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2018-09-28

長兄からの秋の便り、そして想う。

長兄から手紙がきた。文字は体を表すというが、まことに持ってその通りである。

わが姉兄弟は、父が転勤生活者であったために全員で過ごしたのは、私が小学5年生までだった。両親、祖父母、わが姉兄弟9人が一つ屋根に暮らしていた。

まだ戦後の匂いがかすかに残っていて、現在とは比較が及ばないほどに、貧しい暮らしであった。(我が家より貧しい人々も、地域に大勢暮らしていた、私が異国の貧しき民に同情を禁じ得ないのはそれゆえである)

それはそれは怖かった父を中心に、家族全員での生活が、今は無き生家での折々の記憶の 出来事が、いまだ私の脳裡には鮮明によみがえる。

悲しいことも、父に叱られてつらかったことも、うれしかったことも、あのつましい暮らしの出来事が、歳と共にすべてが今となっては良き思い出として蘇る。(おそらく今が幸福だからだろう)

人間の脳は、つらいことはあまり蘇らせないように無意識にそういう工夫をするとの言を読んだ気がするが、然りそうなのだなと思う。

兄弟げんかも数限りしたが、今となってはすべてが水の泡、胸底にかすかに残っているくらいで、やはり食い物にまつわる記憶とか、愉しかった思い出、つらかった思い出の方が 鮮明である。

なく父が使っていた硯、月に一度使っている

晩節を迎えたわが姉兄弟(タイに住んでいる弟も含め、なかなか会えないが)と、兄弟のつながりが、いまだにいい感じで続いているのは、多分にあの生家での全員生活体験の記憶と、やはり両親の生き方、教育のおかげではないかと思う。

ところで、長兄の娘に二人目の子供が授かり、義理の姉が10月から千葉に付き添いでゆくことになり、しばしひとりでの生活になるとのこと他、近況が几帳面な文字で簡潔に記され、生まれたばかりの孫も含めての、次女家族とのにぎやかなお正月を過ごす予定であると結ばれていた。

私も初めておじじになり、  おじじの気持ちをようやく体験し、この年まで何とか生きてきた中で味わえる、人生の滋味、奥深さのような、若い時にはまったく考えも及ばなかった、老いるゆえにこそ味わえる未知の領域の広がりを実感している。

生命の連鎖、生と死の連鎖、新しい生命の誕生に寄り添う、おばば、おじじ役割は必須である。 ともあれおめでたい。

手紙というものは、やはりジンと伝わる。五十鈴川だよりに、わが兄夫婦の平凡の慶事を月が西の空に浮かぶ秋の朝記す。

2018-09-24

秋分の日の翌日の夕方の五十鈴川だより

2週続いての3連休、昨日は秋分の日、今日はあいにくの曇りだが見えないだけで空にはかなり満月が近い月が浮かんでいるはずである。

もう繰り返し書いているが私は月に行くことよりも、月を眺める方がはるかに好きである。五十鈴川だよりを書き始めた日にも、空には満月が噛んでいたような記憶がある。

話は変わる。極めて個人的な身辺雑記をほとんどは書き連ねている五十鈴川だよりではあるが、時折どうしても触れたくなる新聞記事などがある。

最近でいえば、プラスチックのゴミ問題である。ミクロのプラスチックのごみが、魚や動物の体内ばかりではなく、飲料水 にまで及んでいるという報道記事を目にすると、どうしても心が穏やかではいられなくなる。

私は極めて手付かずのほとんどゴミのない、まだプラスチックの容器などがない時代に、10歳くらいまでごした世代なので、まったくきれいな海や川の原風景ノ記憶が、はっきりと残っている。

その記憶の宝のかけがえのなさを、年とともに痛感している。おそらく私が鮭が故郷の川に、還って産卵するのとはまた少し異なるかもしれないが、私が晩年になればなるほど、故郷の川や海や山に向かうのは、AIでは作れない自然世界に回帰したいという、生き物としての本能だろう。

