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2022-03-31

昨日、熊山町の山里で静かに暮らす芸術家Sさんから、熱い嬉しいお電話をいただきました。そして想う、3月31日の朝。

 古希を迎えたばかりの私が、一年前は退院したばかりで、よたよたしていたのに.。一年後の今、自分でも信じられないほどに体が、意識が動いている。なぜなのかは自分でもわからない。わかっていることは、どこかで死の側に逝きかけて、この世に生還してきたからではないかという気がしている。

だがいずれにせよ私には自己分析の趣味はない。己のからだのうちなる声をきいて、気分のよくなることしかできるだけやらないと、還暦を機にきめたのだが、古希を迎えることができてから、その思いはますます強固に深まっているかのような案配を生きている。

今時、古希を迎えた男が、手に演奏会のチラシをもって、飛び込みで営業をするかのように配布するなどということは、どこか徘徊老人と間違えかねないほどの、虚実皮膜の間をたゆたっているかのような、白昼夢を歩いているかのような、見ているかのような気もどこかでする。

はるうらら、あまりにもの穏やかさの桜が満開のもと、老人がチラシ配布に歩いている姿は、何処かしら滑稽で、なんとも形容しがたいほどの、ウクライナの無惨というしかない瓦礫の戦争の実態とはあまりにかけ離れていて、両極の現実との余りの乖離にくらくらしてしまう。

道が混む前に切り上げ、家路を急いでいると電話がなった。コンビニに車をとめ電話に出る。熊山町の山間で静かに暮らす、一言で言えば芸術家と私が認めるSさんからだった。チラシが届いたことにたいしての、詳細は割愛するが、熱いエールであった。

このような熱いリスポンスをいただくと、本当に疲れが吹っ飛ぶ。アクションに対するリアクション。いざというときの思わぬ意外性とでもいうしかない反応に、その人のこれまでの人生の過ぎし来仕方が顕現する。

読みたくなる書評

Sさんはまれにみるというか、まさに芸術家といえる純粋な魂の持ち主である。一言では言えない残ってゆくお仕事をされている。詳細は割愛するが、ウクライナの教会に頼まれたイコンの制作に取り組んでいて、カテリーナさんのことを即調べ反応し、お電話くださったのである。

私のような俗物とは異なる世界に棲んでおられる方なのだが、いざというときには、即行動のできる、グローバルな感性と視野をお持ちの、私にとっては大切な岡山在住の方なのである。このような方が私のやっていることを応援してくださるのは誠にもって嬉しいのである。

24日、外せない教室の日なのだが、なんとか行けるように生徒さんと相談するとまでおっしゃってくださった。万が一行けなくてもカンパ他何らかのことで協力するとまで。電話を終え私の心は嬉しく幸せな気分になった。企画することで深まる関係性、意外性。

チラシが完成して一週間もたたないのに、すでに800枚も郵送したり、直接手渡し配布ができた。体がやろうと動けば、古希だろうが、何歳だろうがやれるのである。

その事のありがたさを、私は噛み締めている。たぶん私の意識はすでに半分はあの世にいっていて、多分半分がこの世にいるのではないかという気がしている。

2022-03-30

置かれている無数の世界中の子供たちの苦悩を想像する今朝の五十鈴川だより。

 先日はS新聞の取材を我が家で受けたし、明日はRSKラジオに朝の9時半から、10分間出演することになっている。もうもちろんラジオに出てあれやこれやしゃべるなんてことは10数年ぶり、あるいはもっと前のことであるかもしれない。

今日も含めてだが、なにしろ2月24日にロシヤがウクライナに軍時進行を始めたときから、何やら訳のわからぬ、老いの血がざわつき始め、3月5日に企画をすると五十鈴川だよりに打ってから、まるで言葉もじりではあるが、飛ぶ老人感覚を生きているかのような、案配なのである。妻や家族や友人が心配するほどに。

だがである。何処かしら私自身は中性夢が原で熱く企画していた時代に、気分はまるでタイムスリップしたかのような、感覚がいまだそこはかとなく、残っているのだなあ、ってな感じで今を生きている。

体は以前のようには動いてくれないのだが、心は十分に冷静に動けていて、あと何本企画できるかはわからないが、音読しながら同時に企画も70代の企画がやれるかもしれないと言う淡い感覚が、希望が(今回の企画の実現がかなったら)満ちてきている。


たぶん、理屈ではなく体の奥深くが反応したから、年齢を忘れさせての、時間的にはかなり無理な、ある種無謀なまでの綱渡り的な企画を、立ち上げられたのだという他はない。我が道をゆくなどとカッコつけて言えば、生きていればこその不自由の中の自由を、自在に生きて悔いなく企画したいのである。

小さい頃、生きている漠たる不安をどこかで感じる子供だった。あまりの成績の悪さに、この世では居場所ががないかのような虚ろな子供であった私である。ウクライナ、ミャンマー、アフガニスタン、イラク、シリア、アフリカ諸国、書ききれない多数の国々をはじめとする、いやそれだけの国ではなく、この一見平和な日本でも、限りない困難の渦中を生きている、無数の子供たちの、やりきれない絶望的な精神状況を、古希男は想像するのである。

私の思春期、ゴダールは[大人はわかってくれない]と言う映画を撮っているが、心が張り裂けそうな過酷きわまりない状況を生きている子供たちのことを想うと、古希男は忸怩たる気分になる。昔、ロシアが生んだ映像詩人、アンドレイ・タルコフスキー監督の【僕の村は戦場だった】と言うフィルム、少年が見た戦争を描いた作品を見た記憶がある。

朝から何を打っているのだろう、話を変える。全くもって大人はいったい全体何を守るために破壊殺戮をし続けるのだろうと。この21世紀に。国家的な意義、国の面子など、子供たちには全く関係ない。きっと子供たちは絶望的な気持ちになっているのだと想像する。

大人たちが始めた理解不能な戦争のために、水や食い物がなくなり、親を失い、生活住居が突然破壊されたら、ひとはいったい全体どのような気持ちになるのかは、ちょっと想像力の失われていない人間にはわかるはずである。

他者の痛みの苦境をわずかではあれ想像すると、映像で伝えられない映像世界を想像すると、お花見気分も萎える。チラシを配布しながら、今私ができること、やれることを願って4月24日に向けてトボトボ歩くことくらいだ。

カテリーナさんは、私が出会えた最初のウクライナ人である。企画したことでたまたまそうなった。地球上には国連に加盟しているだけでも200ヶ国以上の国がある。すべての国には普通の人々人間が暮らしているのである。

戦争に勝者なし、理不尽に罪なき人々の命を奪い、苦しめる地獄の惨状のこうも見せられた私には、停戦の知らせが届くまでは、なにがしかのおもいを綴らねば、とのおもいに駆られる。

2022-03-29

鹿児島県三島村の友人S氏から、激励のお電話をいただいた、翌日の朝に想う。

 桜の満開情報が耳に入ってくるが、このような浮かぬ春は恐らくが人生ではじめてであることは、先の五十鈴川だよりで打った気がするが、お花見気分になれない私である。

だから正直、五十鈴川だよりを打つ気にもならないときもあるのだが、そのようなことは停戦条約が何らかの形で結ばれるまでは、何としてでも打ち続けたいと言う訳のわからぬ思いが、日に日にどこか老いゆく体にさからってゆくかのような案配なのである。不思議である。

話を変える。昨日夕方4時山陽新聞の文化部の女性記者のかたが、4月24日のカテリーナさんの音楽会の件でわが家まで取材に来られた。当初一時間もお話が出来ればと思っていたが、なんと2時間ちかくも話を聞いてくださった。有り難かった。

ギニアで求めたお面

よもやまさか古希を迎えた私がウクライナの音楽家を招くチャリティー音楽会を企画することになろうとは、戦争が勃発した2月24日の時点では思いもしなかった。全くもって人生先のことは分からず、予断を許さず流れてゆく。と、ここまで打って感傷に浸っている場合ではないとのうちなる声が、聞こえてくる。

話を変える。取材を受けている最中に2件のお電話があった。いずれもありがたいお電話で、わけても嬉しかったのは、鹿児島県の三島村役場に勤めるS氏からのお電話だった。氏との関係は長くなるので割愛するが、1996年ともに西アフリカギニアを旅して以来のお付き合いである。

長いことお会いしていない。にもかかわらずこの度の私の10年ぶりの企画に、カンパを寄せてくださった心優しき九州男児である。驚いたし嬉しかった。意味なく声が聞きたくなってと氏は言った。鹿児島弁の懐かしい氏の声が私の耳に響いた。あいにく長電話が出来なかったが、このような企画を始めなかったら、またしばらく氏の声を聴く機会もなかったかもしれない。

皮肉極まることだが、ウクライナの惨禍が起きなければ、企画をすることもなかったし、氏と言葉を交わすこともなかったかもしれないのである。今回の企画は、思わぬ旧交復活、再開の恵みの時を私にもたらしてくれている。このような得難い仲間20人近い友人が、今回の私の企画を支えてくれているのだと、声を聞いて古希男はえもいわれぬ気持ちになった。

お金お金の世の中、その事の大事は十分に承知しているつもりだが、心だけはお金ののために売り渡したくはないとの、へそ曲がりにも似た痩せ我慢人生を、歩んできての古希男なので、出来ればこのまま痩せ我慢人生を全うしたい私である。

だが、言うは易し、このような仲間がいなければ、一人音読は出来ても、企画は絶対的に出来ない。企画とは繰り返し打つ。出会いの宝なのである。私よりずっと若い女性記者とも企画しなければ、世代間交流のような取材もなし得なかったに違いない。4月24日のカテリーナさんの音楽会まで、一月を切ったが、日々なにがしかの小さな出会い、小さな出来事が私に元気をもたらしてくれている。縁を大事に実りのあるウクライナ企画にしたい。なんとしてもことさらな意味はなく、静かにイベント当日まで微力を続けたい私である。

