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2016-02-28

怜君が我が家にやってきてまる6年が経ちました。

先週に引き続いて怜君が岡山仕事で、金曜夜から帰省し昨日は終日家族と過ごし、先ほど駅まで送っていった。

怜君が我が家に初めてやってきてから丸6年が経過した。交際5年の2014年秋娘と怜君は挙式し、今では怜君は単独で我が家に帰ってくる。

もうすっかり 家族なのである。妻も母も娘も彼が帰ってくるととにかくうれしそうで、かくいう私も今や頼もしきわが息子という感じなのである。

男同士あまり多くを語り合わなくとも、息子と酒を組み返す時間は事のほかの幸せな時間と今やなりつつある。

下の娘は怜君をお兄ちゃんとしてしてすっかり慕っている。二人はひっきりなしにおしゃべりをしていて私を驚かす。
2月13日、娘たちと怜君が創ってくれたバースデーケーキ

親子関係、姉妹関係、友人関係、ありとあらゆる関係性をつつましくも豊かにしてゆく秘訣はどこに在るのか、ひとえに相手を思いやるということくらいにしか、凡庸な私には思いもつかないが、当たり前のことが普通にできるようになればことさらな秘訣などは不必要ではないかと、私は思う。

在り難いことに、我が家では平凡極まるつましき平和を、ことのほかに享受できる、小さき春の幸福を昨日も堪能 した。

近所に梅の花を見に出かけその下で瀬戸内海を遠望しながらお弁当を食べ、午後はちょっと遠出して高原に在る温泉に母もともに全員でいった。いい湯だった。

帰ってきたのが7時過ぎ、それから全員で手早く夕飯の準備、焼肉でのにぎやかに5人での夕食タイム 。ビール、ホットワイン、日本酒を飲みながら10時近くまで、怜君の参加で楽しさは倍加した。

彼はにぎやかなのが好きだし、そこそこお酒も強いしけっして乱れないし、私もお酒が入れば話が弾み幸せな気分に浸れる。(10時過ぎに私はダウン、娘と怜君は11時半まで談笑していたらしい)

一人では決してこういう気分にはなれない。私には程よい家族関係がどうしても必要な星のもとに生れ落ちていることを 実感する。

娘が怜君を我が
家に連れてきてくれたことを、私は家族を代表して 感謝する。何かしら心から大切なものを日々育ててゆくことの中からしか、愛情は育たないのだと若い夫婦に私は逆に教えられ励まされる。

2016-02-23

竹韻庵で初めて育てたブロッコリーを一個収穫し想う。

約4か月かかって漸くブロッコリーが収穫できるくらいの大きさに育ってきた。とりあえずいま竹韻庵で育てている野菜は土ができていない小さな畑に、開墾ばかりではさみしいので植えたものばかりなのだが、それなりに育ってきている。

一番数が多いのは玉ねぎ、チシャトウ、つぎがブロッコリー、九条ネギ、 そらまめ、それとキャベツと、セロリとイチゴが各5苗である。玉ねぎとチシャトウ、以外は初めて植えたものである。

竹韻庵にゆきだしておおよそ7ヶ月、あと5ヶ月で一年である。自分でもこんなに早く収穫の喜びに浸れるとは思いもしなかった。

天然で冬野菜はかなりできることがわかった。問題は、すべての自然が活性化するこれから、夏から秋にかけての野菜がどのように育ってゆくのかが、不安でありまた楽しみというところである。

何かを植えると竹韻庵の風景が変わる。耕すとまた少し変化する。私自身も季節の中でかすかに移ろい、目には見えずとも何かが変化する。

季節の微妙な移ろいを何か体感しながら、そこに自分がただ在るということに対していいしれぬ穏やかさが私を包む。

なにかにあやかる、与えられているとでもいった感覚が育ってくるような気がいま私はしている。その感覚はやはり、おのれの肉体を全部注ぎ込まないとなかなかに育まれてこないのかも 、という気がする。

ともあれ、いよいよこれから本格的に晩年を生きるための喜びとしての超ミニ畑ライフを 非力なあたまと体で挑んでゆきたいと考える私であるが、さてどうなりますか、スリリングである。