そういう意味では、老いつつあるとはいえ、私のいまだ内なる自然回帰本能は元気である。おじじとしては、孫の望晃くんたちの未来世代のことを想うとき、時折暗澹としながらも、個人的に折々、世界の大問題に一個人として、五十鈴川だよりにきちんと触れておかねばと反省するのである。そういう意味では我々よりも若い世代の方がはるかに期待が持てる。

動植物たちを、絶滅危惧種に追い込んだり、ほかの生物にとって有害なプラスチックの ごみをまき散らして平然としているある種の人類の方々とは、神経の回路が私はちょっと異なると、はっきりと書いておく。

今年の夏、家族で宝伝の海に砂遊び出かけた折も、プラスチック製品のごみ容器が、あちらこちらに打ち寄せられていた。
我が家に初めて咲いたヒガンバナ

これこそグローカルに、人類の意識のある責任ある大人、一人一人がブログであれ、フェイスブックであれ、ツイッターであれ、投書であれ、なんでもいいから、問題意識をもって、自分なりの見解や、提議をなすべき喫緊の課題であると、私などは考えてしまう。

この半世紀、オリンピックや、ワールドカップほか、毎年のように、ありとあらゆる次から次にと繰り広げられる、主に映像による大型お祭り消費イベント の陰で、地球温暖化環境問題は、どうもよい方向に向かっていないように感じるのは、わたし一人ではあるまい。

安全な水、おいしい酸素は緑がなければ無理である。お金がいくらあっても、あらゆる生物、人類は困るのだ。優先順位で何にも勝るのは、あらゆる生命の連鎖の上での、持続的人類の営みの平和共存である。

 アメリカの高校生や、カルフォルニアの知事や、世界の心あるストローなどを使用する企業人が、果敢に声をあげ取り組み始めている、心強い。

日本人はあまりにも緑か豊かで、自らが豊富なので、ややもすると鈍感に(私のことです)なりやすい。反省しないといけない。

2018-09-22

【僕は散歩と雑学が好き】という世界に再び憧れる。

3日連続の五十鈴川だよりである。歳を重ねると夜あまり眠れないなどとは、よく耳にするが、ほかの方はともかく私自身は実によく眠れる。

寝ることが私は好きである。昼寝もよくする。よく体を動かして、精神もよく動かして、欲するものをよく食べ、よく眠る、これが今のところの初老生活でのわが心得である。

雨上がりの今朝、犬のメルを伴い運動公園へ。裸足での軽いジョギングののち(約20分)その後40分ほど、声出し。ロミオとジュリエットの2幕を読む。

朝一番の声出し読書は、部屋の中での読書とはやはり異なる。よく休んだ脳は、新鮮に文字を追う。緑の芝生に残る水滴に朝日が当たり 、宝石のように無数に輝く、雨に洗われた樹木の無数の葉が朝日に照り輝き、見上げると青い空、これで気分がよくならないわけがない。

私がジョギングや声出しをしている間、つないだ愛犬メルはじっと木陰で私を眺めている。我が家から一キロくらいの距離にある運動公園と図書館は、私の心身の調節機能空間として、晩年ライフの必須トポス、居場所である。

もうほとんど内容は忘れてしまったが、本のタイトルはよく覚えている。若いころ粋な方だと憧れた、植草甚一さんという方の本に、【僕は散歩と雑学が好き】という本があった。

今ときおりそのタイトルを思い出す、こころと足が動く間は、よしんば声出しや、そのほかの楽しみがかなわなくなっても、散歩だけは生涯の友としたいと念ずる、自分がいる。

散歩の延長が旅である。もうなくなったがBSのNHKでわが心の旅という、私の好きな番組があった。若いころ過ごした思い出の地を再訪するという旅番組である。私にも再訪したいところがある。それは生まれて初めて海外自費留学した 思い出の地ロンドンである。

ロンドンの北、地下鉄ノーザンラインで20分くらいの、スタンモア駅から歩いて15分くらいのところに私は下宿した 。ミセス、ウォルトン未亡人が一人で住む一軒家の一室を間借りしたのである。

18歳で上京、試行錯誤の後、25歳で初めて手にした自由時間、まさに水を得た魚のようにおのぼりさんロンドンライフを、私はどこかに異国暮らしに不安を抱えつつも、満喫した。
我が家の夏の最後のひまわり