2022-03-28

3月28日、昨日日曜日、表町チラシ配布翌日の朝に想う。(チラシ届けます、送ります)

 昨日午前中、たぶん10数年ぶりに表町にあるギャラリー他、多種類のお店に飛び込みでチラシ配布をした。2時間弱で200枚くらいの出来立てのチラシを配布することが出来た。何せ10数年ぶりのチラシ配布である。まるで浦島太郎の私だ。正直最初ちょっと勇気がいったが、押し並べて好意的に、平均すると5枚位のチラシを預かってくださった。

何事もすべてはやってみるものではあるが、世相の移り変わり、人身の余裕のなさ、おれおれ詐欺などが、これでもかと新手の手口で人心を手玉にとることが横行するこの時代である。まして商いをやっているお店の方々に、じっと私のチラシなどに目を、耳を傾ける余裕はほとんどない。

愛用のコーヒーカップ


だがだがである。ヒトの心は捨てたものではないのである。いちいちの詳細は割愛するが、やはり並べてよき感じで対応してくださったのは、相対的に若いオーナーの方々であったことが、私には喜びだった。この10年自分の好きな世界に耽溺していた私だったが、10件も回ると、足が昔の感覚を取り戻して、予想以上の早さで予定の枚数を配布することが出来た。

コロナ下、3年目の春の日曜日、人々は麗らかな陽気にさそわれて、街へ楽しそうに繰り出していたが、予定のチラシの配布を終えた私の足は、早々に表町から我が家へと向かい、午後はじっくりと、お便りをいれたチラシの封書作業に取り組み、この二日間で、40通以上投函することが出来た。

4月10日までには、残りのチラシを郵送したり、手渡しでなんとか無駄なく配布するつだが、ありがたいことに、チラシ配布のお手伝い申し込みなどもあり、五十鈴川だよりを読んで下さってのお手伝いの方には、手伝っていただこうかと思っている。効果や効率を考えたら時代錯誤も甚だしいのだが、いつも逆転的な思い付きで窮地をしのいできた経験を持つ私は、安易な方法での企画にどこか馴染めないのである。

120名の宝石のようなお客様に出会うためには、自らが汗をかかないと、どこか気持ち悪いのである。ウクライナの人々のために、庶民にとっては決して安くはない入場料をはらって来てくださる方々で、客席を埋めたいのである。幸い私の企画を応援してくださる、岡山のかたがたが私を支えてくれている。

この方々からの、お知恵を拝借してチラシ配布を委ねようと、昨日ある方からお電話をいただいて、考えを変えることにした。わずかであれチラシ配布してくださる方には、チラシを届あけます、と改めることにしたのだ。私のおもいを共有してくださる方がたと共に、この企画を実りあるものにしたいのである。と言うことで、遠方の方には郵送しますので、預かれる枚数をお電話(090ー5378ー5433)ください。

チケットも受け付けていますので、どうかよろしくお願いします。現在予約が3枚、私の手売りが11枚、応援者ご招待が今のところ18枚位なので、残席は89枚です。私としては4月17日までに120席を埋めるべく知恵を絞り行脚を続けます。五十鈴川だよりを読んでくださる方がたと共に。

2022-03-27

チラシ行脚に出掛ける前の五十鈴川だより、3月27日の朝に想う。

8時間熟睡して目が覚めた。チラシが出来て早速動き回った疲れがたまっていたのだろう。くどくど長々打っている時間はないが、昨日雨のなか9時前には家を出て、人に会い、新聞社三社にチラシを配布、お休みだったがNHKにも持っていった。

午後は、取り急ぎ早急にチラシを送らなければならない人に、20通一筆いれて郵送した。郵送したあと、賛同カンパを寄せてくれた県外の友人知人の方たちにチラシを送るべく宛名書きを数十通書いたりして、ほぼ一日を終えた。

手書きで、数行であれも字を書いての、昭和男の作業なので、この超音速デジタル時代に何をやっているのかと,思わないでもないが、いいのである。今現在の私のやり方で、気持ちのいい、気持ちが落ち着く老いの方法を私は見つけたいのである。

人生は長くて、実は短いあっという間のたまさかの夢の出来事であるやも知れぬ。ならば夢の中を歩くかのように、チラシ行脚をやりたいのである。祈祷して歩くかのようにチラシ配布する。手渡し、これが私の企画の原点、もっと打てばこれをやれなくなったら、次の世代にバトンを渡し、私は宇宙の摂理に帰るのである。

ともあれ、今日はチラシ配布にはいい日和ではないかと想う。貴重な日曜日なので、五十鈴川だよりをうち終えたら、チラシ配布に出掛けようと思っている。犬も歩けば棒に当たる、と言う言葉をどこかでわたしは信じている。チラシは誰かが持ち運び、想いを伝えながら動かなければ、ただの一枚も眠ったままに置かれ行く。

長い付き合いの友人から送られてきた

娘たちが創ってくれたチラシを、配布する喜びの春が古希男に訪れるなどとは思いもしなかったが、思いもしない意外性に満ちた春、理解不能な戦争の春を迎えることになろうとは。喜びの背後に戦火を生きる、生きざる終えない人々の条理なき痛みが、古希男を動かす。

絶対矛盾の春である。もし我が身にこのようなことが起きたらとの、かすかな想像力を我が足に伝え、チラシを配布したい。人間は痛みも忘れる。忘れられるから生きて行けるとも言える。だが私は無数の死者たちの無念のおもいを忘れず、伝える側にこれからの人生を歩むつもりである。

そのはっきりとした確信が、10年ぶりの企画者復帰になったのだと念う。いまは理屈よりアクション行動の時である。

2022-03-26

昨日夕方、チラシが届き、市内にすむ賛同者に5人にまずは直接配布しました。そして想う。

 昨日の夕方、4時20分待ち望んでいた、4月24日のチラシが届いた。娘息子たちがいなかったら、このような素敵なチラシは出来なかった。当初もう簡単な散らして、賛同者からと私のポケットマネーで、時間的なことも考えて、手でチケットを売りさばき、あとはメディア行脚で、人間に出会い、ささやかではあれ、高齢者だが熱い企画を、今のオンライン企画とは真逆の、手足作りイベントを、わたしはやる覚悟だった。チラシは筆がきで、簡素極まるものでやるつもりだった。

だが、3月10日横浜でカテリーナさんの岡山での演奏会が決まった日、長女のマンションに泊まった日に、なんと娘がチラシを作ろうかといってくれたのだ。嬉しい驚きという他なく、友人知人の賛同者を募り、チラシに名前を掲載するに及んで、ちょっと手間と時間がかかったが、長女の一言で結果的には素敵な色合い、デザインのちらしができたことが、本当に嬉しい。

昨日の五十鈴川だよりに、首を長くしてチラシがとどくのをまっていると打ったが、その日の夕方きちんと届いて、本当にうれしかった。疲れてはいたのだが刷り上がりのチラシを、誰かに見てもらいたく、まずはRSKに届けたのち、市内にすむ私の企画にまずすぐに賛同してくださったかたに、直接チラシを配布した。皆さんいいチラシができましたねえ、とわがことのようによろこんでくださった。

今日は雨の、春の嵐のような荒れた天気予報なので、チラシ配布は難しいかもしれないが、チラシを有効に使ってまずは、新聞社や放送局等を午前中行脚しようと思っている。私の場合の企画とは、全身で動いて思考することにつきる。動いて血が回るとよきアイデアが浮かぶのである。人が人に出会うことの真理。自分とは他者と出会うことでできてゆくのである。

だから、いまだ動ける身体をわたしは信じて運び、想いを伝えるのである。水は流れて澱まない。五十鈴川は、細き川なれど静かにながれるのだ。動いて流れ伝えるのが私の企画。大動脈的な大きなイベントや、リモート企画のまさに及ばない、毛細血管のような企画をこそ、わたしはやり続けたい、10年ぶりのこの企画で、私は改めて自らを信じる行脚で、ご縁のあったかたに、娘たちが創ってくれたチラシを大切に配布したいと願うのである。

チラシ配布のために、足腰を鍛えているので、古希昭和男の今はすこぶる体調がいい。これから、2週間で記録で残す以外全部配布するつもりである。今回のチラシだけは可能なら一人で、手渡し配布したい、と自己愛に老けるのである。




ともあれ老いの血が不思議なくらいざわついている。ウクライナをはじめとする多くの扮装地域に生きる、無数の少年少女たちの瞳に写る哀しみと痛みを想像すると、未だに私の胸は共振する。じっとしてはいられない。

2022-03-25

首を長くしてチラシが届くのを待っている、今朝の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりを打ち続ける朝が来た。恐らく演奏会が終わるまでは打ち続ける気がしている。おまじない、気付け薬なのであるから。病は気からなどというが、肉親が殺されたり、子供や、親、大切な人を失ったとしたら、果たして自分は、と考えると、とてもではないが、気の弱い私などは、きっと立ち直れないだろう。

そのようなことに想いを馳せると、現在の我が身の幸せは、どなたかの苦しみの上に在るのではとの想いにふとかられて、粛然たるたる想いに沈んでしまったりする,のだ。世界の混沌とカオスかは、私などの凡ぷの頭では到底理解できないほどに進み、善悪の境界がこれほどまでに曖昧模糊としてきた時代の渦中をまさに生きていると言う苦い認識である。

だが、まさに人生は綺麗事ではすまない、糾える縄、いつなんどき幸福などと言う幻想が裏返って、しまうかは誰にもわからない、まさにそのような時代を地球規模の手に余る感覚で持って、多くの人間が(私もその中の一人)どこかに漠たる不安を抱えて生きて行かざるをえないのかもしれない。

