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2014-03-31

岡さん、岩間さん、コメントありがとうございました。。

なんとも可憐なぼけの花
メールチェックも毎日はしないくらい、大方の現代人がやっている、ITが手放せないようなような暮らしを、私個人はしていない。そういう意味でははなはだしく時代の趨勢からは取り残されたかのような、ある種の感覚が、いかんともしがたくある。(物分かりのいいおじいさんにはなれそうもない)。

いわゆる社会や、世間とずれたような感覚なのだが、還暦を過ぎてからは、自分の体が発する感覚に可能なかぎり正直に歩んでゆきたいので、優先順位的に、まあこれでいたしかたないと、言った塩梅である。

ITをする時間を、若くはない私は、最低限しかしないと、どこか決めているのである。そんな私が4年4カ月以上ITブログを書き続けているのは、いささか我ながら驚いている。絶対矛盾、私のブログを開いてくださる方とは、意識が続く間は間接的であれ(時折直接お会いしたい)大切に厚誼を深めてゆきたいと思っている。

実名でいつもコメントをくださる岡さんが、私のブログにコメントを入れる方法を、コメントで教えてくださってから、おおよそ20年のお付き合いの、私にとっての忘れられない大切な友、岩間さんから実名で、読んでます、とのコメントが入ってきた。岡さんこの場を借りて、遅くなりましたが、心から感謝します。

五十鈴川だよりになってから、私がブログを書き続けている一番のエネルギーの源はやはり、遠方に住んでいる、私の大切な方々に、私の日々の生活の中での思いや、暮らしぶりを、伝えたいという、性(さが)なのだと思います。

普段会話ができない大切な友人知人に、思いを伝えるお手紙のようなブログを、書き続けたいという生きている衝動のような感覚だと、自分で思っています。

それと、初めて経験する老いという未知のゾーンを意識的に生きて、日々の思いをつたなくても書き続ける中で、何かを探し見つけてみたいという、オーバーですが自己発見ブログ(自己激励、他者激励)でありたいのです。(書くことが見つけられず、意識が働かなくなったら、速やかにブログを書くことはやめると思います)

瞬時に、岡さんや岩間さんとつながるのですから、ITには脱帽するのですが、その便利さの上には、胡坐をかきたくはないのです。

確かに便利この上ないものですが、以前も書いた記憶がありますが、便利さが人の心を育てるのか否かということに関しては、私ははなはだ懐疑的な立場に立つものです。

心とは何か、心は育つのか、哲学的深遠な問題は置いといて、限られた有限なる人生を旅に例えれば、たまたま出会い、縁があった方々と、一回こっきりの人生を間接的にではあれ、旅人同士のほど良き豊かな関係性を、つたなきブログで育みたいと、私は思うのです。(現代人の関係性は限りなく不毛化しつつある、そこを何とかしたい)

わずか一週間でも、ずいぶん書いている、今現在の私がいます。今日現在がすべて、時間については又書きたく思いますが、過去も未来もなく、今だけの流れ連なり。

昨日、NHKで細胞の不思議を探る番組を、たまたま見ました。老いてゆきつつも熱中することで、細胞は自己活性化するということが、最前線で分かってきたとありました。老いの中にも希望が持てる、面白い時代がやってきているのではと、私個人は感じています。

老いも若きもない、情熱を傾けられるられる世界を持っているかいないかで、かくも脳細胞は変化するということ。

ともあれ、岡さん、岩間さんお元気で良き春をお過ごしください。また連絡させてください。声を聴きたく存じます。

2014-03-30

大いなる本番、一回こっきりのラストシーンに向かうためには、雨音に耳をすます。

またもや夜が明け、新しい一日が始まり、何ごとかを書きたくなる自分が、いいことなのか別にしている。お休みで雨音を聴きながら、ぐっすり休んで疲れが抜け、余裕をもって拙文が書けるこのひとときは、おのれにしか感知し得ない、唯我独尊小さき幸せタイムである。

コーヒ―を飲みながらの、夜明けのひとときは、まさにこの年齢なればこそ感知する、至福のひとときと、言うほかはない。目線の先のささやかな庭には、小さき草や花、樹木が春の雨に打たれている。緑と、水のしっとり感、静けさがなんとも言えない。

つくずく、日本という国、風土に生まれてきた幸せを、私は感じる。この雨でおそらく桜は一気に開花するだろう。春はあやしくも、いまだ私の心をかき乱す、波乱の季節でもある。ぶらり名も知らぬ土地に出向き、散策したくなったりするのは、おそらく意識がしっかりしていて、歩ける間はやみそうもない。

さて、帯津良一というお医者様が、(現在76歳)いらっしゃいます。数冊しか読んでいないのですが、この方の死生観にほとんど同意するといっていい気が、現在の私はします。長きにわたって五十鈴川だよりを読んでくださっている方は、何とはなしにうなずいてくださるかもし入れません。
畑の上にいつも雲が浮かんでいてつながっています

どういうことが書いてあるかは、野暮な感じがしますので、ブログでは書きません。ただお医者様であるのに、医者嫌いを任じていらっしゃるところが、とても信頼できます。

昨夜、夜中に眼が覚めたので、この方の本を読んでいたら、藤原新也さんや、椎名誠さんの本の言葉の引用が出てきて、へーっ、帯津先生は、私の好きな方々の本も読んでいるのだと、ますます人柄に好感を持ってしまいました。

先生は、お酒が大好きで、人生のラストシーンを日々イメージトレーニングしているのですが、それが人間らしく、生で、ますます好感を持つというわけです。自然体、あるがまま、その人らしい生き方の末に、ラストシーンがあるのだと私も思います。

先生は、映画も大好きで、ラストシーンの優れたフィルムを寝る前、30分DVDで、見られるそうです。私もラストシーンが眼にやきつく映画が好きです。禁じられた遊びのラストシーンなんか、胸が締め付けられた記憶がよみがえり、見た映画館もいまだ思いだせるのは、幸せなことだと思います。

話を戻して、人生のラストに関しての様々な、悔いなく生きるがための覚悟が、さらりと簡潔に記されています。誰にでも読める文章の中身を、我がこととして受け止め、日々実践することは、なかなかに難しきことだとは思います。

が、死の本番のラストシーンは、先生も書いていますが、一回こっきり。映画のようにはゆきません。だからこそ先生は日々懸命に働き、太極拳をし、お酒でわが身を癒します。毎日死と向かい合います。そこに秘められた、念い、覚悟が、すがすがしいのです。

まだ62歳になったばかりの私ですが、いいタイミングでいい本に巡り合いました。読みながら何度もうなずきました。生きつつ死に、死につつ生きる。そして安心し、真の意味での大いなる世界へ還ってゆく。

すべての生き物は、大いなるラストシーンに還ってゆく、そこを見据えて日々を送る覚悟を、還暦を過ぎた私個人は、持ちたく思います。御幣を恐れずに書けば、先生も書かれているように、家族や社会に迷惑をかけて、だらだらと延命したくはないとの思いです。

何かの役に立つ間は、しっかりと動けなくなるまで働きたいたいいとの思いは、何か強まってきました。そのために本を読む時間や、これまでエネルギーを費やしてきた、イベントの企画なんかができなくなっても構わないというくらいに、今は畑で過ごす時間が愉しいのです。

ことほど左様に人間は変化します。一つ一つのことにしっかり取り組んでいると、次なるステージがおのずと開けてくる、そんな気がしています。

ですが、企画をしないということではなく、機が熟し、何か突き動かすものが、裡から吹きあがってきたら、やれる間はいくつになっても企画したいものです。そのための準備は、ささやかに怠りなく磨いておかねばと、思っています。

2014-03-29

何も持たず生まれ、何も持たず虚空へ還る。

昨日の続きのような感じだが、お金依存症、お金がない恐怖症から、出来るだけ遠ざかる暮らしを考えたい、などと書くと、なんとまあ、お気楽なと一笑に付されるに違いない、から出来る限り書きたくはないのだが、でも書きますね。

先日も書きましたが、ようやくにしておおよそ子育てにめどがつき、定年という又とない、きわめて社会的責任感が軽くなる人生の季節を迎え、コペルニクス展開に等しい、生き方の方向転換が可能かどうかを、これから見つめ実践したいと私は考えている。