あの青く純粋なロンドンライフ(一年4か月を過ごした)があったればこそ、私は何とかその後の 人生の試練を乗り越え、今を生きていられるのだという実感がある。

話がそれた。私はおそらくこれからますます思い出を、よすがとして初老生活を送ることになるような気がする。

だがそれは単に思い出に、耽溺するのではなく、これからの人生時間、時に首を垂れるように思い出し、明日を豊かに送るための栄養剤のようにできるのではないかとの、淡い思いがあるのである。

失念したが、女性の高名な児童文学者が、青少年時代の思い出が豊かなヒトは、豊かな老年時代を送ることができる、との言を読んだことがある。

そういう意味では、うれしいこと悲しいこと、数々の思い出が私の脳裡にはしまわれている。ありがたいことである。






2018-09-21

鬱陶しい朝、運動公園で体動かし、そして考える。

慈雨という言葉があるが、私にとっては慈雨ではあっても、多くの方にとって、特に災害に遭われて避難生活を余儀なくされておられる方々含め、状況が異なれば、千差万別の雨の、受け止め方になる。

さて、鬱陶しい空模様の中、小ぬか雨だったので、気分転換に、運動公園で約一時間、今朝は声出しではなく、体動かしをやってきた。

激しい雨でなかったら、私は濡れても外でわずかでも体を動かすように、特に今年から心かけている。暑い夏の今年は、何回か声出しも雨の中でやったのだが、雨だと人もいないし、人の気配のない広い場所で、声を出したり、軽いジョギング等の、体動かしは実に気持ちがいいのである。
初収穫我が家の唐辛子

小さいころ、雨の中でずぶぬれになって、夏休みよく遊んだ記憶、原体験が、いまだに私を外で遊ばせているのではないかと考える。

濡れた体をよく拭いて、衣類を着かえた時のここち良さはなんとも言えない。

昨日夜は カルチャー教室でのレッスンがあり、おそく寝たのだが五時前には目が覚め、身体が重く、それを解消するために体動かしをやったのだが、効果はてきめん、凄く体が軽くなり、五十鈴川だより時間というわけである。

気分がすぐれない時には、あえて体を動かし、自分で自分を気分良くする方法のようなものを、年齢と共に考えるようにしている。無理をするというのではなく、意識的に体の気持ちのいいほうに向きを変えるのである。

人間であるから、体調がすぐれない時が、多分にどなたにだってあるはずで、私にもある。ただ私の場合、若い時は本当にお恥ずかしいというほかないほどに、ぐうたらで怠惰な世情に流される生活をしていたのだが、家庭を持ち家族に恵まれるにしたがって、ようやく人並みに真面目に生きるようになってきたというのが正直なところである。

人生の折り返し地点を過ぎて、子育てを終え、人生の残り時間をいやでも考えざるを得ないようになってから、ようやっと少しストイックに物事を考えるようになってきた、というのが偽らざるところである。

だが、昔から年寄りの冷や水というくらいで、オーバーワークは禁物である。よく動かしたら、よく休むのが鉄則である。

ストイックを楽しんで 生きる晩年ライフなんて、よもや自分には不可能であると考えていたが、あにはからんや、そうでもない自分が育ってきている(ような気がしている)。

一週間を、バランスよく体調管理しながら、心身を面白がらせる。体を晴れ晴れとする方法を、探究する。苦楽する。

【人間は 努力する限り 迷うものだ】    ーゲーテー ファウストより。







2018-09-20

秋の深まる雨音を聴きながら、想う。

秋の深まる雨音が体に優しく染み入ってくる朝のいっときである。雨が降ると肉体労働はお休み、一人きりの晴耕雨読時間がやってくる。ありがたいことこの上なしである。

何やら達観してきたわけではないのだが、五十鈴川だよりも、マンネリ化してきつつあるのは、否めない。だが、いま私はマンネリ化をどこかで楽しんでいる。

ほとんどは自問自答、精神調整的な綴り方を、己に課しているかのような五十鈴川だよりなので、今後もおそらくよたよたとではあるが、つづりたいという内なる情熱が続く間は、我流自然に、奇をてらわず平凡を、低きに向かって流れたいとおもう私である。


