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2023-11-30

ヴィクトル・ユゴー原作【レ・ミゼラブル】読み始め、想う。

 11月も今日で最後である。老いのフリーター的肉体労働は火曜日で終わり、昨日今日と肉体労働はなし、昨日も買い物や散歩以外、外に出ることはなく終日家で過ごした。私はアウトドア仕事をしているので、それ以外の時間はほとんどを家で過ごすような老人気ままライフを、手術後特にするようになってきている。

全集に掲載されていたユゴーの写真

18才まで本をほとんど読まずに過ごしてきた私が、あれから半世紀以上、わずかな時間本を手放さない生活を続けている。相変わらず本を読むスピードは遅いのだが、超スローペースで本好きになってきたのはなぜなのかは、やはり18才で上京し、小さな演劇学校に入って、あまりの我が無知と出会ったトラウマが、いまだに続いているからである。

あれから53年の月日が流れたが、古希を過ぎていよいよもって本を読むことに割く時間が増えてきている。年を重ねるにしたがって本を読む体力が落ちて来るのが当たり前だと想うのだが今のところより好きになっている。(気がする)

先のことはわからない。今に集中するだけである。コロナ下になり、人に会う生活が極端に少なくなったこと、人に会わずに過ごし、静かに本を読んで暮らす生活がすっかりこの4年間で身に付いたのだと思える。

コロナ下の否応なしの引きこもり的時間の到来で、降ってわいたかのような自分との内省時間が増えたことで、超ノロノロ読書時間が増えたことが、以前にもまして私が本を手放せなくなり(オーバーではなく)大きなパラダイムシフトが起こったのだ。(とおもう)

さて、今私はヴィクトル・ユゴー原作の大長編【レ・ミゼラブル】を読んでいる。新潮社世界文学全集一巻だけで515ページある。ゆっくりお休みの日に集中して読み進んでいる。夏、猛暑でほとんど長編を読む気力がなくなっていたのだが、ようやく秋から冬にかけて、これから来年春まで、読める間に古典を中心に読みたい長編を読むことに決めたのである。

長くなるのではしょるが、こないだの釜山への旅で韓国版のミュージカル、(経済だけでなく舞台や映画での韓国の文化は目を見張る)レ・ミゼラブルをみたこと、戻ってから古いのと、最近の映画、ミュージカルのDVD3本を見ていずれも感動したことによる。

映画やミュージカルは原作をどのように抽出したのかが、にわかに知りたくなったことと、ヴィクトル・ユゴーという大作家の小説をまったく読んだことが、この年齢までなかったからである。朝頭がスッキリしている時間帯(しか長編は読まない)で読み進め、いまワーテルローの戦い、(ナポレオンとイギリスとの戦い、映画やミュージカルではカットされ、そこだけで50ページ以上書かれている)400ページまで読み進んだところである。

当たり前だが、小説は映画やミュージカルとはまったくといっていいほど異なる。映画やミュージカルは視覚聴覚にダイレクトに迫り手軽に触れられる表現であるが、小説はページを捲りながら文字を通して想像しながら、自分のからだのリズムで読み進む。ゆっくり高い山登りをするかのように。レ・ミゼラブル、小説ならではの物語で、原作を読もうと思ったことが正解であったという気持ちが、私に五十鈴川だよりを打たせる。

あの時代の背景、戦争シーンの長い描写力ひとつとっても原作を読まなかったきっと浅い理解でしか、レ・ミゼラブルをとらえられなかったかもしれない。いずれにせよ、ヴィクトル・ユゴーのレ・ミゼラブル(虐げられし人々という翻訳が一番正鵠を得ていると思える)がこうも繰り返し世界中で上映、上演され、世界中で読まれるのは、世界中に多くの良心を失っていない多くの人間がいる証左だろう。