それを実践すると、あまり動けなくなるので(遠方にゆくと交通費がかかるので、なるべく出かけず、でも友には会にはゆきます)交際範囲はいやでも少なくなるが、そんな私と厚誼を継続してくださる方とは、限りなく交わりを深めながら、人生の終活動へと向かいたい、とまあ、そのような心境なのでる。

私は高峰秀子さんの大ファンです

なぜそのようなことを思うのかを、朝の短い時間のブログで書く愚は避けたいが、まずは自分自身のこれまでの過ぎし越し方で身についた、ほこり、精神の垢のようなものを根元から見つめなおし、思いついたいま、この元気なうちに、じたばたと悔いなくやっておこうと考えたからである。

実は、昨日畑で、きわめて個人的なことを考えてしまう、きっかけがあり、あらためてお金というものが、なんとまあ人間のまっとうな感覚をゆがめている社会を人間社会はつくり続けて、いるのかという素朴な疑念が(もう絶望が先に立って、ほとんど考えるのは放棄しいたいのが、正直な気持ちなのだが、残りではなく、これからの未来時間、自分に嘘はつきたくはないので)湧いてきたのである。

気の遠くなるような歴史を経て、経済、お金という、本来は人々を幸福にしてしかるべき英知のもとに、生まれてきたはずのものが、悩ましくもどうもそうはなってゆかないという現実を、こうも突きつけられると、小さき頭で愚直に考え、愚直に実践してみるしか、私には他に方法が思いつかないのである。

他にも方法があるのなら、そのような似たような思いを共有される方とは限りなく連帯して、今後の人生を歩みたいものだ。はやり言葉でのように、今しいかないではないか。

ということで、食費以外は(食はすべての基本楽しみ、植えられるものは植える)可能な限り、見つめなおしている。すると限りなくこの一年、生活がシンプルになり、精神も身体も調子がいいのである。だから、昨日も書いたがおたおたせずに、夕陽を浴びて(こんな贅沢家でもできる)、読書しながらお茶一杯、ゆったり過ごすのである。考えるのにお金はいらない。

歴史下の、埋もれた無名の人々の困難な歩みを知るにつけ、なんとまあ極楽とんぼなな人生をこれまで歩めた、おのれの人生の幸運を、私は知った。無知は恐ろしい。恐怖につけこんで戦争を起こす、社会不安をあおる。

限りなく勇気をもった先人たちがいたからこそ、今のかろうじてではあれ、平和、穏やかな暮らしが営まれているのだ。そのことを決して私個人忘れてはならない。そのことに思いいをはせるとき、取り立ててなにはなくとも、すべてあるのだという、錯覚にも似た幸福感に包まれる。

両親、祖父母の生き方が、私の中にはいまだ焼き付いている、何も持たず、あのように生きてゆけばいい。

2014-03-28

小さきことを面白がり、感動する自分を大切にしたいものです。

働いた日は、どうしても自分自身のきわめて個人的な時間は少なくなるが、会社が近いおかげで以前とは、まったく気分が異なり、十分リフレッシュして毎日仕事に向かえる自分がいる。

朝は可能な限りブログを書き、夕方は可能な限り、本を読むといった塩梅の生活が、私の基本である。というわけで、農の仕事をするようになってからは、よほどのことがない限り、TVは、夕食後身体を休めているときに眺める程度である。

遊声塾や、カルチャープラザでもレッスンをやっているので、一週間が瞬く間に過ぎてゆく。がしかし、きわめて充実した日々が送れいることに関しては、たとえようもなくありがたいことだと思っている。
このままでいいのかいけないのか、考える

それとやはり、年齢がそうさせるのだと思うが、以前のようにはいい意味で慾が少なくなってきたような気がしている。あれもこれもではなく、きわめて焦点の合った落ち着いた日々がようやくにして過ごせるようになってきている。

時間は有限だから、優先順位でゆくと、どうしてもTVを見なくなってしまう。受動的に一方的に流れる編集された映像を見続けるということは、能動的に身体を動かしたりすることとはまるで違うので、今後の未来時間は、可能な限り能動時間を過ごしたいのである。

以前も書いたが、農の仕事は身体を使うということが基本なので、睡眠時間をたっぷりとるように、とにかく身体をゆっくり休めるように心懸けているのである。

桜も開花し始め、畑で過ごす時間が楽しいのは、単純に身体が動くからだろうと私は考えている。だから私は、一日でも長く畑で過ごせる晩年時間を何よりも大切にしたいので、身体の手入れをすることに重きを置いた生活を、まず第一にと考えているのである。

食と身体と健康と、学ぶことのバランスを、いかようにして日々の暮らしの中で、きちんと心がけられるかということに、今しばらく努力(あまり好きな言葉ではない)してみたと思う。

小さきことを意識することに重きを置いた生活、お金に可能な限り頼らず、やりたい事を見つけることのライフスタイルを、いま私は探している。

意識が動けば、子供のように楽しめる自分がいまだいる。なんでも面白がる精神を可能な限り無理せず、持続したいものである。

2014-03-26

老いつつ、声を出し続け、身体と精神を可能な限り磨き続けたい。+

雨、以前も書いたがサンナンの農部門は、臨機応変なので、私の場合晴耕雨読となる。
学ぶ体を維持する

こんな感覚は初めてなのだが、娘が二人とも成人し、限りなく親としての責任が軽くなったことが大きいと思うが、経済的な負担が少なくなったせいで、、心身が実に解放された生活を、ようやくにして送れている安堵感が、今の私を包んでいる。(が、夢夢油断は禁物である)

これまでの経験を生かし、新たな晩年生活をいかに生きるか。61歳からスタートしたので4月からいよいよ、2年目に入る。先のことはともかく、この2年目を一日一日しっかりと生きること、それしか今の私は考えていない。

これまでもそうだったが、なにはともあれ自分なりにしっかりやる、そのことが一番大切だと考えている。自分の身体の変調や痛みは、自分にしか感知しえない世界だから、他者に理解してもらう前に、何よりもまずは、自分との対話が大切だと、ますますこの年になって考える。

自分との対話などと、ごたいそうなことに書いているが、私にとってブログを書くことは自分との自己調節対話、という感じになりつつある。特に五十鈴川だよりなってからはそうである。

なんとも厄介な自分という不確かな存在と、何はともあれ、毎日付き合ってゆかなければならい。

何やら、哲学的な感じの雨の朝のブログだなあ。知恵の悲しみ(読んではいないがタイトルが気になった)というロシアの人が書いた本があったと記憶するが、そういうことも言える、さもありなんとも思う。

さて話は変わり、水曜日は遊声塾の日である。いつもは畑から家に戻って、着変えて一休みして、頭のチャンネルを切り替えて天神山プラザにゆくのだが、今日はいつにもまして、早めにスイッチを切り替えられるのでありがたい。

ところで遊声塾に、2月から27歳の思わぬ若者が参加してきて、確実に面白くなってきた。今現在5人の方が参加されている。皆忙しい方ばかりなのだが、続けられている。このご時世に月謝を払って、私の塾に参加されている方々は、単なる生徒ではなく、とても近しい人たちになりつつある。

何より、私自身が生徒さんからいろんなことを学んでいる。レッスンも試行錯誤の連続である。一人ひとり、なんと鮮やかに個性的であることか。声を出すことで、思わぬ声の出る自分という器の魅力に気づいてほしいのである。

レッスンは、熱心にやっている。かなり追い込まれるが、追い込まれればいやでも無心になる。この無心になって、集中するということが、現代生活では失われて久しい。

あえて言えば、集中する楽しさを、現代人の身体の多くは失っているのではないかというのが、私の認識だ。このつたなき我がブログでさえ、いささかの集中する力が備わっていないと、紡ぐことはかなわない。

継続、あきらめず、そのまごうかたなき反復練習の中にしか方法はない。苦楽はセットである。分けられるものではないのだ。そこに敢然と立ち向かうしか方法はないのである。そのエネルギーの根拠はなにか。自分でもよくわからないというのが、私の答えである。

おそらく生徒さんたちもそうだと思う、そのわからなさに身をゆだねて歩んでいるうちに、何かが見えてくるものでしかない、というしかない。自分を信じ、謙虚に自信をつける。それが育っていないと、とてもではないが、他者など思いやれるはずもない。