塾生一期生のY氏に頂いた秋の実り
晴れた日の平日の午前中は、肉体労働に従事し、水曜と木曜日の夜はシェイクスピアの言葉を声に出し、土曜日の夜は弓道教室、日曜日は家人としての役割を果たすべくこまごまとやるべき季節的な家事をこなしていると、一週間は瞬く間に過ぎてゆく。

何をするにも、集中力、持続力をキープするには体の健康がすべてである。だからなのだ、初老生活で私が肉体労働をするのは。

汗をかく、無心になる、ある程度の負荷を肉体に賭けながら、一定のコンディションをキープするには、それなりの日々の暮らし方のやるべき時間配分を、体調と相談しながら、努めないとまず無理である。この年齢になるとそのことの肝要さが、しみるように自覚できる。

同じようなことの繰り返しの中での、日々の蓄積にしか、思いもかけないことは起こりえない。日々同じようなことが、(でもそれは同じではない、肉体は日々生成され生まれ変わる)今日もなんとかやれたということの安ど感の中で眠りに落ちるささやかな幸福感。

さて、読書の秋である。猛暑であるにもかかわらず、この夏はよく本を読んだ。(良き読書は次々に本が本を呼ぶ)自分にとっての良き本に巡り合うと、ささやかな幸福感に満たされる。

本はまさに想像力の源、精神のビタミン、雨の日の午前中 活字世界に身も心もゆだねることにする


2018-09-15

老いゆく身体、シェイクスピアの言葉の記憶化に挑む、そして想う。

晴耕雨読とはよく言ったものである。エネルギーあふるるシェイクスピアの言葉を雨読する。

中世夢が原の囲炉裏のある屋敷で、かなりの時間を40歳から退職するまで過ごし、そののちW・シェイクスピアが生きた400年前の作品を声に出す日々をこの5年間過ごし、思うことは自分自身がますますもって、現代文明社会生活に適応できなくなってきている、というまぎれもない自己認識である。

そういう自己認識をもって日々を生きる私であるが、そのように書くと、どこか悲しい、寂しい気配がただようが、本人は意外とそれをどこかで楽しんでいる。

今やデジタルワールドの世界からは逃れようもなく、ちゃっかり五十鈴川だよりが書けることだって、デジタルのおかげなのであるから、我ながらの絶対矛盾的可笑しさである。

 何事もバランス、我が初老生活、この世界この時代に生きているものの宿命的な現世を、いかにやりくりやり過ごし、おのれの居場所(体を風通しよく)をいくばくかでも確保するには、これまで生きてきた中で身につけた知恵を、生かすにしくはない。

あだや真面目に時代に迎合せず、柳に風と 受け流し、今ある手の届く範囲での、俊敏には動けない身体との対話を繰り返しながらの、ゆったりライフをこそ楽しむこと、こそが冥利なのだとの、今のところの思いである。
絶対矛盾、これまで手にしなかった方の本も手にしている

さていきなり話は変わるが、 歳と共に記憶力が弱まってくるというのは事実である。リアの長いセリフを可能なら繰り返し声に出す中で、暗記に挑戦したいと考えて実行してみて思ったことなのだが、若い時の何倍もの時間を要した。

老いてゆく中、現世的な時間がますます短くなってゆく中で、台詞を体に記憶する時間は ますます増えてゆく。だがこれを悲観的にとらえる必要は全くないと私は考えている。

老いてゆく中で、暗記力が衰えるのは当たり前ではないか。だがささやかに、まだ言葉を繰り返し発する中で、かろうじて言葉は体のどこかに、よしんば瞬時には出てこなくても蓄積されてゆくのだということが、分かったからである。