ウクライナ、ガザエリア含め、今も理不尽というしかない極端な偏見、差別、格差、不正、隠蔽が繰り返され、人間を人間とも思わない野蛮性には言葉がない。人間の痛み、貧困、人民の気が遠くなるほどの流血の歴史のうえにようやく獲得した人権と言う言葉。大事に、大切にしたい。

戦争は人間を狂気に放り込む、そうなってからでは遅いのだ。【レ・ミゼラブル】は数多の苦難の果てようやく築かれつつある人間の尊厳の崇高性、良心を描いた先駆的な作品なのだと、遅蒔きながら老人の私は(まだ途中だが)理解した。遅くはない。平凡で平和りに、島国に生きられているる一老人として念う。流血、報復の連鎖をたちきるためのにヴィクトル・ユゴーが心血を込めた小説がレ・ミゼラブルなのである。



2023-11-25

【紅葉狩り・裸足散歩で・事もなし】五十鈴川は流れる。

 ガザエリアの戦争、わずか4日間でも、双方のとてつもない駆け引きの上、砲火の音が止むとの報道。だが先の予断はまったく想像を絶するほどに先が見えない。遠い島国で哀しいかな平和に生きられるありがたさに、埋もれている一老人、折々もう五十鈴川だよりでは打つことは控える。が、ガザエリアの戦争、ウクライナの戦争の行く末には(もちろん他のエリアの戦争にも)関心のアンテナだけは持ち続けたい。

小説を読むのに理屈は要らない、面白い。


老人の鬱々、嫌な予感をわずかでも払拭するために、何はともあれ自分の気持ちを日々上向きにキープするために、ルーティンワークを続けている。69才の術後から継続、すでに2年以上続けているから、三日坊主の私としてはよく持続している。

それは何回か打ったかもしれないが懸垂である。60代でも弓を引いていたとき時おりやっていたのだが、69才で手術右腕の下を10センチほど切ってから、もう弓に割ける時間は諦めたので懸垂をやることもないと、諦めていたのだが、再開している。

再開し、最初の一回ができたときは、再生、嬉しかった。その時に思ったのだが、なにかを諦めてもなにも全部諦めることはないし、なにかを手放すことで、他のなにかまた新たな可能性が生まれてくる可能性もあると気づいたのである。

若い頃から運動、分けても懸垂は大の苦手だった。考えてみると読み書きも大の苦手だったし、肉体労働もまったく自信がなく苦手だった。だが、人生はわからない、追い詰められると不思議としかいえない力がわいてくる。逆転する面白さがあるのだ。追い詰められないとこれだけは決してわからない気がする。苦手だったことが苦手でなくなる。自分の中の奥深いなにかに光が辺りうごめき出す。やはりどこか嬉しいし私みたいな単細胞は自信がわいてくる。

古希を過ぎて想うのだが、18才で世の中に出て、まったくなんの取り柄も自信もなかった私が、曲がりなりにも、今もこうやって生きていられるのは、自分の中の弱点を、ほとんど諦めながらもどこか諦めず、往生際悪く土俵際(だから私は相撲が好きである)で踏ん張りながら、ときに撤退しながらも、また前進し、その繰り返しの果て、気がつけば、薄い薄い皮をめくりながら、思わぬ新しい自分と出会い、だからこそ、生きてきてこられたのだ。そしてその新しい自分があればこそ新しい他者にも出会えたのだ。

そして想う。当たり前のことなのだが、人生は超高齢化社会とはいえ有限なのである。与えられたこの世をいかに泳いでゆくのかは、厳しいが各々次第である。有限なる健康寿命というものが、いったい私にあとどれくらいあるのかは知るよしもないし、敢えて申せば知りたくもない。ただ想うことは、私なりのこれからの人生時間を面白おかしく生きられば、もう他になにも不要ということなのである。

おもえば、18才から可能な限りの種々の肉体労働仕事で、モヤシのような我が体は、世の中の時代のなかの労働で鍛えられ、徐々に細い体ではあるが強靭になり、そのお陰でもって今も草刈り他の労働が、年齢のわりに苦もなくやれるというのは、たぶん継続の賜物なのだと、自分勝手に天に感謝している。