昨日までは、感じなかったことを感じる、見えなかったものが見えるような気がする、その感覚を体感するためには、方法は愚直に続けるしかない。人間も(は特に)磨かないと錆びてしまう。





2014-03-25

消費税が上がる、小さき大多数の庶民たち、知恵を絞り連帯して乗り切りましょう。

小さいお子さんを育てながら頑張るお母さん
火曜日の朝はごみを出す日なので、玄関に置いてあったごみを先ほど出してきた。雨の予報だが降っていなくて、温かくて、ああ春だと体感し、深呼吸しながら歩いた。我が家の小さなちんちょうげもいい香りを放っている。

先ほど、新聞にさーっと眼を通したのだが、一面に、放射線線量のデータの正しい数値が知らされていない(もう私は、ほとんど政府発表を信じていない)ことが、飛び込んできた。

それから庶民としては、やはり8パーセントの消費税値上げに関する記事に、眼が行く。いったいこれから、どのように物価が変化してゆくのかを体感しながら、ささやかに庶民としては対策を立てなければならない。

幸いというか、世の中に出てからずっとといっていいくらい(生まれおちてこの方といってもいい)、つましく暮らしてきたせいで、つまり贅沢とは縁のない暮らしをしてきたおかげで、お金を消費するという根源的な感覚が私にも妻にも限りなくないので、つまりは身の丈に合う暮らしをこれまで通りするしかない。

ただ、子育て真っ最中の方々なんかはたいへんだろうなあ、と思う。否応なく、お金がかかってしまう世の中なので、これからの時代を生き抜いてゆく方たちは、知恵をつけながら、勉強しながら、生き抜いてゆく覚悟を決めないと、と余計なことを案じてしまう。

私だって他人ごとではない感覚を、十二分に感じるから、朝から思わぬ展開ブログになっているのだ。だが私は、生来の楽天気質は持って生まれたものだから、これまでも何度かの人生の危機を、プラスの方に転化するという方法でなんとか乗り切って生きてきた経験を持つ。

危機に陥った時に、初めてその人間の器、生き方も含めあらゆることが問われる、そのように思う。いざというときから、本当に反省したり、やり直せるかにその人間の真価が問われるのだという気がする。

この前も書いたような気がするが、可能なら30歳くらいまでに何度か危機を体験し、やり直せる若いうちに、何でも嫌というほどやって、自分に自信をつけておくことが、どんな時代が来ようとも、生き抜いてゆくために一番肝要なことではないかと思う。

もちろん、40歳からでも50歳からでも構わない、要は腹をくくるという体験を、何回かするということの中から、きちんと人間にとっての大切なことをきちんとつかんで、死守するということが大切だと私は考える。

中世や、江戸の庶民たちのように、底辺に生きながらも、明るくたくましく生き抜く知恵をはぐくめれば、おたおたすることはないというのが、私の考えだ。そのためにはなにはなくとも、健康な身体が必要だ。

もっともっと書きたいが、N氏が待っている仕事にゆかねば。鼻水たらして、働いたお金を、夢夢仇やおろそかには使いたくない。そこさえきちんと押さえていれば大丈夫。未来を明るくするほうに向かうためには、まずは自分で考えるしかない。

2014-03-24

N氏とともに、畑で眼に見えない何かに耳を澄ます。

冬眠していたような感じでひたすら寒い畑で過ごしてきた私も、温かくなり鶯の声があちらこちらから聞こえてくる春は、やはりなんとも言えないくらいに、心がうきうきしてくる。

このところ、ネギの定植を同僚のN氏とともにやっているのだが、時折風もなく、まるで畑が穏やかな天国のように感じられるときが、滅多にはないのですが、時折あります。雪が降ったり、畑が凍ったりして、ままならぬ冬を過ごしてきたので、その喜びはまた格別、N氏もまた同じ思い。

そのようなときがこれから先は、かなりやってくる気がしてとても楽しみです。3月に入り、気温が高くなり日照時間が延びるに従ってネギの成長もぐんぐん伸びてきている。

再三書いていますが、サンナンの農業チームは、少数チームです。私のブログにたまに出てくるN氏とはほぼ同期にサンナンで働き始めておおよそ半年、苦楽を共にしている。

ゆっくりゆっくり、我々の仲も、ネギが育つように育ちつつある。そのN氏が、最近私の五十鈴川だよりを読むのが楽しみだと、私に直接語りかけてきて、私を喜ばせ、又驚かせた。
まるで禅僧のように胡坐をかいてネギを植えるN氏

数は少なくても、楽しみに読んでくれる方がいるということは、私にとっては大きな励みである。おかしな話だが、書いているのに私はITに弱い。N氏、五十鈴川だよりに、コメントを入れたいのだが、その方法が分からないのだという、妻にもそう言われた。

ひょっとしたら、コメントを入れたくともその方法が分からない、方達がほかにもいらっしゃるのではないかという気がしてきたので、なんとかせねばいかんなあ、と思っている。

私ごときの、自己満足慰安ブログを楽しみだと言ってくださるのは、面映ゆくもまた嬉しからずや、といった塩梅。

おそらく、N氏とは元気にサンナンの畑で過ごすことの多い人生を、共に生きる晩年畑友達になりそうである。この世に生を受け、人は生涯にどれほどの人間に出会うのであろうか。

時折、はたと考える。そう考えると、何やらまったく、話もしたことがなくとも、すべての人間が、そこはかとなくいとしく感じられる、のはなぜだろうか。

それは確実に、いい意味で死を遠くにではなく、身近に感じられる年齢になってきたからだと、私は思っている。そこから真の意味での人生が、始まるのではないかという気さえしてきた。

命を頂き、人間は生きる。途方もなき命の連鎖の摩訶不思議。命が軽んぜられる時代の風潮の中で、私はN氏とともに、土の近くから謙虚に命の不思議を見つめながら生きてゆきたい。

春を創ることはできない、宇宙の摂理に抗うことはできないのだ。慾にまみれて生きざるを得ない生き方からの脱却が、中高年になったからこそ、可能になってきたと思う。蒼穹の下、かすかな眼に見えない何かに、静かに耳をすませたい。


身近な母をお手本にして、これからの晩年ライフを生きる。

元気に働いているからだからなのだとは思うが、休日の朝は格別にやはり嬉しい。朝ぼーっと静かな時間コーヒーを飲みながら、ようやく白み始めた窓からは天に半月が見える。

22年働いた夢が原を辞して間もなく一年が瞬く間に過ぎようとしているが、この一年の転機はきっと記憶に残ることが多い日々、ということになると思う。

ささやかに生きてゆくことの中で、人はきっとおのれにしか分からない、摩訶不思議な人生模様を紡いでゆくしかないというか、天の定めで生まれおちた時代の中を、おのおのが必死で泳いでいるのだろう。宇宙遊泳感覚。

かくいう私もいい歳なれど、いまだその渦中を生きている。定年は世の中が決めること、私の場合多様な意味でいまだ現役感(何をして現役なのかを考えたい)が止まない。それは全くやったことがない、オーバーではなくこれまでの人生で培ってきたこととは、土俵が異なる世界(新しい世界に)に足を踏み入れたからだと思う。

でも又こうも考える。あらかじめこういう晩年世界を無意識に目指していたのかもしれないと。だからサンナンのA専務とも巡り合ったのだと。(無意識に思う、願う、ことの大切さを実感する)

定年になったら、最低生活で構わない、読書三昧の日々を過ごせたら言うことはないと考えていたが、その私の考えは農の仕事に出会ったことで大きく変わった。

実現不可能なことは書きたくはないので書かないが、現実感の伴う、新たな夢のようなものが生まれてきて、その実現はとても時間のかかることなので、先のことはあまり考えず、足元の大地を一日でも長く元気に踏みしめたいとの、今は思いだ。

話は休日に戻る。この一年妻との休日が過ごせるようになったので、最近は可能な限り妻との時間を優先するようになってきた。我が家の場合はそれに母が加わるので、3人で過ごすことが増えた。二人より3人でのデートの方が楽しいのである。