老いてゆく中での発見である。若い時より何倍も時間はかかるのだが、言葉がすらすら出てくるときの嬉しさは、若い時の比ではない。

遊声塾を立ち上げた時に思ったことは、老いてゆくこれからの時間を、シェイクスピアの言葉を声に出すことで、わが体と向かい合いたいと考えたのである。

あれから瞬く間に5年、私の体はシェイクスピアの言葉で、何とかかろうじて磨かれ生の充実を生き延びている。


2018-09-14

肉体労働の仕事が舞い込んできました。

火曜日に娘たちが(望晃くんも)帰郷し、夫婦二人の静かな日々が訪れている。が、世の中は一見情報満載の、新聞、ニュース映像他が、引きも切らずに日々垂れ流される。

以前は、ずいぶんといろんな情報に、一喜一憂したものだが、歳を重ね面の皮が厚くなったのか、又は感性が鈍くなったのか(おそらくは後者だろう)は判然としないが、あらゆる情報には懐疑的、振り回されなくなってきた。肝心なことは、画面や、紙面の中ではなく今の私には足元にあるのである。

アンソロジー、すぐに読めるが内容は重く深い。
間接情報を追うのではなく、日々の暮らしの中で感じる自分自身との対話のような第一次情報感覚を大事にしながら、日々を大切に暮らしたいという、初老生活者になってきている。若くはない、だが今こそが私にとってのすべてである。

ところで、8月末から、正確には9月から週に四五日、(半日だから引き受けた)午前中だけの肉体労働の仕事が、とある方からの紹介で舞い込んできた。五十鈴川だよりに書くのは初めてだが、今日は雨なので、仕事がないので五十鈴川だよりが書ける。(うれしい)

小さいころから、私は体が弱く痩せていて、夢想的な子供であった。世の中に出てあらゆる試練の中で、世の中にもまれるにしたがって、少しずつ少しずつ体が 普通の丈夫さになってきたように思う。そして精神も鍛えられた。

何度も書いているが、わけても肉体労働ということに関しては、相当なコンプレックスを若い時から持っていた、割愛するが、今では青天井の下(天と地と自分がつながっている感覚)体を動かすことが最も気に入っている自分がいる。人間は変わる、だからこそ素晴らしいのである。

この歳になり身体が動き、お声がかかるなんてことが、私にとっては冥利である。若いころ、演劇世界に夢中になり、あらゆるアルバイターをこなしてきたおかげで、私には労働に対する貴賤的な感覚が、ないというより薄い。

まだ舗装道路がなく、機械化される前、小学校の行き帰りに観たお百姓さんや、漁師さん、職人さんたち第一次労働に従事する田舎の人々の姿が、私の働いている大人たちのイメージの原点である。(鍛冶屋、畳屋、鋳掛屋、皆カッコよかった、貧しくともおっとりのんびり、人間らしかった)

あの方たちには、直接的間接的に お世話になった愉しい記憶がある。記憶満載のわが小学校時代。今となっては、まさに夢のようによみがえる。それがいまはない、ああ、何という寂しさ、悲しさ。今の子供たちはどのような思い出を大きくなって持てるのであろうか。

話を戻す。体を張って銭を稼ぐ。自分という肉体が動く間は、わずかでもいいから、一日でも長く動かしたいと思い始めたのは、望晃くんの力がやはり大きいといわざるを得ない。

私は、身体を張って働いている人たちにシンパシーを感じる。明治生まれのサトばあちゃん、私がもの心つくころには床屋さんの仕事はやめていたが、恵じいちゃんも芸術や文化的な事とは、無縁な世界でひたすら家族のために動いていた。

真っ当という言葉以外にない、家族のためだけに働いた、普通の人たちの原風景の面影が、歳を重ねるにつけて蘇る。

わが先祖宇納間村。戦前まで、病院もないような村でわが先祖の人々は暮らしてきたのである。そのことの重さを、ようやくにして感じる。

働ける重さを感じながら、祖先に想いを馳せ、望晃くんの未来にも想いをはせる私である。



2018-09-09

何か見えない世界に、静かに手を合わせる

酷暑の夏が過ぎ去ったかと思えば、9月に入り矢継ぎ早に、台風や地震が関西や北海道を襲い、その爪痕の痛ましさ、捜索が行われていて、行方の分からない方が、おられることに関しては言葉がない。

