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2018-12-31

新聞記事で松浦武四郎という方の存在を知りました、大晦日の朝に思う。

いよいよ今年も大晦日の朝である。3日前から母も含めて家族全員で寝起きしている。リビングと書斎以外は5部屋が埋まっている。その中で、私は衣裳部屋の一番狭いスペースで寝ている。

布団を敷いたらもうほとんどスペースがない。狭い、でも私は気に入っている。何か子供時代に還ったかのような気分である。人間なくなる時には畳一畳というではないか。

冗談ではなく、老いと共にこの世から消えてゆく準備の覚悟を持つためにも、時折の狭いスペースでの過ごし方を、と考えた方がいいのではと、想ったりしている。

枕元のほんのわずかのスペースに、パソコンや本、夜中の水分補給の飲み物などをおいて、寝る前の一時寝起きの一時を過ごすのもまた一興である。

私と妻だけなら寝起きと共に始動できるが、早起きの私が目が覚めても、ほかはまだ寝入っているので静かにしているのである。

とくに望晃くんがいるのでできるだけ静かに移動、皆が起きるまでは静かにしている。この五十鈴川だよりは、書斎にそっと移動して書いている。

ところで話を戻す。ひと月ほど前新聞で幕末の探検家松浦武四郎という方の記事が目に留まった。生誕200年、蝦夷地を北海道と命名した人とある。
このような記事を見つけると新聞を購読してよかったと思う。

記事を読むと、晩年古希を迎え有名な寺社の古材を集め、一畳敷という建物を建て、客人一人を迎えるのに十分であり、人生最後の時を過ごすユニークな書斎を創ったとある。

この一畳敷なる建物を再発見し、来歴や意味などを研究したヘンリー・スミス、アメリカ コロンビア大学名誉教授(日本近代史)のインタヴュー記事である。

死に臨んで人生を振り返る建物で非常に創造的な建物であると書かれている。現在その建物の原寸模型が、ICU(国際キリスト教)大学博物館に常設展示されているとある。

是非行ってみたい、幕末から明治にかけてこのような個性的な独自の発想で凛と生きた人物のことを初めて知ったが、松浦武四郎という方のことをもっともっと知りたくなった。

あわただしき世相には体がついてゆかないし、いまだ意識や体が興味や好奇心がおもむくものに、静かに収斂して ゆきたいと考える私である。

ともあれ、晩年時間を有意義に生きた先人たちの英知に少しでもあやかりたいと、大晦日の朝、物思いにふける私である。










2018-12-29

赤ちゃん怪獣、望晃くんは天真爛漫リビングで遊びまわる。

昨日は午前中アルバイト治め、帰宅してあわただしく昼食の後、長女を迎えに岡山駅に、戻って望晃くんの昼寝と同じ時間私も午睡、起きてから夕飯までの一時を図書館で過ごし、お正月に読めそうな本を数冊借りた。

夕飯を済ませ、最終新幹線で帰省する次女をまたもや岡山駅まで迎えに行くために、ストーブののそばでまたもや寝て過ごし、10時半家を出て娘をピックアップ12時過ぎに帰宅。

これで全員がそろい、今夜からは母も我が家に合流し新年を迎えることになる。これを書いている今は、皆ゆっくりと起きて朝食を済ませての五十鈴川だよりタイムだ。

望晃くんの生誕で、7人での初めての正月となる。リビング以外の部屋は全部各人で埋まるのでこういう時には、ちょっぴり余裕をもって家を建ててよかったと思う。

家を建て替えて、18年が暮れようとしているが随分と重宝して使わせていただいている。思い出がいっぱい詰まっている家に、ノア君が加わり、また新たな展開がこの家の中で始まる。
I氏に頂いた本、ほとんど共感する。

居住空間として、またプライベートな空間としての家の果たす機能は大きい。居心地の良さの大切さこそが、家という空間の大事だと思い知る。

望晃くんはほとんどの時間をリビングで、皆に見守られながら過ごしている。お爺バカではあるが、今のところ両親の深い愛情の元、これ以上望めないほどに健やかに愛育されている。

今朝はじめて望晃くんの離乳食を途中から娘とバトンタッチ、私が口元まで運んだのだが、鳥の赤ちゃんのように夢中で口をもぐもぐさせ、あっという間に適量を平らげる健啖家ぶりに、感心することしきり、そして愉しかった。