妻いわく、毎週母がことのほか3人で過ごすことを楽しみにしているというのを聞いて、私もできる限り休日を一緒に過ごすように心懸けている。
奥の方の野菜たち

もう私には、この母しかいないのでやれるうちに孝行しいたいのである。母が今も私たちにしてくれていることの無私の愛情の深さに、芯から私は驚いている。私の娘たちは二人とも、本当に母になついている。

思いやりとか、美辞麗句を口で言うことはたやすいが、それを実行するということがいかに大変なことであるかを、ようやくにして知る最近の私である。口先三寸のいわゆる似非知識人はもうまったく信じなくなった(本物は別)。

母は先の大戦、少女時代勉強どころではなかった世代。家は貧しく長女で高校にもゆかせてもらえなかった。艱難辛苦をくぐっているので、今が一番幸せと、口癖のように言っている。つくずく学ぶ、勉強するとは一体何を学ぶのであろうか。あまたの人間が大学を出ているが、(これ以上書く気がしないので止める)。

母は、自分のことより何よりも妻や娘、私のこと、家族を最優先に思いやる。そのことが生きがいというような稀な人である。ようやくにして、身近にこんなにも素敵なお手本がいるのだから。男だから母のようにはいかないが、人間としてほんのわずかでも学びたいと考えている。

いい歳の私が、たった一人心から甘えられる唯一の人(妻は別として)になりつつある。実の両親、義理の両親、頭の上がらない両親を持てたことの感謝は、【五十鈴川だより】にきちんと書いておきたい。

生まれてくる時代も、親も選べない。だからこそ感謝を態度で示したいのだ。母は、編み物や、洋裁がたいへんにうまい。私の痛んだ服や、ほつれたセーターなんかあっという間につくろってくれる。私の頭にかぶる毛糸の帽子も、10以上編んでくれている。

それに家庭菜園の見事さは、このブログでも何度も書いているので、今日は後で写真を撮ってブログにアップしようと思う。
菜園の全景10種類くらい植えられている

母は言う、お金より何よりも心が貧しくなってはならないと。言うだけではなくきちんと実行しているところがすごい。自分は質素倹約をしながら、要所要所の折には、孫や家族のためにおしみなく使うのである。

私は、母がつくろってくれた破れたジーパンを宝物のように愛用している。新しい車の座布団も、着なくなった皮のブレザーを裁断して、見事な座布団を作ってくれた。母は古い着なくなった衣類を再び蘇らせる、ものを大事にする。人間を大切にする。

なんでも使い捨てにし、人間でさえ使い捨てにするこのご時世に、大事に生きる、命を大事に使うということのなんたるかを、無言で私に教えている。母は私より20歳上、今から少しでも母を見習って歩まなくてはと、ようやくにして私は気づき始めている。

2014-03-22

意識は遠く、現代縄文的調和、非戦、非競争、非秘密、中高年ライフを目指す。

汗みずたらして働くという表現があるが、昨日は鼻水たらして働くというのが、まったくぴったりのような一日に、私の場合なった。

昨日相棒のN氏と終日畑でネギを植えたのだが、春分の日は穏やかさには程遠く、まさに春の嵐というのがぴったりの一日となり、我々の地道なネギ植え作業を、まるで翻弄するかのように、天気が豹変する一日であった。

何より一番驚いたのは、みぞれ交じりの雹が降ったことだ。晴れていたのに、にわかに降り始め中断、午後もそれを繰り返すという、不可解極まるめまぐるしく変わるお天気の中、それでも私たち二人は、黙々と畑での作業を、鼻水とともに継続した。

小さいころはお砂場遊び、中高年になった今は、天の下で土遊びに興じているといった塩梅で、このところの私は、縄文的土人【土びと】(何が縄文的かはおいといて)働きながらも、意識は遠いところでまるで遊んでいるかのような感覚で、日々を過ごしている感がある。

N氏も多分にそのような感覚を持ち合わせていて、我々はことのほかウマが合う仕事時間を過ごしている。二人して畑で遊んでいるのである。それはA専務の考える、サンナンの農業理念と合致しているのだから、誠に持ってありがたき幸せというほかはない。

他愛もない言葉遊びを展開しながらも手は動き、一日作業を終える時刻には、かなりのネギが植えられている。のらりくらり植えているようで、やり始めたころに比べたら、比較にならないくらい、、お互い上手になってきているのが、分かる。だから楽しい。

人間は、やはり生来遊びながら考えるように存在しているというか、出来ているのである。人という生き物を、上手に遊ばせたら、すごい能力を発揮するのではないかという気が私はする。はたして現代は、と私は問わずにはいられない。

現代はたとえようもないくらいな、悲惨きわまる疑心暗鬼競争社会だが、コロンブスの卵ではないが、もうそろそろうんざり、みんな一斉に風向き発想を変えて、競争しないで楽しく遊ぶことの中から、現代縄文的調和型、遊遊ライフへとまずは中高年が先頭切って舵を切る、そのことがことのほか肝要な時代が、目前に迫ってきていいる、というのが今の私の時代への認識だ。

小さき子どもは、意味もなく楽しく遊べる。なのに大人になると、何故遊べないのか、そのことを根本的に考えて納得させてくれる方が、とんと見当たらない。ならば昨日も書いたが、自分で考え、自分で仲間ととともに、貧しく(ちっとも貧しいとは思っていません、ただお金が少ないだけ)とも心豊かに見つけてゆくほかはない。

何度も書いているが、おかねは使うもので、つかわれるものではない。一〇〇〇〇年、あんなに長い間、穏やかに暮らしていた、縄文人が、今生きていたらと想像すると、おそらく現代にはきっと生きていたくないというに違いない。

過労死するまで働くために、この世に生まれてきたのではないくらい子供だってわかる。人は人のために、何らかの役にたつために学び働き、何よりも笑いあえる関係性の構築を、私は自分の周りに築いてゆきたい。A専務もそれを目指している。縄文的英知には、無限の宝があるように思える。

ところで、サンナンのネギ(完全無農薬、無化学肥料です)、販売します。欲しいだけ(1キロから)五十鈴川だよりまでご連絡ください。着払いで、遠方の方にも発送します。値段はおおよそ市価の三分の一くらいですので、くれぐれもどうかよろしくお願いします。

岡山市内に住んでおられう方で、我が家まで買いに来てくださる方は事前にお知らせください。サンナンのネギの販路を少しでも広げてゆきたく、勝手に小口販売担当になりましたので、くれぐれもどうかよろしくお願いいたします。

そろそろ畑に出かける時間となりました。

2014-03-21

春分の日の朝に思わずにはいられない。

春を告げる我が家のラッパ水仙
理系ではなく、経済のことにもとんと疎く、1970年18歳で世の中に出て、母が言っていたように、生き馬の目を抜くような世間を、脳天気を絵にかいたような私自身の性格を思う時に、よくもまあ、生き延びてきたものだと、振り返ると、しばしの感慨にとらわれる。

物事を深く分析する力も、何ももち合わせてはいない、きわめてごく普通の自分なりの感覚でかろうじてこの年を迎えている。

ただ単に運が良かったことと、可能な限りいやなことには、近づかなかったからこそ、生き延びることができた、のではないかというのが、私の謙虚な結論である。

なぜこのような性格になったのかを、静かに考えてみるときに、今思うことは、やはり小さき時に見続けた両親の姿、また言われた言葉が私の体にしみ込んでいるというそのことに尽きると思う。

それとやはり、数は少ないものの、妻をはじめとする、友人たちに恵まれたこと。春分の日の朝、何やらまじめな書き出しだが、気の遠くなるような国家予算が成立した。落ち着いて書く時間もないのだが、ため息くらいのことは書かずにはいられない。

私ごときが何も理解もしていないのに、何やら書かずにはいられないのは、先ほど藤原新也さんのトークを読んだせいもあるのだが、ひたひたとなにやら情報統制的な時代がやってきつつあり、国民は、戦前と同じ知らず知らずのうちに、いとつの方向にからめとられてゆくような、いわゆるいやな感じの、気持ちの悪い時代が訪れようとしているのではないかと、穏やかな春目前、思ってしまう。

今の時代の、まことしやかな真実も、100年後に知らされても、私はこの世にはいない。だからこそ生きている今にこそ、いろんなことを気づいたときに、考える癖のようなものを身につけてゆく、努力をすることが、大人になるということではないかという気がする。