愛用しているパーカーのインク

どこか、何時なんどき、何が起きても、可能な限り動じないですむような、いわば訓練のような日々を、特に足腰の弱っている私のような老人は、考えて普段から実践しておかないと、やはり不味いと想う。悲しいかな大人になったら、命は自分で守らないと誰も守ってはくれないのだと、平和なうちに自戒する生き方をすべきだとわたしは考えている。

マクベスの魔女は予言する。いいは悪いで、悪いはいい、と。よきことと悪いことは繋がっていて、交互にやって来る真実さから目をそらすべきではない。普段から自分の身体での思考訓練をすべきだと、これは自分に言い聞かせているのである。

でないと私のような付和雷同お調子者は、いざとなると危ないと言う自覚がかすかにあるのである。生きてゆくことは安易な綺麗事ではすまないのである。だが、だからこそ、ヒトはまた美しいものを求める、幻想を生きる絶対矛盾的存在なのだという認識をわたしは持つ。

畏敬する中村哲先生は、人間は信ずるにたるとおっしゃっている。爪の垢でもその言葉の側にすみたいというのが、今の私の思いである。朝から思いもかけぬ、ちょっと真面目な五十鈴川だよりになってしまった。話を変える。

早ければ、今日チラシが、遅くとも明日にはチラシが届く、企画復帰からわずか3周間で。カテリーナさんの交渉から、チラシ完成までが出来るとは。明日から老人はチラシ配布に動き回るのである。1500枚。時間がないので今まででもっとも枚数が少ない。

120席を埋めるための、1500枚のチラシ。目に見えない遠くの広大な大地の上に暮らす人々の困窮を想像し、動くしかない。チラシ配布行脚、ウクライナをはじめとする世界の多くの邦で起こっている出来事に関心を持っている人に出会うための、チラシ配布行脚である。

ガンジーは非暴力を唱え、布一枚で歩いた。爪の垢でもあやかりたい、のである。

2022-03-24

万が一のことが起きても企画者は責任をとります、そんなことを想う朝。

 夜とは異なる、まるで生き返ったかのような感覚の朝がやって来た。そして想う。このような極めて普通の感覚の朝を迎えられない、人々老若男女がウクライナをはじめとする戦争や扮装地帯には、わんさかいるのだと言うことに、思いを馳せるとき、なんとこの世は、不条理理不尽さに満ちているのかと、暗然としてしまう。絶対矛盾の途方もなさに。言葉化しにくいのだが、なぜ忽然と無謀とも言える、このような緊急企画をはじめたのかと、問い続ける自分がいる。

だからなのだろう、五十鈴川だよりを以前にもまして打ち続けるのは。答えのない問いを発しながら、企画をやろうとアクションを起こしたことについて、緊急支援演奏会が終わるまでは、一切の責任が私にはあるのだから。

カテリーナさんとは口約束、契約書も交わしていない。指切りの約束をしただけである。万が一不測の事態がしゅったいしたときは。そのようなことを私は考えなかった。考えなかったから、からだが反応したから、アクションが起こせたのだとわたしは考えている。私だって現代人、数々の中世夢が腹のビッグイベントではもちろん契約書を交わしてきた。緊急の思い付き、今回はない。

考える前に飛べである。中世の歴史公園で長いこと働いていたわたしは、近代的な思考のパターンからは、限りなく遠い思考をどこかで生きている。法律や書類などがなくとも、約束した仁義は通す、といったある意味では、現代的な常識や感覚からは、極めて古い感覚を未だに生きている、前世紀的な古き男なのである。

昔タイで買った置時計

これでよくもまあ、この複雑魑魅魍魎騙し合い吸血鬼的な時代を、呼吸できているものだと絶対矛盾を覚えるのである。亡き父は幼い私によくいったものである。男は信念を貫かなければと。義を見てせざるは言うなきなり。今どきこんなことをいったら、まさに絶滅危惧種である。そのようなことはいくら私だって自覚している。だから、絶対矛盾を抱えながら生きているのである。

企画をすると言うことは、人間的な信頼感が伴わないとまずはむりである。特に今回のように時間がない緊急企画は、火事場のバカ力的なチームワークが絶対的に欠かせない。だが、ありがたいことに、今週末にはチラシがする上がりそうであるし、何よりも信じられないほどの、私の思い付きの企画に,賛同してくださる方がこんなにいてくださルことに、正直驚き、勇気をいただきつつ、ちょっと恐ろしいくらいに、いまのところ順調に進んでいる。

貧乏性のわたしは、どこか落ち着かないが、なるようにしかならないことにたいしては、わたしはいつもどこかで楽天的である。腹を据える。身を捨ててこそ浮かぶせもあれ、このようなことを打つから時代についてゆけないのだと、重々承知しながらも、にたような感覚をお持ちのかたがたがこんなにも私を支えてくれているのだと、驚いている。

だから、何があっても後方で応援してくださる、友人知人仲間たちの力を借りて責任をもって、この緊急支援演奏会を遂行する覚悟である。

2022-03-23

昨日の夕方、某放送局の若い女性からカテリーナさんのチャリティ演奏会についてお電話をいただきました。そして想う。

 昨年のの3月23日わたしは生まれて始めての手術入院から退院した。その日のことは鮮明に記憶している。だがそのような思いに耽っている場合ではない。よもやまさかの一年後、ウクライナですさまじいと言うしかない、現実映像を日々お茶の間で見ることになろうとは、私を含め、誰が予想し得ただろう。

まったく、この天と地の間には哲学のおもいもしないことがあると言う、ハムレットの台詞が頭のなかを去来する。なぜこのようなことが、誰が見ても蛮行の狂気の沙汰とも言える戦争が止まらないのか。歴史は繰り返すと言う言葉ではなんとも言えない、むなしさを覚えるのは私だけではないのではないかと考える。

だが、老いたりとはいえ、思考放棄だけは少々無理してもごめんである。五十鈴川だよりを打ちながらあの無惨と言うしかない人々の困窮から目をそらさず、一人ではあれ誰かの窮状が救われることを願って、何かしなくてはとの思いは、やまない。

ややもするときが滅入りがちになるのだが、昨日の夕方、某放送局の若い女性記者のHさんから、4月24日のカテリーナさんのチャリティ演奏会について、訊きたいとのお電話をいただいた。数日前、名刺をおいてきただけなのに、思いもかけない素早い反応に、正直意外といっては、大変失礼だが嬉しかった。

最初は思いを伝えるのが、顔の見えない相手に、気が重かったのだが、声の反応が自然で柔らかく、好奇心が失われていない瑞々しさをどこかに感じて、数十分もおもいのたけを吐露してしまった。話している間、若い世代と出会わないとダメだ、ダメなのだと言う、うちなる自分の声がどこかでした。

Hさんは、10年ぶりの突然の私の企画に、最初に声を通して出会った最初のメディアの記者である。還暦を過ぎ自分の好きなことに、逃げ込むかのように耽溺していた私が、ウクライナでの侵略戦争でアクションを起こしたことについて、ゆっくりと耳を澄ませて聞いてくださった。

Hさんとは、後日チラシができてから、直接お会いする約束をした。老いの行動の賜物、一刻も早い停戦を願いながら、行脚することの大事を、改めて痛感している。デジタルであろうが、何であろうが、想いを伝えルのには、やはり身体を使って作物を育てるように、地を這うようにカタツムリ的に動くしかない。

出なければ、思わぬ意外な人とは決して出会えないと、これまでの人生で私が学んだことなのである。人生70年、あっという間である。命短し恋せよ乙女ではなく、命短し動け老人なのである。

勇気をいただくお便り

とまれ、この10年ぶりの企画は、これまでの企画とは全く異なる老いの喜びを伴いつつ進んでいる。4月24日まで、あと一月。チケットを行商しながら、未知の若いかたに出会いたいと思う今朝である。

2022-03-22

ノー戦争・ノー非暴力・ノー無関心の声を五十鈴川だよりで打ち続けます。

 桜も咲き始め、日本人なら誰しも心が弾む季節の到来だが、私の心はいままで経験したことのない春を迎えようとしている。

地政学的にあまりに遠い、ウクライナでいったい全体何が起きているかの、自分自身の想像力の皮膚感覚的な弱さに、どこか忸怩たるものを感じながら生きているからだろう。だからなのだと想う。五十鈴川だよりを打つのは。

誰かが言っていた。脳は自分が見たいものしか見ないのだと。自分が心から思い感じなければ、一歩は踏み出せないのだ。何かはしなければ、とは思う。だが何を。侵略戦争が報じられたのが2月24日、私にできることはと考え続け、何かアクションを起こし、10年ぶりにウクライナの音楽家を招こうと、企画者復帰五十鈴川だよりを打ったのが3月5日である。

以来今日に至るも、そのまずは企画の実現に向けて、年齢を省みないかのような、何か突き動かすような久しく感じたことのない、老いの肉体感覚を生きている。正直、若い頃と違って動きは鈍いし疲れるが、精神は若い頃と違って、血気に流行らず冷静さを嫌でも保てるのが救いである。

それぞれの世代が動き、考え、連帯し、ああ、ああいうやり方もあると、不謹慎な表現になるかもしれないが、楽しめばいいのだと、私などは考える側に立つ。ただ一人、戦争非暴力のTシャツを着て行脚するだけで十分である。

一日一日なにか見つけ発信

要は柔軟に、ガチガチになって考えないこと、深刻なことを、あえて逆にユーモア感覚ですすむ、どこかしらに余裕がないとなかなかに進まず、しんどくなるとわたしは思う。だから五十鈴川だよりはいい加減にながれて行きたいのである。そのような私の思いを、あうんの感覚で共有できるかたたちと繋がりたいと切に思っている。