望晃くんはまるで、いい意味での赤ちゃん 怪獣の趣である。百面相のように表情が変化するので、見飽きない。

しゃぶり、なめ、噛み、握り、つかみ、たたき、立ち、しゃがみ、つま先立ち、かじり、動き回る、そして時折じっと何かを見つめ観察する。犬のメルと猫の花とはもう遊び相手だ。

日々新鮮な感覚で、世界と対峙し、好奇心のおも向くまま飽きるということがない。そして食べ、疲れ、眠る。(ホモサピエンスの真理が詰まっている)

一体全体何事が日々彼の中で生成されているのであろうか。大きくなって記憶に無いこの時期の過ごし方こそが、大事なのだろうと考える。

子供は親を選べないが、爺バカとしてはレイ君と娘の育て方を見ていると、感心のほかはない。子育てに絶対はない。


2018-12-28

息子レイさんの育面ぶりに新しい家族を見る。

一昨日から息子のレイさんと孫の望晃くんがお正月休みで帰省している。生後9カ月で母親がいなくても、レイさんが育面の鏡としか言えないほどに、離乳食を作って母親不在でもまったく問題なく望晃くんが育っているのに感心しきりである。

このようなを五十鈴川だよりが書けることは、おじじとして幸福である。あまりにも複雑化している感のある、現代社会における家族の問題であるが、幸いにも事我が家に関しては、全員が今のところ健康で社会生活を過ごせ、母もいまだ元気であるからこそ、極めて有難く普通にお正月を迎えられそうである。

健康で、つつましく、シンプルささやかにという以外に、ことさらの家族観は私にはない。老いをゆっくりと感じながら、おじじになり(させてもらって)望晃くんの日々の変化を間近に接するにつけ、殊勝にも老いの役割のようなものを、柄にもなく考えるようになってきつつある。

老いてはこに従えなどという、私の父は老いても子に従わないほどの頑固な個性の持ち主であったが、さて私はどうなってゆくのか、と自分の今後に自分自身がいい意味で揺れる。

それほどに望晃くんの新しい存在は、老いてゆきつつの、私の内面生活に 変化を示唆してくれそうな気配である。

こればかりは、私もおじじにならないと感知することのなかった感覚なので、今更ながらに孫という存在の不思議さに驚かされている。

娘を持った時の父親としての感覚とはまた異なる、この年齢ならではの、そこははかとした味わいである。
望晃くんの離乳食グッズ

あきらかに死者の世界に近づきながら、新しい生命力にたじろぎながらも、その生命力にあやかれる幸福の時間の厳かさのようなものを、柄にもなく私は感じるのである。

ほかの方は知らない、私は感じる。オーバーではあるかもしれないが、孫の存在はこれまでの私の過ごしてきた歩んできた生活そのものをさえ、見直してしまいかねないほどなのである。

孫に恵まれてあの人変わったよね、といわれかねないが、どうか広い心でご寛恕願うしかない。長い人生時間、人間は折々変節脱皮しながら生きるしかない(自分の良しとする方向へ)特に私の場合は。

いずれにせよ、母親はお昼過ぎ、次女は夜遅く帰省し久しぶりに全員そろい、我が家はにぎやかになる。新しい歳、望晃くんを迎えての初めてのお正月となる。

娘は平成元年に生まれ、望晃くんは平成の最後の年に生まれた。時間は流れ流れ、我々はささやかに家族の歴史を刻んでゆく。


2018-12-23

夫婦で掃除し、年の瀬時間を楽しむ。

お正月は長女家族、次女も帰ってくる。そのために妻は、各人のために寝具や、特に今回は孫の望晃くんが成長しているので、あれやこれやとその準備に追われている。

とにかく我妻は、家の中のこまごまとした雑事をすいすいとこなす才能が、私に言わせれば長けている。いそいそと楽しそうにこなしている。

どうしてもできないことがあるときのみ、私に声がかかる。それは主に力が必要な場合である。だから私もできる限り彼女の意に添うように、心かけるようになってきた。

特に休日は、これからのお互いの人生時間を 可能な範囲で共有できるようにしたいと、殊勝に私は決めている。中世夢が原で働いていた時には、よんどころのない私の思いを優先し、ずいぶんと彼女に助けられて、仕事に集中できたので、これからは彼女との時間を大事にしたいのである。