S氏も私のブログにコメントをくださっているが、土や風に触れる暮らしが幼年期の私の原体験なので、いきおい私はどうしても原風景の中につつまれて晩年ライフを送りたいのは致し方のないことだと受け止めている。

電子ライフと、土ライフ、アナログとデジタルの共存のバランスがかなめである。機器には血がないが必要、私という臓器は隅々までが命の器である。

そのかけがえのない命を、確認できるのは人間が創ったと都市ではなく、人間がやってくる前からあった、この惑星の大自然である。そこに私は帰依するのである。

ああ、今朝もまたまったく予期しなかった五十鈴川だよりになってしまったが、森羅万象の命の移ろいに耳を澄ますためには、今や竹韻庵は私の体の一部になりつつある。

2016-02-21

息子の怜君が弓道の試験に合格しました。

昨日はまさに春の足音が近づいていることが如実に感じられるような一日で、終日どこにも出かけず家の中で過ごした。

早朝バイトに出かけてゆく娘を駅に送っていったのだが、午後には娘も帰ってきて、私にはしては遅い12時近くまでの土曜日の夜時間を親子で過ごした。3人で珍しくTVを見たり、クロスワードをしたり、私はスマホで文字を打つ練習をしたりした。(すべて妻が私の先生である)

私も家族ラインには参加することになったので、一日に一回は見るようになり昨日はわが家族にとってはうれしい事があった。それは怜君が弓道の試験で3段に合格したという知らせ。

ある面、いまどきの日本人よりもなんいろいろと日本について学び、知っている 娘婿怜君の快挙を私はラインで祝福した。

娘が結婚したことで、こんなにも感じのいい息子が突然できるなんてまさに親ばかならではである。

先週帰省していたばかりなのに、木曜日も水島の仕事で急きょ岡山に帰ってきていて、カルチャーセンターでのレッスンを終えた私と待ち合わせ、二人で遅い夕食をしたのだが、待ち合わせまでのわずかな時間、彼は岡山の徳山道場で稽古をしていた。

その努力が実ったのだ。まあ何事についても言えることだが、苦楽を楽しむくらいの努力を積み重ねないと、体の芯からの光は射さないということではないだろうかと、小生は考える。

私などはあらゆることに努力が足りず、気づくのもおそく、怠惰でのんきな体質をときに持て余しながら、いまも反省しながらなんとか日々を過ごしているという塩梅なのだから。

努力というといかめしいが、集中と弛緩の繰り返しのなかでしか無の境地には至れないし、そこまで持ってゆくには普段の稽古しかない、というのが現時点での私の考え。

これは声を出して読むことにも通じるが、繰り返すことの中からしか新しい声は生まれないのである。
我が家の台所でくつろぐ妻と怜君

日々生きなおしながら、新陳代謝しながら 、単純にシンプルにと、漸くにしてそ私も還暦を超えたころから、身体が動かなくなるにつれて、動けることや声が出せるあらゆることが実は当たり前ではないのだという気づきが深まってきた。

だから、気づいた今ならできそうな気がしているから(確実にできなくなる) 無謀を承知で間違いの喜劇を全幕読んで遊ぶのである。

人間は間違う、だからこそ素晴らしいのだとの側で私は生きたいのだ。血と肉のなかで永遠に彷徨うのが、人間の業。ならばその業を背負って生きるしかない、とぼとぼよたよたでいいのだ。

シェイクスピアはこの世は舞台だといっているが、まったく同感。この世の片隅で、雨上がりの日曜日の朝、他愛もない五十鈴川だよりを虚空にむかって書けるひととき、格別である。



2016-02-20

イノシシの子供を供養し、命の循環に感謝する。

昨日、メルと竹韻庵にいったら入口の雑木林の木の葉の上に、イノシシの子供が死んでいるのを見つけ、予定を変えスコップとつるはしで穴を掘りとりあえず埋葬した。

赤ちゃんイノシシであったので、なんとかすぐに埋葬できたが、これがおおきなイノシシであったら、きっと相当大きい穴を掘らないといけないだろうから時間がかかっただろう。一応石を置いて供養した。

ついさっきまで生きていた命が動かなくなる。まさに命の不思議に思いをはせながら穴を掘った。久しぶりに神妙な面持ちで、里山でひとり死んだイノシシとの ひと時をすごした。

