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2022-03-12

娘たち家族にいただいた古希を祝うタブレットで真夜中五十鈴川だよりを打つ。

 二日連続して娘のところにお世話になっている。疲れてはいるのだが、からだのどこかでそのようなことはいっていられないという声がする。あさというには早い真夜中に五十鈴川だよりを打つなんてことははじめてである。

でも今の私には時間が限りなく大切なのである。夜になると極端に頭の思考が弱くなるのだが、4時間寝れば、またなにか打ちたくなる元気が体にあるのは、なんともありがたい。私はすでに打ったが、この企画が実現するまでは年齢を忘れて動く覚悟である。長女の住む稲城のマンションは静かである。隣の部屋ではこの日曜日、4才になる孫の望晃(のあ)君が寝息をたてている。この上もない平凡な平和。遥か彼方戦火🔥に怯えて非常時を生きる民衆がいる。

老いた頭で、ウクライナの人々の(世界のあらゆるところでの暴力的、有無を言わさぬ古い時代の超権力者のおろかな思考行為を止めさせないといけない)あまりにいきなり過酷極まる理不尽な戦争という、非日常極限状況に否応なくおかれた人々の困難を想像すると、ただの一行でも日々何かしらの声をあげる、五十鈴川だよりを打ちたい。

親友から送られてきた記事
人間に良心があるならば。

このようなことを打つと、古希を過ぎてもどこかしら恥ずかしいのだが、少年期から青年期にかけて親不孝というか、結果的に将来の心配を親にかけてしまった私としては、引き上げ体験者の両親の息子としては、両親も含め先の対戦で地獄を見た人たちのことを追悼し、ウクライナに思いを馳せ、なにかせずにはおれないのである。

今回嬉しいのは、10年ぶり企画者に復帰し、いきなり動き出した古希の男のアクションに、かなりの歳月が流れ、まるで音信が途絶えていた友人知人が、今のところ20人くらいのかたが、全員応援賛同すると、私の背中を押してくれていることである。嬉しい。

そしてやはり我が家族、娘とはいえまったく異なる人格である。長くなるのではしょるが、私の背中を押してくれるアイデア意見をつぎつぎに出して勇気を与えてくれるのである。娘たちばかりではない、義理の息子たちもしかりである。

レイさんも、S平さんも冷静に応援すると(SNSやフェイスブックほかで)いってくれ、老いてはまさに子に従う私である。他者の痛みを想像するのは私のような凡ぷには難しいのだが、わずかな想像力を全開し、痛みを感知し行動し、何よりも途方もない大きな力、あまりの理不尽さ、悲惨なおぞましき戦争にはノーの声をあげ続ける勇気を持ちたい。

五十鈴川だよりを読んでくださる方々が、一人でもあらゆる方法で行動を、声をあげてくださることを祈ります。

PS この文章は真夜中打って朝写真をいれました。タブレットに少しなれてきました。


1 件のコメント:

  1. 頑張っておられますお姿を拝見し、こっちも頑張らなくちゃと思います。この共感と言う波動はきっとさらに大きくなると考えます。12日の日経新聞の朝刊にもカテリーナさんの写真と記事が掲載されていました。映像を添付する術を知らないのはちょっと残念です。日高さんには、LINEで転送します。4月のコンサートにこの輪が広がりますように祈念します。

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