このようなことを綴ると、老いらくのおのろけと、あらぬ誤解を招きそうなので止すが、晩年の夫婦としての時間の過ごし方を、可能な限りいい感じでと願い、そのよき作法のようなものを、探りつつ老いゆく時間を大切にしたいのである。
沖縄の画家、桑江良健氏に頂いた絵、宝である。

昨日も、台所まわりの頑固な汚れ、ガラス磨きなどを頼まれたので、あいよとこなした。きれいになると実に気持ちがいい。新しい年を迎えるために、先人たちは家の中をきれいに掃き清めたり、積もったちりを祓い、お清めの儀式を工夫したのにあやかる。

ともあれ、拭き掃除、掃き掃除は掃除の基本中の基本である。ぞうきんを絞るという極めて当たり前の営為も、近年は減ってきつつあるように見受けられるが、私は雑巾がけは体操くらいの頭の切り替えでやることにしている。

剥く、ほどく、結ぶ、拭く、掃く、磨く、つまむ、絞る、しゃがむ、重いものを全身で持つとか、etc。自分の体の微妙な細部を 私を含めた現代人はあまりにも使わなくなったように思える。

進化とは退化であるとの言葉が浮かぶ。何かを得たら何かを失うとの言も。自分の体と心が気持ちよくなるとは、いったいどういうことなのであろうかと、今更ながら年の瀬に想うのである。

今日は午前中徳山道場の大掃除、午後は我が家のストーブのある吹き抜けのリビングの天井の掃除をやろうと思っている。

やがてはAIに頼る日が来るかも しれないが、神からいただいたわが体が動くうちは、わが動く身体を神に感謝し、妻と共に掃除に励める年の瀬、身体を動かすのである。


2018-12-22

オフタイム、冬の夜長は書物巡礼。

土曜日の静かな朝五十鈴川だよりを書ける、うれしい。レッスンをはじめとする夜出かけることは、年内終了した。

あとは来週数日、昼間のアルバイトが残るだけである。気分としてはもうほとんどオフモードである。

オンとオフを生きている間は永遠に繰り返す。これから歳を跨いでのオフタイム時間が格別にうれしい。今年は何やらいうに言えないほどに、私の内面がやささやかにに変化しつつある自覚があるからである。

よく生きるためにはよく休みつつ、インプットとアウトプットの 加減のバランスが、私の場合つとに必要である。

(今年は年内お墓参りに帰ることがかなわなかったが、来年旧正月までには時間を見つけて帰省したく思っている)

今、無知な私には知らない言葉がたくさん飛び交う松岡正剛氏と舞踏家田中民氏の【意身伝心】という対談本を読んでいるのだが刺激を受ける。還暦を過ぎ仕事を辞め本を読む時間が増えるにしたがって、読みたい本がますます増えてゆく 。

ともあれ、自分にとって刺激を受ける良き本との巡り合いが有難いことに今年も続いていることに関しては感謝するしかない。

本を読むスピード、理解力がことさらに私は遅い、あらゆることに時間がかかるが、今年は 随分と良き本に巡り合えた気がしている。

良き本は、本当に心の友足り得る。外見は老いても想像力は脳の神経細胞を活性化してやまない。時折私は声を出し文字を音読する。音読的に黙読するだから時間がかかる。
前人未到の世界に挑むお二人の対談(すごい)

集中すると聞いたことのある作家の声などは、語っている文体の声が私の体の中で響いたりしたりする。(私は生で松岡正剛氏の声を聴いたことがある)たぶんこれは、自分の体が作家の文体に入り込んでゆきながら読んでいるからだと思う。

シェイクスピアの言葉に限らず、音読するのはその文体の中に自分が入り込んでゆきながら、体感しながら味わってゆくということなのである。

だから、深く体に響いてきた言葉はこのところ書き写したりする。だから本を読む時間はますます遅くなる。数十ページ読んで、身体にその時点で響いてこない本は(どんな名作であれ)読まない(読めない)。

