日の出を見にゆきました。

上ってきたこの世を照らす太陽に、平常通り、こともなく家族が穏やかに生きていられることの感謝、いろんな思いを胸にただただ手を合わせました。

娘が写真を撮り、さっそくスコットランドを旅している娘と怜君に送りました。間接的にラインでつながって向こうからも娘たちがのゆく先々の写真が 送られてくるので、ともに新年を祝うことができるのは、まさに今の時代ならではである。

時代はまさに変化し続けますが、五十鈴川は可能なら、普遍的な大事を見失わないようにありたいとの願いを込めて今年も右往左往しながら流れる。

ところで、昨日午後4人で母もともに山田洋次監督の【母と暮らせば】を観にゆきました。落ち着いたフィルムの中に映画でしかできない表現の自在な嘘が、まさに嘘だからこそ真実の多様な声なき人々の、無念の死者たちの声が哀切に画面に満ちて迫ってきました。

家族4人、正月早々いいフィルムを観ました。4人全員いい映画を見たね、と語り合える幸せに浸りました。

82歳の母がほぼ山田監督と同世代、いい映画だったとしみじみ私に語り掛けました。娘も娘なりにいろいろと感じた様子で、親として共に観ることができ、ここをきちんと押さえていれば大丈夫の感を深めました。

ところで、敗戦時に生まれた吉永小百合さんが母親役を演じて素晴らしかった。70歳にしてのあの演技。キュウーポラのある町や数々の日活の彼女の青春映画を見て育った私は、やはりある種の感慨に打たれました。

私見ですが、きっと彼女の代表作として末永く遺る作品となるでしょう。ひたむきに生きるということが、いかに大切で尊いということか。

昭和から平成にかけて見事に大輪の花を女優として生きておられるその見事さに感じ入りました。生き方はすべて演技ににじみ出てくる、その証左が動きやしぐさに端的に示されていて見事でした。

それにしても、山田洋次監督はあの年齢で山田監督にしか撮れない作品を次々に創られる。あらためてその持続力に感服しました。

山田組、それぞれの俳優たちがこれまた 素晴らしい(余分な演技がない、人間がいるだけ)、二宮和也(娘が嵐の大ファン)さんの演技がこれまた、作り物でなくていいのだ。私もファンになりました。

書いていると見たばかりなので、あれやこれやの場面が脳裏で蘇る。この間も書いたが、いい映画は余計な説明がない、余韻が残る。

蛇足だが戦争は人間の心を悪魔に変える。このような映画人の心をきちんと受け止める感性を、戦後生まれの民主主義を生きてきたものとして、なくしてはならない。