すぐそばに小学校があるのだが、まさにいまほど命の授業が必要な時代はないのではないかとの思いを私は強く持っている。命に対する畏怖の念がこんなにも軽い時代がこようとは。

ああ、資本主義経済の中でお金に翻弄される無数の命のはかなさよ、とときに絶望的なおもいにとらわれながら、初老男は命の素晴らしさに思いをいたす。

日々報じられる痛ましきニュースの数々、五十鈴川だよりではとんと書く気にはならないが、快適便利不夜城の都市型ライフは命の不思議を心底から凝視するには、あまりにも明るすぎる。

今こそ漆黒の闇の奥を見つめる、夜の授業(親子そろっての)が必要な時代が来ていると小生は考える。とまれ、話がそれた。

竹韻庵の周りにはイノシシが出没することがはっきりしているので、なるべく共存するような形であればいいのだが、今度は生きたイノシシに出会うのではないかという気がしている。

その時はその時で腹をくくるしかないが、作物を育てたい私としては悩ましきイノシシ対策を練らねばならないかと思うとちょっと気重になる。今はイノシシのあまり好まない作物を植えているが。

話は変わるが、昨日妻の職場の近くでいただいたコンパネの半分サイズの丈夫な 合板を4枚を竹韻庵に運び、落ち葉の堆肥場をつくった。作ったといっても杭を打ち込み、3方を囲っただけのシンプルなもの。

ここにどんぐりの落ち葉を運び、米ぬかや、野菜の不要部分そのほかいろんなものを混ぜ醗酵させる場所をとりあえず何か所か作りたいのである。

脈絡のない朝ブログになったが、絶対矛盾の思いにとらわれながら、五十鈴川だよりは命をいただきながら わが命を生きながらえ、循環する命の連鎖に感謝の念を忘れたくはない。



2016-02-16

塾生のA子さんに薦められ【あん】という傑作フィルムを観ることができました。

水曜日の真夜中に娘と怜君が帰省し、日曜日の夕方帰るまで母もずっと泊まったし、久しぶりににぎやかさが充満した日々を過ごした。

彼らが帰り母も帰り、我が家はいつもの3人での暮らしにかえった。 やがては下の娘も、この4月からは社会人になるので遠からず家を出てゆくことになるかとおもうと、やがては夫婦二人の生活になる。

その日を静かに迎えるべく、今しばらくは娘との3人での暮らしを大切にしたいと私は考える。

ところで昨夜、お正月いらい久方ぶり映画館で映画を見た。これは遊声塾のA子さんがすごく感動したと私に薦めてくれたフィルムなので何としても観なくてはと思ったのだ。

私の娘くらいの年齢の方から、薦められるフィルムとはどのようなものなのかを確認したいという気持ちが動いたのと、幾分自分の世界に(そんなものがあるないは置くとして)ひきこもるかのような暮らしをしている私なので、虫の知らせ的な感覚で出かけたのである。
妻が拾ってきた花は白血病を乗り越え元気です

19日まで朝と夜の2回しかやっていない。なんの先入観もなく出かけた。

【あん】という タイトル、河瀨直美監督の作品だと知った。この方の映画は萌の朱雀を見ている。独特の視点、タッチがある。

【あん】、一言でいえば傑作、いろんな意味で染み入る様に打たれた。

何度も書いているが私の好きなフィルムは想像力を刺激する、説明の少ない、余韻の残る作品である。なにげない日本の風景の中に、人間が溶け存在している。

あんという作品にはまったく無駄がなく、セリフも少なめ、しかし登場人物の存在感は圧倒的である。何よりも丁寧に映像詩(死)のように、女性の特質ならではの河瀨直美監督の映像世界(映画でしかできない)が映し出される。

残酷な美とでも形容するしかない人間世界の在り様を、月や風や光、色づいては変化する樹木の紅葉、花々が、季節の中でそっと包み込む。

いまは見たばかりで、多くを語りたくはない。ただすごくうれしかったのは、このようなフィルムを私に薦めてくれる感性の女性が私の塾に入ってきてくれたことに、ただ感謝している。