人間と言うのは、いざというときの反応やリアクション、行動でその方なりの生き方や、物のみかたが身体の細部に現れる。小さな私のアクションに意外な反応を見せてくださる方が少なくない。意外や意外、この方はと期待できそうな方がそうでもなかったりするのだから、シェイクスピアが言うように、人間は謎の存在なのである。

ともあれ、10年ぶりの企画者復帰は、娘のお陰でいまのところゆっくりと確実に進んでいる。ところで、テレビの報道画面はあまり見ないようにしているのだが、新聞は努めて読むようにしている。3月17日の中村明夫氏のコラムが、古市憲寿著【ヒノマル】をとりあげていた。

古市憲寿の戦争、と言う文句にひかれて一気に読んだのだが、若い世代、(私などよりも)が戦争について考えて、小説と言う形で表現しているのを知り、いたく嬉しく心強く思えたことを打っておきたい。年齢ではない、嫌な感じや、理不尽に思えることにたいして、思考停止になっておらず自分の言葉で考え、行動する人間的なヒトと世代を越えわたしは連帯し、繋がりたいと、たぶん戦禍の音がやむまで、繰り返し五十鈴川だよりを打たねばとの、思いなのである。

理屈はいい。泣き叫ぶ弱い立場の民衆の痛みや苦しみに無関心ではいられないヒトとわたしは限りなく連帯したい。我が家でいながらにゆっくり読める新聞から、勇気と希望をいただきながら、今日も誰かに、私の老いの思いを伝え、チケット行商行脚をと動くつもりである。


2022-03-21

昨日10日ぶりにカテリーナさんとお話ができ、一気にチラシ完成に向けて進みはじめました。ご報告五十鈴川だより。

 昨日五十鈴川だよりを打ったあと、演奏会祈願行脚に出た。足は自然と岡山駅に向かった。今年になって3回目である。私の行動はほとんどすべてがうちなるどこにあるのかは、わからない心の動きに従っている。

こと更な理由などはないのである。ただモヤモヤするとか嫌な感じがするとか、気持ちが悪いとか。そのようないわば浮き沈みする、厄介なモヤモヤを払うには、無心に行脚するのが一番なのだと、古希を迎えていわば私は、心の健康法のような感じで歩ける喜びを見つけたのである。

家を出たのがまだ西の空にかなり丸い月が浮かんでいた。その月に導かれるように歩を進めた。6時過ぎには夜が白み始め、夜明けが拝めた。今度は太陽に背中を押されながら、突き刺すような光線を浴びながら、古希男は歩いた。今回のルートは幹線道路をひたすら歩いた。

朝早いパンやさんの仕込みしている様子や、様々な朝早い職種の働いている様子などを

近所のかたにいただいた蘭

眺めながら東山峠を越え、御成町を抜け、旭川を抜け、県庁を抜け7時50分に岡山駅についた。所要時間は2時間20分だった。今まででもっとも早い。ただただ普通に歩いただけである。いつものようにコンビニでコーヒーを求め、駅のベンチで休んでいると金曜日から娘のところに上京している妻から不在着信あり。

折り返すと、長女がチラシの件でカテリーナさんと連絡がとれず困っていると言う。わかったと電話を切り、家に戻って9時に名刺の携帯にお電話すると、3回目の呼び出しですぐにカテリーナさんが電話に出た。直接言葉を交わすのは、横浜で岡山に来てほしいとお願いして以来だから、10かぶりである。

この10か間の進捗情況ほかを、肉声でおもいのたけを伝えルことができ、とりあえず安堵、娘と直接話してほしいとお願いし、電話を切った。そのあとすぐにカテリーナさんと話ができ、一気にチラシ作りが進んだと報告がLINEできた。物事は案ずるよりも産むが易しと言うが、まさにしかりであると思わざるを得ないような展開で、一気に堰をきったかのように進む。

結果的に祈願が叶った今朝の長いウォーキングとなったのだ。祈りが行動になり天に通じたのだと、にわかには信じられないほどの急展開に、真から祈ることの大事を、この歳になって学んでいる。その後、カテリーナさんの写真と経歴、私のコピー他が入稿された、大まかなチラシ第一案が送られてきた。

シンプルだが、やはりプロのデザイナーが作っているので、色使いが鮮やかでいいチラシができることを確信した。古希男の体に勇気がみなぎって来た。親バカ承知で打たせてほしい。このような娘と巡り会えた私は、野暮だからやはりこれ以上は打てない。

ともあれ、この調子では予定より早くちらしができそうである。天神の能楽堂ホール120席(コロナがなければ250席はいる)を地を這うようにして何とか満席にしたいと思っている。

冗談ではなく、オンライン予約と、行商チケット移動販売この両極をわたしは往完したい。昨日の喜びを誰かに伝えたく、横浜で私に同行してくれ、私が立ち上がるきっかけのカテリーナさんの新聞記事を送ってくれた、親友のK氏に電話をいれた。出会って44年、お導きにただただ感謝である。



2022-03-20

まるでお念仏のようになってきつつある五十鈴川だより。

 同じようなことを毎日打っても、きっとおそらくはまた打っているなあ、と言う程度の五十鈴川だよりなのであることは、重々承知ではあるものの、何かおまじないのように、何かお念仏のように打たずにはおれない古希男である。阿鼻叫喚の地獄の黙示録とでもいうしかない、映像が流れない日はない。昨日も打ったが、人間は麻痺する。感覚が。そして忘れてゆく。私のような凡ぷはとくにである。だから思考する。

一日も早く停戦し、戦禍の音が止むのを願い、打てる限り念仏五十鈴川だより、と化してゆくのではないかと言う気がするくらいである。だが、不謹慎のそしりと言われるかもしれないが物事はなるようにしかならないのかもしれない。だが私はおかしいと感じることはおかしいと発言して、悔いのないようにいきたいし、自分の人生を閉じたいのである。

私のそばを離れないメル

言論の自由がある時代に生きている時にこそ、ごまめの歯ぎしりではあれ、何か打って私自身の精神を整えたいのである。幸いわたしとにたような想いのかたは多くおられることが分かり心強く思っている。

10年ぶりに企画を発心して、今日で2周間が過ぎたが、私のなかでは、予期した以上のささやかだが嬉しい輪の拡がりを感じている。いちいちの嬉しさを記すことはできないが、初めて姉や兄達にもカンパの呼び掛けをしたのだが、振りこみかたが方が難儀したが難振り込んだと知らせがあった。

もうずいぶんとあっていない方からも、振り込み用紙が届いた。些少のことしかできないけれどと、激励のお電話をいただいた。事ほど作用に中村先生のお言葉ではないが、人は信ずるに足る、生き物であるとの側に、私はたちたいのである。

たしかに、正直古希の私が企画をするのは、ちょっと無謀な気がしないでもないのだが、しのこのいっているときではないのだ。ささやかな一滴が喉を潤す無数の水滴になるのを願いながら、五十鈴川だよりを打たずにはいられない。

いまは非常時、五十鈴川だよりを打ったあとは午前中は、ただの一人ではあれ想いを伝え、4月24日のカテリーナさんに向けて行脚するつもりである。戦争の世紀と言うドキュメンタリーがあるが、21世紀も22年目の現在、よもやまさかこのような世界を震撼と揺るがす戦争が起こって続いているとがにわかには実感が伴わないが事実である。

目をそらさず綺麗事ではなく先の大戦で生き延びた北朝鮮からの引き上げ者の両親を持つ私としては、何かしないと両親に顔向けができないし、何よりもまごたちや未来の人たち、いまのウクライナの子供たちにどこかどこか申し訳ないのである。


2022-03-19

雨のなか美星町のK氏を久しぶりに訪ねた、翌朝の朝に想う。

 最低の個人的な情報だけを、もうこの体に入れるようにして、と言うか気が滅入る画像には努めて見ないようにしている。なれて麻痺してしまう自分の感覚が怖いのである。だからいつもどおりの普段日常的な五十鈴川だよりをうつ。

昨日雨で労働がお休みだったので、何故か私の足は5年ぶりくらいになるかとおもうが美星町に車で向かった。目的は中世夢が原で大変お世話になった、初代園長であったK氏に会うためである。長くなるのでかんびんに記すが、私はカテリーナさんの招聘を決めてから、さてどこでやれればいいのかと言うことに頭を痛めていたのだが、まず思い付いたのが、美声天文台であったので、もうリタイアされてずいぶんな時間が経っているにもかかわらず、浦島太郎の私は、ほかに相談する相手も思い浮かばず、突然の電話をいれたのである。

K氏はある意味では時間的に無謀とも言える私の企画に後期高齢者を過ぎておられ、私と同じように、数年前にご病気入院をされて、体調が万全ではないないにもかかわらず動いてくださったのである。

結果的に、場所は能楽堂ホールになり、私の思い付きは実現しなかったが

我が家の庭のクリスマスローズ

、何事もよい方向にしか考えないのが私の性癖である。お骨折りに感謝しお礼のが方々、会えるおときに会っておこうと、かなりの雨のなか向かったのである。

K氏はそのような私を快く迎えてくださり、雨に濡れた私のために暖かい珈琲をいれてもてなしてくださった。そのいちいちの久しぶりの会話はとうてい記すことはできないが、会話の最中、私の頭を何度も駆け巡ったのは、思いついて来てよかったということである。

K氏との出会いがなければ、おそらく私は中世夢が原で働くことはなく、20数年にわたって企画者人生を送ることもなく、ひょっとしたら一本の企画もなすことなく人生を終えたかもしれないのである。まさに人生は出会いの妙で彩られる。