佐藤優氏は速読の本で語っておられた。自分が限られた人生時間で速読するのは、遅読するに値する本に巡り合うためであると。

要は、今現在生きている自分にとって、必要な本に巡り合えるために、巡礼読書をするのである。水や空気を入れ替えるかのようにというとオーバーであるが、その方にしか書けない実体験が醗酵したかのような、よき言葉やフレーズ、リズム、文体。

魂を未知の世界へといざなう登場人物を創造し、物語り、読者に勇気を与える書物こそが初老の私に必要なのである。

孤独に書物めぐりのオフタイム、冬の夜長時間が楽しみである。













2018-12-16

今年も年の瀬が近づいてきました、そして想う。

この一年を振り返るのには、まだちょっと早いが、66歳で過ごしている今年は後年きっと転機を迎えた歳として、記憶されるだろう。望晃くんの生誕、リア王が読めたこと、弓道の初心者教室を終了したことなど。

何事もよいことばかりではない。つらいこともあった。ヒトは総体的に良いことなどは、厚かましいくらいに書けるが、つらいことや整理がつかないことなどは、なかなかにかけないものである。

かくいう私もそうである。私はかなりの饒舌家であるが、整理のつかない思いは文章化することで、もやもやのおもいを明らかにしたい、だから沈黙の時間を過ごすのである。

さて、シェイクスピア遊声塾を始めてもう丸6年が過ぎようとしている。今夜が遊声塾の今年最後のレッスンである。

何度も書いているから もうよすが、よもやまさか、30年近くシェイクスピアを声に出していなかった私が、思い付きと勢いで始めた極めて個人的塾が6年も続いている、現在6名の塾生がいる。

まずは参加してくださっている塾生のおかげがあるからこそ続けられている、そのことがまず第一である。始めた当初30年も声を出して読んでいなかった私の体は、膨大なエネルギーの登場人物の言葉を声に出すたびに体が 悲鳴を上げていた。

それでも、やはり楽しかったからだろう。塾生の入退が続く中、最古参のY氏と共に声を出し続けての現在である。在塾の塾生は時に厳しい私のレッスンに耐えている、素敵な面々である。

肉体的には下り坂の初老生活の中で、とにもかくにも声を毎週毎週全身で声を出し続けて丸6年。漸くにしてほんのわずかではあるが、自分の中にも塾生の中にも手ごたえを感じ始めている。

その感覚があるからこそ、いまだ湧き上がる情熱のようなものにしがみついているのである。昨日書いた村上春樹氏は小説を書くのが大好きであると、天職であると述べておられる。
この方の本は年の瀬ゆっくりと読みたい

そんな大作家の言葉を持ち出すのもはばかられるが、ささやかにシェイクスピアを声に出して読むことに、飽きない(好きだから)からこそ初老男の躰を時折忘れて、満座に恥をさらし声が出せるのだろうと、思っている。

私にとっては謎の戯曲、リア王を何とか終え、頭の切り替えに時間がかかったが、私にとっての原点ともいえる ロミオとジュリエットに、いま私と塾生は挑んでいる。

私にとってシェイクスピアが創造した、あまりにも魅力的な登場人物の台詞は、いまだ初老男を活性化させる。日本語によるシェイクスピア作品に巡り合えた私の好運というしかない。

息を吸い、吐き、膨大な熱い言葉の洪水との戦い、その果てに見えてくるものがある。それはたたかわないものには永遠に見えてこない類の何かである。

やわな私の体は、何度もシェイクスピアの言葉の前で、息が切れる。でもいい切れた時、吐ききった時には恍惚感が体に満ちる。

登場人物と自分が瞬間入れ変わる、変身する。人間は自分と他者が時折入れ替わる器である。老いを見つめながら、声が出せる器としての体を一年でも長く大切にしたという思いが深まる。







2018-12-15

村上春樹著【職業としての小説家】を読み、深く撃たれ想う、。

この時間でもまだ外は暗い。昨日夕方何とはなしに体が重く気分がふさぎ気味だったので、邪気を払うような面持ちで、ゆみの道場に行き約一時間ほど弓の稽古をした。空には半月に近い月。私ひとり別世界であった。