映画を共に観ていた観客は10人もいなかったと思うが、このようなフィルムに足を運ぶ観客でありたいと私は思う。少数者の声なき声を芸術作品に昇華する才能に脱帽する。

そして、自分が感動したあらゆる作品を、自分にとって大事な人にも伝えられるようにありたいものだと思い下の娘に薦めたら観にゆくとの返事で、ちょっとうれしかった。



2016-02-13

64歳の誕生日の朝に思う。

お誕生日の朝である。64歳になったわけだが、60歳を遠野で迎えてからあっという間に4年間が経ったことの方にどちらかといえば個人的な感慨を覚える。

この4年間は、娘が結婚したり、自分のこれからの人生の試行錯誤の右往左往、いい意味で、今もだが充実した時間を日々過ごしながら、なにはともあれ健康に生誕日を迎えることができることに、言い知れぬささやかな幸福感につつまれる。

今を生きていられることに 感謝の念を持てるということ、そのことを臆面もなくブログに記せるなどということは、厚顔であれどこか幸福でなければできるものではない。

さて話を変えるが、帰省中の娘たちとは別行動で、昨日母とメルと3人で9時過ぎから午後1時まで竹韻庵で過ごした。

このひと月、竹韻庵では新しい畑地を作るべく、ひたすら孟宗竹の根をつるはしで採る作業に従事していたのだが漸くにして何とか畑の体裁が整うところまでこぎつけることができた。

この畑は、64歳の記念畑に個人的にするつもりである。小さな小さな畑地ではあるが今までで一番時間をかけて開墾してつくったので、やはり単純に喜びもひとしおなのである。

82歳の母が、そばで細かい作業を手際よく手伝ってくれあれやこれやの話をしながらの作業はなんとも言えず愉しく貴重なひと時であることを、何としてもきちんとブログに書いておかねばならない。

母が大地と戯れるかのように、過ごしているさまはまるで童女である。人様の前ではけっして見せない言動姿をさらしながらの仕事ぶりは、畑への作物に対する愛というしかないくらいに丁寧である。
かけがえのないわが家族の一枚

何やら、すべてに通じる根本を母の姿を通して私は感じる。生きるということはやはり雑では駄目である。丁寧に何事もなす姿勢がすべてであると思い知る。子育てもまったく同じだ。

何事も繰り返し丁寧に注意深くやるということの肝要さの中からしか絶対いい作物は生まれないし、土台の畑の土づくりに時間をかけないとどうにもならないのだ。

まったく人間生活にも当てはまることではないか。要領のいいインスタントラーメンのような人間が跳梁跋扈する現代資本主義社会の不気味さのなか、竹韻庵で体を動かす母と私は、まったく時代の流れとは無縁である。

家の中から解き放たれた良き相棒メルもことのほかご満悦だ。午後2時家に戻って、昨夜の残りのすき焼きに具材を足し温め二人で遅い昼食。

存分に動かした体にはなんともおいしい。母は年齢の割に実によく食べる、だから元気なのだ。シンプルライフもここに極まる。

小さな世界の中、人間生活の大事をきちんと押さえながらの暮らしぶり、母が元気なうちに可能な限り学びたく思う、生誕の朝である。

2016-02-10

怜君と娘が帰ってくる朝に思う。

今日はちょっとうれしい朝である。今夜夜遅く娘と怜君が帰ってくるからである。家族全員がそろうのは今年初めてである。

私は先月会っているが、妻や母や娘は初めてなので数日前から、あれやこれやとかまびすしくも感じられるほどにうれしそうである。

再三ブログで家族とは何かということを書いている。まったく私もわからないのだが、若いころ不安定の局地的生き方を選択していた私にとって、妻と巡り合い娘たちと出合えたことは 完璧に私の人生を変えたことは確かである。

よもやまさか、こうも自分が変わるとはと思えるほどに私は変わった気がいましている。そして今、長女が巣立ち、伴侶とともに帰ってくる。オーバーではなく、ひとり私は感無量である。

その伴侶はドイツ人であり、第一次世界大戦では敵方として戦った国なのであるから、世はまさに隔世の感、だが事実である。誰一人時代の数年先は読めない、だからいまが尊くすべてなのだ。

話は変わる、いささか暗い話題で恐縮だが病気やほかの諸事情で家族がなく一人高齢化した方が、過ごす終の棲家の不在が問題化している昨今、あらためて家族の在り方行く末について私は個人的に考える。