私を育ててくれたのは、築地の市場であり、富良野の広大な大地であり、中世夢が原なのである。ただただ体を動かし、いろんな道具を動かせるようになり、なんとか自分を含めた家族共々生き長らえ、いまも生きていられる幸運をただ私は生きている。ただそれだけなのである。

平凡な生活の日々の持続が今の私にはもっとも大事なのである。休日の今朝も朝日を浴び、裸足散歩を15分、懸垂を5回(それ以上はやらない)、深呼吸を繰り返す。青い空と雲を眺め、ハラリハラリ舞い落ちる紅葉樹木に眺めいる。老いの多幸感、高徳は老いないとわからない。若くなろうとは思わない。今をお金に頼らず面白おかしく生きられればことも無しである。

2023-11-23

五木寛之さんの【シン・養生論】を読み、そして想う。

 五十鈴川だより、うつうつ悶々の日々の最近だが、すがるかのような精神の調律といった案配で、肉体労働に勤しみながら、日々多種多様な本を手にしている。体が動くから働けるし、目が衰えたとはいえ本が読める、優れたDVDを観ることができるというのは、今の生活のなかで本当にありがたい。

風のよう、深刻さがない、そこがすごい。

この先加齢と共に嫌でもおうでも、体が衰え不調が増えてゆくことの覚悟を日々深めながら、世界の痛みにも鈍感になり、自分のことの行く末のみに、心の比重が重くなってゆくのだろうと、ぼうばくの彼方をおもう。(だが私は世界の民の一人として、民に寄り添う視点をぎりぎりまでなくしたくはない)

今はまだ五十鈴川だよりを打ちたいと言う気持ちが、体のどこからか沸き上がってくるので、その想いを綴り打つことで心の調律をはかるしか、私には他に方法が見当たらない、のだ。

私よりも20才年上、現役作家五木寛之さんの【シン・養生論】をほぼ読み終えた。この本を書かれていたいたときが90才である。作家として遅咲きデヴューして50数年、いまも手書き、万年筆で書かれていると言う。内容は割愛する。一言脱帽する。とにかく体の衰えを赤裸々に述べられつつ、老いの可能性に言及する。そこがそんじょそこらの養生論とまったく異なる。

私がもっとも感銘を受けたのは、体の衰えとは逆に、そのあまりにもという他は言葉がないほどに精神の、好奇心に満ちた崇高な唯我独尊的若々しさである。そのたゆまぬ好きなことしかしない、できない、だから自分なりの方法での努力の持続、自分勝手に自分の体が喜ぶことを正直に全うしつつ、90才を迎えられたことを、泰然自若として述べられている。

最後の方で死生感を覆す、老生感は実に斬新な提言とでも呼ぶしかないほどユニークである。古い老人像をまったく覆してしまう。繰り返す、体のあちらこちらが満身創痍であるのにも関わらず、前向きに新しい老人像を未来に向かって提言する一文は、外見は枯れていても、体の芯に赤々と火が点っているからだ。

五木寛之さんの70代以降の主に新書版の著作、手を変え繰り返しまるでお題目、念仏をどこか唱えてでもいるかのような境地で書かれるエネルギーの源が、12歳での引き上げ体験であることは、これまでの著作から明らかである。

随所重複しながらもこの本には新しい境地が縷々書かれている。ご本のなかでも書かれているが、アフガニスタン、ミャンマー、新疆ウイグル自治区、シリア、ウクライナ、パレスチナ、他の戦争地帯と、老いた自分自身の体が連動していると五木寛之さんは書いている。12歳で難民となった五木寛之少年はいまも世界で突然難民となった数多の難民と心が連動しながら日々今を生きておられるのだ。