身を切られるような経験や体験をすることもなく、孫を眺められている現実、平凡で非凡な日々にただただ感謝する私である。

ところで、昨日から次女もわずか3日ではあるが里帰りしていて、孫の望晃くんを中心に我が家はにぎやかである。ひさびさに家族の声が満ちている

このような平凡な日々の営みが、ある日突然の災害で突然断ち切られたら、私はどうなるのであろうか。そのようなことを想像するだけで、 ゾッとしてしまう。家族というかけがえのない関係性。

誠に運命の先行きはわからない、ある日突然不条理な世界に投げ込まれる、わが家族にも起こりうるのである。年齢を重ねるにつれて、生きる姿勢がシンプルになりつつある、もっと書けば多面的にシンプルな生活を心かけている(つもりである)。

できるだけ、華美な生活を避け(しようとはまるで思わない)リアのセリフではないが、老いてゆく中で、今まで気づかなかったようなことに価値を見出す、わずかではあるが気づくようにな心かける。これこそが、老いつつある幸徳であるのかもしれない。
ようやく石牟礼道子さんの御本を手にしている

本当に大切で大事なことは目に見えない、とは、よく聞く言葉ではある。これまでの人生、見えたり、聞こえたりすることに右往左往しながら、ほとんどの時間を費やしてしまいがちであった私を変えたいのである。

一年近くの間、リアの言葉に寄り添ってきて想うのは、理不尽、不条理な世界にある日突然放り込まれた時の、人間のあまりの不毛な無力感である。でもそれは、悲しいかな、そのような境遇に置かれたもの(運命)にしか、永遠に感知できない。(こころの闇の奥深さ)

リアは言う、気違いにしないでくれ、気違いにはなりたくないと。 忍耐の鏡になりたいと。

いくつになっても、いまだ人間存在の魂のたゆたう危うさから 逃れられない自分を感じる。見えない世界をほんのわずかでも感知したり想像することに重きを置く生活にシフトしたく念う私である。(よしんばかなわなくても)




2018-09-07

尻切れトンボの今朝の五十鈴川だより。

九月に入り、2度目の五十鈴川だよりである。シェイクスピアの普遍的なあまりにも有名な作品ハムレット、ハムレットは言う、【この天と地との間には、哲学などおもいもつかぬことがあるものだ】と。

北海道を震度7の地震が襲った、無残たる思いもかけぬ惨場には言葉を失う。映像は私の心を揺らし惑わす。なすすべのない呆然たる無力感にとらわれる。

青春の終わり、富良野で三度冬を越し、土地勘のある大地の上で暮らす人々に、思いをはせる。

九州生まれの私は、若いころ北の大地にあこがれを持ち、18歳で演劇学校にはいるために上京し、何とかバイト生活をつづけながら、二十歳までの3年間を過ごしたが、現実は限りなく厳しく私の上に乗りかかり、苦悶の果てに私はなけなしの金をもって、北の大地北海道を旅したことがある。(この体験は旅の重さを私に知らしめた。だから私は今も行き詰まると一人旅に出る)

ヒトは成功体験は語るが、無残体験は語りたがらない。かくゆう私だってそうである。私の10代の終わりから、30代の初め、つまりちょっと長めの青春時代は、お恥ずかしいくらいの、試行錯誤の繰り返し、挫折挫折の連続であった、と今にして思える。

だが、この歳になって気づき想う、ヒトは困難を避けたがるが、生きている限り困難は、おそらく永遠に続く のである。ヒトは追い詰められ、覚悟を決める。

ハムレットは絶えず自問自答を繰り返す。このままでいいのか、いけないのかと。66歳にもなって、お恥ずかしい限りではあるが、いまだ私はどこかに青春のしっぽの燃えカスのようなものを心のどかに隠し持っているかのように感じている。だから、五十鈴川だよりを書きながら、自問自答を繰り返す、このままでいいのかと。