知らなかった、だまされたというのは、後でつじつま合わせ、何とでもいうことができる。大人になるというのは、生半可な努力ではなしえないのだということを、この年になって思い知る朴念仁の私である。

それにしても、こうもいろんな目くらまし、多分野、軽薄、飽情報満載時代、何いを信じていいのかの選択は、誠に難しい。だから私の場合、これまっで生きてきた中でこの人はと思う、人物の考え方何かを参考にしたりしながら学び、、自分なりによたよたとではあれ、考え続ける力を身につけたいと思っていて、かけがえのない表現の自由を、オーバーではなく死守したい。

こうやって、日々のささやきブログで、心身の調整を図らないと、私ごときでさえ、なんだか危ういなあ、と思ってしまうのだから。その点戦前と違って、インターネット時代は、心ある方たちの情報を自分の感覚を信じて探して行けるので、実にありがたい。

NHKはじめ、毒にも薬にもならないようなニュース番組ではなく、おかしいと思うことに底辺感覚で切り込んで、自分の目で見、考えたことをきちんと報道してくれている記者を、見つける力を、視聴者の一人としての私も養わないと、とんでもないことになる。

表面の看板や、ブランド、見てくれに騙されてはいけない。見えないものを見つける感覚や勇気をおじさんはもとより、何よりもこれからの世代が身につけないと、まずい。そのためにはどうしたらいいのか、自分で考えるよりほか、ない。

2014-03-19

湯上りのわずかな時間、身体の手入れをする

今日は、正味4時間以上、ネギを鎌で刈った。しゃがんでする仕事なので、労働としてはなかなかにこの歳になると、正直しんどい作業なのだが、サンナンの農業は無理なことはゆっくりやるということにしているので、腰を伸ばしては刈り、息を整えては刈りを、ただ一人静かに繰り返していると、おおよそ時間内で終わってしまった。

話は変わるが、女性はお肌の手入れをするが、特に農の仕事を始めてから、自分の体の手入れを以前にもましてするようになってきた。いわゆる我流のストレッチを中心とした体操である。だからなのだと思う、この年齢にしては我ながらよく身体が動いてくれることに感謝している。

そうは言っても、数年前のマイコプラズマ肺炎で本当に懲りたので、昔のようにはあらゆることに関して、無理をしなくなった自分がいる。ゆっくりゆっくり進む楽しみのようなものを、ようやくにして農の仕事から、身体を動かすことで学びつつある。

だから、ネギを刈ることも、植えることも、あらゆる体を動かすという行為が苦にならなくなりつつある。動く体を意識して、動かすということの中で、実に多様な気づきが生まれるのである。そうなると労働は楽しみに変化する。

何よりもサンナンの上司は、人間を大切に使ってくださるので、職場環境としては実にありがたいというほかはない。人間は信頼されると、仇やおろそかなことはできない、気持ちよく働くということが、いかに大切であるかということだ。

話を体操に戻すと、最近は呼吸を意識的にするということも心懸けている。俗にいう腹式呼吸。呼吸が浅いと声も出ないし、全身に気が満ちないような気がするのである。若いころから呼吸が浅いという自覚があったのだが、ストレッチをしながら、息を吐きながら静かに力を抜き、身体を地球に預ける。
なんともすごい雑草の根

なかなかに長くはやれなくても、わずか20分意識してやるだけで、気の流れがよくなり、身体が軽くなるので、私としては自分の身体に感謝するという意味でも、つとめてやるようにしている。

ささやかな小さき器も、磨くか磨かないかで、まるで違うのである。こればかりは継続実践しながら、自分の未知の時間のこれからの身体と向かい合う中で、何かが見つかれば楽しいではないか。

よしんば、見つけられなくとそれはそれで構わないではないか。要はその過程の中で、ああだこうだと、何か身体が喜ぶほうへ、自分自身を運んでゆけば、おのずと身体の方が教えてくれるような気が最近はしている。

身体を動かすことも、声を出すことも、要は無意味に楽しく遊ぶことが、一番肝要なことなのであると、私は感じている。



2014-03-18

山陽カルチャープラザでのレッスンがとても楽しい月曜日

私の大切な生徒さんです
月曜日の午前10時から12時まで昨年11月から、山陽カルチャープラザで一人の生徒さんと、二人だけのレッスンを続けている。

このシェイクスピアを読むレッスンに参加されているUさんのことは、五十鈴川だよりに書いたことがあるので、読まれたことがあるかもしれませんが、なんとも素敵な凛とした(、年齢はどうでもいい)私なんかよりはるかな先輩の、女性である。

その方とのレッスンが、昨日もありました。生徒数が少ないにもかかわらず、カルチャープラザは4月からも、継続するということで、Uさんは大変喜んでくださいました。

昨日はロミオとジュリエットの3幕を二人で読んだのですが、この二人だけでシェイクスピアを読んでいる時間が、最近にわかにたとへようもなく、貴重な時間に感じられる、幸福な時間になってきました。

Uさんとは、レッスンの合間は生徒と講師という関係ではなく、それぞれの人生体験によって生じる共通感覚のようなものが、共有し合え、歳は離れていますが、なかなかに楽しい話相手になってきているのです。

いろんなところを旅されていますし、何より自分らしく一人で仕事をされ、芸術を友として生きてこられた、これまでの人生の歩みが、声を聴いているとよくわかるのです。それにしても戦前の大連生まれのおおらかさに私は感動してしまいます。

文体も人なりとか、顔を見ればわかるとか言いますが、声にもその方の歩んでこられた人生が投影されるということが、よくわかります。いかに一日一日をきちんと生きないと、こういう風な素敵な高齢者にはならないということの、見本のような方が、私の生徒さんなのです。
Uさんに頂いたカルフォルニアから届いたオレンジ

Uさんは、いつこの世とおさらばしても、悔いはないという感じで、静かに背筋を伸ばし、小さな声でたんたんと読まれます。もう私はUさんにはレッスンをするということはしていません。ただただ二人で声を出して読む。生きていることの純粋時間を共有する、それで十分なのです。

可能な限り二人で、シェイクスピアの作品を読んでゆきましょうと、話し合っています。やがては二人だけの、小さな発表会もやれたらなどと、夢も膨らみます。おぎゃと生まれて、やがてはこの世をおさらばするまでのひととき、命を、お互い声を出し合うことで確認する。

存在している今という時間を、身体で確認するという意味では、演劇ほど適した分野はないのではないかという気がしています。うまいとか下手とか、そういう次元を超えて、今の自分の身体で素直に声を出す、晩年ライフを見つめてゆくヒントのようなクラスを、カルチャープラザでは目指したく思います。

2014-03-17

62歳、悩む力を維持しつつ、お爺さんになってみたいという夢が生まれました。

第2部・戦火のナージャ(是非見てほしい)
18歳で世の中に出てから、30歳を超えるまでは、我ながら本当によく悩んだ人生だったと振り返り思う。今はまだ人生を語らずとこの間書いたばかりだが、この年になると、折々振り返りながら、ゆっくりと、可能な限り、終活に意識的に向かいたいといった心境になっている。

私が自費ロンドン演劇留学から帰り、文学座を受けたのは27歳の時、普通は演劇をあきらめるころの年齢だった。私がもう若くないと弱気になると、亡くなった母が、何を言っているの、どんな人も今が人生で一番若いのだと、背中を押してくれた。

以来、生来単細胞の私は、その時点で自分なりに考えられるベストを尽くし、決めたら一切後を振り返らず、前へ前へと歩んで、現在を何とか生きているといった、あんばいである。自分の中の何かが示す、方向へとかじを切りながら、結婚を機に、心機一転生きてきた。

62歳になったばかりの今、いまだそのような心持を継続持続出来ていることに関しては、はなはだ幸運というしかない。アフリカに初めて行ったとき、直感したように、(この人たちは先々のことより、今がすべての時を過ごして、大いなる神とともにある)人生とは今現在がすべての時の積み重ねでしかないのだ、と私は考えている。

だから、先々のことにまで思い煩い神経を知り減らす、現代人とはあまたの点で私は、ずれを感じ始めて生きているといっても過言ではない。大いなる昔人は生と死を分けることなく、共存していたのだから、私もそのように生きているのである。

