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2022-03-20

まるでお念仏のようになってきつつある五十鈴川だより。

 同じようなことを毎日打っても、きっとおそらくはまた打っているなあ、と言う程度の五十鈴川だよりなのであることは、重々承知ではあるものの、何かおまじないのように、何かお念仏のように打たずにはおれない古希男である。阿鼻叫喚の地獄の黙示録とでもいうしかない、映像が流れない日はない。昨日も打ったが、人間は麻痺する。感覚が。そして忘れてゆく。私のような凡ぷはとくにである。だから思考する。

一日も早く停戦し、戦禍の音が止むのを願い、打てる限り念仏五十鈴川だより、と化してゆくのではないかと言う気がするくらいである。だが、不謹慎のそしりと言われるかもしれないが物事はなるようにしかならないのかもしれない。だが私はおかしいと感じることはおかしいと発言して、悔いのないようにいきたいし、自分の人生を閉じたいのである。

私のそばを離れないメル

言論の自由がある時代に生きている時にこそ、ごまめの歯ぎしりではあれ、何か打って私自身の精神を整えたいのである。幸いわたしとにたような想いのかたは多くおられることが分かり心強く思っている。

10年ぶりに企画を発心して、今日で2周間が過ぎたが、私のなかでは、予期した以上のささやかだが嬉しい輪の拡がりを感じている。いちいちの嬉しさを記すことはできないが、初めて姉や兄達にもカンパの呼び掛けをしたのだが、振りこみかたが方が難儀したが難振り込んだと知らせがあった。

もうずいぶんとあっていない方からも、振り込み用紙が届いた。些少のことしかできないけれどと、激励のお電話をいただいた。事ほど作用に中村先生のお言葉ではないが、人は信ずるに足る、生き物であるとの側に、私はたちたいのである。

たしかに、正直古希の私が企画をするのは、ちょっと無謀な気がしないでもないのだが、しのこのいっているときではないのだ。ささやかな一滴が喉を潤す無数の水滴になるのを願いながら、五十鈴川だよりを打たずにはいられない。

いまは非常時、五十鈴川だよりを打ったあとは午前中は、ただの一人ではあれ想いを伝え、4月24日のカテリーナさんに向けて行脚するつもりである。戦争の世紀と言うドキュメンタリーがあるが、21世紀も22年目の現在、よもやまさかこのような世界を震撼と揺るがす戦争が起こって続いているとがにわかには実感が伴わないが事実である。

目をそらさず綺麗事ではなく先の大戦で生き延びた北朝鮮からの引き上げ者の両親を持つ私としては、何かしないと両親に顔向けができないし、何よりもまごたちや未来の人たち、いまのウクライナの子供たちにどこかどこか申し訳ないのである。


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