そして今戦後は終わり、新しい戦前が始まる予感がすると老作家は書かれている。その感性の予感の冴えは、12歳の頃と変わらない。すごいと言う他ない。最初の方で述べられている。明日死ぬとわかっていてもするのが養生だと書かれている。(明日世界が終わるとしても私は花を植えるといった偉人と重なる)

大先輩、大人間五木寛之さん(生まれ落ちた場所が近く、九州弁、父親が先生であり、北朝鮮からの引き上げ者なので勝手に私は親近感を抱いている)に私は学び、連動しつめのあかでも養生せねばとおもう。


2023-11-19

うつうつとした気分を抱え込みながら、島田雅彦さんの小説【時々、慈父になる】を読む。

 日が昇り目覚め、朝一番メルの散歩を済ませ、8日ぶりに五十鈴川だよりに向かう。極めて普通にことさらな不安もなく、家族、親族、友人知人が元気に過ごせていることに対する自分自身も含めた、身の回りの存在が、平凡に生きていられることに対する感謝の念は毎日深まる。

ガザエリアの知らされる現実の想像を絶する戦争の言葉にならない、あまりにものおぞましき実態に慄然とする。正直、71才の老人の気持ちは鬱々としてさえない。だがこれは自分だけが抱えているうつうつではなく、多くの見知らぬ世界中の民が気持ちを共有しているのだと、どこかで自分を都合のいいように慰撫している(のにすぎない)という忸怩たる思いは消えることはない。

そのような消えぬおもいを抱え込みながら、日々出口なし的な状況を好転させるかのような人の出現、世界の良心を顕現化する出来事の到来を、遠い島国の穏やかなエリアに生を受けたものとして、祈らずにはいられない。有史以来途絶えることのない殺戮の上に人類はなんとか絶滅せずに、いまも生きながれられているその事実を、今日も老いたる我が身に冬の陽射を受けられる至福を噛み締める。

広島や長崎をないがしろにするかのような、前代未聞の人智を越えた愚かしき悲惨な出来事が起こらないように祈り、五十鈴川だよりを打てる間は、繰り返しさざ波のように打つしかない。

夜中の3時のNHKニュースで、インドのモディ首相がガザエリアの人道上あるまじき戦争に対して強い危機感を表明していたが、利害の絡まないエリアの良心が届くことを祈るくらいしか、老人にはできない。

そのような日々の暮らしのなか、相も変わらぬ金太郎飴のような生活をしながら、とにかくうつうつしがちな我が体の風通しをよくすべく、ただ肉体労働をしているといった案配である。そのような生活のなか、島田雅彦さんの【時々、慈父になる】という小説を読んだ。

これを気に同世代の作家の本を。

小説はあまり読まない私だし、特段に島田雅彦さんの熱心な読者でもないのだが、うつうつを抱え込みながらも、一気に読み終えた。内容は割愛するが随所に共感を禁じ得なかった。私よりも9才若く、生まれ落ちた環境も異なるが、ほぼ同世代を生きてきた小説家の40年間の私生活(一人息子ミロクの成長の記録を親として見守りながら、時代の流れを冷静に見据え、小説家の感性で、折々オペラの台本を含め多彩な作品を産み出してゆく)交遊関係含め実名で書かれている、いわばノンフィクション小説である。

このような小説家の存在は、現在をうつうつと生きている私に限りなく元気を与える。それにしても島田雅彦さんにしか書けない、才能とはこういった類いの人のことを言うのだろう。私生活の自分の不始末の顛末も赤裸々に書いている。こぎみいいほどに筆がのびやかで自由自在に思えるのだが、そのように感じさせるのが才能のなせる賜物なのだろう。ともあれこのような才能ある小説家と、同時代を生きていられることの嬉しさが、私に五十鈴川だよりを打たせるのである。