祖父祖母、父母とともに今も私は生きている感覚を失っていない。だからだと思う、限りなく不安がなく、満ち足りた人生を妻と出会ってからは送れている。あれも読みたい、いつの日にか妻とあそこにもゆきたいといった、現世的な煩悩的欲望はいまだ止まないが、よしんばそれが実現しなくても、それはそれでよしといった心境なのである。

ちょっと書くのが恥ずかしいのだが、この秋長女が結婚するので、お爺さんになってみたいといったことを、感じ始めた自分がいる。一年前までは考えもしなかったことである。だから人生は面白い、ある日突然、劇的といってもいい心変りが起こるのである。

長生きなんてことは考えもしなかったが、今はまじめに考えている。孫と見知らぬ国を旅してみたいなんてことを考え始めるのだから、我ながら実にいい加減である。これまでにも何度も書いているが、絶対矛盾からは生きている限り、逃れられそうもない私である。その往還。

不安と悩みは私の中では異なる、悩みは人を成長させる。そのことにしっかりと向かい合わない人とはあまり個人的にお付き合いしたくない。悩む力がないと(逃げずそこから出発する)、あくまで個人的な考えだが、人はその時点で、何か成長が止まってしまうのではないかという気がする。

今もささやかに、楽しく私は悩んでいる。極論すれば、生きることは楽しく悩むことに尽きる、その力を可能なら若いうちに貯えないと、晩年に貯えるのは(お金と違って)途方もなく難しいのではないかと、思う。

朝から、何やら論旨にまとまりなき五十鈴川だよりになってしまいました。

2014-03-16

休日、穏やかな春の朝に、穏やかな日々を送れる幸福を妻とともに噛みしめる。

赤いローズ
一雨ごとに温かくなり、小さき人間がどんなにこざかしく抗おうとも、大いなる見えない宇宙の摂理の中で春は訪れる。私などただただ頭を下げ今を生きられることに感謝し、静かに生きるだけである。

あらゆる人為的環境汚染が進む中、我が家のささやかな庭先の花や植物も、咲きほころび生命力を私に告げている。中でもこの数年妻が丹精をこめて育てているクリスマスローズが見事に花をつけ、それをじっと愛でる余裕が今の私にはある。自然には嘘がない。ようやくにしてつかんだ妻との穏やかな晩年時間。

あらゆるかまびすしい報道や情報からは、出来る限り遠ざかり、土の近くで静謐に暮らしたいというのが、私の正直な心境だ。最近は何を(軸にして)信じたらいいのか、まさに混とんとして危うい時代状況だが、そんな時こそ、足元をきちんと見つめる。

自分に嘘をつかずに生きる、そのことを可能な限り見つけながら生きてゆきたいというのが、ささやかな、残りの自分の人生の願いだ。身の回りの小さき大切な人たちとの時間を優先して生きたいのだ。

何度も書いているが、これまでの自分の生き方(大いなる反省を含め)を、ようやくリセットできつつある、今の私の暮らしを、私は楽しめている。地球の自転のように、一日ゆっくりと寝て起きて自分と付き合いながら。

ともあれ話は変わるが、人を殺すための道具を、儲かるといった理由で、作って売るなどということが、白眉のもとにおこなわれる法律がまかり通る時代がきた。時代は進歩しているのではなく退歩しているのではないかという気さえしてしまう。技術の進歩と精神の荒廃。虚ろな(心から笑えないねじれた)肉体。

そういうことに関してきちんと意見を述べる、教養豊かな、言論人や知識人や芸術家のあまりの声の少なさには、いささか気が重くなる。私ごとき一庶民でさえ、先行きどんなことが起こっても、後の祭りになってしまう、いわゆる持ちたくはない、危機感を持ってしまう。一歩間違えば、取り返しがつかない危うい時代を我々は共有している。

自分たちの国さえ良ければとか、、自分の暮らしさえ良ければという、もうそういうのんきな時代ではない世界に我々は投げ込まれている、というのが偽らざる私の個人的な思いだ。核時代(我が国は原爆を投下された唯一の国である)の恐怖には震撼とする、またそのことに対する人間に与えられている想像力の枯渇にも私は震撼とする。愛(情け)、love、それぞれの民族に素敵な響きの音がある、その言葉を生みだした人類の英知にこそ、しがみついてゆく側に私は身を置きたい。

競争原理認識にもとずくグローバルな経済活動は、やがては大いなる付けが、我が身にも降りかかってくる、他者あってこその自分なのである。もともと太古には国という概念はなく、時間の束縛もなく、人間はおおらかに暮らしていたのに違いない、と私はおもう。陸も海も人もあらゆる生命がつながっていたのに、すべてがバラバラになって調和がとれなくなってきてしまったのでは、と単細胞の頭で考えてしまう。


その隣の白いローズ
歴史で習ったいわゆる四代文明は、すべて滅んでいるが、今どうやら私たちが営んでいる現代文明生活も、一歩判断ミスをすれば、行き着くところまでゆくしかないという苦い認識が頭をもたげる、時折不気味さを感じざるを得ない。

今の私は、天の下、畑で静かに身体を動かし作物の生育を眺める、その時が、なにはなくとも一番幸せなひとときだ。人間界の雑事からようやく解放され、波長の合う方々と穏やかに生活できれば、これ以上何も私には必要ない。

2014-03-12

サンナントリオでの春の農仕事いよいよ本格的に始まる。

五日ぶりにサンナンの畑で体を動かした。朝は寒かったものの日中は気温が上がりい過ごしやすく、真冬とはまるで違って気持ちよく身体を動かし働くことができた。

これからおそらく、たびたび我がブログに登場するであろうN氏とともに、普段通りコンビでバカなことを言いながらの久しぶりのコンビ復活和気あいあい作業。

F氏の指導のもと、3人トリオでの風通しのいい職場である。メリハリをつけ、テキパキと仕事を進めてゆく。

雨の日は、畑に水を定期的に散水するための、塩ビ管の装置などもF氏が考え、それの微妙な接続の仕方、切断の仕方、カットした部分を何百個も削ったりと、少数なのでやる仕事は切りなくある。

お天気に合わせて、動いてゆくしかない農の仕事ではあるが人間は考える。F氏は考えもするが若く身体も動くので、若い上司を私もN氏も信頼して仕事をすることができる。

何よりもチームワーク、信頼関係こそが、サンナンの農の基本である。寒い朝、タイムカードもない時間、一番先にやってきてストーブに丸まって仕事の段取りをN氏が考えている。
倉庫の前で朝まず焚火

働き始めてようやく半年近く、何が何だかよくは分からない中、初めて経験することばかりなのだが、自分でも年齢のことを忘れ気持ちよく働ける職場に巡り合った幸運は、いまだたとえようもない。

今日は、おそらくネギを手で植えてゆく地道な作業になる可能性が高いが、どんな作業であれ、早い遅いはともかく、植えないことにはネギが育たないので、しばし春とともに地道な単純労働が続くが、一列植え終わったときのささやかな喜びは植えた者にしか分からない。

順繰り、いろんな労働があるので、農の仕事は決まり切ったことばかりをやるわけではないので、頭も体も両方使うし、知らぬ間に時間が過ぎる。中高年にとっては、実に適した仕事だと私には思える。

時間に追いかけられるのではなく、時間を忘れてしまうのである。ともあれ、N氏が待っている、職場に向かおう。

2014-03-11

命日近く、28年ぶりに届いた亡き母の写真

起きてささやかに黙とうしました。昨日は亡き母の命日でした。東京大空襲の日でもあり、おそらく生きている限りにおいて、3・11,3・10日は、忘れられない特別の日ということになります。

ところで先日、思わぬ母の写真を頂きました。来月結婚する姪を、膝の上に抱いたおそらく40代の頃の写真です。老いた母の写真は持っていますが、人生で一番幸せであったであろう時代の写真は持っていなかったので、貴重な写真です。

母の命日にまるで合わせるかのように、私の手元に届いた、一枚の母の写真は、宝物のように今私の手元にあります。この一枚の写真が、私の手元に届くまで28年の歳月が流れました。