K氏との出会いは、まさに後半の私の人生を変えたのである。もう古希を迎えたのだから、少しは人生を振り帰ってもいいだろう。書いていると様々な中世夢が原での出来事がまさに夢の中の出来事であったかのようにのように思い出されるのは、やはり私が老いたからだろうと、とは思う。だが老いない人などいないのである。

老いてしみじみとわかることがあるのである。昨日のK氏とひさかたの再会は、ウクライナの企画を発心しなかったら、まずお会いする機会を逸したかも知れない。そのようなことに想いをいたすとき、なんと不思議な我が心の動きに、心のざわつきに、いまを生きているからなのだと、合点がいくのである。

心が動くままに、正直に生きてゆく。これしかないのだ。

別れ際、K氏は些少ですがですがと志のカンパをくださった。雨のなかK氏の家を辞した。私の心は雨なのに晴れ晴れしていた。


2022-03-18

3月18日、金曜日の朝の五十鈴川だより。

 このところ以前にもまして早く起きるようになってしまったのは、あながち年齢のせいばかりではないと、どこか感じながら早起きしている。

朝にしか、五十鈴川だよりを打てないからだになってしまっているのだ。自分でも無理をして五十鈴川だよりを打っているのではないかという気がするが、目が覚めてしまうのだから、起きてしまう。珈琲を飲みながらぼーっとしていると、なにか今の思いを、じじの呟きを打ちたくなるのは、たぶん思考訓練をあやふやな老いつつある自分に課しているのかもしれない。

さて、先日の五十鈴川だよりで当日の受け付けボランティアを募集したら、ずいぶんお会いしていない知っているかたから、やりたいとのご返事をいただいた。ほかに旧遊声塾生や、長いこと私の企画を応援してくださっている倉敷在住のKさん、数年前に不思議なご縁で巡り会えた岡山市内に住むYさんにメールでお声かけしたら、全員からOKのご返事をいただいた。

妻を入れてすでに7人があっという間に決まった。10年ぶりの突然の企画、そして呼び掛けに素早く反応してくださったかたにこの場を借りて感謝します。

義理の息子が作ってくれた名刺

企画をなぜするのかは、自分でもよくはわからない。自分を分析したりする気持ちにもならない。ただはっきりと言えるのは、なにかせずにはいられない自分が、いまだ存在していて、心がざわつくからだと言うしかない。

先日上京した際に、長いお付き合いのカメラマンで、最近自主企画のドキュメンタリーフィルム(映画)を創られたT氏と、岡山に帰る直前品川駅新幹線乗り場のカフェで、久しぶりに再開、お茶した。氏は1946年生まれ、なんと誕生日が私と同じ2月13日なのである。

氏に諭された。歳ではない、今が一番若いのだから老け込んではいけないよ、と。老け込んではいないからこのような緊急アクションを起こしているのだが、素直に私はT氏の言葉にうなずいた。このような友人に巡り会えた我が人生に乾杯という他はない。

この度の、正直柄にもない初めてのチャリティー音楽会企画は、10年ぶりということもあり、様々な方々と、結果的に旧交を暖めることになったりもして、意外な展開を私にもたらしてくれている。企画の思い付きの恵みである。

演劇とは出会い。人生とは出会い、と言う言葉にならえば企画もまた出会いだ。そしてもっと打てば、繰り返し至らない自分と出会い続けてゆく終わりのない営みのようなもの、とでもいうしかない何かなのだと感じている。

生きていればこそ、企画と言うある意味で言えばちょっと困難が伴う道(未知)を仲間と共によじ登りたくなるのである。その事でどこかの誰かが喜んでくださるのであれば、冥利である。目に見えない善意の反応をいまビシビシ至らない企画者は感じている。

至らない私が、カテリーナさんを岡山に招いてチャリティー音楽会を企画できるのは、これまでの人生で出会えた素晴らしい方々のお陰なのである。つくずくありがたい。謙虚に歩め、と自分に言い聞かせる朝である。


2022-03-17

3月17日木曜日、今朝の五十鈴川だより。

 死んでいたかのようなからだが、朝になるとまるで生き返ったかのように、五十鈴川だよりを打ちたくなる、いや打たざる終えないのだ。精神のバランスを保つために打ちつつ文字化して考えないと、私の場合はダメなのである。ともあれ、からだが五十鈴川だよりを打ちたくなるあいだは、何がしかのアクションを仲間と共にとの思いが日々深まっている。

昨日嬉しいお電話をいただいた。異なるエリアで働いているKさんからティケット5枚申し込みのお電話だった。一昨日お声かけをしたばかりなのに、なんと素早い反応と、正直驚いた。演奏会までまだ一月以上、チラシもできていない。カンパ(ご招待)予約ですでに20枚、残りは100席である。カンパ呼び掛けお便りを昨日までに30通以上投函したので、22日までに何らかの反応がいただけると勘案すると、個人的な繋がりだけで50枚はさばける手応えをかんじている。

これで、3月末にチラシができ、RSK(ラジオの出演が決まっている、近づいたらお知らせします)とうのメディアで報じられたら、おもいのほかに急な支援演奏会120席は埋まるのではないかとの気がいまのところしてきたのだが、何はともあれ健康に気を引き締めながら、一歩ずつ確実に実現に向けて動くつもりである。

先生の言葉に勇気をいただく

一庶民の、岡山県人の一人として、または一人の人間として、戦争という人間を狂気の淵に叩き込んでしまう暴挙にはなんとしてもNO・戦争。戦争に勝者なしの側に私は立つ。。

私はできるだけ悲惨な映像は見ないようにしているが、実際はお茶の間には流せないような映像が、現実が展開されているのに違いない。私が願うのは、ことウクライナに限らず理不尽不条理が嫌でも弱者に及ぶ、野蛮という他にはない人間の蛮行には、いかなる理由があろうとも、理屈なく反対する。

自分の子供に危険が迫ったら、親は本能的に子供を守るはずである。おなかがすいたら辛いはずである。その程度の想像力でただアクションを起こしているだけなのである。深い大義や理由などどこにもない。嫌な感じは嫌なのである。そのようないわば普通の感覚をお持ちのかたと連帯したいだけなのである。

同じ惑星に生を受けたものとして、仲良くはできなくても、それぞれの存在の居場所でつつましく楽しく暮らすべきだと私などは考える。ゆめゆめ他者の居場所を卑怯極まるおぞましき兵器など使って蹂躙する権利は、神にも仏にも誰にもない。

戦火がやむまで念仏のように五十鈴川だよりを打つ他、いまのところ私には方法がない。世界の片隅から、蟻の穴からでて、老いつつも力を振り絞らなくては、権力者の横暴はやまない。

声を挙げられるときにあげておかないと。私はあのとき、と後悔だけはしたくない。


2022-03-16

予断を許さないウクライナ情勢に思いを馳せ思考する今朝の五十鈴川だより。

 昨夜NHKのクローズアップげんだいをみて、あまりの痛ましさに言葉がなくなってしまった。まさにこの世の地獄が、ウクライナでは起きている現実がにわかには信じられない、末恐ろしいという他に私には言葉がない。

日本で暮らしている私たちには、あまりにも皮膚感覚として痛みの伴わない、感覚ではあるにもせよ。ともかく、今の私は言葉よりも行動アクションを起こすことが何よりも大事である。私自身のなかでは、対岸の火事的感覚、無関心は罪悪感のようにさえ思える。

だが、人の心は千差万別なのだから、にたような思いの方々と繋がりながら、各々が考えながら、多種多様な、紋切り型ではなく、これまでとは異なるデジタルウエイブ、アナログウエイブの入り交じった、新しい波を各世代で起こして繋がりたいと、私は願う。

もう私などは十分に生きたのだから、アクションは若いかたにお任せしたいのだが、そうもいっていられないほどに、事態がとんでもない方向にゆかないように、こうやって老いの五十鈴川だよりを打たざるをえないのである。

ウクライナの命を懸けた人々の発言を映像で耳にすると、粛然とした気持ちになる。命を懸けて守るべき何が自分の中にあるのかと、嫌でも問いたださざるを得なくなるのである。なぜ緊急支援ライブをやるのだろう。

今朝の我が家の庭のちんちょうげ

音楽の力、芸術の力を信じるものとしては、なんとしてもカテリーナさんの歌声を岡山の地に響かせたいのである。人は、少なくとも私は最後の断末魔では祈るしかないのだ。その前にアクションを。銃などでは絶対に平和にはならない。報復の連鎖、憎悪の連鎖怨念が深まり続くだけである。

畏敬する中村哲先生は、丸腰素手の平和を、用水路を建設しながら終始一貫唱えられていたが、私などは爪の垢でも学んで、地べたを這いずり回って心のなかでつながる、文化的用水路を作りたく、夢想する。

中村先生は、アフガニスタンの過酷極まる大地の上から人類の未来を絶えず憂いておられたが、最後まで人間の善性を信じておられた。私もかくありたいと、かく学びたいとおもうのである。都市の豊かで快適な環境で思考するのではなく、過酷な辺境の大地の上で発言し続けた中村先生の言葉は、私の心の奥深くに届く。

このデジタル時代、ティケットを一枚一枚手から手に手渡しで売るなんて、時代錯誤も甚だしいのは、重々承知しているが、入場者120人の今回の企画。できれば直接お顔と会いたいし、少年時代の面影に帰り行商したいと老いのみが騒ぐのである。

そのきっかけとなる出来事が、昨日午前中バイト先で起こった。一人の異なるエリアで働くKさんにお声かけしたら、その場でティケットを買うとおっしゃったのである。そこで私は考えた。義理の息子が作ってくれた旧遊声塾の名刺がたくさんあったので、前売りティケットにすることにしたのである。