2023-11-11

無関心と無知が、我が身にも、取り返しのつかない事態が出来する、老いの想像力を養う。

 前回同様、もやもや、忸怩たる思いを抱え込みながら、能天気な五十鈴川だよりを打つ気がしない。打つ気がしないのに打つのは、自己分析の苦手な私自身にもよくはわからない。気持ちを落ち着かせるため、とでも言うしかない。

末世信頼できる著者から謙虚に学ぶ

無意識の我が体の領域の広さは自分でもまったくわからないが、いちにちいちにちの気持ちのバランスをどこかで暗黙の内にとりながら、風通しよく過ごしてゆくために、私の場合は五十鈴川だよりを打っているにすぎない。

隣に飢えた人がいても、自分が飢えたことがなければ、その飢えたひとの困窮のそこの果てはきっと悲しいかな永遠に感知し得ない。私もその一人である。その一人である私は、今日も老人としての一日を生きるために五十鈴川だよりを打つ。(無関心と無知はきっと我が身にもやって来る)

ウクライナ、ガザエリアの報道には沈黙をキープしつつ、自分なりに目をそらさず考え続けたい、とだけ打っておくにとどめる、が無関心の愚だけは避けようと思う。遠い異国の地では、地獄そのものの状況が続いている。水食料がない。トイレが汚物で溢れ返る。瓦礫のなかで人間の生活の基本が失われている、数多の民の置かれている状況がますますひどくなってゆく。泣き叫ぶ子供たち、母親、父親、お祖父さん、おばあさん、妊婦のかた、障害を持ったかた、あらゆる力を持たない弱者に無情な砲弾の嵐。逃げ場所がないこの世の地獄の縮図。世界の人たちに見捨てないでくれと、訴えていたジャーナリストの声が私の耳に届いた。あまりにもの絶対不条理。

老人の憂鬱を抱え込まないために、私が私なりに日々のささやかな祈りにもにた気晴らしに、欠かさずやっていることがあるのだが、そのような何気ない普段のよしなしごともまったく打つ気がなくなるほどに、パレスチナとイスラエルの戦争は、私の内面にいいようのない影を刺す。

いま私は、初冬の日の射す穏やかな部屋で五十鈴川だよりを打っているが、いちにちでも一時間でも無用な流血の惨事がやむことを願い、五十鈴川だよりを打つくらいしか出来ない。言葉が虚しい、が、(忸怩たる思いを、綺麗事ではなく和らげる方策を考え続けねば)



2023-11-05

釜山への5泊6日旅からもどって思う、とりとめなき五十鈴川だより。

 ほぼ10年ぶり、近い異国釜山への5泊6日の旅を終えて、昨日のお昼我が家に戻ってきたばかりで、穏やかそのものの我が部屋で気持ちがふわふわしている。ふわふわを押さえるには五十鈴川だよりを打つしかない。ともあれ無事に釜山から帰ってきた。行きと帰りフェリーに宿泊したので、実質釜山にいたのは丸3日である。

釜山港を出るフェリーの部屋の中からみた夜景

月曜日朝早く西大寺をでて、釜山に31日朝着いて、昨日11月4日土曜日、朝早く下関につき、お昼前には我が家についた。月末まとまってお休みが取れ、急に思い付いて行動したのだが、この選択がよかった。

ウクライナに続いてイスラエルとパレスチナの間に戦争がはじまらなかったら、10年ぶりの旅に出ようとは思わなかったかもしれない。居心地のいいところで、ただ安穏に生活し、五十鈴川だよりを打ち、世界の現実の風があまりにも遠く届かないところにいると、ヤバイというしかない本能的な内なる声が、未だ高齢者の私に聴こえて来たのである。

高齢者の私が行ける近くて一番日本語が聞こえてこず、静かにものを考えられる場所として、韓国は釜山にゆこうと思い付いたのである。釜山では金属加工町工場がひしめくまさに額にあせして働く労働者の街の安宿に泊まった。カンジャン市場がすぐそばで、働く人々が食べる安い食堂がいっぱいあり、ほとんどの食事を私はそこでとった。まったく普段の私の生活環境とは異なる場所に身をおいてみることの大切さを今回の旅で思い知った。