人は普通一生の間に何度も絶望的な体験を、おそらく何回かはして、大きな転機を乗り越えながら、前に進むしかない、生き物ではないかと、個人的にはしています。いまだその渦中を、悩みながらも、ようやく楽しく生きていられる日々を、ほんのわずか実感している私です。

今はまだ、人生を語らず、前に向かって歩むことに、重きを置いていますが、少しずつ、時折振り返りながらも、前に進む年齢になってきたという気がします。

孫を膝に抱いた母は、なんとも幸せそうな表情をしています。孫、とんと実感がわきませんが、やがては私にも、このような時が訪れるのか、否か、まったく分かりませんが、老いてゆく中での、役割のようなものがあるのだということを、今後可能な限り、考え続けたく、母の写真を見つめながら思います。

ともあれこの年齢にならないと、やはり人間には深くは実感できないことがあるのだということを、ようやくにして知るように思えます。そういう意味で、生きてゆくということの大変さを乗り越え、孫を抱いた幸せな母の一枚の写真の重さが、ほんの少し私にもようやく分かりました。

先日の上京出張で、今秋に結婚する娘と婚約者と過ごす時間が持てたのですが、感慨深く夢のようでした。家族のありがたさもまた、沁みいる年齢になってきたように思います。

次女が、ホームステイから帰ってくるまで、犬のメルと、妻と私の3人での暮らし、生きるということは、まさに変化移ろいが、本質ということが分かります。日々生成を繰り返しながら、やがては大いなる神秘というしかない、宇宙に帰依してゆく。

3・11が起きた日の朝は、何やら私もいつもの朝とは異なるような、五十鈴川だよりになってしましいました。動いて、生きて働けるということの、幸福、重み。

2014-03-10

肌寒き春、思いもかけず、大きな出張時間を頂きました。

帰りの新幹線で読み続けました
まる4日間、岡山にいなかっただけなのに、ずいぶんいなかったような気がしながら、昨夜9時過ぎ我が家に帰り、ぐっすりと寝て、ブログを書き始めている。

まだ起きてわずかしか立っていないので、頭も身体も、もわんとしているが、意識といいますか、心は実に穏やかで、今回この出張という時間を持てたことのありがたさを、感じている。

今回、A専務の指示がなければ、これまでの私の人生では、おそらく会えることもなかった方と会うことができたという意味で、又ひとつの新たな出会いが加わり、そのことひとつとっても今回の出張はありがたい時間を与えて頂き感謝している。

いつも過ごしている生活範囲の中では、なかなかに新しき出会いは、起きにくい環境を否応なく生きてゆかざるをえない中、思わぬ人との出会いがあった(これから本格的に始まる)今回の出張時間は、おそらくこれから先、私が生きてゆく時間の中で大きな意味を持つような、予感が今している。

いちいちの出来事を詳しく書き記すことは、なかなかに難しいのだが、意識のパラダイムシフトを実践しておられる方に、お会いすることができ、私の中にもそのようなタイミングの季節が緩やかに訪れていることを、いろんな意味で確認することができた、出張時間となりました。

人は会うべき人には、やがて会うなどと言うことではなく、以前書いたかもしれませんが、私は犬も歩けば棒に当たる、ということをかなり信じてこれまでも生きてきましたので、今回もそのような感じなのですが、A専務の指示がなければ、おそらくこういう出会いはなかったという意味で、繰り返すが感謝している。

最後出張と休みが重なり、昨年から東京で働き始めた、娘と婚約者のレイ君、又長年の大切な我が友人たちとも、穏やかな旧交を温める思わぬひとときも過ごすことができ、きわめて個人的なことながら、感慨深い思いにとらわれました。

ともあれ、今日から普段通りの生活が始まります。今回の出張が、意味のある出張に変化してゆくには、しばし時間がかかりますが、2年先、3年先を見据えながら、A専務が目指す、サンナンの農の部門で役に立ちたいとの今の思いは、五十鈴川だよりに記しておきたく思います。

2014-03-06

A専務の指示で出張にゆくことになりました。

私が働く会社の近くには梅の木が多くみられるエリアで、鮮やかな梅の木を眼にするようになってきつつある。背景は青空、寒風に中に色が際立ち、春近しを告げている。

昨年の今ころは、サンナンで働くなんてことは考えもしなかったから、まったく人生の先行きなんてものは分からない。

いつものように朝から何やら、唐突な書き出しだが、これにはわけがある。実は今日これから、A専務の指示で、埼玉でとある方に会うために、出張することになったからである。

何のために行くのかの仔細は割愛するが、これも全く予期しないことであったので、私としては驚くのである。まだ農の仕事を初めて5カ月足らず、私ごときが何のお役に立てるのかは、判然としない中、ただ楽しく働かせてもらっている、といった認識しか私にはないのだ。

だが、専務は気楽に行ってきてくださいとおっしゃるので、私は素直に指示に従うことにした。以前も書いたが、A専務は、独力で農の勉強をして、中高年が生きがいを持って、そこそこ生活してゆけるような、志を高く掲げる農業を、企業人として目指している稀な人なのである。

私などとはまるで異なる発想の持ち主、狭き門に風穴をあけるように、安全な野菜を作り、それを消費者に届け、なおかつ利潤をあげ、それで生活ができる、新しい農法を目指している。

A専務が目指している農を、わずかだが働いてみて私なりに思うのは、一言でいえば嘘のない農業、限りなく風通しのいい、自然な農業だと思う。(命が見えない農薬農産物や見た目の美しさ、汚染食品を口にし続ける、無知ゆえのの恐ろしさ、現代生活の不気味)

私ごときでも思う。限りなく農薬が使われ続けている農産物がほとんどのこの時代に、限りなく不感症、鈍感になり、そのことに対しておかしいと(さえ思わない)は思っても、その消費流通構造にがんじがらめになっていて、身動きがとれなくなっている。

そこのところをあきらめず、柔軟に、果敢に、ひたむきに歩んでおられるのだ。農業部門を立ち上げて、3年足らずようやく少し光が見え始めている。A専務だけではなく、現代農業や、社会の多様な分野で、根本的に生活や暮らしの見直しの動きが、水面下で活発に動き始めているのを、私も感じている。そこに希望がある。私自身の生き方も問われる。

若い方たちが、都会から地方に(特に大震災以後)移住し、お金に使われるのではなく、本来のお金に立ち戻る経済活動へと、意識的なパラダイムシフトが始まってきた、ように私は感じ始めている。

目先のことではなく、3年、5年先を見据え、農と食を中心にした根本生活に立ち還り、自然との調和を、学びなおすために、動き出している若い方々の取り組みを、視察するための出張なのである。

2014-03-03

遥かなる勝利へ、観に行きました

昨日ブログを書き終えた後、母と妻とガーデニングをし、早めにブランチを庭でして、妻と二人でニキ―タ・ミハルコフ監督の【遥かなる勝利へ】を観にシネマクレールに出かけました。

一日に一回、12時05分から一週間しか上映されないために、観逃すとたいへんなことになるので、私にしては用意周到で出かけました。

これはという映画は、私はDVDでも映画館でも可能な限り一人で観るようにしているのですが、この映画は、妻にもどうしても見てほしかったので、妻とゆきました。

19年かけてのひとつの長編作品、映画が始まるまで、黙して始まるのを待ちました。映画が始まり終わるまで、画面に吸いつけられました。まだその余韻の中にいます。

おりしもウクライナと、ロシアの間で緊張が高まっていることが、新聞の一面で取り上げられている日でもありました。映画の内容と、今のウクライナ情勢とは、何の関係もありませんが、観終え今、にわかにきちんと眼を通したくなってきています。

私はニキ―タ監督の大ファンなので、とにかく彼の気宇壮大な映画的世界観を、堪能できるだけで嬉しいのです。久しぶり映画を見て、涙が出ました。

これほどまでに、日本人の私の感性に響いてくる映画人が、現在生きてロシアにいるということ。その監督と同時代に私も生きていて、最新作を観ることができたということの喜びは、筆舌に尽くしがたい。

私は二十代の終わり、シェイクスピアシアターにいたころ、三百人劇場のロシア映画特集で初めてニキ―タ・ミハルコフ監督の【機械仕掛けのためのピアノのための未完成の戯曲】を観て以来、この監督に魅入られました。