デジタルの申し込みであれ、手売りであれ🆗👌、これこそが多様性ではないか。まだまだ4月24日まで時間はある。一日一枚売れたとしてもかなりの枚数である。ご連絡くださればお届けに上がります、ってな調子で、格差や分断紋切り型思考に一滴を投じたいのである。

深刻な時にこそ、ユーモアを。ウクライナでは非常事態の戦禍のなか、キエフの路上で音楽家有志があつまり演奏していた。日本の心ある音楽家もこの際ギャラなしでも、アクションを起こしてほしいと願っている(すでにアクションを起こしているかたもいるとはおもうが、ほとんどはリモート、デジタル)

生身の人間の体よ、どこにいったと私などはどこかしら憂愁の念にとらわれるのである。体をはって行動した、中村哲先生から学ながら蟻のように動いて、思考したい。

2022-03-15

RSK、能楽堂ホールtenjin9に会場が決まりました。とりあえず先着50名まで予約を受け付けます。

 目が覚めた。超アナログ、昨日封書で20通カンパのお願いを投函したのだが、今宛名だけ20通書いて、暫しおやすみ五十鈴川だよりタイム、珈琲を飲みながらうっている。企画宣言を打ってから、はや10日流れるように時がすぎてゆくが、自分でも信じられないくらいに体が、意識が動いている。いきいきと動いてくれる我が体に感謝である。

ところで何よりも今朝お知らせしたいのは、4月24日の演奏会の場所が決まったことをお伝えしたい。RSKの能楽堂ホールrtenjin9にきめました。とにかく一つずつクリアしてゆくしかない。さいはなげられたのだから。

このような緊急企画は初めてなので、後援申請に動いている時間がないので、今日三社にだけお願いしようと考えている。カンパは22日までに締め切りなんとか今月末までにはチラシを作りたいと、願っている。

だが、物事そうは簡単に行かないのが世のならい。だがいいのである。 なるようにしかならないのだから。どこか楽天的でなければ自主企画など出来るわけがないのは自分が一番承知している。何より私がいちばん嬉しい🎵😍🎵のは妻を始め家族の応援があるからである。あり小用い

蟻のように闇を歩く


無謀な性格はこの歳になっても変わらないが、超アナログの私を支えてくれている。このあいだ の上京でよもやまさか、長女が私たちがチラシを作ると自発的に言ってくれたときに私のなかで何かしら、腹がすわったのである。

正直カなり体は疲れているが、今しか出来ないことをできる仲間と少しずつ押し進めてゆく喜びはやったものだけがあじわえる何かなのだから。10 年ぶりにハラハラどきどきの緊急感が古希の体にみちている。

もうチケットなど作っている時代ではない。会場の120席、カンパしてくださった方はご招待なので、おそらくメールの予約だけで埋まるのではないかとおもっている。カンパはすでに20名以上の方々から振り込み用紙の依頼がとどいている。

だから今朝の五十鈴川だよりで事前に予約を受け付けることにしました。電話09053785433 にお申し込みください。メールはhidakatn@gmailです。定員になり次第締め切ります。予約料金は4500円です。どうか宜しくお願いいたします。

最後に当日受け付けのボランティアを5名ほど探すことにし、これまた受け付けます。イベントの企画はなどに関心があり、何よりもウクライナのおぞましき戦争の出来事に、ノーのお声をあげるかたの参加を希望します。

また、チラシ500枚ができましたらお声かけしますが、五十鈴川だよりで思い付くあふぇやこれやを綴りますので、似たようなアクションをすでにおこされている方がたと繋がり、連帯したくおもっています。ともかく、戦禍の音がやむまでは五十鈴川だよりをうちながら思考j停止に ならないように、心あるかたたちと繋がって心をやわらかく保ちたく思います。


2022-03-13

望晃くん、4才のお誕生日おめでとう。おじじの五十鈴川だよりです。

 今日は私の最初の孫の望晃(のあ)くんの4才のお誕生日です。おじじは五十鈴川だよりを書いて、お祝いの言葉を伝えたく思います。

去年の7月24日、おじじには二人目、次女に男の子が産まれました。今もそうですが、コロナウイルスで世界中の人々が、大変困難な生活を否応にも送らざるをえない時代の最中にです。名前は葉君です。次女には天晴れよくやったと伝え、女性のすごさを再認識しました。

今、おじじは葉くんがすやすやと眠っている隣の部屋で五十鈴川だよりを打っています。朝早くまだみんな眠っています。ところで、2月24日、葉くんがちょうど7ヶ月を迎えた日に、地政学的には日本からはあまりに遠いウクライナという国に、国境を接した隣国ロシアが侵略戦争をはじめて、いまも続いています。

そのような大変な時代なのですが、幸せなことにあなたは素敵な両親のもとで穏やかに成長し、今日4才のお誕生日を迎えることができました。もう4才までをしっかりと生きている姿を、この3日間おじじはしっかりと見ることができました。そしてやりたかった肩ぐるまを昨日することができました。

古希のかたぐるま、できた16キロ

遠い異国では、戦禍の音がやまないなか、あなたや我が家族は穏やかに平凡にお祝いができる。その事のありがたさを古希を過ぎたおじじは噛み締めています。

そしてこうしてあなたにおたよりで、お祝いを伝えられる。命を精一杯に輝かせながら生き続けて行くことはなかなかに大変なことなのです。が、今のあなたは存在そのものでおじじを幸福感で満たします。

いつまで書けるかはわからないけれど、お誕生日の度にあなたと葉君にお便りがかけるとおもうと、おじじは長生きしたい。大きくなったら自分が4才の頃の世界の出来事がどのような時代であったのかを、学んでくださいね。

実はおじじも、自分が小さかったときのことや、もっとその前の様々な出来事を今ごろになって学んでいるのです。学ぶことは楽しいから、ゆっくりと好きなことを見つけ、夢中になって打ち込める世界を少しずつ見つけてね。

おじじのお願いは平凡です。平凡こそが非凡なのです。古希を過ぎておじじははっきりとわかりました。今日一日が穏やかに生活できればそこに世界のすべてがあるのだということが。

大きくなったら他者の痛みや苦しみから目をそらさない、勇気のある人間になってほしい。そしておじじもあなたや、葉君からエネルギーをいただきながら、未来のあなたたちの社会から悪夢のような戦争という狂気がなくなルことを願い、おじじも元気な間は発言し、行動しようと想う。あなたのお父さんやお母さん、葉くんのお父さんお母さんがおじじを支えてくれるので大変感謝しています。家族あってのおじじです。

少し、長くなったけど最後に、少々はお父さんお母さんを困らせても大丈夫だけど、大きくなったらお父さんお母さんを大切にね。保育園のお友だちとも仲良く、一度しかない命を何より大切に、大地を踏みしめ、怪我に気をつけて遊んででください。

昨日井の頭公園で、クワガタと(精巧にできてたねあのクワガタ、レイさんが組み立てるのに苦労していた、あなたのお父さんは素晴らしい)無心に遊び、走り回り、よじ登り、ジャンプする一瞬たりとも休まず動くチビッ子怪獣のあなたの姿をみて、おじじははっきりとわかったよ。孫はかわいいという意味が。もう桜が咲いていたね。

最後に、よく食べてよく休んで、お父さんお母さんとともに、健康に遊んでください。おじじも歩いて体を鍛える。コロナが終息したら共に山登りしようね。そして生きているクワガタを見つけよう本物を。万歳、4才を迎えた望晃君へ。古希のおじじより。

2022-03-12

娘たち家族にいただいた古希を祝うタブレットで真夜中五十鈴川だよりを打つ。

 二日連続して娘のところにお世話になっている。疲れてはいるのだが、からだのどこかでそのようなことはいっていられないという声がする。あさというには早い真夜中に五十鈴川だよりを打つなんてことははじめてである。

でも今の私には時間が限りなく大切なのである。夜になると極端に頭の思考が弱くなるのだが、4時間寝れば、またなにか打ちたくなる元気が体にあるのは、なんともありがたい。私はすでに打ったが、この企画が実現するまでは年齢を忘れて動く覚悟である。長女の住む稲城のマンションは静かである。隣の部屋ではこの日曜日、4才になる孫の望晃(のあ)君が寝息をたてている。この上もない平凡な平和。遥か彼方戦火🔥に怯えて非常時を生きる民衆がいる。

老いた頭で、ウクライナの人々の(世界のあらゆるところでの暴力的、有無を言わさぬ古い時代の超権力者のおろかな思考行為を止めさせないといけない)あまりにいきなり過酷極まる理不尽な戦争という、非日常極限状況に否応なくおかれた人々の困難を想像すると、ただの一行でも日々何かしらの声をあげる、五十鈴川だよりを打ちたい。

親友から送られてきた記事
人間に良心があるならば。

このようなことを打つと、古希を過ぎてもどこかしら恥ずかしいのだが、少年期から青年期にかけて親不孝というか、結果的に将来の心配を親にかけてしまった私としては、引き上げ体験者の両親の息子としては、両親も含め先の対戦で地獄を見た人たちのことを追悼し、ウクライナに思いを馳せ、なにかせずにはおれないのである。

今回嬉しいのは、10年ぶり企画者に復帰し、いきなり動き出した古希の男のアクションに、かなりの歳月が流れ、まるで音信が途絶えていた友人知人が、今のところ20人くらいのかたが、全員応援賛同すると、私の背中を押してくれていることである。嬉しい。

そしてやはり我が家族、娘とはいえまったく異なる人格である。長くなるのではしょるが、私の背中を押してくれるアイデア意見をつぎつぎに出して勇気を与えてくれるのである。娘たちばかりではない、義理の息子たちもしかりである。