現実、いま高齢者である私が、その思い知ったことの実感は、今後のこれからの生活時間のなかで試行錯誤実践してゆきたいと考えている。

わずか5日間日本語が聞こえないところにいて、戻ってきてニュース映像をちょっとみただけで、能天気な五十鈴川だよりを打つ気がなくなってしまった。イスラエルのガザ地区へのあまりものジェノサイド、という以外に言葉がないおぞましい戦争映像。イスラエル側の論理、パレスチナ側の論理、双方のあまりもの不公平とずれ、泥沼、不毛、混沌、悲惨、無情。言葉の虚しさ。私の頭では理解のしようもないのを承知で敢えて打つが、正視に堪えない映像をわずかでも見たものとして、沈黙しつつも、我が身に、我が家族にせめて置き換えて、思考想像することを(結果的にみてみぬことになる)しなくなったら、終わりである。

私は釜山に観光旅行に出掛けたわけではない。ただ何時もとは違う場所に身をおいて体を動かし、考えたかっただけである。現地では交通費と宿代、レ・ミゼラブル(ユゴーの原作をじっくりと読みたい、子供が戦い、死ぬシーンがガザとだぶった)のチケット代、食事代、以外なにも使わない旅をしてきた。(十数年前ソウルにいった際に換金したWウォンが机のなかに残っていて、現地ではそのウォンで十分に足りた)

日本語が聞こえてこない世界、居心地のいい場所とはちょっと異なる時空間に身をおいて考える旅がただしたかっただけである。これ以上くどくど打つことは控える。寺に詣で、山に登り歩き、底辺庶民(観光客は誰もいないエリア)が生活し暮らす、人間臭い地域周辺をただうろつき歩いただけである。

だがゆっくり自分と向かい合える貴重な老いの時間が持てた。老いてはいても、今後も居心地のいい場所にいてものを考えるのではなく、動ける間は体に負荷をかけながら、物事をゆったりと考える自由時間旅を持たないと、ますますもって思考停止老人になる、ということが自覚できた。

世界の不条理不毛理不尽、運命、おかれた命のあまりもの不公平に五十鈴川だよりを打つものとして、どのような大義があろうと納得することはできない。一番小さな犠牲者、小さな命を奪い取る現実に、目をそらさず抗議する。

2023-11-03

釜山最後の日の朝釜山駅の近くのカフェで打つ五十鈴川だより

11月1日の夕飯、しみた。約800円
3日の朝、ホテルをチェックアウトして地下鉄を乗り継ぎフェリー乗り場の近くに移動した。わずか3日だがずいぶん地下鉄になれた。50だいの終わり、韓国語をわずかだが習った経験がよみがえって来て、文字をいくばくか読めたことがどれほど役にたったことか。東京の地下鉄に比較したら釜山の地下鉄はなんてことない。

出港は夜の9時なのでそれまで時間があるので、どこかに荷物を預けて釜山最後の一日を過ごしたく思っている。ところで昨日の夜は、なんとミュージカル、レミゼラブルを見た。大変感動した。その事はまた岡山にもどってうちたい。思い立って来て本当によかった。今日も快晴の釜山である。