何度も書いているから端折りたいのだが、幸いにして私は身近に母の存在をこの数十年見続けているので、あのように老いてゆければいいのだという一つのモデルが在るということは大きい。

一言でいえば、時代の流れに左右されない、自分独自のつましい足るを知る生き方を実践しているということだ。

シンプルにただひたすら家族を思いやる精神には時に脱帽する。もし母が健康でなかったら、きっとこんな悠長なブログなんかを書いている余裕などないはずである。

いまや、庶民にとっての健康はかけがえのない財産である。ひとたびガンやほかの病気にでもなれば、医療費の高額さは計り知れない。

お金のない庶民の晩年の行く末に対しての今の日本社会の冷厳さは、日々の新聞に示されている。だからこそ、私はITに(あいてぃ)にされなくてもわが体に気を使いたいのである。

可能なら母のように娘たちに一年でも長く迷惑をかけないような晩年ライフをと願うのであるが、こればかりは神のみぞ知るということになるので、なるようになるというしかないが、ともあれ考えられうるときに、しかと考える力を蓄えておかねばと自戒する。

とまれ、今夜から数日は家族水入らずの時が過ごせることの、つましき幸福を感謝したい。ところで昨日昨年亡くなった叔父のお嫁さんから贈り物(宮崎の焼酎)が届いた。(怜君とのもう)

叔父の生前、ほとんど関係性がなかった方なのだが(もてなかった)心のこもった直筆のお手紙が添えられていてしばしの感慨が私の中に起こった。

つくづく人間の生と死はままならないものだ。ようやくにしてわたしにもいくばくかの余裕が育った今、今度帰省する時には お線香を手向けにゆこうと思っている。

ほとんど縁が薄かったとはいえ、縁戚関係にあたる方々である。死者はかなたから何事かを私に示してくれる。二月五日は父の命日だった。

この先何が起ころうと、なるべくうろたえながらもおたおたしないようにするためにはどうしたらいいのか自問するのだが、それは死者たちが示してくれていると私は思っている。

2016-02-08

畑にすべくつるはしを振り下ろし、運動公園で声をだす。

4月3日の個人的な発表会を決断したためもあるとは思うが、以前より頻度が増して時間を見つけて運動公園にゆく回数が、意識的に増えてきた。

入場無料とはいえ、人前に自分をさらして何かを見て聞いていただくためには、それなりに修養し自分なりの稽古をしないとという気に、臆病な私はどうしてもなる。

やれば、それなりに何かが裡に起こる。それが生きている手ごたえだ。竹韻庵で竹をうがすのも本質的には似ているが、やはりちょっと似て非なるものである。

竹韻庵で体を動かすことと、シェイクスピアを声に出して読むことは私の中では連動している。おそらく何らかのアクシデントが起きない限り、ある一定の時間つるはしを振り下ろせる間は、声が出せるのではないかという気が私はしている。

ある一定の時間声を出したら、鉄棒にぶら下がったりほかの体の動きをして息を整えてから、また声を出すことを、3ラウンドくらいやるとほどほどの時間になる。

まだ寒いし、喉のこともあるのでそう無理はしないことにしている。体が冷えていて全然調子が出ないことが多いのだが、ともかく続けることが肝心と自分に言い聞かせる。

心身の状態が如実に声に顕れるのがわかる。いかに自分の状態を上げてゆくかが思案のしどころである。これはつるはしを振り下ろすときにも言えることだ。

無理をしてはいけないとはおもうのだが、ついついやってしまうというところがないとないと駄目ではないかとも私は思う。絶対矛盾稽古が私にはとくに今必要だ。

若い時と違って、このような自主稽古は徐々に徐々にそうはできなくなることが自覚できているからである。だから貴重な時間なのである。

やがてはできなくなることが、今ならできる。そのことに対して意識的でありたいと願うのだ。歳を重ねるとお金では買えない多様な世界があることに、ようようにして気づいてくる。