レイさんも、S平さんも冷静に応援すると(SNSやフェイスブックほかで)いってくれ、老いてはまさに子に従う私である。他者の痛みを想像するのは私のような凡ぷには難しいのだが、わずかな想像力を全開し、痛みを感知し行動し、何よりも途方もない大きな力、あまりの理不尽さ、悲惨なおぞましき戦争にはノーの声をあげ続ける勇気を持ちたい。

五十鈴川だよりを読んでくださる方々が、一人でもあらゆる方法で行動を、声をあげてくださることを祈ります。

PS この文章は真夜中打って朝写真をいれました。タブレットに少しなれてきました。


2022-03-11

3月10日、カテリーナさんの岡山での演奏会が母の命日に決まった、翌日の朝に想う。

3月11日、稲城にすんでいる娘のところで、はじめて自宅以外で五十鈴川だよりをうっている。タブレットを持ち運べるので落ち着いた空間があれば、どこでも五十鈴川だよりが打てるようになったのは、おじいさんの私としては本当に嬉しい。

さて、思い付いたら吉日で、昨日横浜港で行われた東日本大震災追悼演奏会に、毎年参加されているウクライナの音楽家、カテリーナさんに直接お会いし、岡山で緊急ライブをやりたい想いを伝え、タイトなスケジュールのなか、4月24日の演奏会が実現することが決まりました。

まずはその事が決まったことの嬉しさのお知らせします。出逢って44年にもなる親友K氏が横浜駅で待ち合わせ同行してくれ、写真他大変お世話になりました。K氏はカテリーナさんの歌と演奏を聴くことはなく、会場をあとにされたのですが、この場を借りてK氏への感謝をきちんと打っておきます。
ゆびきりをしました


私はアンコールをいれて5曲カテリーナさんの雅な60本近い伝統古楽器の演奏と歌声をはじめてそばで生で聴いたのだが、一言感動した。翼をください、イマジン、ふるさとほか、老いたからだに涙がにじんだ。この音楽家を岡山のかたに聞いてもらえるかと想うと、10年ぶりに企画者として復帰した喜びがゆっくりじんわりト込み上げてきた。

昨年の今ごろは、なにしろ入院していたのだから。生きていればこそ、信頼に足る仲間がいてくれてこそ、思いが叶うのだと今回の企画で改めて思い知らされている。カテリーナさんの歌声とともに日がくれた。私はカテリーナさんに岡山からやって来て本当によかった、感動した胸を伝え、CDを2枚求め岡山での再会を約束して会場を後にした。

そして午後八時近く、これまた出逢って35年になる女性の友達Sさんと5年ぶりくらいに会って9時まで食事をして、わずかな時間ではあったが旧交を暖めあえた。10年ぶりの企画は、旧交再開の趣も結果的にあわせ持つことになってしまったことも含め、私はにとってはまったくこれまでとは異なるイベント、音楽会になりそうな予感が今のところし始めている。

長い一日の最後、長女のマンションに午後10時くらいに着いて、久しぶりに娘やレイさんと眠りに落ちるまで語り合って、西大寺の家を出てからの充実した一日を終えた。

PS  K氏、Sさんから思いもかけぬ額のカンパを直接いただきました。この場を借りて感謝します。また、長女が次女の旦那さんと相談して急いでちらし作りにも参加協力してくれることになりました。デジタルに弱い私をサポートしてくれます。カンパは一応3月末までに締め切り、あいうえお順で名前を記載します。

言い出しっぺは私ですが、家族や仲間有志の意見に耳を傾け、4月10日を目処に50百枚くらいのチラシを作ることにしました。後は一日もはやく演奏会場決め、入場者数を決め、入場料金も有志と相談し決めます。進捗状況は五十鈴川だよりでおしらせします。

入場料金のすべては今のところウクライナ大使館の支援口座に(カテリーナさんと相談します)全額寄付します。私の呼び掛けに賛同カンパしてくださったお金は、カテリーナさんの謝礼と、戦火がやむまで多面的に、ウクライナ支援イベントを継続するために有効に使います。妻が会計を担当してくれます。明細は及ぶ限り、支援賛同者のかたにはお知らせします。



2022-03-09

3月9日の起きたての朝に想う。

 昨日午後3回目のワクチン接種を済ませた。左腕がいくばくかだるいが発熱もない。だが今日は明日から上京するし、大事をとって労働バイトはお休み、明日からの上京準備とうに時間を費やし、何人かに(遠方の)お便りを書いたりしたいと思っている。

10年ぶりに企画することになって、この一週間仕事の前や休憩時間にメールやお電話をしているのだが、瞬く間に時間が過ぎてゆく。私の場合、デジタル機器時間はほとんど午前中である。あえて、生活にメリハリをつけるためにそうしている。

昼食後から夜にかけては、ほとんど特別のことがない限りスマホは手にしない。散歩したり本を読んだり、別のことに頭をシフトしている。夕方6時以降はなにもしない。とくに夜はただ体を休め、はやく床につく。そしてはやく起きる。スッキリとした頭で、ほぼ午前中の7時間で、大事なことは考え進める。40才から、そういうスタイルが体に染み付いているので、こればかりはこれから先も変えようがない。

だから夜、週に一度とはいえ7年近く、天神山まで出掛けていってレッスンを続けていたものだと、今となっては想う。やはり無理を知らず知らずのうちに体に与えていたのだと。

たぶん恐らくこれから毎年3月になると、昨年ベッドに横になっ

3月9日の朝日

て、回復を祈り続けたことを思い出しては、命のありがたさに想いを巡らせることだろう。

2月24日、ロシアがウクライナに侵略してから、古希を過ぎた今の自分になにができるのか、問い続けた結果が、ヵテリーナ(エカテリーナは間違い訂正します)さんの企画へと結び付いたのだ(と思える)。

まずは思い付くこと、後はいかにして実現化するための方法を、これまでの経験を踏まえたうえで、娘や新しい世代から学びながら、古希を過ぎたこれからは、無理をしないでゆっくり歩きながら、思い付くことを誰かさんのようにメモしながら、と考えている。

報道の画面ではきっとお茶の間には伝えられないような、悲惨なむごい状況が起こっているのに違いない。あの病院のベッドでなすすべなく、祈るようなおもいでいた自分を思い出す。もちろんはじめて経験したのだが、最後は覚悟と祈りしかないのだ。

この状態から抜け出して自由に歩けるのであれば、50年以上飲んでいたお酒もやめますと、私は自分に誓った。幸い今に至るも実行している(少しなら飲んでいいとはお医者様には言われているが)。もう飲みたいとは思わないのである。

話を戻す。企画を思い立ったことで、長いこと音信不通であった友人とうにもお声かけを、臆面もなく突然の想いを伝え始めたのだが、意外といっては大変失礼だが、今のところほぼ全員から暖かい賛同の意思を賜り、いっそうの責任を感じている。

このような友人知人に恵まれている我が身の幸運、ありがたさは言葉にはなし得ない。私にできることは世界のまれな音楽家を岡山に招き、人生を肯定できる希望の一滴をを企画することである。どのような国家的な大義があろうと、罪もない極めて普通の生活を営んでいる人間を蹂躙する権利は誰にもない。

あくまでも平和りに解決の入口を見つけるのが、21世紀をいきる政治家のつとめだと、私などは考えるのだが、ウクライナの出来事を鑑みると、武器が発達したぶん、余計におぞましさ冷酷さが際立つ。

話を変える。昨年、旧交が玉ねぎ事件でいきなり復活、香川に住むI氏から、倉敷に住むKさんからも暖かい賛同のお声寄せられている。なんとしてもヵテリーナさんの企画をまずは実現させたい。

2022-03-08

ウクライナの叫びに耳をすます、3月8日、火曜日の朝に想う。

 いつにも早く目覚めた。珍しくなにもうつきが起きない。が、打つのである。ニュースも最低限しか目に、耳にせず。あれやこれや、老いた身を鑑み、春間近な空を眺めながら、10年目のウクライナ緊急ささやかアクション支援音楽会について、いつどこでどのようにやるか、やれるかに思いを馳せている。

タイトルは、ちらしは、スタッフは、なぜアクションを起こすのかの一文は、等々、次から次に、やらねばならない、考えねばならないことは、尽きない。そう、企画をすることは、まさに自分との戦い、煩雑なあれやこれやの交渉、やり取り、意思を伝えることの根気比べ、山は低くても高くても、険しいのである。

だが、我が体は達成したときの喜びを何度も体験している。だが、今回の企画は、明らかこれまで企画してきたものとは、ちょっと次元が異なる。だが、理屈はいい、今やらねばいつやるのだとのうちなる声が、私にははっきりと聞こえるのである。

まずは、思い立ったのだから、なんとかヵテリーナさんに来ていただく、それさえ決まれば後はきっと流れる。どこでやるかの場所がもっとも大事だ。ウクライナの演奏会を岡山のどこでやれるか思案している。

そしてコロナ下、集客人数は。いつやれば、やれるのかと、老いた頭はじんわりやんわり回転する。実現するまではこのゆっくり回転は止まらないのだ。大自然や仲間からエネルギーをいただきながら、五十鈴川だよりをうちながら、よたよたとではあれ、はっきりとゴールを見据えて歩こう。悪夢を見据える。

困ったときは、家族や仲間と相談し、若いときのように一人で抱え込まないようにしよう、と思っている。明後日、横浜で私は人生ではじめてウクライナの人と出会う。そう、企画する上でもっとも大事なことは、まずは出会うことなのである。


生きていることは他者との出会い、の積み重ね、そこからすべては始まるのである。そういう意味で、古希の節目のこの年に、ウクライナの音楽家を企画できるということは、巡り合わせ、お導きと考え、一歩一歩ことを冷静に進めルこと。これしか今は考えていない。