以来可能な限り観ています。夢が原で働いていたので、なかなかリアルタイムで観ることはかないませんでしたが、今回は岡さんのお知らせもあり、やはり自然に観ることが叶いました。この年になると、そうは心から観たいと思う作品は、私の場合少ないのです。

今を生きる元気の源は、十代、二十代で、いろんな作品から十二分に堪能、頂いてきましたし、今は過去の名作をDVDで観ることができるがので、過去の作品が今も私にとっては新しいのです。

個人的な資質にもよるのでしょうが、フィクションの場合、観終えてすがすがしくなるような作品がやはり私はどうしても好きなのです。それから戦争を題材にした映画、シンドラーのリストとか、プライベートライアンとか、プラトーンとか、そのほかにもたくさん作られていますが(地獄の黙示録は別)
観た記憶はあっても、頭に残っていないのです。

記憶に残るシーンが多い、いつまでも余韻が残る映画が(自分の感性に響いてくる)私は好きです。エキストラはじめ、俳優たちの珠玉のような演技の素晴らしさには、言葉を失いました。

当たり前ですが、映画は設備の整ったいい映画館でこそ、本当は観るべきものです。だからこそ国立映画館が、必要だと思います。

話がそれました。遥かなる勝利へ、記憶に残る名場面の連続です。ニキ―タマジックが随所にあふれ、そのタッチのこまやかさと、何ともたくましくおおらかな大胆さ、若々しくみずみずしく圧倒されました。

嘘という映画の中に、これだけの命ほとばしらせる真実を、全存在をかけて、命がけで籠める映画作家の情熱、ロシアの広大無辺、大地の美しさの中で、繰り広げられる、愛と裏切りと憎しみ。ロシア革命から第二次世界大戦に至る時代背景の中、人間の存在の愚かさ、残酷さ、酷薄さ、それを乗り越えた主人公コトフの、人間的崇高なまでの美しさ、犠牲ということの意味、ミクロから始まりラストまで、すごい。

脱帽しました。死と生について、生きるということの丸ごと全体を映画に込めるその真摯な何かは、やはりロシア人の歴史独特の魂が宿っているのだということを、私に知らしめました。国もでかいが人間性もでかい、スケール感がけた外れに大きい。

父と娘ナージャとの、幼き日の平和そのものの、繰り返される幸福なシーン、幼かりし頃の我が娘たちとの日々を思い出しました。いつまでもこのような映画が上映され、映画館にこれからの未来人がもっと足を運ぶような国であってほしいと、願わずにはいられません。

2014-03-02

さりげなき穏やかな雨上がりの朝に思う。

我が家の菜園場を駆け巡るメル
昨日から我が家は急にがらんとしたふんいきになった。というのは、次女がニュージランドに2週間ホームステイに出かけたからである。長女は昨年春から東京で新生活を始めているし、もう数年たち、次女が我が家から出ることになれば、夫婦二人と犬のメルとの生活になる。やがて母と3人での。

椎名誠さんも書いていたと記憶するが、自分の子供と過ごす時間というものは考えてみるとそんなに多くはないのだ。まして働いていると、実質どれくらいの時間を娘たちと過ごしたかは、覚束できないくらいくらいに。

まして我が家は、女の子二人で事に思春期からは、母と娘は同性同士、親密な関係性が構築できるような気がするが、、男の私にはとんと共通の感覚を持てる話題が少なく、なんともはやうつろにさびしき思いをたびたび経験することが多い。

こんなことを書くと、そこはかと中年男の悲哀が漂う。男としての氏育ちによるなんとも制御不可能な思いに、時折茫然としてしまう。だがそのことを覚悟して、生きるという決意のようなものを、今のうちにしっかりと受け止めて、自律してゆく道を思索したいのだ。

幸い、農の仕事に就いたおかげで、何やらいい方向へ、自律晩年ライフに向かえそうな最近の我が暮らし、一年まえとはまったく異なる日々を送っている今現在が、ささやかに嬉しい。

以前も書いた気がするが、これまでの企画を中心とした生活には決別して(止めるのではなく)もっと、地面と向かい合う暮らしの中で、落ち着いた昔の生活を生きるお手本として、少しでも学ぶ時間をかぎられた中で増やしてゆきたいのだ。

これから先、すべてをスローライフに切り替えて行きたい。これまでなかなかできなかった料理をはじめ、ささやかにチャレンジしてゆきたいことが私にはある。もし自分が亡き父くらいの年齢まで生きることができたとしたら、先のことは分からないにもせよ、父のように静かに暮らしながらも、囲碁をしない私は、又異なる終章をと考えている。

私の生家は跡かたもないが、晩年まるで東京物語のように、老夫婦で庭先のしだれ梅を愛でていた姿が目に焼き付いている。いい意味での諦念の境地のような雰囲気が、二人の後ろ姿にはあった。

義理の母(この母には頭が上がりません)が昨日から泊まりに来ていて、テキパキと元気に朝から掃除をしてくれている。私もブログを書き終えたら、妻と3人で薪の積み替えをすることになっている。何気なくさりげない日々、穏やかに過ごせるということ、感謝。



2014-03-01

ニキ―タ・ミハルコフ監督の・遥かなる勝利へ・が今日から上映されます。

いまひとつ気分がすぐれない時も、真っ白い画面に何か書いていると、時折まったき自由感に襲われ、精神がのびのびと解放される。自然にやんごとなき事を綴りたくなり、つづれるということの、気恥ずかしさの中にも、やはりありがたき、嬉しさのようなものがある。

それから量には関係なく、読んでくださる方がいるということのありがたき重み、バーチャルではあれ、眼には見えなくても何かつながっているという、そこはかなき幻想感覚の重み。だからこそ継続し書くことができるのかもしれない。がしかし、バーチャルに酔わないように自戒しないといけないと、思う。

日々の何げなくすごしてゆくかのような(本当はきっとそうではなく、嵐の前のような動きが、水面下で、ひたひたと進んでいるような気がしてならない)現在の自分自身の日々を、ささやかに懐疑的に生きないと、と思わざるを得ない時代感覚がかすかにあ私にはある。

さて、以前ブログに書いた、私の大好きなニキ―タ・ミハルコフ監督のひっきょうの集大成三部作の三作目・遥かなる勝利へ・が今日からシネマクレールで上映される。岡さんがわざわざチラシを送ってくださいました。(岡さん、深く感謝します)

今日は無理だが、近日中に必ず観に行きます。太陽に灼かれて・戦火のナージャに続く第三部、私は、前の二作はDVDでしか見ていないので、完結編を映画館で観ることが出来ることが、本当にうれしい。岡さんが知らせてくださらなかったら、よもやまたDVDになるところだった。持つべきものは、友である。

映画には、映画でしかできないことがある。分けても人生の19年かけての三部作、二部から三部までも8年かかっている。この大河の流れのような、骨太でしかも繊細なタッチ、ユーモアを持つ、ニキ―タ・ミハルコフ監督が私は大好きである。

やはりロシアの伝統、風土、歴史、民族性の良き芸術的DNAが、いかんなくニキ―タ・ミハルコフ監督には受け継がれていると感じる。私の好きなチェーホフの悲喜劇性もすごく感じる。何よりも、いかんともしがたい、人間の持つ滑稽で愚かな側面を、温かく肯定的に描くところが、私にとっての魅力だ。

雄大な構想力を満々とたたえ、部分と全体を、絶妙なバランス感覚で、エクストラをはじめ、映画に必要なあらゆる分野の才能を束ねられる監督はそうはいない。商業主義的娯楽映画とは、一線を画している。こういう映画を撮ることができるロシアという国、多面的にその国をとらえないと、近視眼的に陥りやすい私なんかいろんなことを考えさせられる。

芸術性と娯楽性を同時に描ける稀有な監督だ。亡き黒澤明監督とも仲が良かったという。分かる気がします。時間なく、落ち着いて書けないが、このブログを読んで関心をを持たれた方にはお薦めのフィルムです。19年もかけ最終章、このようなフィルムを一回で観るなんてことは私にはちょっと恐れ多いことです。名作は繰り返し見るに耐える、組めども尽きせぬ輝きを持っています。

久しぶりに、全身をフィルムに浸したく思います。