そこにこそ、晩年時間の醍醐味があるのではという気さえして、以前にもまして日々の趣が増してきているかのようにさえ感じてしまう。あるいは錯覚かもしれないにせよ。

時代についてゆき難き昭和男子としては、地面の上で心身のコンディションを量りながら、世の片隅でそっと自分の存在を確認しながら、畑を耕し自分を耕すのである。

2016-02-06

4月3日の個人的な発表会のチラシに掲載する文章を何とか書きました。

パソコンの不手際か、私の不手際かはわからないが、後半の文章が忽然と消えたままブログがアップされてしまった。

昨日の文章は、4月3日に個人的に発表する 、間違いの喜劇のチラシに載せるため、なぜ私が一人で全幕を遊読するのか、その思いを書いた、第一稿の文章をアップしたのだが、何故か後半が消えてしまったのだ。

消えたものを嘆いても仕方がないので、新たに書くことにする。私は臆病だが潔いのである。

【お百姓生活の合間に今も続けているのである。石の上にも三年という言葉がある。塾を立ち上げた当初、何せやはり30年ぶりであるから、私の体はそうはやすやすと文体に反応してはくれなかったが、数少ない奇特な塾生と共に 私は声を出し続けた。

よしんば塾生が一人も集まらなくても続けるくらいの覚悟だった。呼吸を深くして、全身に気を送りシェイクスピアを読み続けることで体に芯が通り、生活の中にリズムが生まれてきたのだ。

若いころにはもちろん帰れないし、声量も落ちているにもせよ、一年二年と遊読を継続してゆく中で、かすかにあの膨大な言葉が少しづつ体になじんでゆく昔の感覚が少し取り戻せたように感じはじめたのだ。

それにともない声を出すことが、塾を立ち上げたころよりもずっと楽しくなってきたのである。もっと書くなら、若いころには遊読できなかったようなところが、ずいぶん読めるようになってきていたりして還暦を過ぎシェイクスピアを声に出して読むということが、私の中で実に新鮮に感じられるようになり、奥深い手の届かない気づきが広がり、深まってきたのだ。

つまりこの30年間の私なりの人生が無駄ではなかったことが、無意識の蓄積が遊読する中で私なりに顕現化し確認できたのだ。(それに伴い塾生も増え、 現在7名もいるなんて夢のようだ)

振り返ると、私は人生の転機の度にシェイクスピアの言葉、シェイクスピアの世界観、宇宙観に支えられ、今もそれにかろうじて支えられながら生きているかのように感じている。

シェイクスピアの言葉は、私が生きてゆく上においての羅針盤である。昨年暮れ一人で公園で間違いの喜劇を声に出して遊んでいたら無性に一人で全幕読みたくなったのだ。ことさら理由は ない。

子供がお砂場遊びをするように、初老の男が言葉遊びをするだけである。衣装も音楽も照明も、とにかくなにもない。素手、丸腰で、高い山に挑むようなものだが挑戦してみたいのだ。
 
生きてゆくことは、 恥をかくことだというような認識が私にはある。当日、息も絶え絶えつっかえながら、遊読することになるかと思いますが、物見遊山でお出かけくださいますように心からお願い申し上げます】

2016-02-05

【2月、私は64歳になった。道半ばだが、18歳で田舎から世の中に出てから、ささやかではあるが非力な己の器を引きずりながら、振り返ると挑戦をし続けてきたように思える。

私は非常に臆病である。数年前退職を前にして、さてこれから何をして晩年時間を生きてゆこうかと自問自答した際、私の中ににわかに沸き起こってきた感情が、30年ぶりにシェイクスピアを声に出して読みたいというものだった。

振り返ると高校生の時に見た、ロミオとジュリエットが 私とシェイクスピアとの出会いだ。登場人物のなかで、私がもっともしびれたセリフは、ロミオの親友のマーキューシオの言葉だった。

シェイクスピア遊声塾もを立ち上げてはみたものの、ほとんど宣伝もしていないし、私の中にも何せ30年ぶりだし自信や目算があったわけではなく、まったくおゼロから虚心にと声を出してシェイクスピアの言葉を発して、還暦を超えての再出発として遊ぶのだ、というくらいの気持ちだった。

だから、塾生を集めるよりも私自身がひたすら遊んで声を出し続けることを週一回にもせよこの3年ひたすら、お百姓の間の都の合間に

2016-02-02

一足早くお誕生日プレゼントに妻がスマホを買ってくれました。

今日は午前中歯医者に行って午後からはS女史との3回目の稽古がある。すでに二回の稽古を終えたが、私にとっては30数年ぶり苦楽の時間が始まっている、とだけ書いておく。

