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2022-03-18

3月18日、金曜日の朝の五十鈴川だより。

 このところ以前にもまして早く起きるようになってしまったのは、あながち年齢のせいばかりではないと、どこか感じながら早起きしている。

朝にしか、五十鈴川だよりを打てないからだになってしまっているのだ。自分でも無理をして五十鈴川だよりを打っているのではないかという気がするが、目が覚めてしまうのだから、起きてしまう。珈琲を飲みながらぼーっとしていると、なにか今の思いを、じじの呟きを打ちたくなるのは、たぶん思考訓練をあやふやな老いつつある自分に課しているのかもしれない。

さて、先日の五十鈴川だよりで当日の受け付けボランティアを募集したら、ずいぶんお会いしていない知っているかたから、やりたいとのご返事をいただいた。ほかに旧遊声塾生や、長いこと私の企画を応援してくださっている倉敷在住のKさん、数年前に不思議なご縁で巡り会えた岡山市内に住むYさんにメールでお声かけしたら、全員からOKのご返事をいただいた。

妻を入れてすでに7人があっという間に決まった。10年ぶりの突然の企画、そして呼び掛けに素早く反応してくださったかたにこの場を借りて感謝します。

義理の息子が作ってくれた名刺

企画をなぜするのかは、自分でもよくはわからない。自分を分析したりする気持ちにもならない。ただはっきりと言えるのは、なにかせずにはいられない自分が、いまだ存在していて、心がざわつくからだと言うしかない。

先日上京した際に、長いお付き合いのカメラマンで、最近自主企画のドキュメンタリーフィルム(映画)を創られたT氏と、岡山に帰る直前品川駅新幹線乗り場のカフェで、久しぶりに再開、お茶した。氏は1946年生まれ、なんと誕生日が私と同じ2月13日なのである。

氏に諭された。歳ではない、今が一番若いのだから老け込んではいけないよ、と。老け込んではいないからこのような緊急アクションを起こしているのだが、素直に私はT氏の言葉にうなずいた。このような友人に巡り会えた我が人生に乾杯という他はない。

この度の、正直柄にもない初めてのチャリティー音楽会企画は、10年ぶりということもあり、様々な方々と、結果的に旧交を暖めることになったりもして、意外な展開を私にもたらしてくれている。企画の思い付きの恵みである。

演劇とは出会い。人生とは出会い、と言う言葉にならえば企画もまた出会いだ。そしてもっと打てば、繰り返し至らない自分と出会い続けてゆく終わりのない営みのようなもの、とでもいうしかない何かなのだと感じている。

生きていればこそ、企画と言うある意味で言えばちょっと困難が伴う道(未知)を仲間と共によじ登りたくなるのである。その事でどこかの誰かが喜んでくださるのであれば、冥利である。目に見えない善意の反応をいまビシビシ至らない企画者は感じている。

至らない私が、カテリーナさんを岡山に招いてチャリティー音楽会を企画できるのは、これまでの人生で出会えた素晴らしい方々のお陰なのである。つくずくありがたい。謙虚に歩め、と自分に言い聞かせる朝である。


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