弓の稽古を始めたのは65歳の誕生日からだから、来年の2月で丸2年になる。始めた当初のことを想えば、よくもまあ続いたものである。

例えて言うのもまるで違う世界のことなのであるが、これと似たような思いをあえて挙げるなら、富良野に31歳でいったときのことが浮かぶ。

31歳だったからこそ、2年半の富良野での、遅い青春の 最後の時間を、よくもまあ耐えられたものとの思いが蘇る。

ほかの方はいざ知らず、私は意志が弱く自分の 好きな世界に逃げ込みがちな思春期を送ってきたのだが、世の中に出てこれではどんな世界でも通用しないとの思いに次第にかられながらも、何とか糊塗をしのいできた。

長くなるのでこれ以上書かないが、自分が心から好きで楽しめて なおかつそれで生計を立てながら生きてゆける人は、そうはいないというか、ほとんどはいないのではなかろうか。

還暦も半ばを過ぎいま、今ようやくにして心身ともに穏やかな、初老生活を送っている自覚がある。


だがこの感覚も、継続持続を怠ると、握った砂のようにわが手から漏れ出すのである。だからこそ日々邪気を払うかのように、何事かにしがみつき、内心の得体のしれないものと向かい合っているのかもしれない。

話は変わる。村上春樹という世界での評価がほぼ定まっている作家である。。氏の新しい小説を待ちわびる読者が今や世界にたくさんいて、毎回ベストセラーになる。翻訳されている国は50か国に及ぶ。

私は、初期の氏の作品を読んで以来、ほとんど氏の作品を読んでいない。そのような私だが、先日図書館でたまたま、職業小説家としてのこれまでの歩みの想いを赤裸々に語っている本を手にした。

読み始めたら止まらなくなった。一読私は深いため息と共に、飾らない誠実な語り口文体に、魅了された。愚かな私はこの方の新しい文学をまったく誤解していたのである、一方的に。深く反省している。

そして、この方は本当に小説を書くことが 好きで、天職として職業となしうる道を選びうる運命に導かれたのであることを、深く納得した。

氏は私より3つ年上である。かすかにあの時代の空気感を私も共有している。なぜこのような作家が私と同時代に出現したのかは、やがて時代が証明するだろう。

私は氏とは育った環境があまりにも異なっているがために、生理的にある種の距離感があるのはいなめないのであるが、そんなことは些細なことである。

本質的に氏の小説に真摯に取り組む姿勢、そのあまりなまでの、いい小説を書きたいがための一途さ、一見過剰に思えるストイックな生き方は誤解を生むのかもしれないが、天職なのであるから致し方ない。

氏の考えだした新しい文体はワールドワイドに通用する、現代日本を代表する作家なのである、そのことを深く遅まきながら、私は得心したのである。よかった。





2018-12-11

村田喜代子さんの小説を読む、師走の一時。

この数日の急な寒波の到来で、一気に師走モードになり冬が来たという感じである。早寝早起きの私は、ことさらに師走の朝を感じながら、ちょっと五十鈴川だよりのひと時。

世の中の流れのようなものからは、ずいぶんと遠いところにいるような気分で日々を送っている感じのわたしである。それでまったく不都合を感じないので、まあいいではないかという感じ。

ただ何とはなしに、若い時からマイナーな、常に少数マイノリティの側にいるかのような暮らしを続けてきて今があるので、ことさらに書く必要もないのだが。

ずっと時代の流れにはついてゆけない自分の体を、引きずりながら生きてきたような按配のわたしなので、いよいよこのまま流れてゆく覚悟のようなものを、老いてゆきつつ深めてゆけるのか、否かと、思案するいっときは増えてゆきそうである。
1945年生まれの作家、もっとこの方の本は読みたい。

世の中の流れは、長生きを称賛する傾向があるが、何事も自然な流れ、ほどほどの加減が望ましく、長生きもさることながら、要はいかに生きたいのか、(生きたのか)ということこそが、問われるべきなのでは、との側に私などはくみするものである。

とはいえ、初孫に恵まれてみると、どこかに少しでも長生きして、その成長を見守りたいという、ささやかな願望なども生まれてきたりするのだから、いい加減な自分ではある。(絶対矛盾)