さて、5回目の、あの夏のリア王の発表会を終え、6年目に向かう最初のレッスンが5日夜行われた。

参加者は私を含めた7人。テキストはロミオとジュリエット。高校生の時に見た、フランコゼフィレッリのロミオとジュリエットに出遭うことがなかったら、私はあのまま田舎で一生を終えたかもしれない。シェイクスピアの国に留学することもなく、イタリアを漫遊することもなく、この惑星に生を受けた奇跡を感知することもなく。

大きなスクリーンに登場する人物たちの、やり場のない持て余すエネルギーの発露、青春の光と影、生命力あふるる疾走する言葉言葉、大人の無理解、断絶、運命の非情残酷さ、完全に私は根こそぎ夢か現かの際の世界にといざなわれた。
蜷川幸雄商業演劇初演出ロミオとジュリエットのパンフ

あれから半世紀、岡山で塾生と共に声を出している自分が、まっこと不思議でならなかった。でも事実なのである。

ロミオとジュリエットで私がもっとも好きな人物の一人、マーキューシオ は言う、【夢とは暇な頭が生む幻】だと。

リア王からロミオとジュリエットへ。老いの物語から青春 物語へとシフトチェンジ、かなわぬ夢物語をつぐむために、可能な限り塾生と共に口を動かしたいと願う私である。




2018-09-02

望晃くんがやってきて九日目、そして想う。

あの灼熱地獄は、いったいどこに行ったのかと思えるほどに、朝夕は幾分涼しくなり、過ごしやすくなった今朝である。

流れるように時が流れ、早9月、正直どこかにまだ夏の疲れが、のこっているかのようなわが体であるが、その体と自問自答しながら過ごしている。

さて昨日、やろうやろうと思いながら 、夏の暑さ、リアの発表会などを言い訳にやらなかった、我が家の収穫を終えた、トマトや野菜、庭の雑草ほかを引き抜いて片づける作業を、午前中一人で、小雨の降る中続けた。かなりはかどり気持ちが落ち着いた。

何事も手入れをしなかったら、荒れ放題の庭になる。体だってきっとそうなのである。

今日も五十鈴川だよりを書きあげたら、午前中は枝の剪定や、草取りをするつもりである。30過ぎまではまったく苦手だったことが、苦手でなくなったのは、富良野塾での体験や、中世夢が原で、体を動かし続けたことが、いつの間にか私を変えてしまったのである。
野菜の枝葉他

今現在のわが体は、ありがたいことに声も出せるし、弓も引くくらいの体力をキープしている。一日でも身の回りのことを、きちんとひとりでできる日々を持続するためにも、ある意味では最も大切な雑事を、あだやおろそかにはしたくないと思うのである。

歳と共に、普通にできることの当たり前の有難さが、にわかにしみるようになってきた。当たり前ではないのである。

ところで、今日で九日目だが、たまさかの、孫の望晃くんと娘、我々夫婦とでの4人暮らし、中心はやはり孫である。詳細は割愛、孫の命の日々の変化の精妙さに、おじじは驚くばかりである。

天然、自然の、まろやかな表現、声の響き、泣き声が日々、我が家に満ちる。それを一心で受け止め、対処する娘の姿には、頭が下がるほどの、揺るぎのない母性が存在している。

あの小さいころの、わが娘の面影は、いまだ容易に思い出せるが、母となった娘は全くといっていいほどに、どこか遠くに行った見知らぬ人、と見間違うほどに成長している。望晃くんは日に何度も娘の子守唄で、安心して眠りに落ちる。

望晃くんの足

赤ちゃんは日々変化する。この歳になってますます感じ入る。赤ちゃんという最も大事な、人生の始まりの二度とない大切な時間の過ごし方がいかに大切かということを。

昨日午後2時、NHKのBSで動的平衡で著名な、福岡伸一先生の最後の講義という番組を、全員で視聴した。

一年でほぼ全部の細胞が、入れ替わるとのことである。食べ物で入れ変わる人体、命。いまだ解明しきれていない命の不可思議なメカニズム。自然、宇宙の精妙さは、どこから来たものであるのか、 望晃くんを眺めながら、いまだおじじは、殊勝で厳粛な気持ちにさせられる。

もうあと一週間母と娘は我が家にいる。この時間を大切にしたいとおじじは考える。