2023-11-02

釜山への旅3日めの朝に思う、五十鈴川だより。

釜山3日めの朝を迎えている。連日素晴らしい快晴に恵まれ、言葉に表せないほどの充実した、近くて遠いとややもすると感じがちな韓国という異国への、10年ぶりの旅は、老いゆく時間をいかに生きて行けばいいのかの、ターニングポイントとして、最高の選択であったと、いま感じている。
私は今朝の釜山での五十鈴川だよりを、ササンという地下鉄の駅の近くのカフェで打っているのだが、ここまでは宿の近くのバス停から138のバスに乗り適当に降りて、いつものように感じのいい店員さんがいるようなお店を見つけて五十鈴川だよりを打っている。 今日はまったく予定がないので、ゆっくり五十鈴川だよりを打てるのがとてもうれしい。昨日はポモサという山寺に詣で、そのあと山登り、山歩きを午後一時半まで、単独で完歩した。ために、ふくらはぎ他、いつ以来か思い出せないほどの、なん十年ぶりかの筋肉痛なのである。だが歩けるし、どこか筋肉痛になっている我が体が嬉しい。 着いて丸二日が過ぎたばかりなのだが、いつもとはまったく異なる釜山単独旅、このカフェの女性も含めすでになんと多くの普通の働く人たちに助けられていることか、そのことの有り難さがしみる。 老人の私を出会ったひとの9割りは親切に接してくれる。来て良かったと心から思えるからこそ、五十鈴川だよりが打ちたくなる。これが逆であったら、全く異なることなる印象を持つに違いない。旅は出会いであるとあらためて痛感する。おそらく年齢が一段とそのおもいを深めているのだと想う。 とはいってもここは異国、しかも10年近く外国を旅していなかったし、 バスや地下鉄、食事をするにせよ言葉の問題があるので神経の使い用は半端ではない。動き回ればあらゆるセンサーを老いゆく体で瞬時に判断しないといけないから、ボケ防止には老人一人旅が、私にはいちばん似つかわしい。昨日は心と体を限界近くまで動かした一日を過ごした。午後8時すぎ遅い夕飯、豚肉のチゲを頂いたのだが、このように美味しいご飯は初めてといってもいい美味しさだった。普段の食事では味わえないほどの。体が本当に欲していたときに頂いたからだ。 人間というのは、悲しいかなやはり日々の日常生活のなかで、知らず知らずのうちに安穏な日々にながされてゆくのだとおもう。だからなのだとおもう異国への旅に誘われるのは。溜まりにたまった目にはみえない何かを洗い流すには、私の場合日本語の聞こえてこない場所への移動がいまも必要なのである。そして実践できているその事が本当に心から有り難いのである。やがてはもっともっと老いて、旅をしたことさえ 忘却の彼方に消えゆくとしても、五十鈴川だよりを打つことで、しばしの間は孫や家族が読んでくれればそれでいいのである。 釜山には40代元気な盛りに来たことがありそれ以来、初めてきたかのようにアジアの大貿易都市に変貌している。たった二日ではあるが街ゆく人々、働いている人々を傍観者として眺めて想うことはエネルギーに満ちている。ホテルのそばにカンジャン市場があるのだが、体を駆使して働く姿に感動する。私は体を張って働く人たちに強く引かれる。若い頃築地の市場で働いたことがあるのであの頃を思い出す。 そういう意味で今回釜山にーいたのは大正解といえる。旅の目的はほぼ達したが、まだ2日ある。今日はこれから海を見に行こうかと思う。

2023-11-01

ポモサという釜山で一番有名な山寺に詣で、それから山に登り五時間のトレッキングを終え、寸暇カフェでうつ五十鈴川だより。

 

必死に働く姿がすばらしい

釜山気ままな思いつき五十鈴川だよりです。今午後三時すぎ、朝やどの近くの地下鉄の駅、カムジョンから釜山で一番有名なポモサというお寺に詣で、そこから約五時間かけてのトレッキングを終え、カムジョン市場でおそい昼食をすませ、親切な若者がやっているカフェで、五十鈴川だよりを打っています。

スッゴク疲れているのですが、親切な若者のおかげで五十鈴川だよりを打てるのがしあわせです。きっとたまたまであった韓国は釜山の若者が五十鈴川だよりを打たせているのだとおもう釜山の旅二日めの、超短い五十鈴川だよりになりますが、岡山に戻ったらゆっくり打とうとおもっています。取急ぎカフェの写真をアップします。充実しているのは釜山の人たちがすばらしいからです。