だが、この苦楽の時間は私にとっては実に新鮮である。生きること自体が苦楽の時間だと私は思っているから、元気に動け声が出る間は敢然と苦楽と向かい合いたいと思っている。

ところで、昨年から痛み出した歯の治療だが、ゆくのは今日が3度目、なかなかに予約が取れず3週間ぶりである。

うかつにも歯のことにあまり頓着しなかった付けが来ているので、いささか遅きに失した感なきにしもあらずだが 、この際可能な限りの治療をするつもりでいる。

幸い娘のおかげで良い先生に巡り合ったので、少々お金がかかってもとの思いである。ごく普通にご飯が食べられる、話ができる、ということの何という在り難さ。

歯の神経は脳と密接に結びついているというし、私塾を立ち上げ言葉を発することを 、生きる糧としてこれからの人生を今しばらく右往左往しようとしている私にとって歯は大切だ。

ところで、先日予期しない方から 遊声塾と私の発表会(4月2,3日)の電話予約があった。40名くらいしか入らない小さな教室での発表会である。

まだチラシもできていないし、ブログで告知しただけなのだが、すでに3名の方から予約があるのをとてもく有難く受け止めている。

話は変わるが、来月私は64歳の誕生日を迎えるのだが、その誕生日 プレゼントに妻がスマホをプレゼントしてくれたのである。妻と娘たちと怜君はラインでつながっていたが、遅まきながらわたしも加わったという次第。(確かに怜君の音楽付き動画は面白い)

長年使っていたケータイが古くなってきていて、カメラ機能はじめダメになってきていたので、この際家族とのコミュニケーションに重きを置いてとうとうスマホにしたという次第。

だが、必要最低の使用頻度でスマホと上手に付き合ってゆきたいと考えている。まだ触れて数日しかたたないのだが、確かに上手に使えばこんな便利なものはない。

若い人たち(のみならず)が夢中になるのは時の流れである。私の場合は体を動かしながら、ほんのちょっと必要な時に触れる時間を持つ程度にしばらくは収めておきたい。


2016-02-01

日々の暮らしの時間を可能な限り意識的に過ごせたら。

今日から2月である。なんだかずいぶん竹韻庵に行っていない気がするので今日はちょっとでもいいから、午後野菜の成長の具合も眺めがてらいくつもりである。

何はなくとも、日々の暮らしの中で心が落ち着く場所が、家のほかにもう一つあるということは実に在り難いことである。土を耕し精神に風をいれる。

竹韻庵で週に何回か意味もなく土と触れ合いながら時を過ごすというのは、これ以上は望めないほどに精神のよりどころとしては欠かせなくなりつつある。

要はすべてはバランスなのであるということを、私の場合は思い知る最近だ。日々どこか往還を繰り返しながら、迷い彷徨い苦楽をあきらめないとでもいうか、単なる自己満足にせよ。

ところで、言葉を繰り返し発することで人間の脳は言葉を記憶する。今年は今現在の体に、否応なく30数年ぶり言葉を記憶しなければならないことになりそうである。

日々忘れながらも言葉を記憶してゆくという、絶対矛盾的営為の上に表現行為をするのである。やるのかやらないのか、やると決めたら 当たって砕けるしかない。

おそらく若い時の何倍もの時間がかかるだろうが、自分の脳の不思議を感じながら言葉を入れてゆく時間をいまは可能な限り楽しめたらと考えている。

ところで話はいきなり変わる。昨日兄からの知らせで、母の妹が亡くなった。93歳、大往生である。昨年暮れには叔父が亡くなり次々に身内の訃報が続く。

すべて寿命なのだから、遠方から冥福を祈るだけである。命の不思議をひたすら寿ぎたいという、つまりは祈りのような感覚が私の中で、ゆるやかに緩やかに増しつつある。

老いてゆくにしたがって 、若い時には感じなかった感覚が、目覚めてくるというのもまた、老いの功徳かもしれない。

血の流れが悪くなり疲れやすく、反射神経や、足が上がらなくなったり、あらゆる動作が緩慢になってゆくにもかかわらず、ゆっくり気づく感覚は深まってゆくかのような。(あるいは錯覚かもしれないが)

とここまで書いて、ブログは中止。言葉を発する時間、時は有限である。