過去の自分とは、とうにおさらばしているので、今、おじいさんなりのことがやれるのか、やれないのか、そこが思案のしどころ、ギリギリまでの思案を生きたい。だが無理する企画はよいことにはならない。

話は変わる。青春期、【禁じられた遊び】というフィルムを上京して間もない頃、当時飯田橋にあった(いまはない)佳作座という名画座で見た。ラスト、瓦礫のなか、戦争で親とはぐれた少女の呟きが、あの旋律ともに、今も老いたからだの奥底に眠っていきている。

あのような痛ましさを経験することなく、この年まで生きてこられたことにたいして、もう私はウクライナで起きている出来事にたいして、なにかせずにはいられないのだ。

若き数学者森田真生氏(私には先生)がかかれていたが、世界の叫びに耳を傾けるリスポンス(反応)が責任、リスポンスビリティなのだと。私には責任があるのである。

この度の企画は、はじめて企画するチャリティー演奏会である。最低の経費を除き、全額ウクライナの人々へ、食料や水医薬品として、ウクライナ大使館に寄付します。この企画に事前に賛同してくださったかたには明細をお知らせします。今朝はこれくらいで。


2022-03-06

ウクライナの悲惨な状況報道からささやかに思考する五十鈴川打より。

起きて間もないが頭が新鮮な内になにか綴りたい。報道によればウクライナ🇺🇦から国外に逃れる 避難民は100万人をとうに越えたと言われる。老いた頭で床のなかで、77年前北朝鮮🇰🇵から姉当時3才、兄6ヶ月とともに、平壌の隣の新義州で教師をしていた両親は、家族4人でまさに命からがら、生還した。

その状況がどんなものであったのか、私は老いた頭をフル回転させて想像した。野坂昭如さんは飢えるということの恐ろしさを、繰り返し作品かし、終生語り続けておなくなりになった。非常時は、普段おもてにはでない人間の動物性というほかはない、鬼畜性が現れてくる。

極限状況におかれれば、否応なく自分では制御しきれない、悪魔というしかない面が、私を含め現れてくるのだろう。だからそういうこれまでの、アウシュビッツや強制労働所などでの歴史の証人が伝えて続けてきたことから、学ぶ努力を怠ったら、まずいと自分に言い聞かせるのだ。もっと悪い悲惨な出来事が出来しないように、ささやかに考え続け、折々のことを発言する勇気を持たないとまずい。

昨日妻との散歩、穏やかな春がきてほしい。

五十鈴川だよりをうちつづけながら、思考したい。首都キエフのスーパーにはは食料や水がほとんどない状況が映像で伝えられていたが、戦後の豊かさの大部分を生きてきた私には飢えるという生き物としての感覚が極端に弱まっている恐ろしさをどこかに感じている。

この感覚は私より若い方々にはもっと遠い感覚なのかもしれないが、一旦、戦争のような非常事態が出来したら、どのような悲惨極まる阿修羅のような状況に、あまねく弱い立場の人たちがいの一番に置かれることを肝に命じておく必要がある。とくに赤ちゃん子供、高齢者、ハンディのある人、お金のない人、生まれつきからだの弱い人等々に。

かくも戦争は人間を、攻守を越えて人間を魔物かしてゆく。その事の真実のあまりの惨さは多くの書物に刻まれ伝えられている。エカテリーナさんの音楽会が開かれる3月10日は、先の大戦、東京大空襲で、一晩で10万人の人々が殺された日である。母の命日でもある。

国家とはかくも大義の幻想的暴力装置を抱えている。どのような大義があろうとも、戦争の悲惨さを体感、経験している方はいけないと発言しているが、ほとんどの方が高齢化し、発言に耳をかた向け、実感が伝わる世代は少なくなっているかのように報道されるが、私はまったくそうは思わない。

我が娘たちは、私の企画者としてのアクションに理解を示してくれている。人間ほとんどの人は家族や身近な人との生活が無事に送れればそれで足りるのだと想う。いかなる不毛な言葉をもってしても、国家の大義があろうとも、人間同士が殺しあう愚だけは避けるのが、人間の在り方、良心であるとの側に私は立ちたい。

食べ物と寝るところがあり、家族があれば多くの人間は足りるのである。足りないというきりのない欲望幻想をかきたてるお金資本主義とはおさらば、かきたてない静かな新しい資本主義こそ、私などは期待する。穏やかな資本主義にシフトしないと、もうすでにこの惑星は相当に痛んでいてこのままでは人類の行く末はあまりに暗い。

おびただしい戦車やおぞましさに身の毛もよだつ、クラスター爆弾や打つのも嫌な気化爆弾、等の武器を作る人間の正気を疑うと、おなくなりになった中村哲先生は著書に書かれている。

同じ惑星にたまたま生まれ合わせたもの同士、この惑星の存亡の危機が迫っているこの時代、同じ人間同士が殺しあいなどやっている場合ではないのだと、ごまめの歯軋りのように五十鈴川だよりを打たずにはいられない。


2022-03-05

ウクライナの音楽家を招き、10年ぶりに企画することに決めました、そして想う朝。

昨日の老いの夜明け

 3月初めての五十鈴川だより。今朝は、ちょっとした決意というか、お知らせを打ちます。気が滅入るので最低の報道しか、目に、耳にしていないのでですが、ウクライナでの出来事に関して、私にできることを思案した結果、10年ぶりに企画者として、なにがしかのアクションを起こすことに決めました。

具体的には、まずは私を含め、あまりにもウクライナの歴史に関して知らない人たちに、少しでも知ってもらい、関心の輪がここ岡山でも広がってゆくようなささやかな企画を実現するために、ウクライナの音楽家を岡山に招き、演奏会を実現するために動くことにしました。

何せ、10年ぶりの企画なのでちょっと古希を過ぎた初老凡夫としては、若干のとまどいも正直あわせもってはいたのですが、そのようなことに拘泥している場合ではないと反省、自分を否定し、やれるだけやろうと腹をくくったのです。

一年前の私は初めての手術体験でベッドにいたことをおもいだすと、にわかには信じられないくらいの、自分の変化と世界の変化です。パンデミック、コロナ下で勃発したウクライナでのロシアの軍事侵略。

報道もこのインターネット時代、どちらの主張に真実があるのかのことなどには、私はあまりに関心を持ちえません。ロシアは大義を抱えて、ウクライナを今も軍事侵略しておびただしいミサイルをかなり危険極まるエリアまで放ちながら、武力制圧を進めている厳然たる事実になにがしかの声を上げねば、悔いが残るのです。

被爆国であり、福島原発事故を起こした国として、チェルノブイリ原発事故(1984年)の近くには多くの核施設があるとの報道、震感とします。

ただ再び核戦争にまでは決してならないでほしいことを願い、一日も早く戦渦の音が止むことを願い、一人の人間として声を上げねばとの、単純な気持ちがすべてです。 

二人の孫の背後に、ウクライナの小さな子供たちの瞳の気の遠くなるほどの怯えを、かろうじて凡夫は想像して忸怩たる思いです。今はアクションを起こせと、老いの血が騒ぐのです。

アクション開始、昨日から企画を実現するために、私は昨日から電話やメールで、私の思いを伝え、カンパを募ることにしました。とりあえず私のポケットマネー含め、数十万円集まれば、波紋を広げてゆく一滴くらいのことは可能だとの思い、胎を決めました。

上京してから22年、岡山に移住してから30年、この間に出会えた友人仲間にお声をかけたのですが、(前美星天文台長A氏、天神町で税理士を営むSさん、岡山市内在住のHさん、鳥取県に住むMさん、東京に住むT氏、本当にこの場をかりて感謝します)想像に余りある激励のお言葉、振込先を教えてくれとの言葉、私は母の介護で動けないけど、後方支援するなどの信じるに足るお言葉の数々に、私は10年ぶりの企画は実現すると確信しました。

長くなるので端折りますが、今働いているバイト先で出会ったTさん(なんと77歳かくしゃくと働いている)という方がいるのですが、その方にも昨日、カミングアウトしたわけではないのですが、実はウクライナの方の音楽家の演奏会を岡山でやりたいのだと話しただけなのに、やおらポケットから財布を出して、実現に役立ててくれと、一万円私に無理やりくださったのである。感動した。(Tさんありがとうございます。大切に使います)

このような意気に感じる、今は少なくなった昭和男にバイト先で出会えた幸運、在り難さを何としても五十鈴川だよりに打たずにはいられない。動いて思いを直せつ伝えれば、扉は開くのである。しばし年を忘れ私は動くつもりである。

さしあたり、来週10日横浜で行われるウクライナの音楽家、エカテリーナさんの演奏会にゆき、本人にお目にかかり、思いを伝え岡山に招こうと考えている。(この情報は知り合って44年になる神奈川に住む親友が新聞記事をラインで送ってくれた感謝します、一緒にやろう)

とりあえず、7人の仲間くらいで(少ない方が小回りがきいていい、私の年齢ではこのくらいの仲間が要れば十分、この方たちのアイデアを十二分に生かしたい)熱き心でもって、冷静にことを勧めるつもりである。賛同してくださった方々は、了解をいただきチラシにあいうえお順で掲載する。

まだいろいろ打ちたいこともありますが、今朝はこれくらいにします。振込先は後日アップします。最後に会計担当は私がすると、妻が言ってくれたこと。娘たち夫婦が側面的にデジタルに弱い私をサポートしてくれるとの言葉、足元がしっかりしていないと企画はできない。折々進行は五十鈴川だよりでアップします。

いつ、どこで、コロナの推移を勘案しながら春先までには、30人から40人くらいまでの定員での、ミニ音楽会を実現したい。横浜での演奏会での会場をしっかり見てきます。