ともあれ、人間は日々揺れながら、揺蕩いながら、ああでもないこうでもないと思案しながら流れ流れて、いつとはなしに自分に都合のいい変節を繰り返しながら、存在してゆくしかない生き物である。(私自身が)

さて、私は本は読むものの、あまり小説の類はこのところほとんど読んでいなかったのだが、たまたま村田清子さんという作家の本を今手にしている。

もうすぐ読み終える。初老の夫婦の話である。詳細は割愛。このような本を私も手にする年齢になったのだなあ、との感慨が私を襲う。

へそ曲がりの私は、なんとなく気がせく師走こそは、時間を見つけて静かに内省的に良き本に巡り合うべく灯火親しむ時間を大切に過ごしたいと思う。



2018-12-08

何とかご午前中のアルバイト4か月経過、そして想う。

夏の終わりから主に草刈りを中心としたアルバイトを、基本的に午前中だけではあるが始めてから、4か月が経とうとしている。

長くなるから詳細は省くが、土日や雨の日はお休みなので、今のところすこぶる私は この自分の裁量で時間の都合がつく、この体動かしの仕事が気に入っている。

それは体の動き具合で、体調が良くわかるり、声を出す意欲やあらゆる今やっていることの持続力の調節できるからである。(やるやらぬの加減が)

時折の草刈りやいろんな肉体労働を、を中世夢が原で20年以上続けていたことがやはりすべてはいま役に立っているのだということを実感する。

思えば18歳で小さな志を抱いて上京し、あの高度成長期生きるがために、主にあらゆる肉体労働仕事に従事しながら、生き延びることができた私だが、その間に体に蓄積してきた、学んできたことがいま現在無駄ではなかったことを痛感する。

体を動かすと疲れる、したがってよく眠れる。この循環が単細胞の私には実によく合っているのだ。

年末の今、植木の植栽の刈込を主に機械を(手ばさみでもやる)使ってやっているのだが、これはこれまでやったことがなかったのだが教わってやっている。
丁寧に何事も為すことの大切さ

のびた枝を頭を刈る様に刈ってゆくだけの、これまた単調で単純な仕事ではあるのだが、上達するには、最低限の持続力可能な体力がいる。

ほぼひと月以上やってみて、ようやく少し愉しくなってきつつある。体で覚える、うまく刈り込めるようになるとやったことが形となるので、そのすっきり感、達成感。

集中力と持続力、気を抜くと危ない。根気と加減の阿吽の呼吸、老いつつ学ぶ今である。

芝刈り、草刈り、刈込、等々広い敷地の中を順次移動しながら、天の下での体動かし仕事が、実に私に合っているのだ。休憩時には一人声を出して遊んだりもできる。

気が付くとあっという間に時間が過ぎてお昼、家に戻って昼食の後はしばし休んで今度はまったく違う 時間を過ごす。

このメリハリが、インドアとアウトドアの往復がいいのである。今日は土曜日、ゆっくりと五十鈴川だよりが書けるのがこれまたうれしい。










2018-12-04

日曜日、遊声塾のレッスンで16歳のロミオの5幕のセルフを声に出し、そして想う。

ニュース(これも偏って編集されているとつとに感じる、表層的に報じているのがほとんど、新鮮さや意外な深みがあまりにも感じられない、紋切型)やこれはみる価値があるというものをのぞいては、ほとんどTVというものを見なくなって久しい。

したがって、夕飯後は薪ストーブの炎を眺めながらゴロゴロと過ごすのが、私の冬の夜長のささやかな喜びである。

そして、眠くなったら速やかに休むのである。幸いなことに私はすぐに眠りに落ちるし、寝ることが好きであり、ありがたいことに健康であるからなのだろう、目覚め感もすっきりしている。

だからなのだろう、起きてそう間もないのに五十鈴川だよりがつづれるということの有難さを今も書きながら感じている。(私の全財産は、いま健康に動ける身体以外にはないのであることへの気づき)

よく動くためには、よく体を休めないと、私の場合無理である。睡眠不足だとあらゆることがうまくいかない。老いてはよく眠ることの重要性をことさらに感じる。

若い時のように、無理がきかないし、無理してはいけない。【ゆめゆめ無理は禁物下り坂】といった按配なのは承知している。

とはいうものの、生来の気質、受け継いだDNAというものは、おそらくはこの生を閉じるときまで、止むことはないのであろうことの絶対矛盾を私は生きている。
松岡正剛氏には永遠の少年が棲んでいる

話は変わる。おとといの日曜夜、変則的だが遊声塾の稽古をした。個人的な都合でいつもより稽古時間を早めたため、最初4人で声を出していて、死に急ぐ5幕のロミオをたまたま私が読む羽目になった。

66歳の私が、16歳のロミオの荒れ狂う言葉を声に出す。ついこの間まで80歳のリアの言葉と格闘していたのに、いきなり獰猛なコントロールのきかない思春期の言葉を。

成り行き、ええいままよ、と私は構わず飛び降りるような感じで、生理的に直観的にロミオの言葉を必死で声に出した。

うまく言えない、上手くは書けないが、シェイクスピア遊声塾は限られた人数で 、数多いシェイクスピアの登場人物の言葉を、真剣に遊び心で声に出す塾である。

役柄的には、まず一生読むことがかなわなかったであろう役を、思わぬことで始めた私塾では、魅力的な登場人物の声を出して遊べるという コロンブスの卵のようなことが可能なのである、ということの改めての気づきの感覚が、ロミオを読む私の体に澎湃と響いたのである。

自分とは不確かな実在の器、思春期のことなどすっかり忘れていたかのように生きている初老の私だが、かすかにいまだにあの淡い、きゅんとなるコントロールできない自分が住んでいる。

だから遊声塾を立ち上げて、今も飽きることなく声をだして遊んでいるのではないかとの思いをあらためて自覚した。



2018-12-02

本から本への老いらく時間へと、やがてはシフトしたいと想う師走の朝。

ことしもはや12月にはいった。月並みだが、歳月は人を待たずという言葉が沁み行ってくる。

だが、こうして月並みな拙文を今現在つづれることの有難さを、どこか深く感じ入ってしまう。

この世に生を受け、時代の影響をもろに受けながら、曲がりなりにもどうにか生き延びることができ、こうして生きていられることの不思議さを、いまだ感じながら、そうして一日の始まりに、五十鈴川だよりがつづれる幸を。

日の出が遅くなって、間もなく二階のこの部屋に日差しが朝の到来を告げる。年々、日の出や、日没、月の形の推移に、また雨や風、あらゆる気象の変化に、わが心は微妙なざわめきを覚えるようになってきた。

老いる、つまりは死者の側に近づくにつれ、生きていることの微妙な淡いが、ことさらにしみてくるようになってきた。これを老いの幸徳と私は受け止めている。

すでに何回か書いているし、これからわが命がいつまであるのかは皆目知る由もないが、これからはことさらに動けなくなる、動かなくなる自己を、静かに見つめる(内面はきっと激しく動きながら)日々が増えてゆくのでは、と66歳の年の瀬に思い、その転機の年の始まりとしての、老いの揺れ具合を五十鈴川だよりに記しておきたい。

おのれの体の微妙な移ろいは、おのれの体が一番やはり感じている。その中で今日やれることの優先的な大事、小事を、きちんと整理しながらきっと来年からは、ことさらに不義理を承知しながらの、老い楽ライフに意識的にシフトしてゆくつもりである。

ということで、義理的な年賀状はよすことにした。とはいっても絶対矛盾を生きる私であるから、出したい方には年が明け手書きの一文を筆にしたためたいと、(書ける間は)思っている。

話を変える。この数年若い時にあまりに学ばなかったつけをしみじみ感じる。松岡正剛氏の本や、佐藤優氏の本を読むにつけ、気づいた時からでもいいから、読まねばならぬ読みたい本が目白押しなのである。
歴史的な現在を編集工学する知的巨人

本を読むには、体力がいる。健康体でないと集中力持続力が続かない。この6年シェイクスピア遊声塾で声を出しつつづけてきたおかげで、あまり遠出はしなくなったものの 元気である。

わが本格的な初老生活は、学ぶことに費やしたいとの思いが年々深まり、有限なるわが人生を、可能なら知的好奇心に充てたいのである。

無知から出発し、無知を思い知らされ続けての現在であるにもせよ、そのおかげで何やらを少し感じるようになってきて、若い頃は手の届かなかった本が 読めるのだから。